fc2ブログ

舞方雅人の趣味の世界

あるSS書きの日々

西南戦争(25)

城東会戦後、人吉に後退する薩軍に対し、官軍は効果的な追撃を行なうことができませんでした。
大軍であるがゆえの指揮系統の混乱と、部隊配置の錯綜、それに参軍の山県有朋の慎重策が絡み合い、官軍の機動力を封じてしまったのです。
結局薩軍が人吉で態勢を整えはじめるまで、官軍は身動きが取れませんでした。

しかし、明治10年(1877年)5月に入ると、官軍は動き始めます。
人吉に対する包囲を固め、さらには熊本、鹿児島及び宮崎、大分方面と直接間接に薩軍を締め上げる作戦に出ました。
人吉に対する攻撃は、別動第二旅団が充てられ、別働第四旅団がこれに組み入れられる形となりました。

別動第二旅団の司令官山田顕義少将は、人吉のある球磨盆地に通じる七つの街道に部隊を繰り出し、そこから分進合撃の形で人吉を攻略する作戦を立てます。
七つの街道とは、東から五家荘道、五木街道、種山道、万江道、照岳道、球磨川道、佐敷道のことで、もちろん薩軍もこの七つの街道全てに守備隊を置いておりましたが、彼我の兵力差を考えれば、七ヶ所全てを突破することが可能と考えたのでしょう。

官軍は薩軍の防備の固い球磨川道と佐敷道の突破をまず図りました。
しかし、薩軍の破竹隊、常山隊、鵬翼隊(いずれも矢部浜で再編された際につけられた部隊名)の粘りに苦戦し、一時は逆襲を受け佐敷まで押し戻される状況となります。

ですが、兵力的に後が続かない薩軍はじょじょに消耗し、逆に官軍の攻撃に後退を余儀なくされてしまいます。
三ヶ月になる戦いで兵力が消耗し、優秀な下級指揮官を多く失ってしまっていた薩軍には、かつての田原坂で見せたような力はもうありませんでした。

さらに薩軍にとって誤算だったのは、比較的通りやすい道である球磨川道と佐敷道から官軍主力が侵攻してくると見ていたのに対し、別動第二旅団司令官の山田少将は、そちらを牽制として主力は険しい五家荘道、五木街道、種山道、万江道、照岳道など球磨盆地の北方から南下する道に進めたことでした。

球磨川道、佐敷道に比較して小規模の部隊しか置いてなかった各道は、官軍の大部隊に抗しきれずに次々と後退。
二年は持ちこたえられると見ていた人吉は裸同然となってしまいます。
この状況に桐野利秋は5月16日に人吉を離脱。
村田新八に爾後を任せ、新たな展開のために宮崎に向かいます。

当初の目論見どおり各街道を制圧した官軍別動第二旅団は、5月30日をもって人吉に対する総攻撃を仕掛けます。
薩軍は各所で抵抗するものの次々と打ち破られ、各隊ばらばらに孤立するか人吉へと後退して行きました。
そして、この日西郷隆盛も人吉を脱出し、宮崎へと向かいます。

6月1日、官軍各隊が続々と人吉市街に突入。
村田新八率いる薩軍約二千が必死の防戦を試みますが、大勢をくつがえすことはできませんでした。
午後には薩軍は後退を始め、大畑(おこば)方面へと向かいます。
人吉で盤据すると言う薩軍の構想はもろくも崩れ去りました。

孤立した薩軍の小部隊は、一部は官軍を振り切って脱出したものの、官軍の降伏勧告に従い投降する者も多く、また部隊が丸ごと投降するようなことも発生し、開戦以来高い士気を保っていた薩軍の戦意も、もはや低下の一途をたどっていることを如実に示しておりました。

しかし、そんな薩軍にあってなお、官軍を翻弄し続けた部隊がありました。
人吉攻防戦には参加しなかった、野村忍助の奇兵隊(これも矢部浜で再編時に付けられた部隊名称)です。

人吉攻防戦が始まる前の4月30日、野村忍助は兵力約二千五百を率いて大分方面へと向かいました。
中核は奇兵隊で、ほかに党薩諸隊が加わり、薩軍の一部隊としては大兵力でした。
野村の任務は、官軍が人吉方面に集中している今、官軍の手薄な豊後(大分)に突出してそこから四国・本州とも連絡を付けるというもので、いわば起死回生の一手ともいえるものでした。

野村は開戦後の薩軍の戦略には反対でした。
目先の熊本城にこだわることよりも、小倉、長崎、さらには本州への展開を主張し、開戦後もことあるごとに官軍の手薄な豊後進出を唱えては桐野らと衝突しておりました。

今回の人吉盤据も野村は否定的で、ジリ貧になるだけだからとやはり豊後方面への進出を訴えました。
ですが、結局その進言は桐野らには受け入れられませんでした。

こうした野村の主張に耳を傾けたのは、ほかでもない西郷隆盛でした。
西郷は次第に戦力を失っていく現状を何とか打開するべく、野村の作戦に一縷の望みを抱いたのかもしれません。
そこで西郷は特別に直命で野村に豊後進出を命じたのです。

こうして野村は西郷の命を受け豊後へ向かいました。
すでに遅きに失した感は無論野村にもわかっていたことでしょう。
ですが、おそらく野村は意気揚々と出発したのではないでしょうか。
西郷が自分に託してくれた思いを胸に、官軍に一矢報いてやろうと思っていたのではないでしょうか。
この野村の奇兵隊に、官軍はまたてこずることになるのです。

(26)へ
  1. 2009/09/22(火) 21:26:04|
  2. 西南戦争
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<小さく作ったのに大きくしちゃった | ホーム | 残念な結果に・・・>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://masatomaikata.blog55.fc2.com/tb.php/1708-86796690
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

カレンダー

02 | 2024/03 | 04
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31 - - - - - -

時計

プロフィール

舞方雅人

Author:舞方雅人
(まいかた まさと)と読みます。
北海道に住む悪堕ち大好き親父です。
このブログは、私の好きなゲームやマンガなどの趣味や洗脳・改造・悪堕ちなどの自作SSの発表の場となっております。
どうぞ楽しんでいって下さいませ。

ブログバナー


バナー画像です。 リンク用にご使用くださってもOKです。

カテゴリー

FC2カウンター

オンラインカウンター

現在の閲覧者数:

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

リンク

このブログをリンクに追加する

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

管理人にメールなどを送りたい方はこちらからどうぞ

ブログ内検索

RSSフィード

ランキング

ランキングです。 来たついでに押してみてくださいねー。

フリーエリア

SEO対策: SEO対策:洗脳 SEO対策:改造 SEO対策:歴史 SEO対策:軍事

フリーエリア