1940年5月に始まったドイツ軍による西方電撃戦は、フランスという当時の陸軍大国が降伏するという予想外の大成功を収めました。
このフランスの降伏はまた、フランスが装備していたさまざまな車両や戦車、武器などをドイツが接収するという収穫を生み、ドイツ軍はチェコ、ポーランドに続いて自国装備に他国の軍装備を加えることができました。
中でもやはり装甲車両は、ドイツ軍にとって利用価値の高いものでありましたが、残念なことにドイツ軍の主力としても使えたチェコ製戦車と違って、フランスの戦車はその設計思想の違いなどからドイツ軍にとっては使いづらいもので、主力装備にできるようなものではありませんでした。
特に一人しか入れない砲塔は不都合な面が多く、せっかく接収した戦車も二線級の装備として後方での警備業務などにしか使えません。
一方、武装の貧弱さからもはや主力戦車としては使いようのなくなった一号戦車を、その砲塔を取り外して対戦車砲を装備した自走砲に改造したものは、一号対戦車自走砲(正確には4.7センチ砲搭載一号戦車B型)としてそれなりの活躍をすることができ、旧式戦車の車体の再利用方法としての自走砲化というものが有効であると認識されつつありました。
一号対戦車自走砲はその防御力の貧弱さなどもあり、早々に生産は終了してしまいます。
そこで、その後継車両としてフランス戦車の車体を使った自走砲を作ろうという考えが、ごく自然に発生することになりました。
使いづらい砲塔を取り外し、充分に使える車体を対戦車自走砲に使うのです。
選ばれたのは、フランスが歩兵の支援戦車として配備していたルノー社のR35戦車でした。
ルノー社のR35は、旧式化したルノーFTを更新する目的で作られた二人乗りの小型戦車で、極端なことを言えば、ルノーFTを装甲と機動力を向上させ近代化したものでした。
このルノーR35は鋳造の車体を持ち、その装甲厚は最大で45ミリと当時としてはなかなかのものでしたが、短砲身の37ミリ砲は貫徹力が低く、また一人用砲塔のためにドイツ軍にとっては使い勝手が悪かったので、砲塔を取り外して自走砲に改造することになったのです。
自走砲への改造はアルケット社が担当し、一号対戦車自走砲と同じくチェコ製の4.7センチ対戦車砲を搭載することになりました。
このチェコ製の4.7センチ対戦車砲は、三号戦車H型や初期のJ型に搭載された5センチ42口径長戦車砲とほぼ同等の貫徹力を持つ優秀な対戦車砲で、当時のドイツ軍の主力対戦車砲であった3.7センチPAK36よりもはるかに有力でした。
新型の5センチ対戦車砲PAK38はまだ開発されたばかりで、自走砲の主砲としては利用できなかったのです。
こうしてチェコ製の4.7センチ砲をオープントップの戦闘室に収めた形の対戦車自走砲が完成し、4.7センチR35(f)対戦車自走砲として採用されました。
4.7センチR35(f)対戦車自走砲は、1941年に約二百両が改造され、主にフランス駐留の部隊に配備されます。
1944年になっても約百十両が使用されており、ノルマンディー上陸作戦後すでに非力となったにもかかわらず米英連合軍を迎え撃ちました。
こちらも使えるものは何でも使わざるを得なかったということなんでしょうね。
それではまた。
- 2009/08/09(日) 21:37:55|
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