昨日に引き続き英軍機のお話を一つ。
第二次世界大戦が始まった1939年。
英国はすでにスーパーマリン社のスピットファイアやホーカー社のハリケーンと言った単葉の新鋭戦闘機をすでに配備し始めておりましたが、そんな中ですでに旧式化していた戦闘機の一つが、グロスター社の「グラディエーター」でした。
グラディエーターの開発は1930年にまでさかのぼりますが、当時の英国空軍は第一次世界大戦型の戦闘機から脱却しようと高性能の新型戦闘機を求めておりました。
そのため、空軍の要求の高さによって試作機のうちの多くが不合格となるほどの事態となりましたが、グロスター社の試作機は優秀な成績をおさめ、グラディエーターと名付けられ採用となります。
グロスター社の製作した試作機は高性能ではありましたが、当時としても旧式化しつつあった複葉機でした。
しかも引き込み脚ではない固定脚であり、速度発揮にはあまり望ましいものではありません。
ただ、密閉式のコクピットや金属製の機体など先進的な技術も取り入れてあり、いわば過渡期の戦闘機と位置づけられると言ってもいいかもしれません。
当時、単葉戦闘機はまだ技術的に未熟なところがあり、いろいろと不具合が発生することが予見できました。
そのため、新技術を取り入れたとはいえ堅実な複葉機であるグラディエーターは、単葉戦闘機が成熟するまでのつなぎとしてみなされ、生産されることになったのです。
第二次世界大戦では、やはり複葉戦闘機には現実の戦場は荷が重く、ドイツ軍機に多くが撃墜されてしまいます。
そのため、早々にフランスや英国の上空からは姿を消すことになりました。
ですが、グラディエーターにも輝いた瞬間がやってくることになります。
地中海の中心近くに位置するマルタ島は、当時は英国の支配下にありました。
第二次世界大戦前はさほど重要性のなかった島でしたが、イタリアが参戦し、さらに北アフリカで英独伊が戦うようになると、一躍この島は重要な島となります。
地中海の制海制空権を維持し、独伊軍のアフリカへの補給ルートを脅かすことのできるマルタ島は、独伊軍にとっては目の上のこぶとなりました。
そのため、マルタ島を無力化するために、独伊の空軍が繰り返しマルタ島を空襲するようになったのです。
英軍もマルタ島の防備を固めるために、空母に新鋭のスピットファイアやハリケーンを搭載してマルタ島に向かいましたが、到着までには時間がかかります。
その時点でマルタ島にあったのは、予備機として保管されていたシー・グラディエーター(グラディエーターの艦載機バージョン)だけでした。
英軍はこのシー・グラディエーターを四機組み立て、マルタ島の防空を託しました。
なんと、この時代遅れの四機の複葉戦闘機は、たった十日間という短い期間ではありましたが、英本国から空母で戦闘機が到着するまでの間、マルタ島を守り抜いたのです。
敵機撃墜記録こそないらしいのですが、迫り来るイタリア空軍の爆撃機をついにマルタ島には寄せ付けなかったのです。
この四機のシー・グラディエーターの活躍は、英国空軍の間では今でも語り継がれるほどだといわれ、まさにグラディエーターがもっとも輝いた瞬間だったといえるのではないでしょうか。
時代遅れの複葉戦闘機だったこともあり、グラディエーターは約750機ほどの生産に終わります。
しかも三分の一は海外に譲渡されたといわれます。
ですが、このグラディエーターこそマルタ島の守り神だったのかもしれませんね。
それではまた。
- 2009/07/23(木) 21:33:18|
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