皆様も映画などで、米軍のB-17爆撃機などに防御用の回転銃座が付いていたりするのは見たことがあるのではないでしょうか。
一人が銃座に入って、回転させながらせまり来る敵機を射撃する。
まさに爆撃機の死闘を一番如実に表す場所ではないかと思いますが、この回転銃座を背中に取り付けた戦闘機があったというのはあまり知られてはいないかもしれません。
第二次世界大戦前、英国では爆撃機の高速重武装化に伴い、爆撃機迎撃用の戦闘機を模索しておりました。
そのときにアイディアとして出されたのが、戦闘機でありながらも動力式の回転銃座を持ち、敵爆撃機と並行して飛びながら射撃を加えれば、射撃時間も長く保つことができより有効弾を撃ち込めるのではないかというものでした。
パイロットは操縦に専念でき、銃手が広い射界の回転銃座で射撃する。
このアイディアは有効と考えられ、英国は実際に試作機の開発に乗り出します。
ボールトン・ポール社とホーカー社が試作競作に名乗りをあげ、二社のうちボールトン・ポール社の機体が1937年に初飛行にこぎつけます。
試作機はそこそこの成績をおさめ、試作が遅れたホーカー社の試作機を蹴落として採用になりました。
採用となったボールトン・ポール社の機体は、「デファイアント」と名付けられ、量産が開始されます。
部隊配備は1939年12月ですので、まさに第二次大戦が始まった年にデファイアントは期待の新鋭機として配備が始まったのでした。
デファイアントの特徴は、戦闘機でありながら背中に背負った回転銃座があることです。
回転銃座には7.7ミリ機関銃が4門搭載されており、これがデファイアントの火力の全てでした。
つまり、多くの戦闘機のように翼や胴体内部に固定された前方への機銃がなかったのです。
回転銃座は自分の機の尾翼やコクピットなどを撃たないように工夫され、緊急時にはパイロットが射撃することもできたといいます。
ボールトン・ポール社としても、回転銃座には力を入れていたということなのでしょう。
しかし、第二次世界大戦のいわゆる「バトル・オブ・ブリテン」(英国上空の制空権確保の戦い)で、デファイアントは実戦のきびしい洗礼を受けることになりました。
独軍のBf110双発戦闘機や、He111、Ju87などの爆撃機には、戦前の構想そのままに回転銃座がそれなりの威力を発揮したものの、相手が機動性に富むBf109戦闘機のような場合には、重い回転銃座が機動性を損なってしまい、まさにカモとなってしまったのです。
また、前方固定武装がないため、たまたまパイロットが上手く相手の後方に取り付けたような場合でも、銃手が上手く射撃できなければ取り逃がしてしまうこともあり、まともな格闘戦などできません。
結局、敵機を撃墜するよりも損害ばかりが多くなり、デファイアントは昼間の迎撃戦闘機としては使えないということになってしまいました。
使い物にならないとされたデファイアントでしたが、夜間となると話は別でした。
夜間であれば独軍機にそっと近づき、回転銃座で一撃を加えることができたのです。
デファイアントは以後夜間戦闘機として使われ、レーダーも搭載されるなど改修を受けてそれなりの働きを見せました。
ですが、モスキートの夜間戦闘機型など本格的な夜間戦闘機が使われ始めるようになりますと、デファイアントはお役御免となりました。
やはり夜間戦闘機としても使いづらかったのだと思われます。
それでもデファイアントにはまだ任務が残っておりました。
訓練機や標的曳航機、さらにはECMを搭載した初期の電子戦機としても活用され、最終的には1000機を超える数が作られたのです。
デファイアントは戦闘機のくせに回転銃座を載せた奇妙な機体ではありましたが、英国の苦難の時期にそれなりの役割は果たしたといえるのでしょうね。
それではまた。
- 2009/07/22(水) 21:18:06|
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