芹沢軍鶏様よりの投稿作品、真祖リリスの二回目です。
いよいよ梓の行動の謎が明かされる?
お楽しみください。
【真祖リリス(中篇)】
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「──ぐぁはっ!?」
断末魔のように聞こえたのは、肺に溜まった空気が口から漏れ出ただけだろう。
私の剣は過(あやま)たず、五業の心臓を抉ったから。
彼は何が起きたか理解する暇もなく――「仲間」である筈の私に裏切られたこともわからずに死んだ。
私が殺した。
五業の腰を蹴りつけて剣を引き抜き、私は返す刀でマルコを仕留めにかかった。
「……五業っ!?」
「梓っ!? 何でっ……!?」
ジュリアと美奈子が叫ぶ。
何で、ですって?
美奈子……『あなたのため』よ。
マルコが唯一の武器である十字架を私に向かってかざした。
「父と子と精霊の御名において、千野梓の内に潜みし悪魔よ、去れ!」
「無駄よ」
ためらうことなくマルコの胸に剣を突き立てる。
「私は、まだ人間だもの」
「……ぐぶぉあっ……!?」
マルコが血を吐き、私のブラウスとスカートにそれが撥ねかかった。
心臓を外れて即死とはいかなかったようだ。私も詰めが甘い。
「……マルコ……、梓……、何で……?」
視界の端でジュリアが、がくがくと震えている。
美奈子へは視線を向ける気になれない──いまは、まだ。
いずれにせよ剣術家の私に抗える戦闘能力は彼らにはない。
マルコの身体から力が抜けるのを感じて、私は剣を引き抜いた。
彼の顔は蒼ざめ、その眼は、すでに焦点が定まっていなかった。
私が一歩、身を引くと、マルコは前のめりに倒れて、それきり動かなくなった。
「……梓……、いったい……どうして……?」
美奈子が呼びかけてきたが、私は答えず、リリスたち吸血鬼に向き直った。
リリスの配下の吸血鬼たちも何が起きたか理解できていないようだった。
薄笑いをこわばらせて、こちらを見ている。
だが、リリスだけは違った。
彼女は事の成り行きを楽しんでいるようで、私と眼が合うと、にっこりと微笑んでさえみせた。
私は抜き身の剣を手にしたまま吸血鬼たちに近づいた。
薄笑いの劣化コピー吸血鬼たちに動揺が走る。
吸血鬼ハンターの仲間割れという余興は彼らの主人を歓ばせたらしい。
だが、それを演じた私が彼らの味方であるかどうかは、わからないのだ。
私は人間で、彼ら吸血鬼の同類ではないから。
「道を開けてあげなさい」
リリスが呼びかけ、臣下の吸血鬼たちは素直にそれに従った。
私がリリスに仇なす可能性を危惧したとしても、主人の命令に抗うことは彼らの行動の選択肢にはない。
「真祖リリス――」
私はリリスの前まで進み出ると、その場に片膝をついて剣を置き、頭(こうべ)を垂れた。
「――我が剣と血を捧げます。願わくば臣下の末席にお加え下さい」
「梓さん! 何ていうことを……!」
「梓っ……!?」
ジュリアと美奈子が叫ぶが、私は振り返らない。
この手で五業とマルコを殺して、後戻りできるわけがない。
「吸血鬼になることを望んだ人間は、あなたが初めてではないけど、なかなか手際は見事だったわ」
リリスが、くすくすと笑いながら言った。
「愉しませてくれたご褒美よ。あなたが望むものを手に入れなさい。──顔を上げて」
「はい……」
間近で仰ぎ見るリリスは、背筋がざわつくほどの美貌だった。
幼げな裸身も、すらりと長い手足の均整がとれて妖精のように可憐であった。
数千年にわたって彼女が啜り、その体内で入り混じったあらゆる民族の血。
そこから優れた外見的要素ばかりが抽出されたのか。
リリスは「ふふっ……」と微笑んだ。
「望むものを手に入れなさいと言ったわ。ええ……それが何であれ赦すわよ」
「いえ……」
私は眼を伏せる。
リリスは美しい。だが、私が求めるのは彼女ではない。
「そうね……リリスの臣下になっても、あなたが忠誠を誓う対象はリリスではないのでしょうね」
くすくすと笑いながら、全てお見通しであるかのようにリリスは言った。
そして右手の人差し指を口に含むと、濡らした指で自身の未成熟な胸に――花の蕾のような乳首に触れた。
「……んっ……はあっ……」
心地よさげに吐息をつき、自らの乳首を指先で転がす。
眼を伏せたままの私の視界の端に、その様子が映っている。
それから、リリスはいったん指を離し――その指先、いや爪が鋭く尖ったかと思うと。
己の膨らみかけの――しかし永遠にそれより成長しない筈の――乳房に、爪を突き立てた。
「……んくぅっ……!」
リリスは呻く。人間を嬲り殺して愉しむ彼女も痛覚と無縁ではないらしい。
鮮やかなほど赤い血が傷口から溢れ、爪を濡らす。
「……んはぁっ!」
リリスは爪を引き抜いた。そして血にまみれたその指を、私に突き出した。
「リリスの血をあなたに与える。その前に、リリスがあなたの血を吸う」
「はい……」
私は再び眼を上げて、リリスの顔を見る。
リリスは、にっこりとして、
「吸い尽くされて干からびる前に、この指を吸いなさい」
「……はい」
私が頷くと、リリスはソファを降りて床に膝をつき、私の頬に左手で触れ、髪をかき上げた。
そして首筋に顔を近づけて来る。
吹きかかる吐息が、こそばゆい。幼い裸身が放つ、甘い体臭が鼻をくすぐる。
「やっ……やめてっ、梓っ!」
美奈子が叫び、びくりと私は身を固くした。
リリスが「ふふっ……」と笑い、私に囁きかける。
「どうする? やめる?」
「いえ……」
私は首を振る。
「させないっ!」
叫んだ美奈子を、しかしリリス配下の吸血鬼たちが阻んだようだ。
「フフフ……儀式ノ邪魔ハサセナイワ……」
「オマエタチモ全能ナル真祖りりす様ニ従ウノヨ……ウフフフフ……」
「どきなさいっ! どいてっ!」
「美奈子さん待って! わたしも戦います!」
ジュリアも叫び、ともに戦うようだが、多勢に無勢。
出来損ないの劣化吸血鬼でも八匹いれば、美奈子とジュリアの二人きりでは手に余るだろう。
私は彼らに背を向けたまま、リリスの接吻を待った。
そして――
――――――――!
リリスの牙が、私の首に突き立った。
鋭い痛みと、深い谷底へ一気に落ちていくように全身が粟立つ感覚。
眼の前が真っ暗になり、何も見えない。
だが、リリスの指が唇に触れるのを感じ、私は無我夢中でそれを口に含んだ。
――――――――!!
痺れが走った。
いや、生半可な形容では効かない感覚だった。
これが性的な絶頂であるとしたら、私はいままで本当の絶頂を味わっていなかったことになる。
(自慰行為でしか経験していないことではあるが。)
しかし、そんな生易しいものでないことを消し飛びかけた私の理性が訴えていた。
「……あはははは、あははは、あはっ……!」
笑いがこみ上げて、私はリリスのいや御主人様の指を口から離してのけぞった。
御主人様の牙は、すでに私の首筋から離れている。
「あははははっ、あはははっ、あはははははっ……!!」
素晴らしい!
素晴らしいわ!
これが吸血鬼! これが全能なる真祖リリス様の血!
身体中に吸血鬼の力が漲(みなぎ)るわ!
何もかもを可能にする真祖の力が!
なぜ私は人間であることに囚われていたのかしら!
真祖の全能を知りながらリリス様の元に馳せ参じなかったのかしら!
浅ましくも退魔剣士を気取ってリリス様に弓を引いたのかしら!
「あはははははは……! あはは……! あははははは……!!」
素晴らしいわ! これが!
吸血鬼! これが!
これが…………!
「…………ぐっ、ぐぅぅぅぅぅっ…………!」
私は溢れる感情を必死で抑え込んだ。
両手で頭を抱え、背を丸め、歯を食いしばって激情に打ち克とうとした。
何のために五業とマルコをこの手で殺したのだ。
何のために美奈子の眼の前で、彼女が赦すはずもない裏切りを演じたのだ。
全ては、私が。
ほかの誰でもない、リリスの劣化コピーなどではない、この私が。
私の欲するものを手に入れるためではないか!
「……くぅっ、くぅぅぅぅ……!!」
ぶるぶると身体が震える。抑え込まれて行き場を失った力が、そうさせる。
指が頭に食い込みそうだ。胸に引きつけた膝で肋骨が砕けそうだ。
――だが。
「……ははっ、ははは、はは……!」
不意に、頭が冴え渡るように感じだ。
激情も葛藤も苦痛も消えた。
私は私だった。
母を知らず、父を父と呼べず師としてのみ仰ぎ、幼い日から剣と神事の修行に明け暮れた私ではなく。
自分を律するといえば聞こえはいいが、人並みの情緒を歪め、撓(たわ)め続けた偽りの私ではなく。
欲しいものを手に入れる。
当たり前のことを当たり前のようにできる、本当の私だ。
私は顔を上げ、リリスを見た。
リリスは紅のように唇を染めた血を――私の血を――手の甲で拭いながら、微笑んだ。
「リリスの血は強すぎて、みんなを狂わせてしまうのよ。さて、あなたはどうかしら?」
「私は、私です。狂っているとすれば初めからです」
答えて言った私は、微笑みを返す。
本当の私は当たり前のように笑えるのだ。リリスのように。
美奈子のように。
リリスは、にっこりとした。
「あなた、笑うと綺麗ね」
「……ありがとうございます」
私は、くすくすと笑ってしまう。
笑うことは本当に気持ちがいい。それができなかった私は――人間だったときの私は、本当の私ではない。
「さあ、欲しいものを手に入れてらっしゃい」
「……はい」
ソファに戻ったリリスに促され、にっこりと笑った私は再び剣をとって立ち上がった――
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【続く】
- 2009/06/11(木) 21:18:32|
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