いつも私がお世話になっております、当ブログのリンク先であります、「
芹沢軍鶏もしくは【】の人の敗北宣言」の芹沢軍鶏様より、投稿作品をいただきました。
ちょっと長めの作品でしたので、今日、明日、明後日の三日間に分けて掲載させていただきます。
芹沢軍鶏様の妖しい世界をどうぞお楽しみくださいませ。
【真祖リリス(前篇)】
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夢スタジアムTOKYO2016──
東京都の財政破綻による五輪開催返上に伴い、完成目前で放棄されたメインスタジアム予定施設。
真祖たる吸血鬼リリスの「王宮」が、そこにあった。
ついに、ここまで来た……
地下四階、非常用自家発電機室。
その入口の扉を前にして、私の胸に熱いものがこみ上げた。
灰色に塗られた金属製の扉の奥に、真祖リリスの玉座があるのだ。
ここまで一緒に闘ってきた吸血鬼ハンターの「仲間」たちを見やる。
寡黙な密教僧でリーダー格の五業(ごぎよう)。
(巡礼装束に仕込杖を携え、ヘッドライト付きのヘルメットをかぶった姿はシュールだけど。)
カトリックに属する皮肉屋の青年司祭、マルコ(洗礼名で、生粋の日本人だ)。
同じくカトリックの生真面目なシスター、ジュリア(年齢は二十歳、彼女も日本人)。
在日英国教会主教の娘で天性の悪魔祓い(エクソシスト)、美奈子・ホルムウッド。
名前から察せられる通り日英ハーフの彼女は、私と同じ高校に通う大切な「友人」でもある。
そして私――、千野(ちの)流剣術宗家二十一代にして式内小社千野神社宮司家継承者、千野梓(あずさ)。
神職の位階の取得前なので立場は巫女だが、剣術家としての技量を認められてこの場にいる。
着ているものは美奈子と一緒で高校の制服だけど。
この格好で日本刀を携えているのは漫画みたいだ(かといって巫女装束は余計に似合わない)。
ちなみに、五業以外はキャンプ用のLEDランタンを手にしている。
戦闘中は足元に置けば周囲を照らしてくれるので、ありがたい。
「──いよいよ、だな」
五業が口を開いた。
「これで、最後だ」
「そうですね、どちらに転んでも」
マルコが眼鏡をかけた端正な顔に、いつもながらの皮肉めいた微苦笑を浮かべる。
「向こうに逃げ道はない、こちらも逃げるつもりはない。これが最終決戦です」
「わたしたちがリリスを退けなければ、吸血鬼の犠牲者が出続けることになります」
ジュリアが力を込めて言った。
「必ず……勝ちます!」
吸血鬼リリス。
神話の時代から存在し続けるといわれる彼女は気まぐれな暴君だ。
その毒牙にかかった人間は吸血鬼に変じ、妻は夫の、娘は父の、母は我が息子の血と生命を吸い尽くす。
哀れな犠牲者にリリスが慈悲深くも赦しを与えるまで、たっぷりと時間をかけて。
愛する者に裏切られ、絶望と苦痛のうちに死んでいく犠牲者たちをリリスは眺め、愉しむのである。
「さあっ、気合の入ったところで行きましょうかっ♪」
軽いノリの口調で皆に呼びかけたのは美奈子だった。
くりくりとした眼に悪戯っぽい光をたたえた彼女は、ハンター仲間のムードメーカーだ。
ところどころに金色が筋のように混じった栗色のショートの髪。
身長一五五センチとやや小柄だが均整のとれた身体つきで、制服のブラウスの胸は誇らしげに膨らむ。
ぎりぎりまで丈を詰めたスカートからは形のいい素脚がチアリーダーのように伸びている。
実際のところ学校ではチアリーダー部に所属しているが、いつも笑顔を絶やさない彼女にはぴったりだろう。
「……ええ」
我ながら、もう少し気の利いたリアクションができないのかと思うが、私はそう頷いただけだった。
私は女としては美奈子と対照的だ。
一七九センチと高すぎる背丈。子供の頃から巫女を務めるために伸ばし続けた髪は腰に届く長さ。
顔立ちは私を生んですぐ亡くなった母に似ているといわれる。
けれどもアルバムに残された写真で見る限り、母は私などが及びもつかない美人だ。
どの写真を見ても笑顔の母は、むしろ美奈子に似ている。
剣術家として、宮司家継承者として自分を律することを求められて育った私は、母のようには笑えない。
五業が扉の把手に手をかけた。
「……行くぞ」
その言葉に皆は頷き返し、マルコとジュリア、美奈子と私がそれぞれ戸口の左右に分かれて身を隠す。
不意打ちはリリスの趣味ではないというが、臣下の吸血鬼がそれをするのを止めることもしないだろう。
五業自身は扉を盾にできる。
吸血鬼は人間を凌駕する身体能力を備えた化け物だが、金属の扉を突き破れるほど非常識な怪力ではない。
――がちゃり。
五業が把手を回し、扉を少し引き開けたが――室内から光が漏れてきて、怪訝に眉をしかめて手を止めた。
明かりがあるのだ。
暗闇の中でも自在に活動できる吸血鬼には必要ない筈だが。
罠だろうか。せっかくランタンの僅かな光の中での戦いに慣れたところなのに。
私たちの眼が室内の明るさに馴染んだところで、不意に周囲を暗闇に戻す目論見か。
リリスは不意打ちを好まないとはいうが、それは「より長く狩りを愉しみたい」という悪趣味な理由からだ。
人間を動揺させて精神的に追い詰めることは、むしろリリスは大の得意である。
ここに来る途中で私たちは、「なり立て」の吸血鬼を何匹も始末するはめになった。
人間としての自我を失いきっていない彼らは、リリスに襲われた恐怖さえ拭いきれていなかった。
涙を流し、怯えて震えながら、しかし血への渇望を抑えきれず、私たちに襲いかかってきた。
私たちにできたのは、すみやかに彼らをリリスの軛(くびき)から解放すること――
すなわち「真の死」を与えることだけだった。
「……どうぞ、入っていらして。いまさら遠慮なさることないでしょう?」
室内から少女の声が呼びかけてきた――リリスだろうか?
扉の外で、私たちは頷き合った。
五業が大きく扉を開き、彼を先頭に私たちは自家発電機室に入った。
そこは床も壁もコンクリートの打ち放しの無機質な空間だった。
広さと天井の高さは学校の体育館ほど。もちろん地下深くであるから窓はない。
室内の中央にはマイクロバスほどの大きさの機械が二台、据え置いてある。
ガスタービン発電機だろう。ここに来る前のブリーフィングで説明を受けた。
燃料は軽油を使用するそうだが、それが運び込まれる前に、この施設は放棄された。
だが驚くべきことに、発電機は「生きて」いた。
ガスタービン特有の――ジェット旅客機のエンジンを想像すればいいらしい――甲高い駆動音は、ない。
しかし確実に、発電機は「脈動」していた。
ぶるるん、ぶるるんと、かすかな音を立てて震えながら。
リリスの魔力によるのだろう。
その源泉は、何千年もの間、彼女が奪い取ってきた人間たちの生命――
「あなたがたのために明かりを用意しておいたのよ。せっかく、ここに発電機があるのですもの」
疑問に答えるように言ったリリスは、発電機の前にいた。
そこに置かれた真紅の革張りのソファの上に、しどけなく横座りして。
見た目には十二、三歳の少女のようだ。
おかっぱにした黒い髪とのコントラストが眩しい、色白の幼い裸身を晒している。
ソファの周りの床の上には七、八人の女が、やはり全裸で侍っていた。年齢は十代から三十代。
こちらを気にせず抱き合っていたり口づけを交わしているのは、ソドムさながらの肉欲の宴の最中か。
ジュリアが素早く十字を切るのを見て、リリスは、くすくすと笑った。
「罪深いリリスたちのために祈ってくださるなんて、優しいシスター様」
「己(おのれ)の罪を理解しているのなら、なぜ悔い改めないのです!」
ぴしゃりとジュリアが言い返すと、リリスはおどけるように肩をすくめて、
「皮肉で言ってあげたのに。カナンの最古の支配者であるリリスが、ヘブライ人の律法に従う謂れはないのよ」
「無駄とわかっていても、ついお説教したくなるんですよ」
いつもの皮肉めかした調子でマルコが言った。
「彼女も僕も、職業柄……ね」
「こういうのはどうかしら」
リリスは私たちを見渡すように視線を動かしながら言った。
マルコや五業より、ジュリアと美奈子に眼を向けている時間が長く感じられたのは気のせいではないだろう。
リリスは人間の男を食欲を満たすためのエサ、あるいは嗜虐欲を満たすための玩具としか見なさない。
だが、眼鏡にかなった女は吸血鬼に変え、臣下として側近くに侍らせる。
ジュリアと美奈子は美貌の主だ。
いまソファの周りにいる女たちを見ても、リリスの審美眼の確かさはわかる。
「この国を出て行くから、追いかけては来ないで。お互い、これ以上は傷つかずに済むわ」
最後に私を見たとき、リリスは、くすっ……と、笑いかけてきた。
背筋に冷たいものが走り、私は剣をつかむ手に、ぐっと力を込めた。自分を奮い立たせるように。
ここまで来て後戻りなどできはしない。
「話にならんな」
五業が、きっぱりと撥ねつけるように言った。
「その髪の色、顔かたち……この国の人間と似た姿になるまで、いったいどれだけ血を吸った?」
リリスは日本に現れる以前はロシアにいたことが知られているが、当時の彼女は金髪碧眼であったという。
行く先々の土地で地元民の血を吸い続けることで、彼らと似た身体的特徴にリリスは変化するという。
「戯れに嬲り殺した人間の数はそれ以上だろう。ここで、その報いを受けてもらう」
「交渉決裂ね」
リリスは、くすくすとおかしそうに笑った。
「でも、機会は与えてあげたのよ。そのことは覚えておいてね……自分たちの愚かさを呪うために」
すっ――と、リリスの周りに侍る女たちが立ち上がり、主人を守るように横一列に並んだ。
皆、同じように薄笑いを浮かべながら。
リリスによって吸血鬼に変えられた者は、主人の残忍な性格をコピーされるという。
それにしてはリリスと比べて薄っぺらな笑いに見えるのは、劣化コピーというところか。
「リリスの忠実な臣下たち――でも、元はあなたがたと同じ人間よ。まずは彼女たちを滅ぼして御覧なさい」
リリスは言って、にっこりとした。
「ここに来るまで何匹も始末したでしょうから、いまさら、ためらうこともないでしょう?」
「卑怯者! あなたは、どこまで卑怯なのです! ヒトを盾にしないで自分で戦いなさい!」
ジュリアがそう叫んだのは、しかしリリスを面白がらせただけだった。
「リリスは卑怯よ。だから何千年も存在し続けて来られたの。多くの人間や仲間の吸血鬼を犠牲にして、ね」
「……ねえ、リリス」
美奈子が口を開き、私は少しばかり驚いた。
彼女の口調がリリスへの怒りや憎悪が籠もるものではなかったからだ。
だが、それが感情を抑えたものだということは、美奈子の顔を見て理解できた。
いつもの笑顔が消えていた。
「あなたは嘘はつかないと聞いたわ」
そう言った美奈子に、リリスは微笑みながら小首をかしげた。
「……ええ、嘘で人間を騙すのは簡単すぎてつまらないもの。それがどうかして?」
「だったら訊くけど、吸血鬼になったヒトを元の人間に戻す方法はあるの?」
「その質問をしたのは、あなたが初めてではないわ。リリスの答えは、いつも同じだけど」
リリスは言って、にっこりとした。
「死んだ人間は生き返らない。吸血鬼になるということは、人間としては死んだのと同じことよ」
「あっさり答えてもらえると思わなかった」
美奈子は眼を丸くして、肩をすくめた。
それから、自分を鼓舞するためだろう、あえて笑顔を見せて言う。
「でも……だったら、そのヒトたちを解放するのに何もためらう必要ないよねっ♪」
その言葉が合図になった。
五業が仕込杖を抜き放ち、私も剣を抜いた。
マルコとジュリア、そして美奈子は十字架を構える。
吸血鬼との戦いでは五業と私が前衛を務めるのが常だ。
そこで五業はいつも通り、前へ進み出たのだが──
私は一歩、踏み出しを遅らせると。
五業の、無防備な背中へ。
剣を……突き立てた!
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【続く】
- 2009/06/10(水) 21:01:38|
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