「ローカストの最期」の三回目です。
それではどうぞ。
(3)
私たちが矢木沢医院に着いたのは、夜8時近かった。
住宅街にある矢木沢医院はなんとなくひっそりとした感じがする。
私たちは裏口から中に入り、愛子先生に会いに行った。
「愛子ー。来たわよー」
待合室に入る私と志織さん。
すでに診察時間も終わっているため誰もいない。
看護婦の渡代(わたしろ)さんたちももう帰っちゃったみたい。
『診察室にいるから来てくれるかしら』
奥の診察室から声がする。
私たちは診察室のドアを開け、中に入った。
「来たわよ、愛子。それで話って何なの? 雪美ちゃんは明日学校だから早く帰してあげないと」
「すぐに終わるわ。適当に座りなさい」
なんだかいつもと雰囲気が違う愛子先生。
椅子を回転させて私たちに向き直り、脚を組んで座っている。
ふと気がつくと、いつもはしていないマニキュアをして、口紅やアイシャドウをしているみたいだった。
いつもと違う雰囲気の愛子先生に戸惑いながら、私たちは適当に腰を下ろす。
「あの娘は来ていないわね?」
「ええ、今日は西区を回るって言ってたから、まっすぐ帰ると思うわ」
「そう。それでいいわ」
薄く微笑む愛子先生。
「話というのは、お前たちがあの娘にだまされているということよ」
「えっ? だまされている?」
「えっ?」
私は驚いた。
愛子先生は、私たちが聡里ちゃんにだまされていると言うの?
「そうよ。お前たちはザームが悪魔のような邪悪な組織と思っているのでしょう? 違うわ。ザームはそう、神の組織なのよ」
「どういうこと? ザームが神の組織ですって?」
志織さんが信じられないという顔をしている。
もちろん私だって信じられない。
「ザームはこの世界を救うことができるのよ。人間にこの世界を任せていたのでは世界は滅びるだけだわ。人間はザームに支配され、女王様に従うことによってのみ生き延びることができるのよ」
「何を言っているの、愛子? ザームが何をしようとしているかわかっているでしょ? 奴らは人間を改造して改造人間にしてしまうのよ」
「ええ、そうよ。女王様に選ばれた人間のみが改造を受けて、人間という下等な存在でなくなることができるのよ。改造人間こそ至高の存在であり、人間を支配するものなのよ」
クスッと笑う愛子先生。
どうしちゃったんだろう。
こんな愛子先生は見たことない。
「信じられない。いったいどうしちゃったの愛子? あなたは人間を異質な存在にしてしまうザームをあれほど憎んでいたじゃない! 医者として絶対に赦せないって」
志織さんが首を振る。
先ほどからの愛子先生の言葉が信じられないのだ。
「うふふ・・・それは下等な人間の考えよ。改造人間のすばらしさがわからないんだわ」
「愛子・・・」
「愛子先生・・・」
「うふふ・・・やはりお前たちのような下等な人間には、ザームのすばらしさがわからないようね」
冷たい目で私たちを見つめてくる愛子先生。
違う・・・
いつもの愛子先生じゃない。
いったい愛子先生はどうしちゃったの・・・
「愛子! あなたふざけているんでしょ? いい加減にして!」
「さっきから愛子愛子とうるさいわね。もう私をそんな名前で呼ばないで欲しいわ」
スッと立ち上がる愛子先生。
そしてゆっくりとメガネをはずし、白衣を脱ぎ捨てる。
「な、何を?」
私も志織さんも思わず目をそらす。
愛子先生は驚いたことに白衣の下は裸だったのだ。
「うふふふ・・・私はもう矢木沢愛子などという人間では無いわ。私はザームによって改造を受けたの。今の私はザームの改造人間サソリ女!」
「ええっ?」
私と志織さんの目の前で、愛子先生の姿がみるみるうちに変わっていく。
つややかな髪の毛が赤茶けた外骨格に変わり、ヘルメットのように頭部を覆う。
躰にも赤茶色の外骨格が鎧のように覆っていき、スタイルのよい愛子先生そのままの柔らかいラインで包み込んでいく。
背中からはお尻を伝ってするすると長い尻尾が伸びていき、その先には毒針を持つサソリの尾が形成される。
両手は鋭い爪を持つ硬い外皮に覆われ、脚にはハイヒールのブーツ状に外皮が覆っていく。
数秒も経たないうちに、愛子先生の姿は人間とサソリが融合したような異形の姿に変わっていた。
「あ・・・ああ・・・愛子・・・」
「愛子・・・先生・・・」
私も志織さんも言葉が出ない。
あの優しく素敵な愛子先生が、こんな化け物になってしまうなんて・・・
「おほほほほ・・・どうかしらこの姿。素敵でしょ? 最高だわ。あはははは・・・」
口元に手を当てて高笑いする愛子先生。
その口元だけは人間のままで変わらない。
「ゆ、雪美ちゃん、逃げるのよ。愛子は・・・愛子はもう・・・」
志織さんが唇を噛み締めている。
親友といっていい愛子先生のあまりの変貌に悔しくて仕方ないのだろう。
「は、はい」
私はすぐにきびすを返す。
聡里ちゃんに連絡を取るのだ。
愛子先生のことを聡里ちゃんに知らせなければ・・・
でも、診察室のドアを開けたとたん、私たちの足は止まってしまう。
入り口にはあの黒い女戦闘員が二人立っていたのだ。
そして私たちを部屋の中に押し戻すように入ってくる。
「あ・・・ああ・・・」
私も志織さんも思わず言葉を失った。
「おほほほほ・・・逃げられるとでも思っていたのかしら? おろかな人間どもね」
サソリ女と化した愛子先生が笑っている。
あの愛子先生がこんな姿になってしまうなんて・・・
私と志織さんは逃げ場を失い、立ち尽くしたところを女戦闘員に取り押さえられてしまった。
「うふふ・・・こいつらはここで看護師をやっていた連中なの。いやだいやだって泣き叫んでいたけれど、今ではこうしてザームの忠実なしもべへと生まれ変わったわ」
「そ、そんな・・・渡代さんと高仲さんなの?」
志織さんが私たちを捕らえている二人の黒い女たちを驚きの目で見た。
「そんな名前だったかしらね。でも、そのような名前などもう意味は無いわ。こいつらはもうザームの女戦闘員。人間なんかじゃないのよ」
「ああ・・・ひどい・・・」
私は腕を後ろ手にねじられて身動きができないまま、目を伏せてしまった。
「愛子、お願い、目を覚まして! あなたはザームに操られているのよ!」
「お黙りなさい。私は自らの意思でザームに仕えているわ。身も心も女王様に捧げているのよ」
誇らしげに胸を張る愛子先生。
外骨格に覆われた形のよい胸がつんと上を向いていた。
「わ、私たちをどうするつもりなんですか?」
私はようやくそれだけを言う。
何とか逃げ出したかったけど、両手をねじられてそれもできない。
「殺すつもり・・・なんですか?」
「うふふ・・・心配はいらないわ。殺すつもりならとっくに殺しているわ。あんな会話などしないでね」
「えっ?」
「喜びなさい。女王様はお前たちを生かして連れてくるようにご命じになられたわ。女王様にお会いできるのよ。さあ、二人を連れて行きなさい」
「「キキーッ」」
女戦闘員が私の腕を引っ張り始める。
「あっ、いやあっ!」
私と志織さんは無理やり引きずられるようにして矢木沢医院を後にした。
******
「雪美ちゃん・・・雪美ちゃん・・・」
どこかで私を呼ぶ声がする。
「雪美ちゃん・・・雪美ちゃん・・・」
「ん・・・」
意識がじょじょにはっきりしてきて、私はゆっくりと目を開けた。
「雪美ちゃん? よかった。目が覚めたのね」
私の顔を覗き込んでいる志織さん。
「あ・・・志織さん」
優しそうな志織さんの顔。
私はホッとした。
ん・・・あれ?
志織さんの豊満な胸が揺れている。
「えっ? ええっ?」
私は飛び起きた。
「し、志織さん?」
見ると、志織さんは上から下まで何も着ておらず、裸で私のとなりに座っていたのだった。
「あ・・・あんまり見ないで。恥ずかしくなっちゃうわ・・・」
思い出したように胸を抱きしめて隠す志織さん。
でも私はそれどころじゃない。
私自身も何も着ていなかったのだ。
「え、えええっ?」
私は急いで志織さんに背を向ける。
うう・・・恥ずかしいよぉ・・・
「どうやら意識を失わされているうちに衣服を脱がされてしまったみたいね」
背中から志織さんの声がする。
「そ、そうみたいですね・・・」
私はそれだけいうのが精いっぱい。
ただ、周りだけは確認してみる。
どうやら三方を壁に囲まれた部屋で、残り一面に鉄格子が嵌まっていた。
「典型的な牢屋ですね」
「そのようね。おそらくザームのアジトなんだわ」
私の言葉を志織さんも肯定する。
鉄格子の向こうは薄暗く、何があるのかよくわからない。
私は心細さに躰が震えるのを感じていた。
「私たち、これからどうなるのでしょうか・・・まさか、私たちも・・・」
私はその先の言葉がいえなかった。
愛子先生や矢木沢医院の看護師さんたちのように、私たちも改造されてしまうのかとは、とても言えなかったのだ。
「それは・・・わからないわ・・・考えたくもない。せめて聡里ちゃんに連絡ができれば・・・」
志織さんも苦悩の表情を浮かべる。
そう、聡里ちゃんが助けに来てくれれば・・・
「うふふふふ・・・」
薄暗がりの中から笑い声が響く。
「だ、誰?」
「キャッ」
誰何する志織さんとは裏腹に、私は思わず身を硬くしてしまう。
「目が覚めたようね。二人とも」
ゆっくりと牢に近づいてくるサソリ女と化した愛子先生。
黒く丸い単眼が輝き、人間のままの口元には冷酷そうな冷たい笑みを浮かべていた。
「愛・・・子・・・」
志織さんが辛そうにつぶやく。
「女王様が先ほどからお待ちかねよ。お言葉を聞けることを光栄に思うことね」
愛子先生がそう言うと、奥の暗がりがぼうっと赤く光り始める。
そして、奇妙なうずまきのような形のレリーフが浮かび上がった。
『サソリ女よ』
レリーフから重々しい女性の声が響く。
「ハハッ」
すぐに私たちに背を向けて、サソリ女と呼ばれた愛子先生がひざまずいた。
『ご苦労でした。上手く捕らえてきたようですね』
「お褒めのお言葉ありがとうございます女王様。下等な人間どもなので簡単に捕らえることができました」
悔しい・・・
こんなふうに言われちゃうほど簡単につかまってしまうなんて・・・
私は唇を噛み締める。
『早速その者たちの改造を始めなさい。我がしもべへと生まれ変わらせるのです』
「かしこまりました女王様。すぐに改造を始めます」
愛子先生が女王の言葉にうなずく。
「そ、そんな・・・」
私は恐怖に身震いし、言葉を失った。
ザームは私たちを改造してしまうつもりなんだ。
ああ・・・そんなのはいやだよぅ・・・
聡里ちゃん・・・
早く助けに来て・・・
私は聡里ちゃんが来てくれることを天に祈った。
「うふふふ・・・まずはお前からよ」
私たちに向き直った愛子先生が志織さんを指差す。
「い、いやぁっ!! 改造なんていやぁっ!!」
真っ青な顔で悲鳴を上げる志織さん。
両手で自らを抱きしめるようにして床に座り込んでしまう。
「黙りなさい! 改造を受ければすぐにいやではなくなるわ。さあ、連れ出すのよ」
愛子先生の指示で牢の入り口が開けられ、あの黒い女戦闘員たちが入ってくる。
「いやぁっ! 助けてぇ! お願い助けてぇ!」
「し、志織さん! きゃぁっ!」
私は志織さんを助けようと女戦闘員にしがみついたけど、すぐにサソリ女となった愛子先生に強い力で引き剥がされてしまう。
「おとなしくあの女が改造されるところを見ていなさい。次はお前なのだから」
私を押さえつけて耳元でささやくサソリ女の愛子先生。
その声はあの優しかったかつての愛子先生そのままだった。
「お願いです。私たちを助けて。も、もうザームには逆らいません。聡里ちゃんとも付き合いませんから・・・」
聡里ちゃん、ごめんなさい・・・私、改造なんてされたくないよ・・・
「うふふ・・・そんなに嫌がるものではないわ。改造人間はすばらしいものよ。下等な人間だったことが思い出したくもなくなるわ」
「いや・・・いやぁ・・・」
私の目から涙がこぼれる。
身動きできない私の前で、志織さんは牢から引きずり出されていった。
「いやぁ・・・お願いよぉ・・・赦してぇ・・・もうあの娘には関わらないわ・・・だから赦してぇ・・・」
せり上がってきた台座に寝かされる志織さん。
両手と両足に枷を嵌められ、身動きができなくされる。
私にはどうすることもできない。
ただ、志織さんが改造されるのを見ているだけ・・・
聡里ちゃん・・・
どうして助けに来てくれないの?
聡里ちゃん・・・
「ひやぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
志織さんが悲鳴を上げる。
いくつものチューブがのびて、志織さんの躰に突き立てられたのだ。
黒や緑の液体がどくどくと流れ込み、赤い血が抜き取られていく。
「ああ・・・あああ・・・」
躰をがくがくと震わせ、苦悶の表情を浮かべる志織さん。
私は思わず目をそらす。
「うふふふ・・・これで彼女は生まれ変わるわ。お前も楽しみにしてなさい」
私を放り出すように解放するサソリ女の愛子先生。
私は床に倒れこむと、そのままそこでただ涙を流すだけだった。
「あ・・・あああ・・・」
志織さんの躰に変化が生じ始める。
白くて綺麗だった肌が、ぼこぼこと波打ち始め、どす黒く変色し始めたのだ。
やがて、志織さんの肌には剛毛が生え始め、見る間に全身に広がっていく。
剛毛は黒と黄色のまだらとなり、志織さんの両腕と両脚に縞模様を描いていく。
腰が浮いてお尻が大きく膨らんでいき、そこにも黒と黄色の剛毛が生えていく。
両手の爪は鋭く伸び、両脚のかかとが尖って、まるでハイヒールのようへと変化する。
両目は黒い単眼となり、額にも三つの単眼が作られる。
最後に両脇から二本ずつの蜘蛛脚が伸びてきて、志織さんに突き立てられていたチューブがはずされた。
「志織さん・・・」
私は変わってしまった志織さんに、思わず呼びかける。
「う・・・うう・・・」
ゆっくりと身じろぎをする志織さん。
やがてその首が少し持ち上がり、自分の姿を見下ろした。
「あ・・・あああ・・・い、いやぁっ!!」
固定された両手両脚をばたばたさせ、狂ったように悲鳴を上げる志織さん。
「いやぁっ!! こんな躰はいやよぉっ!! 戻してぇっ!! 元に戻してぇっ!!」
「志織さん・・・」
「ああ・・・見ないでぇっ!! お願いだから見ないでぇっ!! こんな躰はいやぁっ!!」
一瞬私を見て、すぐに顔をそらす志織さん。
すっかり変わってしまった自分の姿を見られたくないのだ。
私は唇を噛んでうつむいた。
「おほほほほ・・・何を嘆いているの? そんなすばらしい躰になれたんじゃない。安心しなさい。すぐに精神改造が始まるわ。それがすめばすぐにその躰が誇らしく思うようになるわ」
いつの間にか志織さんのそばにサソリ女と化した愛子先生が立ち、口元に手を当てて笑っている。
「いやぁ・・・いやよぉ・・・ひどい・・・泣くこともできないなんて・・・お願い・・・お願いだから元に戻してぇ」
「お黙りなさい。さあ、精神改造の始まりよ」
「いやぁっ!!」
首筋から上も黒い剛毛に覆われた志織さんの頭部に、リング状の物体が嵌められる。
そして、そのリング状の物体からの光が志織さんに浴びせられていく。
「ああ・・・あああ・・・」
苦しそうに口元をゆがめる志織さん。
でも、やがて緊張がほぐれていくかのように硬くなっていた躰が弛緩し、口元に浮かんでいた苦悶は薄い笑みへと変わっていく。
「志織さん・・・」
しばらくして志織さんに浴びせられていた光が止まる。
頭に嵌められていたリング状の物体がはずされ、両手両脚の枷がはずされる。
やがて、ゆっくりと躰を起こす志織さん。
その姿はまさに蜘蛛と志織さんが融合したかのような姿だ。
「うふ・・・うふふふ・・・」
「志織さん?」
異形となった志織さんの口から笑みが漏れる。
「うふふふふ・・・なんてすばらしいのかしら。これが私の躰。なんて美しくて素敵なのかしら。最高だわ」
異形となった自分の手や姿を見下ろして笑う志織さん。
私は目を閉じた。
志織さんは変わってしまったんだ。
あの優しかった志織さんは・・・もういない・・・
『改造が終了したようね。気分はどうかしら、クモ女?』
レリーフから声がする。
「はい。最高の気分です女王様。私はザームの改造人間クモ女。このようなすばらしい躰に改造していただき、とても感謝しております」
レリーフに向かって一礼するクモ女と化した志織さん。
『ほほほほほ・・・それでいい。これからは我がザームのために尽くすのです。いいですね?』
「もちろんでございます。私は身も心もザームと女王様のものでございます。どうぞ何なりとご命令くださいませ」
『いいでしょう。それでは早速そなたに命じます。残ったあの少女も我がしもべに改造してしまいなさい』
「かしこまりました。女王様」
クモ女と化した志織さんの口元には邪悪な笑みが浮かんでいた。
- 2009/05/06(水) 21:17:21|
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