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舞方雅人の趣味の世界

あるSS書きの日々

クリミア戦争(17)

1855年6月。
セバストポリの戦場にサルディニア・ピエモンテ軍が到着します。
これにより連合軍は再び十七万の兵力を取り戻すことができ、第三回目の総攻撃を行なうことになりました。

しかし、セバストポリに対する包囲が不完全だったこともあり、ちまちまちまちまとロシア軍は兵力をセバストポリに送り続けておりました。
そのためこの時点でのセバストポリのロシア軍はなんと九万にも達しており、充分すぎるほどの防御兵力を持っていたのです。

6月6日。
連合軍の五百を超える大砲がいっせいに火を吹き、第三回総攻撃が始まります。
連合軍の狙いは外郭防御陣のマムロン堡塁とマラホフの塔と呼ばれる砲を備えた塔でした。
主力となったのはフランス軍で、彼らは砲撃によるショックで一時的な戦闘不能になる瞬間を突いてロシア軍に迫ります。

マムロン堡塁はフランス軍の急襲を受け、抵抗もむなしく奪取されます。
ロシア兵たちは算を乱して後方へと退避して行きました。
仏軍総司令官ペリシエ将軍にとって、まさに自分の作戦がうまくいった喜びの瞬間だったことでしょう。

ですが、ことはそれだけでは終わりませんでした。
マムロン堡塁を奪取したのちは、いったんそこで停止せよとの命令が出ていたにもかかわらず、マムロン堡塁を落とした喜びと興奮からか、フランス軍はそのままマラホフの塔へ向かってしまったのです。

その行動はすぐにロシア軍からの猛烈な射撃という結果に跳ね返りました。
マラホフの塔へ向かったフランス軍は、次々と撃ち倒され、死屍累々と言うありさまと化してしまいます。
生き残った兵士は恐怖に駆られ、無秩序な潰走となりました。
そして、せっかく奪ったマムロン堡塁に逃げ込み、そこにいた兵たちをも恐慌に巻き込んでしまいます。

ロシア軍はこの機を逃しませんでした。
反撃に出ると混乱したフランス軍を蹴散らして、マムロン堡塁を取り返します。
ところが今度はフランスのボスケ将軍率いる部隊がマムロン堡塁を攻撃。
一進一退となりました。

結局損害の多さに耐えられなくなったロシア軍が兵を引き、マムロン堡塁はフランス軍の手に落ちます。
ですが、フランス軍もこれ以上の攻撃はできませんでした。

6月17日。
英仏両軍は、協議の末に再度総攻撃をかけることにいたしました。
前回のマムロン堡塁への攻撃により、ロシア軍もかなりの痛手を受けたはずであり、ここは一気に攻めかかるべきであるというペリシエ将軍の意見が通ったのです。
おそらくこの時点では英軍の総司令官ラグラン卿は、会議にも出席できていなかったかも知れません。
ラグラン卿は連合軍を悩ませ続けたコレラに罹り、かなりの重態となっていたのでした。

早朝、手違いから一部のフランス軍の突出が始まり、ペリシエ将軍はやむを得ず全軍に総攻撃を命じます。
今度の目標はマラホフの塔と、大凸角堡の二ヶ所であり、英仏両軍の兵士は塹壕から飛び出しました。
しかし、ペリシエ将軍が期待したロシア軍の痛手はさほどのものではなく、ロシア軍は万全の準備でこの攻撃を待ち構えておりました。
偵察などの報告で、この攻撃自体を察知していたともいわれます。

この日の戦いは戦闘と呼べるものではなく、ただ殺戮であったとされています。
早朝から始まった総攻撃は、朝の8時には失敗に終わっておりました。
英軍も仏軍も目標を奪取することなどできず、ただ死傷者だけが横たわっておりました。
フランス軍はマイラン将軍、ブリュネ将軍と二人の将軍を戦死させてしまい、ペリシエ将軍はただ唖然と結果を受け入れるのみでした。

6月6日と17日の総攻撃で、連合軍とロシア軍は双方約一万ほどの損害だったといわれます。
ロシア側もマムロン堡塁とティモチェフ将軍を失いましたが、セバストポリそのものはまだ持ちこたえておりました。

6月28日。
ついに英軍総司令官ラグラン卿がコレラで命を落とします。
戦死者の数倍にも上る病死者を出している「クリミア戦争」は、また一人高級司令官を病気で死に至らしめました。

ロシア皇帝ニコライ一世、仏軍総司令官サン=タルノー元帥、英軍総司令官ラグラン卿が亡くなり、もはや呪われた戦争と言ってもよいようなありさまでしたが、多少の救いは、ナイチンゲールの働きにより、スクタリの野戦病院での死亡率が、この頃から改善し始めたということでした。

英国パーマストン内閣の秘密調査がスクタリの野戦病院に入り、その実態が本国に伝わったことで、ナイチンゲールに対する有形無形の支援が実を結び始めていたのです。
それでも、激務を続けていたナイチンゲールは一度病に倒れ、休養を取らざるを得なくなっておりました。
とはいえ、野戦病院の状況は、日に日によくなっていっていたことは間違いありませんでした。

(18)へ
  1. 2009/04/30(木) 21:32:03|
  2. クリミア戦争
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:3
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コメント

有能な上司の下で、地道にこつこつとやって来た看護婦さん達の勝利ですね(笑)
戦争そのものよりも、そちらに興味が向いたりしてしまいます。
  1. 2009/04/30(木) 22:15:39 |
  2. URL |
  3. 神代☆焔 #-
  4. [ 編集]

この頃の兵隊さんは、傷が治ったら有無を言わさず
再び戦場に引っ張られたのかしら?

寿命も短いでしょうし、とかく戦争という狂気は
一度味わうと思い出からは消えないものでしょうし
人間と言う野郎は、今と昔では全く違う生き方をしているものですけれど
この頃の人間の生死観念ってものは
どのような価値感の下、捉えらえていたのかしらねえ

基本的に戦後日本は武器を持ってはならないし
軍国主義と右翼に傾倒しないことを社会的理念としてますけれど
戦争嫌悪や、戦争という単語自体に耐性の無い日本人の実に多いこと

平和=厭戦争、嫌戦争
なんて簡単な図式が成り立つハズもなく……
ここら辺を勘違いしてる自称左翼主義者の実に多いこと

流れに身を任せて、北朝鮮に経済的制裁を
なんて大衆の意識が一方行に統一されるのと
軍国主義の風潮ってどう違うのかしらねえ

独裁制が続いている状態だと、飢餓で死ぬのはまず国民であり
家族や親類、同胞が死ねば個人の怨恨や憎悪は
大いに利用する価値がありますわよねえ、妄想してみると

ともあれ、学校教育では教えない
宗教や戦争から子供が学べることって
多い気がするんですけれどねえ
  1. 2009/04/30(木) 23:05:18 |
  2. URL |
  3. ジャック #-
  4. [ 編集]

>>神代☆焔様
ナイチンゲールも決して有能な上司といえるものではなかったようで、看護婦たちと結構衝突していたようではありますが、行動力はありますよねー。

>>ジャック様
この頃の英国は兵士は使い捨てぐらいにしか考えていなかったようなのですが、ナイチンゲールが看護していると、回復してきた兵士たちはベッドでいろいろな勉強を始めたといい、彼女自身驚いたという記述がありますね。
そのこともあって、じょじょに兵士が使い捨てのものではないという認識が広まっていったそうです。
まあ、回復したら軍務に復帰するのは当然だったとは思いますけどね。

戦争は戦争を知ることでしか防げないという気もしますので、戦争を教えないのは愚の骨頂かなという気がします。
ちゃんと戦争がなぜおきるのか、戦争とはどういうものなのか、戦争で社会はどうなるのかなどを教えることが大事なんでしょうねぇ。
  1. 2009/05/01(金) 21:07:01 |
  2. URL |
  3. 舞方雅人 #-
  4. [ 編集]

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(まいかた まさと)と読みます。
北海道に住む悪堕ち大好き親父です。
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