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舞方雅人の趣味の世界

あるSS書きの日々

クリミア戦争(7)

「シノープの海戦」はロシア海軍の圧勝に終わりました。
本来ならこの勝利によって、「クリミア戦争」そのものがロシア優位のうちに終結してもおかしくないはずでした。
しかしこの「シノープの海戦」の勝利は、「クリミア戦争」そのものを妙な方向へと迷走させることになってしまいます。

「シノープの海戦」のロシア海軍の勝利によって、ロシアが有利になったことを喜ばないのは英国でした。
もともとオスマン・トルコを焚き付けてロシアの地中海進出を防ごうとしていたのですから、ここでロシア優位のうちに戦争が終わり、ボスポラス及びダーダネルス両海峡の通行権がロシアに与えられるようになっては困るのです。

英国初め欧州各国はこの「クリミア戦争」に新聞記者を派遣しておりました。
彼らはこの「シノープの海戦」のあまりにも一方的な結果に、これは戦闘ではなく虐殺であると報道します。
沈む軍艦から脱出し海上を漂うオスマン・トルコ兵士にまでロシア軍は発砲したと書きたて、各国の世論はロシアに対する非難で一杯となりました。

この世論の高まりは英国にとっては好都合でした。
英国国民の「シノープの虐殺」を赦すなという声に押され、英国はついに「クリミア戦争」に軍事介入することを決定。
この決定にフランスが同調します。
ナポレオン三世は軍事面での勝利を欲し、この戦争に参加することにしたのです。

年が明けて1854年。
この年日本では日本史上でも有数の出来事が起こります。
1854年2月(日本では嘉永7年1月)、ペリー提督率いる七隻の蒸気船が昨年に続いて江戸湾に来航。
3月にはついに徳川幕府もアメリカとの間に「日米和親条約」を結びます。
日本の鎖国が解かれた瞬間でした。

同じ1854年3月。
英仏はオスマン・トルコとの間に同盟を結び、ロシアに対して宣戦を布告。
歴史区分ではこの時点からを「クリミア戦争」とする場合もあります。
戦争は複数国が関係する国際戦争へと拡大することになりました。

英仏はすぐさま用意しておいた軍勢をオスマン・トルコに派遣します。
本国を出港した英軍の司令官はラグラン男爵フィッツロイ・ソマセット(以後ラグラン卿)でした。
彼は1815年の対ナポレオン・ボナパルト戦である「ワーテルローの戦い」で指揮を取ったというのが自慢であるほどの老将軍であり、66歳という高齢でした。

一方のフランス軍司令官はアシル・ル・ロワ・ド・サン=タルノー元帥。
こちらはナポレオン三世の信任が厚いものの、軍事的な能力は凡庸とされており、司令官としては評価の低い人物でした。
さらに悪いことに、このサン=タルノー元帥はガンを患っていたといわれ、あと数ヶ月の命と宣告されていたといわれます。
この両者が英仏連合軍の各軍司令官であり、連合軍の軍事行動はこの両者が相談して行なうというものでした。

この方式は総司令官を置かない方式のために、軍事行動的には効率が悪く齟齬をきたしやすいものであり、決してよい方法ではありませんでした。
しかし、欧州の覇権を争ってきた英仏両国の代表たるラグラン卿もサン=タルノー元帥も互いに相手の下風に立つことを望まず、このような方式しか取れなかったのでした。

英仏連合軍はオスマン・トルコとロシアがにらみ合いの膠着状況に陥っているバルカン半島のベシカ湾に上陸、また一部は迂回するようにヴァルナに上陸いたします。
英仏の参戦でロシアは今後どうするかを考えなくてはなりませんでした。
とはいえ、英仏が参戦したからといって早々に撤収するわけにもいきません。
ニコライ一世としてはオスマン・トルコとの早期決着を図りました。

ところが、早期決着をもくろんで攻撃したオスマン・トルコのシリストリア要塞に対する攻撃は不調に終わり、一ヶ月経っても陥落させることができません。

英仏連合軍がベシカ湾から北上し、一部がヴァルナからロシア軍の側面を突こうとしているという状況に、どう対応しようかと頭を悩ませていたところに、思いもかけない情報がニコライ一世のもとにもたらされます。
なんと以前革命鎮圧に手を貸してやり、今回の戦争には悪くても中立であろうと思われていたオーストリアが、軍勢を国境線に配置し始めているというのです。

オーストリアは英仏連合軍の上陸に形勢が変化したことを見て取り、バルカン半島へのロシアの勢力のこれ以上の拡大を排除しようと考えました。
英仏に加担することで、今後のオーストリア外交を有利にしようとしたのです。

オーストリアはワラキアやモルドヴァからの撤退をロシアに要求。
これにプロイセンも同調し、ロシアにバルカン半島からの撤退を要求します。
このオーストリアの裏切りとも言える行為にニコライ一世は激怒しますがどうしようもありません。
ついにロシアは欧州各国から孤立無援となってしまったのです。

この事態にニコライ一世は、「敵が多ければ多いほど、名誉も大きくなる」と言ったといわれますが、ロシア軍をこのままワラキア及びモルドヴァに駐留させるわけにも行かず、ついにロシアはバルカン半島から撤収。
オスマン・トルコはロシアの侵入を跳ね返すことに成功したのです。

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  1. 2009/04/07(火) 21:30:58|
  2. クリミア戦争
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2
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コメント

その頃の日本を絡める辺り、世界史に疎い人もハマらずにはいられない展開ですね。
  1. 2009/04/07(火) 21:59:22 |
  2. URL |
  3. 神代☆焔 #-
  4. [ 編集]

>>神代☆焔様
クリミア戦争がのちのち日本に与える影響を感じ取っていただくためにも、当時の日本はどういった時代だったのかを知っていただこうと思いましたのです。
  1. 2009/04/08(水) 21:29:31 |
  2. URL |
  3. 舞方雅人 #-
  4. [ 編集]

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