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舞方雅人の趣味の世界

あるSS書きの日々

クリミア戦争(6)

1853年7月(日本では嘉永6年6月)、江戸湾の浦賀にマシュー・カルブレイズ・ペリー提督率いるアメリカ艦隊が蒸気船四隻にて来航。
江戸徳川幕府に対し、アメリカ大統領の親書を渡し、日本に開国の要求をします。
幕府はこの一件で大混乱に陥り、返事を翌年回しにしてとりあえず帰ってもらうというありさまでした。

この同じ1853年7月。
ロシアはバルカン半島のオスマン・トルコ領内にいる正教徒の保護を名目としてモルドヴァ地方とワラキア地方にゴルチャコフ将軍率いる八万の軍勢を進めます。
これは明らかに国境侵犯であり、戦争につながる行為ではありましたが、ロシアは正教徒保護ということで宣戦布告は行なわず、オスマン・トルコの出方をうかがいます。

領内にロシアの軍勢が侵入してきたことで、オスマン・トルコの国内は騒然となりますが、まずは戦争という事態を回避するために、軍勢をドナウ川南岸に進出させてロシア軍のそれ以上の南下を食い止めるよう手配した上で、ロシア軍への撤退勧告を行なうという手段をとりました。

しかし、ニコライ一世は撤退勧告を拒絶。
各国の調停も不調に終わり、オスマン・トルコが突きつけた最後通牒もロシア側は無視したため、ついに1853年10月、オスマン・トルコ側がロシアに対して宣戦を布告。
「クリミア戦争」が勃発しました。

オスマン・トルコはまずブカレスト近郊に配置されていたロシア軍前哨を攻撃。
これに対してロシア軍もドナウ川近辺のオスマン・トルコ軍を撃破して南下を開始します。
さらにはバルカン半島各地の反オスマン・トルコ勢力にゲリラ活動をするように仕向け、オスマン・トルコ軍が弱体化するように図りました。

ところがこれはギリシャが反オスマン・トルコの立場から義勇兵の派遣などを行なおうとしたものの、英仏が実力で阻止する気配に出たために断念せざるを得なく、セルビアやボスニア、ブルガリアなどのオスマン・トルコ支配の各地方も一部にゲリラの蜂起などがあったものの、総じて動きを見せませんでした。

さらには動かずと見ていたフランスが、「聖地管理権」だけではなく実際の戦争での勝利によって国民の人気を勝ち取ろうとするナポレオン三世の思惑と、偉大なるナポレオン・ボナパルトを打ち破ったロシアに対する復讐心に燃える国民の意識とが噛み合ってしまい、いまや戦争への介入も辞さずという姿勢になってきていたうえ、ロシアによるオスマン・トルコ支配は、オスマン・トルコ支配下のシリア地方の住民からのフランスへの資金流入を妨げるなどの実利的な面でもフランスにとってこの戦争が無視できないものになってきていたのです。

英国は無論ボスポラス及びダーダネルス両海峡のロシアによる支配は認められるものではなく、当然オスマン・トルコとロシアの戦争には機会を見て参入するつもりであったため、ニコライ一世が考えていたオスマン・トルコ領の分割提案などで納得するはずもなく、着々と戦争の準備を進めます。

ニコライ一世の考えていた思惑がじょじょにはずれてきたロシアでしたが、戦闘そのものもまた最初に思い描いていた思惑とはズレを見せ始めます。
オスマン・トルコ軍は軍勢の指揮官にオーストリア出身のオマル・パシャが就任。
約十三万の軍勢をもってロシア軍に対します。

ロシア軍は11月4日、ワラキアのオルテニッツァという町を攻撃。
しかしこれは撃退され、オスマン・トルコ軍に敗退しました。
ところがオルテニッツァを守りきったオスマン・トルコ軍も、ロシア軍の数の多さに飲み込まれることを懸念してこれを放棄。

ロシア軍はこれ幸いと今度はセルビアに近いカラハットという町を攻撃しますが、ここでもオスマン・トルコ軍に撃退されてしまいます。
オスマン・トルコの近代化がようやく実を結び始めていて、軍の建て直しが成功しつつあったことの証明でした。
オスマン・トルコは実力を取り戻しつつあったのです。

しかし、海ではそうはいきませんでした。
黒海の南岸、オスマン・トルコ側の沿岸にシノープという港町があり、ここはオスマン・トルコ海軍の重要な軍港として機能しておりました。
このシノープ港にいるオスマン・トルコ海軍艦隊を無力化するべく、ロシア海軍はパーヴェル・ナヒモフ提督率いる黒海艦隊を出撃させます。
この艦隊は蒸気船を主力としており、砲弾も最新の炸裂弾を装備しておりました。
一方オスマン・トルコ艦隊はまだ木造帆船が主力であり、実際の戦闘力はロシア側が大きく引き離しておりました。

1853年11月30日。
シノープ港に終結していたオスマン・トルコ艦隊は奇襲が懸念されていたにもかかわらず無警戒でいたため、ロシア艦隊の奇襲を受けてしまいます。
木造帆船のオスマン・トルコ艦隊にはロシア艦隊の炸裂弾が高威力を発揮し、オスマン・トルコ艦隊はほぼ一方的に撃破されました。
さらに港湾施設も砲撃を受け、シノープ港はほぼ軍港としての機能を喪失します。
ロシア海軍の圧勝でした。

この「シノープの海戦」の勝利により、黒海の制海権はロシアのものとなりました。
ロシア海軍は戦闘艦をイスタンブールにまで進めることができるようになり、オスマン・トルコにとってはきわめて不利な状況に追い込まれたことになります。
ロシアは陸での膠着状況をこれによって改善し、「クリミア戦争」そのものも勝利のうちに収めることができるかと思われました。

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  1. 2009/04/06(月) 21:12:10|
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