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舞方雅人の趣味の世界

あるSS書きの日々

クリミア戦争(5)

「聖地管理権」とは、キリスト教の聖地エルサレムに対する管理権のことでした。
エルサレムを含む地域は、当時オスマン・トルコ帝国の支配地域ではありましたが、イスラム教の帝国であるオスマン・トルコは聖地エルサレムに巡礼に来るキリスト教徒も特に問題なく受け入れておりました。
各地から来るキリスト教徒を受け入れることで交流も起こり、さまざまな税金によって国庫も潤うからです。

巡礼に来るキリスト教徒の受け入れや聖地管理に関しては、オスマン・トルコの承認のもとで従来から現地のキリスト教徒の人々が行なっており、そのバックにはカトリックの守護者をもって任ずるフランスが付いておりました。

しかし、フランスは1789年のフランス革命のカトリック弾圧によりこの聖地管理権を手放してしまいます。
後を引き継ぎ、聖地管理権を手に入れたのが、正教の守護者を任じるロシアでした。
以後ロシアは1852年までこの聖地管理権に基づいてエルサレムを管理しました。

1852年、フランスでは国民投票によりナポレオン三世が皇帝に即位します。
偉大なる伯父ナポレオン・ボナパルトの威光で皇帝位にはついたものの、ナポレオン三世は国内に対して目に見える成果を示す必要がありました。
そのときに目をつけたのがこの聖地管理権でした。

ナポレオン三世はフランスの国力を背景に、斜陽の大国となっていたオスマン・トルコに対してこの聖地管理権をフランスに再度与えるように交渉します。
聖地管理権を再び手にすることで、フランス国内のカトリック教徒を喜ばせ、自身の人気取りに利用しようとしたのです。

オスマン・トルコはフランスにかなりの債務があったこともあって、ナポレオン三世の申し出を了解。
ロシアから聖地管理権を取り上げてフランスに渡します。
これに怒りを見せたのがロシアのニコライ一世でした。

怒りを見せたというのは、ニコライ一世にとってはこの件はオスマン・トルコに対する戦争のいい口実になるであろうことであり、実際にはほくそえんでいたと思われるのです。
ですが、ロシア国内の正教徒に対するためにもポーズ以上に怒りを見せたことでしょう。

ロシアはすぐさまオスマン・トルコに抗議を申し入れます。
聖地管理権をフランスから取り戻すだけではなく、オスマン・トルコ領内の全ての正教との保護のためにロシア軍を駐留させるよう詰め寄ったのです。

オスマン・トルコにとっては内政干渉以外の何者でもありません。
領内へのロシア軍の駐留など認められるはずがないのです。
しかもロシアの黒海進出はやがて地中海進出に結びつくとわかっている英国が、フランスとともにオスマン・トルコを支援したため、オスマン・トルコは強硬にロシアの抗議を突っぱねました。

ニコライ一世にとってはオスマン・トルコが拒絶するのは予想済みでした。
それどころか、この問題を口実に戦争をするつもりでしたから、拒絶してもらわなければ話にならないのです。
ニコライ一世の考えでは、オスマン・トルコは衰退しておりその軍事力はそれほど恐るべきものではなく、オスマン・トルコが当てにしている英仏に関しても、フランスはナポレオン三世が聖地管理権などという人気取りをやっているぐらいで、戦争への介入などはできないであろうし、英国にしても強硬的なポーズは取るものの、実際の戦争になればオスマン・トルコ領を分割することで折り合いをつけることは可能と見ておりました。
ですから、オスマン・トルコとの戦争はもはや既定事実のようなものであり、あとはいつはじめるかというべき状況だったのです。

ポルトガル生まれのロシアの外相ネッセルローデは、ニコライ一世に戦争は得策ではない旨釘を刺してはおりましたが、ニコライ一世は聞く耳を持たず、バルカン半島の諸問題においてもロシアはオスマン・トルコと衝突。
いよいよ戦争は間近と思われました。

1853年2月、ロシアは一応の外交交渉の形式を整えるために特使をオスマン・トルコに派遣します。
外交交渉で戦争を回避しようというポーズでした。
しかし、この特使に選ばれたのは、ミハイル・オルロフのようなベテラン外交官ではなく、アレクサンドル・メンシコフ公爵という貴族軍人でした。

メンシコフ公は、以前トルコとの戦争に従軍した経験があり、その際に銃弾もしくは砲弾の破片で男性器を失うという怪我を負っており、そのせいかとにかくトルコ人が憎くて仕方がないという人物でした。
そのような人物をオスマン・トルコとの交渉使節に任命するというのですから、ニコライ一世がいかにこの交渉が決裂することを望んでいたかが知れようというものです。

メンシコフ公は、黒海でロシア海軍の軍艦に乗りその威勢をオスマン・トルコに見せ付けた上でイスタンブールに向かいます。
そしてあからさまなトルコ人嫌いを見せ付けて何人もオスマン・トルコ側の交渉役を交代させ、さらには普段着でオスマン・トルコ皇帝と面会するという侮辱をやってのけました。
その上で強圧的な態度でオスマン・トルコとの交渉に入ったといいます。

それでも、ロシアとオスマン・トルコとの交渉はどうにか進み、オスマン・トルコ領内のスラブ系正教会信者の生命と財産を保障するならば、ロシアはオスマン・トルコの外敵には共同で対抗するという同盟が合意寸前にまでいたります。
しかし、これには今度はフランスが反発。
結局フランスと英国の圧力により交渉は決裂となり、6月に特使のメンシコフ公は帰国。
ついにロシアとオスマン・トルコとの戦争は秒読み段階となりました。

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  1. 2009/04/04(土) 21:09:27|
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(まいかた まさと)と読みます。
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このブログは、私の好きなゲームやマンガなどの趣味や洗脳・改造・悪堕ちなどの自作SSの発表の場となっております。
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