大日本帝国陸軍の装備した火砲は幾種類もありますが、その中に機動という名称がついたものがありました。
機動90式野砲や一式機動47ミリ砲といったのがそれに当たります。
この機動とは何を意味するのか?
単なる90式野砲と、機動90式野砲とはどう違うのか?
その前に大砲という物を戦場に運び入れるにはいったいどうするのかということを考える必要がありますね。
日本陸軍ならずとも、大砲を戦場に運び入れるのに、第一次世界大戦まではどこの国の軍隊も馬を利用しておりました。
いわゆる輓馬搬送ですね。
もちろん我が日本陸軍も大砲を運ぶのは馬の仕事でした。
砲兵部隊には必ず搬送用の馬が用意され、その馬の世話をする者も用意されていたのです。
しかし、第一次世界大戦は軍隊の機械化を大いに促進いたしました。
内燃機関を持つ自動車が軍隊の移動に関わってきたのです。
各国の軍隊でも兵の移動のみならず、大砲の移動にも自動車が使われるようになりました。
牽引車が大砲を引っ張って戦場へ向かうようになったのです。
日本陸軍も牽引車を用意し、大砲を引っ張ることにしましたが、牽引車で引っ張るときには今までの木の車輪では路面の凹凸が直に砲に伝わります。
そこで大砲の車輪を木から空気を入れたゴムタイヤに変更したのが、機動砲と呼ばれるようになったのです。
つまり、90式野砲と機動90式野砲との違いは車輪が木かゴムタイヤかの違いでしか無いのですね。
歩兵師団や軍直轄の砲兵は日本の場合は基本的に輓馬牽引でした。
ごく一部の優良装備部隊だけが牽引車両を手に入れることができ、その部隊用に特に用意されたのが機動砲だったんですね。
他の国では一般的になっていった車両牽引が、日本の場合は特別なこととされ、そのために用意された砲に機動という名前をつける。
それこそが日本の国力の限界を如実に現しているのかもしれません。
それではまた。
FX_MC さんの投稿:
日本陸軍の火砲というと……もうダメダメとしか言いようがありませんな。
90式野砲はその中では比較的マシな部類で、初速や射程はソ連のラッチュ・バムに匹敵する性能(砲弾の質と砲身の寿命はこの際考えないことにする。考えなくても十分情けなくなれるから!)なわけですが――
90式野砲の生産数が1000門ぐらいなのに対して、ソ連のM1936は万単位で生産され、性能不足とかいって新型砲がやっぱり万単位で生産されてるんだから、もう勝負になりません。
舞方さんの言うように、ゴムタイヤをつけて「機動」とかやってるあたりがいじましくて仕方がありません。
逆に、アメリカのなんでもない「歩兵師団」は、英ソやドイツの「機械化」とか「装甲擲弾兵」よりも自動車を持ってたりするわけで。強者は飾り立てる必要がないんでしょうね。
2 月 23 日
舞方雅人 さんの投稿:
>FX_MC様
なかなかいい野砲だったと聞きますが、日本軍は既存の火砲を生産するのに手一杯で、新規開発がほとんどできなかったようですね。
火砲に限らず、量産能力については目を覆うばかりですので、数が揃わないのも無理はないです。
生産力の差はいかんともしがたいですねー。
2 月 24 日
- 2006/02/22(水) 22:18:42|
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