1940年5月。
ヒトラーはフランス侵攻作戦、いわゆる「黄色の場合」を発動します。
マンシュタイン将軍の発案によって、ドイツ軍は従来行動不可能と考えられていたアルデンヌ森林地帯を装甲部隊により突破するという大胆不敵の行動をとります。
オランダ、及びベルギーを突破してくるであろうと思っていたフランス軍は、主力をベルギー国境方面に貼り付けておりました。
当然大規模な装甲部隊は突破できないと思い込んでいたアルデンヌ森林地帯方面には、警戒のためのごく一部の部隊が配備されているだけでした。
当時装甲部隊の陣地突破には、重砲部隊が後続し、支援砲撃を行なうことが必要であると思われておりました。
戦車だけなら少数は突破してきても、陣地によってこれを防ぐことができ、時間を稼いでいる間に味方増援部隊が来援できると考えていたのです。
もちろんドイツ軍もアルデンヌ森林地帯の装甲部隊の進撃には問題があること、それ以上に重砲部隊は身動きが取れないであろうこともわかっていました。
そのために一度は無謀な計画として退けられたのですが、ある事件とヒトラーの冒険好きな性格とが相まってマンシュタインプランは採用されました。
ドイツ軍は身動きの取れない重砲部隊の代わりに、シュツーカを使うことでその問題を解決することにしました。
急降下爆撃はある意味ピンポイントで目標を攻撃できるため、重砲よりも目標を破壊できる確率は高く、近接支援任務にはうってつけでした。
ドイツ軍はこのシュツーカと装甲部隊という取り合わせで、突破不可能と信じられていたアルデンヌの森林地帯を突破してきたのです。
フランス軍はまったく対応できませんでした。
国境線は瞬く間に突破され、助攻として行なわれたオランダ、ベルギー侵攻に目を奪われ主力をそちらに差し向けているうちに後方を遮断されるという羽目に陥りました。
わずかな部隊だけが果敢にもドイツ軍に抵抗しましたが、それも蟷螂の斧。
フランスは1940年6月22日、ドイツ軍に降伏します。
ヨーロッパ随一の強国。
最大の陸軍国フランスはわずか45日で崩壊しました。
ドイツ軍の思いもよらない奇襲攻撃が最大の効果を上げてこういった結果をもたらしたわけですが、逆に言えばフランス軍の思い込みというか硬直した思考がフランスを崩壊させたとも言えるでしょう。
軍事に限らず、思考の硬直はいい結果を生まないということなんでしょうね。
空風鈴ハイパー さんの投稿:
「マンシュタイン・プラン」ですね。どこの組織でも
「トップ(特にヒトラーのような軍事素人)と部下の対立」
ってのは避けられないものなんでしょうが、この辺のOKHとかのごちゃごちゃした経緯は説明だけで大変ですよね(笑)。なんにせよ、マンシュタインが辛抱強く訴え続けたおかげ(それと一部のシンパ)で「フランス電撃作戦」は多くの犠牲を出しながらも、一応の大成功収めたんですよね。
しかし電撃戦が「機甲部隊による突破・浸透戦術」の嚆矢であると言えると同時に、「シュツーカ登場のインパクト」ってのも凄かったんでしょうね。「コンドル」の頃から実戦で使われていたとは言え、機甲部隊との連携攻撃戦術はものすごいインパクトだったみたいですし。
後に低速ぶり故に限界を晒す事になるシュツーカですけど、それでも連合国将兵にとっては
「頭上の災厄」であったようですし、あの降下音「ジェリコのサイレン」は歩兵にとってある意味一番聞きたくない音だったんでしょうね。
12 月 22 日
舞方雅人 さんの投稿:
>空風鈴ハイパー様
シュツーカのサイレン音はまさに悪夢の到来だったかもしれませんね。
彼ら空飛ぶ砲兵がいたからこそ、電撃的侵攻作戦が成功したと言えましょう。
一方地上部隊の進撃もまた快速であり、場合によっては空軍のシュツーカが連絡を受けて現場に到着した時には、すでに地上部隊が戦線を突破した後だったということも多かったようです。
そのためところどころで誤爆があったようですが、なんとグデーリアンの乗った装甲車も誤爆され、危うく死んでしまうところだったそうですね。
12 月 22 日
- 2005/12/21(水) 22:30:50|
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