加賀の国といえば今の石川県の一部。
戦国時代には一向宗の拠点があり、隣国越前の朝倉氏、能登の七尾氏と勢力争いをしていた地域ですね。
江戸期には前田氏が入り、加賀百万石として知られた強大な国でした。
その後明治維新を迎え、新政府によって廃藩置県が行なわれた結果、加賀の国という名称は消えることになりました。
しかし、その後加賀の名はまた一世を風靡することになるんですね。
ご存知かもしれませんが、明治期以後の大日本帝国海軍は主力である戦艦に旧国名をつけることを慣習としていました。
加賀も土佐型戦艦の二番艦として期待とともに建造が開始されたのです。
国力を無視した戯言ですが、当時アメリカが戦艦には州名をつけていたため、アメリカは戦艦を五十隻ぐらいしか作れないが、日本は七十隻以上も作れると言っていたそうです。(アメリカは当時48州に対し旧国名は70以上あったから)
まあ、それは笑い話なのですが、世界が戦艦の大量建造を始めた第一次世界大戦後、そのあまりの建造費の高さに各国は経済が立ち行かなくなるのを恐れて軍縮条約を結びました。
その条約により建造途中で破棄される戦艦が各国で相次ぎました。
新鋭戦艦として建造中だった土佐、加賀も出来上がる前に廃艦として処分されてしまうことになったのです。
一方高速戦艦として建造中だった赤城は同型艦天城とともに戦艦ではなく空母として改造されることになりました。
このまま何事も無ければ加賀の名は消え去っていたでしょう。
ところがここにある出来事が起きました。
関東大震災です。
改造途中の天城はこの震災で破壊されてしまいました。
困った帝国海軍は廃艦予定の加賀を急遽空母へ改装することにしたのです。
そして加賀は死の淵からよみがえり、帝国海軍の新鋭大型空母として赤城とともに活躍することになるのです。
ただ、残念なことに戦艦として作られた加賀は最高速度が28ノット程度で赤城の30ノットとは合わせることが難しかったようですね。
しかし、加賀はその名にふさわしい強力な航空戦力を持って、シナ事変から太平洋戦争初頭の真珠湾攻撃、そして運命のミッドウェーまで活躍し続けたのです。
その最後についてはまた今度。
妄想狐 さんの投稿:
航空母艦『加賀』ですね。
最初は3段甲板のイロモノ空母として就航、更に大改造を経て全通甲板を持った
日本最大級の航空母艦となりましたね。
損傷廃艦となった『天城』の代りに生き延びた『加賀』ですが、ミッドウェーで全身
火達磨になって沈んでいったのは可哀想でなりません。同型艦の『土佐』は射爆
目標艦として友軍の手で沈められたのも不運ですが・・・そのおかげで九一式徹
甲弾を産み出したのはせめてもの『土佐』の意地だったんでしょうか?
『天城』『加賀』『土佐』・・・時代に翻弄され、消えていった軍艦達。
出来る事なら、あの戦争さえなければ今でも『三笠』のように記念艦として、その
雄姿を拝めたかもしれませんね。
10 月 22 日
舞方雅人 さんの投稿:
>妄想狐様
さすがよくご存知でいらっしゃいますね。
三段飛行甲板は机上の空論が適用されてしまったような感じで、発進甲板と着艦甲板を別々にするというある意味現在のアメリカ空母と同じ思想なんですが、上手く行きませんでしたね。
しかし、天城が失われたことで赤城、加賀、蒼龍、飛龍全て艦形が違うという羽目になっちゃいましたね。
翔鶴、瑞鶴の出現まで日本の空母に同型艦は無いんですよね。
けっこう不思議です。
10 月 22 日
- 2005/10/21(金) 22:39:56|
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