昨日は独軍の野戦炊事馬車のことを紹介いたしましたが、この野戦炊事馬車は、シチューやスープといういわば“おかず”(副食)を作る役割のものでした。
それでは第二次世界大戦中の独軍の主食は何であったのか。
それは“軍用パン”(Kommissbrot)と呼ばれるライ麦パンでした。
ライ麦パンは小麦のパンに比べて腹持ちがよく、不規則な食事となりがちな兵士にとっては助かるものだったのです。
また、固めに焼いておけば、保存という面でも有効だったといわれます。
現在でもほぼ同じような作り方で作られた独軍軍用パンがあるそうで、こちらに詳しく載っております。
ttp://10.studio-web.net/~phototec/dizbred4.htm
普段私たちが口にするパンとはまったく違う感じですね。
さて、この軍用パン。
日持ちもそれなりにするし、一度に大量に消費するので、本国のパン工場で焼き上げて前線に送られるのかと思うとさにあらず。
なんと、各歩兵師団、装甲師団には製パン中隊という名のパン焼き部隊が配属され、自前でパンを焼いていたのでした。
製パン中隊には昨日の野戦炊事馬車と同じような野戦移動式オーブンと野戦移動式パン練り機が配属され馬で引いたりトラックの荷台に据え付けたりして移動したようです。
そのほかに材料であるライ麦などを運ぶためのトラック(もしくは馬車)が付随し、中隊の要員は資料によって異なりますが、約130名前後だったようです。
もちろん彼らはいずれも軍人であり、いざとなれば銃を手に戦うこともありました。
特に東部戦線では、戦線後方といえどもパルチザンが跳梁し、彼らの任務も決して安全ではなかったのです。
製パン中隊は、師団の上部組織である軍団から師団に回されてきた材料を元に、自前でパンを焼かねばなりませんでした。
時には製粉されていない麦粒を渡されることもあったので、製パン中隊には大型の電動機と製粉機が常備されておりました。
また、場合によっては占領地で材料を徴発(いわば略奪)することもあったようです。
独軍の一個歩兵師団は約一万五千人ほどで構成されておりました。
一人当たりの軍用パン支給量は一日約700グラム。
軍用パン一斤の重さが約750グラムだそうですので、大体一人一斤の計算になるようです。
製パン中隊はこの軍用パンを一日に約一万二千斤ほど焼くことができたそうなので、一個師団の支給をほぼまかなえたのではないでしょうか。
一口に一万二千斤の軍用パンといっても、焼くためには膨大な量の材料がいります。
材料だけでも一日約10.5トン必要だったといいますし、その粉を練るための水も一日で約一万五千リットルという量が必要でした。
そのため、北アフリカの砂漠などでは、軍用パンを焼くのに海水を使ったともいいます。
適度な塩味が付くので問題なかったとか。
こうして毎日独軍の兵士たちは、製パン中隊のおかげで軍用パンを食べられたのでしたが、製パン中隊の仕事はこれだけではありません。
ドイツ人は甘いお菓子が好きなのだそうで、そういったお菓子や場合によってはケーキを焼いて振舞うのも製パン中隊の重要な任務でした。
クリスマスなどの節目の日には、事情が許す限りお菓子やケーキを焼いて将兵に振舞ったのだそうです。
写真などを見ると、ティーガーの乗員が、弾薬補給中にこの軍用パンの補給も受けているシーンなどが見られます。
丁寧に扱わなければならない砲弾とは違い、泥だらけのフェンダーの上にゴロゴロと無造作に置かれた軍用パンの姿が印象的でした。
おいおい、口に入れるものだろうとも思いましたが、そんなことは些細なことなんでしょうね。
小林源文先生のマンガにもありました。
「そのくらいなんだ! 味がよくなるぞ!」
それではまた。
- 2008/12/30(火) 20:37:52|
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