カレリア地峡方面での苦境とは別に、フィンランド国境北方から攻撃するソ連軍第14軍や、東方から攻撃する第9軍は、比較的楽にフィンランド領内へと侵攻しました。
兵力の大半をカレリア地峡部に集中させたフィンランド軍にとって、この方面に回せる兵力はわずかしかなく、そのため国境周辺で防御戦闘を行うことができなかったからです。
しかし、フィンランド国内深く進攻していくうちに、ソ連軍は後戻りのできない地獄へと引きずりこまれつつあることに気がつきませんでした。
数に劣るフィンランド軍は、ゲリラ活動によってソ連軍に対抗し始めたのです。
フィンランド軍は撤退するときに、ありとあらゆる木造の建物を破壊して燃やしてしまいました。
12月に入ったばかりだというのに、この冬は寒さがきびしく、北極圏に近いフィンランドでは、最低気温がマイナス40度になることも多かったといいます。
そんな中で、満足な寒冷地装備をしていないソ連兵は、寒さをしのぐ建物を得ることができませんでした。
やむを得ずソ連軍が野営して焚き火で暖を取っていると、その明かりを目印にしてフィンランド兵が襲撃を仕掛けるのです。
フィンランド兵は満足に軍服さえ支給されてはおりませんでした。
しかし、彼らは雪の中で目立たぬような白い防寒着をまとい、少人数ですばやく襲撃し立ち去ります。
この攻撃で、ソ連軍はじわじわと兵力を削られて行きました。
やがて、ソ連軍にとってはフィンランドの国土に広がる森林が、何か不気味な化け物のように思えてきたのではないでしょうか。
森の中からいつの間にか白い服のフィンランド兵が現れ、ソ連兵を殺しては森に消え、あとを追えば森の中で逆に待ち伏せされて殺される。
いつしかソ連軍は、森を恐れ、道路から離れることを嫌うようになります。
補給も道路によるしかないため、道路に沿って細長い行軍隊形で移動するようになるのです。
そうなると、今度はフィンランド軍がまた戦術を変えてきました。
訓練されたスキー部隊兵により先頭集団と最後尾集団を撃破して、ソ連軍を道路に封じ込めてしまうのです。
そして細長い道路に沿ったソ連軍部隊を、今度はその中間などを攻撃していくつかの小集団に分離するよう仕向け、最後は補給が途絶し寒さに耐えられず自滅するようにするのです。
これが「モッティ戦術」と呼ばれるもので、この戦術にはまった多くのソ連軍兵士が、戦わずに飢えと寒さで死んでいきました。
まるで日本の日露戦争前に起こった陸軍の八甲田山集団遭難事件を髣髴とさせるような光景があちこちで現出し、ソ連軍は雪に飲み込まれて消えていきました。
一説によると、この戦争におけるソ連軍の死者の八割から九割が凍死だといいます。
こうして死んだソ連兵の武器は、フィンランド軍の新たな戦力となりました。
フィンランド軍にとっては危機であり、またソ連軍にとっても悲惨だったのが、フィンランド中央部にあるスオムスサルミ村の攻防戦でした。
この付近はフィンランドの北と南を結ぶ交通の通り道であり、ここを抑えられるとフィンランドにとっては非常に苦しくなるのです。
フィンランド軍司令官のマンネルハイムはすぐに予備兵力をかき集め、スオムスサルミ村の守備を命じました。
守備隊の指揮官に任じられたのはシーラスボ大佐でした。
シーラスボ大佐は、近隣からかき集めたおよそ一個師団ほどの兵員で、ソ連軍の攻撃に対抗しなければなりません。
おりしもこの村には、ソ連軍第163狙撃兵師団が北側から、第44狙撃兵師団が南側から接近し、守備隊を挟み撃ちにしようとしていたのです。
挟み撃ちにされては、兵力に劣るフィンランド軍は勝ち目がありません。
シーラスボ大佐はなんとここで兵力を二つに分け、わずか二個中隊ほどの小戦力に、ソ連軍第44師団の足止めを命じます。
残った主力で、第163師団を迎え撃つ各個撃破が狙いでした。
ソ連軍第163師団も、道路に沿って細長く進撃しておりました。
その隊列目がけ、フィンランド軍は「モッティ戦術」を試みます。
「モッティ戦術」はここでも威力を発揮して、スキー部隊の神出鬼没の行動に翻弄されたソ連軍第163師団は、瞬く間に混乱と少数での孤立化に追い込まれていきます。
支援に当たっていた戦車も、森から現れては森に消えるフィンランド兵にはなすすべがなく、いくつもの少数に分割させられた第163師団は、もはや師団としての戦力は無くなったも同様でした。
戦車は燃料がなくなり、兵士も馬も食料がなくなり、そして飢えと寒さで死んでいったのです。
残った戦車とトラック、そして大砲は、フィンランド軍の手に落ちました。
第163師団と同様の運命が、足止めされていた第44師団にも襲いかかりました。
年が明けた1940年1月5日から始まった第44師団に対する攻撃は、またしても「モッティ戦術」の勝利に終わり、ウクライナから派遣された優秀な兵員で構成されていたはずの部隊は、まさに雪の中に溶け込むように消えていったのです。
スオムスサルミ村は救われたのでした。
- 2008/10/27(月) 20:36:51|
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うーん、フィンランド軍かっこいい。
こういう状況を、ゲームプレイ中に自分が再現できたら、楽しいでしょうね。
ところで、突撃砲の運用を教えていただいたのに、お礼も申し上げないままで、大変に失礼しました。どうぞご寛恕ください。
- 2008/10/27(月) 22:56:33 |
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- うおP #-
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現代の戦術なら爆弾落として焼き払うんでしょうが、この頃は足の長い爆撃機も無かったでしょうから、辛い戦いだったんでしょうね。
爆弾の性能の問題もありますしね(汗)
- 2008/10/27(月) 23:11:52 |
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- 神代☆焔 #-
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>>うおP様
分進合撃とか、電撃戦とか、うまくできれば面白いでしょうねぇ。
相手を翻弄しゲームに勝つ。
これぞウォーゲームの醍醐味かも。
運用法についてはざっとしたものですので、たいしたものではありませんから礼などいりませんですよー。
>>神代☆焔様
現代でも空爆で森に潜むゲリラを根絶するのは難しいのではないでしょうか。
アメリカもベトナムでさんざんやられましたしね。
空爆で森をすべて焼き払うつもりで無ければできないでしょう。
もっとも、今それやったら世界各国から孤立するでしょうね。(笑)
- 2008/10/28(火) 19:06:50 |
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- 舞方雅人 #-
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