昨日の後編です。
それではどうぞ。
「蟲って・・・いったい何のことなの? カブトムシか何か?」
違う・・・
そんなものじゃない・・・
私は直感的にそう思う。
土野坂君のいつもとは違う妙な圧迫感に私は内心おののいていた。
一刻も早くここから去りたい。
私は心底そう思っていたのだ。
「ハハハハ・・・カブトムシねぇ・・・先生、ボクがそんなもの飼っているように思う?」
私は首を振る。
この子が言っている蟲は違うもの。
きっと見たことのないおぞましい蟲のような気がするわ。
「だよねぇ。先生だってそう思うでしょ? ボクが言う蟲はカブトムシなんかじゃないって」
にたにたと笑っている土野坂君。
お願い・・・
もう赦して・・・
私をここから帰して・・・
「先生ってさ・・・結構ボクに優しかったよね。いじめられているボクをそれとなく気遣ってくれたでしょ? あれって、やっぱり教師の義務感から?」
「ち、違うわ。私は土野坂君のことが心配だったから・・・」
じわっと汗がにじんでくる。
なんだろう・・・
とてもいやな雰囲気だわ・・・
襲われるとかじゃない・・・
何かもっと別の・・・恐怖・・・
「ふーん・・・それはうれしいな。ボク、先生のこと気に入っているんだよ。美人で優しいし。でも、昨日はがっかりしたな」
「昨日って・・・あのこと?」
第二体育館裏の覗き見のことだわ。
いや、確かに土野坂君が覗いていたところを確認したわけじゃないけど・・・
「うん。先生ったら、ボクは覗きなんかしていないって言ってるのに信じてくれなかったよね。あれはボクすごく傷ついたんだから」
「ご、ごめんなさい。そのことは謝ります。でも、土野坂君が誤解されるようなことを・・・」
「もういいよ」
私が頭を下げようとしたのを土野坂君は押しとどめる。
もういいって?
どういうこと?
「先生も所詮ボクの味方じゃなかったんだ。ボクのことを信じてくれていたわけじゃないんだ。ボクがこんなふうだから覗きをするような奴だと思っているんだ」
「ち、違うわ。そんなことは決して・・・」
「もういいよ。ボク決めたんだ。もう決めたんだ」
土野坂君の口元にまたしても不気味な笑みが浮かぶ。
「な、何を・・・」
私はもうどうにかして逃げたかった。
笑われるかもしれないけど、とにかくこの子が怖かったのだ。
「先生を嫌いになりたくないからさ。どうしたらいいのかって考えたんだ。そしたらわかったんだ」
わかった?
いったい何がわかったというの?
「先生をボク好みの女にしちゃえばいいんだ。ボクの言いなりになる蟲にしちゃえばいいのさ。そうしたら蟲使いであるボクには逆らえない。先生はボクのものになるんだ」
ケタケタと笑い出す土野坂君。
その笑いは狂気じみている。
狂っているんだ。
ちょっとどころじゃない。
この子は狂っているんだわ。
「ひっ!」
私は思わず悲鳴を上げる。
土野坂君の足元に、いつの間にか巨大なゴキブリが姿を現したのだ。
とても巨大。
10センチ近くもあろうかというもの。
とても普通のゴキブリじゃないわ。
「ふふふふ・・・」
土野坂君が手のひらを上に向けて差し出す。
するとそのゴキブリが翅を広げ、土野坂君の手のひらに飛び乗った。
「ひいっ」
私は思わずあとずさる。
この手の虫は大嫌いなのよ。
とてもじゃないけど勘弁して欲しい。
「先生、これを大きなゴキブリなんかだと思っているでしょ? 違うんだよ。これは魔妖蟲って言ってね。これでも魔物の一種なのさ」
にたにたと笑いながら手に載せたものを私のほうへ差し出す土野坂君。
私は身震いしてまた下がる。
「そんなに嫌うことはないよ。可愛いのに」
そんなはずない、可愛くなんかない。
「これね。人間の肉も大好物なんだ。大勢でよってたかれば人間一人ぐらいペロッと食べちゃうんだよ」
「そ・・・そんな・・・」
「安心して。先生を食べさせたりはしないよ。先生にはこっちさ」
土野坂君が手のひらを振ると、ゴキブリめいた虫が消える。
ど、どうして?
替わりに彼の手のひらには、毒々しい翅を持った蛾のような虫が乗っていた。
「これも魔蟲の一種でね。変化蟲と呼んでいるんだ。この蟲の毒に犯されるとね、人間も一種の魔蟲になっちゃうのさ」
「嘘・・・嘘でしょ?」
「嘘じゃないよ。でもね、毒に耐えられるかどうかが問題なんだ。毒に耐えられないと躰中が腐って死んじゃうんだよ。先生は大丈夫だといいなぁ」
いかにも可愛いというように手のひらの蟲を撫でている土野坂君。
いやだ・・・
いやだいやだ・・・
「いやぁーーっ!」
私は入り口に向かって駆け出した。
もうダメだ。
私にはこの子にこれ以上付き合うことはできない。
担任なんてもういやだ。
お願いだからここから出して。
リビングから廊下に駆け込み、玄関まであと少しというところで、私は首筋に鋭い痛みを感じた。
躰が急激にしびれ、そのまま廊下に倒れこんでしまう。
仰向けになった私の目の前を、あの蛾のような虫がひらひらと飛んでいた。
刺されたんだ・・・
躰が動かない。
呼吸が苦しい・・・
心臓がどきどきしている。
死に・・・たくない・・・
死にたく・・・ないよぉ・・・
朦朧とする意識の中、私は土野坂君の笑う声を聞いていた。
「うう・・・ううう・・・」
苦しい・・・
躰がきしむ・・・
あちこちが痛い・・・
ミチミチと異様な音がする・・・
背中で何かが広がっていく・・・
「あぐう・・・」
息ができない・・・
助けての言葉が出ない・・・
どうなってるの?
私はいったいどうなっているの?
******
暗い・・・
とても静か・・・
ここはどこ?
私はいったい?
「ふふっ」
誰かの笑い声・・・
誰だろう?
どうして笑っているのだろう?
「よかったね、先生。先生は人魔蟲になったんだよ。毒に耐えたんだ」
先生?
人魔蟲?
私のこと?
「ほら、お腹すいただろ? 餌持ってきてあげたよ」
ゴトッと音がして、私の脇に何かが置かれる。
暗闇に目が慣れてきた私は、それが白い布にくるまれた何かだということがわかった。
いくつもの像が一つに結ばれ、じょじょに周りが見えてくる。
暗闇だったはずなのに、だんだん明るく見えてくる。
「複眼に慣れてきたようだね。はっきり見えるようになってきたんでしょ」
複眼?
何のことだろう?
それよりも私は脇に置かれた包みの中が気になった。
私の額でふるふると震えるものが、包みの中からいいにおいがしていることを知らせてくる。
お腹がすいた。
食べたい・・・
包みの中の物を食べたいわぁ・・・
「いいんだよ。遠慮しなくて。先生はボクの大事な人魔蟲だからね。他の蟲たちよりも優先権があるのさ」
私は上半身を起こして床にぺたんと座りなおすと、両手の爪で布を切り裂いた。
中からはうつろな眼をして空を見据えた人間の生首が姿を見せる。
私はそれを抱きかかえるようにして舌を伸ばし、キリのように尖らせて目玉に差し込むと、中の液体を吸い尽くす。
甘美な味が私を喜ばせ、私はもう一つの目玉も吸い尽くすと、さらに奥のほうへと舌を伸ばした。
そこには脳があり、ネトッとしたクリームのような感触が舌を通じて伝わってくる。
美味しい・・・
私は夢中で脳を舐め取り、中が綺麗に無くなったところで持ってたものをほうり捨てた。
「ふふふ・・・美味しかったかい先生?」
私はこくんとうなずく。
こんな美味しいものは今まで食べたことがなかった。
どうして食べなかったのか不思議だ。
「でも不用意に人間を食べちゃダメだよ。ボクがいいといったときだけ食べるんだ。いいね?」
私はもう一度こくんとうなずく。
この方には逆らえない。
この方はマスター。
私は従わなければならない。
「さあ、立ってこっちにおいで」
私はゆっくりと立ち上がる。
躰にまとわり付く布切れが邪魔で爪で引き裂いていく。
布切れがなくなると、すごくすっきりした気分になった。
背中の翅も思い切り広げられる。
気持ちいい・・・
私はすごくうれしくなった。
「綺麗だよ先生。すごく綺麗な人魔蟲だ。ごらん、自分の姿を」
姿見が私の姿を映している。
鮮やかな極彩色の翅が背中に広がり、大きな目のような黒丸が中心に乗っている。
細かな毛がふわふわと胸と下腹部を覆い、額からは長い触角が伸びていた。
「これで先生はボクのもの。ボクね、妖魔と取引をしたんだ。蟲使いになる代わりに、蟲を使って人々に恐怖を広めるって。妖魔は人間の恐怖が好きらしいよ」
私は黙ってこの少年の言うことを聞いていた。
でも思い浮かぶのはさっきの美味しい食事のことだけ。
次に人間を食べていいのはいつかしら・・・
早く食べたいわぁ・・・
「明日からは人間に擬態して今までどおり振舞うんだよ。ちゃんとやればご褒美に人間を食べさせてやる。ボクをいじめた奴らを食べさせてやるからね」
私は思わず舌なめずりをしてしまう。
人間を食べられる。
なんてうれしいのかしら。
「そして体操部の女子を連れてくるんだ。彼女たちも人魔蟲にしてボクのものにするんだ」
少年が笑っている。
きっとうれしいことなんだ。
私は少年の命じるままに人間の姿に擬態する。
そして巣に戻って待機する。
日が昇れば少年の言うとおりに擬態して学校に行く。
ちゃんとやればご褒美がいただける。
私はご褒美を楽しみにして、つかの間の眠りに就くのだった。
END
こんな感じの話しになりましたがいかがだったでしょうか。
よければ拍手コメントなどいただけるとうれしいです。
それではまた。
- 2008/10/11(土) 19:42:42|
- 異形・魔物化系SS
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