第二次世界大戦も3年目に入った1941年。
ヒトラー率いるナチスドイツは満を持して6月にソ連侵攻作戦「バルバロッサ」を開始しました。
作戦は比較的順調に進み、ソ連軍は各所でドイツ軍に敗退。
このまま行けばヒトラーの目論みどおりに「ドアひと蹴り」でソ連は崩壊するのではとも思われました。
しかし、ソ連奥地に攻め込んで行くに従い、季節は秋に。
やがて秋の雨がソ連の貧弱な未舗装道路を泥沼へと変えてしまいます。
長靴も取られるような粘り気のある泥濘は、履帯で走る戦車やハーフトラックならまだかろうじて走ることができましたが、車輪で走る普通の乗用車やトラックはとても走ることができないようなものでした。
そうなれば前線に物資を運ぶトラックは立ち往生し、物資が前線には届きません。
物資がなければ戦車も兵も戦えず、ドイツ軍の進撃はストップしてしまったのです。
このことはソ連との戦争を早期に終わらせたかったドイツ軍にとっては大きな問題となりました。
結局ソ連は1941年の冬を生き延び、独ソ戦はさらに続くことになったのです。
翌1942年。
ドイツ軍は春と秋の泥濘期にトラックに替わる履帯式の輸送・牽引用車輌が必要と言う認識から、シュタイアー社に開発が命じられました。
シュタイアー社には速度はそれほど求めないが低コストで量産性に優れ、泥濘や深雪の中でも問題なく走れる車輌を開発せよとの指示が出され、それに基づいて新型の履帯式車輌が開発されました。
それが「ラウペンシュレッパーオスト(東方用装軌式車輌)」略してRSOでした。

RSOはエンジンは量産中の軍用大型乗用車のをそのまま流用し、転輪はプレス式の生産が簡単なものが用いられ、片側四つの転輪をまとめて一つのリーフスプリングで支えるなどとても簡易で低コストな機構でまとめられておりました。
最低地上高も高く取られ、少々のことでは腹をこすらないようにもされておりました。
こうして完成したRSOは泥濘期には無類の強みを発揮しました。
乗用車やトラックでは全く走れないような泥道でも、RSOなら難なく走ることができたのです。
大砲の牽引などでもRSOは泥や雪の中を縦横無尽に走ることができました。

しかし、履帯式を選んだことで、最高速度は低いものにならざるをえませんでした。
RSOは最大でも時速17キロほどしか出すことができず、夏の道ではかえって足手まといなほど低速だったのです。
そのため、戦争後半になって撤退戦闘が多くなると、多くのRSOがその低速ゆえに逃げ切れず撃破されることが多くなったと言います。
ですが、ソ連の悪路ばかりではなく状況のよくない路面での移動には充分な能力を持っていたRSOは前線には欠かせない車輌でした。
ドイツ軍はシュタイアー社だけではなく数社に量産を命じ、終戦までに2万7千輌以上もが生産されたと言います。
ドイツ軍の縁の下の力持ちとして、RSOはその能力を充分に発揮した車輌といえるでしょう。
今日はこんなところで。
それではまた。
- 2014/12/26(金) 20:58:53|
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