第一次世界大戦で各国の軍隊は戦車というものの威力を知りました。
そこで、戦後各国は自軍の装備として戦車を導入しようと図りましたが、自国で戦車を開発装備できる国は限られており、多くの国は戦車生産国より購入するなり、あるいはある程度の工業力のある国ではライセンス生産なりを行おうとするのが主でした。
第一次世界大戦後は多くの国で軍縮の動きが大きかった時代であり、戦車も小型軽量でコストの安いものが人気でしたが、中でも第一次世界大戦で戦車の形を決定付けたフランスのルノーFT戦車が大戦中に大量生産されていたこともあり、格安で輸出されていたことから多くの国でルノーFTは採用されておりました。
しかし、1920年代に入ると、第一次大戦の製品であるルノーFT戦車も旧式化が目立つようになってしまいます。
そこで、英国ヴィッカース社は、各国のルノーFT更新を狙って小型軽量の新型戦車を開発します。
この新型戦車は6トン戦車と呼ばれ、まさに狙い通りカーデンロイドの機関銃搭載ミニ戦車やルノーFT戦車の後継を考えていた各国に採用され、一大ベストセラー戦車となりました。
第一次世界大戦後、正式に独立国となったポーランドも、陸軍の近代化の一端としてこの英国製ヴィッカース6トン戦車を購入することに決定し、さらには国内でのライセンス生産権も手に入れることができました。
英国から購入したのはヴィッカース6トン戦車の中でも機関銃の銃塔が左右に二個付いている双砲塔(正確には銃塔ですが)型と呼ばれるもので、38輌を手に入れたといいます。
ヴィッカース6トン戦車にはこのほか47ミリ砲を搭載する砲塔一個のタイプもあり、単砲塔型と呼ばれますが、そちらは購入はせず、ライセンス生産する予定だったのかもしれません。
ライセンス生産権を手に入れたことから、ポーランドでは早速この6トン戦車のライセンス生産を行うことにしましたが、この際ポーランドではただそのままヴィッカース社の製品を模倣するのではなく、独自の改良を加えることにいたします。
中でも大きな改良はエンジンの変更でした。
オリジナルのヴィッカース6トン戦車は80馬力のガソリンエンジンでしたが、これを国産の110馬力ディーゼルエンジンへと変更したのです。
この変更によりエンジンルームが大きくなって、オリジナルでは戦闘室部分とエンジンルームに段差があったものが、ポーランド製ではエンジンルームの高さがアップし段差がなくなりました。
また、装甲厚もやや増やされ、それに伴って重量も増えたため、足回りも強化されました。
こうして完成したポーランド版6トン戦車は、7TPと呼ばれ、ポーランド軍に採用となりました。
7TPは初期にはヴィッカース6トン戦車と同様に機銃塔二個の双砲塔型が製造されましたが、のちにはポーランドでライセンス生産されていたボフォース社の37ミリ砲を搭載した砲塔一基の単砲塔型へと生産が移りました。

(双砲塔型:機関銃の銃塔が左右にあります)
この37ミリ砲搭載の7TPは1937年末ごろから生産が開始されたといいますが、まさに当時のポーランド軍の戦車の中では最強と言っていい戦車でした。
1939年に第二次世界大戦が始まりますが、当時のドイツ軍の主力戦車が機関銃だけの一号戦車や、20ミリ機関砲の二号戦車であったことを考えれば、この単砲塔型の7TPはかなりの強敵であっただろうことは想像に難くありません。

(単砲塔型:主砲は37ミリ)
しかし、残念なことに、この単砲塔型7TPは数が少なすぎました。
第二次大戦が始まった時点で、ポーランド軍が装備していた7TPはわずかに130輌から140輌ほどに過ぎず、そのうち単砲塔型は多くても100輌前後しかなかったのです。
結局ポーランド軍はドイツ軍とソ連軍に蹂躙されてしまいました。
7TPも多くの場合活躍できずに破壊されるか鹵獲されてしまいました。
ですが、わずかばかりの単砲塔型7TPはドイツ軍の戦車を多数撃破し、その能力の高さを見せ付けたといいます。
ソ連のT-26戦車同様、この7TPもヴィッカース6トン戦車系列で活躍した戦車だったといえるのではないでしょうか。
今日はこんなところで。
それではまた。
- 2014/04/28(月) 21:02:26|
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