先日、昔の「歴史群像」誌を読み返していたところ、明治期から昭和初期にかけての日本陸軍の軍馬についての記事がありました。(2001年4月号)
その記事によりますと、明治期の日本軍は軍馬に非常に苦労したらしいですねぇ。
明治維新は欧米の歴史で言えばクリミア戦争やアメリカ南北戦争とほぼ同時期でありましたが、当時は当然欧米各国でも軍の機動力の大きな部分は馬匹が占めておりました。
将校や騎兵を乗せ、大砲を引っ張り、補給物資を運搬するのはほぼ馬匹だったのです。
そのため、欧米では長い間をかけて馬匹の改良が行なわれ、騎兵や将校用の乗馬、大砲や物資を牽引する輓馬、背中に物資を載せる駄馬とその任務に適した馬匹を生産しておりました。
しかし、日本はそのような習慣がなく、また日本馬自体が小柄だったこともあり、こうした任務に使うには非常に困難があったそうです。
また、日本は去勢の習慣がなかったため、去勢をしておとなしくさせるということができなくて、馬の運搬や移動にはこれまた大きな苦労を強いられたといいます。
一例を挙げると、欧米の軍馬は鉄道移送をするときに一輌の貨車に15頭から18頭を載せることができ、面倒を見る馬係の兵士も一輌に一人二人ですんだものが、日本馬の場合は一輌に5頭しか載せられず、しかも噛み合ったりしないよう間仕切りをしなくてはならず、馬係の兵士も馬の頭数以上に乗せなくてはならないほどだったそうです。
このような日本馬は欧米軍隊からは「日本軍は馬のような猛獣を使役している」とまで言われたそうで、実際野生のような日本軍馬は、日露戦争時にはロシア軍の牝馬に欲情していななき、その居場所を教えてしまうようなこともあったとか。
日本軍もこれではいけないということで、馬匹の改良を進めるようになったそうですが、欧米の馬を輸入して種牡馬とし、国家的事業として馬匹の改良を行なっていったそうです。
その結果、小柄だった日本馬の体格もじょじょに大柄となり、性質も温和になっていったといい、昭和期の日本陸軍の軍馬はほぼ欧米の軍馬に引けは取らなくなったそうです。
第二次世界大戦は軍の多くの分野で機械化が進んだ戦争でしたが、米軍以外の軍ではまだまだ馬匹も重要な移動・移送手段でした。
そんな重要な軍馬をわずか数十年で欧米並みに改良できたことは、たいしたものだったと言えるのではないかということでした。
今日はこんなところで。
それではまた。
- 2013/09/30(月) 21:03:40|
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