
明日はもう5月だというのに、我が家の裏の公園にはまだこんなに雪が残ってます。
例年だともうとっくに消えているので、いかにこの冬が雪が多かったかってことでしょうかね。(^_^;)
さて、今日は趣味の話題。
第二次世界大戦前、ドイツは来るべき戦争においての装甲師団の中核となる機動性の高い戦車として、三号戦車の開発を行なっておりました。
しかし、この機動性を求められたことが逆に足かせとなり、第二次大戦勃発時においても、三号戦車はまだ試作から先行量産の域を出ない段階でした。
ようやくE型で足回りが確定し、F型から本格的な量産が始まりましたが、そのときにはすでに電撃戦の主役は一号戦車や二号戦車、チェコ製の38(t)戦車などに奪われてしまっておりました。
G型、H型を経てようやくドイツ軍の装甲師団の中核に収まった三号戦車でしたが、今度は思いもしない事態に直面してしまいます。
バルバロッサ作戦でソ連に攻め入ったドイツ軍が初めて出会った相手、T-34戦車でした。
T-34は傾斜装甲を持ち、強力な76ミリ主砲を備えた戦車で、当時のどの国の戦車よりも強力でした。
ドイツ軍の三号戦車は50ミリ砲を備えておりましたが、この砲では正面からT-34の装甲を撃ちぬくのは難しく、ドイツ軍は乗員練度などのチームワークで何とかT-34に対抗するしかありませんでした。
三号戦車はJ型の後期から主砲をより長砲身にして何とか対抗しようといたしますが、やはり50ミリ砲ではT-34に対抗するのは難しく、長砲身75ミリクラスの主砲が必要でした。
しかし、三号戦車はコンパクトに作られていたこともあり、長砲身75ミリ砲の搭載は難しいものでした。
そのため、一回り大きな四号戦車が長砲身75ミリ砲を搭載し、じょじょにドイツ軍の主力になっていくことになります。
三号戦車は結局ドイツ軍の主力として活躍できたのはほんの一時しかありませんでした。
ところが、今までドイツ軍では対戦車戦闘を三号戦車が、歩兵支援を四号戦車や突撃砲が担ってきておりましたが、突撃砲や四号戦車がその主砲を長砲身化して対戦車戦闘を行なってくるようになると、歩兵を支援する75ミリ短砲身砲を備えた支援車輌がいなくなってしまいました。
これは歩兵にとりましては結構切実で、前線では歩兵支援車輌を求める声が日増しに高まることになったのです。
また、今まで四号戦車や突撃砲が装備していた短砲身75ミリ砲は、装備されなくなってしまったために在庫がまだある状態でした。
せっかくある在庫を使わないのはもったいなく、また歩兵支援車輌が少ないという切実な問題もあり、この短砲身75ミリ砲を活用しようということになります。
そこで選ばれたのが、主力の座から退くことになった三号戦車でした。
長砲身の75ミリ砲は無理でも、短砲身の75ミリ砲なら何とか搭載することができたのです。
こうして三号戦車は、新たに短砲身75ミリ砲を搭載した歩兵支援用のN型が生産されることになりました。

この短砲身75ミリ砲を搭載したN型は、榴弾によって歩兵支援を行なうことはもちろん、成型炸薬弾(HEAT)によって対戦車戦闘を行なうことも可能でした。
そのバランスの取れた性能は補助車輌としては最適で、初期の重戦車大隊では、数のそろわないティーガーに代わって、一部の中隊をこの三号N型が占めるほどでした。
三号戦車N型は、J、L、M型の車台を利用して作られたほか、前線から修理のために送られてきた50ミリ砲搭載の三号戦車からも主砲交換が行なわれ、最終的に700輌ほどが製造されました。
このN型によって歩兵支援車輌がある程度まかなわれたことで、前線の歩兵たちは大いに喜んだといいます。
最初は37ミリ砲を搭載して始まった三号戦車の系譜は、戦争の進展に合わせて50ミリ砲へと進化し、最後は短砲身とはいえ75ミリ砲を搭載するまでに至りました。
しかし、ドイツ軍の一番輝かしい時期に数がそろわなかったという不運が、最後まで三号戦車にとっては残念だったのかもしれませんね。
それではまた。
- 2013/04/30(火) 21:09:45|
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