第二次大戦が始まる前、オーストラリアは自国の航空産業育成ときな臭くなる国際情勢に備えて軽爆撃機兼高等練習機となる「ワイラウェイ」という機体をアメリカのノースアメリカン社に開発してもらい、ライセンス生産を始めておりました。
しかし、実際に1941年12月に太平洋戦争が始まりますと、「ワイラウェイ」しか近代的軍用機がないという状況はオーストラリアにとって望ましくない状況であることは至極当然のことでした。
そのためオーストラリア政府は早急に新型軍用機、特に戦闘機を手に入れようと躍起になりましたが、すでに欧州では第二次世界大戦が始まっており、宗主国の英国はとてもオーストラリアのために戦闘機を輸出できるような状況ではなく、またアメリカも日本と戦争が始まってしまったことから、やはりオーストラリアに戦闘機を輸出できる状況ではありませんでした。
そこでオーストラリアは引き続き輸入の道を探ると同時に、戦闘機の自国開発を模索します。
幸いなことにオーストラリアのコモンウェルス社は航空機エンジンのライセンス生産も行っており、戦闘機用のエンジンも何とかなりそうでした。
コモンウェルス社では「ワイラウェイ」をライセンス生産していることもあり、その「ワイラウェイ」をベースにした戦闘機を開発することに決定。
ノースアメリカン社とのライセンス契約が「ワイラウェイ」の設計を変更しても良いという契約になっていたことも幸いでした。
コモンウェルス社は「ワイラウェイ」の主翼や尾翼はそのままにして、胴体を新設計にした上でエンジンを強力にした新型戦闘機を開発しました。
新胴体はずんぐりと太く短めで、どちらかというとグラマンF4FやブリュースターF2Bバッファローに似た感じの戦闘機として完成した新型戦闘機はCA-12という番号を与えられましたが、この試作機が完成するまではわずかに5ヶ月ほどという驚異的なスピードでした。
CA-12は20ミリ機銃2挺に7.7ミリ機銃2挺という当時としては結構な重武装で、200キロほどの爆弾を搭載することもできました。
最高速度は時速490キロとそれほど速いものではありませんでしたが、オーストラリア空軍はこのCA-12を採用し、原住民の使う武器の名を取って「ブーメラン」と名付けました。

「ブーメラン」は1942年10月から部隊配備が始まり、1943年には戦場に姿を現すようになりましたが、残念なことにやはり速度性能や高高度性能などが劣ることが判明し、戦闘機として日本軍戦闘機と空戦をするようなことにはなりませんでした。
しかし、低高度での運動性や爆弾搭載能力などから対地攻撃機としては充分な能力があるとされ、日本軍から制空権を奪ったあとのニューギニア戦線などでは日本軍地上部隊に対する攻撃に使用されました。
「ブーメラン」は各型合計で約250機が生産されました。
戦闘機としては能力不足でしたが、対地攻撃機としては重宝され、パイロットの評判もよかったそうです。
正直まったく存じなかった戦闘機でしたが、こんな機体もあったんですね。
それではまた。
- 2013/01/20(日) 20:58:24|
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