第二次世界大戦中の1942年。
アメリカ陸軍航空軍は、ドイツ本土爆撃に際し長距離爆撃機B-17やB-24に随伴して護衛を行なう長距離戦闘機が手元にないことに不安を抱いておりました。
一方航空機部門にも力を入れていたゼネラル・モーターズ社では、既存の量産航空機の部分品を使用することで価格を安くかつ手っ取り早く高性能機を製造できるとして、陸軍航空軍に申し入れておりました。
そこで陸軍航空軍ではゼネラル・モーターズ社に長距離戦闘機の試作を依頼することにし、同社と契約を結びました。
ゼネラル・モーターズはこれを受け、カーチスP-40の主翼外側部分、ダグラスSBDの後部胴体、チャンスヴォートF4Uの主脚部分等を流用するなどして設計を進めます。
これにアリソン社のV3240エンジン(2885馬力)を搭載し、二重反転式プロペラで機体を飛ばそうというものでした。
さらに武装には12.7ミリ機関銃を胴体と主翼に合計10門搭載し、強力なエンジンと強力な武装でドイツ機を圧倒する予定でした。

設計上は特に問題はないとされたこの機体でしたが、1943年11月に試作機が完成してみると、やはりというかいろいろと問題点が出てくることとなります。
エンジンの冷却能力不足や振動、機体重心位置の異常等根本的な問題点が出てきた上、性能も予定したほどのものではないという残念なものでした。
ゼネラル・モーターズと米陸軍航空軍では、それでもこの機体に代わる長距離戦闘機がこの時点ではまだ見当たらなかったために改良を続けようといたします。
そして1944年には量産機もわずか10機ほどですが製造されました。
しかし、やはり根本的な改善にまではいたらず、さらにP-51やP-47などの護衛戦闘機が爆撃隊に随伴するようになってきたため、ついに開発は中止されてしまいました。
量産機には一応P-75というナンバーも「イーグル」という愛称も付けられたこの戦闘機でしたが、やはり既存機の組み合わせで高性能機を作るというのは難しかったようです。
自動車のように既存パーツを組み合わせて新型車を作るというわけにはいかなかったんでしょうね。
今日はこれにて。
それではまた。
- 2012/06/20(水) 21:03:00|
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