第二次世界大戦前、まだ航空母艦の価値がそれほど認識されていなかったころ、英国では海上での航空優勢確保のためには水上機母艦による水上機が一定の働きをすることが必要と考えられておりました。
しかし、北海や北大西洋のような波の高い海面では水上機の運用はしづらく、また水上機自体も空気抵抗の塊のようなフロートをつける必要性から、どうしても陸上機に一歩及ばないものになってしまう弱点がありました。
しかし、第二次世界大戦も中盤になってくると、対独戦にも余裕が出て来始めるようになり、さらには対日戦も考えなくてはならなくなってきます。
そこで英国は、太平洋でならば水上機でも活躍の場があるのでは考え、飛行艇の製作に定評のあったサンダース・ロー社に空軍が使用する水上戦闘機の開発を命じます。
これに対しサンダース・ロー社ではこの水上戦闘機を新型のジェット機で開発しようと考えました。
これは今までの水上機がプロペラが水をかぶるのを防ぐためにプロペラの位置を高くしようと機体の下部にフロートを付けていたのに対し、ジェット機であればその必要がなくなって飛行艇形式で水上戦闘機が作れると見たからでした。
サンダース・ロー社はこうして飛行艇形式の水上ジェット戦闘機というあまり例のない戦闘機を開発することになりましたが、飛行艇製作を主に手がけてきた同社にとってもこれはなかなか大変なことだったらしく、試作機が初飛行を行なったのは、すでに第二次大戦が終結して二年も経った1947年7月のことでした。
試作機は三機ほど製作され、試験では良好な成績を収めました。
ジェットエンジンを双発で搭載したこれらの試作機はSR.A/1というナンバーが与えられましたが、20ミリ機関砲を四門も搭載し、米空軍のジェット戦闘機P-80(F-80)シューティングスターに匹敵するほどの優秀な機体だったといいます。

しかし、第二次世界大戦が終結してしまった当時においてはもはや水上戦闘機の活躍の場はありませんでした。
さらには水上機でなくても航空母艦があれば海上での航空優勢が確保できることが証明されてしまっておりました。
結局1951年に計画は終了し、SR.A/1は正式採用されないまま開発が打ち切られました。
性能的には悪くない機体でしたが、やはり活躍する場がもうなかったのです。
この機体もまた登場するタイミングが遅すぎた機体だったのかもしれませんね。
それではまた。
- 2012/06/16(土) 20:58:37|
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