2500日記念SS「しずく」の四回目です。
それではどうぞ。
頭がぼうっとする。
体が熱い。
くそっ!
薬が強烈に効いてくる。
意識が朦朧としてくる反面、俺は目の前の男の言葉を一言も聞き漏らすまいとしている自分に気がついた。
なんてこった・・・
「落ち着いてください。別にあなたの命を奪ったりはしませんよ」
ドッジがそう言ったとたん、俺はすうっと心が落ち着くのを感じた。
やられた・・・
「さあ、とにかく椅子を元に戻して座りなさい。わかったでしょう? あなたはもう私の言いなりだということが」
俺は彼の言うとおりに椅子を元に戻して座りなおす。
抵抗しようとしても無駄だった。
彼の言うことには無条件で従ってしまう。
彼の言うとおり、俺は彼の言いなりになっていたのだ。
俺に薬を注射した女が俺の目を覗き込んでくる。
「“しずく”の効果は問題ないようです。いつもながら強力ですね」
「原液を注射すればこんなものだろう。どうやら特に耐性をつけている様子もないしな」
何のことだかわからないが、どうやら俺は“しずく”と呼ばれる薬品を原液のまま注入されたらしい。
「さて、ミシェル君。今君の体に起こっていること、そして今ここで行われたこと、これからここで起こることすべて、いっさい人に話したり文字に書き記すなど記録してはならない。いいね」
ドッジの言葉が脳裏に突き刺さる。
俺は素直にうなづいていた。
彼に言うことに逆らうことはできない。
くそっ、これはただの薬じゃない。
強烈な暗示薬、いや、洗脳薬だ。
「ではミシェル君、もう一度尋ねるが、君は何が目的でこのピューリティに侵入したのかな?」
「違う・・・俺はラヴィニアに向かうつもりでジャンプしたのだが、ジャンプミスでこの星系に飛び出してしまっただけだ」
「帝国偵察局の命令でここへ来たのではないのですね?」
「違う。俺はもう偵察局を退役した。今は新たに自由貿易商人として始めようとしていたところだ」
「ふむぅ・・・」
腕組みをして椅子に深く座り込むドッジ。
俺は彼の質問に次々と答えていく。
「どうやら本当に彼は何か密命を帯びてここに来たわけではないようだな」
「そうなのでしょうか?」
ドッジと脇にいる女性が話している。
「宇宙船のほうは調査が終わっているか?」
「はい。コンピュータからも一般的なプログラムしか検出されませんでした。また積荷も雑多な日用品と美術的価値のありそうなコインのみで特に気になるものは何も・・・」
「そのコインも分析したか?」
「はい。何か仕掛けられているようなことはございませんでした」
「ふうむ・・・」
考え込んでいるドッジ。
俺に語りかけられた言葉ではないので、俺は黙って彼を見つめている。
「あのような小さな宇宙船で一人で乗り込んできたから怪しいと感じたのだが、どうやら考えすぎだったようだな。帝国が我が国の動きを探るために何か仕掛けてきたかとも思ったが・・・」
「この男、いかがいたしますか? 始末いたします?」
「その必要はあるまい。元帝国の偵察局員というだけでどうやら毒にも薬にもならん無害な男のようだ。さっさとピューリティを出て行ってもらったほうがいいだろう」
「はあ・・・大丈夫でしょうか?」
不安そうな表情を浮かべる女性。
「なに、ここでのことは外部に漏らさぬよう焼き付けておけばいい。深層心理を調べたりしなければばれることはないさ。むしろバクールにある帝国の偵察局の分署が何らかの形でこの男の消息を尋ねてきたりしたときに、この男が生きていたほうが都合が良い」
酷薄そうな笑みで答えるドッジ。
くそっ、こんな男に俺は唯々諾々と従わなくてはならないのか・・・
「よく聞くんだ、ミシェル」
俺の目を覗き込むようにするドッジ。
一般的に見てもかなりの美形に属するであろうその顔は、おそらく女性にはもてるに違いない。
「君は当面何も考える必要はない。私の指示に従って宇宙船を飛ばせばいい」
俺は黙ってうなずく。
「君の宇宙船はジャンプミスをしてここにたどり着いた。君はわれわれピューリティ連合に救助を求め、救助を受けることができた。そして宇宙船の整備と補給を受けてこの星を出発した。特に何も問題となるようなことはなかった。いいね、ここでのことをだれに何を尋ねられてもそう答えるんだ」
ドッジの言葉が俺の脳に焼き付いてくる。
くそっ・・・
これで俺は彼の言うとおりのことしかここでのことは答えられないってわけか。
「もう一度言っておくが、ここで君の身に起きたこと、君がわれわれにされたことは誰にも話したり記録して伝えてはならない。わかったね」
俺は再度うなずいた。
「君はこれから船荷を積んでプルガトリィまで行くがいい。そしてそこで積荷を降ろしたらあとはどこへでも好きなところへ行くんだ。ただし、帝国からは離れる方向へ行け。いいな」
「わかりました」
俺はそう返事をした。
くそっ、癪だが薬の影響なのか逆らう気持ちがまるで起きない。
いまだって毒づいてはいるものの、彼に従うのが当然という意識が強いのだ。
こいつら、とんでもない薬を持ってやがる。
「エイリア、次のプルガトリィ行きの連絡船に載せる荷物を少しこの男の宇宙船に移してやれ。それから燃料等も補給してやるんだ」
「よろしいのですか?」
ドッジの傍らの女性が確認する。
彼女の名はエイリアというらしい。
知的な感じで好感が持てる女性だ。
「かまわん。われわれはあくまでも遭難者の救助をしたのだ。手厚く保護して送り出したことにすればいい。プルガトリィまでは君も行け。この男の監視はもう必要ないとは思うが念のためだ。それとプルガトリィの様子も見てくるんだ」
「かしこまりました」
エイリアと呼ばれた女性が一礼した。
******
程なくして俺は解放され、なつかしの我が家とも言うべき小型貨物船「ガムボール」に戻ってくることができた。
とは言っても常にあのエイリアという女性がそばにおり、俺は監視されている。
傍から見れば美人と常に一緒にいる俺はうらやましい存在かもしれない。
事実、白いゆったりした衣装から機能的なビジネススーツのような衣装に着替えたエイリア女史は素敵だったことは間違いない。
だが、彼女の目は冷たく、俺は常に監視されているということを意識せずにはいられなかった。
「ガムボール」の船倉からは、カーナシュの宇宙港から預かった船荷はすっかり消えていた。
帝国製の物資なので、ピューリティ連合でありがたく受け取ったということになるのだろう。
船荷には万一のことを考えて保険をかける荷主が多いから、損をしたのはごく一部かもしれないが、俺としては申し訳ない思いがした。
今では4トン分のコインだけが残っていたが、どうやらこれはお気に召さなかったらしい。
バホート神信仰にはこういった美術品は余計なものなのかもしれない。
その船倉に次々と運び込まれる貨物。
俺はそれがなんなのかさっぱりわからないままに「ガムボール」に詰め込んでいく。
一度エイリア女史が驚いたような表情を浮かべていた貨物があったが、どうしたのかと尋ねるとはぐらかされた。
どうやら俺に知られてはならないものがあるらしい。
どうせ航海の間は暇なのだ。
後で調べてみることにしよう。
危険物ならたまらないからな。
船倉にはほかにも燃料が入ったままの増設タンクがある。
ラヴィニアまでの二回目のジャンプで使おうとしたものだが、一回目のジャンプでジャンプミスしてしまったので使わないであったものだ。
ライブラリデータによれば、このピューリティから行き先であるプルガトリィまでは2パーセク離れているらしいから、こいつの出番ということになりそうだ。
機関部は俺がいない間に整備をしてくれたらしい。
もしかしたら俺が帝国のスパイだった場合は俺を殺してこの船を使うつもりだったのかもしれないな。
ともあれ、俺はドッジの言葉が強迫観念にでもなってしまったかのように出航の準備を行った。
食料等も積み込んだが、幸いそれについての請求が来ることはなかった。
もしかしたらエイリア女史がドッジの特権で支払ったのかもしれない。
こうして俺はエイリア女史を乗せたまま「ガムボール」を出航させた。
******
プルガトリィに向けての一回目のジャンプに入り、ようやく俺は少し落ち着いた。
ジャンプに入ってしまえばピューリティ連合といえども手は出せない。
本当ならこのままどこかへ逃げて行きたいところだったが、あいにくこの周囲には親帝国の星系はなく、たとえあったとしても俺の脳裏に焼きついてしまったドッジの言葉が俺をそこに向かわせるのをためらわせただろう。
俺も多少の医学の心得があるが、あの“しずく”とやらは人間の脳神経系に作用する薬のようだ。
薬が効いている状態のときに言葉を与えると、それが強烈な暗示のように焼きついて、その言葉の通りに従ってしまう。
おそらく一回でこれほど強い効果があるなら、複数回使用することで思考そのものを捻じ曲げてしまう効果があるのではないだろうか。
そこまで考えて俺はハッとした。
地上には降りなかったからそれほど気にしなかったが、ピューリティは80億もの人が住んでいる人口の多い星系だ。
その80億の人々すべてにバホート神への信仰を持たせられるものなのか?
少なくともバホート神信仰に多少の疑いを持ってしまう人だっているのではないか?
そういう人たちにこの“しずく”とやらを与えれば・・・
心からバホート神を信仰し、そのためには命も捨てるような狂信者が作れてしまうのではないだろうか・・・
たった一回注射されただけで、俺はどうあってもプルガトリィに行き、そこから別の星に向かおうという気持ちになっている。
もし複数回使われていたら、俺はあのドッジに心から平伏し、彼の言うことなら何でもやったに違いない。
なんて恐ろしいことだ。
まさしく“しずく”は俺の感じたとおりの洗脳薬ということだ。
だが、そのことを俺はだれにも言う気にならない。
これもこの“しずく”のせいだろう。
ドッジにだれにも言うなと言われたから、俺はだれにも言う気にならないのだ。
そしてそれが薬のせいだとわかっていても、俺にはこのことをだれにも言う気になれなかった。
ジャンプに入った後の一週間は暇なものだ。
「ガムボール」には船室は二つしかなく、しかも食事や娯楽は共用スペースで済ませるしかない。
極端な話、船室とは名ばかりで、ベッドを置く区切られたスペースが二つあるだけといっていい状態なのだ。
この状況はエイリア女史にとっても予想外だったようで、通常の個室のある宇宙船を想定していた彼女にとってはつらいものだったろう。
ジャンプ空間という異空間の中ではどこにも行くことはできないから、万一俺が彼女の監視を逃れて何かしようとしても意味がない。
そのためかジャンプに入ってからは、彼女は区切られたベッドの区画で読書にいそしむことが多かった。
俺はそれをいいことに、時々機関部を見に行くといって下の階層へ行く。
最初のころは彼女も付いてきたが、機関部でただ作業をしている俺を見てても仕方がないと思ったのか、二日目ぐらいからは付いてこなくなったのだ。
俺はこの時間を使って積荷を調べてみた。
積荷の大部分は日常の生活物資だった。
中には書籍や食材なんかもあり、まるで何か誰かへの差し入れのような感じもする。
プルガトリィとはいったいどんなところなんだ?
総じて船荷におかしなことは感じられなかった。
確かに医薬品など開封厳禁のものもあったので中身までは確かめてないが、薬物などはむしろ開けることで危険となるかもしれないから開けないほうがいいだろう。
となると、エイリア女史のあの表情はいったいなんだったのだろうか。
******
ピューリティから1パーセクの何もない宇宙空間で一回目のジャンプは終了した。
俺は船倉に行って増加タンク内の燃料を船体内の燃料タンクに移し変え、二回目のジャンプに備える。
コンピュータに再びジャンプ準備の計算をさせ、準備が整ったところで二回目のジャンプを行った。
二回目のジャンプともなると、エイリア女史の態度も少しは和らいだ。
彼女はピューリティ連合では二級神官の資格を持っており、ドッジの秘書官を務めているという。
将来的には一級神官の資格を得て神殿府に勤めることが目標らしい。
俺はドッジのことを尊敬しているかと尋ねてみたが、彼女はドッジのことを尊敬できるすばらしい一級神官だと答えた。
何か面白くない気がする。
ピューリティを出発して二週間。
二回のジャンプを無事に終えて「ガムボール」は再び通常の宇宙空間へと戻ってきた。
窓外には小さな暗い惑星が見えている。
目的地であるプルガトリィに間違いない。
ライブラリデータによれば、空気も水も少ない星らしい。
一応ピューリティ連合の構成国ということにはなっているが、以前も述べたように実態はピューリティの植民惑星に過ぎない。
人口は二千人ほどしかいないとあるが、主要産業はいったいなんなのだろうか。

「やっと着いたようね」
エイリア女史がホッとしたようにつぶやく。
二週間もの間、男と二人きりだったのだ。
きっと気が気ではなかったかもしれない。
もっとも、俺はドッジに彼女に従うように命令されていたので、彼女に手を出すことなどできなかったが・・・
軌道宇宙港に連絡を取って入港の許可をもらいなさいというエイリア女史の指示に従い、俺はプルガトリィと連絡を取る。
すぐに軌道宇宙港からは連絡があり、入港を許可すると言ってきた。
ドッジ一級神官の遣いともあれば、ほとんど無条件で入港できるらしい。
ところが、「ガムボール」を軌道宇宙港に入港させようとした俺に、エイリア女史は地表に降りろといってきた。
軌道宇宙港ではなく地表の宇宙港に船荷を降ろしたいというのだ。
俺は一瞬この「ガムボール」では大気圏突入ができないことを言おうとしたが、幸いこのプルガトリィは大気のほとんどない惑星だ。
ここならばこの「ガムボール」でも着陸は可能。
俺は軌道宇宙港にその旨を伝え、地表宇宙港からの誘導を求めた。
地表宇宙港からの連絡もすぐに来て、俺はガイドビーコンを受け取った。
あとはデータを入力すれば「ガムボール」が自動で着陸をやってくれる。
宇宙船のパイロットはアクシデントがない限りはそう難しいものではないのだ。
軌道宇宙港の近くには、例の神殿警護隊の警備艇が二隻ほどうろついていたが、いずれもこちらがエイリア女史を乗せていることがわかると警戒を解いた。
やはりドッジ一級神官の力によるものなのだろう。
小さな星なので20分もすれば軌道から地表へと降下できた。
外はほぼ真空に近いほどの大気の薄さだ。
宇宙港の作業員たちも宇宙服姿で働いている。
俺も宇宙服に着替え、船荷の搬出等の作業を行うことにしたが、エイリア女史に止められた。
なんでも今回積んできた船荷は特別なものが含まれているから、直接受け取り相手に引き渡すとのこと。
その連絡をしてくるので待てという。
そういうことであれば、俺は先に燃料の補給等出航に伴う必要物資の補充を先に行いたいと申し出た。
エイリア女史はあっさりといいわの一言で俺の申し出を許可してくれたので、俺は宇宙港当局に連絡し、燃料や生活物資の補充を依頼した。
そして、その間にエイリア女史は宇宙港事務所のほうへと姿を消した。
天空にこの星にとっての太陽であるG0型の主星が輝いている今は、時間的に言えば日中ということになるのだが、大気が極微量しかないこの星では空は漆黒の闇に包まれて星々が見えている。
この星々の群れが帝国領でありソロマニ領でもあり、小国家群なのであろう。
俺はふと空を見上げながら、そんなことを考えていた。
しばらくすると、宇宙港の係官らしき男がやってきて、「ガムボール」に燃料を補給し始める。
空になった増加タンクにも液体水素をいっぱいにしてもらい、二度の連続ジャンプを可能にする。
このプルガトリィは、ピューリティ本国からも2パーセクの距離にあるうえ、そのほかの星系とも隣接していないので、別の星系に行くにもやはり2パーセクジャンプができるジャンプ2か、二連続のジャンプ1が必要なのだ。
残念ながら「ガムボール」はジャンプ1しかできないが、増加タンクのおかげで二連続ジャンプをすることで2パーセク離れた星系に行くことができる。
増加タンクを手に入れておいて本当に良かった。
俺が燃料補給や物資搬入をしていると、エイリア女史が戻ってくる。
だが、どこか様子がおかしい気がする。
「どうかしたんですか?」
『・・・・・・なんでもないわ』
俺の質問に肩をすくめてそう答えるエイリア女史。
なんでもないはずがないなと俺は思う。
宇宙服のヘルメットのバイザー越しでもエイリア女史が困惑した表情を浮かべているのが見て取れるのだ。
連絡する相手とうまく行かなかったのかもしれない。
俺はそう思ったが、口を出すことではあるまい。
- 2012/05/24(木) 20:58:11|
- しずく
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