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舞方雅人の趣味の世界

あるSS書きの日々

むき出しよりはいいけれど

今日はちょっと更新が遅くなってしまいましてすみません。

第一次世界大戦で機関銃の威力の前に大損害を出した騎兵部隊は、1920年代から30年代にかけ、装備を馬から装甲車両へと変革させることを余儀なくされていきました。

フランス陸軍でもそれは例外ではなく、1931年にフランス陸軍騎兵科は騎兵部隊の装備として偵察用機関銃車(AMR)、捜索用機関銃車(AMD)、戦闘用機関銃車(AMC)の三種類の装甲車両を開発し装備することを決定します。
これらはすべて機関銃車という名称ですが、立派な装甲車両であり、AMCにいたっては砲を積んでいるので実質戦車と言ってなんら差し支えありません。

この騎兵科の決定を受け、ルノー社ではAMRの製作を受注。
試作車数種を経て1933年に完成したのが、ルノーAMR33でした。

AMR33は非常に小型の装甲車体に履帯形式の足回りを備え、機関銃一丁を装備した砲塔(銃塔)を搭載した形の車両で、乗員は操縦士と車長のわずか二名でした。
AMR33.jpg

車体と銃塔はリベット形式で作られ、このあとフランス装甲車両で多用された鋳造は用いられておりません。
小型の車体ゆえにエンジンスペースの確保のため、機関銃を備えた銃塔はやや左側に寄せて搭載されておりました。
AMR33(2).jpg

AMR33は装甲厚は最大でも13ミリ程度と銃弾を防ぐ程度でしかありませんでしたが、今まではむき出しの生身であった騎兵たちには好評を持って迎え入れられ、速度性能や悪路走破性など評価の高い装甲車両でした。

もちろん装甲の薄さや機銃一丁と言う武装の貧弱さは指摘されるところではありましたが、偵察用車両としてなら問題になることは少ないだろうと見られたのです。

AMR33は118輌が生産され、騎兵部隊の軽機械化師団や自動車化騎兵連隊などに配備されました。
また改良型のAMR35も167輌が生産され、こちらも同様に使われました。

1940年にドイツ軍の侵攻を受けたフランスでしたが、このときにはもうすでにこのAMR33が活躍できるような戦場ではなく、機関銃一丁しか持たない軽装甲車両に生き残るすべはありませんでした。
AMR33は各所でドイツ軍に撃破され、残った車両は鹵獲されて自走迫撃砲の車台に使われたりしたといいます。

ちっちゃくてある意味かわいらしい車両ですが、やはり第二次大戦の戦場には向かなかった車両だったのかもしれませんね。

それではまた。
  1. 2012/05/08(火) 22:11:54|
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Author:舞方雅人
(まいかた まさと)と読みます。
北海道に住む悪堕ち大好き親父です。
このブログは、私の好きなゲームやマンガなどの趣味や洗脳・改造・悪堕ちなどの自作SSの発表の場となっております。
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