第一次世界大戦時、英国は海上から水上機ではなく陸上機を発着艦させるべく航空母艦を生み出しました。
当時はまだ航空母艦がどのようなものであるべきかというのがわかっていなかったため、試行錯誤の繰り返しでしたが、それでも「アーガス」や「フューリアス」といった空母を建造するうちに、じょじょに空母の形状というものが決まってきました。
そんな中、第一次大戦の末期、英国海軍はより本格的な空母の建造を行うことにいたします。
この時点ではまだ第一次世界大戦は続行中であったため、手っ取り早く建造するためか南米チリ向けに建造されていた戦艦「アルミランテ・コクレーン」を建造途中で買収し、その船体を使って航空母艦にしてしまおうと考えました。
1918年2月、「アルミランテ・コクレーン」は新たに英国海軍の航空母艦となるべく建造が再開されます。
しかし、程なく第一次世界大戦が終結してしまったため、軍事力増強の必要が無くなった英国は軍事費の削減等を行ったために建造工事は遅々として進みませんでした。
工事をこれ以上続けるかどうかは英国海軍も悩み、一時は建造中止も考えられましたが、航空母艦用の新装備の開発研究を行うという名目で建造は続けられました。
1920年4月には、まだ未完成状態でしたが英国海軍の軍艦として就役し、その航空機運用能力の確認が行われます。
この試験に合格したこの新型空母は、以後の工事続行を認められ、1924年2月にようやく完成します。
戦艦としての建造からは実に10年の月日が経っておりました。
完成した空母は「イーグル」と名付けられ、英国海軍の空母戦力の一翼をになうことになりました。
「イーグル」は航空母艦としてのデザインにすぐれており、以後の英国空母どころか日米の空母にも影響を与えるほどでした。
今でも飛行甲板の右側に艦橋を置くというデザインは受け継がれております。

「イーグル」は残念なことに搭載機数が20機程度と少ないのが弱点でした。
しかし、空母としての完成度はとても高かったらしく、評判は上々でした。
1930年代に入ると旧式化が目立ってきましたが、数少ない英国空母の一隻として保持され続けたのです。

第二次世界大戦が始まると、「イーグル」はまさに東奔西走して活躍しました。
1941年には対空火器の増強なども行われ、老朽艦ながら船団護衛等に欠かせない空母でした。
しかし、1942年8月、マルタ島への輸送船団の護衛として任務中にドイツ潜水艦の魚雷攻撃を受け、発射された魚雷四本中三本が命中するというダメージを受けました。
元は戦艦の船体だったとはいえ、魚雷を三本も食らってはひとたまりもありません。
「イーグル」は横転して沈没。
命中からわずか8分の出来事だったそうです。
「イーグル」の名はのちに戦後就役した新型空母へと引き継がれました。
英国海軍にとってはそれだけ殊勲のあった航空母艦だったということなのかもしれませんね。
それではまた。
- 2012/03/23(金) 21:05:00|
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