世界最初の航空母艦を建造した英国海軍でしたが、1930年代半ばともなりますと、日本や米国に比べて艦上機の能力において見劣りがするようになってまいりました。
特に艦上戦闘機の分野では英国はいまだに複葉機が主流であり、大きく劣っているといわざるを得なくなっておりました。
そのため英国海軍は、新型の艦上戦闘機を開発することにし、航空機製造メーカーに設計案の提出を求めます。
この求めに応じたフェアリー社は、自社で開発中だった複座の単発軽爆撃機を改良し艦上戦闘機とする案を提出。
新型戦闘機開発には時間がかかると見た英国海軍は、この提案をつなぎの艦上戦闘機とするには良いとみなして採用を決め、1938年にフェアリー社に発注することを決めました。
こうしてフェアリー社で開発された艦上戦闘機は、元が軽爆撃機として開発されたものだったために全長が12メートルにも及ぶ艦上機としては大きなものでした。
(ちなみに日本の「零戦」は9メートルちょっと、三人乗りの「九七式艦上攻撃機」でも10メートルちょっとです)
これは海上を飛行するために航法士が必要と思われて複座そのままになったうえ、航法装置の導入などで機体を延長したことによりました。
武装は軽爆撃機の時点では考えられておりませんでしたが、戦闘機となる以上当然必要であり、翼に7.7ミリ機関銃を八挺装備し、また爆弾も搭載できるようになっておりました。
1940年1月に初飛行を迎えたこの新型艦上戦闘機は、「フルマー」と名付けられましたが、この時点で戦闘機としては凡庸であることがわかってしまいます。
原因はエンジンが非力だったことにあり、ほぼ「ハリケーン」と同じ出力のエンジンなのに重量が「ハリケーン」の1.6倍にも達するのですから、飛行性能が見劣りするのは当然でした。

とはいえ、艦上戦闘機を新型に更新するのは待ったなしの状態であり、凡庸とはいえ少なくとも複葉機よりはマシということで英国海軍は「フルマー」を採用します。
こうして採用された「フルマー」はのちにエンジンを強化したマークⅡをあわせて約600機ほどが製造され、英国海軍の空母等に配属されました。
この時期英国はなかなか厳しい戦いを戦っており、特に地中海ではマルタ島に対する補給や増援をいかにして送るかが問題でした。
そんな中、航空母艦に搭載された「フルマー」は、襲ってくるイタリア軍機と激しい空中戦を行うことになりました。
幸いなことに地中海方面でのイタリア軍戦闘機の多くは複葉機の「CR.42」型でした。
旋回性能などの運動性でははるかに「CR.42」の方が上でしたが、軽爆撃機が元になった「フルマー」は防弾性能が良く、「CR.42」の射撃を受けても一撃で落とされるようなことはなかったそうです。
逆に八挺もの7.7ミリ機銃は一回に多数の弾丸を撃ち込むことができ、「CR.42」は「フルマー」によって多くが撃墜されてしまいました。
こうして地中海上空では活躍を見せた「フルマー」でしたが、インド洋方面では日本軍の「零戦」にまったく歯が立たず、次々と落とされてしまったそうです。
もともと凡庸な性能だった「フルマー」は、空軍機の「ハリケーン」や「スピットファイア」を艦載機にした「シー・ハリケーン」や「シー・ファイア」、米国から輸入した「F4F」あたりが海軍航空隊に配備され始めるとじょじょにその座を奪われ、生産も1943年には打ち切られてしまいました。
運動性のいい軽爆撃機とはいえ、やはり元が爆撃機という機体を戦闘機にしたのですから、どうしても性能は凡庸にならざるをえなかったのでしょう。
とはいえ、一番必要な時期に英艦隊の上空を守ってくれたのはこの「フルマー」だったのであり、戦果もかなり挙げたことは間違いありません。
たとえ凡庸でも必要な時期に必要な場所に存在するということがいかに大事なことかがわかるような気がします。
今日はこんなところで。
それではまた。
- 2012/02/08(水) 21:00:00|
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