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舞方雅人の趣味の世界

あるSS書きの日々

明治海軍の象徴

明治維新によりそれまでの江戸幕府から明治新政府へと変わった日本でしたが、函館戦争で旧幕府海軍の軍艦「開陽」を失うなどしたため、明治五年(1872年)に海軍が設立された時点で海上警備活動に使用できる軍艦は「日進」一隻のみという非常に心もとない状況でした。

そこで新政府は海軍力増強として、明治八年度の予算で英国に三隻の軍艦を発注いたします。
「金剛」(初代)級コルヴェット二隻と、装甲フリゲート(装甲コルヴェットとも)「扶桑」(初代)です。

「扶桑」は日本が手に入れた初めての近代的装甲艦であり、主力艦として期待された軍艦でした。
のちに二等戦艦として分類されるために、日本最初の戦艦とさえ言われますが、実質的には装甲フリゲートであり、戦艦としての能力を備えていたとはいえません。
しかし、日本にとっては強力な装甲艦であり、期待の主力艦であったことは間違いなく、そのために日本の異名とも言うべき「扶桑」の名を与えられました。
初代扶桑

船体はすべて鉄製であり、「金剛」級が木製船体に装甲を張ったのとは防御力の面で大きな差がありました。
基準排水量は3700トン。
当時の欧州の主力装甲艦が1万トンほどあったことを考えると、やはり小型であることは否めませんが、英国のサミューダ社は非常にバランスのよい設計を行ったため、まさに小型主力艦という完成度を持っておりました。

完成時点では動力走行ばかりではなく帆走も考慮されておりましたために帆走用のマストも装備しておりましたが、のちにこれは近代化改装を受けて縮小され、動力走行がメインとなりました。
近代化改装後の扶桑

武装は砲塔ではなく船体中央の砲郭に装備された24センチ砲4門が主砲となりますが、のちには武装が強化され、魚雷発射管なども装備されました。

「扶桑」は日本海軍期待の艦として明治十一年(1878年)六月に日本に到着。
以後清国の「定遠」「鎮遠」が就役するまで東洋屈指の装甲艦として日本海軍の象徴となりました。

明治二十六年から二十七年にかけて近代化改装を受けた「扶桑」は、「日清戦争」に参加して「黄海海戦(日清戦争)」などで活躍しますが、その後事故で沈んでしまいます。
引き上げられた「扶桑」は修理され、今度は二等戦艦として「日露戦争」にも参加。
直接的な戦闘はありませんでしたが警備活動などに従事しました。

明治四十一年、「扶桑」は除籍。
就役から30年の長きに渡り活躍した息の長い艦でした。

「扶桑」の名はその後戦艦に引き継がれますが、明治海軍にとってこの初代「扶桑」の存在は本当に大きなものだったのではないでしょうか。

それではまた。
  1. 2012/02/02(木) 21:21:07|
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(まいかた まさと)と読みます。
北海道に住む悪堕ち大好き親父です。
このブログは、私の好きなゲームやマンガなどの趣味や洗脳・改造・悪堕ちなどの自作SSの発表の場となっております。
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