米戦艦「サウスダコタ」を戦闘不能に追い込んだ日本艦隊でしたが、米艦隊にはまだ無傷の戦艦「ワシントン」が残っておりました。
「ワシントン」は探照灯を照らしている日本艦が戦艦「霧島」であることに気がつくと、これに対し猛然と主砲を発射します。

(戦艦ワシントン)
「ワシントン」は40センチ主砲を「霧島」に、照明弾を撃ったあとの副砲を「愛宕」と「高雄」の二隻の日本重巡に向けて発砲し、「霧島」と「愛宕」それぞれに大損害を与えたと信じました。
実際には副砲の射撃は「愛宕」に軽微な損傷を与えたに過ぎませんでしたが、「霧島」のほうはこの「ワシントン」の射撃が大きな被害を与えておりました。
「霧島」は上部構造物をめちゃくちゃに破壊された上に舵が故障し、浸水で傾いたまま円を描いて回るしかできなくなってしまいます。

(ワシントンの霧島への砲撃)
「ワシントン」は大損害を受けた「霧島」を撃沈したとみなして、「愛宕」以下の日本艦隊と交戦しつつ日本軍の輸送船団を狙おうと北西に向かいます。
その間日本軍は多数の魚雷をこの「ワシントン」に向け放ちますが、いずれも信管が過敏すぎたのか自爆するなどして、命中したものは一本もありませんでした。
米艦隊司令官リー少将は、これ以上輸送船団に向かっても避退してしまったかも知れず、そうなればガダルカナル島への上陸は中止されたと見ていいだろうということと、日本軍の魚雷攻撃を受けてしまう可能性があることなどから戦場の離脱を決意。
米軍時間で11月15日の0時30分ごろ、「ワシントン」は反転して離脱の途につきました。
戦闘が終了した海上では、戦艦「霧島」がまだかろうじて浮いておりました。
微速航行していた船体もやがて航行不能となり、軽巡「長良」等による曳航の試みも失敗に終わると、もはや「霧島」を救う手立ては尽きました。
「霧島」の艦長岩淵大佐は、駆逐艦に「霧島」に横付けするよう要請し、生存者を移乗させた上で自沈の処置を行います。
日本軍時間11月15日1時25分ごろ、戦艦「霧島」はゆっくりとガダルカナル島沖の海底に沈んでいきました。
このときは艦長の岩淵大佐は「霧島」と運命をともにはせず、駆逐艦に移乗して救出されました。

(戦艦霧島)
リー少将は日本の輸送船団は揚陸をあきらめただろうと踏んでおりましたが、日本軍は残余の輸送船四隻を強行突入させました。
四隻の輸送船はガダルカナル島に接近し、座礁した上で物資を揚陸するという荒業を用いてまで物資を届けようとしたのです。
日本軍時間の15日2時過ぎ、日本軍の四隻の輸送船はガダルカナル島の海岸に乗り上げ、物資の揚陸を開始しました。
しかし、夜が明けると同時に米軍機による攻撃や米軍地上部隊からの攻撃が始まり、輸送船は次々と炎上してしまいます。
結局四隻の輸送船は物資をほとんど腹に抱えたまま燃やされてしまい、陸に上げることができたのはわずかな量の物資だけでした。
日本軍のガダルカナル島への物資輸送は失敗に終わったのです。
この一連の海戦は「第三次ソロモン海戦」と名づけられました。
先の米軍巡洋艦隊との戦いが「第一夜戦」、そして今回の米戦艦隊との戦いが「第二夜戦」と呼ばれます。
この二つの戦いともに、言ってしまえば新型の米艦隊対旧式の日本艦隊という戦いでした。
米軍は新型の巡洋艦や戦艦、そしてレーダーを装備しておりましたのに対し、日本軍は旧式の艦艇と、訓練で培った夜間視力という戦いでした。
ですが、決して新型の米軍が一方的に勝利したわけではなく、むしろ米軍も被害は甚大だったといえるでしょう。
事実、米軍はこの二つの戦いで軽巡二隻、駆逐艦七隻を失い、戦艦一隻、重巡二隻が大破しました。
日本も戦艦二隻と駆逐艦三隻を失い、優秀な高速輸送船も十隻失ってしまいました。
しかし、何よりの大きな差は日本軍のガダルカナル輸送が失敗したことでした。
もはやヘンダーソン飛行場を無力化することは望めず、そうなると輸送船での大規模輸送は不可能となる以上、あとは駆逐艦や潜水艦で細々とした補給を行うしか道がなくなりました。
この時点でガダルカナル島は餓島と化すことが決まってしまったのでした。
終わり
- 2012/01/24(火) 21:00:00|
- 旧式と新型の撃ちあい
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