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舞方雅人の趣味の世界

あるSS書きの日々

今年もお世話になりました

2011年も今日で終わりです。

今年はとにかくあの東日本大震災で日本が揺らいだ一年でした。
3月11日以前と以後ではまるで違う世界になったようでした。

そんな中、今年も当ブログ「舞方雅人の趣味の世界」に多くの方に足を運んでいただきまして、本当にありがとうございました。
ただただ感謝感謝でございます。m(__)m

今年は年末にSSの一本を投下することもできず、創作が極めて低調な状況でした。
皆様に楽しみにしていただいておりましたのに、大変申し訳ございませんでした。

来年はまたモチベーションを高め、一本でも多くの楽しいSSを創作していきたいと思っております。
手始めとして、明日元旦に年賀SSを一本投下いたしまして、続く2日と3日で短編SSを一本投下し三が日を楽しんでいただければと思っております。

今年一年本当にお世話になりました。
来年もまた、当「舞方雅人の趣味の世界」を応援よろしくお願いいたします。

それでは皆様、よい堕とし(お年)を。
  1. 2011/12/31(土) 19:15:25|
  2. 日常
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国内輸送の訓練ですね

今月号の「グランドパワー」誌を手に入れてまいりました。

1200600360.jpg
表紙はこちら。
今月号はソ連軍のKV重戦車シリーズの二回目です。

巻頭カラーでは北海道の自衛隊部隊の九州での演習に伴い、国内移動の訓練というか実験が行われた様子がカラーで紹介されていました。
札幌の73式装甲車はJRの貨物列車に載せられて青函トンネルを越え関門トンネルを越えて九州入りし、東千歳の90式戦車はウェーブピアサー型のフェリーで九州まで輸送されたようです。
地元の車両が九州まで運ばれるのというのはやはり気になりますねぇ。

KV重戦車シリーズの二回目は、KV-1の発展としてKV-8やKV-1S、KV-85らがどのような車両だったかが記事になっているようです。
また、KV重戦車をもとにした自走砲としてSU-152も取り上げられているようですね。

後半はドイツ三号戦車の派生型の記事。
やはりドイツ戦車の記事を入れないと売れないんでしょうか。
アシカ作戦用の潜水戦車や火炎放射戦車、観測戦車などが取り上げられているようです。

今月号も面白そうな記事ばかり。
じっくり読むことにいたします。

今日はこんなところで。
それではまた。
  1. 2011/12/30(金) 20:59:21|
  2. 本&マンガなど
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戦艦より長ーーい

「日清戦争」における勝利ののち、日本は「三国干渉」にて遼東半島を手放さざるを得なくなるなどいまだ軍事力の不足を感じ、いわゆる「臥薪嘗胆」で再度軍備を充実していかなくてはなりませんでした。

これは陸軍よりも海軍にとって顕著であり、将来の戦争(日露戦争)に備え、戦艦六隻、装甲巡洋艦六隻を備えようとする六六艦隊計画を推進することとなります。

このとき、当時の日本はまだこういった大型の戦艦や装甲巡洋艦を国産するだけの能力がなく、そのほとんどを英国に発注して建造してもらっておりました。
英国の艦船製造メーカーにとって、日本はお得意様だったのです。

しかし、軍艦建造のほとんどを英国に依頼するということは、日本の外交にとってはあまり望ましいことではなく、また、将来大型軍艦を国産する場合に複数の国の技術を取り入れることは多いに益のあることだとも考えられたため、六六艦隊のうち装甲巡洋艦二隻を英国以外に発注することにいたしました。

この英国以外に発注された装甲巡洋艦二隻のうち、一隻はドイツに発注されて装甲巡洋艦「八雲」となり、もう一隻がフランスに発注され、装甲巡洋艦「吾妻」として完成します。
今日はこの「吾妻」をご紹介。

「吾妻」は前述のとおりフランスに発注され、ロワール社のサン・ナゼール造船所で建造されました。
就役はぎりぎり十九世紀の1900年(明治33年)7月。
当時の日本には世紀の変わり目という考えはなかったかもしれませんが、まさに新世代の装甲巡洋艦だったでしょう。

「吾妻」は英国製が多い日本の軍艦の中では珍しいフランス製の軍艦でしたので、その艦容もひときわ異彩を放っておりました。
船体形状は普通の平甲板型ではあるのですが、排水量に比して船体が細長く、基準排水量9300トンに対し全長は135メートルもありました。
これは連合艦隊の旗艦となった戦艦「三笠」の排水量15000トンに対し全長が131メートルであったのと比べると、いかに「吾妻」の船体が細長かったかが伺えます。
何せ戦艦より長いのですから。
吾妻

また、缶室分離方式を採用していたため、第一第二煙突と第三煙突の間が離れており、外形的な特色として同じ三本煙突の他艦との識別点のひとつとなりました。
搭載するベルヴィール缶は高圧のため扱いに苦労したといいますが、乗組員の努力で運用されちゃんと使いこなされており、同様の高圧缶に手を焼いた英国海軍が運用し切れなかったこととは対照的だったとされます。

武装は20センチ主砲連装二基をはじめ、15センチ単装砲十二基や魚雷発射管などを搭載し、装甲も舷側で最大178ミリにも達するなど有力な装甲巡洋艦でした。

「日露戦争」には装甲巡洋艦隊の一隻として参加。
あの「日本海海戦」にも第二艦隊第二戦隊の一隻として加わりました。

「日露戦争」後は遠洋航海に参加するなどいたしましたが、大正10年(1921年)には一等海防艦に艦種変更となり、そのまま練習艦として「太平洋戦争」中まで使用されました。

昭和19年(1944年)にようやく除籍となり、お役御免。
翌終戦の年の昭和20年(1945年)にスクラップとして処分されました。

意外と長期にわたって使用されていたことに驚きました。
「太平洋戦争」が始まると第一線装備が重視されたので、第二線の装備は古いものを使い切るという感じだったんでしょうね。

今日はこんなところで。
それではまた。
  1. 2011/12/29(木) 21:12:03|
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そりゃないよ

年末に向け、何かゲームがほしいなぁと思って熟考吟味の末にゲームジャーナル誌19号の「スターリングラード強襲」を買おうかと決断。

gj19cover.jpg
このゲームはもう出版されてからだいぶ経つのですが、出た当時にはあまり興味なかったので購入をしてなかったもの。
とはいえ、各ブログ記事等を見るとなかなかスターリングラードの市街戦の雰囲気を楽しめる好ゲームとのことで、興味がマルマルモリモリと湧いてきたのです。

そこで年末年始の楽しみにと思い、ネットでこのゲームを注文。
後は発送を待つばかり・・・と思いきや、なんとゲームが在庫切れ。orz

幸い別ルートでの入手が可能っぽいのですが、年末年始には間に合いそうもありません。
でもまあ、手に入りそうなので何よりです。

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手に入るまではこちらの学研の「スターリングラード攻防戦」でも読んで市街戦に思いを馳せることにいたしましょうか。

今日はこんなところで。
それではまた。
  1. 2011/12/28(水) 21:11:58|
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敵として味方として

1885年、衰退しつつあったとはいえまだ一級の大国とみなされていた大清帝国(清国)に、二隻の装甲艦がドイツより回航されてまいりました。

装甲艦の名は「定遠」および「鎮遠」。
ドイツのフルカン造船所で建造され、回航されてきた時点では東洋一の堅艦と称されるほど防御力に優れた軍艦でした。

清国海軍に編入された二隻は、清国北洋水師(水師とは艦隊のこと)に配属され、一番艦「定遠」は旗艦として二番艦「鎮遠」とともに北洋水師の主力となります。

この「定遠」「鎮遠」の存在は、当時の日本においてはまさに対抗する手段を持たない核弾頭ミサイルを突きつけられたようなものであり、この「定遠」と「鎮遠」にいかに対抗するかが当時の日本海軍の目標となりました。

常備排水量は7150トン。
全長94.5メートル、最大幅18.4メートル。
最大速力14.5ノット。
30センチ連装主砲を二基を船体の左右に若干前後させて装備し、水線で355ミリもの厚さの装甲板を備え、まさに清国の力の象徴ともいえる軍艦でした。
鎮遠

清国はこの「定遠」「鎮遠」を含む北洋水師を、1886年に親善の名目で日本に派遣してきますが、その目的は威圧にあることは明白であり、日本を侮蔑していた艦隊乗り組みの水兵たちも寄港した長崎で傍若無人に振舞って警官隊と衝突し、双方に死者を出すという「長崎事件」を起こすなど、日本にとっては大きな脅威として見られました。

1894年に勃発した「日清戦争」では、やはり北洋水師の主力として日本海軍と「(日清戦争の)黄海海戦」を行います。
しかし、日本艦隊の有力な速射砲の砲撃を多数受け、両艦ともに火災が発生。
装甲は日本艦隊の砲弾を跳ね返しておりましたが、装甲のない上部構造物等を破壊されたことで戦闘が著しく困難となり、ついに避退のやむなきに至ります。

両艦はその後威海衛に篭もりますが、日本海軍の水雷艇による襲撃などで「定遠」は擱座。
結局日本軍による鹵獲を防ぐ意味からも自沈してしまいました。
一方「鎮遠」のほうは威海衛で座礁していたところを鹵獲され、戦利品として日本に接収されます。

接収された「鎮遠」は日本で修理を受けたのちに日本海軍に編入され、二等戦艦として日本の軍艦となりました。
1904年に勃発した「日露戦争」では、今度は日本の戦艦として「(日露戦争の)黄海海戦」や、「日本海海戦」などにも脇役ながら参加いたしました。
日本戦艦鎮遠

「日清戦争」の時点でもすでに低速であった「鎮遠」は、「日露戦争」終結後はすぐに戦艦から海防艦へと格下げされてしまいます。
そして明治44年(1911年)に軍艦籍から除籍。
砲撃目標として砲撃訓練に使われたのち、明治45年(1912年)にスクラップとなりました。

「定遠」「鎮遠」はともに、「日清戦争」を語る上では欠かせない軍艦でしょう。
当時の日本にとってこの二隻は本当に脅威でした。
どうやってこの二隻に対抗するか悩み、あのいびつな「三景艦」を生み出すことになるのです。

自沈した「定遠」は、一部が引き上げられ、その部材を使って大宰府に「定遠館」という建物が作られたそうです。
「定遠館」は今も健在で、当時の部材が今でもそのまま使われているとのことです。

今日はこんなところで。
それではまた。
  1. 2011/12/27(火) 21:14:23|
  2. 趣味
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パリは遠かった

土曜日の夜はいつもの対戦が流れたので、急遽センパー様をお誘いしてVASSALで「赤い夕陽のナポレオン」(CMJ)の入れ替え戦を対戦いたしました。

私が連合軍、センパー様がフランス軍です。

「で、今回は立場が入れ替わったわけですな、シュワルツェンベルク殿」
「さようですな、ブリュッヒャー殿。なぁに、仏軍はナポレオンのみが脅威であとは烏合の衆。貴殿のシレジア軍とわがボヘミア軍が二方向から迫れば、パリなどあっという間に陥落しましょうぞ」
もはや対戦前から勝利を確信したような連合軍首脳部である。

「しかし、油断はできませんぞ。前回の対戦のように都市を占領しきれなければサドンデス負けということも充分にある」
「なぁに、どうあがいたところでナポレオンは一人きり。史実のライヘンバッハプランを採用し、奴のいないところで都市を取っていけばノルマはこなせましょう」
と、いうことで、連合軍は前回の対戦での経験から、とにかく都市を占領することに重点を置きました。

第一ターンに前回どおりブリュッヒャーをたたいてくるセンパーナポレオン。
ブリュッヒャーは3戦力を失い後退します。
返す刀でナポレオンはザッケン隊も撃破。
ザッケン隊も1戦力にまで低下し、以後このゲームからほぼ脱落しました。

「やはりやられましたな、ブリュッヒャー殿」
「面目ござらん。やはりナポレオンは強い」
「なぁに、わがボヘミア軍が動けば仏軍など物の数では」
ということで連合軍はボヘミア軍を動かして仏軍ジェラール隊を撃破。
しかし、これがあだとなります。

攻撃するために部隊を指揮範囲に収めなくてはならず、ボヘミア軍司令官シュワルツェンベルクは幕僚たちとともに首脳部だけ(総司令官ユニットだけ)でマップを動いておりました。
そこをナポレオンは見逃しません。
ナポレオン率いるネイの部隊に蹂躙され、シュワルツェンベルクは命からがら地図外に脱出(要は蹴散らされて盤外に追いやられた)します。
これでボヘミア軍は司令官のいない烏合の衆となり、兵力は多くても無能で戦力にならないという状態に。

「シュワルツェンベルクめ、単独でいたりするからだ」
というブリュッヒャーも自らのみで強行軍をし、ホーン隊に迎えに来てもらってスタックします。
司令官単独は非常に危険です。
2ターン開始時

第二ターン、連合軍はシュワルツェンベルクが地図上に復帰。
しかし、指揮範囲が届かずボヘミア軍主力は無力のまま。
そこを仏軍は攻撃してきました。
さらにナポレオンは北上してマルモンとともにシレジア軍のヨーク隊を攻撃。
ボヘミア軍主力は敗退しますが、ヨーク隊は踏みとどまり、実質ナポレオンの攻撃を跳ね返します。

「今がチャンスぞ」
これに勢いを得たシレジア軍がいっせいに攻撃。
ブリュッヒャー指揮の下三ヶ所で攻撃を行い、ナポレオンを後退させて都市を一個占領することに成功します。
「ふふん、戦いとはこうするものだ」
その後さらに一ヶ所都市を占領し、連合軍はこのターンに二個都市を占領することに成功しました。

三ターン目にはボヘミア軍が都市を一個占領。
「ふん、ブリュッヒャーに負けていられるか」
「それはこちらのセリフだ」
とばかりにブリュッヒャーのシレジア軍も都市を占領し、これでサドンデス負けは回避です。
4ターン開始時

「このような場所に呼び出して何の用かな? ブリュッヒャー殿」
「いや、確認をしておかねばと思ってな」
「確認? いったい何の確認かな? わがボヘミア軍は忙しいのだが」
「まあ聞け、四ターン、五ターンとわが方は順調に都市を落としてきたわけだが」
「順調だったのはわが方で、貴殿はナポレオンに都市を取り返されたりしていたようだが・・・」
「クッ・・・そのようなことはどうでもいいのだ。各ターンにおけるサドンデス負けしないだけの都市数は確保していたのだから。そのようなことより、我らはまずい状況かも知れんぞ」
「まずい? 何がだ?」
「我らはサドンデス負けしないように都市の占領にこだわってきたが、このゲーム、連合軍が勝つためにはパリの近郊四ヘクス以内に連合軍部隊を進めてパリを降伏させなくてはいかん。それも部隊が多ければ多いほどパリ降伏の確率は高まるのだ。然るに、今パリから四ヘクス以内にわが方の部隊はいるか?」
「・・・・・・いないな」
「次が最終ターンだ。このターンでパリが降伏しなかった場合・・・」
「ルールブックには仏軍の辛勝とあるな・・・」
青ざめる連合軍首脳部であった。
最終ターン開始時

結局最終ターン終了時点でパリから四ヘクス以内にたどり着いた連合軍部隊はひとつしかなく、パリは降伏しませんでした。
連合軍は圧倒的に押してはおりましたが、最後の詰めを欠いてしまいました。
センパーナポレオンはパリを史実以上に持ちこたえさせ、かろうじて勝利をもぎ取っていったのです。
終了時

ということで負けてしまいました。
中盤まではこのまま行けば勝てるだろうと思っていたのですが、予想以上に勝利条件を満たすのが難しかったです。
もちろんセンパー様の防御もうまかったのは言うまでもありません。

負けてしまいましたが、このゲームはA2マップ一枚でユニットも少なくルールも簡単なので、手軽にナポレオンのフランス国内戦の雰囲気を楽しめる好ゲームだと思います。
お手元にお持ちの方はぜひプレイしてみてください。

センパー様、今回も対戦ありがとうございました。
次回は年末の忙しい中ですが「バルジ大作戦」(EP/CMJ)の入れ替え戦です。
半月遅れのラインの守り作戦発動はどうなることやら。
とても楽しみです。

それではまた。
  1. 2011/12/26(月) 21:05:11|
  2. ウォーゲーム
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敵艦はまだ前進しとる

NHKドラマ「坂の上の雲」最終回、「日本海海戦」を先ほどまで視聴しておりました。

もう、海戦シーンは言葉がありませんでしたね。
すばらしい。
これほどの海戦シーンをドラマで見られるなんて思いませんでした。

日本側、ロシア側が丁寧に描かれて、特にロシア側が損害を次々と受けていくさまは見ていて胸が痛くなります。
陸の戦闘とは違い海戦は軍艦という機械の中での逃げ場のない戦闘ですからね。
恐怖もかなりのものだったと思います。

ネボガトフ艦隊が機関を停止しなかったのはあわよくば逃走しようとしていたんでしょうかね?
いろいろと説もあるようですが、機関をとめなかったことで砲撃を受けてしまうことになってしまいました。

日本海海戦のあとはもうその後のことははしょられてしまいました。
これはまあ、「坂の上の雲」という秋山兄弟と正岡子規を描くドラマだったので仕方がないのかもしれませんが、残念だなぁと感じてしまいます。

ともあれ、三年間無事に全話見ることができ感無量です。
いいドラマを見せていただきました。
NHKだからこそできたんだと思います。
楽しませていただき、ありがとうございました。

今日はこんなところで。
それではまた。
  1. 2011/12/25(日) 21:30:24|
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母娘堕ち

久しぶりにGIGA様のアダルト映像作品を拝見することができました。

拝見したのはこちら。

pac_l.jpg
「ヒロイン催眠洗脳 亜空特捜ジャスティー 女捜査官が7日で悪に染まるまで」です。
タイトルからして面白そうだなぁとおもいました。

以下はネタばれもあるので折りたたみます。


[母娘堕ち]の続きを読む
  1. 2011/12/24(土) 21:06:23|
  2. 映画&TVなど
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皇帝陛下万歳!

1814年、皇帝ナポレオン率いるフランスは苦境に陥っておりました。
1812年のロシア遠征の失敗、1813年の「諸国民の戦い」での敗戦で追い詰められたフランスは、この年ついにオーストリア・プロイセン・ロシアの連合軍によるフランス国内への侵攻を許してしまっていたのです。

コマンドマガジン日本版第52号付録「赤い夕陽のナポレオン」は、この1814年のフランス国内戦を現したゲームです。
今回センパー様とこのゲームをVASSALで対戦いたしました。
052_20111223194120.jpg

陣営は私がフランス軍、センパー様が連合軍です。

こちらが初期配置。
開始時

青いコマがフランス軍、グレー(プロイセン)、濃い緑、薄い緑(ロシア)、茶色(オーストリア)が連合軍です。
ロシア軍の色が濃淡あるのは、連合軍はシレジア方面軍とボヘミア方面軍に分かれるからで、一回の行動フェイズではどちらかしか動けません。

「ウムムムム・・・」
フランス皇帝舞方ナポレオンは苦悩していた。
「余はこのゲーム、一二度ほどしかプレイしたことがなく、しかも数年前だ。ルールの把握も不完全で、はたして連合軍に対抗できるかな」
「陛下、それはどうやらセンパーブリュッヒャーも同じようです。それに今回はモジュールの試運転を兼ねたテストプレイとのこと。気楽に臨まれるがよろしいかと」
苦悩するナポレオンにすかさずネイが進言する。
初期配置ではこの二人はスタックしているのだ。

「ではどうする?」
「まずはこの初期配置から言ってブリュッヒャーを叩くのがいいでしょう。陛下直卒のわが部隊とジェラール、ヴィクトールの部隊を合わせれば3:1の戦力比に持っていくことが可能です。そのうえ陛下の能力であるサイの目+2を生かせば、ブリュッヒャーなど一撃です」
「よし、それで行こう」
ネイの進言を受けてナポレオンは決断した。

ブリュッヒャーに対する3:1攻撃は見事にブリュッヒャーを後退させた。
ブリュッヒャーは2戦力を失い、遠くへ後退していった。

「とりあえずは勝ったな」
「陛下の能力は強力ですからね、負けることなど考えられません」
「しかし、このゲームは連合軍のほうが圧倒的に兵力が多い。大丈夫だろうか・・・」
ナポレオンの胸に不安がよぎる。
「勝利条件は都市を占領されパリが降伏してしまうことですからね。とにかく都市を占領されないようにしましょう」

一方センパーブリュッヒャーは改めてナポレオンの強力さを目の当たりにし、史実どおり「ライヘンバッハプラン」でナポレオンとは戦わないことを選択。
シレジア軍を動かして北東方面より都市の占領に動き出します。

「シレジア軍が動きましたね。ブリュッヒャーは北上してシレジア軍と合流するようです」
「そちらはマルモンに任せよう。2:1なら何とかなるだろう。われわれはヴェルテンブルクをたたく」
ヴェルテンブルクへの攻撃は成功した。
ヴェルテンブルクはなんと3戦力も失い、シュワルツェンベルクと合流するために後退した。
だが・・・
「マルモンが敗退した?」
衝撃を受けるナポレオン。
「はい、奴め2:1攻撃でサイの目1を出してしまったようです。相手は無傷でこちらのみ損害を受けました」
「なんてこった・・・」

そのナポレオンにも危機が迫る。
シュワルツェンベルクがボヘミア軍を総動員してナポレオンとジェラールの部隊に対し包囲攻撃を行ってきたのだ。
しかし、相手のサイの目も悪く、ジェラールはどうにか踏みとどまり、ナポレオンは相手を返り討ちにして後退させた。

とまあ、こんな感じで一ターン目を終え、二ターン開始時がこちら。
2ターン開始時

このあとナポレオンはネイとともに北上南下を繰り返して連合軍をたたきますが、ほかの将軍はあまり活躍せず、特にマルモンにいたっては3戦3敗という有様で連合軍に都市を奪われます。

しかし、ナポレオンの活躍が功を奏したのか、連合軍は三ターン終了時の時点での必要都市数を満たすことができず、モラルチェックでサイの目2を出してしまいナポレオンに和議を申し出てしまいました。

何とかナポレオンの勝利で終わりました。
でも、サイの目に助けられたのも事実です。
それにしても面白いゲームです。

センパー様とはすぐに再戦を約束いたしました。
次回は私が連合軍です。
お互いルールの把握もできたので次回が本当の戦いという感じでしょうか。

今日はリプレイを物語風にしてみました。
それではまた。

*12/25文章改変
文中ダブーとなっていたところをネイに修正しました。
このゲームで出てくるのはネイであり、ダブーではありませんでした。
勘違いしておりました。
お詫びして訂正いたします。
  1. 2011/12/23(金) 21:01:38|
  2. ウォーゲーム
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今年の動きもそろそろ終わりかな

プロ野球もストーブリーグが華やかですね。

日本ハムのダルビッシュ投手はレンジャーズが入札を制し、交渉権を得たようです。
入札金額はかなり高額だったようで、日本ハムとしては複雑な思いながらも安いよりはよかったでしょう。
あとはダルビッシュ投手とレンジャーズ側の交渉となるわけですが、たぶん問題なく終わるのではないでしょうか。

ソフトバンクの杉内投手、横浜の村田選手がそろって巨人に行くことになりました。
これはもう巨人としては大きな補強になったと思います。
阪神ファンとしてはいやだなぁって感じますね。

その阪神は今年は静かなオフというところでしょうか?
幸い鳥谷選手や藤川投手、新井選手らのFAでの流出ということは今年はなかったのでよかったのですが、新たに加入というのも少ないようで、上園投手とのトレードでやってきた楽天松崎投手ぐらいでしょうか?

中畑新監督になった横浜DeNAは補強を積極的に行ってますね。
ラミレス選手や小池選手あたりが加入し、FAで巨人入りした村田選手の人的保障も求めるようですので、来期はかなり強くなってきそうです。

今年もあとわずかとなり、大きな動きはもう各球団ともなくなりそうですが、年明けにはまたいろいろと動きがあるかもしれませんね。
あっと驚く大型トレードなんてのがあったりしないかな。

今日はこれにて。
それではまた。
  1. 2011/12/22(木) 21:06:43|
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今後の半島情勢はどうなるのかなぁ

もうすでに報じられて日が経ってしまいましたが、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の金正日総書記が12月17日に心筋梗塞で亡くなられたという報道が世界を駆け巡りました。

日本はいまだ北朝鮮を国家として認めていないわけですが、事実上の国家として朝鮮半島の北半分を支配している北朝鮮の動向は、日本に影響を及ぼさずにはすまないわけでして、この金正日総書記の死去が今後の半島情勢にどう影響を及ぼすのか気になるところです。

報道では視察に行く途中に亡くなられたとのことですが、まだ69歳という年齢だったそうですので、日本の感覚ではまだ若いのになぁという気がします。

後継者は金正恩氏ということですが、三男の金正恩氏が後継者ということで国内が混乱するのではという見方もあるようです。
とはいえ、今のところは大きな混乱はないようで、軍の掌握もきちんと行われているのではないかという報道もなされてますね。

北朝鮮側の今後もそうですが、むしろ韓国側の今後も大いに懸念されるんだそうです。
金正日総書記の死去に伴い、北朝鮮の韓国に対する脅威が薄れたと見て侮るようなことがあると、思わぬ事態が起こらないとも限らないんだとか。

ともあれ半島情勢には今後も注意していかないとならないんでしょうね。
日本政府の対応能力には少々疑問を感じないわけではないのですが、しっかり対応していってほしいものだと思います。
  1. 2011/12/21(水) 21:02:42|
  2. ニュース
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普墺戦争(17)

「ケーニヒグレーツの戦い」で敗北したオーストリア軍でしたが、まだまだ戦う力は充分に残っておりました。
大きな痛手をこうむったとはいえ、イタリア方面に回した兵力をシフトするなど行えば、まだまだ兵力も数をそろえることができたのです。

事実オーストリアはイタリア方面に回されていたアルブレヒト大公の兵力約十五万のうち、半数を引き抜いて首都ウィーンの防備に回します。
イタリア方面に残されたのは野戦軍一個軍団と、各地の守備隊兵力合わせて七万七千ほどに過ぎませんでした。

このようにまだ戦う力を持っていたオーストリア軍でしたが、政府と軍上層部はすでにやる気を失ってしまっておりました。
戦争継続の意思を失ってしまっていたのです。
「リッサ海戦」での勝利もさほど意味はなく、もはやプロイセンに対しどの時点で和議を結ぶかということのみでした。

一方「ケーニヒグレーツの戦い」で勝利を収めたプロイセンでしたが、こちらもまた内部で意見が分かれておりました。
このまま軍をオーストリアの首都ウィーンに進め、ウィーンを陥落させるべきと主張する参謀総長モルトケに対し、もはやオーストリアとの戦いは勝利したのだから、このまま和議を結ぶべきと主張する国王ヴィルヘルム一世が対立していたのです。
オーストリア軍を叩き潰して後顧の憂いを断ちたい軍と、政治的な思惑からオーストリアに恩を売っておきたい政府の立場の違いでした。

このとき、すでにヴィルヘルム一世とビスマルクの目はオーストリアから離れてしまっておりました。
もはやオーストリアはドイツ統一の妨げになることはないでしょう。
ドイツはプロイセンを中心とした「小ドイツ主義」で統一するのです。
その妨げとなるのはすでにオーストリアではなくフランスでした。
プロイセンはドイツ統一のためにはおそらくフランスと戦わなくてはなりません。
そのためには対フランス戦時にオーストリアに中立を守ってもらわなくてはならないのです。
ここで首都ウィーンを攻撃せずに和議を結べば、オーストリアが恩義に感じるであろうとヴィルヘルム一世とビスマルクは考えたのでした。

それに「ケーニヒグレーツの戦い」でのプロイセンの一方的勝利に驚いたフランスのナポレオン三世が、早速両国間の和議に関して仲裁を行いたいと申し出てきておりました。
これを無視することでフランスの余計な介入を招いてしまうのは得策ではありません。
国王とビスマルクはモルトケを説得し、プロイセン軍のウィーン侵攻は中止されました。

イタリア方面のオーストリア軍の撤収でイタリア軍は勢いを盛り返しました。
イタリア軍は7月7日から再度ヴェネツィア方面へと軍を進めます。
すでに兵力を引き抜かれていたオーストリア軍にはこれを押しとどめることはできず、イタリア軍は快調に軍を進めることができました。

フランス政府の仲裁でオーストリア政府とプロイセン政府の間で幾度かのやり取りがあった後、7月下旬には休戦が成立。
イタリアもこれに同調しイタリア方面でも休戦が成立します。
わずか七週間ほどの戦争期間であったため、「普墺戦争」は別名「七週間戦争」とも呼ばれます。

翌月1866年8月23日、「普墺戦争」の終戦条約である「プラハ条約」が結ばれました。
これにより、オーストリアを含んだ諸邦連邦であった「ドイツ連邦」の解体と今後のドイツ統一に対するオーストリアの不干渉が定められます。
さらに戦争勃発のきっかけであったシュレスヴィヒ州とホルシュタイン州の両州ともがプロイセンに帰属すること、ハノーファー、ヘッセン、ナッサウ、フランクフルトも同様にプロイセンに帰属すること、ヴェネツィアがイタリアに帰属すること、オーストリアが賠償金を払うことなどが定められました。

この条約はオーストリア側にとっては本土の領土を割譲させられたわけではなく、極めて寛大ともいえる内容でした。
これはすでに述べたようにオーストリアに恨みを買うことなく対仏戦を行うことを考えていたプロイセン側の思惑であり、もはや次なる戦争への準備にほかなりませんでした。

事実この条約を結ぶ前段階において、フランス皇帝ナポレオン三世はプロイセン側に歩み寄った姿勢を取りつつも、プロイセンに対し仲裁の見返りとしての領土割譲を要求してきており、ドイツ統一の障害となってきていたのです。
これに対しビスマルクは敢然と跳ね除け国民の信望を高めました。
一方ナポレオン三世は面子をつぶされ、フランス国民から失望されてしまうのでした。


「普墺戦争」は終わりました。
オーストリアはプロイセンの覇権を認めざるを得ず、ドイツ統一への影響力を失いました。
プロイセンは「鉄血宰相」と呼ばれたビスマルクの主張どおりに鉄と血でもってドイツ統一をまた一歩推し進めることができました。
プロイセンの参謀本部もその能力を見せ付け、参謀総長モルトケもその名を高めました。

そして・・・
ドイツ統一に対する最後で最大の障害、ライン河以東に影響力を及ぼそうと画策するフランス第二帝政に対するプロイセンの挑戦が始まります。
プロイセンとフランスの直接対決である「普仏戦争」は、これからわずか四年後のことでした。


普墺戦争 終

                    ******

参考文献
「普墺戦争」 歴史群像2002年2月号 学研
「リッサ沖海戦」 歴史群像2005年10月号 学研
「普仏戦争」 歴史群像2001年8月号 学研
「リッサ海戦」 シミュレイター誌リニューアル2号 翔企画
ほか

参考サイト
「Wikipedia 普墺戦争」
「Wikipedia 1848年革命」
「Wikipedia オットー・フォン・ビスマルク」
「Wikipedia ヘルムート・カール・ベルンハルト・フォン・モルトケ」
「Wikipedia リッサ海戦」
等々その他Wikipedia記事
「普墺戦争 イタリア戦線」
「オーストリアとプロイセン」
ほか

今回もお付き合いくださいましてありがとうございました。
今回もまた予想以上に長くなってしまいました。
各種資料本からのまとめに過ぎませんが、多少なりとも「普墺戦争」というものに興味を持っていただけましたなら幸いです。
  1. 2011/12/20(火) 21:17:35|
  2. 普墺戦争
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夢の実現

当ブログもお世話になっております「園芸戦隊ガーデンジャー」様でご紹介されていらっしゃいましたので、すでにご存知の方も多いと思いますが、先日当ブログで私の妄想を記事にいたしましたところ、とてもすばらしいSSを拝見させていただくことができました。

そのときの妄想がこちら“12月7日の記事”ですが、なんと私も日ごろからお世話になっております「折尾楽太郎の闇の研究所」の管理人折尾楽太郎様が、この妄想をSSにしてくださったのです。
(サイト名クリックでリンク先に飛ぶことができます。SSは入り口から入って観測室へ向かい、第五世界を覗いてください。「悪夢」というタイトルのSSがございます)

拝見させていただいたのですが、私の先日の妄想をほぼ完全にストーリー化してくださいました。
しかも折尾様の手で数段上のすばらしいストーリーにして下さっております。

もともとの妄想がそうでしたので異形化と主人公にとっての鬱展開ではありますが、異形化は好きと言っていただける方なら楽しんでいただけると思います。
ぜひぜひ多くの方に「折尾楽太郎の闇の研究所」に足を運んでいただいて、折尾様の手で素敵なSSになった作品をごらんいただければと思います。
そのうえでよろしければ、ぜひ感想など折尾様の自室や会議室等に残していただけましたら折尾様も私もとてもうれしいと思います。

多くの方に楽しんでいただけましたら幸いです。
折尾楽太郎様、このたびは私の妄想を形にしてくださいまして本当にありがとうございました。

今日はこれにて。
それではまた。
  1. 2011/12/19(月) 21:08:08|
  2. ネット関連
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本日天気晴朗なれども波高し

今日もまたNHKのドラマ「坂の上の雲」第11回「敵艦見ゆ」を視聴いたしました。

陸軍は黒溝台会戦から奉天会戦へ、海軍は日本海海戦へとクライマックスを迎えましたね。
最後は東郷ターンを開始した時点で次週に続くとはなんとも歯がゆいところです。

それにしても第三部は戦闘シーンばかりですが力入ってますねぇ。
奉天会戦のシーンとかは日本軍側を北海道で、ロシア軍側をラトビアで撮影して合成しているらしいんですが、さすがに白兵戦のシーンはラトビア側では東洋系の人に日本兵を演じてもらい、北海道ではロシア系の人にロシア兵役をやってもらったんだとか。

ただ、いろいろと端折られてしまっているのがなんとも惜しいですよね。
コンドラチェンコ将軍の死とそれに伴う旅順要塞の正式な陥落や、ステッセル将軍と乃木将軍との水師営での会見等ばっさり切られてしまいました。
海でも蔚山沖海戦等切られてしまってますしね。
やはりこれだけやっても尺が足りないということでしょうか。

日本海海戦に向かう三笠艦内の雰囲気とかよかったですね。
「国親父座ろう」とか、「ゴミ取り権助」とかというセリフもでていたようです。
ロシア戦艦「クニャージ・スウォーロフ」、「ドミトリィ・ドンスコイ」を日本語風に呼んでいたんですよね。

今週も楽しませていただきました。
次週はいよいよ最終回。
長かった三年間も終わりです。

それではまた。
  1. 2011/12/18(日) 21:18:27|
  2. 映画&TVなど
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今年もお世話になりました

今日は午前中に床屋に行って髪を切ってもらいました。

髪が短くなると風の冷たさが身にしみますねぇ。
寒い寒い。

午後からは「札幌歴史ゲーム友の会」にお邪魔してきました。
いろいろあって二時間ほどしかいられなかったのでゲームはプレイしなかったのですが、ゲーマー仲間との楽しい雑談に興じてまいりました。

会自体も盛況で、四つのゲームが対戦されておりました。

11121701.jpg
こちらは「ラビリンス」
中東に影響力を伸ばすのはどちらの陣営か?

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こちらは「イン・トゥ・ア・ベアトラップ」
チェチェン軍とロシア軍の戦いというなんとも面白そうなゲームでした。

11121703.jpg
こちらは「エンパイア・オブ・ザ・サン」
太平洋戦争のゲームです。
日本軍はどこまで進出できたのでしょうか。

11121704.jpg
最後は再販なったばかりの「ウェイブ・オブ・テラー」
12月にはふさわしいバルジ戦のゲームですね。
独軍を二人で担当する三人プレイをなさっていたようでした。

プレイはできませんでしたが、やはりウォーゲーマー仲間との交流は楽しいですね。
「札幌歴史ゲーム友の会」の皆様よいお年をお迎えくださいませ。
来年もまたよろしくお願いいたします。

今日はこんなところで。
それではまた。
  1. 2011/12/17(土) 20:57:03|
  2. ウォーゲーム
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普墺戦争(16)

オーストリア装甲艦「フェルナンド・マックス」の衝角により、イタリア装甲艦「レ・デ・イタリア」は沈められました。
しかし、オーストリア戦列艦「カイザー」によるイタリア装甲艦「レ・デ・ポルトガロ」への衝角攻撃は失敗し、むしろ「カイザー」のほうが損傷を受けてしまいました。

体当たりの衝撃と砲撃で損傷した「カイザー」に対し、イタリア側も装甲艦「アフォンダトーレ」が何度か衝角攻撃を試みましたが、やはり非装甲艦とはいえ足の止まっていない敵艦への衝角攻撃はうまく行かず、結局「カイザー」はその場を脱出することに成功します。

お昼12時過ぎになり、両艦隊はいったん戦列を立て直すために南北に分かれます。
これが事実上の「リッサ海戦」の終了でした。

オーストリア・イタリア両艦隊はこれ以後もしばらくにらみ合いを続けますが、14時30分ごろに海戦で砲撃を受け炎上していたイタリア装甲艦「パレストロ」がついに火薬庫に引火して爆発。
「パレストロ」は海の底へと沈んでいきました。

イタリア艦隊司令官のペリオン提督はもはや戦闘を続ける気はありませんでした。
麾下のイタリア艦隊はすでに残弾も燃料も乏しく、装甲艦も二隻沈められてしまっておりました。

オーストリア艦隊司令官のテゲトフ提督も以後の戦闘をためらっておりました。
二隻のイタリア装甲艦を沈めたとはいえ、敵はまだ装甲艦九隻を持っているのです。
必殺のはずの衝角攻撃がほとんど当たらないというのも想定外のことでした。

結局両艦隊は日没とともに引き上げ始めました。
イタリア艦隊はリッサ島上陸をあきらめてアンコナ港へ向かい、オーストリア艦隊もそれを見送ったあとでポーラ港へと帰還しました。
「リッサ海戦」の終了でした。

イタリア艦隊は海戦で「レ・デ・イタリア」「パレストロ」の二隻を失い、六百名以上の戦死者を出しました。
それに対しオーストリア艦隊は一隻も失わず、戦死者も四十名ほどと少ないものでした。
海戦はどう見てもオーストリア側の勝利でした。

アンコナ港に帰還したイタリア艦隊でしたが、ここで更なる悲運に見舞われます。
ペリオン提督の旗艦を務めた新鋭装甲艦「アフォンダトーレ」が、荒天によって転覆沈没してしまったのです。
これは海戦での損傷も原因だったといわれます。
(ただ、「アフォンダトーレ」の近代化改装後の写真が残っているので、のちに引き揚げられたものと思われます)

この海戦の勝利で、オーストリア艦隊の指揮官テゲトフ提督は名声を確固たるものにいたしました。
普墺戦争後、彼はマリア・テレジア勲章を受章し、中将へと昇進します。
さらに軍事省海軍部長にも就任し、オーストリア海軍の改革と発展に努めました。
しかし、この海戦からわずか五年後の1871年、肺炎のため急死いたします。
43歳という若さでした。

一方イタリア艦隊司令官ペルサーノ伯カルロ・ペリオン提督は、自己保身のために海戦は勝利したという捏造まで行ったといいます。
しかしそのような捏造が通じるはずもなく、司令官を罷免された後査問委員会で怠慢と無能を理由に大将の階級を剥奪されたといいます。
また、ペリオン提督の命令を無視して戦闘に参加しなかった非装甲艦部隊の指揮官アルビーニ提督も司令官職を罷免されました。


「リッサ海戦」は終わりました。
ただ、この海戦が「普墺戦争」にもたらした影響はほとんどありませんでした。
勝利したとはいえオーストリア海軍はアドリア海の制海権を奪うことはできず、アドリア海はなおイタリア海軍が優勢でありました。
しかし、イタリアにとっても目的であったヴェネツィアを奪い取ることにこの海戦は何の益ももたらしませんでした。

この海戦は、非装甲艦の時代が完全に終焉したことを告げるものでした。
双方の装甲艦で大砲によって装甲を撃ちぬかれた艦は一隻もありませんでしたが、非装甲艦は大きな損傷を受けました。
非装甲艦では装甲艦に勝つことはできないとはっきりしたのです。

また、装甲艦に対する衝角戦闘の威力を見せ付けた海戦でもありました。
「フェルナンド・マックス」の衝角は「レ・デ・イタリア」の舷側を貫き、撃沈せしめたのです。
これ以後、各国の軍艦は衝角戦闘こそが装甲艦を撃沈する手段だと考えるようになりました。

ですが、自由に動く艦艇に衝角を当てることが至難の業だということもまたこの海戦で明らかになりました。
「レ・デ・イタリア」に対する衝角攻撃は、相手が停止していたから命中したに過ぎません。
以後動力が発達するにつれ艦艇の速力も上がってくると、衝角を当てることはますます困難になっていきました。

そしてついに、1894年の「日清戦争」における「黄海海戦」において、衝角攻撃を行おうとした清国艦隊に対し、日本艦隊は砲撃をもってこれを撃破したことで、衝角戦闘がもはや通用しないことがはっきりしてしまいます。
以後、海戦において衝角戦闘が行われることはなくなりました。
「リッサ海戦」は、装甲艦による衝角戦闘というものの、ほんの一瞬の輝きだったのでした。

(17)へ
  1. 2011/12/16(金) 21:11:27|
  2. 普墺戦争
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やはりいまが旬?

KKベストセラーズ社の「歴史人」2012年1月号を購入してきました。

こちらが表紙。
1200590241.jpg
「右砲戦」に備えて主砲を右舷に向ける戦艦「三笠」ですね。

やはりNHKの大型ドラマ「坂の上の雲」第三部が放送されている今、「日露戦争」に関する記事は“旬”ということになるんでしょうか。
今月号の特集は「日清・日露戦争の真実」ということのようです。

「日清戦争」も「坂の上の雲」第一部で取り上げられていましたが、今月号でもそれなりのページ数が割かれておりますね。
この「日清戦争」の経緯を見ると、すでにのちの昭和陸海軍に通じる“やってしまえばこっちのもの”的な行動が随所に見られることがわかります。
むしろのちの「日露戦争」よりも多いのではないでしょうかね。
大本営の静止も聞かず独断で部隊を進めてしまう山県有朋などは、昭和の陸海軍にも似たようなことをする人物がたくさんいたように思います。

最初に朝鮮半島に派遣する兵力についても“一個旅団”としか言わず、平時の一個旅団三千名を想像する首相に対し、軍側は戦時の一個旅団八千名を派遣するという。
明治天皇が日清戦争を「(外務大臣の)陸奥らが起こした戦争だ」と述べてまでいるとは驚きでした。

「日露戦争」側の記事はこれから読むことになるのですが、面白そうな感じなので楽しみです。
最後のほうには秋山兄弟の人物像もあるようなので、これはもう「坂の上の雲」を意識しているのは間違いないですね。

巻末アンケートの「読んでみたい企画」はほとんど日本史ばかりになってしまったなぁ。
「アメリカ南北戦争の真実」なんて企画、やってほしかったんだけどアンケートから消えちゃった・・・

次号は「戦国十大合戦の謎」とのこと。
次号も楽しみです。

今日はこんなところで。
それではまた。
  1. 2011/12/15(木) 20:58:50|
  2. 本&マンガなど
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普墺戦争(15)

三段の後翼単梯陣を組んで突撃してくるテゲトフ提督のオーストリア艦隊に対し、散開隊形からようやく単縦陣を組み始めていたペリオン提督指揮するイタリア艦隊でしたが、ここで世界の海戦史上にも例を見ない奇妙な出来事が起こります。

イタリア艦隊旗艦「レ・デ・イタリア」に座乗していた艦隊司令官のペリオン提督が、なんとこの戦闘直前になって艦を降りてしまったのです。
そして提督はなんとまだ列外にあった装甲艦「アフォンダトーレ」へと移乗してしまいました。
海戦直前のこのときに旗艦が変更されるなど前代未聞の出来事です。

このペリオン提督の行動はいったい何を考えたものかよくわかりません。
一説には新鋭艦でお気に入りだった「アフォンダトーレ」に乗りたかったからだというものもありますが、それにしてもこの時点での移乗は考えられません。

案の定この旗艦変更はイタリア艦隊を混乱に陥れてしまいます。
提督の移乗のために停止した「レ・デ・イタリア」およびそれ以後の五隻の艦と、「レ・デ・イタリア」より前にいた三隻の艦との間に大きな間隙ができてしまい、一本の単縦陣が二本に分かれてしまったのです。
さらに旗艦が変更されたことも各艦の艦長には伝えられておらず、ほとんどの艦の艦長はいまだ「レ・デ・イタリア」が旗艦だと思い込んでおりました。
レ・デ・イタリア (イタリア装甲艦「レ・デ・イタリア」)

このイタリア艦隊の混乱を見逃すテゲトフではありませんでした。
彼は麾下の七隻の装甲艦をイタリア艦隊の前列と後列の間に割り込ませ、前列の後尾に砲撃を加えつつ後列の側面に回りこみました。
第二陣以降のオーストリア艦隊は第一陣の援護に回ります。

こうしてイタリア艦隊は列外の「アフォンダトーレ」を含めて九隻の装甲艦が戦闘態勢に入ったにもかかわらず、前列の三隻は大きく飛び出してしまって離れてしまい、後列の五隻も後ろ二隻がオーストリア艦隊の第二陣以後に拘束され、後列の前半分と列外の「アフォンダトーレ」の計四隻のみがオーストリア艦隊の装甲艦七隻と戦うはめになっってしまいました。
つまりイタリア艦隊の数の優位が一瞬にして消えてしまったのです。

混戦となった海上には双方の砲煙が漂い、視界は急速に悪化します。
テゲトフ提督はイタリアの軍艦が灰色、オーストリアの軍艦が黒色に塗られていることに目をつけ、「灰色の艦を(衝角で)突き沈めよ」と命じますが、蒸気機関で自由に動ける装甲艦は、ぶつける側以上に回避する側も自由に動けるためになかなか艦首をぶつけることができません。
これは衝角戦術の大きな誤算でした。

逆にものを言ったのは火力のほうでした。
イタリア艦隊の後列の前半分にいた「レ・デ・イタリア」、「パレストロ」、「サン・マルティーノ」の三隻はオーストリア装甲艦によって半ば包囲される形となり集中砲火を受けてしまいます。
これによって「パレストロ」は大火災を起こし戦列を離脱。
かつてのイタリア艦隊の旗艦「レ・デ・イタリア」も砲撃を受けて操舵装置に損傷が発生、航行不能に陥りました。

旗艦を変更したペリオン提督は再三にわたって「アフォンダトーレ」のマストに信号旗を掲げ、艦隊に指示を下そうとしましたが、混戦の中ではどの艦も気がつきません。
艦長たちの目は旗艦であると思われていた「レ・デ・イタリア」に向けられているのですから当然です。

これはオーストリア側も同様で、テゲトフ提督はイタリア艦隊の旗艦と思っていた「レ・デ・イタリア」が操舵機の損傷で停止したのをチャンスと見て、座乗する「フェルナンド・マックス」に衝角攻撃を命じます。
航行不能になっていた「レ・デ・イタリア」にはこれを回避することはできず、ついに「フェルナンド・マックス」の衝角が「レ・デ・イタリア」の横腹を突き破ります。
フェルナンド・マックス (オーストリア装甲艦「フェルナンドマックス」)

横腹に大穴を開けられ、これが致命傷となった「レ・デ・イタリア」は転覆。
ついに沈没してしまいます。
この海戦での最初の沈没艦となりました。

一方イタリア艦隊の後列後尾の二隻の装甲艦を相手にしていたオーストリア艦隊第二陣ですが、さすがに非装甲艦対装甲艦では分が悪く、イタリア装甲艦に損害を与えることはできておりませんでした。
そこで第二陣の指揮官ペッツ代将は、第二陣の旗艦である木造戦列艦「カイザー」による衝角攻撃を敢行。
イタリア装甲艦「レ・デ・ポルトガロ」に艦首をぶつけます。
「レ・デ・ポルトガロ」に突っ込んだ「カイザー」 (「レ・デ・ポルトガロ」に突っ込んだ「カイザー」)

しかし、木造である「カイザー」の衝角は「レ・デ・ポルトガロ」の舷側を貫くことはできず、逆に衝突の衝撃で「カイザー」のほうが艦首を損傷してしまいました。
「レ・デ・ポルトガロ」はこのチャンスに「カイザー」を砲撃。
さらにペリオン提督の「アフォンダトーレ」までもが砲撃を仕掛けてきたために「カイザー」は急遽離脱を余儀なくされ、損傷を受けながらもかろうじて脱出に成功いたしました。

(16)へ
  1. 2011/12/14(水) 21:14:07|
  2. 普墺戦争
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もう早や新年号

タミヤニュースの512号が届きました。

tamiyanews512.jpg
こちらが表紙。
今号は米軍のヘリコプター部隊のマークだそうです。

早いですねー。
もう2012年の1月号ですよ。
12月の中旬だというのにもう新年号です。

今号も楽しい記事がいっぱい。
ダックスフォードの航空ショーでは、デ・ハビランドのヴァンパイアなんていう珍しいジェット戦闘機が飛んだようで、飛行時の写真が載っていました。

連載の「第二次大戦イタリア軍装備解説」は人間魚雷とも言われるイタリア軍の特殊潜航艇の解説。
これは決して日本の回天のような特攻兵器ではなく、ちゃんと敵艦に爆薬を仕掛けたあとは帰還してくるための魚雷型の特殊潜航艇なんだそうです。
この兵器についてはよく知りませんでしたので、アクアラングをつけた乗員が魚雷にまたがって敵艦めがけて向かっていったのちに、またがっていた魚雷から離れて泳いで帰ってくるようなものと思ってました。
敵艦に仕掛けるのは先端の弾頭部分のみで、あの魚雷型の部分全体で帰ってくるんですね。

巻中見開きの情景写真は1/48のマルダーⅢ。
言われなければ1/35と思い込んでしまうような感じです。
タミヤ模型のHPでカラー画像を見ることができます。

人形改造コンテストの入選作品も載っておりました。
今回がなんと40回目とのこと。
今年はやはり「なでしこジャパン」にまつわる作品が多かったみたいです。

第3回1/48モデラーズコンテストの作品も2ページにわたって掲載されていました。
ホント皆さんの作品は上手ですよねぇ。

今号も楽しませてもらいました。
早くも次号が楽しみです。

今日はこんなところで。
それではまた。
  1. 2011/12/13(火) 20:59:35|
  2. タミヤニュース
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普墺戦争(14)

1866年7月16日、イタリア海軍のペルサーノ伯ペリオン提督は旗艦「レ・デ・イタリア」をはじめとする十一隻の装甲艦と十四隻の非装甲艦、それに陸軍と陸戦隊1500名を載せた輸送艦を伴いリッサ島へと向かいました。

イタリア艦隊は7月18日にはリッサ島に対する砲撃を開始。
これに対し、リッサ島守備隊はすぐさま砲台で応戦するとともに、オーストリア本国にイタリア艦隊の出現を通報いたしました。
このとき、すでにリッサ島と本土の間には海底ケーブルがつなげられ、電信で本土と通信できるようになっていたのです。

イタリア艦隊は装甲艦ばかりではなく非装甲艦も砲撃に加わらせましたが、守備隊の砲撃にすぐさま損傷してしまったため、翌19日は装甲艦だけで砲撃を行います。

この日にはペリオン提督待望の装甲艦「アフォンダトーレ」もリッサ島沖に到着し、イタリア艦隊の装甲艦は十二隻となりました。
アフォンダトーレ
(イタリア装甲艦アフォンダトーレ)
この新鋭艦「アフォンダトーレ」は、ほかの装甲艦が舷側砲門タイプだったのに比べ、23センチ砲を砲塔形式で前後に搭載するという近代の戦艦に通じる強力な装甲艦でしたが、ペリオン提督が期待していたのはむしろこの艦の砲撃力よりも、艦首に装備されていた衝角(ラム)でした。

この時代、装甲と砲の貫徹力の勝負は装甲側が有利な時代でした。
船体を装甲で覆った装甲艦に対し、艦載砲の貫徹力は装甲を撃ち抜くには不足し、少々の距離では砲を撃っても装甲を射抜くことができなかったのです。

そのため各国の海軍は古代ガレー船のように艦首部分に衝角(ラム)というものを取り付け、艦首を敵艦の横腹にぶつけることで穴を開け沈めるという方法をまた取り入れようとしておりました。
帆船とは違い蒸気機関で自由に動ける装甲艦は、相手に対する体当たりもまたしやすいと考えられたのです。
「アフォンダトーレ」もまた強力な衝角を持った装甲艦でしたので、ペリオン提督はこの衝角を持って相手を沈めようと考えていたのでした。

18日と19日のイタリア艦隊の砲撃により、リッサ島守備隊の砲台は大きな損害を受けました。
しかし、イタリア艦隊の方も砲弾が残り少なくなったうえ、装甲艦の一隻がたまたま砲門より飛び込んできた砲弾で損傷してしまうという損害を受けて勝手に帰還してしまっておりました。

7月20日、いよいよリッサ島に陸兵を送り込もうとした矢先、イタリア艦隊は北西から接近してくる艦影を認めます。
リッサ島救援に現れたテゲトフ提督指揮するオーストリア艦隊でした。
オーストリア艦隊はリッサ島沖にイタリア艦隊が出現したという報告を受けると、19日にはポーラ港から出撃して来ていたのです。

テゲトフ提督の指揮下には、旗艦「フェルナンド・マックス」以下装甲艦七隻と非装甲艦二十隻がありました。
彼はそれを三つに分け、第一陣は自ら指揮する装甲艦七隻、第二陣は非装甲戦列艦「カイザー」以下七隻、第三陣は中小の非装甲艦十三隻の三段の後翼単梯陣(旗艦を中心に左右に傘のように広がるいわゆる逆V字型の陣形)を組み、イタリア艦隊へと突進していきました。

テゲトフは麾下の艦隊がイタリア艦隊に比べて劣勢であることを承知しておりました。
しかし、機動力によって先手を取ることで劣勢を補おうとしたのです。

これに対しイタリア艦隊は装甲艦十一隻、非装甲艦十四隻を擁しておりましたが、上陸部隊を支援するために広く散開してしまっておりました。
ペリオン提督はとりあえず装甲艦を集結させ単縦陣(先頭艦から一列に並ぶ陣形)を組もうとしましたが、どうにか陣を組めたのは八隻しかおらず、「アフォンダトーレ」はまだ列外にあり、残り二隻の装甲艦は離れすぎていて陣に加わることができませんでした。
また、非装甲艦部隊を指揮していたアルビーニ提督はペリオン提督の命令を無視して戦闘に参加しようとはしませんでした。

1866年7月20日午前10時35分ごろ、テゲトフ提督座乗のオーストリア艦隊旗艦「フェルナンド・マックス」のマストに信号旗が上がります。
「装甲艦は衝角を持って敵を撃沈すべし」
テゲトフ提督もまた、砲撃ではなく衝角によって敵艦を沈めることを命じたのでした。

(15)へ
  1. 2011/12/12(月) 21:12:36|
  2. 普墺戦争
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そこから旅順港は見えるか?

「坂の上の雲」第11回「203高地」の視聴をいたしました。

もうね、なんといいますかすごいドラマだなぁと。
それしかいえませんねぇ。

序盤の第三回総攻撃は坑道攻撃や接近壕を使っての攻撃等いままでとは違う面も見せつつもやはり失敗という状況になり、万策尽きた第三軍司令部が203高地攻撃に切り替えるというシーン。

中盤には児玉参謀長がなぜか奇妙な貨車で旅順に向かい、乃木司令官と腹を割って話すシーン。
ここは高橋英樹氏と柄本明氏の演技が光る場面でした。

激しやすい感じの高橋児玉と非常に静かな柄本乃木が対照的でしたね。
そして児玉参謀長が正直に自らの非を認めたうえで乃木司令官に第三軍の指揮権を預かると頼み込むという。
本来であればあってはならないことを勝利のためには行おうとする気構えは、のちの昭和陸軍には見られなかったのではないでしょうか。
(あるいは悪い面で行われたといえるかも)

終盤には203高地での激戦。
肉と肉のぶつかり合いの白兵戦のすさまじさがよく表れていたと思います。
もう、あの状況になると敵も味方も生きるか死ぬかしかないですから、凄惨な殺し合いになってしまうんですよね。

そしてついに203高地を占領して砲撃観測所を設けてからのこのセリフ。
「そこから旅順港は見えるか?」
「見えます!」

もうね。
このセリフだけで泣けてきます。

実際の旅順要塞攻略にはこの203高地陥落後も一ヶ月ほど攻囲戦が続くわけで、203高地そのものが要塞の致命傷になったわけではないわけですが、やはりこの203高地占領から風向きが変わったのは間違いないことでしょう。

次回は「敵艦見ゆ」
いよいよバルチック艦隊がやってきますね。
次回も楽しみです。

今日はこんなところで。
それではまた。
  1. 2011/12/11(日) 21:26:27|
  2. 映画&TVなど
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12月はやっぱり・・・

NHKのドラマ「坂の上の雲」を視聴したり、12月8日が日本軍の真珠湾攻撃から70年だったりとウォーゲーマー的には「日露戦争」のゲームや「太平洋戦争」のゲームをやりたくなったりする時期なわけですが、12月といえば1944年のアルデンヌにおける独軍の反撃、いわゆる「バルジの戦い」もこの時期の名物戦闘です。

なので、この時期には「バルジの戦い」テーマのゲームもやりたくなるわけでして、ありがたいことにこのたびEP/CMJの「バルジ大作戦」をセンパー様と対戦することになりました。

eww4.jpg  023.jpg
(左は大本のエポック社版の箱、右が私の持っているコマンドマガジン日本版23号)

センパー様とは先日EP/CMJ「独ソ電撃戦」を対戦させていただいたのですが、その折に次回は「バルジ大作戦」をぜひということで約束をしておりましたのです。

対戦開始は史実の作戦開始日(12月16日)よりちょっと早い13日の火曜日。
VASSALというソフトを使っての通信対戦です。
自宅にいながらパソコンを使って遠く離れた場所の方と対戦できるというのは本当に便利な世の中ですよねぇ。

陣営は私が米英連合軍でセンパー様が独軍です。
すでに連合軍の初期配置はセンパー様に送りましたが、かつてのシミュレイター誌に掲載されたレックカンパニーのベストセットアップとされるものに準じました。
これでセンパー様独軍の猛攻をどこまで受け止められるか。

b-87.jpg
こちらは学研の「歴史群像」誌2008年2月号。
特集が「アルデンヌ1944」とまさに「バルジの戦い」の記事ですので、これを読み返して対戦前のモチベーションを高めようと思います。

あー、対戦が本当に楽しみですー。

今日はこんなところで。
それではまた。
  1. 2011/12/10(土) 21:08:09|
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普墺戦争(13)

プロイセンに同調し、ヴェネツィア地方獲得のためにわざわざオーストリア帝国に宣戦布告したイタリア王国でしたが、「クストッツァの戦い」において一敗地に塗れてしまいました。

これはオーストリア軍側司令官アルブレヒト大公による積極果敢な行動も大きく影響しておりましたが、イタリア側もまだ統一後わずか五年しか経っておらず、イタリア国内各地の旧各国軍の統一的運用も未熟で将兵に対する扱いの格差など問題点も山積していたことも見逃せない事実でした。

特にかつては南イタリア地方で権勢を誇っていた旧ナポリ王国の兵士たちは、イタリアを統一したのがサルディニア王国だったからといって、当時は辺境の島国であったサルディニアの指揮官たちに従わなくてはならないなどということは屈辱以外の何者でもなかったのです。
そのため彼らは往々にして陸軍内で反抗を繰り返し、イタリア陸軍の戦闘力を減じてしまっていたのでした。

イタリア軍は「クストッツァの戦い」後オーストリア軍が追撃してこなかったことから、何とか体勢を立て直して再度の侵攻を試みようとします。
一方イタリア軍は地中海に有力な艦隊を持っていたこともあり、海軍力を持って陸軍の支援を行おうと考えました。

当時、欧州では海上戦闘艦に大きな変革が訪れてきておりました。
産業革命により蒸気機関や製鉄などの分野が発達したことで、海上戦闘艦のスタイルも大きく変わってきていたのです。

1860年にはフランスで船体に装甲を施した装甲艦「ラ・グロアール」が竣工。
翌1861年にはいまも英国で記念艦として保存されている装甲艦「ウォーリア」が竣工するという具合に、海上戦闘艦はかつての木造帆船である戦列艦から、蒸気機関を備え装甲を張り巡らせた装甲艦へと変わってきていたのでした。

「普墺戦争」開戦時、イタリア王国には大小十二隻の装甲艦があり、非装甲の艦も大小合わせて二十二隻を擁しておりました。
これに対しオーストリア帝国には大小七隻の装甲艦しかなく、非装甲の艦も二十隻とイタリア海軍より劣勢でした。
しかも戦闘力の要である艦載砲も新型の後装式(大砲の後ろ側から弾を込める)の大砲をイタリア海軍の艦は装備していたのに対し、オーストリア海軍の艦載砲は大部分が前装式(前から弾を込める)大砲だったため、命中精度と発射速度両面でイタリア海軍に後れを取っていたのです。

イタリアとしてはこの海軍力の優位を生かそうと考えました。
そこで「クストッツァの戦い」以前より、イタリア海軍に対してオーストリア海軍への攻撃を命じておりましたが、イタリア艦隊の司令長官ペルサーノ伯カルロ・ぺリオン提督は60歳になる老提督であり第一線指揮官よりも政治家というほうがふさわしいような人物であったためはなはだ戦意が低く、イタリア艦隊をアンコナ近海で訓練に明け暮れさせるだけという有様でした。

一方戦力的には劣勢のオーストリア海軍でしたが、その指揮官にはヴィルヘルム・フォン・テゲトフ提督が就任しておりました。
彼はまだ38歳という若き指揮官であり、しかも「第二次シュレスヴィヒ・ホルシュタイン戦争」でデンマーク海軍とも戦ったことのある有能な人物で部下たちの信望も厚い人物でした。

テゲトフは自艦隊が劣勢であるにもかかわらず艦隊を率いて出撃し、1866年6月27日にイタリア艦隊のいるアンコナ沖に現れます。
イタリア艦隊は突然のオーストリア艦隊の出現にあわてて出港準備を行いますが、機関故障を起こす艦や戦闘準備の整わない艦、果ては火災事故まで起こす艦が現れる始末でした。

それでもイタリア艦隊司令官ペリオンは麾下の装甲艦四隻を率いてアンコナ港外へ出撃します。
しかし、彼はアンコナ港の砲台の援護射撃が届く範囲から出ようとはせず、洋上で作戦会議を行うなどしているうちにテゲトフのオーストリア艦隊は悠然と引き上げてしまいます。
このペリオンの態度は艦隊の下級兵士からイタリア政府にいたるまでがっかりさせたことは間違いありませんでした。

「クストッツァの戦い」で陸軍が敗退し、アンコナ港外では海軍も消極的な態度に終始したイタリア軍でしたが、7月3日に「ケーニヒグレーツの戦い」においてオーストリア軍がプロイセン軍に大敗したという報告がもたらされました。
このため、遠からずプロイセン軍がオーストリア帝国の首都ウィーンに進撃するものと考えたイタリア政府は、戦争が終結する前に何らかの戦果を上げる必要に迫られます。

イタリア政府は陸軍に再度のヴェネツィア地方への侵攻を命じるとともに、海軍に対してもアドリア海の対岸にあるオーストリア領ダルマティアのリッサ島にある要塞を攻略し、救援に駆けつけてくるであろうオーストリア艦隊を撃破するよう強く命じます。

おりしもイタリア艦隊には英国に発注していた装甲艦「アフォンダトーレ」が到着し、この装甲艦の到着してないことを口実に出撃を引き伸ばしていたペリオンもついに出撃せざるを得なくなりました。
装甲艦同士の海戦として名高い「リッサ海戦」が、今始まろうとしておりました。

(14)へ
  1. 2011/12/09(金) 21:08:55|
  2. 普墺戦争
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やっぱりかぁ・・・

昨日に引き続きプロ野球ネタですみません。
と、言うか、今日はやはり書かずにはおけない気がしたもので・・・

皆様もうご存知かもしれませんが、北海道日本ハムファイターズのエースダルビッシュ投手がポスティングシステムを使ってメジャーに挑戦することをご自身のブログで表明いたしました。

いやぁ、正直言ってやはり行ってしまうのかという気持ちですね。
いずれは行きたいのかなぁとは思っておりましたが、以前は「そんなの考えていない」とか、「日本ハムから追い出そうとしているんですか?」みたいなセリフを言ったというような報道も見かけたので、ポスティングでは行かずFAでかなぁと言う淡い期待もしていたんですよね。

こうしてポスティングでとなると、昨年の岩隈投手の例もあるように条件次第では日本ハム残留ということもないわけではないのかもしれませんが、まずは九分九厘メジャー移籍でしょう。
来季栗山新監督になる日本ハムにとっては大きな痛手ですね。
来季は非常に苦しい戦いを強いられることになるでしょう。

私は個人的にはメジャーには興味を持ってませんので、メジャーでの日本人選手の活躍はニュースで聞くぐらいしかないのですが、ダルビッシュ投手にはメジャーで活躍してほしいところです。
そのうえで二年ほどメジャーでやって飽きたら日本に戻ってきてほしいなぁなんて考えちゃいますね。(笑)

一方巨人にいたラミレス選手が横浜に移籍することが決まったようですね。
また横浜の村田選手はFAで巨人に移籍することも決まったようです。

そして横浜の新監督には中畑清氏がこれも決定したとのこと。
来季の横浜は面白くなりそうですね。

今日はこんなところで。
それではまた。
  1. 2011/12/08(木) 21:06:38|
  2. スポーツ
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朝っぱらから妄想

プロ野球はストーブリーグ真っ盛りですね。

球団売却となった横浜DeNAベイスターズは高田GMと工藤公康氏の折り合いがつかず工藤新監督という話はお流れ。
代わって元巨人の中畑清氏が新監督候補にあがっているとか。
中畑監督というのも見てみたいですね。

一方北海道日本ハムは出戻りが本当に多いですよね。
今回も横浜を戦力外になったスレッジ選手を呼び戻すことになったようですし、巨人を自由契約になった紺田選手も戻ってくることになりました。
もっとも紺田選手は右肩の手術を行ったそうですので、来季の序盤は苦しいかもしれません。


で、私はというと、今日は朝から布団の中でちょっとした妄想に浸っておりました。(笑)

一応メモしたのはこんな感じ。
どこかで見たような話な上に主人公の鬱展開ネタですが・・・

主人公:男子高校生 父は行方不明で母子家庭 母親は病弱で入退院を繰り返している。 (実は父の手で異形化「新人類化」が行われており異形の姿に変身できる、だが新人類世界思想には毒されておらず人類を脅かす新人類に対抗している)
「現れたな新人類め!」

主人公があこがれている女性教師:ある日突然新人類化させられて蜂の新人類となる 可愛い女子生徒たちを働き蜂にして主人公を襲わせてくる 主人公は苦悩しながらも彼女を倒す。
「オホホホホ・・・この娘たちはもう私の可愛い働き蜂。さあ、お前たち、あの男を始末しなさい!」

主人公の母親:病院にいたところを新人類化させられる カマキリの新人類に生まれ変わった喜びとともに主人公を新人類世界思想に染めようとするが主人公は拒否 主人公はまたしても苦悩しながら母を倒す。
「うふふふふ・・・私はもう病気で苦しむことはないの。あなたも新人類なのよ。一緒に旧人たちを滅ぼしましょう」

主人公の幼馴染:主人公に思いを寄せていたところ新人類化させられる 蜘蛛の新人類に生まれ変わった喜びとともに新人類世界を築こうとしている主人公の父の女になってしまう 主人公の父とともに主人公を新人類世界に取り込もうとするが失敗し、主人公に倒される。
「私はもう身も心も首領様のものなの。でもあなたが仲間になってくれるなら、首領様にお願いしてあなたと一緒になってもいいわ」

主人公の父:すべての元凶 遺伝子を変化させて新人類を生み出していく 主人公への実験はうまく行ったものの思想を変えることができなかったために更なる研究を行っていた 古い特撮の悪の組織に憧れ、自らを首領と呼ばせている 主人公に倒されるが、最後に「強くなったな・・・」との言葉を残す。
「人類などどうでもいいのだ。俺はあのショッカーのようなことがやりたかったのだ!」

まあ、どこかで見たようなネタのオンパレードですね。(笑)
朝っぱらからこんな妄想に浸っている危ない舞方です。
残念ながらたぶんここで書いちゃったのでSSにはしないと思います。

今日はこんなところで。
それではまた。
  1. 2011/12/07(水) 21:07:39|
  2. 趣味
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普墺戦争(12)

のちに「ケーニヒグレーツの戦い」と呼ばれることになるプロイセンとオーストリアの会戦に向け、プロイセン軍は着々と戦力を集中させておりました。
そしてこの戦いを前線で指揮するべく、プロイセン国王ヴィルヘルム一世、首相のビスマルク、参謀総長のモルトケと言った首脳陣もベルリンを離れ前線へと駆けつけておりました。

1866年6月30日、モルトケは各軍に指示を発し、第一軍はケーニヒグレーツへ前進、第二軍はそのままエルベ河左岸を確保しつつ前進、エルベ軍はオーストリア軍を左翼から包囲するよう前進することを命じました。
プロイセン各軍は直ちにこれに呼応し、今回も分進合撃の態勢を整えます。

7月1日、プロイセン軍はオーストリア軍に対する攻撃準備を開始。
翌2日を兵たちの休養に充て3日に敵陣を偵察、4日に攻撃を開始すると言うタイムテーブルをたてておりました。

しかし、2日にオーストリア軍の様子を確認したところ、いまだオーストリア軍は陣地で防備を固めていないことが判明。
第二軍がこの時点ではまだ40km.以上離れた位置にいたものの、防備を固められる前に攻撃を行うことに決定し、翌3日に攻撃を行うこととなりました。

1866年7月3日早朝、オーストリア軍に対するプロイセン軍の攻撃が始まりました。
このときまずプロイセン軍はオーストリア軍の正面に位置するスェープの森を早期に確保し、オーストリア軍を圧迫します。
これに対しオーストリア軍もスェープの森に戦力を集中し、これを奪回しようと試みました。

この普墺戦争においてはプロイセン軍とオーストリア軍の間には装備の質の差が結構影響をもたらしておりました。
プロイセン軍はその兵の主要装備として後ろから弾を込める当時新式の後装銃を装備しておりました。
これは今でも狩猟用の銃等では一般的なものであり、いちいち銃を立てて前から弾を込める必要がないため発射速度も速く、また兵士が伏せたまま射撃を行うことができるというものでした。
これに対しオーストリア軍はまだ銃口から弾を込める前装銃を装備しており、発射速度や射撃姿勢などの面でかなりの不利を受けていたのです。
またプロイセン軍は銃と同じく後装式の砲も多く装備しており、こちらもまた射撃速度の面などでオーストリア軍を圧倒しておりました。

当時のオーストリア軍は後装銃は弾を無駄遣いするだけだと考え、むしろ銃剣突撃を重視して白兵戦により相手を圧倒するという思想であったことから、この普墺戦争中常に多くの損害をこうむってきておりました。
それはこの「ケーニヒグレーツの戦い」でも同様で、スェープの森に対するオーストリア軍の攻撃は多くの損害を出すことになりました。

しかし、兵力を集中したオーストリア軍の攻撃はプロイセン軍をたじろがせ、スェープの森はオーストリア軍が奪回します。
プロイセン軍の攻撃に対しても砲の火力を集中して撃退し、エルベ軍からの側面攻撃にも持ちこたえておりました。

午前中はこのようにややオーストリア軍が優勢に戦闘を進め、プロイセン国王ヴィルヘルム一世も戦闘の先行きに不安を感じたといいます。
しかし、プロイセン軍にはいまだ戦場に到達していない無傷の第二軍がおり、この第二軍が到着すれば戦況は変わると思われました。

はたしてお昼近くにプロイセン軍の第二軍が戦場に到着すると、三方から囲まれる形となったオーストリア軍には勝機はなくなってしまいました。
オーストリア軍はその後も激戦を続けて粘りましたが、夕方にはついに戦場から後退せざるを得ませんでした。

オーストリア軍はやむなくケーニヒグレーツの要塞に立てこもろうとしましたが、なんと要塞指揮官がこれを拒否してしまいます。
要塞指揮官はプロイセン軍が追撃してくることで要塞が混乱に巻き込まれると考え、味方の収容を断ったのです。
オーストリア軍はさらに後退を続けるしかありませんでした。

一方戦場に残って勝者となったプロイセン軍にもこの戦いによる疲弊は激しく、追撃を行うことはできませんでした。
プロイセン軍はこの「ケーニヒグレーツの戦い」で九千という損害を出したのです。
ですが、敗者となったオーストリア軍が受けた損害は死傷者四万四千名という大きなものでした。
ただ、まだ完膚なきまでに敗れたわけではありませんでした。

(13)へ
  1. 2011/12/06(火) 21:05:48|
  2. 普墺戦争
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やはりやりたくなりますよね

昨晩視聴したNHK「坂の上の雲」ですが、やはりあのようなすばらしい映像を見せられてしまいますと、ウォーゲーマーとしてはふつふつと「日露戦争」のゲームをプレイしたくなりますね。

普通であればここで定番のEP/CMJ「日露戦争」の出番なんでしょうが、そう言えばかなり昔のコマンドマガジン日本版にも「日露戦争」のゲームが付録でついていたなぁと思い出しましたので取り出してみました。

006.jpg
なんと、付録になったのはコマンドマガジン日本版の第6号。
いまはもう101号が発売になったのですから、95号も前の付録です。

タイトルは「日露戦争:旅順攻略」
旅順攻略とは言いますが、一ターン一ヶ月(冬季は一ターン二ヶ月)で日露戦争の陸戦全般を扱った戦略級ゲームです。

このゲーム、当時手に入れてすぐにユニットは切っていたんですが、一度もプレイせずにいままで来てしまいました。
定番のEP/CMJの「日露戦争」を持っているからいいかなって思ったのと、なんとなくやる気にならなかったんですよね。
なので、ソロプレイもしておりません。

と言うことで、プレイはともかく初期配置だけでもしてみることに。

コマンド6号日露1
全景はこんな感じ。
扱っている地域が同じですからほかの日露戦争のゲームと変わりませんね。

コマンド6号日露2
初期配置時点で鴨緑江を挟んでにらみ合っている日露両軍。

コマンド6号日露3
マップの端っこにある旅順要塞。
しっかりロシア軍ユニットが守ってます。

コマンド6号日露4
EP/CMJ「日露戦争」と違い、こちらは各ターンの登場ユニットは決まってます。
整然と並んだ両軍の増援ユニットたち。

このゲームはユニットにZOCと呼ばれる支配地域がなく、さらに戦略移動では移動力無制限なので敵に隣接しなければどこまでも移動できるため、慣れないうちにはどうしたものやら途方にくれてしまう感じです。
一度どなたかと対戦してみないとわからないことが多そうですね。

と、言うことで、機会があれば一度プレイしたいなぁとおもいつつ今日はこんなところで。
それではまた。
  1. 2011/12/05(月) 20:54:09|
  2. ウォーゲーム
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第三部始まった!!

先ほどまでNHKの「坂の上の雲」第10回「旅順総攻撃」を視聴しておりました。

いやぁ、戦闘シーンがすごかったですね。
久しぶりになかなか見ごたえのある戦闘シーンを見せてもらったような気がしました。

日露戦争は近代戦闘の序盤であり、日本もロシアも当時は近代戦闘の何たるかを知らなかった面がありますが、まさに銃火に向かっての突進は防御火力のすさまじさを理解していなかったことの現われですね。

日本とロシアはこのことで充分に防御された陣地への突撃は自殺行為と言うことを知ったわけですが、アメリカはこのことを「南北戦争」で知り、欧州各国は「第一次世界大戦」で知ることになるわけです。

児玉と乃木のやり取りも面白かったですね。
通説どおりではなく、乃木にもきちんと言わせていました。

惜しむらくは尺の関係でしょうが、第三軍司令部のやり取りがもっとあってもよかったのになぁとおもいました。

海上戦闘は日本海海戦に全力投入するためなのか、「日露戦争における黄海海戦」がさらっと流されてしまいました。
せっかく第二部で出てきていたマカロフ提督の戦死なんかも流されてしまいました。
このあたりはちょっと残念でした。

来週は第11回「203高地」
来週もまた楽しみです。

今日はこんなところで。
それではまた。
  1. 2011/12/04(日) 21:09:50|
  2. 映画&TVなど
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昇格おめでとう

いろいろとご心配をおかけいたしましたが、本日無事に父が退院することができました。
どうも体調不良から肺炎を起こしてしまったようで、年齢のせいか回復まで時間がかかってしまいました。

まだ自宅静養と言う感じで、来週また経過観察のために病院に行かなくてはなりませんが、まずは一安心です。
よかった。

よかったと言えば、今日はサッカーJ2最終戦が行われまして、地元のコンサドーレ札幌がFC東京に2-1で勝利しまして、来季のJ1昇格が決まったとのこと。
サッカーはプロ野球ほど応援しているわけではありませんが、やはり地元のチームですので動向は気になっておりました。
コンサドーレ札幌、おめでとうございます。

プロ野球のほうは同じく地元の北海道日本ハムファイターズが今日新人の入団発表を行いましたね。
皆様ご存知のとおり、ドラフト一位指名の東海大学菅野投手は指名拒否を行いましたので、残念ながらドラフト二位から七位までの六名による入団発表でしたが、そうなりますとソフトボール出身の大嶋選手が注目を浴びていたようです。
皆さん来季が一年目ですのですぐに活躍と言うわけにはいかないでしょうけど、六人ともがいずれ活躍してくれることを期待したいですね。

今日はすみませんがこんなところで。
それではまた。
  1. 2011/12/03(土) 20:24:35|
  2. スポーツ
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装甲列車が現存していたとは驚き

今日は金曜ロードショーで「ルパン三世」ですね。
五右衛門、不二子、銭形警部の声優さんが変更されたので、どんな感じか楽しみです。

今月の「グランドパワー」誌はドイツ軍の8輪重装甲車の特集でした。
表紙はこちら。
GP1201.jpg

ドイツ軍の偵察部隊で多用されました装甲車のうち大型で8輪の重装甲車sd.kfz231、232、233、263の四種が特集されてます。
sd.kfz232に関しては、以前タミヤより1/35でプラモが出ていたこともあるので、目にしたこともある方が多いのではないでしょうか。

記事を読んで「ああ、なるほど」と思ったのは、75ミリ短砲身砲を搭載したsd.kfz233に関して、今までsd.kfz231をベースにしたのだとばかり思っていたのですが、砲塔がない固定戦闘室のsd.kfz263がベースになっているんですね。
確かに砲を固定装備するのであれば固定戦闘室の263をベースにするのは合理的なんでしょうね。

第二特集は陸上自衛隊の73式装甲車。
こちらはドイツ軍の8輪装甲車と違い装軌式(履帯式)の装甲車で、兵員輸送用の車両です。
73式装甲車と74式戦車は一時期の自衛隊の機械化部隊の主力でしたので、個人的には思い入れを感じる車両ですね。

第三特集ではドイツ軍の装甲列車の図面が掲載されてました。
驚いたのは表題にも書きましたが、ポーランドに対戦中のドイツ軍の装甲列車が現存していたと言うことですね。
巻頭カラーでグレーに塗られた装甲列車の写真が掲載されておりましたが、まさか現存しているものがあるとは思いませんでした。
大戦時にポーランドで捕獲され、その後ポーランド軍が1960年代まで使用していたとのこと。
いやぁ、あるところにはあるものですねぇ。

今日はこんなところで。
それではまた。
  1. 2011/12/02(金) 20:51:35|
  2. 本&マンガなど
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そう来ましたかー

今日はプロ野球の実行委員会とオーナー会議が行われ、モバゲー運営のDeNAが横浜ベイスターズを買収することが承認されましたね。

これで正式に横浜は「横浜DeNAベイスターズ」になることが決まり、新監督と目されている工藤公康氏の招聘に本格的に動くことになりそうです。
またFA宣言している村田選手に対するひきとめにも動いていくことになりそうですね。
これで球団経営が安定することになれば、横浜の戦力強化も順調に行われていくことになるのでしょう。

私のほうは昨晩は先日「独ソ電撃戦」をお相手いただきましたセンパー様と通信対戦で入れ替え戦を行いました。
私がソ連軍を担当し、センパー様が独軍を担当です。

センパー様は装甲師団を集中運用しソ連軍の前衛を確実に食いつぶす作戦でした。
そして開いた穴から高速で東へ向かったのです。

勝利条件的には都市を占領して勝利得点を得なくてはなりませんが、そういった都市に篭もるソ連軍に対しては、足の遅い歩兵師団を集中させて包囲殲滅すると言う形であり、それ以上に無理して都市を占領しに行かないと言う安全策を取ってきたのです。
都市を攻撃すればどうしても低比率戦闘になり、独軍側にも損害が出る可能性が出てきます。
独軍は極力損害を抑え、勝利得点も低くてかまわないと言う作戦でした。

この作戦、私はまったく予想しておりませんでした。
独軍は5ターン目に至っても、ブレスト・リトフスク一ヶ所しか陥落させておらず、勝利得点としては5点しか手に入れてません。
この独軍の都市攻撃の少なさは、ソ連軍担当の私としては不気味でした。
独ソ電撃戦2戦目5ターン

私は結局不気味に思いながらも独軍の真意を見抜くことは最後のターンまでできませんでした。
独軍はソ連軍の都市を陥落させて点数を取りに行くのではなく、ソ連軍の後方連絡船を切ることで、ソ連軍に得点を与えないことを作戦の主眼としていたのです。

このゲームでは都市の占領による得点にはひとつの制約があり、その都市から盤外まで連絡線がひけなくてはなりません。
連絡線がひけない都市は、たとえ占領していても得点にならないのです。

そう、ソ連軍の連絡線を切ってしまえば、独軍はたった一ヶ所の都市しか取っていなかったとしても、その得点だけで勝てるのです。

私がこのことに気が付いたときにはもう手遅れでした。
最終ターン、ミンスク後方の連絡線が切られてしまい、ソ連軍の各都市は孤立状態に。
ソ連軍は都市の保持による得点が一点も入らなくなってしまったのでした。
独ソ電撃戦2戦目終了時

結局独軍はブレスト・リトフスク、ビヤリストク、バラノウィチの三ヶ所しか占領しておりませんでしたが、合計9点。
ソ連軍はミンスク、グロドノ、ヴィルナ、スルーツクの四ヶ所を保持し続けたものの、連絡線を切られたために1点も得られず独軍部隊の除去による6点のみ。
3点差で独軍の勝利となったのでした。

いやぁ、やられました。
都市の占領にこだわらずに後方の連絡線を切りに来るとは思いませんでした。
自分だけの考えでは思いつかないことで、これこそ対人戦の醍醐味と言えるでしょう。
センパー様の作戦には本当に驚かされました。

センパー様とは今度は冬のアルデンヌでまた対戦をしようと約束いたしましたので、今度は負けないようにしたいです。
センパー様、次回もよろしくお願いいたします。

今日はこんなところで。
それではまた。
  1. 2011/12/01(木) 21:06:21|
  2. ウォーゲーム
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(まいかた まさと)と読みます。
北海道に住む悪堕ち大好き親父です。
このブログは、私の好きなゲームやマンガなどの趣味や洗脳・改造・悪堕ちなどの自作SSの発表の場となっております。
どうぞ楽しんでいって下さいませ。

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