またうれしいリンク先が増えました。

管理人きんぐ様のサイト「
ぺろぺろ☆きんぐだむ」様です。(サイト名クリックでリンク先に飛べます)
このバナーを見ていただきましてもお解かりになりますように、きんぐ様はとてもかわいらしいイラストを描かれます方で、私はきんぐ様のイラストがすごく好きなんですが、このたびサイトとリンクさせていただけることになりました。
サイトとしてはまだ開設されたばかりとのことで、掲載されていらっしゃいますイラストも少なめですが、そのいずれもがかわいらしいイラストで萌え萌えです。
まだまだこれからのサイト様ではございますが、どうか皆様も一緒に応援してくださいますとうれしいです。
きんぐ様、今後ともよろしくお願いいたします。
今日はこれにて。
それではまた。
- 2011/10/31(月) 21:11:25|
- ネット関連
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いやぁ、2戦連続で負けちゃいましたね。
今日の敗戦で北海道日本ハムの2011年シーズンが終了してしまいました。
せめて最終ステージまで勝ち上がってほしかったんですけどね。
それにしても西武の投手陣相手にまったくと言っていいほど打てませんでしたね。
レギュラーシーズン後半の打線の湿り具合がそのまま出てしまったような気がします。
またミスも出てしまいましたね。
短期決戦ではミスは致命的ですから、ミスをしてしまっては勝てなくなってしまいますね。
1戦目はエースダルビッシュ投手を投入しての必勝パターンでしたが、最後に武田久投手が2死まで追い込みましたがつかまってしまい同点に。
日本ハムは初回の二点だけでその後はぴしゃりと抑えられてしまったのが痛かったですね。
もう一点取っていれば何とか勝ちをもぎ取れたとは思うんですが・・・
2戦目はホフパワー選手のホームランで先制したもののすぐに追いつかれてしまい、ミスで二点目を西武に与えてしまったあとの攻撃で一点も取れなかったのが痛かったです。
最後は西武の打力に圧倒されて終わってしまいました。
ほんとに打てなかったですね。
残念ですが、これが日本ハムの実力といえるかもしれません。
まだまだ鍛え足りていないんだと思います。
来季は出直しの気持ちで力をつけていってほしいですね。
梨田監督、四年間本当にお疲れさまでした。
ありがとうございました。
今日はこんなところで。
それではまた。
- 2011/10/30(日) 21:02:02|
- スポーツ
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フランクフルト国民議会による話し合いでのドイツ統一が不首尾に終わったころ、フランスでは「1848年の革命」によって大統領に選ばれた一人の人物が、虎視眈々と自己の権力の拡大を図っておりました。
ルイ・ナポレオン・ボナパルトです。
1851年12月、彼はクーデターを起こして力をつけ、翌1852年には国民投票で皇帝に選出され、ナポレオン三世としてフランス第二帝政を開始します。
このナポレオン三世が、ドイツ統一にのちのち大きくかかわってくることになる人物でした。
一方1853年、聖地管理権問題に端を発したロシア帝国とオスマン帝国の争いは、ついに「クリミア戦争」として両国間の戦争に発展します。
このとき、国内のカトリック教徒におもねり自己の人気取りをたくらんで聖地管理権問題に首を突っ込んだ挙句に火種を提供した形になったフランスのナポレオン三世は、英国を抱きこんで英仏連合としてオスマン帝国を支援。
「クリミア戦争」は二国間戦争から国際戦争へと発展していきました。
この「クリミア戦争」に目を着けたのが、地中海に浮かぶ島国サルディニア王国でした。
サルディニアはこの一見自国とは何の関係もない戦争に途中から英仏側の一国として参戦したのです。
このサルディニアの行動は深い深慮遠謀が働いたものでした。
「1848年の革命」は以前にも述べましたようにオーストリア帝国の屋台骨も揺るがしました。
ハンガリーでの暴動や、北部イタリアでの暴動などです。
このとき北部イタリアでの暴動はイタリア統一の動きにまで発展しようとしましたが、残念なことにこれはオーストリア帝国の力によって押さえつけられてしまいました。
サルディニアはこれを見て、イタリアを統一するのはわが国以外になく、そのためには近い将来にオーストリアと戦うことになる可能性が高い、そうなれば英仏を味方につけておくほうが望ましいと考えたのです。
自分のために他国に働いてもらおうとするのであれば、まず自分から他国のために働かなくてはならない。
そう思ったサルディニアは、この「クリミア戦争」に参戦し、英仏に恩を売ろうと考えたのでした。
このサルディニアの行動は図に当たり、「クリミア戦争」は英仏とオスマン帝国、それにサルディニア側が一応の勝利を収めることができました。
英仏両国はサルディニアに借りを作ることになったのです。
英仏に貸しを作ったサルディニアは早速行動を開始し、フランスのナポレオン三世との間に密約を結びました。
それはサヴォイアとニースをフランスに渡す代わりに、対オーストリアとのイタリア統一戦争ではフランスがサルディニアを支援するというものでした。
しかし、この密約はオーストリア帝国側に発覚し、この密約を自国への敵対行為とみなしたオーストリアがサルディニアに宣戦を布告。
1859年4月、「イタリア統一戦争」が始まりました。
オーストリア側から仕掛けたことになってしまったこの「イタリア統一戦争」でしたが、密約のおかげでフランスの支援を得ることのできたサルディニアはオーストリアの攻撃を跳ね返しました。
逆にオーストリア支配下であったロンバルディア地方を奪い取り、さらにヴェネティア地方も伺う勢いを見せると、なんとサルディニアの強大化を恐れたナポレオン三世は手のひらを返してオーストリアと単独講和を行ってしまいます。
フランスの裏切りとも言える行為を受けたサルディニアでしたが、それでもロンバルディアを手にしたことでイタリア統一の機運が高まり、トスカナ地方やパルマ地方などイタリアの地方領がサルディニアとの併合を求めてやってきました。
すると今度はナポレオン三世は、各地の併合を認める代わりにサヴォイアとニースをさっさとよこせとサルディニアに通達。
サルディニアはこれを受け入れてサヴォイアとニースをフランスに譲渡いたしました。
サルディニアはこの後シシリー島やイタリア南部も併合し、オーストリアから奪い取れなかったヴェネティアやトリエステ地方、それにローマ教皇領などを除いてイタリアのほぼ全部を統一。
こうしてイタリアの統一はサルディニア王国が中心となって成し遂げることができました。
ですが、統一されたイタリア王国にとり、フランスのナポレオン三世の行動はあまりにも身勝手と思われ、イタリアとフランスの関係は急速に冷え込んでいくことになったのです。
そして、オーストリア支配下のまま残されたヴェネティアやトリエステなどの地も、「未回収のイタリア」と呼ばれオーストリアとの間の火種としてくすぶり続けることになるのでした。
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- 2011/10/29(土) 21:14:41|
- 普墺戦争
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昨日のドラフト会議の余韻が続く中、今日阪神タイガースの新監督に和田豊氏が決定したと報じられました。
和田氏は1985年に阪神に入団され、それからずっと阪神のみで過ごされた方ですので、まさに生え抜き中の生え抜きといってもいいぐらいのお方だと思います。
2002年からコーチを務めてこられ、このたび阪神の監督に就任となったわけですが、記者会見では「強い決意と信念を持って取り組んでいく」とのコメントを発表されました。
個人的には以前も述べましたがちょっと不安に思うところです。
なんとなく見た感じおとなしそうなイメージがありますので、闘志あふれるような部分を見せてくださるといいのですが。
もちろん今まではコーチだったのでそういった部分を出さなかったのかもしれません。
まだ49歳と若い監督ですので、それこそ兄貴分として俺についてこい的な感じで選手を引っ張ってっていただけるといいかなと思います。
あとはヘッドコーチに実績豊富な老練な方が付いてくれると鬼に金棒のような気がしますが、外部招聘でそういう方をうまく連れてくることができるといいですね。
内部の人間ばかりではなく、やはり外部の人間も加えるべきだと思いますので。
さあ、これでドラフトも終わり新監督も決まりました。
阪神タイガースの2012年はもうスタートです。
まだ2011年を戦っているCS出場組みより一足早くスタートできることをうまく利用し、来季の阪神を盛り立てて行ってくれることを願います。
今日はこんなところで。
それではまた。
- 2011/10/28(金) 21:11:38|
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今日はプロ野球のドラフト会議でした。
まず驚きましたのは、巨人の単独指名濃厚と思われておりました東海大学の菅野智之投手を、北海道日本ハムが指名し、巨人と日本ハムでの抽選の結果交渉権を獲得したことですね。
菅野投手は皆様もご存知のとおり現在巨人の監督を務めております原監督の甥に当たる方で、ご自身も巨人入りを熱望されているという話でした。
そのため、多くの球団がその実力を認めながらも指名に二の足を踏んでしまったことは事実でしょう。
そんな中で日本ハムは指名を強行し、交渉権を獲得です。
本当に正直言って驚きましたし、菅野投手に拒否されてしまうのではないかという恐れが多分にあると思います。
ですが、個人的には菅野投手にはぜひ日本ハムに入団していただき、プロの道を歩んでいただきたいです。
そして他球団を知った上でFA等で巨人へいくということであれば、きっとご本人の成長のためにもいいのではないかと思います。
もちろんご判断はご自身が下すものですので、拒否となってしまったらもうそれは仕方のないことでしょう。
菅野投手ご自身でじっくりと判断していただきたいと思います。
一方阪神は大学ナンバーワン野手との呼び声の高い慶応大学の伊藤隼太選手を幸運にも単独指名することができました。
伊藤選手は守備もバッティングも高いレベルのものを持っている選手だそうで、巨人の高橋由伸選手にあやかって由伸二世とも呼ばれる選手だそうです。
阪神は外野手の世代交代が急務でありますので、伊藤選手が加入してくれることになれば外野手の層がぐんと厚くなってくれそうです。
俊介選手や柴田選手とともに外野のレギュラー争いをしてくれるとうれしいですね。
阪神の二位指名は聖光学院高校の歳内宏明投手。
高校生ですので、2・3年後に甲子園のマウンドに立っていてくれるといいなと思います。
日本ハムの二位は帝京高校の松本剛選手。
こちらも高校生内野手として中田翔選手同様2・3年後に日本ハム内野陣の一角に食い込んでくるような力を得てくれるといいなと思います。
最終的に阪神は育成選手含めて6人を、日本ハムは育成選手を取らずに7人を指名しました。
プロという世界は甘くはないでしょうが、一人でも多くの選手が一軍の華やかな世界に加わってくださいますよう楽しみに期待したいと思います。
今日はこんなところで。
それではまた。
- 2011/10/27(木) 21:14:06|
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久しぶりの歴史記事として「普墺戦争」をこのところ書いているわけですが、今日書店によりましたところ、世界史の大雑把な流れを把握するのによさげな本があったので購入してきました。

「読むだけですっきりわかる世界史」シリーズの「中世編」と「近代編」(宝島社:後藤武氏著)です。
まだパラパラっと内容を読んだだけですが、読みやすい文体で歴史の流れがとてもわかりやすく書かれているようなので、すぐにレジに持って行きました。
特に「近代編」は、現在の「普墺戦争」の記事にも役に立ってくれそうです。
これからじっくり読むことにいたします。
今日はこんなところで。
それではまた。
- 2011/10/26(水) 21:55:52|
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オーストリア帝国を混乱に導いたフランスに端を発する「1848年の革命」でしたが、ドイツ統一をもくろむ一方の当事者であるプロイセン王国も、その影響を受けずに済ますことはできませんでした。
このときのプロイセン国王はフリードリヒ・ヴィルヘルム4世でしたが、彼は父親であり前国王であったフリードリヒ・ヴィルヘルム3世が国民に約束した憲法制定を前年(1847年)に否定するという行為を行っており、これに憤った民衆が「1848年の革命」に影響を受けて蜂起するという事態になったのです。
このことでベルリンでは民衆と軍隊がぶつかるという最悪の状況となり、事態を憂慮したフリードリヒ・ヴィルヘルム4世はやむなく憲法の制定を約束。
1848年12月8日に、「プロイセン欽定憲法」が制定されました。
この憲法はいわば上から制定された憲法ではありましたが、民衆の言論の自由や司法の独立、選挙の保障などが取り入れられており、1918年まで使用された憲法でした。
一方、この「1848年の革命」により自由主義とナショナリズムの高まりを受けたドイツ連邦の各領邦国家では、それぞれ各国から選挙で選出された議員によるドイツ統一を目指す議会を開こうということになり、その議会が自由都市フランクフルト・アム・マインで開催されました。
この議会は「フランクフルト国民議会」と呼ばれ、自由主義憲法を制定し、その憲法下でドイツ統一を行おうとするものでした。
しかし、ここでもまたオーストリア帝国内のドイツ人は排除するという小ドイツ主義と、すべてのドイツ人を含めようとする理想論といえる大ドイツ主義がぶつかり合い、話し合いはなかなかうまくいきません。
それでもドイツ民族の悲願とも言うべきすべてのドイツ民族を含んだドイツという理想の前に小ドイツ主義は次第に旗色が悪くなってしまい、フランクフルト国民議会としては大ドイツ主義を基にしてドイツ統一を図ることに決します。
ところがこの決定はやはりオーストリア帝国にとって受け入れられるものではありませんでした。
オーストリアの反対によってフランクフルト国民議会の決定は宙に浮いてしまうこととなり、大ドイツ主義を推していた議長が辞職を余儀なくされるなどの事態になってしまいます。
フランクフルト国民議会はこれでは大ドイツ主義でのドイツ統一は無理と判断し、オーストリア内のドイツ人を省く形の小ドイツ主義でのドイツ統一へと方針を転換しました。
これによって統一への動きはスムーズに動き始め、翌1849年3月には「ドイツ国憲法」が制定されます。
そして統一ドイツの皇帝として、小ドイツ主義の中心であったプロイセン王国の国王フリードリヒ・ヴィルヘルム4世を選出することに決定し、その皇帝就任要請の使節をベルリンへと向かわせました。
これによって、ドイツ統一は目前かと思われました。
ですが、ここで事態は思わぬ方向に向かいます。
「1848年の革命」の影響を受け、やむなく「プロイセン欽定憲法」を制定して自由主義的内閣を任命したフリードリヒ・ヴィルヘルム4世でしたが、やはり内心では自由主義的な憲法に基づくドイツ統一の皇帝など引き受けたくもなく、また、いまだ強敵であるオーストリア帝国との外交的な面を考えても皇帝に就任することオーストリアを刺激することはできないと判断。
フランクフルト国民議会の皇帝就任要請を拒否してしまいました。
フリードリヒ・ヴィルヘルム4世のドイツ皇帝就任拒否はフランクフルト国民議会を落胆させました。
万策尽きたフランクフルト国民議会は、もはやドイツ統一に向けた求心力を維持することができず、じょじょに各領邦国家からの議員が離脱し始めます。
最後は反革命勢力がフランクフルト国民議会を弾圧し、ここにわずか一年ほどの活動でフランクフルト国民議会は消滅。
議会という場での話し合いによるドイツ統一はついに実現することはありませんでした。
ドイツ統一は、多くの人々の血が流れる「戦争」という手段を持って行われることになったのです。
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- 2011/10/25(火) 21:08:15|
- 普墺戦争
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まだ正式な発表にはなっていないので、もしかしたら最後に逆転変更があるのかもしれませんが、どうやら阪神タイガースの来季監督は和田豊現打撃コーチの昇格で決定のようですね。
和田コーチは1985年の阪神入団以来、阪神の暗黒時代をずっと選手として経験してきた人ですから、きっと暗黒時代の再来は食い止めてくれると思うんですけど、どうにも不安がぬぐいきれない気がします。
打撃コーチとしても今年に限って言えばあまり機能していなかったようにも見えますし。
また、今季の阪神の残念な結果を受け止めるべき上層部の昇格というのも、どうなのかなという気はしてしまいます。
まあ、これも来季の阪神が勝ち続けてくれれば何の問題もないわけで、和田新監督の手腕の見せ所ということになるのでしょうね。
金本選手の打撃コーチ兼任という話も出ているそうですが、外部招聘をしなかったのは早く新体制を作るという意味もあったようなので、コーチ陣の陣容も早々に決めて来季に望んでほしいと思います。
来季はがんばれタイガース。
一方こちらもほぼ決定したようなのが北海道日本ハムファイターズの梨田監督の後任。
どうやらスポーツキャスターの栗山英樹氏で決まりのようです。
こちらも正直なところ不安感は大きいですね。
何せ監督どころかコーチも未経験な方ですので、理論派と呼ばれていらっしゃいますが理論と実践は違うを見せ付けられてしまうことにならないかと心配です。
和田コーチも栗山氏もほぼ同年代の若手監督ということになりそうですので、うまくはまれば面白いことになる可能性はあると思います。
日本ハムも阪神も選手の力量はあるほうだと思いますので、それをうまく生かすことができれば上位は充分狙えると思います。
そしていよいよドラフト会議の日が迫ってきました。
今年はどんな人たちが指名されるのか興味津々です。
待ち遠しいですね。
今日はこんなところで。
それではまた。
- 2011/10/24(月) 21:12:34|
- スポーツ
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土曜日の夜恒例のGoma様とのASL-SK通信対戦、昨晩でシナリオS46「WHERE THE WINTER LINGERS」の入れ替え戦が終わりました。
シナリオそのものの内容等は前回対戦の
2011年10月02日の記事をご覧になっていただければお解かりになっていただけると思いますが、ソ連軍が独軍の守る村を突破して盤外に7得点分の部隊を脱出させるというものです。
前回は独軍を担当して残念ながらソ連軍を食い止めることは出来ませんでしたが、今回は逆にソ連軍として突破を目指すことになります。

序盤、ソ連軍は順当に盤に侵入。
Goma様の担当する独軍は、わりと前面でソ連軍を迎え撃つようでした。

4ターン開始時点でソ連軍はここまで進みました。
わりあい損害も少なく、ソ連軍としては予想以上に進めたといっていいでしょう。
今回の対戦全体に言えたことですが、お互い射撃戦ではあまりいい目が出なかったような気がします。

6ターンの開始時点です。
独軍はかなり後ろにまで下がっていきました。
この間、射撃戦よりも白兵戦で双方削られ、独軍は最優秀の9-1指揮官を失っておりました。

ゲーム終了時。
まだ残り一ターンありましたが、すでにソ連軍は盤外に6点分を脱出させており、独軍としては敗北は避け得ないとのことで投了となりました。
今回は何とか勝つことが出来ました。
射撃戦でGoma様のダイス目があまり振るわなかったことや、こちらの士気チェックがよく成功したことが大きかったと思います。
また、独軍は防御ラインを早期に下げすぎたような気もしました。
次回はシナリオS47「NOT SO DISPOSED」です。
1943年のシシリー島における米軍対イタリア軍の対戦です。
防御側のイタリア軍をGoma様が、攻撃側の米軍を私が担当です。
次回も勝つぞー!!
それではまた。
- 2011/10/23(日) 21:10:25|
- ウォーゲーム
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まず先に動いたのはプロイセン王国のほうでした。
1834年、ドイツの経済的統合を目指す「関税同盟」が各領邦国家間で結ばれますが、これを主導し成立に導いたのはプロイセンだったのです。
この事態に対しドイツ統一の主導権を握りたいオーストリアとしては、当然何らかの対抗策を打ち出したいところでしたが、予想だにしない事態がオーストリアを襲いました。
フランスで発生した「1848年の革命」です。
1815年のワーテルローの戦いで敗北したナポレオンは、セントヘレナ島へと流されました。
このとき1814年に王位に復帰していたルイ18世は、再びフランスに戻ってきて王制を復活させます。
ルイ18世はフランス革命で処刑されたルイ16世の弟ですが、ナポレオンの側近を勤めていたタレイランがナポレオンを退位させたあとの新国王として迎え入れたのです。
ルイ18世はかつてのブルボン王朝の栄華を夢見はしましたが、さすがにフランス革命後の民衆に配慮せざるを得ず、1814年の憲法を受け入れて最初はタレイランらとともに穏健な政治を行いました。
ところがルイ18世はやはり過去の栄光が忘れられなかったのか、だんだんと政治はかつての王制時代に近いものになって行きました。
フランス革命の成果はじょじょに制限されていったのです。
ルイ18世の死後跡を継いだシャルル10世の時代になるとその傾向はますます激しくなり、内閣も王党派で占められ民衆不在の政治が行われるようになっていきます。
この事態に民衆は再び不満を募らせ、王制打倒の動きが起こり始めます。
これに対しシャルル10世はアルジェリア侵略などを行って、国民の不満をよそへ向けようとしましたがうまくいかず、ついに議会の解散と選挙権の縮小という挙に出ます。
これに怒った民衆はついに1830年に「七月革命」を起こしてシャルル10世を退位に追い込みました。
「七月革命」によってシャルル10世は退位しましたが、この時点ではフランスは共和制に移行することはありませんでした。
議会はオルレアン公爵ルイ・フィリップを新国王として迎え、ルイ・フィリップも「フランス王」ではなく「フランス国民の王」として振舞うことを宣言。
フランスは立憲君主国として新たなる出発を行いました。
しかし、またしてもルイ・フィリップ王の政治はうまくいきませんでした。
「株屋の王」「ブルジョアの王」と揶揄されたルイ・フィリップの政治は、中流階級であったブルジョワジーには好評を持って受け入れられましたが、反面労働者や農民たちの不満は解消されず、むしろ高まる方面の作用をもたらしていきました。
「七月革命」では選挙権の拡大も行われましたが、労働者や農民には選挙権は広げられておらず、選挙で不満を政治にぶつけるということもできませんでした。
1848年2月22日、農民や労働者の不満をぶちまける場であった改革宴会のひとつが政府によって解散させられると、農民や労働者の不満はピークに達し、デモやストライキへと発展。
翌23日には首相が退陣して事態の鎮静化を図るものの、民衆の怒りは収まらずついには武装蜂起へと発展してしまいます。
ことここにいたり国王ルイ・フィリップは退位を宣言して英国へと亡命。
フランスの王制が終焉を迎えた瞬間でした。
これが「1848年の革命」と呼ばれるもので、以後フランスは現在に至るまで国王が現れることはありませんでした。
ルイ・フィリップの退位に伴いフランスでは第二共和制がスタート。
この年11月の選挙では、民衆の人気を得たかつての皇帝ナポレオンの甥であるルイ・ナポレオン・ボナパルトが大統領に選出され、後に帝政を復活させて皇帝ナポレオン三世としてフランスに君臨することになるのでした。
このフランスで始まった「1848年の革命」は、フランス国内のみで終わりはしませんでした。
当時中部欧州ではナポレオン戦争後の欧州をナポレオン戦争前の状態で維持しようとする「ウィーン体制」と呼ばれる国際体制が敷かれ、フランス革命後広がりを見せていた自由主義や民族主義を厳しく制限しておりました。
この「ウィーン体制」の維持に力を発揮していたのが、オーストリア帝国の宰相クレメンス・メッテルニヒだったのです。
ところが「1848年の革命」はこの「ウィーン体制」にひびを入れてしまいました。
革命の余波はオーストリア帝国の支配地域にも及び、ハンガリーと北部イタリアで反オーストリアの行動が起こります。
中でも北部イタリアでは反乱も起きるなど、戦争の危険すらはらむものとなりました。
この混乱はオーストリア帝国を揺るがし、宰相メッテルニヒの退陣へとつながってしまいました。
これによって「ウィーン体制」はほぼ崩壊し、それ以上にオーストリア帝国の政治的影響力の低下を招いてしまったのです。
ドイツ統一の主導権など、取れる状況にはなかったのでした。
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- 2011/10/22(土) 21:40:47|
- 普墺戦争
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消化試合がまだ残っている球団もありますが、2011年のペナンとレース、セ・パ両リーグとも順位が確定いたしました。
今年もペナントレースが始まる前の4月12日の記事で、父と私の順位予想を載せたんですが、果たしてどうなりましたでしょうか・・・
まずはセ・リーグ。
私 父 実際
1、阪神 阪神 中日
2、ヤクルト 巨人 ヤクルト
3、中日 中日 巨人
4、巨人 ヤクルト 阪神
5、広島 広島 広島
6、横浜 横浜 横浜
私はヤクルト、広島、横浜が、父は広島と横浜が的中でした。
ただ、申し訳ないのですが、この5位と6位は順当だったような気がします。
次にパリーグ
私 父 実際
1、西武 ソフトバンク ソフトバンク
2、ソフトバンク 日本ハム 日本ハム
3、日本ハム 西武 西武
4、楽天 ロッテ オリックス
5、ロッテ 楽天 楽天
6、オリックス オリックス ロッテ
なんと、私は全滅です。orz
まさか一個も当たらないとは・・・
それに引き換え父はなんと4球団を当てました。
オリックスとロッテが逆になっただけという。
上位3球団をぴたりと当てたのには驚きました。
結局私は12球団中3個。
父は12球団中6個を当てたことに。
いやぁ、予想はなかなか当たらないものですねぇ。
でも、また来年も順位予想はすると思います。
今日はこんなところで。
それではまた。
- 2011/10/21(金) 21:07:25|
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ナポレオンの敗北により、フランス帝国の支配から解放された中部欧州は、また以前のように小さな領邦国家が多数乱立している状況に逆戻りとなりました。
ザクセン、ハノーファー、バーデン、ヘッセン等々の領邦国家がそれぞれの領域を支配し、大きな一つの国家としてまとまることはなかったのです。
しかし、それでも各領邦国家はかつての神聖ローマ帝国のように緩やかなまとまりのドイツ連邦を成立させ、各国の代表からなるドイツ連邦議会も開設いたします。
そして各国からの軍事力の供出によるドイツ連邦軍さえ作り出されておりました。
そんな状況の中、各領邦国家の国民たちの間には、自分たちはドイツ民族として一体化するべきだという意識が生まれ始めます。
この意識の育成には皮肉なことにあのナポレオンによる支配下でもたらされたフランス革命の精神が大きく作用しておりました。
フランスからもたらされた国民意識は民族自決の意識を高め、ドイツ人はドイツ人で一つになろうという意識が大きくなっていったのです。
折りしも19世紀中盤になってくると、英国で始まった産業革命が各国に伝播し、各国の工業化が進みました。
しかし、工業化が進むにはそれによって生み出された製品の購入先がなくてはなりません。
小さな領邦国家ではそういった製品を国内消費するだけの経済力が生まれることはできず、産業革命に乗り遅れてしまうことが懸念されてしまいます。
各領邦国家を一つにまとめ、ドイツという大きな国にすることが必要でした。
各領邦国家をまとめ、ドイツという国を作ろう。
それは多くの人々の願いでした。
では、どうやってドイツを作るのか。
それが大きな問題でした。
ナポレオン戦争後の中部欧州では、二つの国が他を圧しておりました。
一つは七年戦争に勝ち抜きナポレオン戦争でもその存在感を見せ付けたプロイセン王国。
今一つは、現在のオーストリアからイタリア北部、そしてハンガリーやポーランドの一部をもその領土とするオーストリア帝国です。
当然ドイツ国家の統一はこの二つの国のどちらかが主導権を握ると思われておりました。
ドイツの統一にあたり一番の問題はこのオーストリア帝国でした。
このオーストリア帝国の存在が悩ましかったのです。
当時のオーストリア帝国は広大な領土を保持しておりました。
当然そこにはさまざまな人々が住み着いており、人種的にも異なる人々を多数内包していたのです。
ドイツ統一には二つの方法が考えられておりました。
一つには大ドイツ主義といわれる考え方。
これはとにかく民族的にドイツ人であればすべて取り入れ、その居住地域すべてを持って統一ドイツとするというものです。
これはもちろんオーストリア帝国内のドイツ民族も含んでおり、オーストリア帝国からドイツ民族の居住する地域を分離しようというものでした。
もう一つは小ドイツ主義といわれる考え方。
これはドイツ民族すべてではなく、オーストリア帝国内のドイツ民族を切り捨て、それ以外のみでドイツを作ろうというものです。
これは巨大帝国であるオーストリアの影響を極力排除したいという考えから導かれたものでした。
しかしこの二つの考えは、どちらもオーストリアにとっては望ましいものではありませんでした。
大ドイツ主義は、オーストリア帝国を文字通り分断してしまうことになり、帝国を維持しようとするオーストリアにとって受け入れられるものではありません。
かといって、小ドイツ主義となれば、その地域で確固たる国力を持つプロイセンが中心となることは明白であり、プロイセンの力が統一ドイツとなることでますます強くなるかもしれないのです。
そこでオーストリアは第三のアイディアを持ち出しました。
オーストリア帝国がドイツ地方をも領有する中部欧州(中欧)帝国構想です。
これならばドイツ民族すべてを内包し、かつ広大な大帝国として一体化することができます。
もちろんその中核はオーストリアが担うことになるでしょう。
ですが、それではドイツ民族によるドイツ国家ではなく多民族国家の中のドイツ民族に過ぎません。
オーストリアの中欧帝国構想はドイツ民族には受け入れがたいものであり、特に当然のことながらプロイセンは反対します。
大ドイツ主義で行くのか、オーストリアの影響を排除するべく小ドイツ主義で行くのか、はたまたオーストリア帝国の力による中欧帝国構想か、結論は容易に出るものではありませんでした。
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- 2011/10/20(木) 21:11:31|
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昨日、2011年のプロ野球セントラル・リーグの優勝チームが決まりました。
中日ドラゴンズ、優勝おめでとうございます!結局終わってみれば中日ドラゴンズということになりましたね。
一時は10ゲームも離されていた東京ヤクルトを見事に捕らえ、最後には追い抜いていきました。
東京ヤクルトもすごくがんばっていたんですが、最後は追われる者のつらさ弱さに飲み込まれてしまったというところでしょうか。
それにしても中日は強かった。
今年は終盤までそれほど強さを感じなかったにもかかわらず、終盤は本当に強かったですね。
これもやはり落合監督の勝負は後半という意識の現われなんでしょうね。
中日の選手の皆さん、ファンの皆さん、球団初の連覇本当におめでとうございます。
選手個々の力を纏め上げた落合監督の力量のすごさには本当に恐れ入ります。
翻ってやはり我が阪神にはそのあたりの弱さがあったんだと思います。
これからはクライマックスシリーズがありますが、落合監督は長期戦の戦い方も短期戦の戦い方も理解している方だと思いますので、東京ヤクルトも読売巨人もなかなか中日を蹴落とすのは難しいでしょうね。
残念ながら落合監督は来年はもう中日にはおりません。
チームを立て直した阪神が落合中日を下して優勝ということはできなくなりましたが、もちろん来期も中日が強敵の筆頭でしょう。
我が阪神も中日に負けないようにがんばってチーム改革をしてほしいものだと思います。
今日はこんなところで。
それではまた。
- 2011/10/19(水) 21:04:01|
- スポーツ
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今(2011年)から145年前の1866年、欧州でひとつの戦争が起こりました。
俗に普墺(ふおう)戦争と呼ばれるこの戦争は、その後の欧州に大きな影響を及ぼす戦争でした。
久しぶりの歴史記事として、今回はこの普墺戦争を取り上げてみたいと思います。
そもそも普墺戦争とは、どことどこが戦った戦争なのか。
普墺戦争という言葉は日清戦争や日露戦争と同じように、戦いあった二つの国の国名から名づけられました。
墺とはオーストリア。
漢字では墺太利と表記されるため、墺で表されます。
当時は広大な領土を持つハプスブルグ帝国として君臨していた欧州屈指の大国でした。
普とはプロイセン。
こちらも漢字では普魯西と表記されるため、普であらわされました。
ですが、プロイセンという国は今現在は存在しません。
位置的にはドイツ北部とポーランド西部にまたがった地域がプロイセンの国土であり、首都はベルリンにおかれておりました。
このプロイセンとハプスブルグのオーストリアがなぜ戦うことになったのか?
それは中部欧州において、ドイツという国が作られる過程において起こった戦争でした。
19世紀、オーストリアとプロイセンは、ともに形式上は「神聖ローマ帝国」の一領邦を形成する国家でした。
しかし、10世紀に端を発する神聖ローマ帝国はすでに形骸化して久しく、その諸領邦はそれぞれ独自色を強め独立国家としての性格を強めておりました。
オーストリアはハプスブルグ家がその領邦を支配しており、オーストリア大公国として帝国の一翼を担っておりましたが、1804年には神聖ローマ帝国皇帝だったフランツ二世がオーストリア帝国皇帝フランツ一世として即位し、オーストリア帝国が成立します
一方同じく神聖ローマ帝国の一領邦だったプロイセンは、1618年にプロイセン公国とブランデンブルク選帝侯領が同じ君主を抱く同君連合となったことに始まります。
1701年にはフリードリヒ一世がプロイセン王となり、王国の基礎を固めていきますが、この時点ではブランデンブルク領とプロイセン領は離れ離れの状態で、何とかその間の土地を領土内に取り込む必要がありました。
フリードリヒ一世の跡を継いだフリードリヒ・ヴィルヘルム一世は財政支出の大半を軍事費に回すという軍事強国化を行い、さらにその跡を継いだフリードリヒ二世は後に「フリードリヒ大王」と呼ばれることになる軍略家で「オーストリア継承戦争」と「七年戦争」という二度の戦争に勝ち抜き、オーストリアからシュレジェンなどを占領してその領土を二倍に広げることに成功します。
こうしてプロイセンは欧州にプロイセンありという認識を植えつけることに成功いたしました。
すでにこの時点でシュレジェンという土地をめぐりオーストリアとプロイセンは対立していたわけですが、両国にとってお互いの存在よりも強敵が現れることになります。
1804年に成立したナポレオン・ボナパルトによりますフランス第一帝政です。
ナポレオン率いるフランス軍はその強力さを見せ付け、1805年にはアウステルリッツの戦いでロシア・オーストリア連合軍が敗北。
オーストリア帝国の首都ウィーンはフランス軍に占領されました。
翌1807年には西南ドイツ地方の諸領邦が親フランスのライン同盟として組み入れられ、ついに神聖ローマ帝国は滅びてしまいます。
戦場がドイツ地方にまで及んできたことで、プロイセンも座視していることはできず、フランスに宣戦布告しますが、やはりナポレオン率いるフランス軍には歯が立たず、イエナ・アウエルシュタットの戦いでプロイセン軍は敗北。
こちらも首都ベルリンがフランス軍に占領されました。
このためオーストリアもプロイセンも領土を減らされフランスの支配を受けることになりますが、このときもたらされた国民意識はそれぞれの民族のナショナリズムへと発展していくことになります。
1812年のロシア遠征に敗退したフランス軍に対し、1813年にはオーストリアとプロイセンは第六次対仏大同盟に参加、ライプツィヒの戦いでロシア、オーストリア、プロイセン、スウェーデン連合軍はフランス軍を打ち破ります。
ナポレオンのフランス軍は敗退を食い止めることはできず、翌1814年にはパリが陥落し、ナポレオンは帝位を追われました。
1815年のワーテルローの戦いでは、再びフランス軍を率いたナポレオンを英国とプロイセンの連合軍が撃破。
ナポレオンはセントヘレナに流されて終焉を迎えました。
こうして強大な敵ナポレオンに対しともに戦ったオーストリアとプロイセンでしたが、今度はまたしてもお互いがライバルとなってしまいます。
それは戦後のドイツ地方をどうするかという問題でした。
(2)へ
- 2011/10/18(火) 21:38:02|
- 普墺戦争
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いろいろと自作ストーリーを展開していく上でネックになることはさまざまあれど、やっぱりどなたも悩む部分は一緒と見えますね。
ストーリーを書いている途中に出てくるさまざまな名前。
人の名前、町の名前、武器の名前、必殺技の名前・・・
これがやっぱり悩みの種になるわけです。
と、言うことで、いろいろなもののネーミングに使えるよう便利な辞典がありましたので手に入れてまいりました。
その名も「幻想世界11ヶ国語ネーミング辞典」

こちらが表紙です。
いや、まあ、幻想世界11ヶ国語なんて言っても、実在のフランス語とか英語とかドイツ語なわけですが、ひとつの単語(太陽とか赤と城とかのような)を各国語ではどのように言い表すのかを対照表にした本なんですね。
珍しいのはアラビア語やラテン語が入っていることでしょうか。
ただ、その発音をカタカナにして表記しておりますので、どうしても微妙な部分での差異が出てしまうのは避けられないというところでしょうか。
私もSSを書く上でネーミングに悩むことはままありますので、こういう本は助かりますね。
もっとも、どこまで使えるかは微妙ですが。
それにしても、表紙にクリエイターから中二病患者までってありますけど、私の場合ははるかに後者に近い立場での活用ということになりそうですなぁ。(笑)
まあ、早速今書いている途中のSSから使わせてもらうといたしましょう。
今日はこんなところで。
それではまた。
- 2011/10/17(月) 21:03:34|
- 本&マンガなど
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今日、阪神タイガースの今季の順位が確定いたしました。
今日のデーゲーム巨人対中日戦で巨人が勝利いたしました。
このため阪神が残り試合を全勝しても巨人を上回ることができなくなり、阪神の4位が確定いたしました。
そして南球団社長が真弓監督の今季限りでの辞任を発表いたしました。
今年はずーっともやもやした感じのシーズンでしたね。
序盤から負け続けての借金生活でなかなか勝ちあがれず、夏場に盛り返してきたかなと思えば9月後半からまた急激な失速で結局Aクラス確保はできませんでした。
残念ですが、これが現在の阪神の実力なのでしょう。
真弓監督お疲れさまでした。
監督経験がまったくない中で不安でいっぱいの監督就任だったと思いますが、やはり経験不足が出てしまったという感じでしょうか。
いろいろ素人目にも不可解な采配もありましたが、ファンの野次にもめげずに三年間がんばったと思います。
一度現場を離れ、この経験を生かして次につなげてくださればと思います。
さて、これで阪神はもう待ったなしでチームの改革をしなくてはならないでしょう。
誰が監督になるにしろ、阪神というチームを一から鍛えなおさなくてはならないと思います。
伸び悩む若手も指導しだいでは芽が出てくる可能性もあると思いますので、そのあたりをきちんと指導できるコーチ陣も必要でしょう。
フロントも勝利と育成の難しさを改めて考え直し、どこに重点を置くのかを明確にしないとならないでしょう。
もちろん私を含め阪神ファンは待ってはくれません。(笑)
あの暗黒時代に戻ってほしくないと思うからいろいろとやいのやいの言うでしょうし、負けても育成なんて言わないでしょう。
勝ちながら育成しろと言うのです。
阪神ファンはわがままなのです。(笑)
来期の監督が誰になるにせよ私は来季も阪神を応援するでしょう。
多分これは変わらんのでしょうね。
願わくば来季はもっと上の順位に行きますように。
今日はこんなところで。
それではまた。
- 2011/10/16(日) 21:05:27|
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もう皆様多くの方がご存知でしょうが、12月に放送される予定の「ルパン三世」のアニメ新作「血の刻印~永遠のMermaid~」において、ルパンファミリーの声優さんたちが大幅に入れ替わることになったそうです。
ルパン役の栗田貫一さん、次元役の小林清志さんのコンビは代わらないようですが、五右エ門役の井上真樹夫さんに代わって浪川大輔さんが、不二子役の増山江威子さんに代わって沢城みゆきさんが、そして銭形警部役を納谷悟朗さんから山寺宏一にバトンタッチするということで、大幅に若返りが図られることになったようです。
正直最初は戸惑うと思いますけど、声優さんの交代はすぐ慣れると思いますので、新ルパンが今から楽しみです。
まあ、いまだに戸惑うドラえもんの例もありますけどね。(笑)
ルパン声優さんの変更といえば、以前記事にしました。「風魔一族の陰謀」がありますが、個人的にあれはあれでとてもよかったと思ってますので、今でもあのメンバーでのルパンをあの後も作ってほしかったと思ってます。
五右エ門役だった塩沢氏がお亡くなりになられてしまったのが返す返すも残念でなりません。
浪川さん沢城さんのお二人は私個人はあんまり声の印象がなく、そのおかげですんなりと受け入れられそうな気がします。
山寺さんの銭形警部も面白そうですよね。
そういえば神谷明さんから小山力也さんに交代になりました「名探偵コナン」の毛利小五郎のおっちゃんも、いつの間にか違和感感じなくなりましたので、慣れというものは恐ろしい。(笑)
ともあれ、12月の放送が楽しみな「ルパン三世」の声優交代です。
今日はこれにて。
それではまた。
- 2011/10/15(土) 21:05:15|
- アニメ
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今日はKKベストセラーズ様の「歴史人」の11月号を手に入れてまいりました。

表紙はこちら。
今月号は「江戸の暮らし大全」です。
いやぁ、面白そうですねぇ。
江戸期の暮らしって結構興味ありますので、今回の特集は先月号の予告を見たときから楽しみにしておりました。
内容はこれから読むところですが、まさに江戸の長屋の暮らしぶりや、庶民の胃袋を満たす食べ物の屋台、治安維持に当たった町奉行所の実態などなど、面白そうな記事がいっぱいです。
この雑誌の特徴として多数のCGが使われており、今回も長屋の風景のCGや、商店のCG、果ては銭湯内部のCGまであるようです。
今月もまた楽しめそうです。
これからじっくりと読ませてもらおうと思います。
それではまた。
- 2011/10/14(金) 21:19:34|
- 本&マンガなど
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今日はプロ野球の話題。
昨日の対オリックス戦に2-2で引き分けたことで、北海道日本ハムの今季の二位が確定いたしました。
いやぁ、一時はクライマックスシリーズも危ないのではないかといわれましたが、最後の最後で踏ん張ったということでしょうか。
夏場ごろの貯金がものを言ったということでしょうね。
一時は三位に10ゲーム以上も差をつけていたのですから、かろうじて何とかなったということでしょう。
梨田監督は今季限りでの退任が決まっており、その発表後あたりから負けが込み始めてしまったんですが、やはり選手たちにはショックだったんでしょうかね。
個人的にはクライマックスシリーズで勝ち抜いて日本一になったとしても、リーグ優勝できなかったことで喜べない気持ちですので、正直クライマックスシリーズは勝とうが負けようがどうでもいいです。
まあ、ソフトバンクさんに肝を冷やしてもらうぐらいのことはしてほしいですけどね。
一方阪神タイガースはついに自力でのクライマックスシリーズ進出の望みがなくなりました。
東京ドームでの対巨人三連戦、初戦を勝利したときにはまだいけるかと思ったんですが、その後の二戦目三戦目がいずれもサヨナラ負けとは残念すぎます。
藤川投手も最後押さえ切れないことが多くなってきたような気もしますね。
衰えてきてしまっているということなんでしょうか。
日本ハム同様クライマックスシリーズでの勝ち負けはどうでもいいのですが、せめてシーズンをAクラスで終わってほしいと思っておりましたので、この連敗は痛いです。
そして、ついに真弓監督に解任報道が出てしまいました。
残り試合の結果、クライマックスシリーズに進出できない(つまりBクラスで終わる)か、勝ち越しでシーズンを終えられなかった場合は今季限りで真弓監督を解任すると決めたというもの。
現状ではかなり厳しいので、真弓監督が来期も監督を続けるのは難しくなってきてしまいました。
あくまで個人的な意見ではありますが、確かに真弓監督の采配は素人目にも首をかしげることが多かった気がしますので、これで勝てていれば問題ないのでしょうが、首をかしげる采配で負けが込むとなればやめろといわれてしまうのも仕方がないかなと。
阪神としては大慌てで来期監督を誰にするか決める動きに入っているんでしょうね。
真弓監督も心中穏やかではないでしょうが、一説には真弓監督自身からそういう話が出たとも。
残り試合がまだ10試合ほど残っている阪神。
シーズン終了時にはどの位置にいるのでしょうか。
最後までがんばってほしいものです。
今日はこんなところで。
それではまた。
- 2011/10/13(木) 21:04:49|
- スポーツ
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本日の午前中に、当ブログ「舞方雅人の趣味の世界」は、
290万ヒットに到達いたしました。
いつもながらこれもひとえに皆様の応援の賜物です。
本当にいつもいつもありがとうございます。
心より御礼申し上げます。
大変申し訳ございませんが、290万ヒット記念とするべきSSがまだ未完成でございます。
この日がいずれ来るのはわかっていたはずなのに、本当にすみません。
なるべく早く完成させて皆様に公開いたしたいと思いますので、なにとぞお待ちくださいませ。
最近こんなのばかりで本当にごめんなさい。
このところSS自体も数が少なくなっていて心苦しい限りです。
どうかお赦しくださいませ。
これからも「舞方雅人の趣味の世界」を、どうか応援よろしくお願いいたします。
それではまた。
- 2011/10/12(水) 21:01:11|
- 記念日
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毎月定期購読している「タミヤニュース」の新刊、510号が到着いたしました。

表紙はこちら。
今回のマークは第二次世界大戦中の米軍の爆撃機中隊のマークだそうです。
今号もまた面白そうな記事がいっぱい。
まずは英国ダックスフォードの航空ショー。
その名も「Flying Legends:空飛ぶ伝説」
往年の名機が広い空を飛び回ったようです。
中にはアメリカのC-47輸送機や、エンジン三つのJu-57型輸送機なんかも飛んだようで、Ju-57はあの「ルフトハンザ航空」の所有機なんだとか。
カラー写真で見たいところですねぇ。
連載記事の「第二次大戦イタリア軍装備解説」は今回はイタリア海軍のM.A.S魚雷艇の前編。
地中海で活躍したイタリア海軍の魚雷艇ですが、もともとは対潜水艦用の小艇だったとは驚き。
巻中ページのディオラマは結構な大作。
鉄骨製の橋の一部とそこからつながる河岸に車両がいくつか置いてあり、目が行くのは四号対空戦車の「ヴィルヴェルヴィント」でしょうか。
これはタミヤさんのホームページにカラー写真がありますのでぜひ見てほしいところです。
ただ、個人的に気になったのは橋に対する航空攻撃を受け、それに対処するために対空戦車がいるという設定(つまり制空権のない戦争末期)なのに、スタッフカーのボンネットにナチスの旗の対空識別マークが広げられているのはいかがなものかと。
(狙ってくださいと言っているようなものでは?)
また、「東武モデラーズコンテスト」や「イタレリモデラーズコンテスト」の入選作品も紙面で紹介されてます。
返す返すもカラーでないのが残念。
そういえば、先月号の巻末のカラー塗装図がフランスの「ドヴォワチンD.520」戦闘機だったことで、タミヤから出ていたっけと思ったんですが、なんと新製品に「デヴォアティーヌD.520エース搭乗機」という製品が。
新作で出るんだったんですねー。
年間の定期購読も来月で終わり。
また申し込まなくては・・・
それではまた。
- 2011/10/11(火) 20:46:17|
- タミヤニュース
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今日は自分のミスで札幌歴史ゲーム友の会にはお伺いすることはできませんでしたが、自宅で通信対戦を行うことはできましたので、菊蔵様よりのお誘いで「Squad Leader」のVSQLによります通信対戦を行うこととなりました。
対戦いたしましたのはシナリオ4「THE HEDGEHOG OF PIEPSK」
8月21日の記事に書きましたものの続きです。
このシナリオは1941年の後半に行われたドイツ軍に対するソ連軍の反撃を扱いましたシナリオで、ピエプスクという村を占拠したドイツ軍に対し、その村を奪回しようとするソ連軍というシナリオです。
そのためソ連軍は32個分隊という圧倒的な兵力で攻撃を行うのに対し、ピエプスク村に陣取る独軍はわずか8個分隊と兵力比は4対1。
通常の攻撃では防御側の三倍の兵力が必要といわれますので、それを上回る兵力をソ連軍は擁しております。
しかし、このシナリオの特徴は独軍が「初期隠匿配置」と呼ばれるルールで配置されるため、最初は盤上には姿を見せません。
そのため思いもよらない場所から射撃を受けたりして損害を受けてしまう可能性が高いです。
さらに独軍は無線機で支援砲撃を呼ぶことができ、81ミリ迫撃砲による支援をゲーム中3回受け取ることができます。
この支援砲撃は着弾へクスとその周囲6へクスに降り注ぎますので、うまく使えば絶大な効果が期待できるのです。
ソ連軍が四倍の兵力といえどもうかうかとはできません。
シナリオの勝利条件はピエプスク村にある五つの石造建物(灰色の建物)をすべてソ連軍が占領するというもの。
これはなかなか大変です。
対戦は私がソ連軍を、菊蔵様が独軍を受け持ちました。

一ターン目、ソ連軍が盤の東側から侵入したところです。
ドイツ軍はすでに3N2の二階建て建物から無線機を使って支援砲撃を要請しています。

三ターン目、ソ連軍がピエプスク村に接近して行きます。
すでに独軍は一個分隊が混乱していますが、ソ連軍も結構な被害を受けました。

五ターン目、すでにドイツ軍は三回の支援砲撃を使い果たしましたが、その効果は絶大で、ソ連軍はこの時点で全兵力の半分である16個分隊が消え去っておりました。
ドイツ軍も8個分隊のうち3個を失っておりましたが、残りの建物を奪うことを考えると、ソ連軍としては厳しい状態です。
ここまでが前回の対戦でした。
今日はこの続きです。

六ターン目、ソ連軍は3S1の建物に白兵戦を仕掛けつつ全体的に独軍を圧迫。
独軍はあまり抵抗することなく3N2の建物に後退し、そこで立てこもるつもりのようでした。

七ターン目、独軍の強力な9-2指揮官のいた3S1の建物を白兵戦でピンゾロを出して奪い取ったソ連軍は、その勢いのままに独軍を追いかけます。
独軍は村のすべての建物を放棄して3N2の建物を死守するつもりのようでした。

八ターン目、ソ連軍の射撃が功を奏し、独軍から奪ったMMGが独軍を痛撃。
3個にまで減っていた独軍分隊は健在な分隊が残り1個にまで減ってしまいます。

九ターン目、ソ連軍が近寄るのに手間取っているうちに独軍は1個分隊を回復させ、3N2にスタックします。
一方ソ連軍は被害甚大ながらもついに3N2の建物の一角に2個分隊を送り込むことに成功しました。

最終ターン、ついにソ連軍は最後の突撃を敢行!
防御射撃で2個分隊が除去されたものの、独軍の2個分隊のうち1個を除去することに成功。
最後の白兵戦でソ連軍2個分隊対独軍1個分隊の殴り合いが行われ、ついに独軍分隊の除去に成功いたしました。
これで独軍はすべて失われ、3N2の建物もソ連軍のものとなりソ連軍の勝利となりました。
32個分隊あったソ連軍ですが、終わったときにはたった2個分隊のみが健在でした。
苦しい対戦でした。
五ターン時点で兵力の半分が失われていたので、こりゃたぶんだめだろうと思っておりました。
幸い途中の白兵戦や捕獲した機関銃が活躍してくれたことで独軍を打ち破ることができました。
今回も楽しい時間をすごすことができました。
菊蔵様、今回も対戦ありがとうございました。
次回はいよいよ「Squad Leader」のシナリオでも規模の大きいシナリオ5「HILL 621」です。
次回もよろしくお願いいたします。
それではまた。
- 2011/10/10(月) 21:05:34|
- ウォーゲーム
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今年もまたこのシーズンがやってきてしまいました。
今日、いくつかの球団で来期の構想から外れる戦力外選手の発表がありました。
その中に私の応援する阪神タイガースからは、あの桜井広大選手が含まれておりました。
正直言って残念です。
阪神生え抜きの将来の大砲ということで期待され、一時は外野の一角を占めるかと思われていたんですが・・・
今日同じく横浜から戦力外通知を受けた喜田選手とともに、一時阪神二軍の3・4番を打っていた両選手がここで戦力外となってしまうとは。
桜井選手はやはり怪我が完治しなかったようですね。
今後もすぐによくなることはないという球団の考えなんでしょう。
阪神からはほかに下柳投手、葛城選手、阿部健太投手なんかも戦力外通告をされました。
葛城選手は便利屋的な使われ方をしてましたが、ついにレギュラーを取れずじまいでした。
阿部投手も伸び切れませんでしたね。
他球団では、西部からGG佐藤選手が戦力外になりました。
ロッテからは那須野投手、オリックスからは元阪神・日本ハムの坪井選手、横浜からも元日本ハムの稲田選手あたりが戦力外通告を受けました。
戦力外通告を受けた選手の方々は、このまま引退する選手もいれば現役続行を目指して他球団への移籍を求める選手もいるでしょう。
他球団に移籍することで環境が変わり、新たな一花を咲かせる選手も少なくありません。
来期、もう一花咲かせる選手が多く出てくれるといいなと思います。
今日はこんなところで。
それではまた。
- 2011/10/09(日) 20:56:01|
- スポーツ
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過去にもレンタルでDVDを借りて見たときに記事にしたんですが、先日友人が以前NHKがBSで放送した時録画したのをダビングしてくれたので久しぶりにアメリカの戦争テレビドラマ「コンバット」を見ました。
今日見たのはBSでやったときの一話目に放送されたもののようで、サンダース軍曹の率いる分隊に三人の新兵が配属されてくるというものでした。
みなさまざまな経歴を持つ三人はなかなか分隊に溶け込めず、中でも元アナウンサーだった兵は一日も早く抜け出したいというばかり。
そんな連中を連れてサンダース軍曹はドイツ軍が撤退したと思われる村に偵察に赴かなければなりません。
村は一見したところ静かでもぬけの空のようではありましたが・・・
というストーリー。
当然三人の新兵はへまをしてしまい分隊を窮地に陥れますが、最後は新兵の一人が活躍して窮地を切り抜けるというもの。
以前も見てストーリーは知っておりましたが、なかなか楽しめました。
それにしても撤退したはずの村に何でドイツ軍は機関銃チーム三人だけが残っていたんでしょうねぇ。
旧式の水冷式機関銃一挺と三人だけ残ってても何にもできないような気がしますが・・・
まあ、それ以上の戦力がいてしまうと、サンダースの分隊がお釈迦になってしまうだけですが。(笑)
ついついSquad LeaderやASLプレイヤーとしてみてしまいますので、サンダース軍曹が分隊を二手に分けると、お、ここで分隊を半個分隊二つに分けたなとか、ドイツ軍が水冷重機を移動するときにちゃんと銃身部分と脚部分に分解して移動していると、お、分解ユニットと取り替えたななんて思いながら見てしまいますね。
そういうのがまた楽しいんですよね。
まだまだ話数がありますので暇を見つけてみていくつもりです。
久々の「コンバット」もいいものですね。
それではまた。
- 2011/10/08(土) 20:51:27|
- 映画&TVなど
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うーん・・・ジャンル分けに悩みますなぁ。
メインが「メイディ」だからウォーゲームにしておきますか。
いま国際通信社様の通販ショップ「a-game」様では「秋の大感謝祭」が行われている最中です。
その中で残部希少となりました「RPGamer」誌も感謝祭価格で販売されておりまして、以前より購入しようかどうしようか迷っていた「RPGamer5号」も予想以上に値下がりしていたので、この機会にと思い手に入れることに。
その「RPGamer5号」が今日到着しました。

特集記事はトラベラー。
付録ゲームは「メイディ」という号で、トラベラーファンである私はずっと以前から気になっていたのです。
とはいえ、付録ゲームの「メイディ」は過去にホビージャパン版を手に入れており、いまさらゲームを手に入れる気にはならず、さりとてトラベラーの特集記事は気になるし・・・ということでずっと悶々としてきたのですが、今回2000円を切ったことで購入に踏み切りました。
で、付録ゲームの「メイディ」は内容を知っているので後回しにして、肝心のトラベラーの特集記事はどうか。
残念ながら大特集ってほどではないですな。
かつての「タクテクス18号」ほどの徹底さはなく、トラベラーというゲームとトラベラー世界の歴史をざっと一覧にしてリプレイを載っけたと言うところでした。
もちろんこれはトラベラーを出版している雷鳴社との絡みもあるでしょうから、これ以上のことは難しかったのかもしれませんね。
でも、この大特集ならではというトラベラーのプレイに役立つ記事(たとえばトラベラージャーナルの記事とか)がなかったのは非常に残念。
あったのは前号からの引き続きの「レフリーズノート」や「動物寓話」、「アンバーゾーン」ぐらいで、これは別にトラベラー特集号でなくても定期連載されているものです。
ただ、「アンバーゾーン」のシナリオは面白そうでした。
「傭兵部隊」ファンで大規模戦闘したいという方にはお勧めかも。
それにしても惑星の首都の名前が「アタラシイオカヤマ」市、首都近くにあるジャングルが「タケ・ヤブ」というのには笑いました。
アメリカ人には異世界風の名前に聞こえるんでしょうね。
今日はこんなところで。
それではまた。
- 2011/10/07(金) 21:09:36|
- ウォーゲーム
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今からもう30年ぐらい前、一人の少年がスーパーマーケットの玩具売り場で、ひとつのウォーゲームを見つけました。
そのウォーゲームは通常はビニールでシュリンク加工がなされ中が見られないようになっていたにもかかわらず、たまたま誰かがビニールを剥いでしまったのか、箱の中身が見られるようになっておりました。
少年はわくわくしながら中を見ました。
そのゲームがあのゲームの続編だったことを知っていたからです。
そのゲームとは「Crescendo of Doom」(邦題:電撃ドイツ戦車隊)

そう、「Squad Leader」と、その続編である「Cross of Iron」のさらに続編のゲームだったのです。

箱の中には何枚ものユニットシートと二枚の地図版が入ってました。
何より驚いたのは、このゲームで扱われている英軍戦車と仏軍戦車の種類の多さであり、それ以上にそれらが一両一両が一ユニット(駒)になっていたことです。
ウォーゲームでは多くの場合部隊でひとつのユニットになるので、一両で一ユニットというのはそう多くありません。
戦車が好きだった少年は、すぐにこのゲームの魅力に取り付かれてしまいました。
少年はまだ持っていなかった「Squad Leader」を買い求め、箱を開けてがっかりします。
「Squad Leader」には戦車の種類がほとんどなかったからです。
しかし、何回かソロプレイした少年はその面白さにはまり、気がつくと大枚はたいて「Cross of Iron」と「Crescendo of Doom」を手に入れてしまいました。
そしてこの二つにはドイツ、ソ連、英国、フランス、連合中小国の戦車や装甲車両がほぼ網羅されていることに歓喜いたしました。
この日から少年は「Squad Leader」シリーズの虜になったのです。
まさかこれが30年以上もの付き合いになるとは夢にも思わずに・・・
というわけで、「Squad Leader」シリーズに手を出した私ですが、残念なことに人と対戦したということはほとんどありません。
むしろ通信対戦ができるようになったおかげで、Advanced Squad Leader(スタンダードおよびスターターキット)のほうが対戦している回数は圧倒的に多いです。
特に「Cross of Iron」「Crescendo of Doom」は対人戦の経験は一回もありません。
そして残念ながらこれからもおそらくないでしょう。
なぜなら、これらのゲームはASLにルールがかなり似通っているにもかかわらず基本的に違うゲームであるため別々のルールとして覚えなければなりません。
しかし、かなり似通っているために両方覚えようとすると混乱すること間違いないと思うのです。
なので、今からこの二つのルールを覚えようとは思いません。
ですが、今でも「Squad Leader」シリーズは私の血を沸き立たせてくれるゲームです。
もしかしたら・・・
もしかしたらいつかこの二つのゲームも(G・Iも入れると三つか)プレイする日があるかもしれませんね。
きょうは過去の思い出でした。
それではまた。
- 2011/10/06(木) 21:58:27|
- ウォーゲーム
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今日はまたうれしい悪堕ちの広がりのご紹介。
リンク先がまたひとつ増えました。
忍足誠様のブログ、
「忍足誠の日々自堕落日記」様でございます。
(ブログ名クリックでリンク先に飛べます)
忍足様とはツイッターでしょっちゅうお話しする間柄でして、このたびブログを開設されたということも存じておりましたが、このたびリンクをさせていただくことになりました。
実は個人的なわがままから、忍足様にはリンクは少し様子を見てからとお願いしていたのです。
ブログというのは結構大変なものでして、開設したはいいけど結局数日分書いただけで更新がとまってしまうというブログも少なくありません。
そのため、大変申し訳ないながらも一ヶ月ほどは様子を見させてほしいとお願いしていたのです。
ところがなんと忍足様は持ち前のパワーでしょうか、このところ毎日のように更新をされておりまして、正直その更新頻度に圧倒されております。
タイトルにあるような自堕落だなんてとんでもない。(笑)
掲載されておりますのは悪堕ちファンタジーストーリーでして、魔王により聖王国が崩壊していくさまをじっくりねっとり書き込まれていらっしゃいます。
堕とされる対象もさまざまで、剣士、僧侶、姫様などがこれでもかとばかりに堕とされます。
すでに第二部に入っておりますが、楽しい作品だと思いますので、ぜひぜひ訪問してみてくださいませ。
忍足様、リンクありがとうございました。
今後ともよろしくお願いいたします。
今日はこれにて。
それではまた。
- 2011/10/05(水) 20:59:49|
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第二次世界大戦の直前である1939年、アメリカの新興航空機会社のバルティ社は輸出用戦闘機を開発して売り込もうと考えました。
この戦闘機はP&W社の空冷星型エンジンを搭載した単発戦闘機でありながら、先端を液冷エンジン戦闘機のように細く絞り込んだデザインを採用したため、冷却用空気を機首下面の空気取り入れ口から取り入れるようになっておりましたが、試験の結果はやはりエンジンの冷却効率が悪すぎ、まともに飛行すらできない様な有様でした。
バルティ社は改善を試みましたがあまり効果が上がらず、根本的な設計変更を考えざるを得なくなりましたが、幸いなことにセールスはうまくいきスウェーデン政府がこの機体に興味を持ってくれました。
そこでバルティ社は機首部分を設計変更し、一般的な空冷エンジン搭載機のように機首を大きく開いたデザインとして空気抵抗が大きくなったその分をエンジン出力の向上でカバーする方針に切り替えました。
この機首部分の変更はうまくいき、スウェーデン政府はバルティ社に対して小改良を施した上で144機の生産を注文するまでにいたります。
バルティ社は全力を挙げてこの注文に取り組み、144機を1940年10月から1941年9月までの一年間で作り上げました。

しかしなんということか、スウェーデンへの引渡し直前になってアメリカ政府から輸出は許されないといわれます。
すでに第二次世界大戦が始まっており、スウェーデンは中立国だったもののドイツとの結びつきが強いとして輸出が認められなかったのです。
生産した144機すべてが宙に浮いてしまったバルティ社でしたが、アメリカ政府はこの144機のうち129機を英国を通じてカナダにレンドリースで引き渡すことにいたします。
ホッとしたバルティ社でしたがそれもつかの間、実際の機体を確認したからなのか英国がこの戦闘機をカナダに引き渡すことを拒否。
またしても行き場がなくなってしまいました。
やむを得ずアメリカ空軍が144機の戦闘機を引き受け、P-66というナンバーを与えて今度は中国(中華民国)へ引き渡すことにいたします。
インド経由で100機が送られる予定でしたが、途中で日本軍との間に戦争が始まってしまったため、輸送途中で失われた機体も多かったといいます。
また船積みされずに西海岸に残されてしまった機体もあり、それらは結局練習機として使われたといいます。
実際に中華民国側が受け取ったP-66はあまり数が多くなかったといわれ、少数の戦闘機部隊に配備されましたが、戦闘機としてはあまり性能がよくなかった上に日本軍との戦いで地上で撃破されてしまった機体も多かったらしく、戦果の記録は見当たらないといいます。
それよりも大雑把な機体の外観イメージが日本軍の零式艦上戦闘機や一式戦闘機(隼)に似ていたため、逆に中国軍の対空砲火で撃ち落されてしまった機体すらあったといいますから、まさに踏んだり蹴ったりといえるでしょう。
P-66は機体の性能自体もあまりよくなかったのは確かですが、あまりにも不運と言える機体だったのではないでしょうか。
もし最初の予定通りにスウェーデンに送られていたならば、可もなく不可もないという状況だったかもしれませんが、ここまで不運な機体ではなかったかもしれませんね。
今日はこんなところで。
それではまた。
- 2011/10/04(火) 21:15:35|
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「世界の艦船」と同様毎月購入しているのがガリレオ出版の「グランドパワー」誌です。

こちらが今月号の表紙。
今月はソ連軍のKV重戦車シリーズの(1)
KV重戦車の特集は、これまでも何度となく行われているのですが、そのつど新たな発見があることが多く、今回もいろいろと面白いことがわかりました。
KV重戦車はスターリンお気に入りの友人クリメンティ・ヴォロシーロフの頭文字を取った重戦車ですが、もともとはSMK重戦車やT-100重戦車のような複数の砲塔を持つ重戦車を単一砲塔にして軽量化したというようなもので、意外とその開発はやっつけ仕事的なものだったようです。
ただ、軽量化されていただけにSMK重戦車やT-100重戦車などよりも使用成績はよく、充分使い物になるとして正式採用となるわけですが、それよりも正式採用となったあとが問題で、どうも今月号の記事を見ていると、初期のKV重戦車は欠陥だらけであった上、それを承知しておりながら納品を受ける軍も生産する工場もとにかく生産数の帳尻を合わせることが第一で、欠陥の改善は二の次三の次にされてしまって使うに使えないKV戦車ばかりが納品されていたらしいですね。
ソ連というお国柄ですから、とにかくノルマをこなすことが重要だったのでしょう。
まあ、それがスターリンの知るところになりじょじょに改善されることになったようですが、もともとソ連の技術力ぎりぎりで作られた(というか世界的にもこれほど重量のある戦車は当時どこにもなかった)戦車ですので、問題点は非常に多かったようです。
このKV重戦車、KV-1とKV-2は実戦に投入され有名ですが、ほかにも設計段階ではKV-3/4/5と種類があったというのは今回はじめて知りました。
また、KV-1をベースにしたT-150とかKV-220なんて超重戦車も考えられていたんですね。
今月号がKVシリーズの(1)ですが、来月は英国のマチルダ歩兵戦車が特集です。
こちらも楽しみです。
それではまた。
- 2011/10/03(月) 20:53:39|
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昨晩は土曜日恒例のGoma様とのVASLによりますASL-SK対戦。
先月より対戦してまいりましたシナリオS46「WHERE THE WINTER LINGERS」の決着がつきました。
結論から言いますと、またまたまたまた負けちゃいました。orz
どうにも勝てませんですねぇ。

こちらが初期配置。
実際のゲーム版はこんな風な雪景色にはならないのですが、VASLの機能を使えばこのとおり。
真っ白な雪原に早変わり。
PCでの通信対戦の恩恵ですねぇ。
このシナリオは、1942年4月のフィンランドはラップランド地方でのドイツ軍隊ソ連軍との戦いの一場面を表しております。
4月とはいえラップランドは深い雪で覆われているんですねぇ。
この雪が曲者でして、シナリオの最中にも降ってくることがあり、雪が降ると視界が妨げられるために射撃に不利な修正がつくのです。
逆に言えば打たれても被害が出づらいので、雪が降ると敵前での移動がしやすくなります。
また、深い雪は移動も妨げ、普通なら移動力を1消費するだけですむ開豁地や果樹園も、移動するのに1.5移動力の消費が必要です。
通常は歩兵は4移動力しかありませんので、移動が非常に制限されてしまうのです。
さらに4ターン以降は移動するだけで士気チェックが必要になり、場合によっては移動できないということも起こりえます。
盤が狭いにもかかわらず、8ターンもの長さがあるのはそのためでしょう。
ソ連軍(茶色)は、盤の向かって右側(東)から進入し、ドイツ軍の守備する町を抜けて盤の左側(西)へ少なくとも7点分の兵力を突破させなくてはなりません。
ドイツ軍(水色)は、それを阻止すれば勝利です。
私はドイツ軍を担当し、Goma様がソ連軍を担当いたしました。

(2ターン開始時)
ソ連軍は動けるうちにと全部隊を急速歩移動で進入させてきました。
それに対し独軍の射撃が功を奏し、ソ連軍最高の9-2指揮官を混乱させることに成功。
9-2指揮官は後方へ下がって回復に努めます。

(3ターン開始時)
ソ連軍は9-2指揮官が回復し、じょじょに独軍の守る町へと接近してきます。
独軍は射撃を加えますが、相手がエリート部隊(士気値8)なのでなかなか混乱してくれません。

(4ターン開始時)
3ターン目から雪が降り始めたことで、ソ連軍は雪にまぎれてかなり接近してきました。
独軍は二個分隊を白兵戦で失い、その際ソ連軍は6+1指揮官が誕生します。
6+1でも指揮官がいるといないとでは大違いなので、これはソ連軍にはよかったでしょう。

(5ターン開始時)
序盤で2度も混乱していたソ連軍の9-2指揮官ですが、すぐに回復して町にまでやってきてます。
独軍には増援が入ってきましたが、すでに兵力が限界に達しようとしており、効果的な反撃がなかなかできません。

(6ターン開始時)
雪は先ほどのターンで止みましたが、すでにソ連軍は町をほぼ押さえてしまっており、あとは突破を果たすのみです。
独軍は残った兵力で最後の防衛ラインを敷いて突破を阻止するべくがんばります。

(7ターン開始時)
ソ連軍の兵力が大波となって独軍に襲い掛かります。
独軍必死の抵抗も打ち砕かれ、無傷な分隊はわずか二個にまで減らされてしまいました。

(ゲーム終了時)
独軍最後の分隊も混乱し、ソ連軍の突破をとめることが不可能となってしまいました。
独軍の敗北です。
いやぁ、勝てませんねぇ。
序盤で9-2指揮官が2度も混乱したのでかなり有利かなと思っていたんですが、ソ連軍の兵力の多さに飲み込まれてしまいました。
特に白兵戦が今回は多かったのですが、そのいずれもで相手を除去することができず、損耗させる程度でとどまってしまったのが痛かったのと、とにかく回復ができなかったのがつらかったですね。
2ダイスで8以下で回復するはずが回復しないのは困ります。
次回はこのシナリオの入れ替え戦。
今度は私がソ連軍です。
独軍の防御ラインを突破できるようがんばらねば。
Goma様、次回もよろしくお願いいたします。
それではまた。
- 2011/10/02(日) 21:21:47|
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今日はデーゲームでプロ野球の試合が行われ、2011年のパ・リーグの優勝が決まりましたね。
福岡ソフトバンクホークス、優勝おめでとうございます!!うーん・・・この色はタイガースで使いたかった。(笑)
ソフトバンクは今年も強かったですね。
投打のバランスが取れていたということでしょうか。
残念なことに、北海道日本ハムはとにかく直接対決の対戦成績が悪すぎました。
ソフトバンクをたたくチャンスはいくらもあったのに、そのつどそのつどはじき返されてきたような気がします。
それだけ徹底的に分析されてきたということなんでしょう。
我が日本ハムは今日も引き分け。
とにかく打てないです。
こんなに打てないのも久しぶりではないでしょうか。
現状では二位はおろか三位落ち四位落ちすら考えられる状況ですが、何とか踏みとどまってクライマックスシリーズに望みをつなげてほしいですね。
がんばってほしいものです。
改めまして福岡ソフトバンクホークスおよびファンの皆様優勝おめでとうございました。
クライマックスシリーズでもその強さを遺憾なく発揮して日本シリーズ出場を目指してくださいませ。
今日はこんなところで。
それではまた。
- 2011/10/01(土) 20:49:02|
- スポーツ
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