またしても「うひょーっ!」と歓喜の声をあげてしまいそうなプレゼントをいただいてしまいました。
当ブログのリンク先でもあり、いつも私がお世話になっておりますイラストブログ
「じんじのお絵かき帳♪」の管理人じんじんじ様より、またしても素敵なイラストをいただいてしまいましたのです。
(サイト名クリックでリンク先に行けます)
それがこちら。

なんとなんと、あの昭和の「仮面ライダー」に登場いたしましたショッカーの改造人間「ハチ女」ではありませんか!
以前私が軽い気持ちで、「じんじ様の絵でハチ女を見てみたい」的なことを言ったことをじんじ様は覚えていてくださったんですね。
そしてこうしてリクエストに応えてくださったというわけなんです。
私のわがままなお願いに応えてくださいまして、本当にありがとうございました。
それにしてもすばらしいハチ女です。
冷酷とも優しげとも取れるような微笑を浮かべ、つんと上向いた胸がその存在をアピールしております。
躰のほうは改造された皮膚というよりも、レザースーツのような衣装という感じで表現されていて、そのつややかさと質感、しわのより方などがとてもよく表れてます。
色も青というよりは黒に近く、ボンデージ衣装っぽくなってますね。
おかげで両手や翅、サッシュや胸の黄色がとても映え、見事なコントラストを見せてくれてます。
劇場版「仮面ライダーFirst」や「仮面ライダーNext」では、改造人間たちはスーツを着て仮面をかぶるという設定なので、ハチ女が登場したらこんな感じだったかもしれませんね。
このように妖艶に微笑んで本郷を誘ったのではないでしょうか。
本当にこの笑みが素敵です。
じんじ様、今回も私のわがままなリクエストに応えていただきまして本当にありがとうございました。
今回のイラストも私の宝物として大事にさせていただきます。
すばらしいイラストをありがとうございました。
明日からはもう7月ですね。
このところSSをまったく投下できてなくて申し訳ありませんです。
亀のあゆみで少しずつ書いておりますので、どうかもう少々お待ちくださいませ。
時間がかかっているわりに中長編というわけではありませんが、近いうちには何とか投下したいと思っておりますです。
今日はこれにて。
それではまた。
- 2011/06/30(木) 21:18:53|
- Special Thanks
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今日は各地で暑かったようですね。
札幌も30.3度と、30度を越えました。
ホント、暑かったですねぇ。
そんな中、プロ野球の話題ですが、驚きのニュースが。
千葉ロッテマリーンズのサブロー選手が、読売巨人の工藤選手+金銭でトレードされましたとのこと。
サブロー選手は記事によれば35歳ということでベテランの域に達した選手ではありますが、千葉ロッテにとってはまだ放出するような選手ではなかったと思っていただけに驚きです。
一方トレード相手の工藤選手は元は日本ハムにいた選手ですのでその後が気になっておりました。
巨人であんまり出番がなさそうでしたので、このトレードをきっかけに再出発してほしいところです。
トレードはプロ野球にはつき物ですし、選手も請われて行くことになると思いますので、双方よかったと思えるトレードになってほしいですね。
サブロー選手も工藤選手も新天地でがんばっていただければと思います。
がんばるといえば、日本ハムはわき腹を痛めておりました斎藤佑樹投手が札幌ドームに帰ってまいりました。
今日の千葉ロッテ戦で52日ぶりの先発マウンドとのことでしたが、残念ながら7回4失点といい結果を残すことはできなかったようです。
ですが、7回を投げられたということで、今後また先発ローテーションに入ってくるものと思いますから、今後が楽しみです。
今日はこんなところで。
それではまた。
- 2011/06/29(水) 21:06:43|
- スポーツ
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昭和18年(1943年)2月1日から7日まで行われた「ケ号作戦」により、日本軍は半年に渡って攻防戦を繰り広げたガダルカナル島から撤収いたしました。
日本軍にとって「ガダルカナルの戦い」は錯誤と誤算のかたまりでしたが、戦争がこれで終わったわけではありません。
日本軍は今後も米軍を中心とした連合軍の攻撃に備えなくてはなりませんでした。
ここにいたり大本営陸海軍部は、今後もニューギニア方面では積極攻勢を取ることで主導権を取り戻すことを考え、陸軍の第八方面軍から第41師団主力をニューギニア島のウェアクへ、第51師団主力を同じくニューギニア島のラエへ輸送する等の「第八十一号作戦」の実施を決定します。
「第八十一号作戦」はすぐに実行に移され、陸軍第41師団の主力部隊を乗せた輸送船団がパラオから2月20日から26日まで四回にわたってニューギニア島ウェアクへと送り込まれます。
これによってウェアクには陸軍兵士約1万3000名のほか、物資約2600トンが無事に到着いたしました。
この輸送の成功は陸海軍を喜ばせましたが、実のところこのウェアクへの輸送は「第八十一号作戦」のうちでももっとも危険度の少ないものでした。
逆にこれから行わなくてはならない第51師団主力をラバウルからニューギニア島ラエへ送り込む輸送作戦は、連合国側支配領域に近いため最も危険で成功率も低いと考えられておりました。
特に輸送船団の護衛に当たる海軍の第三水雷戦隊の参謀である半田仁貴知少佐は、航路途中で連合国軍の航空攻撃を受けるのは必至であり、速力の遅い輸送船団では成功は覚束ず、全滅する危険性も高いと上部組織である第八艦隊の参謀神重徳大佐に意見具申をいたしましたが、神大佐からは命令だから全滅覚悟でやってもらいたいと言われ、やむなく出撃せざるを得ませんでした。
2月28日、陸軍の兵士と物資を満載した輸送船七隻と海軍の輸送艦「野島」が、護衛の駆逐艦八隻とともにラバウルを出航いたします。
輸送されるのは第51師団の主力約6900名と各種物資2500トン、それに海軍設営隊の人員約400名でした。
一方この輸送作戦の情報は米軍側にはほぼ正確に伝わっており、米軍は輸送部隊の阻止を試みる予定でおりました。
そのための攻撃準備はまさにこの出撃と同時の3月1日に終わっておりました。
昭和18年(1943年)3月2日。
前日のうちに輸送船団を発見していた米軍は、午前八時にB-17爆撃機10機でもって第一波の攻撃を仕掛けます。
このとき船団上空には海軍の護衛機がついておりましたが、B-17はそれらを果敢にかいくぐり、水平爆撃で爆弾を投下します。
この爆撃で早くも輸送船一隻が沈没し、乗っていた陸軍兵士1500人の多くが海に投げ出されました。
B-17の攻撃終了後、駆逐艦「雪風」と「朝雲」が生存者を救助。
何とか900人ほどを助け上げて、そのまま彼らを乗せた「雪風」と「朝雲」は先にラエへと向かいます。
救助した900人を送り届け、その後船団護衛に引き返すつもりでした。
B-17の攻撃は午後になっても行われ、今度は海軍の輸送艦「野島」が損傷いたします。
ですが、この日はこれだけの損害で終わり、日没後に先行した「雪風」と「朝雲」がラエに到着。
救助した900名をラエに下ろします。
結果的には、ラエに到着したのはこの900人だけでした。
3月3日。
連合軍の本格的攻撃が輸送船団を襲います。
この日は海軍の護衛戦闘機も24機ほど上空におりましたが、彼らの手ではとても防ぐことのできない攻撃でした。
午前7時50分、ボーフォート10機が来襲。
これは護衛の零戦に追い払われますが、その後続々と連合軍機が襲い来ます。
ボーファイター13機による船団への機銃掃射に始まり、B-17の水平爆撃、B-25中型爆撃機の水平爆撃と順次行われ、さらに別のB-25の編隊が低空から侵入。
彼らは「反跳爆撃(スキップ・ボミング)」を行うために低空より侵攻してきたのでした。
石を上から水に落としてもその場にボチャンと沈むだけですが、ある程度の速度をつけて水平に近い形で投げてやると、石は水面に当たって跳ね返り、何度かそれを繰り返して飛んでいくことをご存知の方も多いでしょう。
「反跳爆撃」とはその方法を爆弾に応用したもので、爆弾を目標船の手前で投下し、一度水面に跳ね返らせて目標船の横腹に叩きつけるというものです。
その効果は絶大でした。
B-25に続いてA-20や更なるB-25の編隊の「反跳爆撃」の前に「野島」を含む輸送船七隻すべてが爆弾を受け、護衛の駆逐艦も三隻が被弾するという大損害でした。
被弾した七隻の輸送船のうち二隻は早々に沈没。
駆逐艦も旗艦「白雪」が沈没。
残りはよろめくようにしながら生存者の救助を行う状況でした。
午後、更なる連合軍の攻撃が行われます。
B-17、B-25、A-20といった爆撃機の水平爆撃と「反跳爆撃」が繰り返され、結局残った輸送船もすべて沈没。
駆逐艦も「朝潮」「荒潮」「時津風」が沈められました。
連合軍は海面に浮いていた生存者にも容赦なく銃撃を加え、銃弾がなくなった機は一度補給に戻ってからまた銃撃に来たといいます。
多くの生存者がこの銃撃で命を失いました。
日本軍は最終的に輸送船八隻をすべて失いました。
陸軍兵士も約半数の3000名を失い、物資2500トンはすべて海の底に沈みました。
護衛の駆逐艦も半分の四隻を失いました。
まさに半田少佐の危惧したとおり全滅してしまったのです。
この戦闘はニューギニア島とニューブリテン島の間にあるダンピール海峡と呼ばれる場所に近かったことから、「ダンピールの悲劇」と呼ばれました。
しかし、本当の悲劇は敵味方の力量差を正確に把握せず、ずさんな輸送計画で船団を向かわせたことだったのではないでしょうか。
それではまた。
- 2011/06/28(火) 21:21:59|
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ここのところ、Goma様やHiro様とのVASLによるASL対戦の合間に、菊蔵様にお相手していただきましてVSQLでSquad Leaderの通信対戦を行っております。
昨晩もその対戦を行いましたのですが、現在はスターリングラードの戦いであるシナリオ3「The Streets Of Stalingrad」の対戦中です。
以前も記述したかと思うのですが、いつも対戦しているASLは「Advanced Squad Leader」と言ってSquad Leaderの発展形なわけです。
なので、基本的なターンの構成とかユニットの規模等は同じなのですが、発展しているだけあっていろいろなことがきちんと規定され、ルール上あいまいな部分が極力表れないようになっているわけです。
しかし、Squad Leaderの時点では、まだルールが相当に大まかであいまいな部分が多く、対戦相手とお互いに話し合ってルールの解釈を行わなければならないこともままあります。
このルールのあいまいさや大まかさがのちにASLを作らせる元となったとも言えるわけですが、やはり「こういう場合はどう?」とか、「こういうときはどうするの?」という部分はプレイの流れを阻害する要因ともなるので、少ないほうがいいことではありますね。
ただ、Squad Leaderの時点でのルールとASLのルールでは同じ事象を扱っててもかなり違うルールになっているので、ある意味別ゲームとして楽しめるのは助かります。
これが「Cross Of Iron」以降になりますと、ASLと同じ事象を同じようなルールで表し、しかも微妙に差異があるということになってくるので、頭の切り替えが難しくなってしまいます。
肝心のシナリオの展開ですが、このシナリオ3はシナリオ1とシナリオ2を合わせて一つにしたシナリオでして、出てくるユニット数も双方結構な数に上ります。
ソ連軍で60個分隊に指揮官が7人、独軍で32個分隊に指揮官が11人とが市街地地図盤上に入り乱れ、射撃と移動を繰り返します。
さらには(今回はまだ使われておりませんが)ソ連軍は地下道移動ができ、また両軍に装甲戦闘車両(AFV)が加わります。

すでに双方の射撃戦で多くの分隊が失われており、今後も予断は許しません。
独軍側としては厳しい状況ではありますが、何とかソ連軍の動きを封じていかなくてはならないでしょう。
あとはダイス目勝負かな。
次回はまた今週末ぐらいになりそうです。
菊蔵様、次回もよろしくおねがいいたします。
それではまた。
- 2011/06/27(月) 21:17:35|
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ここ数日、これを読んでおります。

「太平洋戦争 主要戦闘事典」(PHP文庫)です。
これは太平洋戦争の直前の日中戦争から、太平洋戦争の終戦に至るまでの主に日本陸軍の主要な戦闘を網羅した事典で、その戦闘がどの地域で行われ、敵味方のどういった部隊が参加し、その結果はどうなったかを大まかに記したものです。
序文にも書いてあるとおり、太平洋戦争の主要な海戦については網羅したものがありますが、陸軍の戦闘で中国大陸での戦闘まで網羅したものとなるとそうはありません。
しかもこの本は、作戦参加した部隊もだいたい記述されていて、双方の兵力もわかるようになってます。
その点では事典という名にふさわしいというところでしょうか。
まだ途中ですが、これから日本軍が追い詰められていくことになるのでちょっとつらいですね。
各地での玉砕戦は読んでいてつらくなります。
だからこそ、戦争のことは多くの人に知ってもらいたいものですね。
それではまた。
- 2011/06/26(日) 20:56:22|
- 本&マンガなど
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昭和7年(1932年)、日本陸軍は川崎航空機がドイツ人技師フォークトの力を借りて開発した複葉戦闘機を九二式戦闘機として採用しました。
しかし、九二式戦闘機はBMWエンジンをライセンス生産したエンジンの信頼性が低く、稼働率の悪い戦闘機となってしまい、あまりよい戦闘機とはみなされませんでした。
そこで川崎航空機は、逆ガル翼を採用した単葉戦闘機を九二式戦闘機の後継機として開発しますが、これまた安定性や運動性に難のある機体で、陸軍からの採用を得ることはできませんでした。
昭和9年(1934年)になって、陸軍は改めて川崎航空機と中島航空機に九二式戦闘機の後継機を開発するよう命じます。
これ以上の失敗は許されない川崎は、新機軸を盛り込みすぎた単葉戦闘機ではなく、堅実に安定性運動性を重視した複葉戦闘機を開発することにし、九二式戦闘機の改良発展型の機体を作ることにいたします。
試作機は翌昭和10年(1935年)の3月に完成し、中島製の機体と比較審査が行われました。
中島製の機体は単葉の高速機であり、速度性能では川崎の試作機は分が悪い状況でしたが、半面複葉であることから運動性と安定性に優れ、また上昇力も中島製の機体を上回るものでした。
陸軍はこの比較審査の結果から、川崎製の複葉戦闘機を採用することに決定し、同年九五式戦闘機として制式採用となりました。

九五式戦闘機は、試作機とほぼ同型の1型が約300機ほど作られたのち、主翼を改良して運動性をさらに向上させた2型がこれも300機ほどと、合計で600機弱が生産されました。
これらはすぐさま中国大陸での戦闘に投入され、日中戦争での日本陸軍の主力戦闘機として活躍することになります。
九五式戦闘機の高い運動性能は格闘戦において無類の強さを誇り、中国軍のソ連製複葉戦闘機I-15を圧倒したといいます。
また、ソ連軍との戦いとなったノモンハンの戦いでも、序盤ではソ連空軍に単葉のI-16が少なかったこともあり、I-15と互角以上の空戦を行うことができました。
しかし、ソ連軍が性能のよい単葉戦闘機のI-16を投入するようになると、やはり空戦での不利は否めず、新型の中島製九七式戦闘機にその主力の座を譲っていくことになりました。
九五式戦闘機は、その性能のバランスの高さから、日本陸軍複葉戦闘機としては最強の戦闘機といわれ、世界的に見ても高レベルの複葉戦闘機でした。
ですが、すでに時代は単葉機の時代になっており、複葉機の時代は終焉を迎えておりました。
九五式戦闘機は、最強の複葉戦闘機であると同時に、日本陸軍最後の複葉戦闘機でもあったのです。
それではまた。
- 2011/06/25(土) 21:16:05|
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1930年3月31日、一隻の巡洋艦がアメリカニュージャージー州の造船所で起工されました。
前級の「ノーサンプトン級」巡洋艦の改良型となる「ポートランド級」巡洋艦の一隻である本艦は、「インディアナポリス」と命名され、1932年11月15日に竣工します。
もともとは軽巡洋艦として起工された「ポートランド級」は、米海軍初の排水量1万トンを超えた巡洋艦として重巡洋艦に艦種が変更され、「インディアナポリス」も重巡洋艦として完成します。
全長は185.9メートル、全幅は20.1メートル、基準排水量で10250トン、満載では13000トンを超える大型の巡洋艦でした。
日本海軍で言えば改装前の「妙高型」重巡に匹敵する大きさでしょう。
「ポートランド級」は魚雷兵装を最初からまったく装備しておらず、純粋に砲撃力に特化した巡洋艦でした。
主砲には20センチを三連装三基九門装備し、副砲と高角砲を兼ねた12.7センチ両用砲を八基八門装備。
他にも対空機銃等を多数備えておりました。

(就役直後のインディアナポリス)
完成した「インディアナポリス」は、完熟訓練ののち1933年に時の合衆国大統領フランクリン・D・ルーズベルト大統領を送迎する任務につきました。
このとき大統領が乗艦したのはわずか一日ほどだったようですが、「インディアナポリス」は大統領を乗せた栄誉ある巡洋艦となったのです。
この後も「インディアナポリス」は同年に海軍長官を乗せ、また1936年には再びルーズベルト大統領を艦上にお迎えするなど、VIPを乗せる巡洋艦として時々使われました。
1941年12月に日本との戦争が始まると、「インディアナポリス」は空母「レキシントン」の第11任務部隊に所属して日本軍と戦います。
ですが、1942年序盤でオーバーホールのために本国帰還となり、空母「レキシントン」が沈んだ「珊瑚海海戦」には参加しませんでした。
オーバーホールが終わったあとは、主に北太平洋で行動し、日本軍のアッツ島やキスカ島の拠点に対する砲撃や、日本船団への攻撃、味方上陸部隊の護衛などに従事します。
そして1943年11月には、レイモンド・スプルーアンス提督率いる第五艦隊の旗艦として使われることになりました。
スプルーアンス提督はもともとは大きさに余裕のある戦艦を旗艦にしたかったといいますが、適当な戦艦がこの時点ではなく、旗艦設備の整っていた「インディアナポリス」が選ばれたといいます。
「インディアナポリス」はもともと巡洋艦隊の旗艦としても使えるようになっていたので、その能力が見込まれたのでした。
とはいえ、もともとは一巡洋艦でしかない「インディアナポリス」に、大勢の幕僚を引き連れてはいけません。
一部の幕僚を陸上に残すよう進言を受けたスプルーアンス提督は、逆に配下の幕僚団を縮小し、スリム化して「インディアナポリス」に乗り込みました。
以来、「インディアナポリス」は司令官坐乗の指揮艦として対日反攻作戦に従事します。
1944年の一時期旗艦を返上しますが、その後またスプルーアンス提督が戻ってくると旗艦を務めるなどをして、その砲撃力をおおいに日本軍に対して見せ付けました。
1944年末から1945年にかけ、再びオーバーホールを行った「インディアナポリス」は、その後も硫黄島への砲撃などを行い、沖縄戦にも参加。
ここで日本軍の特攻機の体当たりを受け、艦尾を損傷してしまいます。
「インディアナポリス」は損傷修理のために米本土に戻り修理を受けました。
そしてそこである秘密任務を受けることになります。
それはテニアン島から日本に向かって発進するB-29に搭載する「原子爆弾」をテニアン島へ運ぶというものでした。
(正確には原爆の部品等)
1945年7月16日にサンフランシスコを出発した修理を終えたばかりの「インディアナポリス」は、途中真珠湾に立ち寄り、7月26日にはテニアン島に到着します。
ここで原爆部品を下ろした「インディアナポリス」は、そのままグァム島に派遣され、さらにフィリピンのレイテ島に向かうように指示されました。
1945年7月30日0時15分。
レイテ島に向かう「インディアナポリス」の右舷に魚雷が三本命中。
これは日本軍の潜水艦「伊-58」の発射した魚雷六本のうちの三本が命中したものでした。
「インディアナポリス」は弾火薬庫の誘爆も起こし約十二分後に沈没。
しかし、ここからが「インディアナポリス」の悲劇の始まりでもありました。
沈没直後、海上にはまだ生存者が900名ほど残っていたといいます。
しかし、アメリカ海軍内での連絡の不徹底などから、「インディアナポリス」の沈没はすぐには知られませんでした。
「インディアナポリス」は沈む前に救難信号を発したものの、その救難信号は日本軍の謀略と思われ、救助に向かった船を引き返させたという話まであります。
結局救助が本格化したのは、沈没から三日もたった8月2日の哨戒機からの報告以後でした。
救助されたのは316名。
約600名が救助されることなく海に飲み込まれてしまいました。
「インディアナポリス」の艦長マクベイ大佐は救助後軍法会議にかけられ、艦を危険に晒す行動を取ったとして有罪になりました。
本人も自責の念に駆られて自殺してしまいますが、のちに、当時の状況では過失とはいえないということで無罪となり、名誉回復がなされました。
大統領を乗せ、艦隊司令官を乗せ、最後は原爆まで載せた「インディアナポリス」
その最後は残念ながら悲惨なものとなってしまったのでした。
それではまた。
- 2011/06/24(金) 21:18:53|
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1930年、英国はその空を守る防空戦闘機の更新を計画します。
この時点での英国空軍の主力戦闘機は複葉機のホーカー・フューリーでしたが、やはりこれからの戦闘機としては単葉の全金属製であることが求められたのです。
しかし、搭載するエンジンの開発の遅れや世界恐慌による開発費の不足等があり、結局英国空軍はグロスター・グラディエーター複葉戦闘機を選ばざるを得ませんでした。
一方今までの主力戦闘機フューリーを製造していたホーカー社も、フューリーの後継機の計画を立てておりましたが、1934年になりロールス・ロイス社が新型エンジン(のちのマーリンエンジン)の開発に成功したことを受けて、この新型エンジンを搭載する単葉戦闘機の開発を始めます。
この新型機計画は英国の航空省にも認められ、試作機の製作に許可が下りました。
ホーカー社は試作機の開発を順調に行い、1935年11月6日に初飛行を迎えます。
試作機は飛行試験でそれまでの戦闘機を大きく上回る性能を見せ、英国空軍はすぐにこの新型機を「ハリケーン」と名づけた上で量産に入るように指示いたしました。
「ハリケーン」は最初の量産機Mk.Ⅰの時点ではプロペラの羽根も二枚しかなく、胴体や主翼も一部が木製布張りであるなど、当時の新型機としては旧式のイメージのある機体でした。
英国空軍の求める全金属製でモノコック構造という近代的戦闘機ではなかったのです。
これはホーカー社の製造技術や、量産ラインの対応能力などが問題となってしまったからでした。
英国空軍の求める新型戦闘機は、「ハリケーン」の初飛行から四ヵ月後にスーパーマリーン社が「スピットファイア」を初飛行させたことでかなえられることになりました。
しかし、新技術を多用した全金属製戦闘機「スピットファイア」は、その量産がスムーズに行えるかどうかが未知数でした。
一方ホーカー社の「ハリケーン」は確かに最新技術の固まりというものではありませんでしたが、その製造法はすでに熟知されており、技術も定着したものでした。
そのため量産もしやすく、配備された機体も前線部隊では今まで使っていた機体とそう変わらずに使用できる使い勝手のよいものでした。
「ハリケーン」は1937年12月より部隊配備が開始され、第二次世界大戦序盤の英国空軍の主力戦闘機となりました。
「ハリケーンMk.Ⅰ」は武装は7.7ミリ機銃を8挺も搭載する強力武装でしたが、反面装甲板や燃料タンクの自己閉鎖能力などは持たず防御には難があると考えられました。
しかし、実際に大戦に入って空戦を行ってみると、軽い機体は運動性もよく、また撃たれて穴が開いても致命的なことにならずにすむことが多いことがわかりました。
また、期待の保守整備が簡単で修理もしやすくすぐに戦線復帰が可能でした。
「ハリケーン」は量産開始後からすぐに改良が施され、プロペラの羽根が三枚に増やされたり主翼が全金属製に変更されるなど性能向上に努力が払われました。
ですが、それでもドイツ空軍が投入してきたメッサーシュミットBf109に対しては性能面で劣っており、空戦での被害は増加していきました。
ホーカー社はエンジンを「マーリンXX(20)」に換装した「ハリケーンMk.Ⅱ」を開発し、武装も7.7ミリ機銃12挺に増やすなど強化に努めますが、それでもメッサーシュミットBf109との性能差はそう簡単には縮まりませんでした。

ですが、「ハリケーン」の機体の堅牢さや量産のしやすさ、維持補修のしやすさは、Bf109との性能差を補って余りあるものでした。
1940年にバトルオブブリテンが始まった時点で、英国空軍の戦闘機中隊の数は、「スピットファイア」装備中隊17個に対し、「ハリケーン」装備中隊は26個と多数を占めていたのです。
また、フランスやノルウェー上空では地上からの支援を受けられなかったためにBf109に水をあけられてしまったものの、英国本土の上空では地上からの迎撃指揮等の支援がしっかりしていたこともあり、Bf109と互角の勝負ができたのです。
また、性能のいい「スピットファイア」がBf109を引き受けている間に、「ハリケーン」はドイツ軍の爆撃機を攻撃するという役割分担も行われ、これによってドイツ軍の爆撃機は大きな損害を受けました。
一説にはバトルオブブリテンでのドイツ軍爆撃機喪失の八割は「ハリケーン」によるものだったといわれます。
「ハリケーン」は「スピットファイア」の量産が軌道に乗ってきた1941年以後は地上攻撃を主とする戦闘爆撃機としての運用が多くなりました。
それでも1943年にはエンジンと主翼を改良したMk.Ⅳが開発され、カナダでも製造されるなど多くの機体が量産されました。
最終的には1万4千機もの「ハリケーン」が製造され、「スピットファイア」や「タイフーン」などが英国空軍の主力となった後も終戦まで一部では使われ続けました。
「ハリケーン」はいわば完成した技術で作られた保守的な戦闘機であり、傑出した性能を持っていたわけではありませんでした。
しかし、使い勝手がよく維持補修も簡単で壊れにくい「ハリケーン」は、まさに英国の危機のときにその上空を守りきった戦闘機だったのです。
そして第二次世界大戦を通しての通算敵機撃墜機数においては、「スピットファイア」を上回ったのでした。
今日はこれにて。
それではまた。
- 2011/06/23(木) 21:22:08|
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今日6月22日は第二次世界大戦中の1941年にドイツ軍がソ連に侵攻を開始した「バルバロッサ作戦」の開始日であります。
作戦開始時点において独ソ両軍合わせて約600万人という兵力(同盟国含む)が、北はバルト海から南は黒海にいたる長大なラインで向かい合い、戦いを始めたのです。
以後1945年のドイツ降伏まで、独ソは激しい戦いを繰り広げることになりました。
それから70年。
私が趣味とするシミュレーション・ウォーゲームの世界においても、この「バルバロッサ作戦(という名で語られる独ソ戦の序盤)」は重要なゲームアイテムとして、多くのゲームが作られてきました。
ウォーゲームのふるさとアメリカでもこの独ソ戦は人気アイテムだったこともあり、実に数多くのゲームが作られたのです。
と、言うことで、「バルバロッサ作戦」開始から70年という節目ですので、我が家に現在あるシミュレーションゲームの中で、「バルバロッサ作戦」に関連するゲームがどれだけあるか調べてみることにしました。
関連ゲームということで、「独ソ戦」のゲームではあっても「バルバロッサ作戦」を含まないもの(スターリングラード戦等のゲーム)や、戦術級ゲーム(ASL等)は省きます。
また、第二次大戦全体を扱う戦略級ゲームも省きました。
まずは独ソ戦全体を扱ったもの。
(バルバロッサ作戦開始から少なくとも1944年まで)

まずはこれを語らずにはいられません。
「ロシアンキャンペーン2」(CMJ版)です。
独ソ戦ゲームの定番「ロシアンキャンペーン」の元となったゲームで、私はこちらのほうしか持っておりません。
対人プレイ済みで、やはりいいゲームだという印象です。

「ロシアンフロント」(AH)です。
「ロシアンキャンペーン」をしのぐことはできなかったみたいですが、好ゲームという話を聞いたことがあります。
私自身は未プレイなので、なんともいえないところです。

コマンドマガジン87号に付いた「バルバロッサ 独ソ戦1941-45」(CMJ版)です。
こちらも未プレイなのでなんともいえません。
あんまりプレイされているという話も聞かないような・・・
独ソ戦全体を扱ったゲームは以上三つというところです。
次は「バルバロッサ作戦」中心のゲーム。

コマンドマガジン初期の7号に付録として付いた「Blitzkrieg1941」(CMJ版)です。
タイ・ボンバ氏デザインのゲームで、敵のいないヘクスを攻撃して戦闘後前進できるというすごい技が使えるそうです。
対戦してみたいと思うゲームではあるのですが、いまだ未プレイです。

GDW社の120シリーズの一つ「1941」(CMJ版)です。
手軽に楽しめる「バルバロッサ作戦」ゲームとしてなかなか高評価と聞きます。
私個人は未プレイです。
機会があればやりたいですね。

エポック社の初期のゲーム「独ソ電撃戦」(CMJ版)です。
入門用ゲームとして非常に簡単で面白いゲームだと思います。
バランスの悪さが指摘されますが、ソ連軍がアントライド(戦力未確認)状態なので、場合によっては簡単に突破されたりもするかなという気もするんですが・・・
対人プレイが一度、ソロプレイが数度あります。

三つのゲームが入っている「Basic3」ですが、このうちの一つ「レニングラード」が「バルバロッサ作戦」におけるドイツ北方軍集団を扱ってます。
これもかなりドイツ軍にはきびしいゲームですが、手軽にちょっと楽しむにはいいゲームだと思います。
対人プレイもありです。

商業版ゲームジャーナル誌の第一号のゲーム「真・バルバロッサ作戦」です。
ルールが結構改定されたようで、HPからDLできるようになってます。
最初のほうをソロプレイしてみたのみです。
あと画像は無いのですが、翔企画のSSシリーズで「モスクワ電撃戦」があります。
6でろシステムでたくさんのサイコロを振ることができます。
これも手軽で簡単に楽しめるゲームだと思いますが、ソロプレイしかしておりません。
最後にこれも画像なしですが、「Fire in The East」(GDW/HJ)もあります。
ヨーロッパシリーズの一つですごいビッグゲームです。
もちろん未プレイです。
こうしてみると結構ありますねぇ。
なんだかんだ言ってもコマンドマガジンの付録が多いかな。
未プレイのものは機会を見つけてやってみたいものです。
それではまた。
- 2011/06/22(水) 21:15:34|
- ウォーゲーム
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プロ野球も交流戦が終わり、今週からはまたリーグ戦が始まるわけですが、そんな矢先ショックな報道が・・・
北海道日本ハムの田中賢介選手が左足首の骨折で今季ほぼ絶望とのこと。
ガ━━Σ(゚Д゚|||)━━ン!!
ショックですー。
小谷野選手も復帰し、斉藤投手も帰ってくる目処がついて、中田翔選手がオールスターのファン投票中間発表でトップを走っているというリーグ戦に向けて幸先のいい状況だったんですが、残念でなりません。
思えば今年は田中選手はついてないですね。
春のキャンプで怪我をして開幕には間に合わないのではと思われたんですが、開幕日がずれたために何とか間に合ったような状況で、その後もあまり調子が上がってこず、最近ようやく調子が上がって来たところで骨折ですか・・・
とにかく怪我をしてしまったことはもうどうしようもないので、あとは一刻も早く完治して復帰してもらうことが大事ですね。
それまでは若手のみんなにがんばってもらって、田中選手がうかうか休んでいられないなって思うような状況にしてくれることを願います。
今日はこんなところで。
それではまた。
- 2011/06/21(火) 21:09:33|
- スポーツ
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今日クロノノーツ様からMMP社の「ASL-SK エキスパンションパック#1」が到着いたしました。
ずーっと待っていたので、喜びもひとしおです。

早速中身拝見。
SK3に若干の修正を加えた新ルールブックが一冊入っており、エキスパンションといいながらもこれ単独でゲームができるようになっております。
また追加された車両や砲兵器に関するH章も一冊にまとめられて入っており、見ているだけで楽しいです。
今回追加された車両の中には、独軍ですとヤークトパンターがあったり、英軍ですとチャーチル近接支援型やコメット、マチルダの1と2、イタリア軍には105ミリ砲タイプのセモベンテがあったりと、車両マニアもにやりとしてしまいそうな車両が入ってます。
でも、どうやら今回はシナリオに出てこない車両も入っているようで、今までのSKシリーズですと、そのボックスに入っていたシナリオに必要な車両や砲しか入っていなかったものですが、今回は今後のシナリオ展開とかを考えてこのパッケージのシナリオには出てこない車両も入れたのかもしれませんね。
シナリオは8本。
S44は1939年のスロバキア対ポーランドで、SK3レベル。
S45も1939年のスロバキア対ポーランドですが、こちらはSK2レベル。
S46は1942年の独ソの戦いでSK1レベル。
S47、S48は連続シナリオとしてもプレイできる1943年シシリーでの米軍対イタリア軍。
S47がSK2レベルで、S48はSK3レベル。
S49は1944年の独米戦でSK3レベル。
S50は1944年の独軍対自由フランス軍でSK3レベル。
S51は1944年の独米戦でSK1レベルと各レベル満遍なく入っているようです。
このところスタンダードASLを中心にプレイしてきましたが、これが手に入ったので、またSKでのプレイも楽しめそうです。
それではまた。
- 2011/06/20(月) 21:02:11|
- ウォーゲーム
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土曜日の夜は毎週恒例でGoma様とVASLによるASL通信対戦です。
昨日シナリオが一つ終わりました。
今回対戦したのはシナリオRPT012「RETREAT FROM BAIRAK」です。
このシナリオは、1942年の独ソ戦における一場面で、独軍の守る街に対するソ連軍の攻撃を表したものです。
今回、守る独軍を私が、攻撃側のソ連軍をGoma様が担当しました。
独軍は勝利条件の兼ね合いで、適度に守りつつ後退して行かなくてはならないのですが、やはりなかなか難しく、ソ連軍の兵力に飲み込まれてしまいました。
後ろに下がる部隊も、遠距離射撃を受け混乱したりPINになったりとうまく後退できません。
結局勝利条件に必要な8VPの兵力を下回ってしまい独軍の敗北で投了。
またしても負けてしまいました。orz
このところどうも勝ちに見放されているんですが、これはやはり私のプレイのまずさゆえだろうなぁと反省。
次回には何とか勝ちたいものだと思っていたところ、プレイ終了後にGoma様より連絡があり、ソ連軍に今回KV-1が一両多かったとのこと。
シナリオカードを確認したら、KV-1は一両しか出てこないはずだったのが、初期配置で誤って二両出してしまってました。
戦車が一両多いんですから、そりゃ独軍はつらいはずですよねー。(笑)
でも、お互いまったく気が付いてませんでした。
こんなこともあるんですねぇ。
とはいえ負けは負け。
次回はがんばるぞー。
Goma様、今回もありがとうございました。
- 2011/06/19(日) 21:10:52|
- ウォーゲーム
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今日6月18日は、あの「東日本大震災」の発生した3月11日から数えて100日なんだそうです。
(発生当日を算入してです)
あの日から3ヶ月以上が経過し、表面上は平穏な日常が戻ってきたかのように感じます。
私の住む札幌はあの震災で特段の被害を受けなかったこともあり、ふだんの生活でそれほど変化は感じません。
ですが、100日経ったとはいえ、ニュース等を見る限り被災地支援はあまり進んでいるようには思えません。
また、福島第一原子力発電所の原子炉損傷事故も終息の兆しがまだ見えません。
仮設住宅も必要数の半分ほどしか完成しておらず、また完成した仮設住宅も立地場所が不便である等で入居者数が伸び悩んでいるとも聞きました。
ライフラインもまだ復旧していない箇所も多数に上るといいます。
もちろんまだ100日しか経っていない状態です。
そう簡単には行かないと言われるでしょう。
ですが、見ている限りではどうも行政の動きが鈍いように見えてしまいます。
未曾有の災害で前例が無いことなので、動きが取りづらいというのはあるのでしょうが、手が付いていないことが多いように見えてしまいます。
まあ、現地へ行って目にしたわけではないので、あくまで私の感じる印象です。
もちろん現場では一所懸命に作業をなさっている方々が多数おられるでしょうし、そういった方々の頑張りには感謝してもしきれません。
まだまだこれからということなのでしょう。
被災地の方々の生活が早く安定することを願ってやみません。
それではまた。
- 2011/06/18(土) 21:11:20|
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昭和12年(1937年)、日本古来の皇紀で言えば2597年に採用された(と言われる)九七式中戦車は、八九式戦車に続く日本国産の戦車で、採用当時としては諸外国の同級戦車に引けを取らない戦車でした。
しかし、昭和14年(1939年)の「ノモンハン事件」では、もともと歩兵支援用であった主砲の57ミリ短砲身砲では装甲貫徹力が低かったことに加え、37ミリ対戦車砲に対抗するレベルの装甲厚だった25ミリの装甲がソ連軍の45ミリ砲に対抗できず、大きな損害を出してしまうことになりました。
(ただし、数的には同数以上のソ連軍装甲車両を撃破したといわれ、日本陸軍戦車兵の技量の高さをうかがわせました)
このため、日本陸軍は九七式中戦車の対装甲攻撃力を強化するため、主砲を短砲身の57ミリ砲から長砲身の47ミリ砲に換装した新型砲塔の九七式中戦車を開発します。
この47ミリ砲は口径こそ細くなったものの、初速が速いために装甲貫徹力が高く、今までの57ミリ砲では撃ち抜くことのできなかった米軍M3軽戦車の装甲を撃ちぬくことができる砲でした。
しかし、この47ミリ砲の新型砲塔を搭載したことで攻撃力は増した九七式中戦車でしたが、防御力となる装甲の厚さは25ミリのままで改善されませんでした。
そのため、のちの太平洋戦争ではその防御力の貧弱さから、多くの九七式中戦車が失われることになって行きます。
日本陸軍としてはおそらくこの九七式中戦車に新型砲塔を載せたタイプは一時的なつなぎの車両という認識だったのかもしれません。
戦車の装甲厚は、厚くすればそれだけ重量が重くなり、同じエンジンでは機動性が落ちてしまうのは明白です。
また、重量が増えた車体は今までと同じ足回りでは支えるのに困難が生じます。
装甲を厚くするのであれば、エンジンから車体を支える足回りからすべて改善していかなくてはならないのです。
ですから、そう簡単に九七式の装甲厚を増やすことはできなかったのです。
そこで日本陸軍は、昭和15年(1940年)に九七式中戦車の防御力と機動力も増強した改良型の開発に乗り出しました。
この時点ではまだ開発が始まったばかりで、翌昭和16年(1940年:皇紀2601年)になっても試作車すら完成しておりませんでしたが、この新型戦車は「一式中戦車」として命名されました。
一式中戦車は、昭和17年(1942年)に試作車が完成します。
この試作車は、一見新型砲塔を搭載した九七式中戦車に酷似しておりましたが、もともと九七式中戦車の改良型というコンセプトであったため、それも当然だったのでしょう。

(一式中戦車)
とはいえ、一式中戦車は、新型砲塔九七式中戦車とは大きく違っておりました。
まずなんと言っても装甲厚が違いました。
九七式の25ミリに対し、一式は倍の50ミリの正面装甲になっており、しかもほとんどリベット接合だった九七式とは違い大幅に溶接接合で組み立てられた部分が多くなっておりました。
搭載した主砲は同じ47ミリ砲でありましたが、こちらも正面には25ミリ厚の増加装甲が張られ、車体と同じ50ミリの防御力を持ちました。
また装甲が厚くなったことで重量が増えましたが、それを打ち消して余りある240馬力のエンジンに置き換えられ、170馬力だった九七式よりも機動性が向上しました。
足回りこそほとんど変わっておりませんが、若干全長が伸びたことで履帯の接地長も増え、幾分か重量分散されたものと思われます。
乗員数も装填手が増やされて五人となり、空間居住性は若干落ちたと思われますが、作業効率は上がったものと思われます。
ただし、装填手は現場ではほとんど配置されず、四人で操作することが多かったようです。
こうして九七式中戦車に比べ、数々の点で改良されていた一式中戦車は、昭和18年(1943年:皇紀2603年)に開発が完了いたしました。
しかし、すでに太平洋戦争3年目であった日本には、新型戦車を量産する力はまったく無く、生産の主は航空機となっておりました。
そのため、一式中戦車は昭和19年(1944年)になってようやく少量の生産が行われ、部隊配備が行われます。
生産数は一説には170輌程度とも言われ、しかも、そのすべてが本土決戦用として日本本土に置かれたために、激戦の続く最前線には届けられることがありませんでした。
もっとも、輸送ルートも壊滅に瀕していた時期ですので、前線に運びたくても運べなかったということかもしれません。
一式中戦車は、結局のところ戦局にはなんら寄与するところ無く終わりました。
また、本土での戦闘が行われたとしても、すでに75ミリ級の主砲が主力であった戦争後半の戦車であるM4には歯が立たなかった可能性が高いです。
せめて太平洋戦争の開戦時にこの一式中戦車があれば、フィリピン等でM3軽戦車に対しもう少し楽に戦えたのではないでしょうか。
今日はこれにて。
それではまた。
- 2011/06/17(金) 21:28:44|
- 趣味
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プロ野球セ・パ交流戦も残すところ各チーム2試合ほどとなりましたが、昨日今年の交流戦の優勝チームが決まりました。
福岡ソフトバンクホークス交流戦優勝おめでとうございます。いやぁ、今年のソフトバンクは強かったですねぇ。
セ・リーグ各球団相手に昨日の時点で2敗しかしておりません。
まさにセ・リーグは飲み込まれてしまったというところでしょう。
それにしても交流戦は毎年パ・リーグの強さを見せ付けられますねぇ。
今年もセ・リーグは優勝できませんでしたし、勝ち越しているチームすら昨日の時点で中日一球団しかありません。
この差はどこから来るものなんでしょうかね。
一方阪神タイガースは、ここにきて少しずつ勝ち始めてきたようです。
昨日一昨日とは日本ハムの武田勝投手、ダルビッシュ投手相手に僅差で競り勝って連勝といういい感じ。
相手が日本ハムというのが個人的には複雑ですが、阪神対日本ハムの場合には阪神を応援するのが私ですので、今回の阪神の連勝はうれしいところです。
しかし、この阪神の連勝も城島選手や金本選手をはずしたことによるものであることは否めないことでしょう。
両選手とも不振の原因はやはり怪我の影響があったのは事実だとおもいますので、ぜひとも体調を万全にしてグラウンドに戻って来てほしいものです。
おそらくそれが阪神ファンの多くの方の願いでしょう。
秋口にかけ両選手の力が必要になることは間違いないでしょうからね。
来週からはいよいよリーグ戦の再開です。
残り試合数はまだ90試合以上あります。
下位球団も上位を食って逆転することはまだまだ可能だと思います。
最後に優勝するのはどの球団なのか。
今後も楽しみです。
それではまた。
- 2011/06/16(木) 21:30:16|
- スポーツ
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今日は久しぶりに大学時代の友人と会ってきました。
三人と会ったのですが、うち二人とは昨年あたりも会っておりましたが、もう一人の先輩とは数年ぶりの顔合わせでした。
ところが会った瞬間、お互いまるで昨日会って別れたかのように挨拶。
もう、すぐにこの数年間などなかったかのように会話してました。
いやぁ、友人というのはいいものですね。
その後は友人の家で数時間雑談。
みんな酒が苦手なので酒は入りませんでしたが、コーラを片手に雑談で酔いしれておりました。
くだらない話ばかりでしたが、楽しい時間でした。
途中雑談の中で特撮系の話がでたこともあり、友人の一人からはこれを借りることができました。

リメイク版仮面ライダーの「The Next」です。
「The First」のほうは劇場で見たんですが、こちらのほうはなんとなく見ていなかったので、今回借りることができて見るのが楽しみです。
今日はこんなところで。
それではまた。
- 2011/06/15(水) 21:46:42|
- 日常
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タミヤニュースの506号です。
表紙はこちら。

今号の表紙は第二次世界大戦時のドイツ空軍の爆撃航空団のシンボルマークだそうです。
下の雨傘をターゲットにしているのは、紛れもなく英国をイメージしてますね。
今号の「第二次大戦イタリア軍装備解説」はセモベンテ自走砲。
基となった車両によってM40/M41/M42と発展して行きますが、今号は前編です。
M40はかつてタミヤの1/35でも発売されたので、イタリア軍車両としては馴染み深い車両かもしれませんね。
私個人的には、やはりプラモデルもミリタリー系が気になるわけですが、このところタミヤからは第二次世界大戦中のフィンランド軍車両がリリースされ始めてますね。
1/35の新製品にも、当時のフィンランド軍が装備した「BT-42」自走砲がラインアップに載ったようで、フィンランド軍ファンにはたまらないチョイスではないでしょうか。
わずか18輌しか作られなかったBT-42は、BTという形式番号からも想像できる通り、なんとソ連軍のBT-7戦車を捕獲したフィンランド軍が、その車体に114ミリ榴弾砲を砲塔形式で搭載したという車両で、実車と同じく以前発売されたBT-7がベースになっているのは間違いの無いところ。
これで1939年の冬戦争や、その後の継続戦争の情景を作ることもできるんでしょうね。
同じく1/35ミリタリーミニチュアでは、第二次大戦後の中東戦争で活躍したイスラエルバージョンのシャーマン戦車である「M1スーパーシャーマン」が発売になるとのこと。
アラブ側諸国の装備するソ連製T-54/55戦車という戦後型戦車に対し、引けを取らない活躍をしたといわれるスーパーシャーマンですので、中東戦争アイテムがまた一つ充実したというところでしょうか。
今号も楽しいタミヤニュースでした。
それではまた。
- 2011/06/14(火) 21:07:45|
- タミヤニュース
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昨晩は菊蔵様とVSQLを使ってのSquad Leaderの通信対戦を行いました。
対戦したのはシナリオ2「THE TRACTOR WORKS」
1942年のスターリングラードにおけるトラクター工場での戦いを表したもので、独軍の突撃工兵による火炎放射器や爆薬といった兵器が出てくるシナリオです。
今回も陣営は菊蔵様ソ連軍(茶色)に対し、私が独軍(水色)を担当しました。

こちらが初期配置。
独軍ソ連軍ともに部隊がどう配置されているかわからない隠蔽状態に一部なっております。
勝利条件はソ連軍の茶色の隠蔽(?マーク)ユニットが配置されている大きな建物(トラクター工場を表している)のうち、6ヘクスを最終的に支配している陣営が勝利するというもので、大雑把に言って盤右側の独軍が工場に攻め込み、盤左側のソ連軍が工場を救援に行くという形になります。
序盤、ソ連軍は独軍の突撃工兵を少しでも減らすべく、隠蔽を自ら放棄して射撃戦を挑んできましたが、やはり建物にいる独軍に対してはさほど効果がありません。
一方左側から工場に向かうソ連軍部隊に対し、独軍は防御射撃を浴びせてある程度は混乱(裏返り)させることに成功しますが、除去するまでには至らず、逆にソ連軍の前進射撃にドイツ軍側にも混乱する部隊が続出しました。
独軍は工場に対する攻撃は順調に進み、突撃工兵の仕掛けた爆薬の爆発でピンゾロがでてソ連軍三個分隊を吹き飛ばすという「会心の一撃」を与えるなど工場の一角に足がかりを作ります。
しかし、左側から来るソ連軍を食い止めるはずの独軍隠蔽部隊は早期に消耗してしまい、3ターン目にはすでに足止めできる状態ではなくなります。

(3ターン開始時)
この後、工場内ではソ連軍の9-2指揮官と447分隊が二つ凶暴化し、独軍の10-2指揮官&838二個分隊と白兵戦で相撃ちになるという状況もありましたが、ついに工場内は独軍が占領します。
しかし、そのときには工場にはソ連軍の大部隊が迫っておりました。

(4ターン開始時)
ソ連軍はじわじわと工場に攻め寄せ、射撃グループを作って大火力で独軍を攻撃。
ここで独軍の最高の指揮官である10-3指揮官のスタックにソ連軍の24火力の射撃がピンゾロで命中。
この「痛恨の一撃」で10-3指揮官と838二個分隊が除去されてしまい、独軍の兵力がほぼ残らなくなってしまいました。
結局この一撃が決め手となり、5ターンで独軍の投了となりました。
シナリオ1に続いての独軍の連敗となってしまいました。
しかし、Squad Leaderの楽しさは充分に堪能できました。
ASLとはまた違った味わいに、Squad Leaderのよさも再認識できたような気がします。
菊蔵様とはシナリオ3の対戦も約束できました。
菊蔵様、次回もよろしくお願いいたします。
今日はこれにて。
それではまた。
- 2011/06/13(月) 21:16:22|
- ウォーゲーム
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私がよく楽しんでいるウォーゲームが、ASL(アドバンスドスコードリーダー)というゲームです。

こちらがルールブックですが、このASL、アドバンスという以上は発展する前のものがあるわけでして、それがこちら。

Squad Leader(スコードリーダー:邦題 戦闘指揮官)です。
1977年にアメリカで発売されたこのゲームは、一ユニットが一個分隊や一人の指揮官、一挺の機関銃や一輌の戦車をあらわすというミクロ的な視点で射撃しあうという感覚が受け、一躍人気ゲームとなりました。
日本でも当時のホビージャパン社が輸入し、日本語ルールブックを付けて売り出したわけですが、戦車系プラモ好きだった私もこのゲームに惹かれ購入したわけです。
独ソ米の三ヶ国の軍隊が入っていてそれぞれに特色があり、戦車やハーフトラック、トラックにジープ、対戦車砲に榴弾砲迫撃砲まで入っているのです。
ただ、戦車と大砲に関しては代表的な数種しか入っていなかったので、その点だけはちょっとがっかりでしたが、これものちのCross Of Iron(クロスオブアイアン)以後ほぼ戦場に姿を見せたすべての装甲車両や大砲が加わるようになり、兵器ファンのハートもがっちりとつかみました。
もちろん私もハートをつかまれた一人なので、このゲームはとても好きなゲームだったのですが、残念ながら当時はこのゲームを対戦してくださる方がほとんどいませんでした。
なので、ほぼソロプレイオンリーだったのです。
ところが、月日は流れ、今はネットによる対戦も行えます。
私もスターターキットのおかげでASLに足を踏み入れ、ASLを楽しむようになりました。
そのためSquad Leaderは残念ながらそのまま遠のいてしまうかと思われたのですが、ありがたいことにこちらも通信対戦で対戦しましょうというお話があり、何度か通信対戦で楽しむことができてます。
さらに最近では一部の方によりSquad Leaderの会合も考えられそうということで、Squad Leaderがちょっとだけ見直されているようでうれしいことです。
古いゲームではありますが、楽しさの再認識ということで温故知新ならぬ温故知楽だなぁとか思いながら、今日もまた通信対戦でSquad Leaderを楽しませていただこうと思います。
それではまた。
- 2011/06/12(日) 21:18:02|
- ウォーゲーム
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購入したのはもうかなーーり前になるんですが、なんだかんだと積ん読(つんどく)状態になっていたのがこちら。

「戦争指揮官リンカーン」 内田義雄著 文春新書 です。
私はこのブログに「アメリカ南北戦争概略」を40回にわたって掲載するほどアメリカの南北戦争というものに興味があるわけでありますが、この本はちょうどこの連載記事を書き終わったころに出版されたものでして、当時はもう少し早くこの本が出ていてくれればと思ったものでした。
この本は、アメリカ合衆国の行う戦争の基本形は南北戦争で形成されたという主張の元に書かれたもので、大統領が戦争の細かい部分まで指導していくようになった様子が電信の普及によってもたらされたとしています。
事実当時のホワイトハウスの隣には「戦争省電信室」なるものが設置され、リンカーン大統領はそこで各地の北軍からの情報を受け取って戦争指導を行っておりました。
戦争省はのちに国防総省となるもので、当時からリンカーンは情報というものの重要性を理解し、電信という最新技術ですばやく情報を伝達させていたのでした。
電信は前線の兵器に劣らず重要だったのです。
この本はそういったリンカーンの南北戦争の戦争指導を電信という面から書いてありますので、戦史としてみるには細かい戦況等は書いてありませんが、その時々の電信で送られた電文がいくつも掲載されていて、リンカーン大統領と前線指揮官との間のやり取りを見ることができますので、今までになかった側面で南北戦争を見ることができます。
まだ途中ですが、戦争初期には電文を受け取る一方だったリンカーンが、戦争中期からはいろいろと前線に指示を下していくようになるのがわかり、とても興味深いです。
このところちょっと南北戦争熱は冷めていたのですが、この本を読んでいると、「大戦略・南北戦争」や「For the people」といった南北戦争ゲームがやりたくなりますね。

それではまた。
- 2011/06/11(土) 21:46:51|
- 本&マンガなど
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以前2chの「Squad Leader」スレに、HJ版の日本語訳に不備があって戦車が前方にしか進めないという記述が抜けていたことから、対戦相手が戦車を真横に動かしていたという書き込みがありました。
もちろん明らかにルール上違反な移動方法だったわけですが、英文ルールには記載があっても日本語訳版には抜けていたとなれば、一概にルール違反というわけにも行かなかったようです。
それはともかくSquad LeaderとかASLあたりになると、ルールの量が膨大なためにルールをわかった気になっていても実は理解しておらず、本人が意図していなくてもルールに反したユニットの動かし方等をしてしまったりするものだよなぁと思ったものでした。

特にASLはルールブックの文章がなかなか理解しづらく、一度でも誰かがそのルールでユニットを動かしているところを見ることができればすぐに理解できたりするんですが、ルールブックだけ読んで理解しようとしてもなかなか理解できなかったりします。
(私だけ?)
先日から対戦が始まったシナリオでも、普段使ったことのない戦車の「小隊移動」というルールを使用しなくてはならないため、戦車を移動させていても「これでホントにいいのかなぁ?」と思いながらプレーしている状態です。
こういうときにそのルールに慣れているベテランのASLプレイヤーの方と対戦するなどして、相手のユニットの動かし方などルール運用を見させていただくというのは、ルール理解のうえですごく助けになるだろうことは間違いないでしょう。
「小隊移動」に限らず、「盤外砲撃」等普段あまり使っていないルールの入ったシナリオを積極的にプレイして、「人のふり(プレイ)見て我がふり(プレイ)直せ」に生かしていきたいものだと思いました。
今日もこのあとでHiro様とVASLで対戦です。
じっくり楽しみたいと思います。
それではまた。
- 2011/06/10(金) 21:10:56|
- ウォーゲーム
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札幌テレビ放送(STV)で土曜日の朝8時から夕方5時まで9時間という長時間放送されているラジオ番組が「日高晤郎ショー」という番組なのですが、この「日高晤郎ショー」が北海道の「セブンイレブン」とコラボで作ったスイーツが、あの村田英雄氏の名曲「皆の衆」にあやかって名づけたシュークリーム「皆のシュー」です。
2009年に一ヶ月限定で発売されたこの「皆のシュー」ですが、予想以上の売れ行きで売り切れが続出。
安さと美味しさで知名度を高め、「セブンイレブン」のほうでもその売れ行きには驚いたようで、翌2010年にも一ヶ月限定で再度売り出され、これまた好評だったようです。
昨年一昨年は5月に売り出されたこの「皆のシュー」
今年はやらないのかなーと思っていたのですが、一ヶ月遅れの6月に今年も売り出されることになりました。
で、もちろん私も購入して来ましたよー。

こちらが今年のパッケージ。
ちょっとピンボケでごめんなさい。
今年は「ふんわりカスタード」と「なめらかカスタード」の二種類のクリームがあるそうで、先に発売になったのが「ふんわりカスタード」
「なめらかカスタード」は18日からの販売になるそうです。
大きさは前回より大きいとのことなんですが、個人的にはそれほど大きくなった気はしませんで、昨年とほぼ変わらないかなという印象でした。
もちろんお値段据え置きの98円という価格ですので、価格に比べたら充分すぎる大きさです。
味ももちろん美味しくて、「ふんわりカスタード」は昨年のとろーりとしたクリームとは違いますが、これまた絶妙な甘さです。
18日からの「なめらかカスタード」はおそらく昨年のようなとろーりとしたクリームでしょうから、そちらも楽しみです。
ということで、今年もシュークリームを時々食べる一ヶ月のスタートです。
それではまた。
- 2011/06/09(木) 21:14:03|
- 日常
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もうとっくの昔に販売が開始されておりましたが、遅まきながら「MACXE'S」様の同人作品「ダイナレンジャー」の新作である「vol.9/vol.10/vol.11」を拝読することができました。

もう多くの方がご覧になった作品だと思いますが、いやぁ、やっぱりいいですねー。
戦闘員(ゾファー兵)化によるダイナ本部侵食なんて、まさにツボです。
気が付かないうちにじわじわと制圧されていくのはたまらないですよね。
今回はゾファー細胞によるゾファー兵化がどのように行われるかの解説もありました。
体表がどうしてあんなラバーやナイロンに覆われたようになるのかの解説など、なるほどと感じさせられました。
今回もいいところで次回に続くというところ。
作者のmonmon様によれば、まだまだ先は長いようです。
あまり長すぎるのも困り物という気はしますが、ここまで来たらじっくりと最後まで腰をすえて完結させて欲しいですね。
次回がもう今から楽しみです。
monmon様、応援しております。
今日はこんなところで。
それではまた。
- 2011/06/08(水) 21:22:49|
- 同人系
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先日2chの「ハチ女」スレにでていたので思わず購入してしまったのがこちら。

「仮面ライダー怪人列伝 1号2号V3編」(竹書房文庫)です。
この文庫本は、特撮史上に名高い昭和の仮面ライダーのいわゆる1号2号の敵である「ショッカー」及び「ゲルショッカー」と、V3の敵である「デストロン」の怪人たちをすべて網羅した本となってます。
基本的には怪人の特徴とその怪人が行った作戦についてが記述されているわけですが、いくつかには撮影時のエピソードなども盛り込まれており、当時の雰囲気を垣間見ることができます。
それにしても、やはり仮面ライダーは怪人たちがいてこそですよね。
彼ら悪の怪人がいなければ、仮面ライダーも活躍はできないわけですから。
かっこよくそれでいて不気味な悪の怪人たちは、私にとっては憧れでした。
ショッカーの改造人間(怪人)になりたいなぁなんて子供心によく思ったものです。
その思いが私の作品のいくつかに盛り込まれているのは言うまでも無いですね。
それではまた。
- 2011/06/07(火) 21:21:34|
- 本&マンガなど
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昨日はサッポロ辺境伯様と「スペイン内戦」のゲーム「The Spanish Civil War」(GMT)を対戦したわけですが、今回はいわゆる共和派と呼ばれるリパブリカン軍を担当させていただきました。
結果は史実以上に厳しいものとなってしまいましたが、私の担当したリパブリカン軍のユニットの中にこういうユニットがございます。

これはリパブリカン軍の戦車旅団ユニットですが、括弧書きでソビエトとありますように、その戦車旅団はソ連製の戦車を装備した部隊でした。
特にイラストとなった「T-26」戦車が大量にソ連からスペインに持ち込まれていたのです。
T-26戦車は、もともとは英国ヴィッカース社が第一次世界大戦後に開発した6トン戦車がベースとなった戦車で、ソ連はヴィッカース社とライセンス契約を結びこの6トン戦車の製造権を手に入れます。
そして、この6トン戦車をベースにソ連独自の改良を加えたのがT-26でした。
T-26も最初はベースになったヴィッカース6トン戦車同様に、左右に二個の機関銃を搭載した銃塔を搭載したバージョンを製造しておりましたが、当然機関銃だけでは攻撃力に難があるため、37ミリ砲を搭載した砲塔タイプのバージョンが作られます。
その後、1933年になってより強力な45ミリ砲を搭載した砲塔が開発され、この45ミリ砲を搭載した砲塔を載せたT-26が主力生産型として大量に生産されるようになりました。

この45ミリ砲搭載型のT-26がスペインに送られ、リパブリカン軍の戦車戦力としてフランコ率いるナショナリスト軍と砲火を交えることになるわけですが、当時最強といわれた45ミリ砲の威力はすさまじく、ナショナリスト軍の主力戦車であったドイツ製の一号戦車やイタリア製のL3戦車などはT-26には歯が立ちませんでした。
何せ、この二種類の戦車は機関銃しか装備していない上に装甲も薄く、特にL3戦車は戦車というよりも機関銃搭載装甲トラクターと言ったほうがいいぐらいでしたので、T-26の45ミリ砲に耐えられるはずがなかったのです。
スペインでの戦車戦では圧倒的に優位だったT-26でしたが、弱点はこちらも装甲が薄いことでした。
機関銃の弾を跳ね返す程度の厚さしかなかったため、ドイツ製の37ミリ対戦車砲や、のちにティーガーの主砲となる88ミリ高射砲に対してはまったくの無力であり、ナショナリスト軍はかろうじてこれら対戦車砲や高射砲でT-26を擁するリパブリカン軍の攻撃を撃退したのです。
また、エンジンルームに対する火炎瓶攻撃でガソリンタンクが炎上しやすいなどの弱点もあり、のちに「ノモンハン事件」でも日本軍の火炎瓶攻撃で多くのT-26が失われる結果となりました。
こうした弱点や機動性の低さなど戦車兵からはさほど人気を得ることができなかったT-26でしたが、ソ連はその生産のしやすさにほれ込み、初期型後期型合わせてなんと12000輌にも及ぶT-26を生産しました。
これは第二次世界大戦が始まる前では無論世界一の生産量であり、第二次世界大戦が始まってからも多くのT-26が独ソ戦で使われました。
当然それだけの数があれば、戦闘中に敵に捕獲される数も多く、ドイツやフィンランド等ソ連と戦った国々でT-26は捕獲使用されました。
特にフィンランドでは自国に戦車がほとんどなかったこともあり、捕獲したT-26はフィンランド軍の主力戦車として活躍したのです。
性能的にはさほど優秀とはいえないT-26でしたが、やはり数は大いなる威力といえたのでしょう。
1万輌以上という数が作られたということは、それだけ作りやすかったのかもしれません。
もちろんそれだけの数量を作ったのはソ連ですが、一方でベースとなったヴィッカース6トン戦車の性質のよさも見逃すことはできない要素だったのではないでしょうか。
今日はこれにて。
それではまた。
- 2011/06/06(月) 21:40:51|
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今日は「札幌歴史ゲーム友の会」にお伺いしてまいりました。
お伺いしたのは10時前でしたが、すでに6人ものメンバーが集まっておられ、私が一番最後の会場入りとなってしまいました。
テーブルにはすでにゲームが広げられ、私のテーブルを含めて三卓が熱い対戦を繰り広げます。

こちらは今日も6ゾロ様と鈴木様の「ASL」
シナリオはJ1を対戦なさっていた模様。
独軍6ゾロ様にダイスの目が偏ってしまったようで、鈴木様のソ連軍が残念ながら敗北となってしまったようです。

こちらはHIRO様と卍丸様が対戦なさっていた「RAF」
独軍HIRO様の攻撃を卍丸様英軍航空隊が迎撃していたようですが、なかなか厳しいようでした。

私はサッポロ辺境伯様と「The Spanish Civil War」を対戦。
前回と陣営を入れ替えサッポロ辺境伯様がフランコ率いるナショナリスト軍を、私が共和派のリパブリカン軍を担当しました。
前回の経験からナショナリスト軍は結構厳しいと思っておりましたが、そこはそれ防御のヘタな私のこと。
サッポロ辺境伯様のナショナリスト軍の果敢なる攻撃の前にリパブリカン軍の部隊はまるで溶けるがごとく消滅して行きます。
私が担当していたときにはマドリッド攻略など夢のまた夢でしたが、今回はマドリッド前面のリパブリカン軍はほとんど残らないほど消耗させられ風前の灯状態。
陥落こそしませんでしたが、非常に厳しい状況でした。
また北部方面もあっさりつぶされていき、おそらくはもう1、2ターンもすれば北部は制圧されていたでしょう。
バルセロナとバレンシアの間も分断され、ジリ貧になるのは確実。
おそらくこのままでは史実よりも早い終結になっていたのではないでしょうか。
あまりの厳しさに(´・ω・`)ショボーンです。

7ターン終了時の状況。
今日も時間切れでここでお開きとなりました。
ここにあげたほかにMどりっひ様がお見えになられ、こちらもいろいろとお話をさせていただきました。
今日も楽しい時間を過ごすことができました。
皆様ありがとうございました。
それではまた。
- 2011/06/05(日) 20:39:37|
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明日は「札幌歴史ゲーム友の会」にお伺いさせていただく予定です。
前回も「Norway1940」が対戦できるということでワクテカでお伺いし、その期待を裏切られない楽しい時間を過ごすことができたわけですが、明日はサッポロ辺境伯様と「The Spanish Civil War」(GMT)を対戦予定でして、これまたワクテカ状態。

「The Spanish Civil War」は以前二度ほど対戦させていただいているわけですが、いずれもナショナリスト軍(ファシスト側で史実では勝った側)を担当していたこともあり、今回はリパブリカン軍(共和側で史実では負けた側)を担当するということでさらにワクワク感が増してます。
先日サッポロ辺境伯様からお借りした文庫本「スペイン戦争」も読了し、共和側の不利は充分承知ですが、ゲームではまだまだ勝機があると思いますので、ナショナリスト軍の集中攻撃でマドリッドが陥落するようなことの無いようにがんばらなくては。

これが「The Spanish Civil War」のユニット例。
緑色がリパブリカン軍で、ソ連軍の兵器がイラストで描かれてますし、濃い青のコンドル軍団ユニットにはドイツ製の航空機が書かれてます。
スペインの内戦は、ドイツイタリアとソ連の各種兵器の実験場という意味合いもあり、のちの第二次世界大戦で活躍した兵器もここで実戦に使われたものも多いです。
あの有名な88ミリ高射砲も、このスペインで対地・対戦車攻撃に使われ、その威力のすばらしさを見せ付けたといいます。
明日はファシストどもに一撃を食らわせるぞー。
ということで今日はこのぐらいで。
それではまた。
- 2011/06/04(土) 21:05:06|
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今日もニュースの話題。
先月の12日に発生した「日月警備保障」の立川営業所の事務所内から現金6億円が強奪された現金強奪事件で、指名手配されていた容疑者が警察に出頭いたしました。
容疑者は現金500万円を所持しており、容疑を認めているとのことで、もう一人の逮捕された容疑者とともに営業所の事務所に侵入したのは間違いないようです。
奪われた現金はまだ出てきておりませんが、10名前後が背後にいるらしいとの情報もありますので、これから捜査が進んでいくのでしょう。
それにしても、警備会社の事務所に大量の現金があったことにも驚きましたが、この「日月警備保障」という警備会社もかなりずさんな企業体質だったみたいですね。
今回の現金強奪の前にもこの警備会社の警備していた宝石店で強奪事件が起きたときの対応不備が問題になったようですし、現金を積んだままの現金輸送車を駐車場に放置しておいて現金を奪われたりと、警備会社としての自覚が薄かったのではないでしょうかね。
今回この事件がきっかけになったのか、警視庁が都内の警備会社56社を立ち入り検査するとのこと。
対岸の火事とせず自社の体制を見直すということをしていってほしいですね。
今日はこれにて。
それではまた。
- 2011/06/03(金) 21:19:17|
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今日は政治の世界で一つのイベントがありましたね。
民主党の菅直人内閣に対する「内閣不信任決議案」が国会に提出され、投票が行われました。
投票の結果は不信任案は「否決」
菅政権は当面続くことになりました。
自民党公明党は民主党内のごたつきに乗じ、ほぼ分裂状態であることを見て「可決」の目があるとみたようですが、そういう流れにはならなかったようです。
昨日までは結構民主党内にも賛成の声があったようですけどね。
どうも今日の午前中に行われた菅首相の民主党代議員会での演説が大きくものを言ったようですね。
「震災対応の目処が付いた時点で退任する」ということですが、どのあたりを目処とするんでしょうか。
「こんな時期に政局争いをしている場合ではない」という意見も、「菅首相では震災対応が満足にできない」という意見も両方わかる気がします。
とはいえ、これで菅内閣には継続して震災対応してもらわなくてはなりません。
少しでも早く、少しでも多く震災への対応がなされることを願ってやみません。
菅内閣には性根をすえて全力を尽くして欲しいと思います。
今日はこれにて。
それではまた。
- 2011/06/02(木) 21:00:58|
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毎月購読している海人社様の「世界の艦船」
その最新号がこちら。

今月の特集は、超高速軍艦についてと、時節柄か放射能汚染下での海上作戦というものでした。
超高速軍艦については、米海軍が鋭意整備を進めてきつつある「沿海域戦闘艦」を中心として、過去から近未来に渡る高速軍艦の系譜を写真と記事で見せてくれます。
日本の戦艦「長門」も、登場した当時は世界でも屈指の高速戦艦だったんですね。
放射能汚染下での海上作戦のほうでは、空母「ロナルド・レーガン」で行われた汚染除去の様子や、海上自衛隊の艦船の汚染除去装備等の記事、さらには原子力動力艦における戦闘時のダメージコントロールシステムなど、原子力と艦艇に関する記事が載ってます。
これはもう福島の原発事故に絡んでの記事といえそうですね。
写真ページでは今回の「東日本大震災」における海上自衛隊の救援活動の様子などがカラーで紹介されているほか、珍しいなぁと感じたのが、かつて一時期のみ存在した日本の傀儡国家「満州国」における河川砲艦の各種写真が載っていることでした。
満州国の河川艦隊の写真なんてめったに見られるものではないので、とてもうれしく感じました。
今日はこんなところで。
それではまた。
- 2011/06/01(水) 21:13:28|
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