1914年から始まった「第一次世界大戦」は、その最初の思惑とは裏腹に塹壕を作ってにらみ合う長期戦となっていきました。
英仏独がにらみ合う西部戦線では、お互いに砲撃を行い突撃を繰り返しては、機関銃の銃火に食い止められ大損害を出すという繰り返しでした。
そんな中、ライト兄弟の発明した航空機は戦場の上空を飛ぶことができるという点から軍によって利用され、敵軍に対する偵察や、味方砲兵の砲弾がどこに落ちているかを確認する着弾観測の任務に使われるようになって行きます。
そうなると、敵軍の航空機が味方の行動を偵察したり、味方陣地への砲撃を誘導したりしてくるのを防ぐために、敵の航空機の行動を邪魔しようという動きが当然生まれてきます。
最初は偵察機のパイロットや偵察要員が持っていた拳銃や狩猟用の猟銃を敵機に向けて撃つぐらいでしたが、やがて航空機にも機関銃を搭載して武装するようになって行きます。
ここで問題になったのが、航空機にとって大事なプロペラを傷付けないようにしながらどうやって前を撃つかということでしたが、ドイツがプロペラ同調装置付き機関銃を開発し、プロペラの動きにあわせて機関銃を撃つことができるようになりました。
この同調装置付き機関銃を搭載した戦闘機「フォッカーEⅢ」は、その威力をまざまざと見せ付けて英仏連合軍の偵察機を次々と撃墜していきました。

英仏軍の航空機はこの「フォッカーEⅢ」に対抗できず、1915年の夏は「フォッカーの懲罰」と言われるほど「フォッカーEⅢ」の天下だったのです。
英仏は「フォッカーEⅢ」に対抗するために新型機を送り出しました。
英国は「F.E.2」や「DH.2」といったプロペラを後ろ向きにつけた戦闘機を作りました。
こうすれば機関銃を前に撃ってもプロペラは傷付きません。
ただし、これはどうしても機体が脆弱になるので、できればエンジンを前に置いた機体にしたいというのが本音でした。

一方フランスでは「ニューポール11」という小型戦闘機が作られました。
この機体は一般的な複葉でエンジンを前に置いた形でしたが、機関銃の装備位置を上の翼のさらに上に載せてプロペラの回転半径を銃弾が通らないようにするという苦肉の策を取り入れました。

プロペラ同調装置の無い英仏はこうした形を取り入れるしかなかったのです。
それでもプロペラ同調装置以外は平凡的な性能だった「フォッカーEⅢ」に対し、「F.E.2」「DH.2」「ニューポール11」は充分対抗することができました。
これらが登場した1916年初期にいたり、ようやく連合軍も「フォッカーの懲罰」から逃れることができたのです。
ですが、ようやく切り抜けた「フォッカーの懲罰」も長くは続きませんでした。
連合軍パイロットをまたしても恐怖のどん底に突き落とす優秀な戦闘機を、ドイツは送り込んできたのです。
その名は「アルバトロス」といいました。
続く
- 2011/05/25(水) 21:19:00|
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