第一次世界大戦において、機関銃に対抗する手段として英国が戦車を生み出しますが、フランスもそれに遅れることわずかにして戦車を戦場へと送り出すことに成功します。
中でもルノー社が開発したFT軽戦車は、箱型の車体の上に360度回転することができる砲塔(最初は機関銃を搭載していたので厳密には銃塔)を載せ、その後の戦車の基本形を作ったとまで言われます。
このルノーFTは大量生産が行われ、戦後は各国にも輸出されるなどベストセラーとなりました。
当時日本もこのルノーFTを購入し、13両が日本に運ばれてきております。
このルノーFTは、約3800両以上も作られて、戦後もフランス陸軍の(数の上での)主力戦車として長らく使われ続けました。
しかし、1930年代に入りますと、さすがに第一次世界大戦時の代物であるルノーFTでは旧式化が否めなくなってしまいました。
そこでフランス陸軍は、このルノーFTの後継戦車の開発をルノー社とオチキス社に命じます。
実はそれ以前の段階でも、ルノー社はこのルノーFTの後継戦車を製作しておりましたが、大きさも価格もルノーFTを更新するには見合わずに、少数生産に終わってしまいます。
フランス軍の希望は、実は新型戦車と言ってもルノーFTを近代化したものがほしかったのであり、大きさも価格もルノーFTを大きく上回るものは必要なかったのです。
フランス軍の希望を知ったルノー社とオチキス社は、それぞれ二人乗りの小型戦車を試作することにいたしました。
それはまさしくルノーFTの近代化バージョンであり、操縦手と車長の二人乗りで厚い装甲とそこそこの機動力、そして一人用砲塔に37ミリ砲を備えた軽戦車でした。
この37ミリ砲はルノーFTの搭載する砲と同じものであり、弾薬や部品が共用できる上、スクラップにするFTから取り外して再利用まで考えているというもので、装甲貫通力は低いものでしたが、コストは安く抑えられるものでした。
試作の結果オチキス社の車両とルノー社の車両は、ほぼ同等のものであったものの、機動性が若干上回るということでルノー社の試作車が採用されることになります。
こうして完成したのが、ルノーR35と呼ばれる軽戦車でした。

ルノーR35は上記の通りルノーFTの後継戦車として作られ、鋳造による当時としては厚い装甲板(最高45ミリ)を持ち、機動性もそこそこの使いやすい小型戦車でした。
量産も大量に行われ、計画では2000両以上が発注されることになっており、実際に1939年9月の時点では1000両以上が生産されてフランス軍に配備されておりました。
ルノーR35は小型で価格も安く、バランスもそう悪くないいい戦車ではありましたが、やはり小型に過ぎました。
車体の小ささは不整地走行時に足をとられるなど問題もあり、また二人しかいない乗員は、トラブルの時には人数が少なくて何もできないという弊害もありました。
しかし、ルノーFTの近代化バージョンとして見た場合にはほぼその要求するところを満たしており、1940年のドイツ軍のフランス侵攻に際しては、数の上でのフランス軍の主力戦車としてドイツ軍を迎え撃ったのです。
非力な37ミリ砲ではありましたが、装甲の厚さではドイツ軍の三号戦車をしのいでおり、ドイツ軍にとっても正面切って戦った場合にはなかなか手ごわい相手でした。
残念なことにフランス軍の戦車運用が近代戦に適さなかったのと、無線機の装備が少なく部隊としての運用に難があったためにドイツ軍に各個撃破されてしまいますが、当時の戦車としては悪くない戦車だったのです。
フランス降伏後、ドイツ軍はこのR35を自軍の兵器として取り入れます。
そしてフランスレジスタンスとの戦いや治安維持に使用したり、一部は砲塔を取り払って自走砲にしたりして利用しました。
あまり活躍できなかった戦車ですが、第二次世界大戦が第一次世界大戦と同じ塹壕戦だったならば有効な戦車だったかもしれません。
戦争における戦術の変化がいかに兵器を役立たずにしてしまうか、それをこのルノーR35は体現して見せたのかもしれませんね。
それではまた。
- 2011/01/08(土) 21:26:45|
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