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舞方雅人の趣味の世界

あるSS書きの日々

これで充分だったんじゃね?

1941年、ドイツ軍がモスクワへ向かっていたころ、アメリカでは部隊支援用の自走榴弾砲の開発に取り掛かりました。
この時、搭載する榴弾砲は105ミリ榴弾砲M2A1を搭載するということがすぐに決まりましたが、問題は車台でした。
機動力や路外行動性などを考慮すれば、完全装軌式の車台が望ましいことは自明の理ではありましたが、当時の米軍には105ミリ榴弾砲を搭載できるような完全装軌式の車台がなかったのです。

そこで米軍は、生産が軌道に乗り始めていた傑作装甲ハーフトラックであるM3装甲兵員輸送車を車台として利用しようと考えます。
ただし、これはあくまで本格的な自走榴弾砲が完成するまでの暫定的な措置であり、最初からいわばつなぎの自走砲として考えられたものでした。

そのため車台の改造はほとんど行なわず、運転席の後ろに砲座を設置して105ミリ榴弾砲を搭載するだけという形が取られます。
砲撃の際に邪魔になる運転席前面の窓枠と装甲板を取り払った程度でした。

T19.jpg
こうして簡単な改造で105ミリ榴弾砲を載せられたM3ハーフトラックは、T19という試作番号を与えられ、試験がおこなわれます。
試験の結果、若干のシャーシの強化が図られますが、それ以外の結果は良好であり、支援自走砲としてまったく問題ないという結論に達します。

米軍はこのT19をすぐさま生産することにしましたが、あくまで暫定的な車両ということで、正式なナンバーは与えられず試作ナンバーのままで量産されることになりました。
量産は1942年1月からおこなわれ、4月までのわずかな間に320両ほどが作られました。

1942年4月には、M3中戦車の車台を使った本格的な自走榴弾砲であるM7プリーストが正式採用されたため、T19はここで生産が打ち切られてしまいます。
ですが、生産されたT19は支援自走榴弾砲として過不足ない性能を備えており、使用した米軍各部隊での評価は上々でした。
搭載している榴弾砲はM7と同様のものであり、ハーフトラックであることでの機動力不足も、後方からの支援砲撃をおこなう車両という意味ではそれほど問題ではなかったようです。

お役ごめんになったT19は、多くが105ミリ榴弾砲を降ろされて兵員輸送車に戻されたそうです。
能力的に問題がなくコスト的にはM7よりも安いT19でしたので、このまま量産していてもよかったのかもしれません。
米軍としては見極める前にM7に切り替えてしまったのかもしれませんね。

それではまた。
  1. 2010/04/30(金) 21:35:57|
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改装すらできず

太平洋戦争に向け日本海軍は各種の艦艇を整備しておりましたが、海上で水上機を運用する水上機母艦もまたその一つでした。
水上機は陸上機と違って滑走路が必要ないため、太平洋のような島嶼戦では有効な航空戦力と考えられていたのです。

水上機母艦「瑞穂」もそうした水上機戦力の増強の一環として、昭和9年度計画で建造が開始されました。
瑞穂は同じ水上機母艦の「千歳」の準同型艦として設計されましたが、千歳よりも後部甲板がすっきりしており、見た目にはとてもスマートな艦容の艦でした。

この瑞穂、当時の日本海軍の考えの表れとして単なる水上機母艦としての能力だけを持たされたわけではありませんでした。
極小型潜水艇である「甲標的」を搭載する「甲標的母艦」としても運用できるように将来余裕を持たせたほか、随伴艦艇などへの燃料補給用燃料タンクを持つ給油艦としても使えるようになっているという多任務艦でもありました。

基準排水量約一万九百トン。
水線長183メートルの船体に、水上機を24機搭載する水上機母艦として、昭和14年(1939年)2月に瑞穂は竣工します。

ところが一見有力な水上機母艦である瑞穂でしたが、大きな弱点がありました。
速力が最大で22ノットしかでないのです。

設計の元となった千歳は蒸気タービンとディーゼルの併用でした。
そのため最大速力は約29ノットを出すことができましたが、瑞穂には蒸気タービンを搭載しなかったのです。
瑞穂はディーゼル機関だけを搭載いたしました。
燃料消費の少ないディーゼルは商業用船舶などには有用な機関ですが、高速発揮にはあまり向いておりませんでした。
瑞穂がなぜ最大22ノットしか出ないディーゼルのみとしたのかは、今となっては定かではありません。

しかもこのディーゼル機関は故障が多く信頼性が低いものでした。
瑞穂は完成後もたびたび機関故障で修理を余儀なくされてしまいます。

昭和16年(1941年)12月の開戦時には南方作戦に従事し、水上観測機や水上偵察機を運用して緒戦の日本軍の快進撃に寄与します。
その後昭和17年(1942年)4月に機関の大改修を受け、ようやく全力発揮が可能になりました。

これでさらなる活躍が期待されました瑞穂でしたが、改修を終えて回航していた5月1日、日本本土近くに潜んでいた米軍潜水艦「ドラム」によって魚雷攻撃を受けます。
この攻撃で魚雷一本が命中した瑞穂は、復旧に努めましたが浸水を止めることはできず、翌5月2日についに艦尾から沈没してしまいました。

太平洋戦争開戦後、駆逐艦や輸送船などの沈没はあったものの、艦首に菊のご紋章を持つ「軍艦」の沈没はこれが始めてであり、瑞穂は日本海軍が太平洋戦争で最初に失った「軍艦」となってしまいました。
(日本海軍では駆逐艦や輸送船などの軍用艦は正式な軍艦ではないのです)

タービンを持ち高速を発揮できた千歳型は、のちに空母に改装されるなど活躍できましたが、瑞穂は高速も出せず故障も多かったディーゼルのせいでそういう機会を得ることができませんでした。
その意味ではこの瑞穂も機関に泣かされた艦だといえるかもしれませんね。

それではまた。
  1. 2010/04/29(木) 21:12:01|
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低迷・・・

今日の札幌は雨です。
風がものすごく強いです。
寒いです。
ストーブガンガン焚いてます。
暖かくなりませんねぇ。


そんな中札幌ドームではプロ野球の公式戦をやっているわけですが、一昔前では考えられなかったことですねぇ。
北海道日本ハムファイターズが札幌に来てくれたおかげなんですけど、今年は開幕からその北海道日本ハムが大苦戦して低迷しております。

オープン戦はそこそこの成績をおさめた日本ハムなんですけど、スタートからつまづいたまま立ち直れません。
一勝して連敗、一勝して連敗の繰り返しです。
どうにも浮上する気配が見えてきませんね。

そうこうしているうちに期待の若手の中田翔選手が膝を痛めてしまったり、村田選手が骨折してしまったりと怪我人も出てしまいました。
中田選手にとっては今年はチャンスの年だっただけに、この怪我が非常に残念ではありますけど、このことを逆に自分の躰を見直す機会にして出直して欲しいと思います。

今年も開幕して一ヶ月が経ちましたが、パ・リーグは今言ったように日本ハムの低迷で昨年とはがらりと順位が違ってますね。
西村新監督の千葉ロッテが首位をずっとキープしておりましたが、ついに西武がひっくり返しました。
東北楽天が日本ハムと同様になかなか波に乗れないようです。

セ・リーグはやはり巨人が強いですね。
投手陣に不安があると言われてましたが、強力な打撃陣がカバーして勝ち星を増やしてますね。
阪神はこのところやっと勝ち方を掴んできたようです。
今日も打撃でヤクルトを下しました。
金本選手が代打でホームランを打ったそうですね。
この調子で巨人に離されないようにしてほしいです。

まだまだ開幕一ヶ月。
来月には交流戦が始まりますので、また流れが変わることもあるでしょう。
今後も楽しみです。

それではまた。
  1. 2010/04/28(水) 21:38:52|
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なかなかよい映画でした

今起こったことではなく昨夜の話ではあるのですが、ちょっとあららと思う事態が起こったので、「ジョジョの奇妙な冒険」に登場するキャラクター「ポルナレフ」の有名なセリフにあわせてお話しますね。


あ、ありのまま今起こったことを話すぜ・・・
俺はジョン・ウェイン主演の映画「アラモ」(1960年製作版)のDVDを、レンタルショップでパッケージを確認して借りてきたんだ。
すると、再生されたのはなんと、リメイクされた「2004年版アラモ」だった。
な、何を言っているのかわからねーと思うが、俺も何が起こったのかわからなかった・・・
催眠術だとか超スピードだとかそんなチャチなもんじゃあ、断じてねえ。
もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ・・・


と、言うわけで、思いもよらずに「2004年版アラモ」を拝見いたしました。
1960アラモ
ちゃんとこちらのケースに入っていたDVDを借りてきたんですけどね。(笑)

2004アラモ
こちらが2004年版。
再生したらこちらでした。

ですが、拝見した「2004年版アラモ」は予想以上にいい作品でした。

先日来ブログで「アラモの戦い」を記事にしてきたので、闘いの推移をわかっていたというのが大きいのですが、ストーリーを追うのに一所懸命になることなく、映像美を堪能することができました。
ナポレオン戦争から20年しか経っていない時代なので、メキシコ軍の軍服はとても華美で綺麗でしたし、アラモ砦のセットも現存する部分を参考にしてとてもよく再現されていたようです。

ボウイの持っているボウイナイフはすごくごつくて、あんなに大きかったのかなとも思ったり、クロケットがあの毛皮の帽子をほとんどかぶらないなど、この映画での新たな解釈みたいなものもありました。

とりわけ感心したのは、アラモ砦の戦いだけにとどまることなく、「サンジャシントの戦い」までを取り入れてあり、アラモ砦を全滅させたメキシコ大統領サンタアナの敗北もきちんと見せて溜飲を下げさせてくれます。
そのため、ヒューストンの存在が大きく扱われていて、ボウイ、トラヴィス、クロケット同様に重要なキャラになっておりました。

意図せずに見ることになった「2004年版アラモ」でしたが、個人的には当たりだったと思いました。
レンタルショップには間違ってケースに入っていたことを伝えたうえで、映画そのものは楽しませてもらったことを伝えました。
いい映画でしたよ。
ただ、日本人にはなじみのない戦いの映画なので、予備知識無しでは楽しさ半減かもしれませんね。

それではまた。
  1. 2010/04/27(火) 21:04:38|
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ポーランド軍のフィールドキッチン

先日来、山崎雅弘氏の「ポーランド電撃戦」(学研M文庫)を読んでいるわけなのですが、そのときにイメージを掴むのに非常に役立っているのが、こちらの写真集です

ポーランド1
「戦車マガジン別冊 初の電撃戦ポーランド」(デルタ出版)です。

私の持っているものは増補改訂版で、1993年出版というもう17年も前の写真集ですが、ポーランド戦の資料として大事にさせてもらってます。

ポーランド2
当時、ポーランド戦に参加したドイツ軍装甲車両は、グレイに塗装された車体に白もしくは黄色で十字を書いて国籍マークとしていたため、ポーランド軍の対戦車兵器のよい的になったといわれるのですが、この写真などを見るとそれがよく納得できますね。

この写真集は、基本的にはプラモ資料みたいなものでドイツ軍がメインになっておりますけど、ところどころに放棄されたり鹵獲されたポーランド軍の兵器も載っており、TKS型豆戦車や、7TP型戦車、ボフォース37ミリ対戦車砲などもクリアな写真が載っています。

ポーランド3
中にはこんな写真もありまして、放棄されたポーランド軍の野戦炊事車が写っております。
前線で食事を供給しようにも、前線が崩壊してしまって放棄するしかなかったんでしょうね。

ポーランド戦や西方電撃戦は、ドイツ軍にとっての勝ち戦なので、写真もなんとなく明るい感じがしますね。
のちの東部戦線ですと、どうしても暗さを感じてしまいます。

ちょっと手に入れづらい写真集を紹介してしまいましたが、こんなものも手元にあるということで。
それではまた。
  1. 2010/04/26(月) 21:24:07|
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顔を出してきました

今日は久しぶりに「札幌歴史ゲーム友の会」にお邪魔してきました。
行けるかどうか定かではなかったので、午後から突然お邪魔させていただきましたが、皆様快く迎えてくださいました。

2010・4・25(1)
こちらはSF様とサッポロ辺境伯様が対戦なされておりました「Victory at Sea」。
なかなか白熱していたようでした。

2010・4・25(2)
つじ参謀様と柿崎唯様のお試しプレイでした「Unhappy King Charles」。
こちらも和気藹々と英国の内戦を楽しんでいたようです。

2010・4・25(3)
私はMどりっひ様、HIRO会長様と「日露戦争」を三人プレイ。
HIRO会長様がロシア軍を、Mどりっひ様と私が日本軍を担当し、Mどりっひ様が黒木第一軍(日本軍右翼)、私が乃木第三軍(日本軍右翼)をそれぞれ担当しました。

ロシア軍の遅滞戦術になかなか進めない第一軍と、旅順を攻めては大損害を出す第三軍という感じでしたが、それでもじわじわとロシア軍を攻め立てておりました。
と、言うあたりで私は時間切れ。
Mどりっひ様に日本軍をお任せして会場をあとにいたしました。

短い時間でしたが、やっぱり皆様に会えるのは楽しいですね。
札幌歴史ゲーム友の会の皆様、ありがとうございました。

それではまた。
  1. 2010/04/25(日) 20:53:54|
  2. ウォーゲーム
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04月25日のココロ日記(BlogPet)

短い義理をココロは一生愛します!!

*このエントリは、ブログペットのココロが書いてます♪
  1. 2010/04/25(日) 10:37:21|
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アラモの戦い(10)

サミュエル・ヒューストン率いるテキサス軍が窮地の逃亡を続けているころ、メキシコ軍を率いる大統領サンタアナは、テキサス軍の補足に躍起になっておりました。
サンタアナとしては、いつまでも戦争が長引くのは決して望ましいことではなかったのです。
そのため彼は、麾下のメキシコ軍を数隊に分け、それぞれを分派してテキサス軍を追わせたのです。
このことがサンタアナにとっては痛いミスとなりました。

1836年の4月に入ると、テキサス軍は以前の約半数の1000名ほどにまで弱体化しておりました。
ところが、追撃してくるメキシコ軍も兵力を分散させ、サンタアナ率いる本隊もわずか700人ほどになっていたのです。
逃亡に疲れたテキサス軍は、ここで一気に乾坤一擲の反撃を行い、サンタアナの本隊を打ち破ろうと考えます。
最初は乗り気ではなかったといわれるヒューストンでしたが、もはやこれ以上の逃亡は難しいと感じ、ついに彼も戦いを決心します。

4月20日、斥候の報告によりサンタアナのメキシコ軍がサンジャシント川近くにいると知ったヒューストンは、テキサス軍をサンジャシント川まで進めます。
一方サンタアナも、逃亡を続けていたテキサス軍がサンジャシント川にいることを知り、今度こそ逃がすまいと部隊を進めました。
さらにサンタアナは、近くにいるはずのコス将軍に連絡を取り合流するように命じます。
コス将軍はすぐさまこの命に従い、500人以上の部隊を率いて合流いたしました。

メキシコ軍が700人ほどだと思っていたヒューストンは、コス将軍の合流で1200人ほどに増強されたことを知り動揺します。
攻撃をためらうヒューストンでしたが、テキサス軍の兵士たちはもうこれ以上の逃走は望みませんでした。
攻撃しかないと腹をくくったヒューストンは、約800人の兵力でメキシコ軍への奇襲をおこなうことにしました。

4月21日の早朝、テキサス軍はメキシコ軍への攻撃を開始します。
長い間の追撃で疲労していたメキシコ軍は、テキサス軍の攻撃はないと思っていたのか、まったく無防備に休息しておりました。
「アラモを忘れるな! ゴリアドを忘れるな!」の言葉を大声で叫ぶテキサス軍の攻撃は、完全なる奇襲となり、メキシコ軍は大混乱へと陥ります。
たった18分ほどの戦闘で、メキシコ軍は600人以上が戦死し、700人以上が捕虜になってしまいます。
それに対しテキサス軍の戦死者は、10人に満たないという少ないものでした。

自軍が一瞬のうちに崩壊した大統領サンタアナは、戦場からの逃亡を図ります。
彼は一兵士の服と自分の服を取替えてまで脱出しようとしましたが、テキサス軍は見逃しませんでした。
4月22日、メキシコ大統領サンタアナはテキサス軍に捕らえられ、捕虜としてヒューストンの前に連れてこられます。
ただ一度の敗戦が、メキシコ軍を崩壊させてしまいました。

サンタアナが捕らえられたことで、メキシコ軍はテキサスから後退しました。
捕らえられたサンタアナは、自らの命を救うためにはテキサスの独立を承認するしかありませんでした。
1836年5月14日に条約が結ばれ、サンタアナはテキサスの独立を承認します。
ただし、サンタアナはすでにメキシコ大統領としての地位を追われており、メキシコとしての承認ではなかったといいます。
サンタアナは放免され、メキシコに戻って退位させられていた大統領に再び復帰。
その後メキシコ各地でテキサスに習って発生した独立要求をねじ伏せて行きました。

こうしてメキシコとの間の独立戦争を戦い抜いたテキサスは、テキサス共和国として歩みだしたのち、1845年にわずか10年に満たない生涯を終えアメリカ合衆国へと併合されます。
テキサスは住民の総意という名目で、アメリカの28番目の州になりました。
当然このことはメキシコとの間に軋轢を生むことになり、翌1846年の「米墨戦争(アメリカ-メキシコ戦争)」へとつながります。
この米墨戦争のアメリカの勝利により、ついにメキシコはテキサスをあきらめざるを得ませんでした。

最初は放棄するはずだったアラモの砦。
それがいつしか守るべき場所になってしまい、メキシコ軍との間に激戦が行われてしまいます。
そして、危惧したとおりに全滅という憂き目を見てしまいました。
しかし、そのことでテキサスはもとよりアメリカでもメキシコに対する戦いを「正義の戦い」として訴えることができるようになりました。
こうしてアラモの戦死者たちは英雄とされ、今でもアメリカ国民に取り思い入れのある人々になっているのです。

アラモの戦い 終

                   ******

参考文献
「アラモの戦い」 歴史群像2001年12月号 学研


参考サイト
「Wikipedia テキサス革命」
「Wikipedia アラモの戦い」


今回もお付き合いいただきましてありがとうございました。
  1. 2010/04/24(土) 21:39:55|
  2. アラモの戦い
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アラモの戦い(9)

アラモの砦は陥落しました。
180人を越えるアラモの守備隊は、ごくわずかの人数を残して全滅いたしました。
ですが、これはテキサス独立戦争にとっては一つの局面に過ぎませんでした。
事実、メキシコ大統領サンタアナは戦闘の終結したアラモ砦に入り、些細な出来事だったなと側近に漏らしたとも言われます。
戦争はまだ続いておりました。

このアラモの戦いは、アラモ砦の守備隊の全滅だけではなく、また新たな悲劇も呼び起こしてしまいます。
「ゴリアドの虐殺」です。

アラモ砦の守備隊指揮官だったトラヴィスは、テキサス軍司令官ヒューストンに対し再三の援軍要請をおこなっておりました。
しかし、各所でメキシコ軍の圧力を受けていたテキサス軍には、援軍を送る余裕はありませんでした。
ヒューストンとしてはどうすることもできなかったのです。

トラヴィスの援軍要請はヒューストン以外にも各所に向けて放たれておりました。
その一つは、ゴリアドの町にいた「ジェームズ・ファニン」大佐の下へもその援軍要請は届きました。

ファニン大佐は約500名近くの兵士及び民兵からなるテキサス軍を率いておりました。
ゴリアドの町には砦もあったので、ここでメキシコ軍を迎え撃つつもりだったのです。

アラモ砦からの援軍要請を見たファニンは、アラモ砦の窮地を知りました。
そこで彼は、アラモ砦を救うべく、部隊をつれてゴリアドの町を出発します。
これが悲劇の始まりでした。

ゴリアドの町を出発し、アラモ砦に向かったファニンの軍勢でしたが、行軍は予想以上に難儀でした。
当時は大砲を牽引するのは非常な重労働であり、簡単に移動できるものではなかったのです。
ファニンはこの状況ではどうしようもないと悟り、引き返そうとしましたが、この時すでにメキシコ軍のホセ・デ・ウレア将軍率いる部隊が迅速な行軍でゴリアドの町を確保してしまっておりました。

ウレアはすぐに部隊を展開させ、ファニンの部隊を追い始めます。
行き場を失ったファニンの部隊は、数隊に分かれて逃走しますが、メキシコ軍に次々と追いつかれ降伏を余儀なくされました。

ファニンの率いる本隊も「コレトの戦い」でメキシコ軍に大きな損害を与えたものの、物資欠乏でこれ以上の戦闘は不可能と見たファニンは、やむなくメキシコ軍に降伏をいたしました。

降伏し捕らえられたファニンの部隊は、占領されたゴリアドの町に収容されました。
ウレアは立派に戦ったファニンの部隊に対し、寛大な処置を取るようサンタアナ大統領に要望しますが、サンタアナは彼らの処刑を命じます。

1836年3月27日、ゴリアドの町においてファニンとその部隊340人ほどはほぼ全員が殺されました。
死んだふりなどをしてわずかに生き残った人がいたといいますが、彼らによってこの処刑は伝えられ、「ゴリアドの虐殺」としてテキサス人の間に新たなメキシコ軍への憎悪を植えつけることになりました。

とはいえ、アラモ砦の陥落とファニンの部隊の壊滅により、テキサス軍は苦しい状況に追い込まれることになりました。
ヒューストンは、この時点で2000人ほどにまで低下していたテキサス軍では、メキシコ軍と戦うことはできないと判断し、アメリカ合衆国との国境近くまで軍を後退させることにいたします。
そして一種の焦土作戦をおこなうことで、メキシコ軍の士気の低下と物資の欠乏を導き出そうとしたのです。
窮地の逃亡とも呼ばれたこの後退は、確かにメキシコ軍に食料を与えないなどの効果を発揮しましたが、テキサス軍の間にも疲労と絶望が広がっていき、脱走者を多く出してしまうことにもなりました。

しかも、メキシコ軍の追撃は執拗を極め、テキサス軍は常に追いつかれる危険性を孕んでおりました。
ヒューストンはゴンザレスやサンフェリペの町も放棄せざるを得ず、ただひたすら東への逃亡を続けなくてはなりませんでした。
町を放棄しなくてはならなかったことで、テキサス人たちの怒りは逆にヒューストンに集まることにもなりました。
しかし、彼は逃亡をやめようとはしませんでした。
そしてそのことが彼に、ひいてはテキサスに転機を迎えさせることになったのです。
「サンジャシントの戦い」でした。

その10へ
  1. 2010/04/23(金) 21:35:59|
  2. アラモの戦い
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アラモの戦い(8)

1836年3月6日早朝。
前日までの砲撃に引き続き、頃合いと見たメキシコ大統領サンタアナは、ついにメキシコ軍による総攻撃をアラモ砦に向けて開始します。
メキシコ軍は総兵力のうち約1500から1600人を四隊に分けて攻撃いたしました。
コス将軍率いる約400人は北西から、デュク大佐の約400人は北東から、ロメロ大佐の約400人は東から。
そしてモラレス大佐の約100人が南から攻撃を開始し、残りは予備隊として周囲の警戒に当たらせました。

メキシコ軍の総攻撃が行なわれる前日、2月23日からの包囲戦がいよいよ最終局面に迫ったと見たアラモ砦の指揮官ウィリアム・トラヴィスは、守備隊全員にこう言いました。
「自分はここに残って戦うが、諸君がここに残って戦うかどうかは諸君らの判断にゆだねる」
そして地面に線を引き、残留して戦うと決めた者はこの線を越えよと言ったともいわれます。
結果は一人を除いて全員が残留を希望し、病床に臥していたボウイ大佐は周りの者の手を借りるまでして線を越え、守備隊は最後まで戦うことを誓ったのでした。

しかし、戦闘は最初から守備隊側にとって不利でした。
メキシコ軍の持つマスケット銃に対し、守備隊側の持つライフル銃の射程や命中精度の差が、メキシコ軍を何度か後退させるものの、やはり圧倒的な兵力差が守備隊側に重くのしかかってきたのです。

さらに戦闘開始早々に、守備隊側を悲劇が襲っておりました。
北側からの攻撃に対して応戦中だった指揮官トラヴィスが、頭部にメキシコ軍の銃弾を受けて戦死していたのです。
守備隊側はそれでもなお防戦を続けますが、北西、北東、東側のメキシコ軍の三隊の攻撃を防ぎきれるものではなく、やがて各所で防壁が突破されました。

サンタアナはここで予備隊を投入し、一気にアラモ砦の制圧を目論みます。
破られた防壁からメキシコ軍は雪崩をうって砦に侵入し、内部では凄惨な白兵戦が繰り広げられることになりました。
病床にいたボウイ大佐はその場で殺され、デビー・クロケットも抵抗むなしく戦死いたします。
(クロケットに関しては捕らえられ処刑されたとも言われます)

メキシコ軍は捕獲した大砲を守備隊に向けて発射するなど、もはや一方的な虐殺になってしまった戦闘は、開始からわずか一時間半ほどで終結いたしました。
砦にいたほんのわずかの女性と子供、数人の奴隷だけが生き残り、守備隊は全滅いたしました。
アラモ砦は陥落したのです。

この戦いでは、テキサス側アラモ守備隊約180名が戦死。
一方のメキシコ軍は諸説ありますが、約400人ほどが戦死し、ほぼ同数ほどが負傷したといわれます。
メキシコ軍としても大きな損害だったといえるでしょう。

こうして「アラモの戦い」は終わりました。
サンタアナにとってはこしゃくなテキサス軍の拠点を一つ叩き潰すことができました。
一方でテキサス軍は、危惧したとおりアラモ砦を包囲され殲滅されてしまいました。
テキサス軍司令官ヒューストンは、アラモ砦を陥落させたメキシコ軍の圧力をどう受け止めるのか、苦心することになりました。

ですが、アラモ砦の陥落はテキサスの人々のみならず、アメリカにも衝撃を与えました。
テキサスやアメリカの人々は、最後まで勇敢に戦ったアラモの守備隊を英雄として祭り上げ、メキシコの暴虐を非難しました。
「アラモを忘れるな」は合言葉となり、人々を結集させたのです。

その9へ
  1. 2010/04/22(木) 21:41:15|
  2. アラモの戦い
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アラモの戦い(7)

ニール大佐の後任としてトラヴィス中佐が選ばれたことで、アラモ砦の内部ではそれを快く思わないボウイ大佐との間で、指揮権をめぐる不協和音が顕在化してしまいました。
そんな状況下、メキシコ軍が接近してきたことを知ったトラヴィスは、サンアントニオ・デ・ベクサーの町に残っていたテキサス人をアラモ砦に収容します。

アラモ砦は、長方形型の広場を兵舎と壁で囲むような形で作られていて、その一角に伝道教会だった建物の名残があるようなものであり、それほど防御がしっかりしているとはいえませんでした。
守備隊は周囲に土を盛るなど補強工事を行い、17門の大砲を据えつけておりましたが、やはり守備力に自信を持てるというものではありませんでした。

メキシコ軍の先遣隊がベクサーの町に入ってきたことを知ったボウイは、現状のアラモ砦の守備力に自信を失ったのか、それともこの時彼を襲っていた病魔によるものなのか、トラヴィスに無断でメキシコ軍と休戦交渉を行おうとしたといいます。
このことはトラヴィスの知るところとなり、怒った彼はボウイに勝手なことをするなと詰め寄りました。
これでボウイとトラヴィスの険悪な状況は決定的になるかと思われましたが、病魔(結核だったといいます)に冒されていたボウイが折れるような形で、指揮権はトラヴィスに集束することになりました。

1836年2月24日、メキシコ軍の最初の攻撃がアラモ砦に対して行なわれました。
攻撃はまず砲撃を持って行なわれ、メキシコ軍の砲弾がアラモ砦を襲います。
この攻撃はアラモ砦側の守備力を探るような攻撃であったため、この日はほぼ砲撃に終止したようで、幸いアラモ砦側には死傷者は出なかったといいます。

この攻撃を受け、トラヴィスはテキサス軍司令官のサミュエル・ヒューストンに援軍を求める手紙を書きました。
この手紙には、最後の言葉の下にアンダーラインが三本引かれていたといいます。
その最後の言葉は、「勝利か、しからずんば死」というものでした。

しかし、ヒューストンは援軍を送ることはできませんでした。
テキサス軍はアラモだけではなく、各地でメキシコ軍の圧力を受けていたのです。
兵力を引き抜いてアラモ砦に送る余裕はありませんでした。

最初の攻撃以降、メキシコ軍は主力の来着までアラモ砦を包囲する態勢を取りました。
兵力の逐次投入を避け、大兵力の到着と同時に一気に押しつぶすつもりだったのです。
そのため、砦の防備を探るための威力偵察と呼べる小規模な戦闘を繰り返すのみでした。

3月1日、32人のテクシャン義勇兵が、ゴンザレスの町からアラモ砦にやってきます。
彼らはメキシコ軍の包囲をうまくすり抜け、守備隊に合流することができました。
守備隊は大歓声でこの増援を迎え入れますが、アラモ砦に対する兵力増強は、これが最後となりました。

3月2日、この日テキサス暫定政府は「テキサス独立宣言」を発表します。
アメリカ独立宣言に範を仰いだこの宣言は、テキサスがなぜ独立するかの理由についても述べられており、正式に「テキサス共和国」を建国するという宣言でした。
ですが、アラモ砦の守備隊が、この事実を知ることはありませんでした。

3月3日、メキシコ軍の主力がベクサーの町についに到着いたします。
これによってメキシコ軍の戦力は、各地に散開させた分を除き約4000名から5000名ほどになったといわれます。
このメキシコ軍の到着はアラモ砦からも見ることができ、ベクサーの町にはメキシコ軍の歓声が響きました。

3月4日、5日とメキシコ軍はアラモ砦に砲撃を仕掛けました。
これはこれまでの砲撃とは違い威力偵察などではなく、総攻撃の前段階としての砲撃でした。
砦の外壁は各所で崩され、砲弾はあちこちで炸裂します。
メキシコ軍の総攻撃は、目前でした。

その8へ
  1. 2010/04/21(水) 21:40:50|
  2. アラモの戦い
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アラモの戦い(6)

少し間が開いてしまいましたが、アラモの戦いの6回目です。

サンアントニオ・デ・ベクサーに向かって、サンタアナ大統領自身がメキシコ軍を率いて進軍していた頃、テキサス軍はベクサーの町とアラモの砦とをどうするか、頭を悩ませておりました。
テキサス軍の前線からは突出したような形になっていたベクサーの町は、これから考えられるメキシコ軍の反抗に対し、包囲され孤立しやすいと思われたのです。

そこでテキサス軍司令官のサミュエル・ヒューストンは一人の人物に命令書を携えさせ、アラモ砦に派遣しました。
その命令書には、アラモ砦の破壊と放棄が記されていたといいます。
命令書を持たされたのは、「ジェームズ(ジム)・ボウイ」という大佐でした。
ボウイ大佐は、この時40歳にならんとしておりましたが、若いころから民兵に入ったり奴隷貿易を一時期おこなったりと荒々しい気性の持ち主として知られておりました。
特に狩猟用ナイフを愛用しており、彼はこのナイフで何度か決闘をおこなったりしておりました。
同型のナイフは彼の名前からボウイナイフと呼ばれ、今でもアメリカ人の間では使われる物となっています。

1836年1月、ボウイ大佐は30名の小部隊を率いてアラモ砦に到着します。
彼は砦の指揮官であるニール大佐に、ヒューストンからの命令書を渡しますが、一方でこのアラモ砦を重要拠点として保持するようにと要請したともいわれます。
ボウイは他人にあれこれ指図されるのがきらいな性格だったため、ヒューストンの元を離れて自分の考えで行動したいと思ったのかもしれません。

結局アラモ砦は破壊されることなく、逆に強化がなされます。
ボウイ大佐とその小部隊は、そのまま守備隊に加わることになり、さらに数週間のうちにあちこちからアラモを守ろうと義勇兵が集まってくることになりました。
その中には、ウィリアム・トラヴィス率いる30名の兵士もおりました。

最初トラヴィスは、テキサス軍の命令でサンアントニオ・デ・ベクサーに派遣されてきただけだったのですが、これは僻地に追いやられたと感じていたトラヴィスにとっては面白くないことでした。
そんな折、アラモ砦の指揮官ニール大佐から砦の防備に加わらないかとの申し出を受けたトラヴィスは、これをやりがいのあることと感じて守備隊に加わります。

2月8日には、今度はアメリカテネシー州の義勇兵を引き連れた元テネシー州議員「ディビッド(デビー)・クロケット」もアラモ守備隊に加わります。
1960年に作られました映画「アラモ」では、名優「ジョン・ウェイン」が演じましたデビー・クロケットは、今でもアメリカの国民的な英雄の一人ですが、三歳で熊退治をおこなったという逸話の持ち主であり、彼の名前を取った「クロケット帽」という毛皮でできていて尻尾が垂れ下がる格好の帽子を愛用しておりました。

原住民との戦いにも身を投じ、テネシー州の下院議員も勤めた彼は、サミュエル・ヒューストンと親交があったため、このたびのテキサス独立戦争にも参加することに決めたのです。
彼のつれてきたテネシー州義勇兵は、わずか12人ほどだったとも言われますが、人数の少ない守備隊には貴重な援軍であり、これでアラモ守備隊は140名ほどになりました。

この時点で、アラモ砦にはニール、ボウイ、クロケットと大佐の階級を持つものが三人、トラヴィスが中佐の階級を持つため、大佐中佐が合わせて四人という状況でした。
そんななか、家族の病気などの理由から、アラモ砦の指揮官であるニール大佐が砦を離れることになります。
これによりアラモ砦の後任指揮官を決める必要がでてきましたが、ここで選ばれたのは、なんと中佐であるウィリアム・トラヴィスでした。

しかし、この人選は周囲に不満をもたらします。
規律を重んじ厳格なトラヴィスは、当然兵からは好まれませんでした。
また、自分の好きなように行動したいボウイも、大佐である自分が中佐であるトラヴィスに従うのはいやだとばかりに、何度となく指揮権のことでトラヴィスと口論になりました。

こうしてニール大佐が離れてしまったアラモ砦では、指揮権が明確に定まらないという不安定な状態に陥ります。
そうしているうちにも、サンタアナ率いるメキシコ軍はコス将軍の残党などを加えて、再び約6000名ほどの戦力となっておりました。
2月21日ごろにはメキシコ軍の先遣隊がベクサーの町を望む位置にまでやってきていたのです。

攻守ところを替えたアラモ砦を巡る戦いが、刻一刻と迫っておりました。

その7へ
  1. 2010/04/20(火) 21:28:51|
  2. アラモの戦い
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今日はへたばり・・・

疲れました・・・

そろそろ雪も溶け暖かくなったので、50CCのスクーターを出したのですが、しばらく乗ってなかったせいで機嫌が悪く、エンジンがかかってくれません。orz
キャブレターが詰まったのだろうということですが、私にはどうすることもできないので、二輪の修理屋さんに頼むことに。
引き取りに来てもらうと当然のごとくお金がかかるので、近所のセブンイレブンに注文しておいた本を取りに行きがてら、えっちらおっちらとスクーターを押して持っていくことにしました。

途中カラスの爆撃(糞を落とされた)に遭うなどしながら一キロほど押し歩いて修理屋さんに。
スクーターを預けて、帰りはまたテクテクと歩いて帰ってきましたが、日ごろの運動不足が祟って疲れましたー。
修理終わったら、また取りに行かないとならないんだなぁ。

ということで、注文しておいた本が手に入りました。
4059012599.jpg
山崎雅弘様の書かれました「ポーランド電撃戦」(学研M文庫)です。

1939年9月のドイツ軍によるポーランド侵攻は、いわゆる第二次世界大戦の始まりとなったわけですが、この本はその経緯と戦闘の様子などが網羅されているようです。
当時中欧の軍事大国といわれていたポーランドが、あっけなくドイツ軍(及びソ連軍)に屈してしまったのはどうしてなのか。
おおよそのことは理解しているつもりですが、よりいっそう理解を深めさせてくれそうです。

それにしてもこういう本は、読むとゲームを対戦したくなりますよね。
ポーランド戦を扱ったゲームで私が持っているものというと、先月サッポロ辺境伯様と対戦した「電撃戦1939」もそうですし、ASLのモジュールですと、「The Last Hurrah」なんてのもあります。
s03.jpg tlh2-cvr.jpg

ASLですと、先日発売になったばかりの「Doomed Battalions」もポーランド戦を扱ってますね。
こちらはまだ手に入れてませんけど。

本を読みながら思いを馳せるなら、やっぱりASL「The Last Hurrah」のシナリオをやるのがよさそうかな。

今日はこんなところで。
それではまた。
  1. 2010/04/19(月) 21:37:16|
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1492試合

今日は急遽記事差し替えです。

プロ野球阪神タイガースの金本選手の連続フルイニング出場記録が、1492試合で止まりました。
連続試合出場そのものは、今日の試合の八回に代打で登場しましたので1638試合とまだ継続中となりますが、前人未到のフルイニング出場の連続記録は、ついに1500に達しませんでした。

今日の試合前に、金本選手自らが申し出てスターティングメンバーをはずれたそうですね。
やはり先日の試合で、内野手への返球もきちんとおこなえなかったということが決断の決め手になったのでしょう。
守備ができなくてはどうしようもないですからね。

遅すぎた感じがないわけでもありませんが、続けていることを途中でやめるということは、大きな決意がいることだと思います。
まったくスケールは違いますが、私もブログの連続更新をやめるということはなかなかできないだろうと思いますので。

このフルイニング出場記録が途切れたことで、金本選手の心が折れてしまわないかがちょっと心配ですね。
引退の二文字がどうしてもよぎってしまうでしょう。

でも、今後は体のケアをしっかりしていただいて、またガンガン打ってほしいです。
まだまだここぞというときには金本選手は必要でしょうから。
阪神を引っ張って行ってほしいですね。
金本選手がんばれ。

それではまた。
  1. 2010/04/18(日) 20:05:37|
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もう皆さんご存知

昨日に引き続いて同人作品のご紹介。
とはいえ、もう皆様充分にご存知の作品だと思います。

title.jpg
私がいつもお世話になっておりますわぶき様のサイト、当ブログのリンク先でもあります「堕ち玩」様の作品であります「機甲銃士ブラスターエンジェル」です。
(サイト名クリックでリンク先に飛べます)

もう発売から半月が過ぎ、その評価の高さとも相まって人気の高い作品ですね。
楽しまれた方もずいぶんと多いのではないでしょうか。

私も楽しませていただきました。
私自身は結構ふたなりって苦手な部類なんですが、この作品を拝見したあとでは、ふたなりも悪くないかなと思ってしまうほどです。(笑)

「堕ち玩」様ではこの作品の販売開始後すぐに、リンク作品として「ライブエンジェル最後の日」をブログにて公開されておりまして、作品に花を添えております。
当然のことこの作品を知っていればよりいっそう楽しめる作品となっておりますので、もしまだこの「機甲銃士ブラスターエンジェル」をご存じない方がおられましたら、ぜひぜひ手に入れてごらんになられることをお薦めいたします。
「洗脳」「悪堕ち」「ふたなり」好きな方には楽しめる作品だと思いますよ。

それではまた。
  1. 2010/04/17(土) 20:58:50|
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黒く染まる詩

今日は記事を書くのを休んでしまいましたので「アラモの戦い」はちょっとお休み。
続きはまた後日に。


ということで、洗脳悪堕ち同人作品のご紹介です。
サークルpurge様の「黒く染まる詩」でございます。

アルトネリコシリーズの一作目に出てきたシュレリアが、エロエロに堕とされるストーリーです。

私はこのアルトネリコシリーズというゲームをやったことがないので、このシュレリアというキャラそのものにも思い入れがないわけですが、悪くない作品ですよとのことで、拝見してみた次第です。

確かに詳しい世界観がわからないとはいえ、キャラの堕ちにはそれほど影響がないというか、わからなくてもほとんど無問題でした。

基本ストーリー的には寝取られ要素もあるので、そっち方面の楽しみも味わうことができます。

弱点はストーリーが短いということでしょうか。
もう少し長めに作っていただければとは思いました。

とはいえ、楽しめる作品だと思いますよ。

それではまた。
  1. 2010/04/16(金) 21:25:52|
  2. 同人系
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アラモの戦い(5)

「ゴンザレスの戦い」に一応の勝利を収めた「テキサス軍」は、その余勢を駆ってコス将軍の率いるメキシコ軍のいるサンアントニオ・デ・ベクサーへと進軍いたします。
これに対しコス将軍は、ベクサーの町の守備を固め、自らは「アラモ」と呼ばれる伝道教会跡の石塀に囲まれた場所に司令部を置いて立て篭もりました。

1835年11月1日、テキサス軍はサンアントニオ川に到達し、ベクサーの町とアラモの砦を臨みます。
しかし、所詮は民兵の寄せ集めに過ぎないテキサス軍は、防御された町や砦に対する攻撃の仕方がわかりませんでした。
テキサス軍の指揮官の一人であるサミュエル・ヒューストンは、部隊の訓練に時間を費やすべきだと主張しましたが、当時テハス地区(以後テキサス)におけるテクシャンの政治的指導者だったステファン・オースチンはそれを退けます。
オースチンは町への攻撃を主張しましたが、今度は他の指揮官たちが難色を示しました。
結局テキサス軍はなし崩し的にベクサーの街を包囲するだけとなり、ただ時間だけが過ぎることになりました。

退屈な包囲戦は、テキサス軍の士気をがっくりと低下させました。
多くの志願兵が軍を抜け、指揮官も何人かが辞職していきました。
そんな中でオースチンはテキサス独立戦争の支援を得るためにアメリカに向かうこととなり、ベクサー包囲の指揮は副官のバールソン将軍が取ることになります。

テキサス軍とコス将軍指揮下のメキシコ軍は、ちょっとした小競り合いはあったものの、包囲戦が続いておりました。
冬が近づき、物資と士気の低下した軍ではこのまま包囲戦を続けることはできないと考えたバールソンは、一度軍を撤収させようと考えます。
しかし、ここまで包囲戦を続けてきたこともあり、多くの指揮官は撤収には反対しました。
中でもベンジャミン・ミラム大佐は撤収には強硬に反対し、彼に付き従う者たちをつれてベクサーの町を攻撃しようといたします。
テキサス軍と同様に包囲されたままのメキシコ軍の士気も大幅に低下していることを知ったバールソンは、ミラム大佐の意見を取り入れてここで一気にベクサーの町を攻撃することに決めました。

12月5日、ミラム大佐とジョンソン大佐の部隊がベクサーの町に突撃し、一軒一軒の家を奪い合う激戦を繰り広げます。
ミラム大佐はこの戦いで戦死してしまいますが、ジョンソン大佐が指揮を引き継ぎ、コス将軍以下のメキシコ軍はついにベクサーの町を放棄してアラモ砦に逃げ込むこととなりました。

12月9日、これ以上の戦闘は無理だと悟ったコス将軍は、テキサス軍に降伏を申し入れました。
バールソンはコス将軍と降伏についての話し合いを行い、大砲や武器を放棄する代わりに、メキシコ軍兵士を今後戦闘には参加しないとの約束の下でメキシコへと返しました。

これによってメキシコ軍は現在のメキシコとアメリカの国境であるリオグランデ川まで後退することになり、テキサス軍兵士は歓喜に沸きました。
メキシコ軍をテキサスから追い払ったことで、テクシャンたちはゴンザレスで会議を行い、ここにテキサス暫定政府が樹立します。
知事にはヘンリー・スミスが任命され、テキサス軍の指揮官にはサミュエル・ヒューストンが、そしてステファン・オースチンが外交を担当することになりました。
ただし、この暫定政府の目的は、あくまでもテキサスの分離独立を目指したものではなく、メキシコ中央政府に対しテキサス側の要望を通しやすくするためというものでした。

一方義理の弟のコス将軍が一敗地にまみれたことを知ったサンタアナ大統領は、ついに自らが軍勢を率いてテキサス奪回に向かうことにします。
メキシコ中部の「サンルイスポトシ」に集められたメキシコ軍は、総数約6000という大規模なものでした。
サンタアナは、自らこの軍勢を率いてテキサスへと向かったのです。
1836年の1月のことでした。

冬の行軍は難渋を極め、いく人もの脱落者を出しサンタアナ自身も病に倒れるなどしましたが、その後回復したサンタアナは、ついに2月12日にリオグランデ川に到達。
ここからベクサーまでは約10日ほどの距離でした。

その6へ
  1. 2010/04/15(木) 21:37:07|
  2. アラモの戦い
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アラモの戦い(4)

当時ゴンザレスの町には、1831年に原住民(ネイティヴアメリカン:いわゆるインディアン)の襲撃から町を守るためにメキシコ政府より与えられた大砲がありました。
しかし、メキシコの大統領サンタアナは、テハス地区のテクシャン民兵から武装を解除しようとしていたため、当然のことながらその大砲も回収するよう軍に命じておりました。

テハス地区にやってきたコス将軍は、現地の軍事司令官ウガルテチェア大佐に指示して、フランシスコ・カスタネダ中尉にその大砲の回収を命じます。
カスタネダ中尉は約100名ほどの兵力を引き連れて、ゴンザレスの町へと向かいました。

1835年9月29日。
カスタネダ中尉の率いるメキシコ軍は、ゴンザレスの町のすぐそばを流れるグアダルーペ川へと到着します。
ところが、グアダルーペ川が増水していたのと、対岸にテクシャンの民兵18名がいたことから渡河をおこなうことができませんでした。
この時ウガルテチェア大佐はメキシコ政府とテクシャンたちとの間が険悪になっていることを理解していたため、カスタネダ中尉には可能な限りは武力行使をおこなわないように命じておりました。
そこでカスタネダ中尉はゴンザレスの町に対し、平和裏に大砲を引き渡すよう要求します。

テクシャン側が意図したことではなかったのかもしれませんが、この時ゴンザレスの町には交渉に当たるべき有力者が留守にしていたといいます。
カスタネダ中尉はやむを得ず、その帰りを待つために部隊を野営させました。
ところが、この数日の野営の間に、ゴンザレスの町には各地から義勇軍が集まってきます。
彼らはメキシコ軍に大砲を引き渡すことは考えられないとして、じょじょにメキシコ軍との戦闘に備えていきました。

10月1日になると、ゴンザレスの町の兵力は160人を数えるほどになっていました。
原住民からその情報を聞いたカスタネダ中尉は、いつの間にか兵力が逆転していることに驚き、野営地を変えることにします。
一方ゴンザレスの町では、この兵力を持って先制攻撃をしたほうがよいという意見が大勢を占め、ついにメキシコ軍が回収しようとしていたその大砲を持ってグアダルーペ川を逆渡河いたします。

10月2日早朝、野営地を変えたことでほっとしていたカスタネダ中尉率いるメキシコ軍は、テクシャン民兵からの奇襲攻撃を受けました。
この民兵側の最初の発砲が、「テキサス独立戦争」の最初の一弾として伝えられるものとなりました。

カスタネダ中尉は何とか戦闘を収めようとしましたが、それはかないませんでした。
武力行使を控えるよう命じられていたこともあり、仕方なく彼は部隊をベクサーの町まで後退させるほかありませんでした。

こうして戦闘はメキシコ軍の後退で集結しました。
戦闘そのものは小規模でしたが、この「ゴンザレスの戦い」は、ついにメキシコ政府とテクシャンたちとの間に戦争が始まってしまったことを告げるものでありました。

メキシコ軍の後退によりこの戦闘に“勝利”した民兵側には、以後続々と義勇兵が集まってくることになりました。
10月13日には兵力は500人を超え、彼らは自らを「テキサス軍」と呼称するようになります。
そして意気上がる彼らの次の目的地は、カスタネダ中尉率いるメキシコ軍が後退した町、ベクサーへと向けられました。

ちなみにこの時メキシコ軍が回収しようとして果たせなかった大砲は、紆余曲折を経て現存し、ゴンザレスの町の博物館に保存されているそうです。

カスタネダ中尉の率いる部隊が後退してきたことで、ベクサーの町にいたコス将軍は驚きました。
しかも、テキサス軍の目標がこのベクサーであると知ったコス将軍は、急遽守りを固める必要に迫られました。
そこで彼は、ベクサーの町の要所に大砲や部隊を配置し、自身の司令部をかつての伝道教会に置くことにします。
そこは昔まだスペイン軍がいた頃に、メキシコの「アラモ・デ・パラス」というところから来たスペイン軍部隊が駐屯していたことから「アラモ」と呼ばれるようになっておりました。
建物そのものは再建途中で放棄され、廃墟同然の代物ではありましたが、周囲を頑丈な石塀に囲まれていたため砦として使うことができ、司令部を置くには何の問題もなかったのです。

その5へ
  1. 2010/04/14(水) 21:18:19|
  2. アラモの戦い
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アラモの戦い(3)

メキシコ政府の政策による好条件のおかげでテハス地区(テキサス)に移住してきたアメリカ人は多数に上りました。
彼らはテハス地区の開拓に力を尽くしましたが、やはり疫病の脅威は少なくありませんでした。
そういった開拓の苦労や疫病などの脅威への対策からか、やがてアメリカ人たちはメキシコ政府の思惑からはずれ、アメリカ式の生活をそのままテハス地区でも持ち込むようになっていきます。

また、アメリカ人入植者が多くなったことから、アメリカ政府もテハス地区のメキシコからの買収を試みるようになります。
1827年と1829年の二度にわたり、アメリカはメキシコに対してテハス地区を金銭で買い取りたいという旨の交渉を行いました。
メキシコはもちろんこれを拒絶。
テハス地区へのアメリカ人入植者の受け入れを中止することに決め、「4月6日法」という法律を制定します。
この法律は、今まで免除されていたテハス地区の開拓民への税の徴収をおこなえるようにしたほか、法の執行に軍事的手段を用いることもできるようにされておりました。

テハス地区に住むアングロ系開拓民は、自らをテクシャンと呼んでおりましたが、テクシャンたちにとってはこの4月6日法は当然不満を覚える法律でした。
メキシコ政府に対する抗議集会がテハス各地区で行なわれるようになり、メキシコ政府もまたそういった集会を武力で解散させるようになって行きました。
また、メキシコ政府によってテハス地区に派遣されてくるメキシコ軍の兵士の多くは、犯罪者が刑の代わりに従軍した者たちであったといわれ、テクシャンたちと普段から摩擦を引き起こす基にもなったといいます。
こうしたメキシコ政府の対応にテクシャンたちは幻滅し、やがてテハス地区をメキシコから独立させてしまおうという動きが起こり始めたのです。

1833年にアントニオ・ロペス・デ・サンタアナが大統領になったことで、彼はテハスでの混乱の元となった4月6日法を廃止いたしましたが、この頃にはテハス地区には無許可のアメリカ人が大勢移住してくるようになっておりました。
サンタアナはこれをテハスを我が物にしようとするアメリカの策略だと考えましたが、その対応をすぐにおこなうことはできませんでした。
独裁色を強めていくサンタアナに対し、メキシコ各地で叛乱が起こったのです。
あまりの独裁制の強化に、サンタアナを支持してきたメキシコの人々もついに分裂を余儀なくされたのでした。

このメキシコ各地での叛乱は、サンタアナの手によって強引につぶされていきました。
約二年間の軍事行動により、各地の叛乱勢力はねじ伏せられていったのです。
その中には虐殺行為がおこなわれたものもありましたが、ともあれ1835年半ばごろには、(テハス地区を除く)メキシコはほぼサンタアナの独裁政権下に治められることとなりました。

しかし、その間にもテハス地区では混乱が続いておりました。
テクシャンたちは新たに移住してきたアメリカ人も含め、各地で武装勢力を作ります。
そしてこの武装集団とメキシコ軍との衝突が頻繁に起こるようになり、まさに一触即発の状況へと発展していきました。

1835年6月、ついにテクシャンの武装勢力は徴税の問題に端を発した事件でメキシコ軍をアナウアクという町から追放してしまいます。
この事件に関わったのが、「ウィリアム・バレット・トラヴィス」でした。

1809年に生まれたトラヴィスは、アラバマで法律を学んだあとで、1831年に妻と娘を置き去りにして単身テハス地区に移住しました。
テハス地区での生活が気に入ったのか、トラヴィスはその後法律家として地域住民の相談に乗ったり仲裁に入ったりするなどして生計を立てておりました。
ですが、次第にテクシャンとメキシコ政府との間が険悪になっていくと、彼はメキシコに対する抵抗運動を行なうようになり、次第に武装集団の中で頭角を現すようになったのです。
そしてアナウアクの事件では、25人ほどの民兵を連れたトラヴィスが、駐屯する40人ほどのメキシコ軍を降伏させ、ついに追放してしまったのでした。

アナウアクからメキシコ軍が追放されたという報告は、サンタアナを激怒させました。
彼はテハス地区をアメリカ人たちから取り戻すため、ついに軍勢を派遣することを決定します。
軍勢の指揮は義理の弟である「マルティン・ベルフェクト・デ・コス」将軍に任されました。

1835年9月、コス将軍は部隊を率いてテハス地区へと侵攻。
中旬にはまだメキシコ軍の制圧下にあったサンアントニオ・デ・ベクサー(ベクサー)へと達します。
事件はこのベクサーから、東に90キロほどの位置にある「ゴンザレス」という町で起きました。

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  1. 2010/04/13(火) 21:42:49|
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アラモの戦い(2)

スペインからの独立を果たしたメキシコでしたが、それで万々歳というわけにはいきませんでした。
独立革命に功績のあったスペイン人の将軍「アグスティン・デ・イトゥルビデ」が、皇帝の名乗りをあげ「メキシコ帝国」を作り上げてしまったからです。

これはもともとはメキシコ独立に際し、新たな国王を欧州からもらおうということになっていたのですが、欧州の各王家はスペインに遠慮して国王となる人物を派遣しようとはしなかったのです。
そのためイトゥルビデが、自ら皇帝となることでメキシコをまとめようとしたのでした。

ですが、これはメキシコ人にとってはおもしろいものではありませんでした。
イトゥルビデはスペイン人であり、スペインの影響を排除できなかったため、メキシコ人にとってメキシコ帝国は真の独立とは思えなかったのです。
そのため、アグスティン一世を名乗ったイトゥルビデの政権はたちまち国民の信頼を失いました。
政権を維持しようとしたアグスティン一世は強圧的な手段でこれに望んだため、結局約一年半ほどしか皇帝の座にいることができず追放されてしまいます。

そんな中、一人のメキシコ人が国民の信望を集めていきます。
若くしてメキシコ帝国軍の准将にまで昇進した、「アントニオ・ロペス・デ・サンタアナ」という人物でした。
独立当時まだ27歳という若さだったサンタアナは、最初スペイン軍の一士官として独立派を鎮圧しておりましたが、途中で寝返りイトゥルビデの側近としてメキシコ独立に尽力します。
そしてメキシコ帝国の成立にも関わったあとで、今度はアグスティン一世の追放後もうまく立ち回り、政府に対して影響力を持ち続けることに成功しました。
こうして彼は一歩ずつ権力への階段を登り始めます。

1824年、新憲法(1824年憲法)が公布され、メキシコ帝国は「メキシコ共和国」へと生まれ変わります。
そしてこの1824年憲法が、テキサスの将来に大きな影響を及ぼすのでした。

この時テキサスは、隣接するコアウイラ地区と合併し、新たにコアウイラ・イ・テハス州という州になりました。
テハスがテキサス地区のことです。
これは現在のテキサス州とは違い、広い面積を持っておりました。
この広いコアウイラ・イ・テハス州をメキシコは開拓して価値ある土地にしようと考えます。
広大な土地を開拓するには開拓者が必要です。
この開拓者を、メキシコは隣国アメリカに求めたのでした。

入植者には広大な土地を与え、さらには十年間の租税免除という条件は、すぐに多くの開拓者を引き寄せました。
人数にもよりますが、一家族丸ごとですと約4000エーカーを越える土地が与えられるほどだったといいます。
ただしもちろん条件があり、入植者はカトリックへの改宗が義務付けられたほか、スペイン風の名前への変更や、当然ながらメキシコ共和国への忠誠も求められました。
それでも広大な土地所有という魅力は大きく、多くの申し込みが寄せられたのでした。
テハス(テキサス)地区には、こうして何人ものアメリカ人が移住してくるようになったのです。

1829年、スペインは再度メキシコの支配権を奪回するために軍勢を送り込みます。
しかし、サンタアナ率いるメキシコ軍が「タンピコの戦い」でこれを撃破。
スペインのメキシコ再支配の目論みは絶たれました。
この一件でサンタアナに対する国民の支持は爆発的に上昇し、ついに1833年の大統領選挙でサンタアナはメキシコの新大統領に就任します。

ところが、サンタアナはこれ以後1824年憲法を無視したような独裁路線を歩み始めます。
メキシコにはまだ民主主義の準備ができていないとし、民主的な政策を否定したばかりか、憲法廃止まで視野に入れ始めておりました。
ですが、民衆はまだ「英雄サンタアナ」に対する支持をやめようとはしませんでした。

その3へ
  1. 2010/04/12(月) 21:34:24|
  2. アラモの戦い
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アラモの戦い(1)

先日見たウォーゲームの記事に、昔タクテクス誌に付録で付いた「アラモ」のゲームのことが出ておりました。
私も先輩からユニットを借りて持っているのですが、まだプレイしたことがありません。
なので、その記事を見てプレイしてみようかなという気になったものでした。

で、そのゲームの元となった「アラモの戦い」とはどんなものだったのか?
ちょっと書いてみようと思いました。


1836年。
日本では今年の大河ドラマの主人公となった坂本龍馬が生まれたのがこの年でした。
この1836年の2月23日から3月6日までアメリカ合衆国のテキサス州サンアントニオという町でおこなわれたのが、「アラモの戦い」だったのです。

現在のテキサス州は、初めからアメリカ合衆国の一部だったわけではありませんでした。
16世紀初頭、スペイン人によって“発見”されたメキシコ湾沿岸のテキサス地域南部は、その後17世紀後半までは特に注目を集めることも無く、先住民たちが静かに暮らしている土地でした。

1690年ごろから、このテキサス地域はスペイン人の影響を受けるようになっていきます。
スペイン人は16世紀には現在のメキシコ全土を植民地化することに成功し、その影響力を他地域にまで伸ばして来ていたのです。
メキシコを拠点とするスペイン人はこのテキサス地域に目をつけ、領有権を主張するためにカトリックの伝道所と兵士の小規模駐屯所(兵哨)を設置していきます。
約百年の間に三十六の伝道所がテキサス地域に設置され、ネットワークで結ばれるようになりました。

先住民たちの間で「ヤナグアナ」と呼ばれる地域にも1691年6月にスペイン人の一隊が到着し、その周囲を「サンアントニオ」と名付けます。
到着した日が聖アントニウスの日だったことに由来するとのことです。

このサンアントニオの町には川が流れており、その川の名前もサンアントニオ川と名付けられるわけですが、1718年にはスペイン人の英雄「ベクサー公」にちなんで町の名前のほうは「サンアントニオ・デ・ベクサー」へと改名されました。
そして伝道の中心となる伝道教会「サンアントニオ・デ・ヴァレーロ」教会が建設されます。
その後、この教会はハリケーンによって破壊されてしまいますが、ほどなく川の東側に再建され、これがのちの「アラモ砦」の元となる建物となりました。

こうして単にベクサーの町とも呼ばれる事となるサンアントニオ・デ・ベクサーは、スペイン人によるテキサス支配の中核として位置付けられましたが、不幸なことにたびたび疫病が蔓延して町を痛めつけ住民を死に至らしめて行ったために、やがて町は衰退し、教会の建物も伝道が取りやめられて軍の駐屯地として使われるのみとなっていったといいます。

そんななか、メキシコ植民地では、じょじょに宗主国スペインからの独立を果たそうとする運動が激化しつつありました。
1776年のアメリカ合衆国の独立に刺激を受けたメキシコでは、各地で独立を求める暴動が発生し、1810年にはついにメキシコ独立戦争が勃発します。
最初のうちはスペイン側が優勢に戦争を進めますが、後半になるとスペイン本国での政変などもあってメキシコ側が優勢となり、ついに1822年にメキシコは独立を果たします。
「アラモの戦い」の一方の当事者、メキシコの誕生でした。

その2へ
  1. 2010/04/11(日) 21:09:59|
  2. アラモの戦い
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継続は力なり

四コママンガ「OL進化論」もついに30巻目に到達ですね。


連載開始からは実に22年とのこと。
まさに継続は力なりですね。

表紙を飾っているジュンちゃん、美奈子ちゃんにいつもリボンのけいこちゃんとメガネのひろみちゃんの四人のOLを中心に、課長さん一家や田中さんなど、身近にいそうな人たちのほのぼのコメディというところでしょうか。

秋月りす様の作品は結構好きでして、他にも「かしましハウス」や「おうちがいちばん」もそろえてます。
ですが、やはり長さではこの「OL進化論」が群を抜いてますよね。

さすがにこれだけの長期連載ですと、似たような話が出てくるのは当然で、以前見たなーというのがいくつもありますけど、まあ、それはご愛嬌。
これだけ続いているということ自体がたいしたものです。

22年とはまいりませんが、このブログもできるだけ長く続けていたいですね。
それではまた。
  1. 2010/04/10(土) 19:25:34|
  2. 本&マンガなど
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サークルゆき様の新作

昨日メッセンジャーでお話していたところ、いつもお世話になっている方から「サークルゆき」様の新作がおもしろいというお話を聞きました。

そこで、早速手に入れて拝見させていただきました。


「サークルゆき」様の最新作、「幻想戦隊ファンレンジャー 第一話」です。

地球を守るレッド、ブルー、ピンクの三人の女性たちの戦隊ファンレンジャー。
ブラッドデーモンたちは彼女たちに打ち減らされ壊滅の危機に・・・
しかし、ブラッドデーモンの女幹部ヘル・キュバスの魔の手が・・・

という展開で、まずはピンクが捕らわれていろいろされてしまうことに・・・

と、まあ、ストーリーとしては王道でしょうか。
第一話というところで、次への期待がいやがうえにも高まります。
はたしてピンクの運命は・・・

[サークルゆき様の新作]の続きを読む
  1. 2010/04/09(金) 21:21:13|
  2. 同人系
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デストロイドモンスターの原型か?

ガリレオ出版様から毎月出ております「グランドパワー」誌の5月号です。

GP1005.jpg
今月号の特集は、大戦末期にドイツで試作もしくは開発中だった超重戦車、「E100」と「マウス」です。

両車とも重量100トンを越えるとんでもない重戦車であり、モノにはならなかった戦車だというのは皆様ご存知かもしれません。
今回その両車の開発経緯などが掲載されており、当時のドイツの置かれていた状況が見えてきます。

本文中にもありましたが、このような超重戦車に「マウス」と名付け、小型のリモコン爆弾が「ゴリアテ」と名付けられるというのもおもしろいものがありますよね。

この両車の記事も面白いのですが、今月号で個人的に楽しませていただいたのは、第二次世界大戦後にアメリカで開発されたM50自走無反動砲「オントス」でした。

この車両、小型の車体に無反動砲を左右に3門ずつ合計6門も搭載しているというおもしろい車両で、なんとなくあの「超時空要塞マクロス」に出てきました「デストロイドモンスター」を思わせる気がします。

ベトナム戦争という実戦にも参加しているのですが、無反動砲の再装填が車外でないとできないというのが最大の欠点だったようですね。
おもしろいデザインの車両ですが、まあ、そこまでの車両だったということでしょうね。
でも、この車両のことを知ることができてうれしかったです。

今日はこんなところで。
それではまた。
  1. 2010/04/08(木) 21:41:20|
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新式なのに二線級

今日はミリタリーネタです。
それも地味な大砲です。

明治時代の日露戦争時、日本はドイツのクルップ社に(当時の)新型火砲を数種類発注しました。
そのうちの日本で国産された一つが、75ミリ口径の三八式野砲でした。
三八式野砲は日露戦争には間に合わなかったものの、馬匹牽引の野砲としては威力もそこそこで運動性もあり、優秀な砲でした。

しかし、第一次世界大戦で欧州などの火砲の射程距離が飛躍的に高められた結果、三八式野砲は急速に射程の短い時代遅れの大砲になっていきます。
日本陸軍もこのことに頭を悩ませましたが、新型火砲をおいそれとは導入できず、三八式野砲を改造して長射程化することでこの問題を乗り切ろうと考えました。
こうして完成した改造三八式野砲は、以前の三八式野砲の射程が8300メートルほどだったのに対し、11000メートルを超えるものとなり、一応の長射程化は図ることができました。
しかも、改造型でしたので、それほどコストもかかりませんでした。

しかし、もともとの三八式野砲がすでに完成された優秀な砲だったので、それを改造することによって新たな欠点がいくつか生じてしまいます。
そこで陸軍は、やはり新型火砲の装備をおこなうことに決めました。

新型火砲の開発に関しては、やはり自国開発が望ましいものではありましたが、当時はまだ新型火砲を自国開発できるような技術力は日本にはありませんでした。
そこでフランスのシュナイダー社に設計を依頼し、それに基づいて国内開発をしようと考えます。
ところが、このシュナイダー社の設計した75ミリ級の野砲が優秀であったため、単にこれを中国大陸での使用に向くように改良しただけの砲が90式野砲として採用されました。

90式野砲は射程も長く威力も充分であり満足できる火砲でしたが、ただ一点、重量が重いことが問題でした。
重量が重いと馬匹牽引には難があり、牽引車が必要となってしまうのです。
当時の日本には、師団に多数配備する必要のある75ミリ級の野砲一門一門に牽引車を配備する余裕などありませんでした。

90式野砲の優秀性は認めながらも、その重量を問題にする陸軍は、射程は少々短くてもより軽量の野砲を開発することを求めます。
こうして性能よりもただただ軽量であることを求められて開発されたのが、95式野砲でした。

95式野砲は重量1100キログラムと改造三八式野砲よりも軽い上、射程も11000メートルほどは確保しておりました。
馬六頭で牽引することができ、運動性は90式野砲とは格段の差がありました。
価格も安く砲身の寿命も16000発と多く、まさに経費節約型の火砲としてはとても優れたものでした。

こうして出来上がった95式野砲を前にした陸軍は紛糾します。
威力と長射程の90式野砲を主力とするか、価格が安く運動性の高い95式野砲を主力とするか。
結局この結論は出ず、それぞれを一定数装備するという玉虫色の決着が図られました。

95式野砲は折からの太平洋戦争により、約二百門ほどしか生産されませんでした。
陸軍の主力火砲は結局改造三八式野砲を更新することができませんでした。
そして、射程と威力の関係からか新型砲でありながら二線級装備とされた95式野砲でしたが、その基本設計のよさからか、使用部隊での評判は悪くなかったといいます。

国力の関係から牽引を機械化できなかった弊害が、ある意味中途半端な新型砲である95式野砲を作らせる羽目になってしまったんですね。
装備は正面装備だけではないということなんでしょう。

それではまた。
  1. 2010/04/07(水) 21:30:31|
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女神聖騎士 セイントマイ(闇月様作)

皆様は闇月様を覚えていらっしゃいますでしょうか?
かつて「闇月の創作メモ」様というブログを公開されておりましたが、残念なことに閉鎖されてしまいました。
いくつもの悪堕ちSSを公開されていたので、楽しまれた方も多かったのではないでしょうか。

今回、その闇月様より投稿SSをいただきました。
タイトルは、「女神聖騎士 セイントマイ」です。
以前「闇月の創作メモ」様で公開されていたものの改訂版ということです。

こうしてまた作品をいただけるのはうれしいことですね。
どうか皆様もお楽しみくださいませ。
それではどうぞ。


【女神聖騎士 セイントマイ】



「おのれぇ、セイントマイめ、私の最終奥義で消えるがよいっ!」

首から足先までの黒い全身タイツに黒いマントの青年が、私たちに強力な攻撃を仕掛けてくる。

「そうはいかない。私たちは絶対に負けないんだから! ミュウモ、力を貸してっ!」
「了解だモ! 光の力、女神様の加護を受け取るモ、セイントマイ!」

ミュウモから放たれた七色の光が、私の持つ『セイント・スティック』に吸い込まれ、巨大な光の玉を形成する。

「覚悟しなさいっ、ズラ卿…いっけぇ~、セイント・プリズムシュート!」
「何度言えばわかるっ!? 私はズラではない、ザラだ…って、ぐわぁ~!」

私の必殺技を受け、ズラ、じゃなかった、ザラ卿の体は光に包まれ、消えていった。

「やったぁ~!」
「やったね、マイちゃん。これでダークネス三幹部はあと一人だモ」
私たちは手を取り合って飛び上がり、全身で喜びを表現した。


私の名前は神代マイ。ごく普通の中学2年生…だった、この前までは。

事の始まりは学校からの帰り道。“ぬいぐるみの熊とリスを足して2で割ったような生物”が私の前にとつぜん現れた。
この生物は、光の女神ルナマリアの精霊ミュウモと名乗り、私に『女神聖騎士』になって、人間界に潜む闇の王国『ダークネス』の一団と戦ってほしいと言ってきたのだ。
その時の私はパニック寸前で、その場から逃げ出してしまった。

その夜、私の夢の中に女神ルナマリアが現れて、「マイちゃん、人間界で『女神聖騎士』になれるのは貴女しかいないんです…」とか言われちゃって。
結局、私は『女神聖騎士』の変身アイテムであるブローチを受け取ってしまったのだ。

こんなの、アニメやマンガの話だと思ってた。
でも今は、『ダークネス』が人間界で悪いことをする前にミュウモが察知して、私が『女神聖騎士 セイントマイ』に変身してやっつけている。

『ダークネス』には闇王キラの下に3人の幹部がいて、最初にアスハ卿を、そして今ザラ卿を倒し、あとはもう一人と闇王キラを残すのみとなっていた。
早く残りの二人をやっつけたいんだけど、ザラ卿でこれだけ苦労したんだからそう簡単にはいかないだろうなぁ…

でも、ミュウモと一緒ならきっと大丈夫。私たちは絶対に負けないんだから!


「…マイちゃん、あぶないモ!」
突然、ミュウモが叫んで私を突き飛ばす。

「ミュウモ、何すんのよ…って、ミュウモっ!」
私がミュウモのいる方向を見た時、ミュウモは黒い霧のようなものに包まれていた。
私はミュウモを助けようと黒い霧に手を伸ばしたが届かず、黒い霧はミュウモと共にあっという間にその場から消え去ってしまった。

「ミュウモ、ミュウモっ!」
後には、私の空しい叫び声が響くだけだった。


 ★

「…ここはどこなんだモ?」

マイちゃんをかばい、黒い霧に包まれたわたし。
気がつくと、薄暗い空間に一人だった。

ここが、人間界でも、ましてやルナマリア様のいる光の世界でもないことはわかる。
もしかして、ここは…

「目覚めたかい? ルナマリアの精霊さん」
「お、お前は…!?」

わたしの前に現れたのは、かつて『ダークネス』を率いて光の世界に攻め込んできた少年。
ところどころに金色の刺繍が施された漆黒の衣装と身に纏うオーラの強さが少年が闇王キラであることを物語っていた。

「闇王キラ…ミュウモをどうするつもりだモ?」
「大丈夫、手荒なことはしないよ。本当はセイントマイをここに呼び寄せるつもりで放った『召還の黒霧』にキミが捕らわれたのでね…どうしようか考えているところだよ」

そう言って微笑む闇王キラ。
どうやら逃げ場はないようだし、うかつなこともできそうにない。

「ところでミュウモ、キミは何のために人間界で僕らと戦っているの?」
「ルナマリア様の命令に決まってるモ」
わたしは当たり前のことを聞くなと言わんばかりに即答した。

「確かに…僕たちは闇の一族。光の一族とは敵同士かもしれない。でも、人間界にとって僕たちは敵なのかな?」
「…何が言いたいんだモ?」
「人間界でキミと一緒に僕たちと戦っているのは光の一族じゃなくて、人間の女の子だろ? 彼女は普通の生活を犠牲にして、ルナマリアやキミの命じるまま戦っている。彼女はそれをどう思ってるんだろうね?」

キラの言葉に、わたしは返す言葉が見つからなかった。

キラの言っていることは正しい。
確かにマイちゃんは人間界の、光の一族や闇の一族とは全く関係のない女の子だ。
そんなマイちゃんを、ルナマリア様の命令とはいえ、自分たちの戦いに巻き込んでしまったのだ。

そういえば、『ダークネス』は人間界に潜んではいるが、人間たちに害を及ぼすようなことは今のところ全くしていない。
それなのに、自分たちは…


わたしは数日前のマイちゃんとの会話を思い出していた。

「マイちゃん、セイントマイとして戦うのは大変じゃないモ?」
「正直言うとね、大変だよ。ゲームと違ってやられると痛いし…でもね、ミュウモは私の大切な友達だから、友達のために頑張ろうって思ってるの。だから大丈夫だよ」
「マイちゃん…」
「ミュウモ、私たち、友達だよね?」
「…うん。友達だモ。マイちゃんはミュウモの大切な友達だモ」


(マイちゃんは、ミュウモは大切な友達だから、ミュウモのために戦ってくれている。それなのに、ミュウモは…)

「セイントマイは、キミにとってどんな存在なんだい?」
「セイントマイは…マイちゃんは、ミュウモの大切な友達だモ」
「その友達に、キミはルナマリアの命令だからという理由だけで戦わせているのかい?」
「そ、それは…」

キラの言葉にわたしはとまどう。
この時、先程からわたしの周囲に漂っている黒い霧が、少しずつ私の体に吸い込まれていることに気づいていなかった。

(わからないモ。ミュウモ、どうしていいのかわからないモ。何を信じていいのかわからないモ)

わたしの中で、何かが少しずつ変わろうとしていた。


「ミュウモ、キミは本当は、セイントマイをこれ以上僕たちとの戦いに巻き込みたくないんだろう?」

今まさに自分の中に浮かんだ考えをキラに指摘され、わたしは驚く。

「キラ、貴方はミュウモを…わたしをどうするつもりなんだモ?」
キラに対する口調が最初と微妙ながら変化していることに、わたしは気づいていなかった。
それが、あの黒い霧の影響だということも。

「それはキミの答え次第だよ。さぁミュウモ、どうしたい?」

「わたしは…マイちゃんをこれ以上『ダークネス』と戦わせたくない…モ。たとえそれが、ルナマリアの命令に反することでも…」

「よく決心してくれたね。僕がキミを光の女神の呪縛から開放してあげよう」
キラはそう言うと、目の前に来てわたしの体に手をかざした。

わたしはそれに抵抗することなく、キラの手から発せられるオーラを素直に受け入れていた。

(なんだろう…すごく、心地いい)
黒い霧は、いつの頃からかわたしの中から噴き出していた。
わたしの中にあった“何か”と一緒に。


 ☆

ミュウモが私の前からいなくなって3日が過ぎた。
私は時間の許す限り心当たりを探してみたけど、ミュウモはどこにもいなかった。

「お嬢さん。何かお困りのようだね」
ミュウモと最後に一緒だった公園で、私はベンチに座っていた初老の紳士に声をかけられた。

「大切な友達…じゃなかった、ぬいぐるみを探しているんです」
「ほほう…ぬいぐるみではなくて、ミュウモという光の精霊じゃろ?『女神聖騎士』のお嬢さん」

(この人、私が『女神聖騎士』だって知ってるの!? まさか、この人は…)
私はすぐに動けるよう身構える。

「自己紹介がまだじゃったな。わしはダークネス三幹部の一人、クライン卿じゃ」
「あなたが…三幹部最後の一人なのね」
「いかにも。騎士道精神に則り、正々堂々勝負をしたい。お相手願えるかな?」

老紳士が立ち上がると、その姿が黒い闇に包まれ、ザラ卿と同じ衣装に変わる。

私にセイントマイに変身するよう促しているのね。こっちには好都合だわ。
でも、ミュウモがいなくて、私は戦えるんだろうか?

「…そんなこといってられないわね。いくわよ。ホーリー・メタモルフォーゼ!」
私の変身の呪文に胸のブローチの『聖水晶』が反応し、まばゆい光を発する。

光の中で、学校指定の制服が真っ白なワンピースに変わり、スカート部分がフリル状の紅いレースに彩られる。
ちょっと自慢の細長い足はレースと同じ紅いロングブーツに包まれ、茶色がかった黒髪は明るい金髪に変わり、紅いリボンで束ねられる。
こうして私は『神代マイ』から、『女神聖騎士 セイントマイ』に身も心も変わっていくのだ。

「光の女神の名のもとに、闇を消し去りましょう。女神聖騎士セイントマイ、ここに参上!」
変身を終えた私はいつものように名乗りをあげ、『セイント・スティック』を手にクライン卿と対峙した。


(どうしよう…このままじゃやられちゃう)

今までの敵には効果のあった攻撃技が、クライン卿には簡単に返されてしまう。
私の服はボロボロ、あちこちにできた傷が痛む。
さすが最後の幹部。今までの敵とはレベルが違うわ。

胸元のブローチの『聖水晶』にも細かなひびが入っている。
ミュウモがいない今、必殺技『セイント・プリズムシュート』は使えない。
これってもしかして…最大のピンチ!?


「どうしたのかね? 『女神様の加護』とやらもたいしたことないようじゃな…」
「クッ…私は…負けるわけにはいかないのよっ!」
「セイントマイ、君ほどの力の持ち主なら、我々の仲間になれば心強いのだがのぅ」
「な…何を言ってるの? 冗談じゃないわ」
「それは残念じゃ…そろそろとどめといこうかのぅ」

クライン卿の剣が私に振り下ろされる。

もうダメ…と思ったその時。
一筋の光がに私たちの間に入り、私をクライン卿から引き離した。

「マイちゃん、大丈夫だモ?」

光から発せられた声に、私は驚く。
光の正体、それはなんとミュウモだったのだ。

「ミュウモ…ほんとにミュウモなの!?」
「マイちゃん、心配かけてごめんモ。ミュウモ、このとおり元気だモ」
「よかった…でもミュウモ、どうしよう? 今の私じゃクライン卿に勝てないよ!」
「マイちゃん、安心するモ。ミュウモ、新しい力を見つけてきたモ」
「ほんと!?」

(ミュウモ、ありがとう。これでまた戦える、女神様の聖騎士として…)

私はミュウモから渡されたブローチを胸につけ、中央部に位置する水晶に触れる。
水晶から私を変える新たな呪文と力の使い方といった様々な情報が流れ込んでくる。

でも、私の中に流れ込んできたのは、『女神様の加護』ではなかった。

「ミュウモ、これってどういうこ…」
私がミュウモのいた方向を見ると、そこには信じられない光景があった。

ミュウモは、クライン卿の隣で、今まで見たことがない邪な笑みを浮かべていたのだ。

「ミュウモ、なんで…そいつの隣にいるの…?」
私の声はショックで震えていて、それ以上言葉を続けることができなかった。

「ミュウモ、そろそろ『今の姿』に戻ってはどうじゃ?」
「クライン卿、そうするモ。闇王キラ様の手で生まれ変わったミュウモをマイちゃんに見てもらうモ」

ミュウモはそう言うと、瞳を閉じる。
再び開かれた瞳は真紅に輝いていた。
黒い霧がミュウモを包み込み、その中でミュウモの姿が変わっていく。
霧が晴れた時、そこにいたのは黒いミニワンピースに黒のショートブーツ、肩まで伸びた紫の髪に金のカチューシャをつけた、10歳位の人間の少女だった。

「これが今のわたし。邪精霊ミュウモだよ。よろしくね、マイちゃん」
ミュウモと名乗った少女は容貌に似つかわしくない妖艶な笑みを浮かべた。

「『邪精霊』って…ミュウモ、どうしちゃったのよ? ルナマリア様に仕える精霊じゃなかったの?」

「ルナマリアですって!? わたしの大切なマイちゃんに大変な思いをさせてるヤツなんてもうどうでもいいわ」
はき捨てるように答えるミュウモ。

「わたしはね、マイちゃんにこれ以上戦って傷ついてほしくなかったの。友達が傷つく姿を見てるのは辛かったの。そしたらね、キラ様がわたしをこの姿に生まれ変わらせてくれたの。そして、マイちゃんを助けるための力をくれたんだよ」
「ま、まさかこのブローチは…」
「そう、マイちゃんにあげたのは『邪水晶』のブローチ。マイちゃんを光の女神の呪縛から解き放ってくれる、すばらしいアイテムよ」

私は恐怖で震えていた。
私の頭の中に新たな呪文が浮かび上がり、早く唱えるように促す。

(だめ…この呪文を唱えたら、私は『セイントマイ』ではなくなってしまう)

「女神様…助けてください。ルナマリア様ぁ!」
私の叫びに女神様は答えてはくれない。
どうして? 私の心が絶望に染まっていく。
それに呼応するかのように、『邪水晶』が漆黒に染まり、闇の力が強くなっていく。

「マイちゃん、貴女が苦しんでいるのに、ルナマリアは何もしてくれない。わかったでしょ? 光の一族ではなく、ただの人間の貴女はあいつの手駒の一つでしかなかったのよ。だから、闇を受け入れて…光の呪縛を破りましょう」

私が闇の力に抵抗している間に近づいてきたミュウモ。
私の耳元に顔を寄せると、そっと、優しく囁く。

「マイちゃん、わたしたち、友達だよね?」

ミュウモのその言葉が私の心の迷いを打ち払う。
そうよ、ミュウモは私の大切な友達。
友達と戦うなんてできない。だから私は…

「新たな力を我に! ダーク…メタモルフォーゼ!」
私は、『邪水晶』が教えてくれた新たな呪文を唱えた。




「マイちゃん、見て。新たな『女神聖騎士』が現れたわ」
「ほんとだ。なによ、ルナマリアのヤツ、『人間界で聖騎士なれるのは貴女しかいないんです』とか言ってたくせに…結局いいように使われていたのね」

ビルの屋上から、眼下で繰り広げられている戦いを見物している私とミュウモ。
かつての私と同じ衣装を身に纏い、『女神聖騎士 セイントアイ』と名乗った私と同い年くらいの少女が『ダークネス』の一般兵を相手に戦っている。

「どうするの? そこそこ強そうだよ」
「そんなの関係ないわ。『ダークネス』を、キラ様を滅ぼそうとするものは全て私たちの敵でしょ」
私の言葉に「そうね」と肯くミュウモ。

雲間から現れた月が、私たちを照らす。
私が身に纏うのは、スカート部分がフリル状の蒼いレースに彩られた漆黒のワンピースに、レースと同じ色のロングブーツ。
闇王キラ様が美しいと言ってくださった漆黒の髪は蒼いリボンで束ねられていた。

今の私は、『ダークネス』の闇騎士 ダークマイ。
クライン卿と共に闇王キラ様に仕える、ダークネスの女幹部だ。

「彼女もキラ様の力を借りて光の女神の呪縛から解放するの?」
「いいえ。それは私たちだけでじゅうぶんよ」

私にはキラ様と、親友のミュウモがいればいいの。あんな女、『ダークネス』にはいらないわ。

「彼女はね…私がルナマリアの呪縛から解き放ってあげる…彼女の死をもってね」

うふふ、その日が待ち遠しいわ。
だから、もっと強くなってから戦いましょうね、新たなる女神聖騎士さん。


(終)
  1. 2010/04/06(火) 21:37:21|
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8巻出たよー

手に入れてきましたよー。
「真月譚月姫」マンガ版の第8巻ですー。

SI-91.jpg
こちらが表紙。

以前にも書いたかもしれませんが、佐々木少年氏の描くキャラは本当に魅力的ですね。
死ぬ目に遭ってしまった志貴に対する秋葉の表情や、凛としたシエル先輩の表情。
そして、偶然にも志貴の思いを知ってしまったときのアルクェイドの表情など、すごく生き生きとしております。
月姫アンソロジーコミックのときから佐々木少年氏のマンガは好きだったのですが、やはり群を抜いて上手ですよね。

すべての事情が明らかになった8巻。
あとは最終巻(と思われる)9巻に向けて一直線です。
佐々木少年氏がどのようなENDを描かれるのか、今から非常に楽しみですね。

それではまた。
  1. 2010/04/05(月) 21:18:58|
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コストが半端じゃないからなぁ

今日は日本ハムも阪神も負けてしまいました。
うーむ、なかなか波に乗れませんねぇ。

で、「世界の艦船」の最新刊を手に入れてきました。

こちらが表紙。
ニミッツ級空母「カールヴィンソン」の艦橋付近のアップですね。

今月の特集は「世界の空母 2010」ということで、世界の現用航空母艦が網羅されてます。
空母というとアメリカがもう圧倒的ですが、VTOL機のハリアーが艦載機として使えるようになって以来、小型空母を所有する国も増えました。
現在ではインド、ブラジル、タイも空母を所有しておりますね。
近いうちには中国も持つのではないかと言われます。

気になりますのは、やはり空母は船体と艦載機のセットでなくてはなりませんので、コストが非常にかかるわけです。
英国も新型空母を二隻建造する予定だったのですが、どうやらコスト高で一隻しか建造できないようですね。
フランスと協同で二隻体制ということになるのではないかと記事にありました。
海上から航空戦力を戦場に投入できる空母はやはり現状では最強の軍艦の一つですので、保有したい国は多いのでしょうけど、やはりコストが半端じゃないんですよね。

日本は今のところ空母保有という話しはないですが、将来的には保有ということになるのでしょうか。
まあ、多分コストの問題で難しいとは思いますけどね。

他にもいつもながらの艦船の記事がいっぱいで楽しめました。
カラー写真がいっぱいなのがいいですよね。

それではまた。
  1. 2010/04/04(日) 20:45:04|
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04月04日のココロ日記(BlogPet)

舞方雅人さん×みんなの就職活動日記

*このエントリは、ブログペットのココロが書いてます♪
  1. 2010/04/04(日) 10:41:00|
  2. ココロの日記
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全八戦が終了

以前にもこちらでご報告したことがありましたが、昨年後半より始まっておりましたVASLを使ったASL-SKの通信対戦によりますリーグ戦、「ASL-SKリーグ戦2009」の全八戦が終了いたしました。

aslsk1-cover.jpg
今回のこのリーグ戦はASL-SKのSK#1のみに限定したリーグ戦で、SK#1に関するシナリオからS2、S3、S4、S7の四本のシナリオが選ばれ、それぞれ攻守入れ替え戦をやることで計八戦を行なうというものです。

この八戦がつい先日の信長様とのS3シナリオ対戦で、私個人に関してはすべて終了いたしました。
まだ最終戦をおこなっていない方もおられますが、おっつけ皆さんも終わられることでしょう。

全八戦の成績は五勝三敗でした。
五勝のうち一勝は不戦勝ですので、正確には七戦対戦して四勝三敗というところです。
正直負け越さなくてよかったと思いました。

始まる前までは、うまく行けば六勝二敗ぐらいでなどと甘く考えておりましたが、どうしてどうして皆様侮れない方ばかりで、負け越しすらよぎる事態に。
最後どうにか有利な陣営での対戦だったので、順当に勝つことができ勝ち越すことができました。

対戦成績は以下のとおり。

一戦目:S4 米軍 ○
二戦目:S2 ソ軍 ●
三戦目:S7 独軍 ○
四戦目:S4 独軍 ○
五戦目:S3 独軍 ●
六戦目:S2 独軍 △(不戦勝)
七戦目:S7 米軍 ●
八戦目:S3 米軍 ○

今回のリーグ戦で対戦くださいました信長様、いりやっく様、bog cat様、Hiro様、Goma様どうもありがとうございました。
ASL-SKリーグ戦2010もあるようですので、またよろしくお願いいたします。

それではまた。
  1. 2010/04/03(土) 21:11:57|
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AquariumClock 2

プロフィール

舞方雅人

Author:舞方雅人
(まいかた まさと)と読みます。
北海道に住む悪堕ち大好き親父です。
このブログは、私の好きなゲームやマンガなどの趣味や洗脳・改造・悪堕ちなどの自作SSの発表の場となっております。
どうぞ楽しんでいって下さいませ。

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