イアッキーノ提督が後退を決心したことで、海戦はここで終了かと思われました。
ところがこのあと、海戦は意外な展開を見せ始めます。
午後から夕方にかけ、英軍機の散発的な攻撃がイタリア艦隊を襲いました。
クレタ島からの雷撃機の攻撃は無事にしのいだものの、フォーミダブルからの再びの攻撃により、15時20分、ついにヴィットリオ・ヴェネトが魚雷一本を左舷艦尾に受けてしまいます。
浸水により速力の低下したヴィットリオ・ヴェネトでしたが、幸い応急修理により20ノットに復活。
西に向け後退していきます。
しかし、イタリア艦隊の不運はここから始まりました。
19時58分、またしても英軍機の攻撃により、ザラ級重巡洋艦ポーラに魚雷が命中してしまいます。
ポーラはこの魚雷により行動不能となり、艦隊から遅れることになりました。
イアッキーノ提督は日没で英軍機の空襲も無くなったと判断したのか、巡洋艦隊にポーラの救援に向かうように命じました。
提督の手元には英軍艦隊の情報がなかったらしく、砲撃戦になるとはまったく予想していなかったといわれます。
ポーラの救援に向かったのは、同じザラ級重巡洋艦のザラとフューメ、それに駆逐艦が四隻でした。
20時15分、戦場から離れていたウィッペル提督の英軍巡洋艦隊がレーダーでポーラを捕捉します。
続いて22時過ぎには英軍地中海艦隊の戦艦ヴァリアントも、レーダーでポーラを捕捉しました。
ちょうどその頃、イタリア艦隊のザラとフューメがポーラの救援に到着。
動けないポーラを曳航しようとしていたところでした。
22時27分、まず戦艦ウォースパイトが主砲を発射。
続いてヴァリアントとバーラムの二隻の戦艦も主砲を発射します。
三隻もの戦艦の砲撃を受けたイタリア艦隊はひとたまりもありませんでした。
相手は戦艦であり、こちらは重巡とはいえ巡洋艦です。
まともな勝負にはなりません。
フューメとザラの二隻の重巡洋艦はほとんどなすすべないままに短時間で大破炎上してしまいました。
フューメはそののち沈没。
ザラも英軍駆逐艦の魚雷で止めを刺されます。
ポーラも乗員が退艦した後に魚雷で沈められました。
他にイタリア駆逐艦二隻もこの戦いで沈没しております。
優秀なザラ級の重巡洋艦は、こうして同型四隻中三隻が一瞬にして失われました。
イアッキーノ提督はただ残りの艦隊を率いてトレントに引き揚げるしかありませんでした。
この「マタパン岬沖海戦」以後、イタリア艦隊は積極的な行動をすることはほとんどなくなりました。
英軍は地中海の制海権をほぼ手中にしたと言ってよく、艦隊がイタリア艦隊に悩まされることはなくなったのです。
このことは独伊の北アフリカへの補給路が英軍に脅かされることにつながり、北アフリカの戦いの帰趨を左右することになりました。
味方艦の救援が不運にも敵と遭遇してしまうという状況ではありましたが、英国艦隊に対する情報の不備が結局この事態を招いてしまったように思えます。
やはり情報は重要ですね。
それではまた。
- 2009/07/31(金) 21:11:40|
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