夕べに引き続き「ホーリードール」の29回目です。
お楽しみいただければ幸いです。
29、
甘い液体が喉の奥に滑り込む。
あ・・・
その瞬間、百合子の躰に震えが走った。
決して悪寒ではない。
それどころかとても甘美な震えだ。
ああ・・・
全身の力が抜けていく。
とろりと甘く、それでいてさわやかな液体。
もっと・・・
無意識に求めてしまう。
百合子はいつの間にかレディベータの舌に自らの舌を絡めているのだった。
ドクン・・・
心臓が跳ね上がる。
あ・・・
百合子の目から光が消える。
ドクン・・・
スーッと心が冷え込んでいく。
ドクン・・・
あ・・・ら?
私・・・いったい?
百合子は何がなんだかわからない。
まるで周りには何もなくなってしまったかのようだ。
あれは・・・?
百合子の目の前に黒いものが現れる。
あれは何?
黒いものは百合子の前で突然金色に輝く目を開く。
ひっ!
息を飲む百合子。
だが、なぜかその金色の二つの目から目をそらすことができない。
それどころか、その目にまるで吸い込まれそうに感じていることに気が付いていた。
あの目・・・どこかで・・・
心の奥底がえぐられる。
彼女自身も忘れていた心の奥底。
それが今じわりと広がっていた。
ああ・・・そうだわ・・・
あれはいつだったろう・・・
両親に連れられて行った動物園。
檻の向こう側にいた美しい獣。
真っ黒の毛皮を身にまとい、金色の目で周囲をにらみつけていた。
しなやかな躰で隙のない動きをして獲物を選り分けるかのように人間を見下していた。
本来なら檻の中で身を守るべきは人間のほう。
なのになぜあの獣は檻の中で人間をにらみつけているのだろう・・・
檻の中の獣と目が合った。
そうだわ・・・
この目だった・・・
金色の輝くこの目。
すごく美しかった。
しなやかで・・・
それでいて獰猛で・・・
黒い毛皮がとても美しかった・・・
そうよ・・・
私もあんなしなやかで強靭な躰が欲しかった・・・
美しい黒い毛皮が欲しかった・・・
獲物を選り好みして引き裂く強さが欲しかったのよ・・・
私は欲しかったの!
ドクン・・・
「あ・・・が・・・」
百合子の背筋がピンと伸びる。
かけていたメガネが床に落ちる。
口が裂け、犬歯がめきめきと音と立てて尖っていく。
瞳は縦に細くなり、金色に輝き始める。
耳も尖り、鼻はちょんと突き出てふるふると震えるひげが伸びていく。
両手の爪も鋭い鉤爪へと変化し、着ているものを引き裂いていく。
「あ・・・ぐ・・・ぐる・・・ぐるる・・・」
うなり声を上げながら、百合子の躰は変わっていく。
女性のラインを残しながら、黒い毛皮に覆われたしなやかな肉食獣へと変わっていくのだ。
「ふーん・・・先生の闇は黒猫なんだ。いや、ちょっと違うわね。もしかして黒豹かしら」
見た目は悪くないものの、さえない女性教師とばかり思っていた縁根先生にこんな闇があるとは驚きだった。
だが、ドーベルビースト同様、しなやかな肉食獣のビーストは悪くない。
レディベータは目の前で変化していく百合子を笑みを浮かべて見つめていた。
「グル・・・グルルル・・・」
四つんばいになりうなり声を上げるビースト。
金色の目がらんらんと輝き、お尻から伸びた尻尾がゆらゆらと揺れている。
鋭い爪と牙が獲物を引き裂きたくてうずうずしているようだ。
もはや縁根百合子はそこにいない。
いるのは闇に心を犯され、肉体までも変えられてしまった邪悪なビーストがいるだけだった。
「うふふ・・・さしずめブラックパンサービーストってところかしら」
レディベータが近寄り、ビーストの喉を撫でてやる。
「グルルル・・・」
「うふふ・・・可愛いビーストになったじゃない。気に入ったわ。餌にするのはもったいないけど、さあ、光の手駒をおびき寄せるのよ。存分に暴れなさい!」
躰をすり寄せ喉を鳴らすビーストに、レディベータは命令する。
「グアゥ!」
ブラックパンサービーストは一声うなると、体育用具室の扉を開け、学校内に飛び出した。
「うふふふ・・・これでここは血の海ね」
レディベータの口元が笑いに歪んだ。
「きゃあー」
「いやぁー」
「うわーん」
さまざまな声が交錯する。
授業中に突然教室に入ってきた巨大な黒い獣が、いきなり教師に飛び掛ったのだ。
喉を噛み切られた教師はその場で絶命し、血しぶきを撒き散らす。
生徒たちはあまりのことに悲鳴を上げて逃げ惑う。
それを黒い獣は次々と爪と牙で切り裂いていった。
「グルルル・・・タノシイ・・・タノシイワァ・・・」
返り血で血まみれになりながら、ブラックパンサービーストは興奮を隠しきれない。
逃げ惑うガキどもを殺していく。
それがこんなに楽しいことだったなんて。
鉤爪で引き裂き牙で食いちぎる。
躰はとてもしなやかで強靭。
自分がこんなにすばらしい存在になれたなんて・・・
最高。
最高だわぁ。
生まれ変わった百合子はその肉体のすばらしさを存分に味わっていた。
「目が覚めた?」
直立不動で立ち尽くす青い少女。
その目はじっと目の前にいる白いドレスの女性に注がれている。
「はい、ゼーラ様」
さくらんぼのような可愛い唇が言葉をつむぐ。
ゼーラは仕上がりに満足した。
「それでいいわ。さあ、アスミもいらっしゃい」
優雅な仕草が赤い少女を差し招いた。
「はい、ゼーラ様」
脇にじっと控えていた少女がスッと青い少女の隣に立つ。
その様子はさながら一幅の絵画のようだ。
「んーん、いい感じだこと。さあ、お行きなさい。また闇が広がりを見せているわ。聖なる戦士の力で闇を浄化するの。いいわね」
目の前に少女たちに惚れ惚れするゼーラ。
この娘たちはこれまでのドールとはわけが違う。
じっくり念入りに調整した一級品。
闇の脅威に充分対処できるはず。
大いなる闇め・・・
この娘達の力を見るがいいわ。
「「かしこまりましたゼーラ様」」
口をそろえて一礼する二人のドール。
白い光の空間から姿を消す二人に、ゼーラは笑みが浮かぶのを止められなかった。
- 2009/07/09(木) 21:58:27|
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