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舞方雅人の趣味の世界

あるSS書きの日々

ナポレオンの栄光

200年前の今日、1809年の7月5日は、ナポレオン率いるフランス軍とカール大公率いるオーストリア軍がウィーンの近くにあるドナウ川北岸の町ワグラム近郊で戦った、「ワグラムの戦い」のあった日です。

1809年4月に、英国と第五次対仏大同盟を結んだオーストリアは、フランスに対し再び宣戦を布告します。
海上とスペインとで英国に苦戦を強いられていたフランス軍でしたが、ナポレオンの反応は早く、「エックミュールの戦い」でオーストリア軍を撃破。
ウィーンが陥落してしまいます。

しかし、オーストリア軍主力と対峙した5月の「アスペルン・エスリンクの戦い」では、逆にオーストリア軍にフランス軍は痛撃を受け、敗北を喫しました。

その後しばらく膠着状態が続きましたが、フランス軍にはイタリア軍やポーランド軍などの支配下同盟国軍が到着し、約十八万もの大兵力をそろえました。
一方のオーストリア軍も約十五万の兵力を整え、両軍はこのワグラムで衝突することになったのです。

7・5(1)
写真はタクテクス誌47号(ホビージャパン/SPI)の付録に付いた「ワグラムの戦い」の初期配置です。
手前の青いユニットがフランス軍。
奥の広く展開しているクリーム色のユニットがオーストリア軍です。
オーストリア軍は丘の上に陣取っており、防御を固めているという感じですね。

7・5(2)
右側のGdという4-6c騎兵が皇帝ナポレオンの直卒部隊、いわゆる親衛隊ですね。
近くには5-4のOlGd(老親衛隊)と3-4のYoGd(若年親衛隊)も布陣してます。

7・5(3)
川を挟み丘の上に陣取るオーストリア軍。
がっちりと固めてます。

7月5日、6日の両日に渡った戦いは、序盤フランス軍の攻撃が失敗し、オーストリア軍が反撃に出たため、フランス軍は窮地に追い込まれます。
左右両翼からの挟撃に遭いそうになったフランス軍でしたが、オーストリア軍中央部へのナポレオンの仕掛けた突破攻撃が見事に功を奏し、逆転に成功。
オーストリア軍は中央から左右に分断され、逆に各個撃破の態勢に追い込まれてしまいました。

結局約四万もの損害を出したオーストリア軍は敗北。
一方のフランス軍も三万二千ほどの損害を出しており、勝利は得たものの大きな犠牲を払ったのでした。

私が以前フランス軍側でプレイしたときには、逆転をすることもできずにそのまま敗北しちゃいましたので、やはりナポレオンはすごいなぁと思ったものです。
またいつかどなたかと対戦したいものですね。

それではまた。
  1. 2009/07/05(日) 20:09:29|
  2. ウォーゲーム
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舞方雅人

Author:舞方雅人
(まいかた まさと)と読みます。
北海道に住む悪堕ち大好き親父です。
このブログは、私の好きなゲームやマンガなどの趣味や洗脳・改造・悪堕ちなどの自作SSの発表の場となっております。
どうぞ楽しんでいって下さいませ。

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