第二次世界大戦中にアメリカが大量生産し、米英連合軍の主力戦車となったM4中戦車ですが、各型合計約五万両もの数が作られたこともあり、実に多くのバリエーションがありました。
また、ドイツ軍のように一つの車種を改良していき、バージョンアップしていくことで形式名が変わる(A型→B型→C型のような)というものではなく、基本的要目さえ一緒なら、あとは各生産工場の得意な作り方に任せるというものでしたので、各バリエーションがほぼ同時期に平行生産されていたのも、M4中戦車の特徴でした。
では、ざっとM4中戦車のバリエーションを書き出してみます。
M4
航空機用の星型ガソリンエンジンを搭載し、装甲板を溶接で作った角型車体を持つタイプ。
M4中戦車のおおもととなるものですが、先に述べたように、この戦車を改良してA1やA2が作られたわけではありません。
75ミリ砲搭載型と105ミリ榴弾砲搭載型がありました。
英軍での呼び名はシャーマンⅠ。
ちなみにM4中戦車のシャーマンという愛称は英軍がつけたもので、のちに米軍兵士もそう呼ぶようになったのでした。
M4A1
M4と同じ星型エンジンを搭載しているものの、車体は鋳造で作られた丸みを帯びた車体を持つタイプ。
M4を差し置いて、一番最初に量産が始まったのが、このA1でした。
丸みを帯びているので、見分けやすいタイプです。
75ミリ砲搭載型とより徹甲弾の貫徹力を増した76.2ミリ砲搭載型が作られました。
英軍呼称シャーマンⅡ。
M4A2
M4とM4A1は航空機用の星型エンジンを搭載しているため、戦争での航空機増産によって、エンジンの入手が困難になることが予想されました。
そこで陸軍は、M4中戦車に星型エンジン以外のパワープラント搭載を求め、いくつものバリエーションができることになります。
その中で、民間トラック用のディーゼルエンジンを二基結合して搭載したのがM4A2でした。
車体は装甲板を溶接した角型車体となってます。
ただし、使用車両を補給などの観点からガソリンエンジンで統一するという当時の米陸軍の方針から、M4A2は陸軍では使用されず、米海兵隊とレンドリースによって英軍やソ連軍で使われました。
75ミリ砲搭載型と76.2ミリ砲搭載型が作られました。
英軍呼称はシャーマンⅢ。
M4A3
フォード社が開発したV型八気筒ガソリンエンジンを搭載したタイプ。
車体は溶接の角型車体です。
このエンジンは星型エンジンより整備性もよくトルクも勝っていたので、米軍の主力タイプとされました。
そのためレンドリースなどにはほとんど回されず、大戦中には米軍以外での使用はほとんどされませんでした。
バリエーションが多く、75ミリ砲搭載型や76.2ミリ砲搭載型、105ミリ榴弾砲搭載型や装甲を分厚くした前線突破型のM4A3E2なども作られました。
M4A3E2は前面装甲が152ミリにも達してます。
英軍呼称はシャーマンⅣ。
M4A4
M4シリーズの変り種の一つ。
エンジンになんとバス用のガソリンエンジンを五基も束ねて一つのエンジンにしてしまったというクライスラーA57マルチバンクエンジンを搭載したタイプ。
車体は溶接の角型車体ですが、エンジンが巨大だったために今までの車体では入りきらず、少し長さを延長しております。
そのため、転輪の位置などが広がってしまったことで、これまた見分けやすいM4系列となりました。
ところが残念なことに、五つのエンジンをまとめて一つにしているので非常に複雑で整備などに手間がかかると判断され、米陸軍は採用に二の足を踏んでしまいました。
エンジンそのものの問題点は、すでにあらかた解決済みだったのですが、やはりその複雑さが敬遠されたのです。
ですが、一両でも戦車が欲しい英軍が手を上げてくれたため、M4A4はそのほとんどが英軍及び英連邦軍で使用されることになります。
実際に運用した英連邦軍では、整備性や故障が問題になることはほとんどなく、かえって同時期の英軍戦車よりも故障が少ないと重宝されました。
75ミリ砲搭載型のみが作られましたが、英軍の手で17ポンド砲を搭載され、ファイアフライになった車両も存在します。
(ファイアフライのベース車両には他にもM4を使ったものがありますが、多くはM4A4でした)
英軍呼称はシャーマンⅤ。
他にも幾種類かあるのですが、大まかなところではこんなものです。
また英軍の呼称方式も面白く、方式がわかれば、名前だけでどんな車両かすぐにわかります。
ローマ数字だけでほかに何も付かなければ、75ミリ砲搭載型。
ローマ数字のあとにAが付くと、76.2ミリ砲搭載型。
ローマ数字のあとにBが付くと、105ミリ砲搭載型。
ローマ数字のあとにCが付くと、17ポンド砲搭載のファイアフライなのです。
つまり、シャーマンⅡAは、M4A1の76.2ミリ砲搭載型で、シャーマンⅤCはM4A4に17ポンド砲を搭載したファイアフライとなるのです。
米英両軍だけでなく、自由フランス軍や自由ポーランド軍、さらにはソ連軍でも使用されたM4中戦車こそ、連合軍の物量の象徴だったといえるでしょうね。
それではまた。
- 2009/07/06(月) 21:38:42|
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200年前の今日、1809年の7月5日は、ナポレオン率いるフランス軍とカール大公率いるオーストリア軍がウィーンの近くにあるドナウ川北岸の町ワグラム近郊で戦った、「ワグラムの戦い」のあった日です。
1809年4月に、英国と第五次対仏大同盟を結んだオーストリアは、フランスに対し再び宣戦を布告します。
海上とスペインとで英国に苦戦を強いられていたフランス軍でしたが、ナポレオンの反応は早く、「エックミュールの戦い」でオーストリア軍を撃破。
ウィーンが陥落してしまいます。
しかし、オーストリア軍主力と対峙した5月の「アスペルン・エスリンクの戦い」では、逆にオーストリア軍にフランス軍は痛撃を受け、敗北を喫しました。
その後しばらく膠着状態が続きましたが、フランス軍にはイタリア軍やポーランド軍などの支配下同盟国軍が到着し、約十八万もの大兵力をそろえました。
一方のオーストリア軍も約十五万の兵力を整え、両軍はこのワグラムで衝突することになったのです。

写真はタクテクス誌47号(ホビージャパン/SPI)の付録に付いた「ワグラムの戦い」の初期配置です。
手前の青いユニットがフランス軍。
奥の広く展開しているクリーム色のユニットがオーストリア軍です。
オーストリア軍は丘の上に陣取っており、防御を固めているという感じですね。

右側のGdという4-6c騎兵が皇帝ナポレオンの直卒部隊、いわゆる親衛隊ですね。
近くには5-4のOlGd(老親衛隊)と3-4のYoGd(若年親衛隊)も布陣してます。

川を挟み丘の上に陣取るオーストリア軍。
がっちりと固めてます。
7月5日、6日の両日に渡った戦いは、序盤フランス軍の攻撃が失敗し、オーストリア軍が反撃に出たため、フランス軍は窮地に追い込まれます。
左右両翼からの挟撃に遭いそうになったフランス軍でしたが、オーストリア軍中央部へのナポレオンの仕掛けた突破攻撃が見事に功を奏し、逆転に成功。
オーストリア軍は中央から左右に分断され、逆に各個撃破の態勢に追い込まれてしまいました。
結局約四万もの損害を出したオーストリア軍は敗北。
一方のフランス軍も三万二千ほどの損害を出しており、勝利は得たものの大きな犠牲を払ったのでした。
私が以前フランス軍側でプレイしたときには、逆転をすることもできずにそのまま敗北しちゃいましたので、やはりナポレオンはすごいなぁと思ったものです。
またいつかどなたかと対戦したいものですね。
それではまた。
- 2009/07/05(日) 20:09:29|
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夕べはいつものようにGoma様との通信対戦でのASL‐SK対戦。
ちょこちょこと進めていたシナリオS24がようやく終わりました。
負けました。
完膚なきまでに負けました。
久しぶりの大敗でした。
このシナリオは、1944年のバグラチオン作戦の一局面を切り取ったもので、エリート分隊を含むソ連軍部隊が、レンドリースで送られて来ていたアメリカ製M4A2の大量援護の元で集落を確保しようとする戦いを表したものです。
独軍は、機関銃に支援された六個分隊と、この時期にはすでに威力不足が否めない5センチPAKが初期戦力ですが、5センチPAKといえども運用次第ではM4A2を痛撃することが可能であり、さらには1ターン目の増援として505重戦車大隊のティーガー後期型一両と三号N型支援戦車一両が加わります。
その上3ターン目にはエリートの突撃工兵もやってくるので、守備兵力としては充実しており、ソ連軍としては歩兵と戦車の協同で何とか独軍を蹴散らさなくてはなりません。
今回は攻撃側のソ連軍を私が、守備側の独軍をGoma様が担当しました。
ソ連軍としては、六両あるM4A2の半数は失うものと覚悟して望んだゲームでしたが、今回はあまりにも失いすぎました。
序盤、独軍歩兵を蹴散らそうとついつい接近してしまい、パンツァーファウストでいきなり二両も失うはめに。
対戦車砲にも一両破壊され、ティーガーににらまれた一両もあえなく昇天。
さらに一両をパンツァーシュレックに撃破されるというていたらく。
こうなると歩兵の援護どころではありません。
戦車の支援を受けられないソ連歩兵は、独軍の銃火を浴びなくては前進できず、いくつも混乱させられてしまいます。
勝利条件建物の半数は奪ったものの、そこで力尽きました。
最後は一両残ったM4A2と、ソ連軍のエリート歩兵が一個分隊のみ。
独軍に守りきられてしまいました。
携帯用対戦車兵器(パンツァーファウストとパンツァーシュレック)の命中率を読み違えておりました。
もう少し使い勝手が悪いかと思ったのですが、意外と命中するものだと思い知らされました。
特にM4A2は車体が大きく、相手の命中判定を1有利にしてしまうのが大きいですね。
しかもパンツァーファウストの破壊力は凄まじく、当たればまず撃破されてしまいます。
不用意に独軍歩兵に近づいてはいけないですね。
次回は入れ替え戦です。
今度は負けないぞー。
- 2009/07/04(土) 20:43:59|
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第一次世界大戦で防御拠点に陣取った機関銃の威力をまざまざと見せ付けられた各国陸軍は、歩兵突撃の支援として敵の機関銃座を近接砲撃する歩兵支援用の火砲、いわゆる歩兵砲を装備することが多くなりました。
ドイツもその例に漏れず、二種類の歩兵砲を支援用火砲として装備します。
一つは7.5センチleIG18歩兵砲。
威力充分でありながら小型の砲であり、ドイツ歩兵の頼もしい味方として大戦全期間に渡り活躍しました。
もう一つが15センチ重歩兵砲sIG33。
口径が15センチもある大口径の歩兵砲で、弾丸重量も重いものは40キロもある榴弾を撃ちだせるため、一撃で少々の建物でしたら吹き飛ばせるほどの威力のある歩兵砲でした。
射程は少々物足りないものの、頑丈で信頼性が高く、威力の高さからも評判のよい火砲でしたが、どうしても大口径で頑丈であるために重量が重く、戦闘状態で1.7トンを超える重さがありました。
この重量のため、移動には牽引車や多くの馬匹が必要となり、一度布陣してしまうと容易には位置変更ができません。
歩兵とともに前進して、敵のトーチカや敵が立て篭もる頑丈な建物を一撃で粉砕することを求められる歩兵砲としては、重量が過大だったのです。
自由に動かせる重歩兵砲が欲しいと考えたドイツ軍は、当然のようにこの15センチ重歩兵砲sIG33の自走砲化をはかりました。
1930年代末に始まった開発は、1939年のポーランド戦には間に合いませんでしたが、次に控えている西方電撃戦(オランダ・ベルギー・フランス侵攻作戦)には間に合わせるべく、極力少ない改造での自走砲化を目指すことになります。
車台としては、訓練用としてまた実用戦車として量産されてきた一号戦車が選ばれました。
再軍備以後、ドイツ機甲師団の中核的存在だった一号戦車でしたが、すでに機関銃だけの武装では威力不足は明らかであり、第一線の戦車としては使い物にならなくなってきていたため、有効利用の一環として自走砲の車台としての利用がはかられたのです。
開発にあたったアルケット社は、自走砲化にあたり極力改造部分を少なくして、開発時間の短縮に務めました。
そのため、のちのドイツ軍の自走砲とは違い、15センチ重歩兵砲sIG33をなんとほぼ無改造のまま砲塔を取り外した一号戦車の車体に載せるという荒業を採用します。
つまり、砲身と砲の基部だけを載せるのではなく、車輪も脚部も防盾までもはずさずにドンと載せちゃったのです。
ただ、そのまま一号戦車の車体に載せるわけには行かなかったので、一号戦車の方には補強材を載せたそうですが、それにしても無理やり載せちゃったと言っても過言ではありません。
そして、操作する砲兵の防御のために前側と左右に装甲板を張りますが、重歩兵砲の車軸が出っ張っているために、左右の装甲板にもその部分だけポコンと出っ張りを作らざるを得ませんでした。
装甲板自体は厚さ10ミリのもので、小銃弾や砲弾の破片からの防御程度のものでした。
このようにある意味やっつけ仕事的な自走砲でしたが、完成した一号自走重歩兵砲は西方電撃戦において実戦に投入され、大いに活躍することになります。
重歩兵砲の威力と自走できる強みが遺憾なく発揮されたということでしょう。
一号自走重歩兵砲は、わずか一ヶ月間という期間で38両が完成し、西方電撃戦以後はバルカン作戦やバルバロッサ作戦にも投入されました。
そしてそこでも活躍をするのですが、早期にほとんどが失われてしまいました。
自走重歩兵砲という車両のため、比較的前線で運用されることが多く、戦闘で失われるものも多かったのですが、元となった一号戦車は約6トンという重さだったのに対し、一号自走重歩兵砲は砲の重さ分重量がかさみ、約8.5トンにも達しておりましたため、足回りに対する負担が大きく、機械的故障で失われたものも多かったと思われます。
ですが、自走重歩兵砲という車両の有効性は疑いようもなく、ドイツ軍はこれ以後終戦までいくつもの同種の自走重歩兵砲を開発していくことになりました。
まさにその第一号だったということですね。
それではまた。
- 2009/07/03(金) 21:13:29|
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先日、妹からマンガを貸してもらいました。
表紙にはなんだかよくわからない連中がいっぱい。
アップになっているやつは「世界征服とかにキョーミない?」とか言っちゃってるし。(笑)
タイトルは「天体戦士サンレッド」
月刊誌「少年ガンガン」で一世を風靡した「GOGOぷりん帝国」の作者くぼたまこと氏のマンガです。
今まで読んだことなかったのですが、「GOGOぷりん帝国」は面白かったし好きだったし、今回貸してくれるというので読んでみることにいたしました。
現在八巻まで出ているということで、全部借りて読んでしまったんですが、いいですねー。
「GOGOぷりん帝国」に通じるくぼたまこと氏の味がたっぷりと出てますね。
舞台は関東の一地方。
(どこかはもろバレなんですけどね)
世界征服をたくらむ悪の組織フロシャイムの一支部がそこにある。
あるのだが・・・
世界征服をたくらむわりには、まだ征服していないからと律儀に税金を納めたり、近所付き合いは大切だということで町内会の集会などには必ず顔を出したりと、悪の組織らしからぬところが大好きです。
正義のヒーローサンレッドも、普段からマスク顔なくせに短パンにTシャツというすごくラフな格好でいたり。
で、むちゃくちゃ強いわりに女性に養ってもらってたりと、アンバランスこの上ない。
とにかく、なんと言うかいい意味で脱力系の楽しいマンガです。
知らなくて損してたなぁ。
単行本の途中途中には、ヴァンプ将軍の一品料理のコーナーがあり、いつもお金がかからないわりには美味しそうな料理が紹介されてます。
ご飯のおかずにもお酒の肴にもなりそうなものが多いです。
現在も「ヤングガンガン」に連載中とのこと。
単行本、買おうかどうか悩むなぁ・・・
それではまた。
- 2009/07/02(木) 21:39:41|
- 本&マンガなど
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ココロの小さいころの夢は中枢になることでした。今は舞方雅人さんの使用になりたい……なんて冗談です
*このエントリは、
ブログペットのココロが書いてます♪
- 2009/07/02(木) 07:49:14|
- ココロの日記
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今日から7月。
一年間も後半戦がスタートです。
個人的にも7月はこのブログの開設月なので、今年は丸四年到達と170万ヒット到達が相次いで来ちゃいそうなので、大変かもと思ってます。

今月のグランドパワーを手に入れてきました。
こちらが表紙です。
今月の特集は「太平洋戦争の日本戦車写真集」です。
太平洋戦争では、序盤はともかく中盤以降はM3中戦車やM4中戦車を相手にしなくてはならなかった日本戦車ですので、やはり破壊された写真が多いですね。
後継車両を戦力化できず、主力が97式や97式新砲塔ではどうしてもM4とまともには戦えませんでしたから、南の島々で撃破されてしまった戦車がなんと多いことか・・・
ですが、日本の戦車もいいですよね。
相手が悪すぎました。
面白そうな記事が、「フィンランドの三号突撃砲」という記事ですね。
第二次大戦中に三号突撃砲はいくつかの国に輸出されましたが、フィンランドも輸入して対ソ連戦に有効に使用したとのこと。
どのような活躍をしたのか後でじっくり読んでみます。
「日本軍の火砲」15回目は野戦重砲や榴弾砲。
このシリーズ記事は、日本軍の火砲を特集してくれるのでうれしいですね。
今日はこんなところで。
それではまた。
- 2009/07/01(水) 21:18:14|
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