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舞方雅人の趣味の世界

あるSS書きの日々

西南戦争(12)

2月22日はこうして暮れました。
薩軍は植木において官軍の乃木隊に痛撃を与えましたが、熊本城は落とすことができませんでした。

本荘に集まった薩軍幹部たちは、ここで今後の対策を話し合います。
このまま熊本城に対する強襲を続けるべきか、それとも放置して先へ進むか、会議は紛糾しました。

篠原国幹は断固強襲を主張します。
たとえここで兵力の半数が失われようと、城を落としたという政治的意義は大きい。
薩軍の勇猛さに勢いを得たほかの不平士族たちがあちこちで決起し、政府は結局屈することになるだろうというのがその理由でした。

一方野村忍助は強襲に反対し、包囲したままにとどめるべきだと主張しました。
熊本城を攻撃し続けることで薩軍の兵力は疲弊し、数も失われてしまうのを恐れたのです。
それよりも少数の兵力で包囲し続ければ、やがて熊本城は食料が尽き落城せざるを得ず、本隊はその間に長崎や小倉を押さえるべきだというのが野村の主張でした。

威勢のいい篠原の強襲案に一度は会議の流れが傾いたものの、野村の意見ももっともだとして、西郷小兵衛や池上四郎が賛成に回り、じょじょに包囲策に流れ始めます。
お互いの主張が対立しあい、会議はいつ果てることなく続くかと思えました。
桐野はここでまたしても西郷隆盛に下駄を預けます。
西郷は黙って会議の内容を聞いておりましたが、しばらく考えたのち、強襲中止の断を下しました。
熊本城は包囲するにとどめることになったのです。
すでに官軍の一部が向かってきている以上、熊本城強襲に時間をかけるのは得策ではないと判断したのかもしれません。

ところが、翌2月23日も薩軍は熊本城に攻撃を仕掛けます。
中止になったはずの強襲がなぜ続けられたのか、このことは謎の一つといわれますが、もう一押ししてみようという意識が働いたのかもしれません。
何とか落とせるものなら落としたかったのでしょう。

ですが、やはり鎮台兵による防御は容易に崩せるものではありませんでした。
23日も丸一日攻撃に費やした薩軍でしたが、やはり熊本城に取り付くことはできませんでした。

一方、千本桜から木葉に部隊を移した官軍の乃木希典少佐は、軍旗の行方を案じて一睡もできない夜を過ごしました。
早朝、乃木は部下たちに朝食を取らせ、周囲に偵察隊を派遣します。
その中の誰かが無事に軍旗を見つけてきてくれないだろうかと、おそらく乃木は思っていたことでしょうが、偵察隊のもたらしたのは、薩軍の接近でした。

薩軍は、植木に現れた乃木隊が、思ったよりも小数であることを知り、一気に撃滅するべく援軍を送ってきておりました。
新たに六個小隊ほどが応援に駆けつけ、植木の薩軍は約千八百ほどに増強されます。
薩軍は、このあたり一帯を押さえることで、官軍主力に対しても有利に戦えると判断し、木葉にいる乃木隊を攻撃するべく向かってきていたのでした。

三方向から木葉に向かってくる薩軍に対し、乃木隊には約七百ほどの兵力しかありませんでした。
吉松少佐の第三大隊を中核に、ようやく追いついてきた宇川大尉の部隊や津森大尉の部隊なども合流しましたが、それでも薩軍の半分にも足りません。

それでも乃木はここで薩軍を迎え撃つべく、兵を布陣させました。
そして薩軍の動きを探るため、再度偵察隊を出しますが、この偵察隊が薩軍と接触。
交戦しながら木葉の陣地に後退してくることになります。

偵察隊を追ってきた薩軍と、布陣した乃木隊が交戦を開始したのは午前8時30分ごろでした。
昨晩のような闇の中での戦いではなく、明るい中での射撃戦でしたが、逆に敵の姿が見え隠れするため、官軍の若い兵士は恐怖に駆られてむやみやたらに射撃する者が続出でした。
手持ちの弾薬はすぐに尽き、近くに用意された弾薬箱もみるみる空になって行きます。
乃木も吉松少佐も声をからして無駄弾を撃つなと命じますが、兵士たちには届きません。

薩軍の攻撃により乃木隊はじょじょに追い詰められて行きました。
午後には三方向からの薩軍が全て到着し、乃木隊は倍以上の兵力に晒されることになってしまいます。
第三大隊長の吉松少佐は必死の防戦に勤めますが、兵力差はいかんともしがたく、乃木に何度も兵力派遣を要請せざるを得ませんでした。

とはいえ乃木の手元に兵力があるわけではありません。
乃木は自ら吉松少佐の元へ行き、兵力の余裕がないことを伝えます。
吉松少佐は前線まで出てきた乃木に、多勢に無勢でこれ以上はと退却を進言しました。
信頼する部下である吉松少佐よりの進言に、乃木も退却もやむなしと決断。
高瀬まで退却することにいたします。

後退の指揮を取るため、乃木は吉松少佐と別れます。
二人にとっては最後の別れでした。
この後の後退戦で、吉松少佐はついに還らぬ人となったのです。

高瀬に向かって後退する乃木隊は、迂回してきた薩軍に側面を奇襲されます。
薩軍の射撃は乃木の乗馬を撃ちぬき、乃木は落馬してしまいます。
そこへ薩軍が殺到し、乃木の周囲で壮絶なる白兵戦が繰り広げられました。

乃木はいく人もの将兵にかばわれながら、命からがら脱出します。
しかし、吉松少佐以下多くの部下を死なせてしまったことで、またしても深い苦悩を背負うことになったのでした。

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  1. 2009/06/30(火) 21:12:54|
  2. 西南戦争
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新たなリンクのご報告

また一軒新たなリンク先が増えました。

双刃雛鳥様のブログ、「雛鳥の妄想日々」様でございます。
(ブログ名をクリックすることでリンク先に飛ぶことができます)

雛鳥の妄想日々」様は、悪堕ちや洗脳奴隷化などを好まれる双刃雛鳥様がSSなどを発表されていらっしゃるブログでして、オリジナル仮面ライダー系のお話なども展開中です。

今回、双刃雛鳥様は、なんと相互リンク記念にうちのキャラでSSを書いて下さいました。
「悪の組織を作ろう」の瀧澤翔君が、またしてもなにやら動きを見せてくれます。
作品はこちら→「無駄な抵抗
(作品名をクリックすると作品に飛べます)

皆様もぜひ一度足をお運びいただければと思います。
双刃雛鳥様、記念SSありがとうございました。
今後ともよろしくお願いいたします。

さて、今日はプロ野球オールスターゲームのファン投票の結果が発表されましたね。
皆様すでにご存知と思いますが、セ・リーグでは広島カープが五部門を制覇。
広島ファンの皆様にとってはうれしい朗報でしょう。
このところちょっと負けが込んでいるとは言うものの、ここまでの成績は悪くありません。
新球場効果が出ているのでしょうか。

パ・リーグでは北海道日本ハムが四部門で選ばれました。
指名打者の項目で二岡選手が選ばれたのは驚きです。
ぜひともセ・リーグ相手にがんばってほしいものです。

我が阪神はというと、ここまでの成績が示しているように、今年はついに一人も選ばれることがありませんでした。
抑えの藤川投手や外野の金本選手などの常連も今年は落選。
やはり成績ゆえでしょうね。

これから監督推薦がありますが、二人ぐらい選ばれるかなぁ。
このオールスター休みを利用してミニキャンプぐらいしたほうがいいのかも。
暗黒時代の再来だけは勘弁してー。

と、言うことで今日はこんなもので。
それではまた。
  1. 2009/06/29(月) 21:11:50|
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今日は二連敗

今日は「札幌歴史ゲーム友の会」にお邪魔させていただきました。

今日の札幌は結構暑く、汗かきの私は汗だくでのプレイでした。

6・28(1)
まずはHIRO会長とエポックの「日露戦争」を対戦。
HIRO会長が日本軍を、私がロシア軍を担当しました。

このゲーム、すでにクラシックゲームの部類なのですが、実は私もHIRO会長もそれほどプレイ経験がなく、ところどころルールを間違えてのプレイとなってしまいました。
ロシア軍は早期に旅順艦隊を出撃させ、日本軍の輸送ポイントを減らしますが、5ターン目にはピンゾロで旅順艦隊が壊滅。
日本軍に大幅なフリーハンドを与えてしまいます。

6・28(3)
日本軍は峠越えばかりでなく、営口からの上陸でロシア軍の背後に迫ります。
ロシア軍は一方的後退を余儀なくされ、遼陽が陥落し、奉天も風前の灯に・・・
善戦していた旅順も28センチ砲の集中射によって陥落。
12ターンで投了となりました。

その後は同じくHIRO会長とタクテクス誌付録のナポレオニックゲーム、「マレンゴ」を対戦します。
HIRO会長がフランス軍を、私がオーストリア軍を担当。

6・28(5)
こちらもまた、オーストリア軍がフランス軍を攻めあぐねているうちにフランス軍の増援が続々登場。
フランス軍の逆襲が始まり、オーストリア軍は次々と撃破されほぼ壊滅。
11ターンで投了となりました。

うーん・・・今日は二連敗。
残念でしたけど楽しかった。
HIRO会長、お相手ありがとうございました。

そのほかの対戦は以下の通り。

6・28(2)
SPI「PARATROOP」の「RED DEVLIS」
英軍が完膚なきまでに叩きのめされたとか。

6・28(4)
コマンドマガジン日本版「スモレンスク」
陣営を入れ替えて二度行なわれていたようです。

「札幌歴史ゲーム友の会」の皆様、本日もありがとうございました。
またお邪魔させていただきます。
  1. 2009/06/28(日) 20:39:04|
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西南戦争(11)

向坂へ向かった乃木隊の偵察隊が薩軍と接触したのは、明治10年(1877年)2月22日の夜7時ごろのことでした。
官軍の姿を認めた薩軍村田隊は、すぐさまこれに発砲。
「植木の戦い」が始まります。

乃木隊の偵察隊は少数であり、闇の中からの銃撃を受けたことですぐさま後退します。
それに対して薩軍村田隊が追撃に入りました。
乃木は、前方から射撃の音と偵察隊が後退してきたのを見聞きし、配下の兵を道の左右に展開します。
このあたりは道の左右が少し盛り土されており、兵はその盛り土の上に伏せて薩軍を迎え撃ちました。

官軍の主力小銃は元込めのスナイドル銃でした。
いちいち銃の先から弾込めをする必要がないため、発射速度は速いものでした。
一方薩軍は、火薬庫襲撃でこの戦争を始めたとはいえ、主力小銃は先込めのエンフィールド銃でした。
そのためどうしても発射速度には劣ります。

薩軍村田隊は勢いに任せて乃木隊に攻めかかりましたが、乃木の命令のもと一斉射撃が繰り返され、行き足を止められてしまいます。
薩軍も銃撃で対抗しますが、所持弾薬が少なく、やがて弾薬不足をきたしてしまいました。
やむなく村田は後退を命じ、薩軍はいったん後退いたします。

乃木隊の将兵がホッとしたのもつかの間、薩軍村田隊に伊東隊が合流。
再び薩軍が攻撃を仕掛けてきます。

小銃の能力では乃木隊に利があるものの、約二百名の乃木隊に対して薩軍は約四百と倍する兵力になったため、数で押され始めます。
薩軍は射撃から抜刀突撃に移行し、乃木隊を圧迫しました。
左右から背後に回りこまれる恐れのでてきたことで、乃木は腹心の吉松少佐と相談し後退を決定。
千本桜を集結地と決め、順次兵を後退させることにいたしました。

乃木は軍旗旗手の河原林少尉を呼び、千本桜で再集結のことを伝えて軍旗を持って後退するよう命じます。
河原林少尉は軍旗を旗竿からはずして腰に巻き、旗竿を手にして数人の部下とともに闇の中を後退して行きました。
しかし、この河原林少尉も大切な軍旗も、千本桜にはついに到着しなかったのです。

薩軍の抜刀攻撃に、士族出身ではない兵士たちはわれ先にと後退してしまいました。
しかし、士族出身の下士官や将校は必死に踏みとどまり、わずかに残った勇敢な兵士たちとともに薩軍を食い止めます。
そして機を見て後退を始めた乃木隊の残余でしたが、薩軍も激しい戦闘に疲労していたのか、追撃を行なってはきませんでした。

無事に千本桜まで後退してきた乃木でしたが、先に後退したはずの河原林少尉が来ておりませんでした。
闇夜のことゆえ時間がかかっているのだろうと思ったものの、河原林少尉と護衛が戦闘に巻き込まれるのを見たという兵もおり、乃木はいても立ってもいられなくなります。

「もし軍旗を失ったとすれば、大元帥陛下にあわせる顔が無い。引き返して軍旗を取り戻そうとするものは我に続け!」
そう言って馬に飛び乗ろうとする乃木を、下士官数人が必死に止めました。
吉松少佐も今動くのは得策ではなく、兵を休養させたのち夜が明けてから捜索したほうがよいとの意見を具申したため、乃木も心を落ち着けたといいます。
しかし、軍旗はついに乃木の元へもどることはありませんでした。

河原林少尉は薩軍との戦闘に巻き込まれて戦死し、軍旗は薩軍村田隊の手に落ちておりました。
この間のいきさつには二つの説があり、一つは伊東隊の岩切正九郎が河原林少尉を切り殺して軍旗を奪ったのち、軍夫に預けたのちそれが村田の手に渡ったというもので、もう一つが薩軍の案内役となった熊本の協同隊という部隊の高田露が植木の乃木隊本営になっていた家で見つけたのを村田に渡したというものですが、真偽のほどは不明といわれます。

どうあれ、河原林少尉が戦死し、軍旗を奪われたことは事実であり、乃木率いる小倉第十四連隊は日本陸軍初の軍旗喪失という不名誉を負うことになってしまいました。
このことは深く乃木の心に刻み付けられ、明治天皇の死に際して殉死を選ぶ大きな理由の一つになったといわれます。

のち、この奪われた軍旗は西南戦争の終結後に発見されたとのことですが、すでに小倉第十四連隊には新しい軍旗が授与されていたあとだったため、陸軍で保管されたといいます。
ただし、これまた真偽は定かではありません。

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  1. 2009/06/27(土) 21:18:35|
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驚きでした

もう皆様ニュースでご存知と思われますが、アメリカのスーパースター、マイケル・ジャクソン氏が死去されました。

まだ五十歳ということで若すぎる突然の死に驚きです。
自宅で心肺停止状態で発見されたとのことで、死因も今のところ不明だそうですね。
いったい彼に何があったのでしょうか・・・

マイケル・ジャクソン氏といえば、やはり一世を風靡した「スリラー」でしょうか。
アンデッドというかゾンビを使ってあそこまで魅せたのはさすがというしかないでしょう。
私も何度か拝見することがありましたが、イメージとしてはやはりこのスリラーがマイケル・ジャクソン氏の代表かなと思います。

いろいろとスキャンダラスなこともあり、個人的に苦しんだこともあったでしょうが、それにしても若すぎる死は残念でした。

もう一人、ファラ・フォーセットさんも亡くなられたんですね。
こちらは昨日のことだそうですが、闘病中だったということで、残念です。

病床でのライアン・オニール氏とのラブロマンスも伝えられましたが、やはりファラ・フォーセットさんといえば「チャーリーズエンジェル」でしょうか。

私はあんまり見なかったのですが、私の中学高校ぐらいの時代は、夕方3時4時台に海外ドラマの放送をやっていることが多く、「600万ドルの男」や「バイオニックジェミー」、「宇宙大作戦」に「謎の円盤UFO」といった作品が繰り返し放送されておりました。
その中の一つに「チャーリーズエンジェル」もあり、時々は見ていたものでした。

日本でもファンの多かったお二人のご冥福をお祈りします。

それではまた。
  1. 2009/06/26(金) 21:17:23|
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西南戦争(10)

当時九州の日本陸軍は第六軍管という管理下におかれ、熊本に鎮台を置き、兵力としては主力である歩兵を熊本に第十三連隊、そして小倉に第十四連隊の二つを置いておりました。
熊本の第十三連隊は、そのまま熊本城にての篭城戦に入りましたが、本来は小倉の第十四連隊もこの熊本城篭城戦に加わる予定でありました。

小倉歩兵第十四連隊の連隊長心得(れんたいちょうこころえ:正規の連隊長ではありません)は、乃木希典少佐でした。
のちの日露戦争では、日本陸軍第三軍の司令官として旅順要塞攻略の任につき、その損害の多さから後年きびしい評価を受けることになるのですが、当時はまだ28歳の若手将校で、陸軍のエリートでした。
当時の日本陸軍では、連隊長には中佐の階級の者を充てることになっており、まだ少佐だった乃木は連隊長心得と呼ばれることになったのです。
ですが、実質的には連隊長であることに違いはありませんでした。

乃木は長州出身者で、幕末の四境戦争(幕府側からは第二次長州征伐)に参加して負傷するも、その後明治になって長州藩の練兵教官などを勤めたのち明治4年に陸軍に入隊。
いきなり少佐に任命されての入隊でした。
いかに嘱望されていたかがわかります。

明治6年の政変後、世の中が不穏になってきた明治8年に、乃木は小倉歩兵第十四連隊連隊長心得に任命されました。
翌明治9年、乃木にとってはつらい出来事が起こります。
熊本で発生した不平士族の暴発「神風連の乱」に呼応して起こった「萩の乱」で、恩師と弟を失ったのでした。

このとき乃木は、乱の前に味方に付くよう説得にきた弟と語り合っています。
ついにはもの別れに終わってしまうのですが、このとき乃木が言った言葉にのちの事件の発端とも言うべき心情が語られておりました。
「私は大元帥陛下(天皇陛下)に仕える軍人である。ここにある軍旗は、国家を守護せよと大元帥陛下より賜ったものである。この軍旗は大元帥陛下の分身と言ってもいい。この軍旗に歯向かうものがあれば、たとえ親兄弟であっても賊として討たねばならない。それが私の天命だ」
だから反乱はしないでくれというものでしたが、ついにそれは叶いませんでした。
「萩の乱」も「神風連の乱」同様に鎮圧され、恩師は自害、弟は戦死したのです。

この出来事は乃木の心に傷となって残ったと思われます。
同じ日本人同士がなぜ戦わねばならないのか。
恩師や弟と直接乃木の第十四連隊が戦ったわけではありませんが、乃木は二人を見殺しにしてしまったような意識に捕らわれたのだといいます。
これが軍人の宿命。
そう思った乃木は、だからこそ、一心に天皇の御為に一命を捧げようと思ったのでしょう。
その天皇のお姿を、乃木は軍旗に見ていたのではないでしょうか。

熊本城で諸隊長会同があった2月14日、乃木の小倉歩兵第十四連隊にも熊本城への参集が命じられました。
熊本城に呼び出されていた乃木は、その旨を小倉の連隊に伝え、自らも連隊に合流しようとして熊本城を離れます。
福岡まで戻った時点で、乃木と第十四連隊は合流しました。

しかし、このとき福岡に到着していたのは兵士たちだけであり、弾薬の到着が遅れておりました。
やむなく乃木は、第一大隊の第三第四中隊のみを先発させ、この二個中隊はかろうじて熊本城の篭城に間に合います。
その後乃木は、本隊が弾薬の到着を待つ間に第三大隊を率いて熊本へ向かいます。
やむを得ないことだったかもしれませんが、ただでさえ少ない兵力の分離は、その後の乃木隊を苦戦に導くことになりました。

2月22日。
この日の早朝から熊本城では薩軍の攻撃が始まりました。
乃木率いる第三大隊は、この日の昼ごろに高瀬という場所までやってきておりましたが、ここで熊本城方面での戦闘が始まったことを知りました。
すでに薩軍が熊本城を包囲していることを知った乃木は、第十四連隊が篭城戦に間に合わなかったことを残念に思いましたが、頭を切り替えて、間もなくやってくるはずの官軍主力の先鋒になろうと考えました。

そうなれば、山間の隘路となる植木から田原坂にかけてを薩軍に押さえられては、今後の官軍の展開に支障をきたします。
乃木は一刻も早く植木を押さえるべきだと考えました。

すぐにでも第三大隊を出発させたかった乃木でしたが、ここまですでに強行軍でやってきていたため、兵士たちは疲労困憊しておりました。
やむなく乃木はここでも兵力を分離します。
比較的気力体力の残っている兵約六十名を連れ、植木に向かって自ら向かいました。
残った兵には足を休めさせ、酒まで出して体力と気力の回復に努めさせたといいます。

植木に向かう途中、別ルートで行軍してきた一個中隊と合流し、約二百名の兵力になった乃木の部隊は、無事に植木に到着しました。
ここで乃木はさらに部隊を進めます。
向坂まで進出し、薩軍の動向を探るつもりでした。

一方、この乃木の第三大隊の動きは薩軍に察知されておりました。
熊本城を攻撃中だった薩軍は、村田三介と伊東直二の小隊を、この乃木隊の押さえに回します。
両隊合わせて約四百の兵力が、同じく向坂へと向かったのでした。

先に向坂に到着したのは薩軍でした。
伊東と村田は、ここから先まで行けば官軍に待ち伏せされるかもしれないと思い、この向坂で待ち受けることに決定します。
乃木隊は、まさに彼らの待ち受ける中へと向かっていったのでした。

(11)へ

追記:6月27日文章一部修正
(伊藤直二→伊東直二)
  1. 2009/06/25(木) 21:48:51|
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新刊到着

もうすでにあちこちのウォーゲームブログでは紹介されておりますが、国際通信社の「コマンドマガジン日本版」87号が到着しました。

cover87.jpg
こちらが表紙。
進撃する三号戦車ですね。

今号の付録ゲームは「バルバロッサ:独ソ戦1941-45」です。
バルバロッサというタイトルですけど、独ソ戦の開始から終焉までのキャンペーンが可能なゲームとなってます。
名作「ロシアンキャンペーン2」とどこがどう違うのか、いずれはプレイしたいものですね。
ただ、細かなルールが多いのがしんどそう。

本誌の記事はこれまた楽しい記事がいっぱいです。
以前はゲームの背景の歴史記事はもうみんな知ってるでしょという感じで、あまり載らなかった時期があるのですが、今回はしっかり独ソ戦の流れの記事が載ってました。
こういう記事はあらためて知る事実もあるので、ありがたいものです。

「SS中佐パウル・カレル」という記事も面白かったですね。
有名な作家であるパウル・カレル氏ですが、かつてはナチスの一員であり、その著作にはいろいろと思惑があるのだということで、一人の作品だけで事実を知ることの難しさを改めて示されたと思います。

鈴木氏のASLの記事は相変わらずうなずかせられます。
対戦するときに、はたして自分ではこういうことを考慮しているのかなと考えさせられますね。
とても参考になる記事です。

今号も楽しませていただきました。
それではまた。
  1. 2009/06/24(水) 21:37:24|
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西南戦争(9)

明治10年(1877年)2月20日。
連合大隊長別府晋介率いる部隊が、熊本の南にある川尻に到着します。
これに対し、官軍熊本鎮台の谷干城司令長官は、参謀長樺山資紀中佐の発案の下二個中隊からなる偵察隊を夜になって川尻に差し向けました。
本来偵察隊は敵情偵察が主任務であり、敵との交戦は避けなくてはならないのですが、一部の兵士がおびえたとも、もともと夜襲を考えていたものとも言われる発砲が行なわれ、ここに「西南戦争」初の交戦が行われます。

官軍偵察隊の攻撃に対し、薩軍はただちに反撃を行ない、官軍は薩軍の攻撃にたまらず後退します。
やはり実戦での薩軍の能力の高さが発揮されたのでした。
しかし、官軍が攻撃してきたということは、このまま薩軍を通すつもりが熊本鎮台にはないということが表明されたようなものであり、薩軍には少なからず衝撃が走ったものと思われます。
西郷隆盛の名をもってしても、熊本鎮台が屈しないということであれば、今後どうするのかを薩軍は考えなくてはなりませんでした。

21日にかけて川尻に集結してきた薩軍は、ここで軍議を開きました。
五番大隊長の池上は、熊本城には押さえの兵力を置くだけにして、残りの全軍は東上を続けるという案を出しましたが、篠原や桐野らは熊本城を断固攻撃し、薩軍の力を官軍に見せ付けることを主張。
結局軍議は強攻策に決し、翌22日からの熊本城攻撃が始まることになりました。

2月22日の薩軍の熊本城攻撃時点で、熊本城には約四千名の兵力が篭城しておりました。
内訳としては、熊本歩兵第十三連隊が約千九百名、砲兵第六大隊が約三百名、予備砲兵第三大隊が約百名、工兵第六小隊約百名、小倉歩兵第十四連隊から第一大隊の半分だけが到着しており約三百三十名と、正規の軍人が約二千八百名ほどで、ほかに警察の警視隊が六百名、県令や県吏など公務員が若干名、その他将兵の家族などを合わせて熊本城全体で約四千という数でした。

司令長官は谷干城少将。
そのほか参謀長には樺山資紀中佐、参謀に児玉源太郎少佐、川上操六少佐など、のちの日本陸海軍中枢を占める人物が詰めておりました。

熊本城は、その東西南をそれぞれ川に囲まれた茶臼山という小高い丘に築かれた天然の要害でした。
唯一北側には川はありませんでしたが、そこもやはり大軍の展開には不向きなところであり、攻囲するには相当の出血が必要と考えられておりました。
もともと熊本城は加藤清正が対島津氏用に築城した城であり、まさに二百数十年を経てその目的に合致した戦いを迎えることになったのです。

熊本城に篭城した官軍約四千に対し、薩軍は決起後各地から呼応してきた不平士族を糾合して約一万四千の兵力をそろえておりました。
しかし、通常城攻めというものにおいては、攻撃側に最低五倍から十倍の兵力が必要といわれており、約三倍に過ぎない薩軍は不利はまぬがれません。
ですが、鎮台兵を「糞鎮」呼ばわりしてきた彼らには、熊本城の城攻めなどたやすいことのように思われていたようでした。

谷は熊本城の防御布陣として、城郭周囲を五方面十二区画に割り振りました。
そして一区画に一個中隊を基本として割り当て、重要と思われる箇所には砲兵と警視隊を配備します。
熊本城に配備されていた大砲は、野砲が六門、山砲十三門、臼砲七門というもので、防御側の中核をこれらの砲が担うことになるのでした。

2月22日早朝。
薩軍は熊本城に対する強襲を開始します。
桐野隊、池上隊が東と南の正面より、篠原隊、村田隊、別府隊、そして永山隊の一部が西側背面より攻撃を仕掛けました。
薩軍は猛攻を仕掛けますが、やはり防御施設としての城の有利さはただならず、各所の砲台や銃座から猛射を加えられて取り付くことができませんでした。
勇猛な桐野もいかんともしがたく、東側南側は薩軍の攻撃をはね返し続けました。

熊本城西側には、段山(だにやま)と呼ばれる丘がありました。
この丘は城の外郭すぐそばに位置するため、ここを制圧することは熊本城攻略の上で大きな足がかりとなるものでした。
当然薩軍も官軍もそのことはわかっており、この段山を巡っての戦いが繰り広げられることになりました。

薩軍はこの段山に約三千の兵力を差し向け奪取を図ります。
一方官軍は段山の向かい側の城郭内に第十三連隊第三大隊の中から三個中隊もここに配置し、さらに砲兵や警視隊も配置して万全の態勢をとっておりました。
この第十三連隊第三大隊は、前年の「神風連の乱」のときも乱れることのなかった精兵であり、篭城した官軍の中でも頼りになる部隊だったのです。

段山の攻防戦は激しいものでした。
当然鎮台側としては段山に取り付かせるわけにはいきません。
猛烈な射撃が薩軍を襲い、攻撃側の薩軍に多くの損害を与えます。
ですが、薩軍も薩摩武士の見せ所とばかりに攻撃を加え、ついに午前10時ごろには段山は薩軍の支配するところとなりました。

こうなると、今度は段山からの薩軍の射撃が官軍を襲います。
この方面で指揮を取っていた第十三連隊長与倉知実中佐が射撃を受け負傷。
翌日に死亡します。
また、参謀長の樺山中佐も銃撃を受け負傷。
官軍側の高級士官の損害が相次ぎました。

しかし、官軍は薩軍を一歩も寄せ付けませんでした。
段山を確保した薩軍でしたが、ついにこの日は熊本城に取り付くことはできませんでした。
戦いは夜になって自然終息します。
薩軍は本荘に幹部が集まり、軍議を開きました。
熊本城の予想以上の堅牢振りに、今後どうするかを話し合うためでした。

そしてその頃・・・
別の場所で官軍に事件が起こっておりました。

(10)へ
  1. 2009/06/23(火) 21:19:23|
  2. 西南戦争
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船舶が足りないよー

うーん・・・
ブログに広告が掲載されてしまいました。
表示しないようにするつもりですが、いったん表示されると一週間ははずせないようでして、しばらくはご不便をおかけしますが、ご容赦くださいませ。

今日6月22日は、1941年にヒトラー総統率いるドイツ軍がソ連に侵攻した、いわゆる「バルバロッサ」作戦の発動された日ですね。
まだ手元には来てないのですが、でたばかりのコマンドマガジン87号も「バルバロッサ:独ソ戦1941-45」だということで、楽しみですね。


こちらはちょうど読み終わった学研の「決定版 太平洋戦争」の3巻目です。

1巻目、2巻目も読んでいたんですが、今回は太平洋戦争の目的の一つ、資源地帯制圧の話ということで、興味深く読ませていただきました。

日本は無資源国ということで、資源、特に石油を確保するべく南方作戦を行なったわけですが、この南方作戦はマレーやフィリピンのような固い防備を施された地域ではなかったため、比較的順調に日本は制圧を完了したわけです。

しかし、せっかく確保した資源も、日本に運べなければ意味がありません。
そこに落とし穴があったと言ってもいいでしょう。

資源地帯の確保さえできればあとはどうにでもなると思ったわけでもないのでしょうが、日本は海上交通路の防衛を軽く見過ぎました。
南方の資源や油を積んだ輸送船は、途中で次々と沈められてしまったため、ついには輸送船を作ることもできなくなり、日本はつぶれていったのですね。

この本は、そういった日本の資源確保に対する問題点をいろいろと読ませてくれ、とても勉強させていただきました。
機会があれば目を通されてみてはいかがでしょうか。

それではまた。
  1. 2009/06/22(月) 21:18:48|
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06月22日のココロ日記(BlogPet)

寝てるときに、やたらとツンツンされる気が…

*このエントリは、ブログペットのココロが書いてます♪
  1. 2009/06/22(月) 11:00:59|
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今年も終了

今日でプロ野球のセ・パ交流戦が終了しました。

ほぼ一ヶ月の間、別リーグのチームと合計24戦行なってきたわけで、今年も楽しい対戦がいっぱいでした。
特にこのところレベルの高い投手陣を輩出してきたパ・リーグのエースたち対セ・リーグの強打者陣という構図が今年も繰り広げられ、打倒ダルビッシュ、田中マー君、岩隈、涌井などなど目指してセ・リーグの各打者が挑んだわけですが、今年も優勝はパ・リーグのソフトバンクホークスが手にされたのは皆様ご存知のとおりです。

今年で五年目を迎えた交流戦も、ほぼ形として定着したのではないでしょうか。
この交流戦がシーズンを左右すると行っても過言ではないのは、過去の状況を見ても明らかですし、今年も交流戦前は下位に沈んでいたソフトバンクが首位をうかがう状況になってきました。

北海道日本ハムは今年は12勝11敗1分けと、かろうじて勝ち越しましたが、大幅な貯金をするまでにはいたりませんでした。
まあ、負け越さなかったことで良しとしましょう。

一方阪神タイガースは、9勝13敗2分けと交流戦でも貯金をすることはできませんでした。
4連勝のあと5連敗というようなもったいない状況があったのが残念です。
シーズン後半に向けての建て直しを期待したいところですね。

今週後半からはリーグ戦再開です。
まだまだ長いシーズンが続きます。
各チームのこれからが楽しみです。

それではまた。
  1. 2009/06/21(日) 20:56:20|
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五月一日ではありません

今日はゲームの紹介を一つ。

舞方は昔TRPGをよくプレイいたしました。
中でもGDW社から出版され、日本ではホビージャパン社からライセンス生産されたTRPG「TRAVELLER(トラベラー)」は大好きで、よくレフリーを務めておりました。

トラベラーははるかな未来の宇宙での人類の冒険を扱うSF-TRPGですが、そのプレイ環境サポートのためにいろいろな上級ルールやサプリメント及びシナリオが出版されておりました。
そして、ボードゲームも出版されていたのです。


こちらがその一つ「MAYDAY(メイディ)」です。

メイディとは、主に民間航空機が使用する非常事態を伝えるコールサインであり、モールス信号で有名なS・O・Sと同様の意味を持つものです。
フランス語の「我を助けよ」という言葉が、音ではメイディと聞こえるということで、そのまま英語を当てはめたものだそうで、五月一日とは何の関係もないのだそうですが、緊急用コールサインとして現在でも使われているものですね。

この「MAYDAY」は、宇宙空間での宇宙船同士の戦闘を扱ったゲームでして、主に一隻同士の戦いに向いたゲームです。
宇宙では基本的に摩擦がないため、運動中の宇宙船は特に何もしなければ、慣性によってそのままの移動を継続してしまいます。
このゲームではそのことを表すために、一隻の宇宙船(及び一発一発のミサイル等)に過去位置、現在位置、未来位置の三つのユニットが与えられ、それぞれの位置を示します。

過去位置と現在位置の間に3ヘクスの間があれば、何もしなければ未来位置もまた現在位置の3ヘクス先におかれるわけです。
宇宙船は加速(減速)しようとすると、その未来位置のユニットを、加速(減速)分だけ前後左右等に動かします。
これで加減速が行なわれ、未来位置が変わるのです。
次のターンには、その変わった未来位置に現在位置のユニットがおかれ、現在位置が過去位置になるわけです。
そしてまた、過去位置と現在位置の延長上に未来位置が置かれ、加減速をするのならば、またその未来位置が動かされるのです。

一隻につきこの行動が必要なので、複数艦船を動かすのは大変です。
なので、一隻かせいぜい二隻ぐらいが限度でしょう。
場合によってはミサイルも動くのですから。

で、ゲームとしてはまあまあです。
二度三度やろうという気にはあまりなりませんでした。

ですが、これはやはりトラベラーのボードゲームなのです。
プレイヤーキャラクターの宇宙船をプレイヤーが担当し、敵NPC(ノンプレイヤーキャラクター)の艦船をレフリーが動かして、TRPGのワンシーンを行なうということになれば、俄然のめり方が違ってくるわけです。

それはそうでしょう。
盤上の宇宙船は自らのキャラクターが乗っている愛着のある宇宙船なわけです。
できれば戦いたくないでしょうし、戦うなら勝たねばなりません。
自然プレイは白熱するのです。

とはいえ、私はそこまでのプレイをしたことがありません。
私のプレイでは相手(キャラクター側)にウォーゲーマーがいなかったこともあって、この「MAYDAY」を使って宇宙戦闘やるまでにはなりませんでした。
基本ルールでダイス振っての宇宙戦闘だったのです。

今から考えると、これを使っての宇宙戦闘もやってみてもよかったなぁ。
結局同梱のサプリメントを使用するだけになってしまったものでした。

ちなみに上のボックスアートのホビージャパン版は絶版ですが、国際通信社から再販された「MAYDAY」はまだ購入可能のはずです。
rpgamer_5.jpg
興味を引かれた方はいかがでしょう。

それではまた。
  1. 2009/06/20(土) 20:56:11|
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西南戦争(8)

鹿児島から出発した薩軍の第一の目標は、熊本城でした。
かの加藤清正が築城した城で、江戸期には細川家が城主として城下を治めてきた熊本城には、明治になってからは第六軍管の熊本鎮台がおかれておりました。

熊本城は壮麗な城であり、また加藤清正が心血を注いだ強固な城としても知られておりましたが、戦国時代末期の築城のため、この時点では実戦の経験はない城でした。
この熊本城には逸話があり、城内には銀杏の木が植えられているのですが、あるとき加藤清正が、この銀杏の木が天守閣ほどに高くなったとき、この城にて兵乱が起こるであろうとつぶやいたというのです。
まさにこのとき、銀杏の木は天守閣ほどの高さに育っていたのでした。

この時点での熊本鎮台の司令長官には、土佐出身の谷干城少将が任命されておりました。
谷は明治6年から一年間、熊本鎮台の司令長官を務めておりましたが、前年の神風連の乱のとき、司令長官であった種田政明少将が殺害されてしまったため、再び熊本鎮台の司令長官に任命されたのです。
これは土佐出身の谷であれば、西郷側に与することはないだろうと考えられたからだともいわれます。

谷は、鹿児島でついに私学校一党が暴発し、薩軍が編成されつつあることを知らされておりました。
それを踏まえて、2月14日には鎮台の諸隊長会同が行なわれ、席上部下の中からは熊本鹿児島県境にある三太郎峠で薩軍を迎え撃つという積極案も出たものの、熊本には第十三連隊の二千名程度しかおらず、数の上で薩軍に対し圧倒的に不利であることや、農民や町人出身者が多い鎮台兵は、一度野戦で敗北すると士気の阻喪が大きく立ち直れない可能性が高いこと、さらには野戦では戦闘中に逃亡する兵士が出かねないことなどを理由に、熊本城での篭城を決心したといわれます。
谷は、とにかく熊本城に篭って時間を稼ぎ、官軍の来着を待つことに決めたのでした。

2月19日。
薩軍の使者が熊本鎮台に到着し、一通の書状を谷に渡します。
それは陸軍大将西郷隆盛からの文書という体裁を取っておりました。
内容は以下のようなものでした。
「このたび政府に尋問のかどあり。そのため陸軍少将桐野利秋、篠原国幹ほか軍勢を引き連れて鹿児島を出発する予定である。ついては熊本鎮台の城下を通るときには、鎮台兵は整列して出迎え当方の指揮を受けるよう用意されたい」
これは、谷及び熊本鎮台にとって受け入れられる文書ではありませんでした。
すでに当日、政府は鹿児島県逆徒征討令を発していたのです。

谷は薩軍と一戦交えるために、小倉の第十四連隊に熊本での篭城に加わるように命令、さらに鎮台の将兵の妻子を城内に入れ、また篭城用に物資を城内へと搬入を急がせました。

同日、篭城準備に忙しい熊本城で、ある事件が起こります。
熊本城の城内から出火したのです。
折からの風に煽られて、火は瞬く間に天守閣と櫓一つを焼き尽くします。
この火災で篭城用の食料であった米が焼けてしまったとされる(のちの調査では焼けた米が見つかっていないとも)ほか、城下の町も民家数千件が焼失したとされます。
この出火の原因は謎とされますが、鎮台による自焼との説が有力となっています。
(焼けた米が出なかったことで、兵糧を移したあとに焼けた可能性があるためなど)

一方2月15日から2月17日までの間に薩軍は鹿児島を出発し、二つの方面から熊本に向かっておりました。
海沿いの西回りルートと山越えの東回りルートです。
西郷本人は東側ルートを取っており、桐野や村田が同行しておりました。

この薩軍の行軍は、慣れない雪と強行軍のために死者を出すほどのものだったといわれますが、多くの薩軍兵士は意気盛んで、多少の凍傷はものともしない勢いだったといわれます。
この万を超える薩軍の威容を見れば、農民や町人出身の鎮台兵は恐れおののくであろうし、鎮台兵の中にも現政府に対して不満をもっている者もいるだろうから、鎮台はほぼ無抵抗で城門を開くだろう。
もし万が一戦いになったとしても、「糞鎮」の鎮台などは竹の棒一本でひと叩きだと桐野は豪語したといいます。

薩軍官軍双方が熊本でぶつかるのは間もなくのことでした。

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  1. 2009/06/19(金) 21:26:48|
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西南戦争(7)

薩軍が部隊編成を行ない始めた2月9日、西郷とは縁続きである新政府海軍中将の川村純義が西郷を訪れました。
しかし、すでに軍事行動に入り始めていた薩軍にあっては西郷と会うことは叶わず、県令の大山綱良と会談したのみで引き揚げざるを得ませんでした。

薩軍の編成は13日までにはほぼ終わり、2月14日には私学校本校横にある練兵場で、西郷隆盛本人による薩軍の閲兵式が行なわれます。

明治10年(1877年)2月15日。
ついに薩軍は熊本に向けて進発します。
一番大隊から連合大隊までの六個大隊に加え、山砲二十八門、野砲二門、臼砲(臼のような短い砲身で砲弾を上向きに打ち出す大砲。のちの迫撃砲のようなもの)三十門を擁する砲兵が二隊計二百人、そして物資輸送の任に当たる荷駄隊がつき、総勢約一万三千という数が、60年ぶりという雪が降りしきる中鹿児島を出発いたしました。
ついに「西南戦争」が始まったのです。

一方、西郷本人と会うことが叶わなかった川村中将は、すぐさま薩軍出発近しの報を発しておりました。
初め、火薬庫襲撃に始まる私学校一党の暴動とみなしていた政府は、この暴動には西郷本人は関わっていないという見方が大勢を占めておりました。
しかし、川村中将その他の報告から、西郷自身が軍勢を率いて政府問責に乗り出したことが知れ、その対応を迫られることになります。

この時点で明治政府が保有していた兵力は、全国に六軍管というものでした(北海道の屯田兵は別扱い)。
それぞれに鎮台がおかれ、各鎮台の主力は二個から三個の歩兵連隊が務めるというもので、定数は約三万七千人ほどというものです。
しかし、これはあくまで定数に過ぎず、実際の兵力はこの三分の一から四分の一がせいぜいというものでした。
特に薩軍と正面からぶつかることになる熊本鎮台の兵力は、熊本第十三連隊と小倉第十四連隊合わせても約四千ほどの兵力でしかなく、それに砲兵や工兵がわずかに付随するというありさまでした。

そのような陸軍に対して海軍は圧倒的とも言える立場にありました。
軍艦十三隻を擁する新政府海軍は軍艦を持たない薩軍に対して、制海権は初めから保持しているといえるような状態だったのです。
兵力や物資の輸送に関しては、薩軍の妨害を考慮する必要はほとんどなかったのでした。

薩軍出発からわずか四日後の2月19日、明治政府は正式に鹿児島県逆徒征討の詔を発し、征討軍の出兵を決定します。
征討総督(総司令官)には有栖川宮熾仁親王が任命され、実質的司令官としての参軍(副司令官)には陸軍から山県有朋中将、海軍から川村純義中将が任命されました。
これは陸海軍のバランスを取ると同時に、長州と薩摩のバランスを取る事も兼ねておりました。
(山県有朋は長州出身、川村純義は薩摩出身)

征討軍には当初野津鎮雄少将率いる第一旅団と三好重臣少将率いる第二旅団があてられましたが、すぐに高島鞆之助大佐の別働第一旅団、山田顕義少将の別働第二旅団や警視庁からの警視隊、臨時徴募巡査によって編成された新撰旅団などの部隊が編成されることになります。

第一旅団と第二旅団の征討軍(以後官軍と呼称します)は、早くも出兵決定の翌日には九州に向けて出発します。
総勢約五千六百名。
薩軍に対する第一陣でした。

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  1. 2009/06/18(木) 21:28:08|
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こんなものにもマニュアルが・・・

今日は本のご紹介を一つ。

「明治・大正・昭和 軍隊マニュアル 人ななぜ戦場へ行ったのか」 一ノ瀬俊也著 光文社新書


最初マニュアル本と言うことで、兵士の戦場における軍隊生活や生き残るための技術的な話が来るのかと思いきや、まったく違う本でした。

ではこの本はどんな本かというと、大日本帝国という国家内に陸海軍という組織があるという状況下で、人々がいかなる暮らしをしてきたかということを垣間見せてくれる本です。

明治六年から太平洋戦争終結までの間、日本は徴兵制度のある国家でした。
つまり、一般男子国民はいやおうもなく成人になると徴兵検査を受けて(合格すれば)軍隊に入ることになるわけですが、その徴兵されて入営(兵営に入ること)するときの郷里の人々への挨拶例だとか、逆に入営者を送り出す町民側の挨拶例だとかが、ちゃんとマニュアル本として売り出されていたのだそうです。

この本はそうした挨拶例のようなマニュアル本に始まり、当時はこんなマニュアル本が一般に売られていたんだよという本なんですね。

たとえば、明治期には徴兵がまだ一般に浸透してなかったこともあり、徴兵とは何か、徴兵されたらどういう心構えをすればいいのかといったマニュアル本があり、また兵営から家族に対して送る手紙文の例文なんかもマニュアル本として売られていたそうです。

他にも夫や恋人を徴兵によって送り出した女性はこうあるべきというようなマニュアルや、戦死者に対する弔辞文のマニュアルなんかもあるようです。

軍隊と国民のつながりというか、国民にとって軍とはどういう存在であったのかを感じ取るにはよい本ではないでしょうか?

それではまた。
  1. 2009/06/17(水) 21:12:41|
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西南戦争(6)

明治10年(1877年)2月1日。
小根占にいた西郷隆盛のもとに、弟の西郷小兵衛が報告のために訪れます。
翌2日には辺見十郎太ら数人も訪れ、新政府が西郷を“刺殺”しようとしていることと、火薬庫襲撃のことを伝えました。
この火薬庫襲撃のことを聞いた時、西郷は「ちょしもた(しまった)」と言ったといわれ、すぐさま鹿児島へと向かいました。
途中、西郷の身辺警護をするという名目で続々と彼を慕うものたちが集まり、西郷が鹿児島に着いたときには結構な人数だったといいます。

2月5日。
私学校幹部や分校長ら約二百名が私学校本校に集結。
善後策の協議に入ります。

幹部の一人別府晋介は、今回のことも合わせ堂々と政府に対しその罪を問う軍を起こす(武装蜂起)べきだと訴えます。
これに対し、幹部の一人永山弥一郎はこの武装蜂起に反対。
首脳格である西郷隆盛、桐野利秋、篠原国幹の三人が上京し、政府に対して問責することを提案しました。
しかしこの案に対しては、政府がすでに西郷暗殺をもくろんでいる以上、道中の安全確保ができないとして反対が多く、折衷案とも言うべき少数の兵を連れて行く案や、西郷自身は鹿児島に残して野村忍介が海路京都へ行き、天皇に直接上奏する案などが出されましたが、いずれも武装蜂起派を納得させることはできませんでした。

議論はいつになってもまとまる気配をみせませんでしたが、篠原国幹の発した「死ぬのが怖いのか」という一言に反対派は押し黙ってしまいます。
そこに桐野が後を継ぐようにこう言ったといわれます。
「(西郷隆盛)先生の決裁を仰ぎたいと思う。もはや断の一字あるのみ。君側の奸を取り除き政体一新のために旗鼓堂々総出兵の外に採るべき途なし!」
決裁を仰ぎたいと言っておきながら、すでに総出兵に決したかのような言葉ですが、これで武装蜂起反対派の言は封じられました。
満場に広がる賛成の声に、もはや西郷本人にもなすすべはありませんでした。
「もはや何も言うことはなか。おはんらがその気なら、おいの躰はさしあげもそ」
西郷のこの言葉で、武装蜂起は決定されました。

政府に対して武装蜂起することになったことで、翌2月6日には今後の作戦が立てられます。
私学校本校は「薩軍本営」とされ、従軍する人員の登録が始まりました。
以後、鹿児島の武装蜂起勢を「薩軍」と表記いたします。

作戦はどのようにして軍勢を政府のある東京へ持っていくかということに集束しました。
隆盛の弟である西郷小兵衛からは、海路長崎を奇襲し、長崎にある軍艦を奪って大阪神戸と東京横浜を急襲するという案が出されます。
しかし、最初の長崎を奇襲する海軍力が今の薩軍にはなく、この案は見送られました。

野村忍介からは、三道分進案が出されます。
これは海路長崎から東へ向かう部隊と、日向豊後路(宮崎大分)から四国へ渡り、四国の同志を集めながら大阪へ向かい部隊、そして熊本から福岡を制して陸路東へ向かう部隊というものです。
しかし、これまた海軍力の不足から見送られました。
薩軍には汽船が三隻しかなく、海軍力では圧倒的に新政府海軍が上回っていたのです。

結局薩軍は陸路北上して熊本を押さえたのち、陸路で東上するという作戦しか取ることができませんでした。
しかし、薩軍幹部にとっては、これこそが、政府の問責に向かう薩軍にはふさわしい堂々とした進軍であると考えました。
熊本の鎮台を鎧袖一触で蹴散らし、恐れおののく新政府陸軍を尻目に堂々と東京へ向かう。
薩軍首脳陣は本気でそう思っていたといいます。
一般市民から徴兵された陸軍など、薩摩武士の前には無力と信じられていたのです。
実際前年10月の「神風連の乱」では、熊本鎮台の兵は何人もが混乱の中で斬り殺されておりました。
薩軍にとっては、鎮台の兵士など「糞鎮(くそちん)」と呼んではばからない風潮があったのです。

2月8日。
薩軍は部隊編成を開始します。
基本となるのは大隊で、二百人で編成された小隊を十個まとめて大隊とし、それを五個大隊編成します。
一個大隊が二千人なので、これで一万人の部隊となります。
さらに人数が少ない六番大隊(約六百名)と七番大隊(約八百名)の二つをあわせた連合大隊が作られ、大隊の数は六つになりました。

一番大隊長(薩軍の呼び方では指揮長)は篠原国幹。
二番大隊長は村田新八。
三番大隊長は永山弥一郎。
四番大隊長は桐野利秋。
五番大隊長は池上四郎。
連合大隊長は別府晋介が任命されましたが、薩軍は統一した最高司令部を持たないという弱点を抱えることになります。
西郷隆盛はあくまで象徴的存在とされ、実質的司令官は桐野利秋が務める形ではありましたが、桐野は大隊長の一人に過ぎず、薩軍の指揮は合議制に基づくものになってしまったのです。
これは部隊運用の上でよいものではありませんでした。

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  1. 2009/06/16(火) 21:22:54|
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食べてみたいなー

一年は365日という日数があるわけですが、歴史を紐解けばおそらくはほぼ毎日何がしかの戦いというのは行なわれていたのだと思いますけど、やはり北半球ではわりと気候のいい6月というのは、大き目の戦いも多いようですね。

(1942年)6月5日にはミッドウェー海戦が行なわれ、(1967年)同日には、第三次中東戦争が始まっておりますし、翌日の(1944年)6月6日には米英連合軍によるノルマンディー上陸作戦が行われております。

(1815年)6月18日にはナポレオン最後の戦いであるワーテルローの戦いが行なわれ、(1941年)6月22日にはドイツ軍がソ連侵攻作戦バルバロッサを開始します。

で、昨日の6月14日は、ナポレオンがイタリアで「マレンゴの戦い」を戦った日なのでした。
「マレンゴの戦い」そのものについては、当ブログでも過去に記事にしておりまして、「2006年8月2日の記事」がその記事になっております。

戦力を分散してしまったナポレオンは、オーストリア軍の攻撃にかなり苦戦をするものの、周辺に展開していたフランス軍がじょじょに戦場に駆けつけるにしたがってフランス軍が主導権を取り戻し、最終的にはかろうじてオーストリア軍をナポレオンが打ち破ったのが、この「マレンゴの戦い」の顛末なのですが、あのナポレオンも敗北を覚悟したほどの戦いだったようです。

このマレンゴの戦いのときに作られたというのが、料理「鶏肉のマレンゴ風」だといわれます。
ナポレオンの専属コックとして軍勢に従軍していたデュナンというコックが生み出したといわれますが、激しい戦いの混乱で料理の材料を全て失ってしまったデュナンが、周辺からとにかく材料をかき集めて作ったのが、この「鶏肉のマレンゴ風」だそうで、ナポレオンも喜んだ料理として現在まで伝わっているものですね。

無論、当時と今では料理そのものも内容がかなり違うようですが、おおむね鶏肉をトマトとワインで煮込み、海老やエクルヴィス(ザリガニ)などを添えたものだそうです。
うーん・・・舞方は食べたことないのですよー。
美味しそうですねー。

料理にもいろいろとあるでしょうけど、戦場の名前がつけられたという料理は他に何かありますかね?
ちょっと思いつかないです。
ご存知の方がいらっしゃいましたら教えてくださいませ。

それではまた。
  1. 2009/06/15(月) 21:24:53|
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06月15日のココロ日記(BlogPet)

放課後、すい身長さんと魔物について熱く語り合いました。舞方雅人さんのひみつも聞いちゃいました……!

*このエントリは、ブログペットのココロが書いてます♪
  1. 2009/06/15(月) 07:52:22|
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今日は札幌歴史ゲーム友の会に行ってきました

今日はいつもお世話になっている「札幌歴史ゲーム友の会」にお邪魔してまいりました。
多くの人が顔を出され、楽しい時間を過ごすことができました。

6・14(1)
私はMどりっひ様と「Basic3」に入っていた「レニングラード」を対戦。
初期配置しか写真取ってなくてすみません。(汗)

私はソ連軍を担当しましたが、第一ターンの特別ルールで反撃を命じられ、戦車師団7個での反撃を行ないましたが、これがなんとAE!!
一瞬にして7個戦車師団が消滅します。

しかし、その後は独軍の進撃をどうにか遅らせ、レニングラード前面でこう着状態に。
最後は増援の数でどうにか独軍の攻撃をしのぎきりました。

このゲームはバランス的にソ連軍がかなり有利なのですが、7個師団壊滅という状況でようやく互角だった感じです。
Mどりっひ様ありがとうございました。

そのほかのゲームは以下の通り。

6・14(2)
ゲームジャーナル、「魏武三国志」
曹操に悲劇が襲ったとか。

6・14(3)
VPG、「イエナ20」
プロイセン軍が壊滅の憂き目に。

6・14(4)
ゲームジャーナル、「天下布武」
本願寺で参加させていただきましたが、ほとんど戦局に関与できずに終わりました。

6・14(5)
WWW、「SALVOⅡ」
独軍艦隊と英軍艦隊の殴り合い。

今日も楽しい時間でした。
「札幌歴史ゲーム友の会」の皆様、ありがとうございました。

それではまた。
  1. 2009/06/14(日) 21:11:40|
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新リンク記念

このたび、また新しいリンク先が増えることになりました。
しかも私の書いたSSがきっかけといううれしいリンクです。

リンクしていただきましたのは、せぼい様が管理人をなさっておられるイラストサイト「- aka -」様です。
(サイト名をクリックすると、リンク先にジャンプできます)

「- aka -」様は、商業誌にも作品を掲載なさっていらっしゃるせぼい様の素敵なイラストがいっぱいのすばらしいサイト様です。
せぼい様の描く女性は、みな豊かな胸をしておられ、とてもエロティックで魅力的です。
一度ご覧になられれば、きっとその魅力に病み付きになられることと思います。

実はせぼい様のサイト「- aka -」様は、私は以前より存じておりました。
寝取られ好きな舞方としては、ドラクエ5にでてくるビアンカorフローラと、馬の魔物ジャミ様との絡みは美味しいシチュでございまして、そういった作品を探していたときにめぐり合ったサイト様なのでございます。

ご覧になっていただくとわかりますとおり、せぼい様もフローラやビアンカのイラストを描いておられ、私が以前掲載しましたフローラ&ジャミのSS「奪われたフローラ」に心惹かれられたとのことで、このたびリンクを申し出てくださったのです。

はからずもドラクエ5が結んでくださった縁でございまして、こうして相互リンクさせていただけましたことは、まことにうれしいことでございます。

そこでこのたび、相互リンク記念としてちょっとしたSSを書いてみました。
以下に掲載させていただきますので、よろしければお楽しみいただけましたらと思います。

あらためまして、せぼい様、相互リンクしてくださり、ありがとうございました。


以下SS
(ふたなり・寝取られ注意)
[新リンク記念]の続きを読む
  1. 2009/06/13(土) 21:18:13|
  2. ドラクエ系SS
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真祖リリス(後篇)

三日間連続で公開させていただきました「真祖リリス」も今日で最終回です。
一風変わった吸血鬼ストーリーの締めを存分にお楽しみくださいませ。


【真祖リリス(後篇)】
 
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 美奈子のほうを見ると、彼女はジュリアとともに壁際に追い詰められていた。
 いや、背後に回り込まれるのを避けるため、自らそこまで退いたのだろう。
 美奈子は五業の仕込杖を手にしており、すでに斬り伏せた吸血鬼は二匹。
 残るは六匹。
 だが、美奈子たちの失敗は、この場から逃げ出さなかったことだ。
 劣化吸血鬼たちを全て屠ったところで、まだリリスがいる。そして私がいる。
 もっとも、逃げたところで私がどこまでも追いかけるわけだが……
 私は抜き身の剣を携えて、美奈子たちに近づいて行った。
「下がりなさい」
 劣化吸血鬼たちに命じる。
 リリスにとっては可愛いペットだろう。無駄に数を減らすこともない。
 いまや同属の――いや、彼らよりもリリスに近い存在になった私の言葉に、劣化吸血鬼たちは素直に従った。
「…………、梓……」
 剣道のように中段に仕込杖を構えた美奈子が、怒りを込めて私を見た。
「あなたが何を考えてるか、わからない。でも……五業やマルコを、仲間を裏切ったあなたは赦せないっ!!」
「……美奈子」
 私は、にっこりと笑ってみせた。美奈子にずっと見せたかった笑顔。
 そして、私は美奈子に伝える。私の本当の想いを。
「全部、美奈子のためよ」
「何が……何が、あたしのためなのっ!?」
「美奈子は学校でもハンター仲間のあいだでも人気者。いつでも笑顔で皆を惹きつける」
 私は言う。
 憧れていた美奈子のような笑顔で。
「私は美奈子みたいになれなかった。学校では、いつも一人ぼっち。ハンターとしても腕は認められてたけど」
「そんな……そんなことっ!?」
「そんなことないと言ってくれるの? そうね、学校でも美奈子だけは友人として接してくれた」
 私は剣を下段に構えた。
 びくりと、美奈子が僅かに震えた。私の剣の腕を美奈子は知っている。
 それに対して彼女は素人。剣道の構えなど見よう見まねだ。
 しかし気丈に、美奈子は叫んだ。
「五業やマルコ、ジュリアだって! 大事な仲間だし友達だったじゃないっ、それをっ!?」
「私はね……美奈子と、もっと仲良くなりたかったのよ?」
 そう言って、私は微笑んだ。
 そして次の一瞬で間合いを詰め、下段から右手一本で剣を振り上げた。
 
 ――ギンッッッ!
 
 美奈子の手から仕込杖が飛んだ。
 こちらは片手で打ち込んだとはいえ、素人の美奈子に私の剣を受けとめられる筈もない。
 そして呆然とした美奈子の腕を左手でつかんで引き寄せ、私は――
 大きく口を開けて剥き出した牙で、美奈子の白い首筋に喰らいついた。
「――――――――!」
 身を引き裂かれるような悲鳴を美奈子は上げた。
 びくっ、びくっと震える美奈子の身体を、私は剣を捨てて両腕で抱きしめた。
 温かな血を存分に啜り上げながら、いくらか汗の匂いが混じった美奈子の体臭を味わう。
「あぁっ、あぁっ……、あぁぁぁぁ……」
 口をぱくぱくさせて美奈子は呻いた。彼女の手から落ちた十字架が床に当たって乾いた音を立てた。
 私は美奈子の首から牙を抜き、自分の指をそれに押し当てた。
 我ながら驚くほど鋭く尖った牙の先で、指の腹の皮膚が破れて血が滲んだ。
 その指で美奈子の唇をなぞった。紅を差すように。
 美奈子は素顔も美しいが、化粧をしても映える。
「……あっ、あっ、ああっ……!」
 視界の端でジュリアが私に向かって十字架をかざしながら、がたがた震えていた。
 十字架は劣化吸血鬼を遠ざける役には立つだろう。
 ジュリアは使うのを忘れているようだが、聖水ならば吸血鬼になった私に傷を負わせることもできるだろう。
 だが、それだけのことである。
 私を屠りたいならば、銀鍍金(めっき)した刀剣で心臓を抉ることだ。
 吸血鬼とはいえヒトのかたちをした相手を刺し殺す度胸は、ジュリアにはない。
 美奈子の口の中に、私の血に濡れた指を潜り込ませた。
 涙に潤んだ眼が、私を見た。しかし、もはや拒む力は美奈子には、ない。
「美奈子……」
 私は微笑みかけた。
「好きよ……愛してるの、美奈子……」
 力を喪いかけている美奈子の身体を強く抱き締めて、私は、彼女と唇を重ねた。
 その寸前に自分の舌を噛み破り、口の中を血で満たしておいた。
 私の血を――吸血鬼の血を、美奈子に注ぎ込む。
「んっ……ふ……」
 眼を閉じた美奈子が呻く。ぴくぴくっと、身体が僅かに震える。
 そして――
 美奈子が、再び……ゆっくりと眼を開けて、私を見た。
 私は唇を離し、美奈子を見つめ返した。
 熱を帯びたような眼を、美奈子は私に向けている。
「……あ、ずさ……」
「なあに、美奈子?」
 微笑み返す私に、美奈子は哀しげな表情(かお)をしてみせた。
「……梓の気持ち、気づいてなかったわけじゃないのよ……。でも、それは赦されないことだと……」
「ええ……ええ、そうね」
 私は笑顔のままで頷く。女が女を愛するなんて、常識に縛られた人間には禁忌だろう。
 美奈子は視線を逸らすように眼を伏せ、
「……梓は大事な仲間で、友達で……だから、その想いに気づかないフリをするしか、できなくて……」
「いいのよ、美奈子」
 私は答えて言った。微笑みながら。
「私だって、あなたに想いを伝える勇気がなかった。いいえ……断られるのが怖くて、伝えられなかった」
 受け入れてもらえる筈がなかったから。
 美奈子のように素敵な笑顔の女(ひと)に。
 笑うことのできない、魅力のカケラもない私を――人間だったときの私を。
「…………、梓……」
 眼を伏せたまま、美奈子は問うた。
「あたしが、あなたを追い詰めたの……? だから、吸血鬼になったの……?」
「私の意志よ。私が、私であるための」
 きっぱりと私は言った。
 美奈子が罪を感じる必要はないのだ。美奈子には笑顔が一番、似合うのだから。
「……あず、さ……」
 美奈子がもう一度、私を見た。
「これが……これが、吸血鬼になるってことなの……? あたし……こんなのって、間違ってるのに……」
 眼に涙を溜めて、首を振りながら美奈子は、笑った。
「……どんな理由があっても、五業やマルコを殺した梓を、赦しちゃいけないのに……」
 どうやら美奈子もリリスや私の劣化コピーではなく、自分の人格を保ったまま吸血鬼になれたようだ。
 だが、人間だったときに、どれほど使命感に燃える悪魔祓いであったとしても。
 吸血鬼になってしまえば、血の呪縛からは逃れられない。
「美奈子……愛してるわ、美奈子」
 私は言った。何度でも言おうと思った。
 心からの笑顔で。美奈子に見せたかった笑顔で。
 そのために私は吸血鬼になったのだから。
 美奈子は泣きながら笑っていた。それでも美奈子の笑顔は美しかった。
「梓……あたし、身体が火照って……それより、渇いて……我慢、でき……ない……」
「そのシスターを好きにするといいわ」
 リリスが言った。くすくすと愉しそうに笑いながら。
「せっかく美人だし、リリスのペットにしようと思ったけど……あなたたちのエサにして構わなくてよ」
「美奈子……?」
 私は微笑みながら美奈子に問いかける。
 美奈子は頬を紅く染めながら眼を伏せた。
「……鎮めて、梓……」
「ええ」
 私は、にっこりと笑うと美奈子の顎先に指をやり、顔を上向かせる。
 眼が合った美奈子を安心させるように、笑顔のままでもう一度、言った。
 何度でも言える台詞を。
「愛してるわ、美奈子」
「梓……」
 美奈子も、笑った。
 吸血鬼になってから初めて、私の憧れる輝くような笑顔を見せてくれた。
「梓の気持ち、人間だったときには応えられなかったけど……嬉しくなかったわけじゃないわ」
 私たちは唇を重ねた。血の交換のためではない本当のキス。
 舌が触れ合い、身体中に痺れが走る。
 それは吸血鬼になったときに味わったよりも甘美な感覚。
 私は、ようやく望むものを手に入れたのだ。
 そして私たちは身体を離し、ジュリアに向き直った。
「ああ……神よ、梓さんと美奈子さんの罪をお赦しください……」
 ジュリアは、がたがた震えながらも私たちに十字架を向け、彼女の神に祈っていた。
 私は剣を拾い上げて、彼女に告げた。
「祈るなら、自分のために祈りなさい」
「……梓、さん……」
 ジュリアは、ひどく哀しげな顔をした。
 恐らくは私への憐憫。彼女には理解できない選択をした私への。
 それからジュリアは眼を閉じ、両手で十字架を捧げ持って祈った。
「神様……、マリア様……」
 私は剣を振るい、ジュリアの首が床に転がった。
 首を喪った胴体から血しぶきが火柱のように噴き上がった。
 美奈子と私はそれを浴び、新鮮な血で喉を潤した。
 リリスは、くすくすと笑っていた。
「もっと嬲って愉しめた筈なのに、随分と淡白ね。それとも仲間だったシスターへの憐みかしら?」
「それもないとは申しませんが……それ以上に私は、ジュリアには興味を抱いておりませんでした」
 私が、にっこりと笑って答えると、リリスは「あはっ!」と声を上げて笑う。
「正直ね、あなた。そうね、欲しいものは手に入ったのですものね。リリスは嫉妬してしまいそう」
 残り六匹の劣化吸血鬼たちもリリスの周りでお追従の薄笑いを浮かべている。
 考えてみれば、リリスは哀れな存在だ。
 数千年の間には私のように自我を保ったまま吸血鬼になった臣下もいなかったわけではないだろう。
 だが結局、いま周りに侍るのはリリス自身の劣化コピーばかり。
 仲間の吸血鬼を犠牲にして、何千年も存在し続けてきたとリリスは言った。
 その言葉がリリスの臣下たちの末路を表している。
 リリスは孤独だ。自ら選んだことだとしても。
 私にとっての美奈子のような存在を、リリスは得たことがないのだろう。
 リリスは再び、指をしゃぶって濡らした。
 その指で自らの乳首を転がすように弄びながら、上目遣いに私を見た。
「あなたの見世物は、これでおしまい? リリスの敵は人間ではないわ、退屈がリリスを滅ぼすのよ」
「心得ております、真祖リリス」
 私は微笑みを返しながら、恭しく頭を下げた。
「どうぞ、私たちふたりに伽(とぎ)をお申しつけ下さい」
「いいの? せっかく望みが叶ったのに、あなたたち、ふたりきりで愉しみたいのではなくて?」
 おどけて眼を丸くしてみせるリリスに、くすくすと私は笑って、
「望むものは何であれ赦すと、おっしゃったではありませんか。真祖は嘘をつかない筈では?」
 たった十七年、人間として生きただけの私が。
 吸血鬼としては「なり立て」の私がリリスに同情するなど、おこがましいことだろう。
 けれども一時(いっとき)にせよ、美しい主人を慰めることができるなら。
 私は、それをしたいと望んだのだ。
「あなた欲張りね。とても吸血鬼らしいわ」
 リリスも笑いながら、美奈子に視線を向けた。
「あなたはどうなの? 告白されて愛し合うようになったばかりで、彼女、もうリリスに色眼を使ってるけど」
「あたしは……」
 美奈子は隣に並ぶ私の顔を見上げた。
 そしてもう一度、輝くような笑顔を見せると、私の手に指を絡ませてきた。
 私と手を繋ぎながらリリスに向き直り、美奈子は言った。
「あたしのために、ここまでした梓が……もうあたしを裏切ることはないと信じてます」
「あなたたち、リリスを嫉妬で狂わせるつもりね」
 リリスは、くすくすとおかしそうに笑った。
「いいわ、こちらにいらっしゃい。あなたたちも愉しんでいいけど、ちゃんとリリスを満足させなさいね」
「はい……」
 美奈子と私は顔を見合わせ、くすっと笑い合うと。
 仲間だった吸血鬼ハンターたちの血で染まった衣服を脱ぎ捨て、リリスの待つソファへ向かった。
 
----------------------------------------------------------------------------------------------------
【終わり】


いかがでしたでしょうか?
芹沢軍鶏様の素敵な世界が見事に広がっておりましたですね。
芹沢軍鶏様、あらためまして投稿ありがとうございました。

それではまた。
  1. 2009/06/12(金) 21:22:40|
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真祖リリス(中篇)

芹沢軍鶏様よりの投稿作品、真祖リリスの二回目です。
いよいよ梓の行動の謎が明かされる?

お楽しみください。


【真祖リリス(中篇)】
 
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「──ぐぁはっ!?」
 断末魔のように聞こえたのは、肺に溜まった空気が口から漏れ出ただけだろう。
 私の剣は過(あやま)たず、五業の心臓を抉ったから。
 彼は何が起きたか理解する暇もなく――「仲間」である筈の私に裏切られたこともわからずに死んだ。
 私が殺した。
 五業の腰を蹴りつけて剣を引き抜き、私は返す刀でマルコを仕留めにかかった。
「……五業っ!?」
「梓っ!? 何でっ……!?」
 ジュリアと美奈子が叫ぶ。
 何で、ですって?
 美奈子……『あなたのため』よ。
 マルコが唯一の武器である十字架を私に向かってかざした。
「父と子と精霊の御名において、千野梓の内に潜みし悪魔よ、去れ!」
「無駄よ」
 ためらうことなくマルコの胸に剣を突き立てる。
「私は、まだ人間だもの」
「……ぐぶぉあっ……!?」
 マルコが血を吐き、私のブラウスとスカートにそれが撥ねかかった。
 心臓を外れて即死とはいかなかったようだ。私も詰めが甘い。
「……マルコ……、梓……、何で……?」
 視界の端でジュリアが、がくがくと震えている。
 美奈子へは視線を向ける気になれない──いまは、まだ。
 いずれにせよ剣術家の私に抗える戦闘能力は彼らにはない。
 マルコの身体から力が抜けるのを感じて、私は剣を引き抜いた。
 彼の顔は蒼ざめ、その眼は、すでに焦点が定まっていなかった。
 私が一歩、身を引くと、マルコは前のめりに倒れて、それきり動かなくなった。
「……梓……、いったい……どうして……?」
 美奈子が呼びかけてきたが、私は答えず、リリスたち吸血鬼に向き直った。
 リリスの配下の吸血鬼たちも何が起きたか理解できていないようだった。
 薄笑いをこわばらせて、こちらを見ている。
 だが、リリスだけは違った。
 彼女は事の成り行きを楽しんでいるようで、私と眼が合うと、にっこりと微笑んでさえみせた。
 私は抜き身の剣を手にしたまま吸血鬼たちに近づいた。
 薄笑いの劣化コピー吸血鬼たちに動揺が走る。
 吸血鬼ハンターの仲間割れという余興は彼らの主人を歓ばせたらしい。
 だが、それを演じた私が彼らの味方であるかどうかは、わからないのだ。
 私は人間で、彼ら吸血鬼の同類ではないから。
「道を開けてあげなさい」
 リリスが呼びかけ、臣下の吸血鬼たちは素直にそれに従った。
 私がリリスに仇なす可能性を危惧したとしても、主人の命令に抗うことは彼らの行動の選択肢にはない。
「真祖リリス――」
 私はリリスの前まで進み出ると、その場に片膝をついて剣を置き、頭(こうべ)を垂れた。
「――我が剣と血を捧げます。願わくば臣下の末席にお加え下さい」
「梓さん! 何ていうことを……!」
「梓っ……!?」
 ジュリアと美奈子が叫ぶが、私は振り返らない。
 この手で五業とマルコを殺して、後戻りできるわけがない。
「吸血鬼になることを望んだ人間は、あなたが初めてではないけど、なかなか手際は見事だったわ」
 リリスが、くすくすと笑いながら言った。
「愉しませてくれたご褒美よ。あなたが望むものを手に入れなさい。──顔を上げて」
「はい……」
 間近で仰ぎ見るリリスは、背筋がざわつくほどの美貌だった。
 幼げな裸身も、すらりと長い手足の均整がとれて妖精のように可憐であった。
 数千年にわたって彼女が啜り、その体内で入り混じったあらゆる民族の血。
 そこから優れた外見的要素ばかりが抽出されたのか。
 リリスは「ふふっ……」と微笑んだ。
「望むものを手に入れなさいと言ったわ。ええ……それが何であれ赦すわよ」
「いえ……」
 私は眼を伏せる。
 リリスは美しい。だが、私が求めるのは彼女ではない。
「そうね……リリスの臣下になっても、あなたが忠誠を誓う対象はリリスではないのでしょうね」
 くすくすと笑いながら、全てお見通しであるかのようにリリスは言った。
 そして右手の人差し指を口に含むと、濡らした指で自身の未成熟な胸に――花の蕾のような乳首に触れた。
「……んっ……はあっ……」
 心地よさげに吐息をつき、自らの乳首を指先で転がす。
 眼を伏せたままの私の視界の端に、その様子が映っている。
 それから、リリスはいったん指を離し――その指先、いや爪が鋭く尖ったかと思うと。
 己の膨らみかけの――しかし永遠にそれより成長しない筈の――乳房に、爪を突き立てた。
「……んくぅっ……!」
 リリスは呻く。人間を嬲り殺して愉しむ彼女も痛覚と無縁ではないらしい。
 鮮やかなほど赤い血が傷口から溢れ、爪を濡らす。
「……んはぁっ!」
 リリスは爪を引き抜いた。そして血にまみれたその指を、私に突き出した。
「リリスの血をあなたに与える。その前に、リリスがあなたの血を吸う」
「はい……」
 私は再び眼を上げて、リリスの顔を見る。
 リリスは、にっこりとして、
「吸い尽くされて干からびる前に、この指を吸いなさい」
「……はい」
 私が頷くと、リリスはソファを降りて床に膝をつき、私の頬に左手で触れ、髪をかき上げた。
 そして首筋に顔を近づけて来る。
 吹きかかる吐息が、こそばゆい。幼い裸身が放つ、甘い体臭が鼻をくすぐる。
「やっ……やめてっ、梓っ!」
 美奈子が叫び、びくりと私は身を固くした。
 リリスが「ふふっ……」と笑い、私に囁きかける。
「どうする? やめる?」
「いえ……」
 私は首を振る。
「させないっ!」
 叫んだ美奈子を、しかしリリス配下の吸血鬼たちが阻んだようだ。
「フフフ……儀式ノ邪魔ハサセナイワ……」
「オマエタチモ全能ナル真祖りりす様ニ従ウノヨ……ウフフフフ……」
「どきなさいっ! どいてっ!」
「美奈子さん待って! わたしも戦います!」
 ジュリアも叫び、ともに戦うようだが、多勢に無勢。
 出来損ないの劣化吸血鬼でも八匹いれば、美奈子とジュリアの二人きりでは手に余るだろう。
 私は彼らに背を向けたまま、リリスの接吻を待った。
 そして――
 
 ――――――――!
 
 リリスの牙が、私の首に突き立った。
 鋭い痛みと、深い谷底へ一気に落ちていくように全身が粟立つ感覚。
 眼の前が真っ暗になり、何も見えない。
 だが、リリスの指が唇に触れるのを感じ、私は無我夢中でそれを口に含んだ。
 
 ――――――――!!
 
 痺れが走った。
 いや、生半可な形容では効かない感覚だった。
 これが性的な絶頂であるとしたら、私はいままで本当の絶頂を味わっていなかったことになる。
(自慰行為でしか経験していないことではあるが。)
 しかし、そんな生易しいものでないことを消し飛びかけた私の理性が訴えていた。
「……あはははは、あははは、あはっ……!」
 笑いがこみ上げて、私はリリスのいや御主人様の指を口から離してのけぞった。
 御主人様の牙は、すでに私の首筋から離れている。
「あははははっ、あはははっ、あはははははっ……!!」
 素晴らしい!
 素晴らしいわ!
 これが吸血鬼! これが全能なる真祖リリス様の血!
 身体中に吸血鬼の力が漲(みなぎ)るわ!
 何もかもを可能にする真祖の力が!
 なぜ私は人間であることに囚われていたのかしら!
 真祖の全能を知りながらリリス様の元に馳せ参じなかったのかしら!
 浅ましくも退魔剣士を気取ってリリス様に弓を引いたのかしら!
「あはははははは……! あはは……! あははははは……!!」
 素晴らしいわ! これが!
 吸血鬼! これが!
 これが…………!
「…………ぐっ、ぐぅぅぅぅぅっ…………!」
 私は溢れる感情を必死で抑え込んだ。
 両手で頭を抱え、背を丸め、歯を食いしばって激情に打ち克とうとした。
 何のために五業とマルコをこの手で殺したのだ。
 何のために美奈子の眼の前で、彼女が赦すはずもない裏切りを演じたのだ。
 全ては、私が。
 ほかの誰でもない、リリスの劣化コピーなどではない、この私が。
 私の欲するものを手に入れるためではないか!
「……くぅっ、くぅぅぅぅ……!!」
 ぶるぶると身体が震える。抑え込まれて行き場を失った力が、そうさせる。
 指が頭に食い込みそうだ。胸に引きつけた膝で肋骨が砕けそうだ。
 ――だが。
「……ははっ、ははは、はは……!」
 不意に、頭が冴え渡るように感じだ。
 激情も葛藤も苦痛も消えた。
 私は私だった。
 母を知らず、父を父と呼べず師としてのみ仰ぎ、幼い日から剣と神事の修行に明け暮れた私ではなく。
 自分を律するといえば聞こえはいいが、人並みの情緒を歪め、撓(たわ)め続けた偽りの私ではなく。
 欲しいものを手に入れる。
 当たり前のことを当たり前のようにできる、本当の私だ。
 私は顔を上げ、リリスを見た。
 リリスは紅のように唇を染めた血を――私の血を――手の甲で拭いながら、微笑んだ。
「リリスの血は強すぎて、みんなを狂わせてしまうのよ。さて、あなたはどうかしら?」
「私は、私です。狂っているとすれば初めからです」
 答えて言った私は、微笑みを返す。
 本当の私は当たり前のように笑えるのだ。リリスのように。
 美奈子のように。
 リリスは、にっこりとした。
「あなた、笑うと綺麗ね」
「……ありがとうございます」
 私は、くすくすと笑ってしまう。
 笑うことは本当に気持ちがいい。それができなかった私は――人間だったときの私は、本当の私ではない。
「さあ、欲しいものを手に入れてらっしゃい」
「……はい」
 ソファに戻ったリリスに促され、にっこりと笑った私は再び剣をとって立ち上がった――
 
----------------------------------------------------------------------------------------------------
【続く】
  1. 2009/06/11(木) 21:18:32|
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真祖リリス(前編)

いつも私がお世話になっております、当ブログのリンク先であります、「芹沢軍鶏もしくは【】の人の敗北宣言」の芹沢軍鶏様より、投稿作品をいただきました。

ちょっと長めの作品でしたので、今日、明日、明後日の三日間に分けて掲載させていただきます。
芹沢軍鶏様の妖しい世界をどうぞお楽しみくださいませ。


【真祖リリス(前篇)】
 
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 夢スタジアムTOKYO2016──
 東京都の財政破綻による五輪開催返上に伴い、完成目前で放棄されたメインスタジアム予定施設。
 真祖たる吸血鬼リリスの「王宮」が、そこにあった。
 ついに、ここまで来た……
 地下四階、非常用自家発電機室。
 その入口の扉を前にして、私の胸に熱いものがこみ上げた。
 灰色に塗られた金属製の扉の奥に、真祖リリスの玉座があるのだ。
 ここまで一緒に闘ってきた吸血鬼ハンターの「仲間」たちを見やる。
 寡黙な密教僧でリーダー格の五業(ごぎよう)。
(巡礼装束に仕込杖を携え、ヘッドライト付きのヘルメットをかぶった姿はシュールだけど。)
 カトリックに属する皮肉屋の青年司祭、マルコ(洗礼名で、生粋の日本人だ)。
 同じくカトリックの生真面目なシスター、ジュリア(年齢は二十歳、彼女も日本人)。
 在日英国教会主教の娘で天性の悪魔祓い(エクソシスト)、美奈子・ホルムウッド。
 名前から察せられる通り日英ハーフの彼女は、私と同じ高校に通う大切な「友人」でもある。
 そして私――、千野(ちの)流剣術宗家二十一代にして式内小社千野神社宮司家継承者、千野梓(あずさ)。
 神職の位階の取得前なので立場は巫女だが、剣術家としての技量を認められてこの場にいる。
 着ているものは美奈子と一緒で高校の制服だけど。
 この格好で日本刀を携えているのは漫画みたいだ(かといって巫女装束は余計に似合わない)。
 ちなみに、五業以外はキャンプ用のLEDランタンを手にしている。
 戦闘中は足元に置けば周囲を照らしてくれるので、ありがたい。
「──いよいよ、だな」
 五業が口を開いた。
「これで、最後だ」
「そうですね、どちらに転んでも」
 マルコが眼鏡をかけた端正な顔に、いつもながらの皮肉めいた微苦笑を浮かべる。
「向こうに逃げ道はない、こちらも逃げるつもりはない。これが最終決戦です」
「わたしたちがリリスを退けなければ、吸血鬼の犠牲者が出続けることになります」
 ジュリアが力を込めて言った。
「必ず……勝ちます!」
 吸血鬼リリス。
 神話の時代から存在し続けるといわれる彼女は気まぐれな暴君だ。
 その毒牙にかかった人間は吸血鬼に変じ、妻は夫の、娘は父の、母は我が息子の血と生命を吸い尽くす。
 哀れな犠牲者にリリスが慈悲深くも赦しを与えるまで、たっぷりと時間をかけて。
 愛する者に裏切られ、絶望と苦痛のうちに死んでいく犠牲者たちをリリスは眺め、愉しむのである。
「さあっ、気合の入ったところで行きましょうかっ♪」
 軽いノリの口調で皆に呼びかけたのは美奈子だった。
 くりくりとした眼に悪戯っぽい光をたたえた彼女は、ハンター仲間のムードメーカーだ。
 ところどころに金色が筋のように混じった栗色のショートの髪。
 身長一五五センチとやや小柄だが均整のとれた身体つきで、制服のブラウスの胸は誇らしげに膨らむ。
 ぎりぎりまで丈を詰めたスカートからは形のいい素脚がチアリーダーのように伸びている。
 実際のところ学校ではチアリーダー部に所属しているが、いつも笑顔を絶やさない彼女にはぴったりだろう。
「……ええ」
 我ながら、もう少し気の利いたリアクションができないのかと思うが、私はそう頷いただけだった。
 私は女としては美奈子と対照的だ。
 一七九センチと高すぎる背丈。子供の頃から巫女を務めるために伸ばし続けた髪は腰に届く長さ。
 顔立ちは私を生んですぐ亡くなった母に似ているといわれる。
 けれどもアルバムに残された写真で見る限り、母は私などが及びもつかない美人だ。
 どの写真を見ても笑顔の母は、むしろ美奈子に似ている。
 剣術家として、宮司家継承者として自分を律することを求められて育った私は、母のようには笑えない。
 五業が扉の把手に手をかけた。
「……行くぞ」
 その言葉に皆は頷き返し、マルコとジュリア、美奈子と私がそれぞれ戸口の左右に分かれて身を隠す。
 不意打ちはリリスの趣味ではないというが、臣下の吸血鬼がそれをするのを止めることもしないだろう。
 五業自身は扉を盾にできる。
 吸血鬼は人間を凌駕する身体能力を備えた化け物だが、金属の扉を突き破れるほど非常識な怪力ではない。
 ――がちゃり。
 五業が把手を回し、扉を少し引き開けたが――室内から光が漏れてきて、怪訝に眉をしかめて手を止めた。
 明かりがあるのだ。
 暗闇の中でも自在に活動できる吸血鬼には必要ない筈だが。
 罠だろうか。せっかくランタンの僅かな光の中での戦いに慣れたところなのに。
 私たちの眼が室内の明るさに馴染んだところで、不意に周囲を暗闇に戻す目論見か。
 リリスは不意打ちを好まないとはいうが、それは「より長く狩りを愉しみたい」という悪趣味な理由からだ。
 人間を動揺させて精神的に追い詰めることは、むしろリリスは大の得意である。
 ここに来る途中で私たちは、「なり立て」の吸血鬼を何匹も始末するはめになった。
 人間としての自我を失いきっていない彼らは、リリスに襲われた恐怖さえ拭いきれていなかった。
 涙を流し、怯えて震えながら、しかし血への渇望を抑えきれず、私たちに襲いかかってきた。
 私たちにできたのは、すみやかに彼らをリリスの軛(くびき)から解放すること――
 すなわち「真の死」を与えることだけだった。
「……どうぞ、入っていらして。いまさら遠慮なさることないでしょう?」
 室内から少女の声が呼びかけてきた――リリスだろうか?
 扉の外で、私たちは頷き合った。
 五業が大きく扉を開き、彼を先頭に私たちは自家発電機室に入った。
 そこは床も壁もコンクリートの打ち放しの無機質な空間だった。
 広さと天井の高さは学校の体育館ほど。もちろん地下深くであるから窓はない。
 室内の中央にはマイクロバスほどの大きさの機械が二台、据え置いてある。
 ガスタービン発電機だろう。ここに来る前のブリーフィングで説明を受けた。
 燃料は軽油を使用するそうだが、それが運び込まれる前に、この施設は放棄された。
 だが驚くべきことに、発電機は「生きて」いた。
 ガスタービン特有の――ジェット旅客機のエンジンを想像すればいいらしい――甲高い駆動音は、ない。
 しかし確実に、発電機は「脈動」していた。
 ぶるるん、ぶるるんと、かすかな音を立てて震えながら。
 リリスの魔力によるのだろう。
 その源泉は、何千年もの間、彼女が奪い取ってきた人間たちの生命――
「あなたがたのために明かりを用意しておいたのよ。せっかく、ここに発電機があるのですもの」
 疑問に答えるように言ったリリスは、発電機の前にいた。
 そこに置かれた真紅の革張りのソファの上に、しどけなく横座りして。
 見た目には十二、三歳の少女のようだ。
 おかっぱにした黒い髪とのコントラストが眩しい、色白の幼い裸身を晒している。
 ソファの周りの床の上には七、八人の女が、やはり全裸で侍っていた。年齢は十代から三十代。
 こちらを気にせず抱き合っていたり口づけを交わしているのは、ソドムさながらの肉欲の宴の最中か。
 ジュリアが素早く十字を切るのを見て、リリスは、くすくすと笑った。
「罪深いリリスたちのために祈ってくださるなんて、優しいシスター様」
「己(おのれ)の罪を理解しているのなら、なぜ悔い改めないのです!」
 ぴしゃりとジュリアが言い返すと、リリスはおどけるように肩をすくめて、
「皮肉で言ってあげたのに。カナンの最古の支配者であるリリスが、ヘブライ人の律法に従う謂れはないのよ」
「無駄とわかっていても、ついお説教したくなるんですよ」
 いつもの皮肉めかした調子でマルコが言った。
「彼女も僕も、職業柄……ね」
「こういうのはどうかしら」
 リリスは私たちを見渡すように視線を動かしながら言った。
 マルコや五業より、ジュリアと美奈子に眼を向けている時間が長く感じられたのは気のせいではないだろう。
 リリスは人間の男を食欲を満たすためのエサ、あるいは嗜虐欲を満たすための玩具としか見なさない。
 だが、眼鏡にかなった女は吸血鬼に変え、臣下として側近くに侍らせる。
 ジュリアと美奈子は美貌の主だ。
 いまソファの周りにいる女たちを見ても、リリスの審美眼の確かさはわかる。
「この国を出て行くから、追いかけては来ないで。お互い、これ以上は傷つかずに済むわ」
 最後に私を見たとき、リリスは、くすっ……と、笑いかけてきた。
 背筋に冷たいものが走り、私は剣をつかむ手に、ぐっと力を込めた。自分を奮い立たせるように。
 ここまで来て後戻りなどできはしない。
「話にならんな」
 五業が、きっぱりと撥ねつけるように言った。
「その髪の色、顔かたち……この国の人間と似た姿になるまで、いったいどれだけ血を吸った?」
 リリスは日本に現れる以前はロシアにいたことが知られているが、当時の彼女は金髪碧眼であったという。
 行く先々の土地で地元民の血を吸い続けることで、彼らと似た身体的特徴にリリスは変化するという。
「戯れに嬲り殺した人間の数はそれ以上だろう。ここで、その報いを受けてもらう」
「交渉決裂ね」
 リリスは、くすくすとおかしそうに笑った。
「でも、機会は与えてあげたのよ。そのことは覚えておいてね……自分たちの愚かさを呪うために」
 すっ――と、リリスの周りに侍る女たちが立ち上がり、主人を守るように横一列に並んだ。
 皆、同じように薄笑いを浮かべながら。
 リリスによって吸血鬼に変えられた者は、主人の残忍な性格をコピーされるという。
 それにしてはリリスと比べて薄っぺらな笑いに見えるのは、劣化コピーというところか。
「リリスの忠実な臣下たち――でも、元はあなたがたと同じ人間よ。まずは彼女たちを滅ぼして御覧なさい」
 リリスは言って、にっこりとした。
「ここに来るまで何匹も始末したでしょうから、いまさら、ためらうこともないでしょう?」
「卑怯者! あなたは、どこまで卑怯なのです! ヒトを盾にしないで自分で戦いなさい!」
 ジュリアがそう叫んだのは、しかしリリスを面白がらせただけだった。
「リリスは卑怯よ。だから何千年も存在し続けて来られたの。多くの人間や仲間の吸血鬼を犠牲にして、ね」
「……ねえ、リリス」
 美奈子が口を開き、私は少しばかり驚いた。
 彼女の口調がリリスへの怒りや憎悪が籠もるものではなかったからだ。
 だが、それが感情を抑えたものだということは、美奈子の顔を見て理解できた。
 いつもの笑顔が消えていた。
「あなたは嘘はつかないと聞いたわ」
 そう言った美奈子に、リリスは微笑みながら小首をかしげた。
「……ええ、嘘で人間を騙すのは簡単すぎてつまらないもの。それがどうかして?」
「だったら訊くけど、吸血鬼になったヒトを元の人間に戻す方法はあるの?」
「その質問をしたのは、あなたが初めてではないわ。リリスの答えは、いつも同じだけど」
 リリスは言って、にっこりとした。
「死んだ人間は生き返らない。吸血鬼になるということは、人間としては死んだのと同じことよ」
「あっさり答えてもらえると思わなかった」
 美奈子は眼を丸くして、肩をすくめた。
 それから、自分を鼓舞するためだろう、あえて笑顔を見せて言う。
「でも……だったら、そのヒトたちを解放するのに何もためらう必要ないよねっ♪」
 その言葉が合図になった。
 五業が仕込杖を抜き放ち、私も剣を抜いた。
 マルコとジュリア、そして美奈子は十字架を構える。
 吸血鬼との戦いでは五業と私が前衛を務めるのが常だ。
 そこで五業はいつも通り、前へ進み出たのだが──
 私は一歩、踏み出しを遅らせると。
 五業の、無防備な背中へ。
 剣を……突き立てた!
 
----------------------------------------------------------------------------------------------------
【続く】
  1. 2009/06/10(水) 21:01:38|
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西南戦争(5)

今日が誕生日の私が来ましたよ。
また一歳歳を取ってしまいました。
さて、「西南戦争」の5回目です。


年が改まった明治10年(1877年)1月。
警視庁大警視川路利良の命を受けた警察官らが三々五々と鹿児島にやってきます。
このことは、一度に多くの警察官がこの時期に鹿児島に帰郷したということで、私学校一党は当然これを怪しみ、鹿児島に対して新政府が何かたくらんでいるものとの疑いを持ちました。

同年1月末。
ついに事件が起こります。
鹿児島火薬庫襲撃事件です。

鹿児島には薩摩藩の頃すでに英国から技術と工作機械を導入して、新式の元込め式ライフルである「スナイドル銃」の弾薬製造を行なっておりました。
スナイドル銃は当時の日本陸軍も主力銃として採用していた新型銃であり、この時点では鹿児島の弾薬製造施設が国内唯一の大量製造施設でありました。
そのため、日本全国の陸軍兵士の所有するスナイドル銃の弾薬は、ここ鹿児島で製造されていると言って過言ではなく、鹿児島の弾薬貯蔵施設には多くの弾薬と、相当量の武器も保管されていたのです。

この鹿児島に貯蔵されている武器弾薬が、もし万が一私学校一党の手に渡り、反乱に使われでもしたら・・・
新政府はこの懸念から、鹿児島にある武器弾薬を大阪に運び出すことにしたのです。

このことは長州出身の山県有朋と薩摩出身の大山巌の両者が了解しており、陸軍上層部の意思統一は図られておりました。
そして武器弾薬の搬出任務のために、「赤龍丸」という船が鹿児島に向かいました。
これに伴い、山県有朋は鹿児島の暴発を警戒するよう熊本にある鎮台に電報を発したといわれます。

従来、鹿児島の弾火薬庫から武器弾薬を運ぶ際には、危険物輸送ということから周囲に告知され日中運び出されるのが常でした。
しかし、今回の搬出は私学校一党に気付かれぬようにとの配慮からか、夜間搬出とされました。
これがまた私学校一党を逆に刺激することになりました。

鹿児島の弾薬製造施設は、建前上はすでに明治新政府の陸海軍省の管轄であり、陸海軍にその所有権があると私学校一党も理解はしておりました。
しかし、薩摩藩が藩のために建設した製造施設で作った弾薬なのだから、いざというときには旧薩摩藩士が使用するのは当然であるという意識も持っておりました。
にもかかわらず、新政府は夜間こそこそと鹿児島から武器弾薬を運び去ろうとしているという状況に、彼らはこれは新政府の挑発であると怒りを覚えました。

明治10年(1877年)1月29日。
赤龍丸は、陸軍草牟田火薬庫から夜間に武器弾薬を運び出します。
これに怒った私学校士族二十数人が独断で火薬庫を襲撃。
小銃弾約六万発を奪取したといわれます。
ついに鹿児島に火の手が上がった瞬間でした。

翌1月30日。
私学校士族による火薬庫襲撃の報を聞いた私学校幹部たちが対策を協議するために集まります。
篠原国幹、永山弥一郎、淵部高照、西郷小兵衛(隆盛の弟)、河野主一郎らという面々であり、幹部の中でも重鎮の桐野利秋は別の場所にいて留守であり、西郷隆盛自身も大隈半島の小根占というところで猟に興じていたために留守でした。

対策会議は今回の事件を一部の跳ね返りの先走りとして隠忍自重などという意見はさらさらなく、むしろこの事件を契機に新政府と一戦もやむなしという強硬意見のほうが強かったといわれます。
そして政府の密偵と思われる帰郷した警察官らを捕縛し、彼らの目的が何かを自白させるべきだとして、接触を開始。
そうしている間にも私学校一党が再度火薬庫を襲撃。
この襲撃には約千人もが参加したといわれます。

1月31日。
政府密偵の警察官らの目的がとんでもないものであったとの報告が私学校幹部たちの元に届きました。
彼らの目的は西郷暗殺だったというのです。
密偵の一人中原尚雄少警部(当時の警官の階級の一つ)に探りを入れるために接近した顔見知りの谷口登太という人物が、直接中原本人から漏れ聞いたとされることによれば、彼らの目的は鹿児島にもぐりこみ西郷を“シサツ”することだと言ったというのです。
この“シサツ”という言葉は、“視察”を意味するものだと後年山県有朋は述べたといわれますが、私学校一党にしてみれば、“刺殺”を意味すると受け取ったほうが都合がよかったのでしょう。

火薬庫襲撃という発火点を迎えてしまった今、私学校一党にはもはや明治新政府と一戦交えるほか道はありませんでした。
その意味でも新政府が西郷を暗殺しようとしているとすれば、立ち上がる大義名分も整います。
ただちに密偵が何人も捕らえられ、自白が強要されました。
そしてその自白によって西郷暗殺の裏が取れたと見た私学校幹部たちは、あとは立ち上がるのみと考えたと思われます。
いよいよ鹿児島に嵐が起ころうとしていたのでした。

(6)へ
  1. 2009/06/09(火) 21:18:08|
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あれから一年

内閣府の発表によれば、景気ウォッチャー調査で5ヶ月連続のポイント上昇だそうですね。
少しずつ持ち直しつつあるということでしょうか?
生活も少しずつでも楽になってくれるといいのですけどねぇ。

ところで、今日6月8日は2001年に大阪で小学校に男が乱入し、無差別殺傷事件を起こした日であると同時に、昨年、東京秋葉原の路上において男が通り魔的に17人を殺傷した事件の日なんですね。
何かつながり的なものがあったのでしょうか・・・

「死にたい(死刑になりたい)から人を殺した」
この動機には怒りしか覚えません。
死にたいのなら一人で死ぬべきだし、一人で死んだって大勢の方に負担をかけるのに。

でも、死刑になりたいからという動機が犯罪をもたらすという面があるのなら、犯罪抑止効果とどっちが大きいのか死刑についても考えなくてはならないのかもしれませんね。
ただ、この場において肯定否定を論ずるつもりはありませんので、ご理解ください。

この記事を書いた理由は、ただただ被害に遭われた方のご冥福をあらためてお祈りするとともに、あの日から一年が経つにもかかわらず、後遺症で悩まされていらっしゃる方、事件のことで精神的肉体的にお悩みになられている方がいっぱいおられるということを、あらためて思い起こさせてもらったということなのです。

できれば二度とこのような事件が起こって欲しくありません。
ただただそう思うばかりです。

それではまた。
  1. 2009/06/08(月) 20:27:42|
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今号も面白かった

学研から出版されている「歴史群像」2009年6月号読了しました。


(こちらが表紙)

今号の特集記事は「帝国海軍の第二段作戦」です。
対米英蘭戦争を開始した日本海軍は、第一段作戦として真珠湾攻撃や南方進出作戦を行ないましたが、その後の第二段作戦をどうするのかというビジョンが欠けていたというものです。
当時の日本は海軍ばかりでなく陸軍にも長期ビジョンはなく、半ば行き当たりばったりで戦争に踏み込んだというのがよくわかります。

面白かったのは前号から連載が開始された「大砲入門」です。
今回は帆走戦列艦の発達とそれに伴い大砲が海戦の主役になっていった過程が載っており、帆走戦列艦が好きな私にとっては楽しい記事でした。

また「各国陸軍の教範を読む」という連載では、今回はソ連軍の行軍教範について書かれており、ソ連軍が自軍の能力をわりと正確に見積もっているのが印象的でした。
なかなか自軍の能力というのは、客観的に見ることができづらいものなので、そういう意味ではたいしたものだと思います。
やっぱり最近はソ連軍好きだなぁ。(笑)

今号も楽しい記事ばかりでした。
次号が楽しみです。

それではまた。
  1. 2009/06/07(日) 20:51:24|
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ノルマンディーではなくアルンヘム郊外

今日6月6日は、1944年に米英連合軍がフランスのノルマンディーの海岸への上陸作戦、いわゆる「オーバーロード作戦」を発動した日です。
今年で65年になるんですね。

このノルマンディー上陸作戦の成功により、ドイツ第三帝国は東西から挟撃を受けることとなり、その崩壊を加速させていくことになります。

映画「プライベート・ライアン」の冒頭シーンや、「史上最大の作戦」といった映画でもおなじみの一大作戦ですが、実行する側としては相当に不安だったといいますね。
成功したことで、上層部はやれやれと胸をなでおろしたことでしょう。

ところがその後、独軍の抵抗もあり、連合軍の進撃ははかばかしくなくなります。
そこで英軍のモントゴメリー司令官が行なったのが、「マーケット・ガーデン作戦」でした。

オランダを流れるワール河やライン河にかかる橋を、空挺部隊を降下させて確保し、地上部隊を進撃させるというものです。
作戦そのものは失敗に終わりましたが、映画「遠すぎた橋」で有名になった作戦ですね。

夕べはGoma様とASL-SKでその「マーケット・ガーデン作戦」の一部分を切り取ったシナリオを対戦いたしました。
S23「MONTY'S GAMBLE」の入れ替え戦です。

シナリオの場所はオランダのオーステルベルク。
激戦となったアルンヘムの郊外です。
攻撃側(突破側)のドイツ軍がGoma様。
守る英軍が私です。

序盤、英軍はHIPの57ミリ対戦車砲が大活躍。
侵入してきた三号突撃砲の75ミリ砲タイプと105ミリ砲タイプの二両を撃破します。

こうなるとドイツ軍は残り一両の三号突撃砲を、なんとしても盤外に脱出させなくてはなりません。
逆に英軍は、歩兵を無視してでもこの残った三号突撃砲を撃破すれば、独軍の勝利得点が足りなくなるので勝利です。

中盤、独軍は前衛の英軍を白兵戦で撃破。
8-1指揮官一人と458一個分隊を失います。
さらに不用意な動きで稜線越しに移動した分隊が射撃され、混乱状態に。
わずか四個分隊しかない英軍はだんだん手数が足りなくなってきました。

それでも三号突撃砲を撃破すれば勝利との思いから、とにかく対戦車砲は三号突撃砲を撃つことだけを考え、じっとチャンスをうかがいます。

しかし、3ターンにはまたしても英軍の移動に対する独軍の防御射撃が炸裂。
k/1とK/2という結果を二連続で出され、8-1指揮官が混乱し458分隊は消え去ります。
独軍の撃った煙幕越しに移動して、独軍の脱出を阻む位置に移動しようとしたのが仇になってしまいました。

そして三号突撃砲を撃つことのみを考えていた対戦車砲は、4ターンには独軍歩兵に取り囲まれ、肝心の三突は移動しないというありさまに。
それでも射撃で二個分隊を混乱させたものの、ついに対戦車砲の操作班は白兵戦に巻き込まれてしまいます。

白兵戦は混戦へと発展しますが、この時点で英軍の無傷の分隊はなく、かろうじてもう一門の対戦車砲の操作班が生き残っているだけでした。

ところが4ターンの英軍ターンで458分隊が自己回復に成功。
最後の望みをつなぎます。

最終ターン、ドイツ軍は健在な全てのユニットが盤外に脱出すれば勝利。
一個でも混乱した時点で英軍の勝利という状況に。
お互いに息を飲むなかで、最後の独軍の移動が始まりました。

静々と盤外へ脱出していく独軍。
英軍はただ一個の458だけ。
対戦車砲は混戦に拘束され、無事だった操作班は前のターンに混乱しておりました。

生き残った三号突撃砲は味方を突破させるために煙幕を展開しつつ脱出。
8-1指揮官と一個分隊も脱出し、盤上には最後の独軍467分隊だけが残りました。

一歩ずつ丘の上を進む独軍分隊。
最後の頼みと英軍はここで射撃。
4FP+1-1の射撃は1MC。
しかし、独軍はこのモラルチェックを切り抜けます。

万事休した英軍でしたが、丘を下って煙幕の陰に入ったところでSFFを射撃。
2FP+2-1の射撃はなんと1・2の目で1MC。
このモラルチェックはついに耐え切れずに独軍467分隊が混乱。
最後の最後で脱出できなくなり、英軍の勝利となりました。

最後はもうダイス勝負になってしまいました。
どちらに転んでも不思議ない戦いでした。
偶然が作用してたまたま勝てましたが、ほぼ詰まれていたのは英軍でした。
どこか一箇所の出目が違っていただけで英軍の勝ちはなかったでしょう。

Goma様との対戦はいつもながらスリリングです。
次回はS24です。
次回もがんばるぞ。

それではまた。
  1. 2009/06/06(土) 20:52:15|
  2. ウォーゲーム
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06月06日のココロ日記(BlogPet)

ふみ~☆ソンナコトヲたべたいですぅ……

*このエントリは、ブログペットのココロが書いてます♪
  1. 2009/06/06(土) 10:51:31|
  2. ココロの日記
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ディープ・パープル

このたび、私がいつもお世話になっております闇月様より、新作SSを投稿していただきました。

タイトルは「ディープ・パープル」
楽しい作品でございますので、ぜひ皆様もお楽しみいただければと思います。

それではどうぞ。


【ディープ・パープル】

数本の蝋燭のみが灯された部屋に、下着姿のショートカットの少女が捕らえられていた。
少女の両手首と両足首は黒いロープのようなもので縛られ、その先は彼女の両側にある太い石柱にくくりつけられている。

カツーン、カツーンと部屋に響く靴音。
どこからともなく現れ、少女へと近づいてきたのは一人の若い女性だった。
色白の肌、腰の辺りまでまっすぐ伸びた紫の髪。
両肩から先を露出させた、深紫色のマーメードラインのロングドレスが女性の美しさを引き立たせている。

「お目覚めのようね…」

「あなたは誰? どうしてこんなことをするのよ?」
少女は女性をキッと睨み叫んだ。

「うふふ…元気なお嬢ちゃんだこと」
「ちょっと、私を子ども扱いしないでよ! これでもいちおう24なんだから!」
「ちょっとからかっただけよ。貴女が何者なのかはよーくわかっているんだから…対『カラーズ』特殊部隊後方支援員、藤野(ふじの)ゆかりさん」

「え、ちょ、何を言っているの? 私はそんなんじゃ…」
女性の言葉に、ゆかりは動揺を隠せない。

「隠さなくてもいいのよ。私は『カラーズ』最高幹部の一人、ミス・パープル。貴女のことも、貴女のお姉さんのことも調査済みなんだから」
ミス・パープルと名乗った女性は妖艶な笑みを浮かべ、驚愕の表情のまま固まるゆかりを見つめていた。

  *****

半年前、異空間から突然現れた謎の集団。
ブラック総帥率いる彼らは『カラーズ』と名乗り、全世界に宣戦布告し侵略の手を広げ始めた。
そんな『カラーズ』に対し、政府は水面下で特殊部隊を組織し、最新鋭の装備を投入した。
最前線で戦う戦闘要員は『ペインター』と呼ばれる3人の男女。
特殊スーツに身を包み、3人は『カラーズ』から送られてくる異形の怪人達を撃破していた。

藤野ゆかりの姉、あおいは『ペインター』唯一の女性、コードネーム「ペインター2」として日々戦っていた。
そんな姉を少しでも助けたいと思い、ゆかりは後方支援員に志願したのだ。
見た目は中学生か高校生くらいにしか見えない幼い風貌のゆかりだが、彼女は大学の情報工学科を首席で卒業し、部隊では戦略分析を担当している。

そして、ゆかりは休日にひとりで街へ出かけようとしたところを全身黒タイツの集団に襲われ、意識を取り戻した時には囚われの身となっていたのだった。

  *****

「うふふ、くるくる表情を変えるところがまたかわいいわね…」
ミス・パープルはそう言うと、小声で何か呟きながら右手を高く上げた。

すると、彼女の周囲から紫色の煙が噴き出し、瞬く間に部屋全体に広がっていく。

「な、何をするの? 私を毒ガスで殺すつもり!?」
「貴女を殺すためにここに連れてきたわけじゃないわ…それに、この『紫の煙』は毒ガスじゃないから安心しなさいな」
「じゃあ、なんなのよこの煙は!?」

ゆかりはロープで縛られた両手足をじたばたと動かし、なんとかして煙から逃れようともがく。
ミス・パープルはそんなゆかりの目の前まで近づくと、グイとゆかりの顎を掴み、彼女の眼をじっと見つめた。

「おとなしくしなさい」
ミス・パープルの瞳が淡い紫色に輝き、ゆかりの瞳を射抜く。

(あ…)
アメジストの光を見たゆかりの瞳は曇り、ボーっとした表情に変わった。

「そう、それでいいのよ」
ミス・パープルはそう言うと一歩後方に下がり、右手をゆかりの方にかざす。
すると、ミス・パープルの白い肌に絡み付いていた紫の煙が、ゆかりに向かって一直線に流れていき、下着姿のゆかりの身体にまとわりついた。

(なんなの、この煙…嫌なのに…身体が言うことをきかない…)
身体を嘗め回す紫の煙に、ミス・パープルの瞳術により身体の自由を奪われ、虚ろな瞳のゆかりはもはや抵抗することができなかった。


(さて、外だけでなく、内にも流し込んだ方が『効果』が早いわね)
再びゆかりの目の前に立ったミス・パープルは無抵抗のゆかりの唇に、自分の唇を重ねる。
舌で口をこじ開け、ゆかりの舌と自分の舌を絡ませ、唾液と一緒に『何か』をゆかりの喉の奥へ送り込んだ。

「ぁ…はぁ、はぁ…はぅん」
ゆかりの口から艶やかな喘ぎ声が漏れてくると、ゆかりの身体にまとわりついていた紫の煙が露出した肌に染み込んでいく。

(な、なんなのこれぇ…気持ちいい、気持ちいいよぉ)
ゆかりの心と身体は絶え間なく与えられる快感にされるがままになっていた。

それから数分後。

「ケムリ…紫のケムリぃ、気持ちいいよぉ…吸いたい…もっとちょうだぁい…」
最初は嫌悪していた紫の煙が自分に更なる快楽を与えてくれることに気づいたゆかりは、身体をくねらせて紫の煙を求める。

「うふふ…お望みとあらばいくらでもあげるわ。そのかわり…」
ミス・パープルがゆかりの耳元で優しく、そして妖しく囁く。

ミス・パープルの囁きに、ゆかりはニッコリ微笑んだ。

「はぁい、わかりましたぁ…ゆかりを好きなようにしちゃってくださぁい。ミス・パープルさまぁ」

ゆかりがそう言うと、ミス・パープルから今までのものよりさらに濃厚な紫の煙が発せられる。
煙は恍惚の表情を浮かべたゆかりの両耳の穴に入り込み、彼女の中に消えていく。

(あぁ…アタマの中にもキモチイイのがきたぁ…さいこぉ…)

「も、もうだめぇ…あぁぁぁぁぁぁぁ!」

快楽の絶頂に上り詰めたゆかりは叫び声をあげ、糸の切れた操り人形のように崩れ落ちる。
そして、ゆかりの身体から濃い紫色の煙が噴き出すと、気絶した彼女の全身を包みこんでいった。


(そろそろかしら…)
紫のロングドレスを纏った『魔女』、ミス・パープルは目の前に作られた深紫色の繭を見つめ、両腕を広げる。

「さぁ、目覚めなさい」

すると、繭にピシリとひびが入り、やがて真っ二つに割れると、中から小柄な女性が姿を現す。
肩まで伸びた薄紫の髪、色白の肌に、髪の色と同じ薄紫のショートドレスを纏っている。
女性は幼さの残る顔に似合わぬ妖艶な笑みを浮かべ、ミス・パープルの前までくるとその場に跪き、頭をたれた。

「今の気分はいかがかしら、ゆかり?」
「全身に快感が広がっていて、最高の気分です。ミス・パープル様」

ミス・パープルに『ゆかり』と呼ばれた女性は嬉しそうに彼女を見つめた。

「今の貴女は『藤野ゆかり』ではなく、『パープル・シャドウ』…私の『影』、私の『分身』」
「…私は『パープル・シャドウ』…ミス・パープル様の『影』…」

ゆかり―パープル・シャドウはミス・パープルの言葉を復唱し、自分自身に言い聞かせる。

「私に『様』はいらないわよ。貴女は私なのだから…」
「失礼しました、ミス・パープル」
「それと、貴女は『カラーズ』のシモベだけど、私の命令だけに従いなさい。私の命令が『カラーズ』からの命令よ、わかったわね?」
「はい、わかりました。私はミス・パープルの命令を『カラーズ』からの命令とし、その命令のみに従います」

パープル・シャドウはミス・パープルの言葉を疑うこともしなかった。
今の彼女にとってはミス・パープルが絶対の存在とされていたからだ。

「じゃあ、最初の命令よ、パープル・シャドウ。『藤野ゆかり』の姿に戻って、今までどおりの生活を続けなさい。そして、私に『ペインター』の情報を流すのよ」

パープル・シャドウはミス・パープルの命令に笑顔で答えると、目を閉じて小声で何か呟く。
すると、パープル・シャドウの身体は薄紫色の風に包まれ、一瞬のうちに藤野ゆかりの姿に変身した。

「では、行って参ります…早く元の姿に戻って、貴女とともに世界を支配したいですわ」
『ゆかり』はそう言うと、ミス・パープルと甘い口付けを交わし、部屋から姿を消した。


「うふふ…素敵な『人形』が手に入ったわ。ザコ戦闘員とヘボ怪人を生み出すことしか脳がないドクトル・グレイより、私のほうが優れているということを総帥に見せてさしあげますわ」

ミス・パープルはそう言うと、ヒールの音を高く鳴らし、部屋から姿を消したのだった。



いかがでしたでしょう?
闇月様、ありがとうございました。
またよろしくお願いいたします。
  1. 2009/06/05(金) 21:32:13|
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西南戦争(4)

士族の相次ぐ反乱に、西郷が愉快なことであると思っていたのは、書簡などから間違いなかったことでしょう。
ですが、それら士族の反乱は、比較的短時日で全て新政府及び陸軍によって制圧されました。
おそらく西郷自身は、自らが育ててきた日本陸軍が、意外なほど強くなっていることを感じていたかもしれません。
武士が軍事を独占していた時代は終わったのです。

ですが、そのことは武士階級に属していた人間にとって、容易に納得できるものではありませんでした。
神風連の乱において、熊本鎮台の兵が何人も反乱士族によって切り殺されたことからも、新政府の陸軍など弱兵であり、やはり軍事は専門の武士でないと無理だという意識が作られます。
この陸軍に対するある種の侮りが、のちの決起に多少なりとも影響したであろうことは否めません。

西郷本人は士族に対する新政府の扱いなどよりも、別の観点から新政府に対して憤りを感じていたといいます。
岩倉使節団はあれだけの人数で足かけ三年も欧米に行っておきながら、目立った外交成果を挙げることはできませんでした。
不平等条約の改正や日本に対して向けられる外圧の排除など、そういった事柄に対しては何もできなかったのです。
西郷にとってはこういった事柄こそが重要なのであり、その問題を解決できない新政府は無能力であると考えざるを得ないと思っていた節がありました。

そのため、特に強い外圧をかけて来ていたロシアに対して、いずれは自分が立たねばならないであろうと考えていたといわれ、書簡にて述べられたいずれ立つという文章も、「西南戦争」における決起をさすのではなく、対ロシア問題の表舞台に立つことを意味していたのではないかと考えられています。

どちらにせよ西郷本人は士族反乱など起こすべきではないと考えており、ゆったりと日々を過ごしておりました。
この西郷の心情が通じていたのか、この時点においては私学校士族たちも、桐野利秋や篠原国幹らの統率下で暴発することを抑えられておりました。
ただ、西郷が今後どうするのかについては、彼らにもわからなかったといわれます。

一方、新政府にとって鹿児島は不気味な存在でした。
半ば独立国として振舞う鹿児島は、新政府にとっては頭痛の種ではありましたが、倒幕の中心となった薩摩藩の軍事力は強大であり、それがほぼそのまま残っている状態では、なかなか鹿児島をどうこうしようとはできなかったのです。

この鹿児島の状況に苦々しい思いをしていたのが、長州出身の木戸孝允でした。
薩長同盟として倒幕の中核を担った薩長両藩でしたが、もともとの対立構造は根深く、木戸は薩摩嫌いだったといわれます。
その木戸が中心となり、鹿児島をどうにかしなくてはならないという意識が、じょじょに新政府内にも広がっておりました。

木戸は薩摩出身の大久保利通をきびしく突き上げました。
大久保は西郷とのよしみもあり、何とか鹿児島問題を穏便に解決しようとしていたのですが、その方策が手ぬるいと詰め寄ったのです。
このため大久保は、ついに鹿児島の県政改革に乗り出さざるを得ませんでした。

この時提案された県政改革の案は4点でした。

1)、県政改革により参事以下県官の大淘汰を行なう。
2)、内務少輔を派遣して鹿児島の県下情勢を探らせる。
3)、警視庁警部らを派遣して私学校士族の内部分裂工作を行なう。
4)、私学校士族に利用されぬよう鹿児島の陸海軍所管の兵器弾薬を大阪に移送する。

一見してわかるとおり、この改革案は私学校封じ込めを狙ったものでした。
ただし、1案と2案については、鹿児島県令大山綱良の反対などによって行なうことができませんでした。

明治9年(1876年)12月。
大久保利通の腹心とも言うべき警視庁大警視(のちの警視総監)川路利良は、警察官や学生二十三人を選抜し、鹿児島へ差し向けることにします。
彼らの任務は鹿児島の情勢偵察と、私学校一党に対する離間工作でした。
選ばれた二十三名はいずれも鹿児島出身ではありましたが、一人を除いて全て下級武士である郷士出身でした。

鹿児島でも地方に暮らす郷士と城下に住む城下士との差別は大きく、郷士は人扱いされないほどだったといわれます。
そのため、同じ鹿児島人でありながら、彼らは城下士出身者で占められている私学校一党に対しては憎悪ともいうべき意識を持っており、川路の命で鹿児島へと向かったのでした。

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  1. 2009/06/04(木) 21:54:42|
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西南戦争(3)

明治6年政変によって新政府の要職を全てなげうち、故郷鹿児島に戻った西郷隆盛は、当面はのんびりと過ごすつもりであったのか、好きな狩猟に興じたり温泉に浸かってゆったりするなどしておりました。

しかし、西郷本人はのんびり過ごしていても、鹿児島には西郷の辞職とともに新政府を辞職した多くの軍人や官僚が帰国してきておりました。
彼らは西郷を辞めさせた新政府に対するさまざまな不満を持っており、鹿児島には血気にはやる者たちが多く集まることになったのです。

彼らをそのままにしておいたのでは、早晩無謀な暴発をしかねないとの考えから、西郷は有志の者たちとはかり、「私学校」というものが旧薩摩藩厩跡に明治7年6月ごろに開設されました。
「私学校」とは文字通り政府の教育機関とは別の教育機関であり、新しい時代に必要な教育を鹿児島県民に施し、有事に対応できる人材を育成するという建前のものではありましたが、その実体は不満を抱えた士族に軍事を学ばせ、とりあえずなだめておくための受け皿という面が強いものでした。

それを表すかのように、「私学校」とは篠原国幹が監督する「銃隊学校」と村田新八が監督する「砲隊学校」、それに士官候補生養成のための「幼年学校」(西郷らに与えられた賞典禄によって設立されたため、賞典学校とも呼ばれる)の三つからなっており、通常教育よりも軍事教育の学校という意味合いが強いものでした。

この「私学校」の設立には、「幼年学校」を別にして残り二校に関しては県令大山綱良が県の予算より支出しており、不平士族の対処には県としても何とかしなくてはならないという思いと西郷に対する応援の意味の両方があったと思われます。

人材育成という名目からは程遠く、「私学校」に入学できるのは士族に限られておりました。
彼らは新政府への不満から「私学校」を軍事教育と政府批判の場としてしまい、じょじょに鹿児島県内に勢力を広げていくことになります。

「私学校」は県内各地に分校を開設し、県内の若者を取り込んで行きました。
最盛期には一万人を越えたといわれ、私学校士族を鹿児島県も無視することはできませんでした。
そのため、鹿児島県では政府側からの任命者では私学校士族の暴発が懸念されることになってしまい、私学校士族を区長や戸長のような官吏や警察官などに任命するしかなくなってしまいます。
これにより、鹿児島はますます私学校士族が幅を利かせるようになり、「私学校生徒にあらずば人にあらず」とまでの雰囲気が広まったといわれます。

すでに全国では廃藩置県が終了し、中央政府による統制が行なわれておりましたが、鹿児島県だけはその統制下から逸脱しており、徴税した税金も国庫に納められることがありませんでした。
鹿児島はさながら独立国の体を見せており、新政府としても鹿児島がおとなしくしていてくれるならと苦々しい思いで黙認するしかない状況だったのです。

明治9年3月。
新政府は廃刀令を制定いたします。
これは国民皆兵と警察機構の成立により個人が刀を持つ必要性を認めないため、刀を携帯することを禁じるというもので、刀の所有自体は認められていましたが、士族は武士としての誇りを失わせるものと反発しました。

同年8月。
今度は金禄公債証書条例が発効。
これは秩禄処分の一環で、武士にかつて米で支払われていた俸禄を金禄公債にし、秩禄給与を全廃しようというもので、武士の生活を直撃するものでした。

この二つの政策は、武士階級にとっては受け入れられるものではありませんでした。
このため、同年10月24日には熊本県で士族反乱である神風連の乱が発生いたします。
この時、熊本城内に置かれていた新政府陸軍の熊本鎮台が襲撃を受け、兵士が次々と切り殺されるという事件が起きました。
神風連の乱そのものは翌日に児玉源太郎率いる陸軍が反撃に出たため、制圧されてしまいますが、鎮台兵は弱兵だという認識が広まったといわれます。

10月27日には福岡県で秋月の乱が発生。
10月28日には山口県で萩の乱が発生と、立て続けに士族反乱が発生しますが、いずれも短期間で政府によって鎮圧。
この間、鹿児島は不気味に沈黙を守っておりました。

この相次いだ士族反乱の報告を、日当山温泉で受けた西郷は、彼らの行動を愉快なものと受け止めはしたものの、今自分が動くことは若者を逸らせてしまう恐れがあるとして、温泉を動こうとはしませんでした。

しかし、西郷の思惑はどうあれ、相次いだ士族反乱に明治新政府は、次は鹿児島との危機感を強めていったのです。

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