第一次世界大戦で、新たな産声を上げた兵器の一つが戦車でした。
戦車は、最初塹壕に篭る敵兵を掃射したり、塹壕を乗り越えたりするのに便利なように、あの有名な平行四辺形の形を取ったのだそうですが、その後360度回転する銃塔(砲塔)を搭載し、現代の戦車の基本形ができあがります。
そんななか、ゴトゴトと荒れた地上を走る戦車も、砲塔が一つだけじゃなく、複数の砲塔を装備したほうが多くの敵に対処できるのではないかという発想が生まれます。
あたかも海上を行く戦艦のごとく、複数の砲塔を備えた大型戦車が陸上戦艦として戦場を走り回ることを夢見たのです。
そういった思想は、第一次世界大戦の末期のフランスのシャールC2に始まり、大戦間の1920年代にイギリスで試作されたインデペンデント重戦車へと結実しました。
インデペンデント重戦車は、主砲の47ミリ3ポンド砲を備えた砲塔を中心にし、その前後左右にそれぞれ機関銃を一丁備えた銃塔を設置するという構造で、各砲塔及び銃塔が独立していることからインデペンデントと名付けられました。
全長で8メートルにも及ぶその車体は、まさに動く要塞であり、陸上戦艦の名にふさわしいものと思えました。
また新機軸も取り入れられ、8名にも及ぶ操作員間の通話のために咽頭マイクが用意されたほか、操縦を容易にするための円形ハンドルなども取り入れられたのです。
最大398馬力のガソリンエンジンは、平らな路上であれば時速約40kmも出すことができ、機動性もまあまあといっていいでしょう。
しかし、インデペンデント戦車は弱点もありました。
それは、どうしても大きさが巨大になってしまうため、各部分に充分な装甲厚を施すことができなかったのです。
全長8メートル近い車体に充分な装甲を施そうと思えば、それはとてつもなく重い鉄の塊になってしまい、機動性が著しく損なわれます。
機動性を損なわないためには、装甲厚を薄めのもので我慢するしかありませんでした。
それでも、最大29ミリにも達する装甲厚は当時としては決して薄いものではありません。
この時期にもてはやされたビッカースの6トン戦車でも最大で14ミリの装甲しかなかったのです。
装甲厚ばかりが弱点とはいえませんでした。
さらなる弱点は価格の高さでした。
第一次世界大戦後、欧州各国は当然のように経済の立て直しを図ります。
真っ先に削られたのは軍事費でした。
そのためにこのような高コストの重戦車は、採用することができなかったのです。
インデペンデントの試作車自体、高コストをさけるために軟鉄で作られていたとさえいいます。
さらに世界恐慌が追い討ちをかけ、インデペンデント重戦車はついに採用されることはありませんでした。
塹壕を突破するときに、塹壕に潜む敵兵が左右から攻撃してくることを想定し、左右に向かって機関銃を撃てるように死角をなくそうとしたのが多砲塔戦車の基本だったといわれます。
確かに見た目は重厚で威圧感がたっぷりでしょう。
ですが、運用にははなはだ難があり、機動戦となった第二次世界大戦の戦場では役に立たなかったことでしょう。
事実インデペンデント重戦車をモチーフにしたソ連の多砲塔戦車はあまり活躍できませんでした。
価格面で折り合いがつかず、イギリスが採用しなかったことは、ある意味イギリスにとってよかったことだったのかもしれません。
でも、宮崎駿先生あたりは好きそうですよねー。
それではまた。
- 2009/05/14(木) 21:06:41|
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