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舞方雅人の趣味の世界

あるSS書きの日々

クリミア戦争(17)

1855年6月。
セバストポリの戦場にサルディニア・ピエモンテ軍が到着します。
これにより連合軍は再び十七万の兵力を取り戻すことができ、第三回目の総攻撃を行なうことになりました。

しかし、セバストポリに対する包囲が不完全だったこともあり、ちまちまちまちまとロシア軍は兵力をセバストポリに送り続けておりました。
そのためこの時点でのセバストポリのロシア軍はなんと九万にも達しており、充分すぎるほどの防御兵力を持っていたのです。

6月6日。
連合軍の五百を超える大砲がいっせいに火を吹き、第三回総攻撃が始まります。
連合軍の狙いは外郭防御陣のマムロン堡塁とマラホフの塔と呼ばれる砲を備えた塔でした。
主力となったのはフランス軍で、彼らは砲撃によるショックで一時的な戦闘不能になる瞬間を突いてロシア軍に迫ります。

マムロン堡塁はフランス軍の急襲を受け、抵抗もむなしく奪取されます。
ロシア兵たちは算を乱して後方へと退避して行きました。
仏軍総司令官ペリシエ将軍にとって、まさに自分の作戦がうまくいった喜びの瞬間だったことでしょう。

ですが、ことはそれだけでは終わりませんでした。
マムロン堡塁を奪取したのちは、いったんそこで停止せよとの命令が出ていたにもかかわらず、マムロン堡塁を落とした喜びと興奮からか、フランス軍はそのままマラホフの塔へ向かってしまったのです。

その行動はすぐにロシア軍からの猛烈な射撃という結果に跳ね返りました。
マラホフの塔へ向かったフランス軍は、次々と撃ち倒され、死屍累々と言うありさまと化してしまいます。
生き残った兵士は恐怖に駆られ、無秩序な潰走となりました。
そして、せっかく奪ったマムロン堡塁に逃げ込み、そこにいた兵たちをも恐慌に巻き込んでしまいます。

ロシア軍はこの機を逃しませんでした。
反撃に出ると混乱したフランス軍を蹴散らして、マムロン堡塁を取り返します。
ところが今度はフランスのボスケ将軍率いる部隊がマムロン堡塁を攻撃。
一進一退となりました。

結局損害の多さに耐えられなくなったロシア軍が兵を引き、マムロン堡塁はフランス軍の手に落ちます。
ですが、フランス軍もこれ以上の攻撃はできませんでした。

6月17日。
英仏両軍は、協議の末に再度総攻撃をかけることにいたしました。
前回のマムロン堡塁への攻撃により、ロシア軍もかなりの痛手を受けたはずであり、ここは一気に攻めかかるべきであるというペリシエ将軍の意見が通ったのです。
おそらくこの時点では英軍の総司令官ラグラン卿は、会議にも出席できていなかったかも知れません。
ラグラン卿は連合軍を悩ませ続けたコレラに罹り、かなりの重態となっていたのでした。

早朝、手違いから一部のフランス軍の突出が始まり、ペリシエ将軍はやむを得ず全軍に総攻撃を命じます。
今度の目標はマラホフの塔と、大凸角堡の二ヶ所であり、英仏両軍の兵士は塹壕から飛び出しました。
しかし、ペリシエ将軍が期待したロシア軍の痛手はさほどのものではなく、ロシア軍は万全の準備でこの攻撃を待ち構えておりました。
偵察などの報告で、この攻撃自体を察知していたともいわれます。

この日の戦いは戦闘と呼べるものではなく、ただ殺戮であったとされています。
早朝から始まった総攻撃は、朝の8時には失敗に終わっておりました。
英軍も仏軍も目標を奪取することなどできず、ただ死傷者だけが横たわっておりました。
フランス軍はマイラン将軍、ブリュネ将軍と二人の将軍を戦死させてしまい、ペリシエ将軍はただ唖然と結果を受け入れるのみでした。

6月6日と17日の総攻撃で、連合軍とロシア軍は双方約一万ほどの損害だったといわれます。
ロシア側もマムロン堡塁とティモチェフ将軍を失いましたが、セバストポリそのものはまだ持ちこたえておりました。

6月28日。
ついに英軍総司令官ラグラン卿がコレラで命を落とします。
戦死者の数倍にも上る病死者を出している「クリミア戦争」は、また一人高級司令官を病気で死に至らしめました。

ロシア皇帝ニコライ一世、仏軍総司令官サン=タルノー元帥、英軍総司令官ラグラン卿が亡くなり、もはや呪われた戦争と言ってもよいようなありさまでしたが、多少の救いは、ナイチンゲールの働きにより、スクタリの野戦病院での死亡率が、この頃から改善し始めたということでした。

英国パーマストン内閣の秘密調査がスクタリの野戦病院に入り、その実態が本国に伝わったことで、ナイチンゲールに対する有形無形の支援が実を結び始めていたのです。
それでも、激務を続けていたナイチンゲールは一度病に倒れ、休養を取らざるを得なくなっておりました。
とはいえ、野戦病院の状況は、日に日によくなっていっていたことは間違いありませんでした。

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  1. 2009/04/30(木) 21:32:03|
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これもやりたいんだけど・・・

カウンターも160万ヒットまであと少し。
この分だとゴールデンウィーク中には達しそうですね。

今日はまたまたやりたいウォーゲームをご紹介。
古いタクテクス誌27号(1986年2月号)に付録でついたSPI社の「第一次世界大戦(World War 1 1914-1918)」です。

WW1(1).jpg
これがユニットを初期配置した全景。
ディフォルメされておりますが、ほぼ欧州中央部を全て取り入れてあります。

WW1(2).jpg
すでに初期配置時点でベルギーに侵入し、フランス軍(水色)と向き合っているドイツ軍(灰色)。

ユニットの数値は、攻撃力/防御力なので、攻撃力は独仏同じなのに、防御力はドイツのほうが倍もあります。
このあたりはゲーム的処理と、攻撃偏重だったフランス軍を表しているのかな。

WW1(3).jpg
東部戦線で向き合うロシア軍(緑色)と、オーストリア・ハンガリー軍(黄色)。
オーストリア・ハンガリー軍の攻撃力が2しかないのが悲しいところ。
ドイツ軍はシュリーフェンプランにのっとり、この方面には一個軍(一ユニット)しか配備しておりません。

WW1(4).jpg
戦争中盤あたりから参戦してくるバルカン半島の国々。
セルビアは最初から参戦しているのでオーストリア・ハンガリーと向かい合わせてます。
トルコ、ルーマニア、ギリシャ、ブルガリアなどなど、各国の思惑と枢軸協商双方の駆け引きなどで巻き込まれていく国々です。

このゲームは一ターンが六ヶ月という長期を表し、1914年の開戦から1818年の停戦までを9ターンで行ないます。
そのため、一ターンに移動は一回ですが、攻撃は三回も行なわれます。

また、戦闘でユニットが前進したり後退したりするよりも、各国の継戦能力を示すCRPという数値が上下して、その国の国力を間接的に示してくれます。
そのため、盤上での動きはさほど激しくないらしいのですが、CRP表上でどんどん国力が減って行くのがわかるそうです。

戦争後半には戦車ユニットやストストルッペンユニットなども登場し、盤上を彩ります。
まだソロプレイもしておりませんが、一度はプレイしたいゲームです。
今度どなたかにお相手を頼むとしましょう。

今日はこんなところで。
それではまた。
  1. 2009/04/29(水) 20:48:19|
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04月29日のココロ日記(BlogPet)

人生は重い欧州を背負って山を登っていくようなもの……ですよね。

*このエントリは、ブログペットのココロが書いてます♪
  1. 2009/04/29(水) 09:48:14|
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クリミア戦争(16)

豚インフルエンザの危険度がフェーズ4に引き揚げられたとのことで、感染地域からの日本への入国が空港で四ヶ所、港で三ヶ所に限定されるとのことですね。

ゴールデンウィークを前にして、海外旅行にも影響が大きいのではないでしょうか。

さて、なんだかんだと続いております「クリミア戦争」ですが、16回目になります。
もう少しの間お付き合いくださいませ。


サルディニア・ピエモンテ王国の参戦は、ロシアにとっては驚愕の出来事でした。
この「クリミア戦争」に何の直接的利害関係を持たないはずのサルディニアが参戦してくることなど、通常では考えられないことだったからです。

ますます苦境に立つことになったロシアの皇帝として、ニコライ一世の苦悩は深まりました。
セバストポリそのものは何とか持ちこたえておりましたが、戦況は芳しくなく、打開の手立てもありませんでした。

2月に行なわれたフランス軍によるセバストポリ攻撃も、ロシア軍の抵抗により失敗に終わります。
ですが、ニコライ一世の心痛は限界に達しました。

1855年3月2日。
ロシア帝国皇帝ニコライ一世が崩御します。
一般的に死因は心痛によりインフルエンザをこじらしたためと言われますが、毒を仰いでの自殺だったという説も伝わっております。
「クリミア戦争」はついに当事国の皇帝すら死に至らしめたのでした。

ニコライ一世の崩御により、ロシア皇帝は息子のアレクサンドルが継ぐことになりました。
アレクサンドル二世として即位したアレクサンドルは、すぐに「クリミア戦争」の終結を図り、各国にその旨を打診いたします。

3月15日。
ニコライ一世の崩御から二週間足らずで各国の担当がウィーンにて会議を開きます。
議題はもちろん「クリミア戦争」の終結に向けてのものでした。
しかし、これは結局物別れに終わり、4月26日を持って閉幕します。

ウィーン会議に期待を寄せつつも、アレクサンドル二世は前線のロシア軍のてこ入れを行ないました。
総司令としての能力に疑問のあったメンシコフ公をここに来てようやく解任し、新たにゴルチャコフ公がクリミアのロシア軍の総司令官として着任します。
ゴルチャコフ公は強硬派として知られ、セバストポリを断固死守する考えでした。

一方連合軍側でもこの頃政権の交代が行なわれておりました。
戦争の激化による戦死傷者の増大や指揮官の無能力、戦費の増大による国民負担の増大、ナイチンゲールの伝えてくる戦場医療のふがいなさは、英国のアバディーン内閣への支持を失わせるには充分でした。
結局アバディーン内閣は総辞職をするしかなく、パーマストン内務大臣を中心としたパーマストン内閣が後を継ぐことになります。

パーマストン内閣はこれを機に英軍の軍政改革を行ないます。
国王直轄の歩兵と騎兵、議会直轄の砲兵や工兵、そしてこれらの装備に関する権限を持つ財務相や、植民地軍を管轄する植民地相などの入り乱れた軍政を解きほぐしてひとまとめにし、軍政を一元的に統括する陸軍大臣と陸軍省を設置したのです。
これにより、英軍は効率的な軍の運用が可能となったのでした。

ウィーン会議の最中にも、戦争は継続しておりました。
春になり増援も着々と到着していた英仏オスマン・トルコ連合軍は、その数約十七万にまで増大しておりました。

英国での内閣交代はフランスの皇帝ナポレオン三世にとっても他人事ではありません。
フランス国内でも「クリミア戦争」に対する厭戦気分は増大し、財政も逼迫し、国民の不満は鬱積していたのです。
そのためナポレオン三世は是が非でもセバストポリを攻略し、「クリミア戦争」をフランスが勝利に導いたという状況を作りたいと考えておりました。

ナポレオン三世はセバストポリのトートレーベン工兵中佐が要塞強化に当たっていることを知り、フランス工兵の重鎮ニール将軍を派遣して要塞攻略に当たらせます。
パーマストン内閣の英軍の態勢が整う前にフランス主導でセバストポリを陥落させようとの考えからでした。

1855年4月9日。
英仏オスマン・トルコ連合軍によるセバストポリ総攻撃が行なわれます。
双方合わせて九百門に及ぶ大砲が火を吹き、壮絶な撃ち合いが繰り広げられました。

連合軍は、砲撃により要塞の防御陣の一角を崩して、そこから歩兵が突入するという作戦でしたが、トートレーベン中佐の指揮の下で老若男女の市民が必死で補修する城壁は崩すことができず、かえって突入を図る歩兵の損害ばかりが増えるという第一回目と同じ状況の繰り返しでした。

結局総攻撃は22日まで行なわれましたが、セバストポリを陥落せしめることは叶わず、双方合わせて一万人ほどの死傷者を出すだけに終わりました。

ちなみに、ロシアの文豪トルストイはこの時セバストポリ要塞内で若き砲兵少尉として軍務についており、自身の経験やセバストポリ要塞内の様子などを短編小説に書いております。
この小説は皇帝アレクサンドル二世の目にも止まり、直ちにフランス語訳を作るように命じたほか、作者であるトルストイを危険地域外に移すように命じたといわれます。

5月にも小規模ではあるものの激戦が幾度かありましたが、セバストポリは頑強に持ちこたえました。
この膠着状況に業を煮やしたナポレオン三世は、フランス軍の司令官をカンロベール将軍からエマブール・ジャン・ジャック・ペリシエ将軍に交代させます。
とはいえ、状況がそう簡単に変わるものではありませんでした。

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  1. 2009/04/28(火) 21:18:28|
  2. クリミア戦争
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流行の兆し?

メキシコとアメリカで、本来豚が感染する感染症であった「豚インフルエンザ」のウィルスが変異し、豚から人に感染した上さらに人から人へと感染したという症例が発生いたしました。

この豚インフルエンザによる人への感染は、メキシコやアメリカばかりではなく、カナダや欧州でも発見され、全世界的な広がりになりつつあるといいます。
大流行となれば、その死亡率にもよりますが、場合によっては(あくまで場合によってはです)大きな被害が出ることも予想されるといいます。

第一次世界大戦末期の1918年、「スペイン風邪」と呼ばれるインフルエンザが世界的に大流行し、大きな被害を出しました。
全世界で感染者数が約六億人、死者数は四千万人から五千万人にも上ったといわれ、あまりに感染者数が多かったことから欧米各国は戦争どころではなくなったために、第一次世界大戦の終戦が早まったとまで言われました。
(これはあくまで1918年のスペイン風邪のことです。念のため)

インフルエンザウィルスは、いつどのように変異するか予想がつかず、変異したウィルスには対応するワクチンがないためにどうしても恐怖を感じてしまいますが、まずは通常の感染症対策を心がけることがかなり有効なのだそうです。

今回の豚インフルエンザに対しても、まずはいたずらに感染の恐怖を感じるのではなく、普通にできる感染症の対策をしていきましょう。
人ごみには仕事などでやむをえない場合以外は近づかないようにし、学校や職場から帰った場合には必ず手を石鹸で洗ってうがいをいたしましょう。
石鹸での手洗いとうがいをするだけで、感染症に対してはかなりの予防効果があることが認められています。

でも、人類はおそらく永遠にウィルスなどの感染症と戦っていくことになるんでしょうね。
それではまた。
  1. 2009/04/27(月) 21:18:33|
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のほほん

リンク報告だけじゃ味気ないのですが、今日は何があったということもなく、のほほんと過ごしてしまいました。

お風呂入って洗濯して・・・
先日夜中にプリンターの音を気にしながらプリントアウトしたASLのスタンダードルールに目を通して・・・
SS書かなきゃと思いながらも夕食の準備して・・・

なーんてやっているともうこんな時間。
一日過ぎるのが早いよー。

ASLはじょじょにスタンダードルールにも目を通してます。
いずれスタンダードもやるぞー。

今日はこんなところで。
それではまた。
  1. 2009/04/26(日) 20:49:15|
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二ヶ所もリンク先が増えました

またまたうれしいことに、このたびリンク先が増えました。
しかもなんと二ヶ所もです。
本当にうれしいことですねぇ。

一ヶ所目は緋風様のブログ「緋線形螺旋」様です。
(ブログ名をクリックするとリンク先に飛べます)

「緋線形螺旋」様は、管理人の緋風様の描くイラストメインのブログでして、悪堕ちイラストが中心という私たち悪堕ちファンにとっては大変にうれしいブログとなっております。

今回も「聖剣伝説3」のキャラ、リースが闇堕ちしたという設定でのイラストを公開されており、とても素敵なイラストですのでぜひご覧になってくださいませ。

もう一ヶ所はわぶき様のブログ「堕ち玩」様です。
(ブログ名クリックでリンク先に飛べます)

こちらの「堕ち玩」様も、わぶき様の創作作品を掲載しているブログなのですが、メインが悪堕ち作品というとても素敵なブログです。

イラストとSSで独自の世界を展開していらっしゃり、きっと皆様も楽しめると思いますので、ぜひぜひ訪れてみてくださいませ。

緋風様もわぶき様も、ふたばの「悪堕ちスレ」などでも活躍されていらっしゃる方々ですので、両ブログとも先がとても楽しみなブログだと思います。
緋風様、わぶき様、どうぞよろしくお願いいたします。
  1. 2009/04/26(日) 19:59:57|
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クリミア戦争(15)

「インケルマンの戦い」は、1854年の戦いの締めくくりともいえる戦いでした。
11月に入ったことで、さすがの黒海沿岸地域も冬が到来しつつあったのです。

冬を前にして両軍は自然と冬営の準備に入りました。
戦場で冬を越す準備に入ったのです。
1853年にロシアとオスマン・トルコの間で始まった「クリミア戦争」は、まる一年経っても終わる気配がなく、三年目に突入することが確実になったのでした。

11月14日。
冬の到来に備えて補給物資を満載した連合軍の輸送艦隊が、黒海で猛烈な嵐に遭遇し多数が失われるという事件が起きます。
これにより、前線の連合軍は物資不足が深刻化し、寒さと飢え、そしてそれに伴う疫病に見舞われることになりました。

スクタリの野戦病院でも軍需物資や医薬品が届かなくなり、結局ナイチンゲールが持参した資金で物資を購入して間に合わせるという事態に陥ります。
もはや野戦病院はナイチンゲールがいなくては何もできなくなりつつありました。

12月には増大する負傷兵のために病棟の補修を持参した資金で行い、さらには病院側の外国人雇用者との間の問題を調停したり、死者の家族に手紙を送ったりとまさに寝る間もないほどの活動をナイチンゲールは行ないます。
そしてこの野戦病院の実情を本国の戦時大臣ハーバードに伝え、やがてそこからマスメディアによって彼女の活動が英国民の知るところとなると、英国民はこぞって寄付金を出すなど彼女の活動を支援し始めます。
その額は何百万ポンドにも達したと言われ、高度な教育と訓練を受けた看護婦の養成にも力が向けられるようになりました。

ナイチンゲールの活動は、まだ病院での死亡率を低下させるまでにはいたりませんでしたが、多くの傷病兵が彼女の存在に癒され、勇気付けられたのは言うまでもありません。
ただ、病院での死亡率が低下するにはもう少しの時間が必要でした。

一方、セバストポリのロシア軍と向かい合う英軍前線でも、寒さに震える将兵のために司令官ラグラン卿が、天幕用の布を使った冬用のコートのようなものを作らせました。
そのコートは着やすいように工夫が凝らされ、楽に着られるような袖口となっておりました。
これが今に伝わる「ラグラン袖」の始まりでした。
「カーディガン」といい、「ラグラン袖」といい、クリミア戦争発祥の衣類が現在まで継承されているんですね。

年内の間は連合軍もロシア軍も自然休戦的な状況となり、目立った作戦行動は行なわれませんでした。
少数の部隊が敵軍の連絡線や小部隊への奇襲攻撃を行なうぐらいだったのです。

明けて1855年。
日本では安政元年となり、いよいよ幕末の動乱期に入ることになります。

年明けそうそう、ロシア軍はバラクラヴァやエフパトリアの連合軍に対して小攻撃を行い、冬営中の連合軍を脅かしました。
ロシア皇帝ニコライ一世にしてみれば、何とかクリミア半島の連合軍を撃破して、この戦争の終結を図りたいところだったのでしょう。
ところが、そんなニコライ一世の思惑を無残に打ち砕くようなことが起こります。

1855年1月26日。
イタリア半島の西側に浮かぶサルディニア島とイタリアのピエモンテ地方を領有するサルディニア・ピエモンテ王国が、英仏オスマン・トルコ連合軍に参戦。
ロシアに対して宣戦を布告し、ロシアを驚愕させました。

サルディニア・ピエモンテ王国は、当時まだ小国分立状態だったイタリア半島において優勢な勢力を持ってはおりましたが、ハプスブルグ家のオーストリアがイタリアに対して影響力を保持しているため、なかなかイタリアを統一することができないでおりました。
そこで、本来何の関係もないはずのこの「クリミア戦争」に参加することで、英仏の歓心を買い、将来のイタリア統一の援助を引き出そうとしたのです。

このサルディニアの参戦により、「クリミア戦争」は英仏オスマン・トルコ&サルディニアの四ヶ国連合軍対ロシア軍というロシア軍にとっては厳しいものとなりました。
サルディニア軍一万七千がクリミア半島に向かったことで、連合軍は戦力的にも非常に助かる状況になり、のちにサルディニアはイタリア統一に対して英仏が支援するという見返りを受けることになるのでした。

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  1. 2009/04/25(土) 21:17:57|
  2. クリミア戦争
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まだ途中ですが・・・

まだ途中なのですが、つるみくというブランド様の「大阪クライシス」というエロゲーをちまちまとプレイ中です。
つるみくさんのホームページ→「つるみく

ウォーゲームの通信対戦などがあったりするので、なかなかプレイ時間が取れないのですが、ホームページで内容を見てから、いずれプレイしたいなーと思っていたエロゲーです。

主人公は(架空の)大阪に歓楽街を作ると言うプロジェクトの実行担当。
歓楽街の一つの目玉として、調教を施したメス奴隷とも言うべき娼婦を配する計画があり、その調教も彼に任されたことの一つです。

そこで彼は、彼に選ばれた女性たちを罠にかけ、メス奴隷へと調教することになりますが・・・
というストーリーでして、いわゆる陵辱系エロゲの一本です。

で、私が惹かれたのは、「守口忍」という女性キャラでして、主人公の犯罪行為を暴こうとする捜査官という立場なのですが、罠にかけられて組織から見捨てられた挙句、主人公の手駒にされるというのです。

もうね、このシチュだけで欲しくなりましたよ。
美人捜査官が罠に落ちて手駒にされる。
もう悪堕ち一直線じゃないですか。(笑)

ゲームのほうは、とりあえず彼女を手駒にすることに成功しました。
今ではうっとりと主人公に微笑む忠実なしもべ状態です。
捜査官としての格闘能力を使って、他の女を罠にかけることさえしてくれますので、まさに悪堕ちといっていいかも。
今後どういうシチュで彼女のさらなる活躍が見られるのか楽しみです。

こういう(身体的にも精神的にも)強い女性が、しもべとなって悪事に加担してくれるというのはいいですよねぇ。
最終的に主人公の片腕的存在になってくれるといいなと思いつつ、ちまちまと進めていこうと思います。
終わったら、また何かお伝えできればいいかな。

今日はこんなところで。
それではまた。
  1. 2009/04/24(金) 21:15:48|
  2. ココロの日記
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クリミア戦争(14)

「バラクラヴァの戦い」は終わりました。
英仏オスマン・トルコの連合軍も、ロシアもまたしても決定的な勝利を得ることはできませんでした。

1854年11月3日、ナイチンゲールら看護婦一行が、クリミア半島とは黒海を挟んで対岸側にあるコンスタンチノープルの東にあるスクタリという場所に到着します。
ここの小高い崖の上のオスマン・トルコ軍の兵舎が、英軍に割り当てられた野戦病院として使われておりました。
つまり、わざわざ英軍は戦場から遠く離れた黒海対岸に、傷病兵を運んでいたのです。

スクタリの野戦病院に到着したナイチンゲールら一行は、あまりの状況の悪さに愕然としたと言います。
そこには飲料水も食料も医薬品も乏しく、傷病兵のベッドやトイレも不十分で、不衛生で老朽化した場所でした。
傷病兵たちは粗末なわらの寝床を床に敷き、その上に放置されるがままになっていて、コレラや赤痢のような病気も蔓延していたのです。

このような状況に、現場の医者たちはさぞかしナイチンゲールら一行の到着を喜んだかというと、現実はまったくの正反対でした。
医者たちは彼女たち看護婦の到着を迷惑としか考えていなかったのです。
現場を知らない貴婦人がただ来ただけで何ができるものか。
本国の役人にどう取り入ったのかは知らないが、自分たちの職務に干渉するのだけはやめてほしい。
そんな思いで彼女たちを見ていたのでした。

当然病院側は彼女らには何もさせようとはしませんでした。
一室を与えただけで、何の指示も出しません。
何もしてほしくないと言う意思表示だったといわれます。

ナイチンゲールは、本国を出てくるときに自費と支援者からの援助金を持って出てきておりました。
また、シドニー・ハーバート戦時大臣は彼女の友人であり、彼女を援護するべく多大な権限を彼女に付与して、現地での活動をしやすくさせてくれておりました。
そのため彼女は、まず活動資金から自分たちの家具などをそろえ、自分たち用の食料品などもそろえました。

最初のうち、病院側との無用の衝突を避けるために、ナイチンゲールたちは自分たちの分の食料しか自炊しませんでした。
しかし、「バラクラヴァの戦い」ののち、大勢の傷病兵が担ぎ込まれるに従い、ただでさえ手が回らない野戦病院内では、傷病兵への食事さえ満足に配給できない有様となります。

見るに見かねた看護婦たちが、自分たちの資金で都合した食料を配給するようになると、病院側は認可を受けていない行為だと文句をつけました。
ですが、数日のうちに傷病兵への食糧配給は、ナイチンゲールらの手を借りなくてはどうにもならなくなりました。
病院側もしぶしぶ、ナイチンゲールに助力を求めます。
とりあえずは一歩前進というところでした。

1854年11月5日。
クリミア半島では「インケルマンの戦い」が起こります。

各方面でロシアに対抗する各国軍と対峙していなくてはならないロシア軍でしたが、それでもほそぼそとクリミア半島へ兵力を送り込んでおりました。
11月に入りメンシコフ公の手元には約一万の増援が届き、総兵力は約八万二千と連合軍を上回るものとなったのです。
メンシコフ公はここでもう一度連合軍への攻撃を行なうことに決めました。

ロシア軍は、11月5日未明、セバストポリ北東に位置する英軍陣地へと奇襲をかけました。
三軍に分かれて攻撃してきたロシア軍に、英軍は大苦戦を強いられます。
陣地を守っていたのは英軍第二師団でしたが、師団長エバンスの警告にも関わらず防備を固めようとさせなかったラグラン卿のために、まともに奇襲を食らってしまったのです。

それでも初戦の混乱から立ち直り、粘り強く陣地を固守する英軍に、ロシア軍は攻めあぐね始めました。
何度となく攻撃をかけられるものの、そのつど英軍はどうにか陣地を守り抜き、ロシア軍を跳ね返します。
転機が訪れたのは、ここでもやはり仏軍の到着でした。
わずか三百にまで撃ち減らされ、あわや壊滅かと思われた英軍第二師団の救援に、カンロベール将軍が差し向けた仏軍約六千が到着したのです。

仏軍の到着に、ロシア軍は対抗することができませんでした。
その日の午後にいたり、ついにロシア軍は戦場を後退。
英軍陣地はかろうじて陥落をまぬがれました。

わずか半日の戦いでしたが、ここでも両軍は大きな損害を出しました。
英仏連合軍は約四千二百の死傷者を出し、ロシア軍も約八千八百と言う死傷者を出しました。
苛烈な戦いは、両軍に血のいけにえを求め続けます。
そして、この連合軍の負傷した兵士たちは、またしてもスクタリの野戦病院へと送られるのでした。

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  1. 2009/04/23(木) 21:11:58|
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歳を取ってきたのかなぁ(笑)

昔はチーズが大の苦手だった。
でも、今はビールのつまみにパクパク食べる。

昔はうどんが好きだった。
でも今はそばのほうが好きで、選ぶならそばを選ぶ。

昔は漬物など食べたいとも思わなかった。
でも、今はご飯に漬物があるとなんかうれしい。

歳を取ったということなのだろう。
歳を取って食事の好みも変わったのだ。
このあたりは、たぶんある程度歳を取られた方にはご理解いただけるものと思う。

では、最近枢軸陣営よりも連合軍陣営、特にソ連赤軍が気になるのは、やはり歳のせいで嗜好が変わったからなのか? (笑)

このところVASLなどの通信対戦アイテムで、ASL-SKを対戦することが多いのですが、ソ連軍を担当するのがなんかうれしく感じます。
もちろんシナリオによってはソ連軍が出てこないことも多いですが、ソ連軍の出てくるシナリオはなんとなくソ連軍をやりたくなります。

昔はこうじゃなかったなぁ。
ドイツ軍至上主義で、ティーガー、パンター大好き猛獣使いだったなぁ。

海に出るとこの限りではないのですが、第二次世界大戦陸戦モノだと、やはりドイツ軍をメインで考えてしまったものです。
英国ファンという舞方ではありますが、第二次世界大戦の陸戦だと、前半はともかく後半は装備戦車がアメリカ製中心なので、どうにもつらくなってしまうんですよねー。

で、一にドイツ軍、二に米英連合軍、三四がなくて五にソ連軍というほど、ソ連軍への興味は低かったんですが、ここ最近は変わっちゃいました。
ソ連赤軍にもずいぶん興味がわいてきちゃったんですよねぇ。

まあ、これはたぶん、以前にゲーム対戦したときに相手も枢軸軍ファンだったために、枢軸軍を相手側が担当することが多く、自然と米英連合軍かソ連軍を担当することになってしまったと言う環境のなせる業かもしれません。(笑)
(言っておきますが、それがいやだということではないんですよ。おかげでこうしてソ連軍に興味が出てきたということなんです)

今読んでいる、学研M文庫の「独ソ戦全史」がまた、ソ連側から見た独ソ戦を主に書いているため、それによる影響もまた大きいのかもしれません。
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また、「グランドパワー」誌などにはソ連軍戦車の記事なども多く、いろいろと欠点もあるものの、ソ連軍戦車のタフさも知ると、結構愛着もわくんですよねぇ。(笑)

ということで、これはたぶん歳のせいではなく、環境によるものなんでしょうけど、ここしばらくはソ連軍に興味が行ったきりになりそうです。
T-34でドイツ軍を蹴散らすぞー!

それではまた。
  1. 2009/04/22(水) 20:58:59|
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04月22日のココロ日記(BlogPet)

ココロ専属のマネージャーさん、誰がいいですかねえ…

*このエントリは、ブログペットのココロが書いてます♪
  1. 2009/04/22(水) 09:34:06|
  2. ココロの日記
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やっぱりゲームをやりたくなるー

先日、レンタルDVDを借りて、映画「フライボーイズ」を拝見しました。
公式サイトはこちら→「フライボーイズ」(クリックで開きます)

この映画は第一次世界大戦における複葉機同士の航空戦を描いたもので、主人公のアメリカ人は義勇兵としてフランス空軍に属して戦います。

最初はまだまだ新米パイロットとして、戦闘でも戦果をあげることはできません。
ですが、じょじょに頭角を現していき、仲間たちとの友情も育まれ、そしてフランス女性との愛も芽生えます。

最後はチームリーダーとしてドイツ軍のエースと戦い、見事にこれを撃墜。
仲間の仇を撃って凱旋というストーリーでした。

なかなか楽しめる映画でした。
複葉機の空中戦も、結構見ごたえがある描き方で、いわゆるドッグファイトがこういうものなんだと思わせるものでした。

ただ、いくつかの突っ込みどころはやはりありまして、これはちょっとなぁって苦笑する部分も。
敵味方の銃弾が飛び交う塹壕と塹壕の間を走り抜けるのはどうよとかね。

まあ、それでもニューポール17とフォッカーDrIが空戦する映画はそうはないので、複葉機の空戦が好きな方は見ても損はないと思います。

こういう映画見ると、やっぱりゲームをやりたくなるんですよねー。
「ブルーマックス」あたり、また引っ張り出してみようかな。

それではまた。
  1. 2009/04/21(火) 21:06:37|
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クリミア戦争(13)

第93ハイランド連隊の「シン・レッド・ライン:緋色の薄い戦線」とルカン卿の英軍重騎兵の突撃の前に、ロシア軍の騎兵突撃は跳ね返されてしまいました。
しかし、英軍軽騎兵は追撃戦を行なうことはせず、ロシア軍は戦場に居座り続けたままでした。

英軍司令官ラグラン卿は、ここで一気に戦況を好転させたいと思ったことでしょう。
しかし、彼が戦場に投入するべく命じた第一師団と第四師団は、まだ戦場に到着しておりませんでした。
ラグラン卿はじりじりと焦りを感じておりました。

焦る理由は大砲でした。
ロシア軍に占領された各英軍の堡塁には、設置した重砲がそのまま残されていたのです。
ぐずぐずしていると、ロシア軍に大砲を持ち去られかねません。
大砲は軍の貴重な財産です。
それを奪われると言うことは、味方の攻撃力が減るばかりか、敵の攻撃力を増やしてしまうことにもなるのです。
のんびりしている時間はありませんでした。

事実、ロシア軍は占領した堡塁から大砲を移動させ始めようとしているようでした。
歩兵二個師団はいっこうに到着の気配がありません。
ついにラグラン卿は大砲を奪おうとしているロシア軍の妨害を騎兵に命じます。

ロシア軍騎兵を撃退して、再集結していたルカン卿の重騎兵とカーディガン卿の軽騎兵にラグラン卿からの伝令が届きます。
伝令から伝えられた命令は、直ちに大砲を奪おうとしているロシア軍を攻撃しろと言うものでした。
ところがここで齟齬が生じます。
ラグラン卿は丘の上の司令部から状況を見ていたため、攻撃を仕掛けるのは元の第四堡塁へと考えておりました。
第四堡塁は、現在の重騎兵や軽騎兵の位置からそれほど遠くはありません。

しかし、そこは丘の上でした。
一段低いところにいるルカン卿やカーディガン卿にはその場所が見えてませんでした。
そこで当然伝令にどこの敵を攻撃するのか確認します。
伝令は答えました。
「閣下、あそこです」
ルカン卿もカーディガン卿も息を飲みました。

伝令の指し示したのは第四堡塁ではありませんでした。
なんと、戦線後方二キロもの位置にあるロシア軍の大砲陣地だったのです。
しかも、そこへ突撃するためには、狭い谷あいの道を行くしかなく、その間に両側の丘に陣取るロシア軍からの攻撃を受け続けなければなりません。
伝令は誤った攻撃場所を伝えてしまったのでした。

まさに自殺行為と思われる(誤った場所への)突撃命令でしたが、軍務に忠実なルカン卿もカーディガン卿もこの命令を粛々と受け入れます。
軽騎兵を先頭に、英軍騎兵は突撃を開始。
のちに詩人のアルフレッド・テニスンが「死地に乗りいる六百騎」と謳いあげた、英軍史上もっとも勇壮でもっとも悲劇的な騎兵突撃が始まりました。

英軍騎兵はわずか五百メートルほど進んだところで、ロシア軍からの猛烈な射撃を受け始めました。
その凄まじさは、訓練を受けた馬さえも恐慌を起こして制御不能になるほどでした。
ばたばたと倒れていく部下たちを見て、ルカン卿はすぐさま重騎兵の突撃を中止します。
しかし、ルカン卿の義理の弟でありながら日ごろから不仲だったカーディガン卿は、ルカン卿へのあてつけもあったのか軽騎兵をそのまま突撃させ続けました。

千メートル、千五百メートルと軽騎兵は進みます。
その間にもどんどんと損害は増え続けました。
驚いたのは司令部で見ていたラグラン卿と、仏軍のボスケ将軍でした。
ボスケ将軍はすぐさま自軍のアフリカ騎兵をノースバレーのロシア軍へと向かわせます。
せめて北側の丘からの射撃を減らしてやろうとしたのでした。

ついに英軍軽騎兵は二千メートルを走りきりました。
ロシア軍の大砲陣地は英軍軽騎兵に切り込まれます。
ロシア軍砲兵は大混乱に陥りました。

ロシア軍の大砲陣地を混乱に陥れたものの、英軍軽騎兵の奮戦もここまででした。
ロシア軍は砲兵の救援に槍騎兵を差し向けます。
射撃で大きな損害を受けていた英軍軽騎兵に、この槍騎兵の攻撃を耐える力はありませんでした。

英軍軽騎兵はもと来た道を後退するしかありませんでした。
ちょうどその頃、ようやく英軍歩兵二個師団が戦場に到着。
ロシア軍が深追いを避けたために、英軍軽騎兵はどうにか味方のところまで後退することができました。

英軍軽騎兵は約半数の兵と馬を失いました。
戦力としてはもはや全滅に等しい損害でした。
あまりのことに意気消沈するラグラン卿に、仏軍のボスケ将軍はこういったといいます。
「非常に勇敢な行為だが、これは戦争とはいえないね」

英軍は待ちに待っていた歩兵二個師団が戦場に到着いたしました。
しかし、ラグラン卿はもはや戦闘継続の意思を失っておりました。
騎兵の損失がよほど堪えたのでしょう。
彼は戦線を整理し新たなる防御態勢をとることで、ロシア軍と距離をとろうとしました。

一方のロシア軍リプランジ将軍も、自軍の騎兵突撃を跳ね返されたばかりではなく、十字砲火の中を突撃してくる驚くべきほどの英軍の戦意の高さ(たぶんに誤解から来るものではありましたが)に、これ以上の戦闘はするべきではないと考え始めておりました。
いくつかの堡塁を奪取したことと、英軍騎兵に大損害を与えたことで、満足すべき結果だと考えたのです。

結局戦闘は自然消滅的に行なわれなくなり、「バラクラヴァの戦い」はこうして幕を閉じました。
「アルマ河の戦い」に続き、またしても両軍ともに決定的な戦果をあげることができませんでした。

そして、この戦いは、長い間戦場の支配的兵科だった騎兵というものが、もはや過去の存在となってしまったことを告げる戦いでもありました。
小銃と大砲の前には、いかなる勇敢な騎兵突撃も結果を出すことは難しくなってしまったのです。
この後、「アメリカ南北戦争」を経て「第一次世界大戦」にいたり、ついに騎兵は戦場の主役を降ろされることになりました。

ちなみに、この時英軍軽騎兵の指揮を取ったカーディガン卿は、負傷した兵士が暖を取れるようにと、前を開けてボタンで止める着やすいセーターを作らせました。
これが現在に伝わる前ボタンセーター「カーディガン」の由来です。

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  1. 2009/04/20(月) 20:59:56|
  2. クリミア戦争
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クリミア戦争(12)

セバストポリ要塞に対する最初の攻撃は、わずか四時間で中止の憂き目を見ることとなりました。
英仏オスマン・トルコの連合軍は、あらためて要塞攻略を一から練り直す必要に迫られます。
結局、力押しではなく正攻法での攻撃をするしかないとの結論に達し、以後要塞攻略は塹壕のような坑道を地面に掘りながら接近すると言う時間のかかる攻撃法を取ることになりました。

連合軍が攻撃の手を一時的に緩め、正攻法へと転換していると言う状況は、要塞から主力を引き連れて脱出し、バクシサレーへと後退したメンシコフ公にもわかっておりました。
彼は今こそが連合軍を叩く好機と考えます。
折りから皇帝より約一万の増援を得ることができていた彼は、すぐさま出撃を命じました。
目標はバラクラヴァ。

カミーシュ港から補給を得ている仏軍とは違い、バラクラヴァ港から補給を得ている英軍は、その前線までの補給線を一本の道路に託しておりました。
補給線の東側、つまりロシア軍と面することになる側には、一応の陣地を築いて防備を図っておりましたが、兵力のほとんどをセバストポリ攻略に振り向けるため、その防御陣地にはわずかな兵力しか配備しておりませんでした。

メンシコフ公はここに目をつけたのです。
補給線を寸断すれば、前線の兵力は食料も弾薬も届かずに撤収するしかありません。
そうなればセバストポリの包囲は崩れ、連合軍の作戦が大幅に狂うことになるのです。

メンシコフ公は、約二万五千の兵力をリプランジ将軍に預け、バラクラヴァへ向かわせます。
この時、バラクラヴァから前線へと延びる補給路沿いには、キャンベル将軍指揮下の第93ハイランド連隊とバラクラヴァの港そのものを守る海兵部隊、それと丘の上を守る騎兵部隊、そしてオスマン・トルコ軍歩兵が千百ほど布陣しているだけでした。

1854年10月25日。
英軍にとってのちのちまで語り継がれることになる「バラクラヴァの戦い」が発生します。
戦いはまず、補給路を守るためにいくつか築かれていた砲台(堡塁)に対するロシア軍の攻撃から始まりました。

ロシア軍が攻撃をかけた一帯には、渓谷の中を通る土手道(コーズウェイ)と呼ばれる通り(補給路とは別)を挟んで、北にノースバレー、南にはサウスバレーとカンロベールの丘があり、このカンロベールの丘から土手道に沿って東から西へ堡塁が連なっておりました。

早朝五時、ロシア軍はまず一番東の堡塁からドニエプル連隊に支援されたウクライナとアゾフの両連隊が襲い掛かりました。
堡塁守備についていた英軍砲兵とオスマン・トルコ兵は必死の防戦に努めましたが、やはり衆寡敵せず最初の堡塁はロシア軍の前に陥落します。
さらに第二第三の堡塁も陥落し、第四の堡塁までもが午前七時までにロシア軍に奪われました。

その間、第93ハイランド連隊をはじめとする連合軍は、兵力が少ないために堡塁救出に向かうこともできず、味方の苦戦と堡塁の陥落をただ歯噛みしながら眺めているしかありませんでした。
一方戦場の西側にある高地には、英軍総司令官のラグラン卿が仏軍のボスケ将軍とともに陣取り、司令部を設置しておりましたが、そこからもロシア軍の攻撃で各堡塁が陥落するのは見ることができました。
ラグラン卿はこの事態に、急遽第一師団と第四師団を包囲部隊から引き抜いて差し向けることにしましたが、両師団とも要塞へ接近するための坑道掘りに従事していたため疲労が激しく、すぐには救援に向かうことができない状況でした。

第四までの堡塁を陥落させたロシア軍は、頃やよしと見てリュジョフ将軍麾下の騎兵部隊三千を、第93ハイランド連隊の陣地へと突撃させます。
第93ハイランド連隊の兵力はわずか五百五十ほど。
ロシア軍騎兵の突撃の前には抵抗むなしく蹴散らされてしまうと思われました。

しかし、キャンベル将軍指揮する第93ハイランド連隊の兵士たちは、対騎兵用の方陣を組むことも無く横に広がる横隊を組んで銃を構えます。
薄く横に広がった隊形は、騎兵突撃に対するには不向きの隊形ではありましたが、彼らは臆することなく接近してくる馬上のロシア兵に狙いを定めました。
次の瞬間、約130メートルの距離でいっせいに射撃が開始され、ロシア軍騎兵は折り重なるようにして次々と撃ち倒されて行きます。
ロシア軍騎兵は、彼らを回りこもうと側面に向かいますが、第93ハイランド連隊の兵士たちは横隊の姿勢のままぐるっと回転し、さらに射撃を浴びせました。

この数度の射撃により、ロシア軍騎兵は混乱。
第93ハイランド連隊はかろうじて防御ラインに踏みとどまります。
この彼らの活躍は、着ている軍服の色から「Thin Red Line(シン・レッド・ライン):緋色の薄い戦線」と呼ばれ、英軍戦史に長く語り継がれることとなりました。
(のちに、太平洋戦争の映画にこの言葉が題名として使われることになります)

ロシア軍騎兵の混乱に、英軍司令官のラグラン卿が、今度は英軍騎兵に出撃を命じます。
ルカン卿の重騎兵連隊は、病気の兵の続出でわずか六百ほどにまで減少しておりましたが、それでも勇敢にロシア軍騎兵に立ち向かいます。
さらにカーディガン卿率いる軽騎兵連隊には土手道への進出が命じられ、七百ほどの軽騎兵を率いて出撃しました。

混乱したとはいえ、ロシア軍騎兵はまだ多くの兵力を持っておりました。
それに対してルカン卿の重騎兵はわずか六百に過ぎません。
ですが、英軍重騎兵はロシア軍騎兵に勇猛果敢に突撃し、そのあまりの攻撃振りにロシア軍騎兵は退却を余儀なくされてしまいます。

この時、土手道に進出していたカーディガン卿の英軍軽騎兵連隊が追撃していれば、この後の悲劇はまぬがれえたかもしれません。
ですが、カーディガン卿は土手道確保という任務を忠実に実行しようとするあまり、退却するロシア軍騎兵をただ黙ってみているだけでした。

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  1. 2009/04/19(日) 20:55:00|
  2. クリミア戦争
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これもやってみたいよー

以前はよく家に来ていただいてウォーゲームを楽しんでいた先輩が、このところ都合がつかないのが寂しいところなのですが、その先輩にずっと借りっぱなしになっているのがこの「コマンドマガジン日本版76号」です。


こちらが表紙。
雪の中のソ連軍重戦車KV-1ですね。

付録ゲームもろとも借りているのですが、この「ヴェリキエ・ルキ攻防戦」もやってみたいゲームの一つなんですよねー。
好きに使っていいと言われているので、お言葉に甘えてユニットも切断済みなのですが、いまだソロプレイもしておりません。

076unit03.jpg
こちらはソ連軍ユニットの一部。
一部ユニットにはソ連軍戦車のイラストが描かれてます。

このゲームは、ソ連の都市ヴェリキエ・ルキというところを占領している独軍に対し、スターリン・グラードで独軍を壊滅させたソ連軍が、その余勢を駆って攻撃するというもので、少数弱体の独軍が多数のソ連軍を相手にしなくてはなりません。

ですが、独軍側もまだ戦術能力的には衰えておらず、ソ連軍の反抗を食い止めつつヴェルキエ・ルキを保持し続けるということも可能なようです。

以前先輩とやった「死闘! 北方軍集団」と基本的には同じシステムであり、お互いにポイントを使って部隊を動かし、戦闘にはチットで戦力が増減したりするシステムなので、ターン数のわりには手間のかかるシステムではあるのですが、チット引きでの一喜一憂は楽しく、「魔女のばあさんの呪いか?」とか、「教育してやるか・・・パンツァーフォー!」なんて言いながらゲームをやるのは楽しいものです。

本当は先輩とやりたいゲームなのですが、当分やれそうもないので、とりあえずはソロプレイでもしてみようかな。
それとも誰か誘ってみようかな。
第二次世界大戦モノは誰が相手してくれるかなぁ。

と、言うわけで、やりたいものが相変わらずいっぱいあるというお話でした。
それではまた。
  1. 2009/04/18(土) 20:56:16|
  2. ウォーゲーム
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クリミア戦争(11)

「アルマ河の戦い」で一応の勝利を収めた英仏オスマン・トルコ連合軍ではありましたが、自軍の損害もまた大きく、加えて補給の悪化による病兵の増加にまたしても悩まされておりました。
以前、バルカン半島側で行軍したときにも蔓延したコレラが、ここでも猛威を振るっていたのです。

本国から遠く離れている英仏の遠征軍は、海上からの補給に頼るほかありませんでしたが、強力な英海軍が黒海の制海権を確保しているとはいえ、補給船が港についてそこから物資を前線まで運ぶには、さまざまな障害があったのです。

そのような理由もあり、さらには騎兵単独での追撃は危険だと判断した一応の総司令官サン=タルノー元帥の指示もあって、連合軍はロシア軍の追撃を行ないませんでした。
メンシコフ公率いるロシア軍は、辛くも崩壊をまぬがれたのでした。

メンシコフ公は、ロシア軍の残存兵力を率いてセバストポリに入城します。
しかし、セバストポリの防御準備はまだ完全ではありませんでした。
ロシアにとって見れば、まさかクリミア半島が戦場になるとは思っていなかったという状況であり、そのためセバストポリの要塞群もところどころ工事未了の箇所さえあったといわれます。
そこでロシア軍は、急遽築城の名手として名高いドイツ系少数民族出身のトートレーベン工兵中佐を派遣して、セバストポリ要塞の防御準備を進めさせました。
このあたりは、きっかり50年後の明治37年(1904年)における日露戦争時のロシア軍の旅順要塞とよく似た状況と言えるでしょう。

補給に悩みつつも、英仏オスマン・トルコ連合軍は前進を開始します。
目指すは黒海の要衝セバストポリ。
ここを占領してロシア海軍の勢力を黒海から排除するのが目的でした。

一方セバストポリでも、着々と防御準備が進みます。
セバストポリに駐留するロシア海軍のナヒモフ提督は、強力な連合軍艦隊に海上からセバストポリを砲撃されないように、七隻の艦艇を港湾の入り口に沈めて連合軍の軍艦が入ってこれないようにし、その沈めた艦艇の乗員は陸上兵力として各防御陣地に割り振られました。
さらにセバストポリの住民も、総出でトートレーベン中佐の指揮のもと防御工事に当たります。

もともとセバストポリの防備は、北側に対するものが主でした。
クリミア半島が陸続きなのは北の部分であり、陸上兵力は北から来ると考えられていたからでしょう。
西は港であり、あとは南と東が手薄でしたが、トートレーベン中佐はそちらにも着々と工事を進めておりました。

連合軍がセバストポリに近づいたのは、そんな状況のときでした。
この時、まだセバストポリ要塞は防御準備が未了でした。
ロシア軍司令官メンシコフ公は、このままでは連合軍にただ包囲されると思い、要塞守備に約一万ほどの兵力を残し、残りはセバストポリ東北に位置するバクシサレーという町に後退してしまいます。
防御工事も未了であり兵力も少なくなってしまったセバストポリは、連合軍の前にはさほどの抵抗もできずに陥落するかと思われました。

しかし、セバストポリ要塞の比較的設備の整っていた北側の防御を見て、連合軍は攻撃をためらいます。
英軍仏軍問わず内部での議論が巻き起こり、即時攻撃を主張する者と、包囲してじっくりと攻めるべきだとする者が意見を戦わせました。

結局連合軍は即時攻撃を断念。
ここでもまた早期に戦争を終結させるチャンスを失ったと言われます。

補給線の伸びきっていた連合軍は、補給状況改善のために、セバストポリ近郊に補給源となる港を求めました。
補給を整え、要塞をじっくりと攻撃することにしたのです。
そのために選ばれたのが、バラクラヴァという港町でした。
セバストポリの南に位置する港町で、ここからならセバストポリもすぐ近くなため、補給もしやすくなるはずでした。

一方仏軍はセバストポリ南西に位置するカミーシュという港町に進出します。
ここはバラクラヴァよりもまだセバストポリに近く、補給線もより短くできるのです。
こうして英軍はバラクラヴァに、仏軍はカミーシュにと拠点を定め、セバストポリの南側から包囲することになりました。

こうしてセバストポリに対する攻撃態勢を整えつつあった連合軍でしたが、一つの凶報が走ります。
一応の連合軍総司令官であり、仏軍総司令官だったサン=タルノー元帥が、コレラのために死去したのです。
仏軍の指揮はフランソワ・セルタン・カンロベール将軍が引き継ぐことになりました。

総司令官である以上、一般の兵士とは別個の看護体制が作られていたことでしょう。
しかし、それでもコレラによる死亡をまぬがれることはできませんでした。
サン=タルノー元帥が、半分死人のような状態で戦地に赴いていたとしても、コレラの猛威は推して知るべしでした。
補給がままならず医薬品等にも事欠く連合軍は、まさに戦闘よりも病気のほうが恐ろしかったのです。

ここに一人の女性が歴史に登場することになります。
ロンドンの病院に勤務し病気の人の看護に当たっていた彼女は、クリミア半島で戦場の取材をしている特派員からの新聞記事に、戦場での負傷兵の扱いや病気の兵たちの悲惨さが報道されているのを見て、自ら戦場へ行こうと決心します。

彼女の名はフローレンス・ナイチンゲール。
彼女は、シスター24名、看護婦14名の38名とともに戦地での傷病兵の看護に当たるため、英国を出発します。
のちに「クリミアの天使」「ランプの貴婦人」と呼ばれ、看護婦(看護師)の象徴となる女性の旅立ちでした。

1854年10月17日。
連合軍による最初のセバストポリ攻撃が始まります。
サン=タルノー元帥を欠いたとはいえ、バラクラヴァとカミーシュという前線に近い補給拠点を得た連合軍は、それに伴う多少の補給の改善で士気が上がっておりました。

連合軍は百二十門にも及ぶ大砲と沖合いの海軍艦船からの砲撃をロシア軍に浴びせます。
その光景はすさまじく、連合軍将兵はセバストポリなどすぐに陥落するに違いないと思えるものでした。
しかし、トートレーベン中佐の指揮でできあがりつつあった要塞はこの砲撃を耐え抜きます。
逆に要塞に据え付けられたロシア軍の大砲百三十門が反撃に転じ、接近してきた連合軍将兵をなぎ倒しました。
のちに日露戦争で日本軍が体験することになる要塞攻撃の難しさを、連合軍は感じ取ることになります。

結局四時間ほどの砲撃戦で、連合軍は多くの損害を受けて攻撃中止に追い込まれました。
連合軍はセバストポリ攻略が容易ではないことに気付き始めます。
実際、要塞攻略戦はまだ始まったばかりなのでした。

(12)へ
  1. 2009/04/17(金) 21:12:53|
  2. クリミア戦争
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あららー

ちょっとショックですー。

阪神タイガース矢野選手が、手術した右腕に痛みが走り復帰が白紙になってしまいました。
報道では場合によっては前半戦出場は無理かもということで、正捕手不在の状況で当分戦うことを強いられそうです。

うーむ・・・これは痛いですねぇ。
やはり投手に対するリード面など、まだまだ矢野選手にかかる期待が大きいだけに、復帰が遅れるのはつらいところです。

とはいえ、捕手を育ててこなかった(育てられなかった)阪神にも問題はありますからね。
二番手捕手の野口選手にはFAで横浜に行かれてしまいましたし、あとの若手捕手はいずれも帯に短したすきに長しと言ったところで、こればかりは成長を望むしかありません。

捕手に関してはどこの球団も悩みどころかもしれませんね。
一朝一夕に育てられるものでもないし、素質も左右するのでしょうから、長い目で見ていかなくてはならないのでしょうね。

一方、日本ハムでは金子選手が日本新記録となる七試合連続二塁打という記録達成です。
昨日の満塁の走者一掃の二塁打はすごかったですね。
昨年の不振が嘘のような今の状況ですが、この状況を長く続けてほしいものです。

今日は野球ネタでした。
それではまた。
  1. 2009/04/16(木) 21:18:00|
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映像の持つインパクト

いつの間にか記事数が1500を超えておりました。

ココロちゃんががんばって記事を投下してくれたりするので、一日2記事なんてことも多いので、記事数が増えたんですね。
それと旧ブログの記事を全部こちらに持ってきたということも大きいかな。

1500日はまだまだ先ですが、できればそこまで連続更新したいものですね。

今日は本来ならサッポロ辺境伯様とウォーゲームの対戦が組まれていたのですが、残念ながらこちらの都合で中止とさせていただきました。
昼間の時間が取れなかったことで、ゲームプレイが難しくなったからです。
サッポロ辺境伯様には本当に申し訳ないことをしてしまいました。
お赦しくださいませ。

プレイ予定としては、コマンドマガジン第八号付録の「1918: Storm in the West」を対戦する予定でした。
新規にルールを読んでとなると対戦が難しいと思ったので、双方がルールを把握済みのゲームをやったほうがよいと思ったのです。

このゲーム、以前にも紹介しましたが、第一次世界大戦最後の年に西部戦線で行われたドイツ軍の最後の大攻勢「カイザーシュラハト」と、それを押し返した後の連合軍の反撃を表したもので、傑作と言われるゲームです。

サッポロ辺境伯様とも何度か対戦しお互いに勝ったり負けたりといったところ。
ドイツ軍をやっても連合軍をやってもきびしいゲームで、何とかなりそうなのに何ともならないところが当時の司令官の心境を感じさせてくれます。

とはいえ、今日は対戦ができなかったので、久しぶりにかつてNHKで放送された「映像の世紀」の第二話目、「大量殺戮の完成」を見ることに。

全十一話に及ぶ「映像の世紀」ですが、やはりこの第二話目「大量殺戮の完成」はお気に入りの一つです。
第一次世界大戦という、あまり日本人になじみのない戦争をこうして映像で見せてくれると言うのはありがたいことですよね。

特に塹壕戦の様子や、ゴトゴトと動く初期の戦車や複葉の航空機を映像で見ることができるのは本当にうれしいもの。
毒ガスや機関銃に向かっての突撃など、痛々しい場面も当然多いですけど、戦争とはこうなんだと言うことを見せ付けられる思いです。
やはり映像の持つインパクトは大きいですよね。

今書いている「クリミア戦争」は、この第一次世界大戦の約50年前の戦争です。
今後出てくることになりますが、敵銃火の待ち構える中への騎兵突撃など、この第一次世界大戦にも見られるようなことがすでに起き始めているのがわかってもらえるといいなぁ。

なんだか今日は取りとめのない記事になってしまいました。
それではまた。
  1. 2009/04/15(水) 21:35:15|
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04月15日のココロ日記(BlogPet)

舞方雅人さんとココロがセッキンチュゥ♪セッキンチュゥ♪

*このエントリは、ブログペットのココロが書いてます♪
  1. 2009/04/15(水) 09:59:29|
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クリミア戦争(10)

なんだかんだと10回目を迎えてしまいました。
まだまだ戦争はこれからなんですけどね。
いよいよ列強国同士の戦い、「アルマ河の戦い」が始まります。

戦いは、まずは海岸側の右翼仏軍の渡河攻撃から始まりました。
アルマ河の河口付近に展開した連合海軍の軍艦からの砲撃支援を受け、フランス軍はアルマ河を渡河して対岸の崖をよじ登り始めます。
ロシア軍はこちら側はメンシコフ公が登坂困難と見て兵力をほとんど配置しておらず、渡河してきたフランス軍に有効な射撃を行なえません。
さらに登坂困難と見ていたロシア軍に対し、フランス軍は事前に細い登板路を発見しており、精鋭のズアーブ兵と呼ばれるアフリカ出身の兵士を中心にした部隊を送り込み、ロシア軍を圧迫します。
しかし、重量があって移動が難しい大砲が歩兵に付いていくことができず、支援砲撃を行なうことができなかったため、フランス軍の進撃もじょじょに鈍るものとなりました。

一方フランス軍に呼応するかのように、中央と左翼の英軍も攻撃を開始します。
その前衛は左に軽歩兵師団、右に第二師団という並びで、それぞれの目標に向かっていくはずでしたが、何を間違ったのか軽歩兵師団は第二師団とぶつかるように動いてしまい、双方が混乱した隊列のままでロシア軍陣地へと突撃することになってしまいます。
斜面を登り始めた英軍に対し、こちら側を重点的に守備していたロシア軍は、堡塁に装備した大砲や崖の上からの射撃によって英軍に痛撃を与えました。

この機を逃すまいと逆襲に転じたロシア軍でしたが、こういうときの英軍の粘りはナポレオン戦争でも定評があるぐらいであり、すぐさま射撃で応戦します。
ライフリングを施された旋条銃を装備している英軍の射撃は強力で、ロシア軍はたちまちのうちに撃退されました。

ロシア軍の逆襲を蹴散らし、じわじわと迫り来る英軍の攻撃に、重砲を設置した堡塁のうち大きいほう(大堡塁と称す)にいたロシア軍砲兵は浮き足立ち、やがて持ち場を離れて逃げ出してしまいます。
英軍はそこになだれ込むように殺到し、大堡塁は英軍の手に落ちてしまいました。

そのような重要局面でありながら、ロシア軍司令官メンシコフ公は司令部を離れている状態でした。
彼は登坂困難と思っていた左翼(連合軍側から見ると右翼仏軍側)の崖を、フランス軍がやすやすとのぼってきて、そちらから半包囲の態勢をとりつつあるという報告に驚き、視察のために左翼方面に向かっていたのです。
彼の目に映ったのは、まさにフランス軍が崖をのぼり終え、攻撃態勢をとっているところでした。
呆然となってしまったのか、メンシコフ公はこの状態に対してなんら有効な手を打つことができず、ただあわてるだけだったと言われます。

一方大堡塁を奪われたものの、そこに布陣した英軍がかなり損耗していることを見て取ったロシア軍のゴルチャコフ将軍は、司令部にいないメンシコフ公の命令を待たずに独断で大堡塁奪回のために部隊を動かします。
迫り来るロシア軍に対し、大堡塁を占領した英軍は、なぜか反撃しようとはしませんでした。
英軍内で、接近してくる部隊はフランス軍だから撃ってはならないと言う、誤った指示が流されてしまったのです。

接近してきたのがロシア軍だと気が付いたときには、英軍はすでに有効な射撃を行なう機会を逸しておりました。
短いが激しい混戦のあと、今度は英軍が大堡塁から追い出されてしまいます。
大堡塁はロシア軍の手に取り戻されたのでした。

ちょうどこの時、英軍は後方にいた第一師団が大堡塁にいる部隊を支援するために接近中でした。
大堡塁を追い出された英軍部隊は、この第一師団になだれ込んでしまい、第一師団は大混乱に陥ります。
ロシア軍はこの混乱した英軍に射撃を集中、英軍はここでもかなりの損害を受けてしまいました。

しかしこのロシア軍の攻撃も、混乱に巻き込まれなかった英軍部隊からの攻撃で撃退されてしまいます。
さらに猛攻を耐え忍んでいたもう一つの堡塁(小堡塁)も英軍の前についに陥落。
大堡塁も再び占領されてしまい、二つの堡塁がともに英軍の手に落ちました。

さらにフランス軍も順調に攻撃を進めており、ようやく崖を上った大砲による支援も加わって、ロシア軍を痛めつけます。
(ロシア軍から見て)右翼の防御の要である大堡塁と小堡塁を失い、左翼からはフランス軍が迫り来る状況に、ついにメンシコフ公は後退を決意。
1854年9月20日16時ごろ、ロシア軍は戦場を離れました。
「アルマ河の戦い」は、英仏連合軍の勝利に終わったのです。

ロシア軍の損害は約五千五百ほど、対する連合軍は英軍が約二千、仏軍が約千三百ちょっとというものでした。
メンシコフ公は秩序ある後退を図りましたが、実際はロシア軍の後退は壊走でした。
英軍の騎兵部隊指揮官であるルカン卿は、騎兵による追撃でさらなる損害をロシア軍に与えるべきだと進言します。
実際この時点で連合軍がロシア軍に騎兵追撃をかけていれば、「クリミア戦争」そのものもここで終わったかもしれないとも言われる状況でした。

ですが、英軍司令官のラグラン卿も、仏軍司令官のサン=タルノー元帥も追撃を認めませんでした。
騎兵単独での追撃は危険すぎるとされたのです。
結局追撃は行なわれず、ロシア軍はどうにかセバストポリへと逃げ込むことに成功しました。

「アルマ河の戦い」は、39年ぶりの列強正規軍同士の戦いでした。
そのため、ずいぶんと不徹底なものでした。
メンシコフ公はロシア軍の半分ほどしか投入することができず、無傷の部隊を残しながらむざむざと戦場を明け渡してしまい、一方の連合軍も勇敢な英軍と慎重な仏軍の共同攻撃のしづらさを実感し、こちらも無傷の部隊が三分の一ほど投入されずじまいでした。
そして、ラグラン卿もサン=タルノー元帥もただお互いに対する不信感だけが募りました。

「クリミア戦争」は、ますます前途多難になっていくのです。

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  1. 2009/04/14(火) 21:08:04|
  2. クリミア戦争
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豹の描き方としては悪くないけど・・・

今日はマンガのご紹介。

タイトルは「豹と狼 ドイツ5号戦車1944」です。

こちらが表紙。

架空戦記や時代物小説など精力的に活動されていらっしゃる中里融司氏が原作を、「プロフェッショナルスチュワーです!!」などで魅力的な女性の絵を描かれるかたやままこと氏が作画をされているマンガで、第二次世界大戦後期の独軍主力となった「パンター」戦車が中心の物語です。

前から気にはなっていたのですが、このたび読むチャンスができましたので早速拝見。

えーと、まず言えることはファンタジーです。
それもむちゃくちゃファンタジー。
ここまでのファンタジーだと清々しいぐらい。

内容もよく言えば破天荒でスケールが大きく、悪く言っちゃえばむちゃくちゃ。
ただ、IS-3とM26の撃ち合いをさせちゃうあたりはたいしたものだと思います。

主役たるのはパンターとその乗員、それにオリガと言う謎の少女。
そこにSS(ナチス親衛隊)の美少女少尉クリームヒルドが加わり、物語は予想もしない展開に・・・

(私にとって)肝心の戦闘シーンは、よく描けていると思います。
小林源文先生のマンガに慣れた目には、戦車戦の描き方が新鮮に思えました。
ちゃんとツィメリートコーティングもしているし、描くの大変だったでしょうねぇ。

まあ、ところどころマニアとしては気になるところも散見します。
原作の中里氏のミスか、作画のかたやま氏のミスか、四号駆逐戦車(砲塔なしの自走砲タイプ)という名称で、四号戦車(砲塔ありのちゃんとした戦車)を作画してしまうあたりは気になりました。
(細かいことだけれど、こういうマンガだからこそきちんとして欲しい)

それと、戦車長のウォルフ君、超信地旋回しすぎ。
あんなこと多用したら、パンターのような転輪のゴムのはずれやすいのとか、ミッションに故障起こしやすいのは、いつ故障してもおかしくないぞ。
事実、砲塔を持たないヤークトパンターは、ミッション系の故障に泣かされたんだから。
だいたい、パンターは信地旋回できる構造だったのかなぁ・・・

でも、こんな点は些細なことでしょうね。
だいたいティーガー人気に押されて、ティーガーやケーニッヒティーガーのマンガは多いけど、パンターが主役級ってのはそんなにないはずですし、ましてやM4やT-34ならともかく、M36襲撃砲やIS-2などの米ソの戦車もなかなか出てこないですからねぇ。

というわけで、こういうのもありのマンガだと思います。
私自身似たよーなの書いているしなぁ。(笑)
またミリネタSS書こうかな。

それではまた。
  1. 2009/04/13(月) 21:22:08|
  2. 本&マンガなど
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まるで戦争映画のワンシーン

夕べはvaronさんとVASLでASL-SK対戦。

サードパーティ製のシナリオを対戦しました。
スタンダードでもSKでも使えるシナリオなので、今回はSK用としてプレイです。

このシナリオはイタリアにて街を攻める米軍に対し、街を守ろうとするSSと504重戦車大隊の一部との戦いと言うもので、独軍は548分隊7個にティーガー1両、米軍は666分隊10個にM4が二両という戦力での対戦です。
米軍は私が、守る独軍をvaronさんが担当しました。

序盤、ティーガーが怖い米軍は、路上を進撃するのを避けてM4の一両を森に突っ込ませます。
ところがこれはBOGチェックに失敗、一時的に移動不能に。
歩兵は全部建物を伝い歩いて独軍前線に攻めかかりますが、白兵戦で逆に半個分隊にさせられると言うありさま。

さらに二ターン目には目の前にまでやってきたティーガーを、至近距離で砲撃するもまったくダメージを与えられないM4が、ティーガーの砲撃で破壊され、一両を失います。
まさに米軍は前途多難でした。

ところが、三ターン目に転機が訪れます。
独軍兵の防御射撃をかいくぐりティーガーに隣接した米軍一個分隊が、ティーガーに白兵戦を挑み見事にこれを撃破。
次の独軍の射撃で除去されるも、勲章ものの大殊勲です。

これに勢いを得た米軍は、BOGのM4も森を脱出。
独軍の防御射撃も低いダイスの目で士気チェックを成功させ、独軍の防御する建物に迫ります。

最後は独軍の抵抗を米軍が排除して米軍の勝利。
途中までは独軍が有利だった状況でしたが、やはりティーガーの撃破が大きかったです。

手榴弾を持ってティーガーの砲塔によじ登る米兵。
ハッチから手榴弾を投げ込んでティーガーを撃破といったところでしょうか。
まさにハリウッド製戦争映画のワンシーンを見ているような展開に、思わず酔いしれてしまいました。

varon様、今回も対戦ありがとうございました。
またよろしくお願いいたします。
  1. 2009/04/12(日) 19:24:12|
  2. ウォーゲーム
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クリミア戦争(9)

エフパトリアに上陸した英仏オスマン・トルコの三ヶ国連合軍は、上陸当初の混乱をどうにか終息させつつ、要衝セバストポリヘ向けてクリミア半島の南下を開始し始めました。
一方ロシア側はクリミア半島に五万の兵力を持っておりましたが、連合軍に対しては若干劣勢であり、しかも防御として篭るべきセバストポリの要塞群はまだ防御体制の準備未了の状態であったため、何とか防御準備の完了までの時間を稼ぐことを第一に考えなくてはなりませんでした。

そこで、ロシア軍のこの方面の司令官たるメンシコフ公は、連合軍がセバストポリ要塞に達する前に、行軍途上にあるアルマ河という川で連合軍を迎え撃つことにします。
このロシア軍司令官メンシコフ公とはロシア使節としてオスマン・トルコとの交渉に当たり、結局は交渉を決裂させてしまったあのメンシコフ公でした。

メンシコフ公は約三万五千の軍勢を率いてアルマ河の南岸に陣取ります。
このアルマ河は、クリミア半島中央部からほぼ東西に流れており、連合軍はセバストポリに行く前に必ず渡河しなくてはならない川でした。
北側(連合軍側)はなだらかなスロープになっており、あまり身を隠せるようなところがありません。
一方南側(ロシア軍側)は急斜面になっており、川を越えるとすぐに崖があったりして、丘の間を通る街道以外は通行困難な岩山になっておりました。
つまり、この岩山に適切に布陣すれば、連合軍はきわめて渡河攻撃しづらい場所だったのです。

しかし、連合軍には利点もありました。
産業革命がすでに国内に定着していた英仏は、その成果を軍事面でも有効に利用し始めておりました。
兵士たちの持つ銃も旧式の滑腔式銃(銃身内部に銃弾を安定させるためのらせん状の溝がない)ではなく、旋条式銃(銃身内部にらせん状の溝を掘ってあり、銃弾が回転してまっすぐ遠くに飛びやすくなる)を装備しており、火力の面では従来の軍隊よりも大幅にアップしておりました。

また、英仏軍の兵士はいわゆる国民軍であり、じょじょに国のために自らが戦うと言う意識が浸透してきておりました。
一方ロシア軍の兵士は徴募された農奴を中心とした兵士たちであり、貴族階級に無理やり戦わさせられていると言う意識が強く、いやいや戦っているに過ぎませんでした。
戦意という面でも大幅に連合軍は有利だったのです。

さらにもう一つ、連合軍に有利に作用したのがメンシコフ公の事前準備でした。
メンシコフ公はアルマ河南岸の地形が険しいことをあてにして、一部には堡塁を設けたものの、海側に兵力を配置しないなど防御態勢に不備のある布陣を取っていたのです。

このように連合軍にはいくつかの利点がありましたが、弱点もまたありました。
大きかったのは、やはり英軍司令官であるラグラン卿と仏軍司令官サン=タルノー元帥とを結びつける総司令部のないことでした。
ラグラン卿もサン=タルノー元帥もお互いに相手に手の内を見せようとはせず、それでいて共同作戦を取らねばならないと言うきわめて普通ではない指揮体制だったのです。

ラグラン卿は頑固な英国紳士で、悪く言えば自信過剰で自分の考えに固執するところがあり、仏軍司令官と相談するなどありえず、作戦会議では相手の意見にうなずいて見せたりするものの、実際にはその意見を無視することなど当たり前のことでした。
一方のサン=タルノー元帥は軍事能力に乏しい上に病床にあり、まともな作戦指揮など望めないものでした。
英仏連合軍は、ロシアを敵としてただその場に一緒にいるに過ぎないと言う連合軍だったのです。

さらにバルカン半島で猛威を振るったコレラが、ここクリミア半島でも連合軍を痛めつけました。
アルマ河の戦場に到着した時点で、すでに連合軍には多くのコレラによる病兵を抱えていたのです。
このコレラなどの病気による兵士の損害は、この後も戦争を通じて両軍を痛めつけました。

そんな状況の両軍がアルマ河で顔をあわせたのは、1854年9月20日のことでした。
これは実に1815年のワーテルローの戦い以来39年ぶりの欧州列強国同士の戦闘だったのです。

連合軍はそれでも一応は共同作戦のようなものを取ろうとしました。
アルマ河に向かって右翼に位置する仏軍がまずは渡河攻撃を仕掛け、ロシア軍の注意と兵力を引き付けたのちに英軍が左翼と中央で総攻撃を仕掛けると言うものでした。
総司令部と明確な指揮系統を持たない連合軍としてはこの程度の作戦が精いっぱいだったのです。

戦いは、まずは海岸側の右翼仏軍の渡河攻撃から始まりました。

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  1. 2009/04/11(土) 20:53:47|
  2. クリミア戦争
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クリミア戦争(8)

ロシア軍のバルカン半島からの撤収により、あわよくば漁夫の利をもってバルカン半島内の影響力を増そうと画策したオーストリアのもくろみは費えました。
これによりオーストリアはただロシアの反感を買っただけでしたが、オスマン・トルコとしてはロシア軍の撤収により、バルカン半島よりロシア軍を追い出すというこの戦争の目的は達せられました。

ベシカ湾から北上していた英仏連合軍は、アドリアノープルを経てさらに北上しておりましたが、ロシア軍が撤退したことで、こちらは別働隊の上陸したヴァルナへと向かい、ここで合流します。
この行軍は慣れない風土と非衛生な環境からコレラが蔓延し、ヴァルナに到着したときには一戦も交えないまま約二千もの兵士が倒れるというありさまで、英仏としては何も得るもののない行軍に終わります。
さらにガンに侵されていたフランス軍総司令官サン=タルノー元帥もコレラに倒れ、病床から指揮を取るという状況でした。

本来なら、ここでオスマン・トルコの戦争目的が達せられたために「クリミア戦争」は終わってしかるべきものでした。
ロシアの南下が防げた以上、英仏としても目的は達せられていたはずなのだからです。
しかし、古来戦争は始めるのはたやすく、終わらせるのは容易ではありません。
出兵したにもかかわらず、ただコレラで兵士を失う行軍をしただけでしたなどとは、英国のアバディーン内閣もフランスのナポレオン三世も国民に対して言えるはずがなかったのです。
目に見える戦果を得るまで戦争をやめるわけにはいきませんでした。

ガンとコレラに侵され、余命いくばくもない病床のフランス軍総司令官サン=タルノー元帥は、目に見える戦果をクリミア半島の要塞軍港セバストポリに求めました。
セバストポリは、クリミア半島の南部に位置する軍港で、ロシア海軍の黒海における根拠地でした。
このセバストポリを英仏軍が占領することで、ロシアに対する目に見える勝利を手に入れ、黒海からロシアの海軍勢力を排除して戦争終結に導くという構想だったと思われます。

英仏本国から遠いことで戦力も限られている英仏連合軍としては、クリミア半島という限定された戦場での勝利しか望みえず、この作戦しか取りようがなかったのかもしれません。
ですが、バルカン半島と違ってクリミア半島はすでにロシアの領土であり、今度はロシア側が侵入してきた敵を追い払うという立場に立つ国土防衛戦となります。
国土防衛戦となればそう簡単にはロシアも引くことはできません。
戦争は激しいものとなるに違いありませんでしたが、英仏もオスマン・トルコもこのサン=タルノー元帥の作戦を了承し、戦争の舞台はバルカン半島からクリミア半島へと移ることになりました。

クリミア半島及びその半島に位置するセバストポリは、ロシアにとってはとても重要な場所でした。
ここを制することで黒海全体を制していたと言っても過言ではないのです。
ところが、陸軍兵力はわずか五万程度しか置いてありませんでした。
ロシアは地続きのバルト海沿岸方面や現在のポーランド方面、そして撤収するはめにはなりましたがバルカン半島方面に陸上兵力を展開しており、まさか直接クリミア半島に戦火が及ぶなどとは考えていなかったのです。

1854年9月1日。
ヴァルナから英仏及びオスマン・トルコ連合軍がクリミア半島へ向けて出港しました。
輸送船約六百隻に分乗し、護衛の軍艦は百五十隻という大艦隊でした。
ヴァルナに残されたのは、コレラに倒れた兵士たちの数多くの屍だけでした。

この世界最強の英国海軍を主力とする軍艦群に対し、黒海のロシア艦隊はかき集めても六十隻ほどでしかなく、制海権は完全に連合軍のものでした。
そのため、ロシア海軍は上陸妨害を行うこともできず、連合軍はカラミタ湾エフパトリアに上陸します。

この時エフパトリアに上陸した兵力は、フランス軍が約三万二千、英軍が約二万六千、オスマン・トルコ軍が約七千という陣容でした。
三軍の連合軍である上に上陸直後ということもあって、エフパトリア上陸は大混乱に陥りますが、幸いにしてロシア軍の攻撃はなく、連合軍は態勢を立て直すことができました。

こうして連合軍約六万五千はセバストポリへ向けて南下を開始します。
いよいよクリミア半島での戦いが始まろうとしておりました。

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  1. 2009/04/10(金) 21:08:00|
  2. クリミア戦争
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双闇の邂逅(2)

昨日に引き続き、闇月様のSS「双闇の邂逅」の後編をお送りいたします。

それではどうぞ。


「響子様、只今戻りました」

アジトに戻ってきたコックローチレディの顔色は優れなかった。
初めての任務失敗が相当ショックだったようだ。

「ご苦労様、コックローチレディ」
部下の失敗を気にすることなく、響子は笑顔を見せた。

「響子様、申し訳ありません」
「気にすることはないわ。あとはマンティスウーマンがうまくやってくれるでしょうから。それにしても…」

響子は少し困ったような表情で言葉を続ける。

「…私の作った装置で破れないセキュリティがあるなんて驚きだわ。装置に改良を加えないといけないわね」

響子の言葉をコックローチレディはその場から動くことなく黙って聞いている。

「コックローチレディ、下がっていいわよ」
響子がコックローチレディに声をかける。
しかし、彼女はその場から動こうとしない。

「コックローチレディ、聞こえなかったの? 下がっていいって言ってるのよ!」

若干苛立ちのこもった響子の声に、コックローチレディがくすくす笑い始めた。

「コックローチレディ、何がおかしいの?」
「くすくす…響子様、お気づきになられないんですか?」

コックローチレディの言葉に、違和感を感じ始める響子。

「…あなた、コックローチレディじゃないわね。何者なの?」
「あら、さすが犯罪教授様。勘は鋭いみたいですね…」

そう言ったコックローチレディの姿がぼやけ、姿形が変化していく。
現れたのは襟元からつま先まで黄色のレオタードに覆われ、首に黒いスカーフを巻き、虹色のアイマスクをつけた女性だった。

「あたしは『ポワゾン・レディース』のカメレオン・レディ…最近話題の犯罪教授様にお会いできて光栄ですわ」
「『ポワゾン・レディース』…名前は聞いたことがあるわ。私たちと同じく、社会の裏で暗躍する者たちね」

「犯罪教授に私たちのことが知られてるなんて、嬉しい限りですわ」
“カメレオン・レディ”と名乗ったアイマスクの女性はにっこり微笑んだ。

「見事な変装…いえ、“変身”と言ったほうが正しいかしらね、カメレオン・レディさん」
いつもの冷静さを取り戻した響子がカメレオン・レディと対峙する。

「あたしは一度見た相手なら誰にだって“変身”できるの。汗とか唾液といったものを得れば遺伝子単位まで全て同じになれるのよ。すごいでしょ?」
上機嫌で自分の持つ能力を説明するカメレオン・レディ。

「それは素晴らしい能力ね。ぜひとも私の手駒に加えたいわ」
「せっかくのお申し出ですけど、お断りよ。あたしが従う相手はあたしが決めるから」
響子の申し出を即行で断るカメレオン・レディ。

「あなたの意思なんて関係ないの。どうせ私の手で変えられるんだから」

響子の言葉に危機感を感じたカメレオン・レディは、カメレオンのごとく姿を消して逃げようとした。
そんなカメレオンレディの身体に後方からワイヤー巻きつき、彼女の動きを封じた。

「ありがとう、ミス・スパイダー。いつもながら素晴らしいワイヤー捌きね」
「ありがとうございます響子様」

カメレオン・レディに絡みついたワイヤーの先を持っていたのは、胸のところに蜘蛛のマークが白く入った黒のレオタードに、顔には蜘蛛の模様をあしらったマスクをつけ、口元だけを覗かせた女性。
ミス・スパイダーと呼ばれる犯罪教授の部下だった。

「そのまま彼女を抑えていなさい。すぐに終わらせるから」
そう言ってカメレオン・レディに近づく響子。

「な、何をするつもりなの?」
カメレオン・レディは恐怖からか、身体を小刻みに震わせている。

「あなたの思考をちょっといじらせてもらうわ。あなたの場合忠誠の対象をちょっと変えるだけだから簡単に済むわ」
響子の言葉に、カメレオン・レディはギョッとした表情を浮かべ、ミス・スパイダーの拘束から必死に逃れようとする。

響子の手が自分の額にかざされたのを最後に、カメレオン・レディの意識は一旦途切れた。


「あなたはここに何をしに来たの、カメレオン・レディ?」
「これを渡すように頼まれてきたんです、響子様」

カメレオン・レディはそう言って一通の手紙を響子に差し出した。

(あら、どうやらターゲット直々の招待状みたいね。面白そうだわ…)
手紙の内容をさっと読んだ響子はにっこり微笑んだ。

「あの…響子様、あたしはどうすればいいでしょうか? ご命令を」
「そうね…あなたの古巣に戻っていいわよ。『ポワゾン・レディース』にあなたの変貌ぶりをみせつけてらっしゃい」
「はいっ! ありがとうございます、響子様」

響子の前に跪くカメレオン・レディに、響子は笑顔でそう命じる。
響子の命令に嬉々とした表情を見せ、カメレオン・レディは部屋を出て行った。


こうして、『ポワゾン・レディース』のアジトに戻ったカメレオン・レディだったが、リーダーであるサイキック・レディの能力によってあっさり思考を戻されてしまった。
そして、サイキック・レディともう一人の仲間であるメディスン・レディにこっぴどく叱られたのは言うまでもない。



「こんな素敵なお嬢さんをお待たせするとは…申し訳ありません」

右隣から聞こえた声に、少女―案西響子は回想をやめ、再び眼を開ける。

響子の横に座っていたのは、『ノワール・コーポレション』社長、黒田 圭(くろだ けい)。
彼女は黒田に呼ばれ、『ノワール』にやって来たのだった。

「“私の部下”が“あなたの部下”にお世話になったようね」
響子はそう言って、グラスに残っていた『クライム・プロフェッサー』を飲み干す。

「“私の手駒”も貴女方にお世話になったようで…そのカクテル、気に入っていただけましたか?」
「えぇ、とても素敵なカクテルでしたわ…味もネーミングも」
響子の答えを聞いた黒田がにこやかに微笑む。

「今回、私達は依頼を果たせなかった。こんなことは初めてだわ。完全な敗北ね」
「いえ、それは違いますよ。しいて言えば、引き分けといったところでしょう」
黒田の言葉に、響子は驚きの表情を浮かべる。

「『ノワール・コーポレーション』が『ポワゾン・レディース』とつながっていることを知られてしまった。『ノワール・コーポレーション』が普通の企業ではないということに気づかれては困るのです…『ノワール・コーポレーション』という“隠れ蓑”を使っている我々には。だから“引き分け”なんですよ」

話を続ける黒田の表情は真剣だった。
嘘を言っているとは思えない、と響子は思った。

「あなたは…何者なの?」

響子は震えた声で黒田に問う。
黒田は響子の眼を見つめ、にっこり笑って答えた。

「貴女のような素敵なお嬢さんをお待たせしたお詫びに教えましょう。私の“もう一つの顔”はキング・ノワール。『ノワール・キングダム』の王です」
「『ノワール・キングダム』ですって?」
「我々は『ノワール・コーポレーション』の陰で、密かに世界を闇に染めようと画策している。犯罪教授、貴女と貴女の部下は特殊な能力や人並み外れた身体能力をお持ちかもしれないが、我々と『ポワゾン・レディース』は“ヒトならざる者”と言ったほうが正しいかもしれないね」

『ノワール・キングダム』、“ヒトならざる者”。
信じられない言葉の連続に、響子は黒田の話をただ聞いていることしかできなかった。
気がつくと、身体がかすかに震えている。
黒田から感じられる“恐怖の闇”に彼女の脳が危険信号を発しているからだった。

「大丈夫。我々はこれ以上貴女方には何もしない。今後、貴女方が我々に何もしなければ、ね…」

黒田は震える響子の両肩にそっと手を置き、響子の耳元でそう囁くと、漆黒の瞳で響子をじっと見つめる。

(なんて、きれいな瞳なんだろう…まるで、漆黒の闇のよう)
響子の中で“恐怖の闇”が“憧憬の闇”へと変化していく。
黒田の漆黒の瞳に吸い込まれそうになり、響子は黒田に肩をつかまれて立っているのがやっとの状態になっていた。

「…今回、君達に依頼してきた者がどこの誰か、教えてくれないかい?」
黒田は響子に優しい声で問う。

(…悪いけど、あなたの思い通りにはいかないわよ)
響子は声に抗い、唇をかみしめる。

黒田は更に2回、同じ問いを繰り返したが、響子に答える意思が全くないことを悟ると、残念そうな表情を浮かべた。

「私の“闇”に屈しないとは…君のような女性は初めてだよ」
「私を誰だと思っているの? 『犯罪教授』を甘く見ないで」

呼吸が荒く、今にも倒れそうな響子だったが、彼女の発する言葉には強い意志がこもっていた。

「君の“闇”は脅威だね…今後、我々と君達が二度と関わりあいにならないことを祈っているよ」
黒田のその言葉を最後に、響子は意識を失い、その場に崩れ落ちた。


気がつくと、響子は見覚えのある公園のベンチに座っていた。
『ノワール』の場所も、自分がどうやってここまで来たのかも思い出せなかった。

『ノワール』での出来事は夢だったのだろうか?
でも、口の中に残る自分の“もう一つの顔”と同じ名前のカクテルの味と、両肩に残る黒田の手の感触が、夢ではないと響子に教えてくれた。

(…『ポワゾン・レディース』に『ノワール・キングダム』か)
響子は心の中でそっと呟くと、かわいい部下達が待っているであろう“我が家”に向かったのだった。


数日後、響子は新聞で今回の件の依頼者の死を知らせる小さな記事を見つけた。

「…結局、消されたのね」

響子はそう呟いて新聞をたたむと、制服に着替え、家を出た。


END


いかがでしたでしょうか。
闇月様、楽しいSSを投稿していただきありがとうございました。
もうすぐサイトの閉鎖と言うことですが、ご事情もあってやむをえないこととはいえ寂しく感じます。
またいつでも当ブログに遊びに来てくださいませ。
投稿も大歓迎です。

それではまた。

(2009年5月11日、闇月様よりのご依頼にてEND部分差し替えさせていただきました)
  1. 2009/04/09(木) 21:26:49|
  2. 投稿作品
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双闇の邂逅(1)

いつもお世話になっている「闇月の創作ノート」の闇月様より、投稿作品をいただきました。

今回は闇月様のサイト「闇月の創作ノート」で連続掲載されました「ノワール・キングダム」シリーズのキャラと、我らが「犯罪教授響子様」シリーズのキャラが絡み合うというコラボレーションSSです。
まさに先日TVで放送されました「ルパン三世VS名探偵コナン」ばりの大胆なコラボレーションではないでしょうか?
(ただし、私は今回の作品そのものには携わっておりません)

とはいえ、今回のSSは双方が協力し合うというものではなく、まさにお互いが対決するというシチュエーション。
はたして勝利を手にするのはどちらの陣営でしょうか?

今日と明日の二回で公開させていただきます。
それではどうぞ。


舞方雅人様作「犯罪教授」シリーズ/闇月作「ノワール・キングダム」シリーズ コラボ(?)作品
【双闇の邂逅】

街の路地裏にある小さなバー『ノワール』。
店内には漆黒のパーティー用ワンピースを着た女性、いや、少女が一人。
少女はおそらく未成年だろう。
しかし、この少女のまとう雰囲気は大人の女性と同じものだった。

「こちらは本日おすすめのカクテル、『クライム・プロフェッサー』でございます」
バーテンダーが少女の前に、彼女の衣装と同じ漆黒のオリジナルカクテルを出す。

「あら、私にカクテルなんて出しちゃっていいの?」
「ノンアルコールですのでご心配なく」
少女の皮肉めいた問いにバーテンダーはにこやかに答えた。

(ふーん…カクテルの名前といい、私が何者なのか、わかっているみたいね)

「お客様がお待ちの『あの方』はあと15分ほどでお見えになります。お仕事が予定より長引いたようで…」

バーテンダーの言葉を聞き流しながら、少女はここ数日の出来事を思い出すため、そっと眼を閉じた。



数日前、犯罪教授のもとに届いた依頼。
それは『ノワール・コーポレーション』という企業の調査と、社長である青年実業家への襲撃。
犯罪教授こと案西響子は部下であるコックローチレディに調査を、マンティスウーマンに襲撃をそれぞれ命じた。


翌日の昼時。
ランチタイムとあってか『ノワール・コーポレーション』があるオフィス街はサラリーマンやOLたちで賑わっていた。

「『ノワール・コーポレーション』のビルは、オフィス街にあるビルの中では真ん中レベルといったところかしら?」
『ノワール・コーポレーション』のビルを眺め、そう呟く女性はフリーライターの佐登倉志穂(さとくら しほ)。
彼女の服装は、周囲に違和感を与えないようなスーツ姿。
“調査”を目的に行動していることは気づかれないだろう。

(あれ? 今『ノワール・コーポレーション』から出てきたのって、投捨の女記者じゃない…?)

志穂が監視していたビルの玄関から出てきたのは、薄紫のスーツ姿の若い女性。
見覚えのある顔に志穂は驚く。

「…確か、投捨新聞社会部の門名真里(もんな まり)だっけ?」
“かつての”自分と同じタイプの女記者の名前を志穂はすぐに思い出す。

その時、志穂は、真里の行動にさらに驚いた。
真里が志穂の方を見てにっこり微笑み、軽く会釈をしていったように見えたからだ。

「ありゃ、気づかれたかな、これは…」
志穂は苦笑いを浮かべ、そう呟いたのだった。


佐登倉志穂の視界から消えた門名真里は、バッグの中から携帯電話を取り出すと、素早く電話をかけた。

「もしもし…どうやら“あちら”が動き出したようです。今夜あたり潜り込むと思いますわ…」
「…はい。顔見知りでしたけど、おそらく私の“正体”には気づいていないかと」

電話を終えた真里は、くすっと笑うと、新聞社に戻るため、駅に向かったのだった。


その夜。
オフィス街は残業の明かりも少なく、閑散としていた。

『ノワール・コーポレション』社内に蠢く一つの影があった。
美しいプロポーションを包む茶色のレオタード、すらりと伸びた脚にはハイヒールのブーツ。
頭を覆うヘルメットのようなものからはふるふると震える二本の線が延び、背中には翅のような形をしたものを背負っている。

その姿はまるでレオタードの胸の部分に描かれたゴキブリのよう。

そう、この影の正体こそ、犯罪教授の部下の一人、コックローチレディ。
フリーライター佐登倉志穂の“もう一つの顔”である。

コックローチレディがやってきたのは、『ノワール・コーポレーション』の情報が全て集まったサーバールーム。
ここまでやってくるのに、警備員に会うことはなく、警報装置も背中の装置で簡単に無効化できた。

「クスッ、業績を伸ばしている企業のわりにはセキュリティが甘いんじゃない? まぁ、私にかかればどんなに強固なセキュリティでも赤子同然だけどね」

コックローチレディの言葉は自分に対する自信と、自分にこの装備を与えてくれた犯罪教授への絶大なる信頼によるものだった。

コックローチレディは触角の先のコネクターをコンピュータにつなぎ、右手に仕込まれたキーボードを操作する。
これで、複眼状のバイザーにコンピュータのデータが映し出されるはずだったのだが…

(えっ、サーバーのセキュリティに阻まれてる!?)

おかしい。こんなことは今まで一度もなかった。
コックローチレディは初めて動揺を見せる。

それから十数分、彼女はセキュリティシステムと格闘したが、結局全ての手段を阻まれ、データの強奪をあきらめざるをえなかった。
再びもと来たルートを誰にも気づかれずに進み、外に出る。

「…くやしい、こんなこと初めてだわ。いったいなんなのよ、あのセキュリティシステムは!」

失敗の報告をしたら響子様は何ておっしゃるだろう?
そう思いながら、コックローチレディは重い足取りでアジトに向かうのであった。

…自分が何者かに尾行されているのも気づかずに。


「ふぅ。結構手ごわかったけど、失敗に終わったみたいね」

住宅街にある『神崎』と書かれた表札のある家の2階の部屋で、神崎飛鳥(かんざき あすか)はフゥっと息をつく。

部屋にあるのは数台のパソコンとサーバー。
ここでは、『ノワール・コーポレション』の事業の一つ、『女性ニートのためのSNS HOT-SL』の運営と、『ノワール・コーポレション』のサーバールームのセキュリティを遠隔で監視していた。

部屋には飛鳥の他に二人の女性がいた。
一人は飛鳥ともにこの部屋で仕事をする笛木美鈴(ふえき みすず)。
そして、もう一人は門名真里だった。

「あちこちの企業でデータを根こそぎ奪ってきたコックローチレディも、うちのセキュリティは破れなかったんだ。これならどんなヤツが来ても大丈夫だね」
美鈴が笑顔で言った。

「まぁ、ここまで強固なセキュリティシステム作れたのも、貴女の“怠惰”のおかげよね、スロート」
「ひどっ! ラスティ、グリーデがひどいこと言ってるよぉ…シクシク」
真里に“スロート”と呼ばれた美鈴の笑顔が泣き顔に変わる。

「グリーデの言っていることは真実だからねぇ。貴女がサボっても問題ないようにしたらこんな立派なシステムができたんだから」
美鈴に“ラスティ”と呼ばれた飛鳥がクスクスと笑い、真里に向かって言った。

「グリーデ、貴女の情報のおかげで万全の体制で迎え撃つことができたわ。感謝してるわよ」
「いえいえ。今頃彼女、どうなっているのかしら? たぶん“彼女たち”に捕獲されているでしょうけどね」
飛鳥に“グリーデ”と呼ばれた真里はそう言うと、ニヤリと妖しい笑みを浮かべた。



「…コックローチレディがしくじったようね。珍しいこともあるものだわ」

携帯電話に届いたメールを見て呟いたのは、白いカマキリの模様の入った暗緑色のレオタードとマスクの女性。
彼女はマンティスウーマン、犯罪教授の部下の一人だ。

「それにしても、今回のターゲット、なかなかのイケメンじゃない…切り刻んじゃうのがもったいないわぁ」

マンティスウーマンはターゲットの写った写真を見て、ため息をつく。
彼女が物陰に身を潜めて待っているのはこの写真の人物、『ノワール・コーポレション』の青年社長だ。

左右の複眼を模した暗視ゴーグルが男性の姿を捉える。
どうやらターゲットは一人のようだ。
マンティスウーマンは両手首に蟷螂の鎌を模した手鉤を装着する。

「うふふ…『ノワール・コーポレーション』の社長さんですわね? お待ちしておりましたわ」
物陰から男性の前に躍り出たマンティスウーマンの口元に笑みが浮かぶ。

「貴女のような方と待ち合わせをした覚えはないんだけどね」
漆黒のスーツをきちんと纏った青年社長が乾いた笑みを浮かべる。

「こちらが一方的にお待ちしていただけですわ。私はマンティスウーマン、以後お見知りおきを」
「言われなくても、貴女のような姿をした人は二度と忘れないと思うけどね」

マンティスウーマンの言葉に、青年社長は表情を全く変えずにサラリと言い返す。

「あら、まもなく死ぬというのに、驚いたり怯えたりしませんのね?」

マンティスウーマンは驚いていた。
今まで彼女が襲った相手は彼女の姿を見て驚き、がたがたと震えて腰を抜かす者までいた。
それなのに、この青年は全く動じる様子がない。

「貴女…いや、君には悪いけれど、私は君にむざむざ切り刻まれるつもりはないんだよ、蟷螂のお嬢さん」

(悪いけど、そういうわけにはいかないのよ…響子様のために!)
青年の言葉に応えることなく、マンティスウーマンは心の中でそう呟くと、青年に襲い掛かった。

ザクッ!

手首の鎌が肉を切り裂いた感触がした。

もう一撃、と思い振り返ると、青年と眼が合う。
キッと睨みつける青年の眼を見た途端、マンティスウーマンの身体が硬直し、次の行動に移れなくなってしまった。

(な、何が起こっているの!?)
マンティスウーマンは自分の身に突如起こった不可解な出来事に呆然とする。
彼女の視線の先では、彼女の攻撃を受けた青年が片膝をついて荒い呼吸を繰り返している。
彼女の鎌には、仲間であるスコーピオンガール特製の神経毒が仕込まれており、攻撃対象を確実に仕留めることができるようになっていたのだ。

「…これ以上、君に攻撃はさせないよ」

青年の声が先程までと全く違っていた。
声色だけではなく、口調も、雰囲気も、ガラリと変わったような感じだった。
聞いた者に恐怖を与えるような、闇の底から響き渡るような声に、硬直していたマンティスウーマンの身体ががたがたと震え始めた。

もうこれ以上、この声を聞きたくない。
一刻も早く、ここから逃げ出したい。

マンティスウーマンはそんな衝動に駆られていた。

「蟷螂のお嬢さん、私の手駒が来る前に立ち去るがいい…これは警告だよ」

その声を聞いた途端、マンティスウーマンの身体に自由が戻る。
青年の言葉に逆らうことなく、彼女はその場から立ち去った。


「大丈夫ですか?」
「あぁ、君のおかげで助かったよ。メディスン・レディ」

マンティスウーマンが立ち去った後に現れた若い女性の処方した特製の即効性解毒治療薬により、青年は元通り回復していた。
不思議なことに、傷口もすっかり消えてしまっている。

「“あっち”はどうなっている?」
「今のところ順調に事は進んでいます。あとは“彼女”が無事帰還すれば任務完了ですわ」

“メディスン・レディ”と呼ばれた女性は淡々とした口調で青年に報告した。
  1. 2009/04/08(水) 21:21:49|
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04月08日のココロ日記(BlogPet)

最近、舞方雅人さんは中継ぎのことが気になってしょうがないみたいですね。

*このエントリは、ブログペットのココロが書いてます♪
  1. 2009/04/08(水) 10:04:23|
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クリミア戦争(7)

「シノープの海戦」はロシア海軍の圧勝に終わりました。
本来ならこの勝利によって、「クリミア戦争」そのものがロシア優位のうちに終結してもおかしくないはずでした。
しかしこの「シノープの海戦」の勝利は、「クリミア戦争」そのものを妙な方向へと迷走させることになってしまいます。

「シノープの海戦」のロシア海軍の勝利によって、ロシアが有利になったことを喜ばないのは英国でした。
もともとオスマン・トルコを焚き付けてロシアの地中海進出を防ごうとしていたのですから、ここでロシア優位のうちに戦争が終わり、ボスポラス及びダーダネルス両海峡の通行権がロシアに与えられるようになっては困るのです。

英国初め欧州各国はこの「クリミア戦争」に新聞記者を派遣しておりました。
彼らはこの「シノープの海戦」のあまりにも一方的な結果に、これは戦闘ではなく虐殺であると報道します。
沈む軍艦から脱出し海上を漂うオスマン・トルコ兵士にまでロシア軍は発砲したと書きたて、各国の世論はロシアに対する非難で一杯となりました。

この世論の高まりは英国にとっては好都合でした。
英国国民の「シノープの虐殺」を赦すなという声に押され、英国はついに「クリミア戦争」に軍事介入することを決定。
この決定にフランスが同調します。
ナポレオン三世は軍事面での勝利を欲し、この戦争に参加することにしたのです。

年が明けて1854年。
この年日本では日本史上でも有数の出来事が起こります。
1854年2月(日本では嘉永7年1月)、ペリー提督率いる七隻の蒸気船が昨年に続いて江戸湾に来航。
3月にはついに徳川幕府もアメリカとの間に「日米和親条約」を結びます。
日本の鎖国が解かれた瞬間でした。

同じ1854年3月。
英仏はオスマン・トルコとの間に同盟を結び、ロシアに対して宣戦を布告。
歴史区分ではこの時点からを「クリミア戦争」とする場合もあります。
戦争は複数国が関係する国際戦争へと拡大することになりました。

英仏はすぐさま用意しておいた軍勢をオスマン・トルコに派遣します。
本国を出港した英軍の司令官はラグラン男爵フィッツロイ・ソマセット(以後ラグラン卿)でした。
彼は1815年の対ナポレオン・ボナパルト戦である「ワーテルローの戦い」で指揮を取ったというのが自慢であるほどの老将軍であり、66歳という高齢でした。

一方のフランス軍司令官はアシル・ル・ロワ・ド・サン=タルノー元帥。
こちらはナポレオン三世の信任が厚いものの、軍事的な能力は凡庸とされており、司令官としては評価の低い人物でした。
さらに悪いことに、このサン=タルノー元帥はガンを患っていたといわれ、あと数ヶ月の命と宣告されていたといわれます。
この両者が英仏連合軍の各軍司令官であり、連合軍の軍事行動はこの両者が相談して行なうというものでした。

この方式は総司令官を置かない方式のために、軍事行動的には効率が悪く齟齬をきたしやすいものであり、決してよい方法ではありませんでした。
しかし、欧州の覇権を争ってきた英仏両国の代表たるラグラン卿もサン=タルノー元帥も互いに相手の下風に立つことを望まず、このような方式しか取れなかったのでした。

英仏連合軍はオスマン・トルコとロシアがにらみ合いの膠着状況に陥っているバルカン半島のベシカ湾に上陸、また一部は迂回するようにヴァルナに上陸いたします。
英仏の参戦でロシアは今後どうするかを考えなくてはなりませんでした。
とはいえ、英仏が参戦したからといって早々に撤収するわけにもいきません。
ニコライ一世としてはオスマン・トルコとの早期決着を図りました。

ところが、早期決着をもくろんで攻撃したオスマン・トルコのシリストリア要塞に対する攻撃は不調に終わり、一ヶ月経っても陥落させることができません。

英仏連合軍がベシカ湾から北上し、一部がヴァルナからロシア軍の側面を突こうとしているという状況に、どう対応しようかと頭を悩ませていたところに、思いもかけない情報がニコライ一世のもとにもたらされます。
なんと以前革命鎮圧に手を貸してやり、今回の戦争には悪くても中立であろうと思われていたオーストリアが、軍勢を国境線に配置し始めているというのです。

オーストリアは英仏連合軍の上陸に形勢が変化したことを見て取り、バルカン半島へのロシアの勢力のこれ以上の拡大を排除しようと考えました。
英仏に加担することで、今後のオーストリア外交を有利にしようとしたのです。

オーストリアはワラキアやモルドヴァからの撤退をロシアに要求。
これにプロイセンも同調し、ロシアにバルカン半島からの撤退を要求します。
このオーストリアの裏切りとも言える行為にニコライ一世は激怒しますがどうしようもありません。
ついにロシアは欧州各国から孤立無援となってしまったのです。

この事態にニコライ一世は、「敵が多ければ多いほど、名誉も大きくなる」と言ったといわれますが、ロシア軍をこのままワラキア及びモルドヴァに駐留させるわけにも行かず、ついにロシアはバルカン半島から撤収。
オスマン・トルコはロシアの侵入を跳ね返すことに成功したのです。

(8)へ
  1. 2009/04/07(火) 21:30:58|
  2. クリミア戦争
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クリミア戦争(6)

1853年7月(日本では嘉永6年6月)、江戸湾の浦賀にマシュー・カルブレイズ・ペリー提督率いるアメリカ艦隊が蒸気船四隻にて来航。
江戸徳川幕府に対し、アメリカ大統領の親書を渡し、日本に開国の要求をします。
幕府はこの一件で大混乱に陥り、返事を翌年回しにしてとりあえず帰ってもらうというありさまでした。

この同じ1853年7月。
ロシアはバルカン半島のオスマン・トルコ領内にいる正教徒の保護を名目としてモルドヴァ地方とワラキア地方にゴルチャコフ将軍率いる八万の軍勢を進めます。
これは明らかに国境侵犯であり、戦争につながる行為ではありましたが、ロシアは正教徒保護ということで宣戦布告は行なわず、オスマン・トルコの出方をうかがいます。

領内にロシアの軍勢が侵入してきたことで、オスマン・トルコの国内は騒然となりますが、まずは戦争という事態を回避するために、軍勢をドナウ川南岸に進出させてロシア軍のそれ以上の南下を食い止めるよう手配した上で、ロシア軍への撤退勧告を行なうという手段をとりました。

しかし、ニコライ一世は撤退勧告を拒絶。
各国の調停も不調に終わり、オスマン・トルコが突きつけた最後通牒もロシア側は無視したため、ついに1853年10月、オスマン・トルコ側がロシアに対して宣戦を布告。
「クリミア戦争」が勃発しました。

オスマン・トルコはまずブカレスト近郊に配置されていたロシア軍前哨を攻撃。
これに対してロシア軍もドナウ川近辺のオスマン・トルコ軍を撃破して南下を開始します。
さらにはバルカン半島各地の反オスマン・トルコ勢力にゲリラ活動をするように仕向け、オスマン・トルコ軍が弱体化するように図りました。

ところがこれはギリシャが反オスマン・トルコの立場から義勇兵の派遣などを行なおうとしたものの、英仏が実力で阻止する気配に出たために断念せざるを得なく、セルビアやボスニア、ブルガリアなどのオスマン・トルコ支配の各地方も一部にゲリラの蜂起などがあったものの、総じて動きを見せませんでした。

さらには動かずと見ていたフランスが、「聖地管理権」だけではなく実際の戦争での勝利によって国民の人気を勝ち取ろうとするナポレオン三世の思惑と、偉大なるナポレオン・ボナパルトを打ち破ったロシアに対する復讐心に燃える国民の意識とが噛み合ってしまい、いまや戦争への介入も辞さずという姿勢になってきていたうえ、ロシアによるオスマン・トルコ支配は、オスマン・トルコ支配下のシリア地方の住民からのフランスへの資金流入を妨げるなどの実利的な面でもフランスにとってこの戦争が無視できないものになってきていたのです。

英国は無論ボスポラス及びダーダネルス両海峡のロシアによる支配は認められるものではなく、当然オスマン・トルコとロシアの戦争には機会を見て参入するつもりであったため、ニコライ一世が考えていたオスマン・トルコ領の分割提案などで納得するはずもなく、着々と戦争の準備を進めます。

ニコライ一世の考えていた思惑がじょじょにはずれてきたロシアでしたが、戦闘そのものもまた最初に思い描いていた思惑とはズレを見せ始めます。
オスマン・トルコ軍は軍勢の指揮官にオーストリア出身のオマル・パシャが就任。
約十三万の軍勢をもってロシア軍に対します。

ロシア軍は11月4日、ワラキアのオルテニッツァという町を攻撃。
しかしこれは撃退され、オスマン・トルコ軍に敗退しました。
ところがオルテニッツァを守りきったオスマン・トルコ軍も、ロシア軍の数の多さに飲み込まれることを懸念してこれを放棄。

ロシア軍はこれ幸いと今度はセルビアに近いカラハットという町を攻撃しますが、ここでもオスマン・トルコ軍に撃退されてしまいます。
オスマン・トルコの近代化がようやく実を結び始めていて、軍の建て直しが成功しつつあったことの証明でした。
オスマン・トルコは実力を取り戻しつつあったのです。

しかし、海ではそうはいきませんでした。
黒海の南岸、オスマン・トルコ側の沿岸にシノープという港町があり、ここはオスマン・トルコ海軍の重要な軍港として機能しておりました。
このシノープ港にいるオスマン・トルコ海軍艦隊を無力化するべく、ロシア海軍はパーヴェル・ナヒモフ提督率いる黒海艦隊を出撃させます。
この艦隊は蒸気船を主力としており、砲弾も最新の炸裂弾を装備しておりました。
一方オスマン・トルコ艦隊はまだ木造帆船が主力であり、実際の戦闘力はロシア側が大きく引き離しておりました。

1853年11月30日。
シノープ港に終結していたオスマン・トルコ艦隊は奇襲が懸念されていたにもかかわらず無警戒でいたため、ロシア艦隊の奇襲を受けてしまいます。
木造帆船のオスマン・トルコ艦隊にはロシア艦隊の炸裂弾が高威力を発揮し、オスマン・トルコ艦隊はほぼ一方的に撃破されました。
さらに港湾施設も砲撃を受け、シノープ港はほぼ軍港としての機能を喪失します。
ロシア海軍の圧勝でした。

この「シノープの海戦」の勝利により、黒海の制海権はロシアのものとなりました。
ロシア海軍は戦闘艦をイスタンブールにまで進めることができるようになり、オスマン・トルコにとってはきわめて不利な状況に追い込まれたことになります。
ロシアは陸での膠着状況をこれによって改善し、「クリミア戦争」そのものも勝利のうちに収めることができるかと思われました。

(7)へ
  1. 2009/04/06(月) 21:12:10|
  2. クリミア戦争
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Author:舞方雅人
(まいかた まさと)と読みます。
北海道に住む悪堕ち大好き親父です。
このブログは、私の好きなゲームやマンガなどの趣味や洗脳・改造・悪堕ちなどの自作SSの発表の場となっております。
どうぞ楽しんでいって下さいませ。

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