1939年11月30日午前6時50分。
ソ連とフィンランドの南北約1200キロの長さの国境線の各所で、ソ連軍の侵攻が始まります。
戦争を防止できなかった責任を取って、フィンランドの内閣は総辞職。
後を継いだリュティ新首相は、辞意を漏らしていたマンネルハイムをフィンランド軍の総司令官に任命いたします。
能力のあるマンネルハイムに、何とかソ連軍の侵攻を食い止めてほしいという思いでした。
総司令官に任命されてしまったマンネルハイムでしたが、フィンランド軍の実情はお寒いものでした。
総兵力は約30万人。
これは予備役兵のほかに民兵までも含めた数であり、装備も貧弱でした。
銃は統一されておらず、いわば狩猟用の銃をそのまま使っていたような有様であり、弾薬の供給面などに不利をもたらします。
また対戦車砲や対空砲もほとんどなく、戦車や航空機も数十両、数十機という数しかありませんでした。
対するソ連軍の兵力は兵員数だけでも50万を越え、一説では60万近かったといいます。
装甲車両は約1500両に上り、航空機も1000機を超える数が投入される予定でした。
いわば圧倒的な兵力を持ってフィンランドに侵攻したのです。
フィンランド軍の戦力を正確に把握していたソ連側は、この戦争はわずか四日ほどで片がつくと豪語する者もおり、大多数の者も10日から二週間で終わるものと考えておりました。
そのため、部隊には満足な冬季装備を支給せず、弾薬糧食も10日からせいぜい20日分しか用意されませんでした。
しかし、戦いは数だけではないという事実が、この後のソ連に重くのしかかってくることになるのです。
ソ連軍の主攻撃はカレリア地峡を進む第7軍でした。
第7軍には七個狙撃兵師団(通常の歩兵師団のこと。いわゆるライフルマンが狙撃兵と訳されたことによるみたい)と戦車約1000両が配備され、そのほかにも後衛に多数の兵員を擁していて、それらがラドガ湖とフィンランド湾にはさまれた幅約60キロほどのカレリア地峡に殺到したのです。
そのほかにも、ソ連軍は北から第14軍、第9軍、第8軍の並びで攻撃を開始しており、防衛の主力をカレリア地峡部においていたフィンランド軍にとって、ソ連軍の攻勢を受け止めることは不可能でした。
ソ連軍第9軍及び第14軍方面には、フィンランド軍はわずかばかりの兵力しか置けなかったのです。
まさにソ連軍の予想通り、さしたる抵抗も無く突破できるかに見えました。
カレリア地峡部の防衛に当たっていたのは、フィンランド軍第2軍団と第3軍団からなるカレリア軍でした。
彼らはフィンランド軍の中では一番兵力を回されていたとはいえ、それでもソ連第7軍に対してははるかに劣勢でありました。
そこでカレリア軍の指揮を取るエステルマン中将は、前線での防御をやめ、独立以来仲が悪かったソ連に対する防衛ラインとして建設が進められてきた、マンネルハイムラインと呼ばれる防衛ラインで戦うことにします。
マンネルハイムラインは1920年以来建設が続けられてきた防御ラインでしたが、それでもこの時点では未完成な部分や、逆に古くなって時代に合わなくなってきた部分などが混ざり合っており、決して一級の防衛ラインと呼べるものではありませんでした。
しかし、このマンネルハイムラインを超えられてしまうと、いわばフィンランドの心臓部とも言うべき地域が広がっており、フィンランドとしてはなんとしてもここを突破されるわけにはいきませんでした。
国境線での防衛をあきらめていたフィンランド軍のおかげで、ソ連軍第7軍は順調に侵攻を進めることができました。
侵攻五日目にはマンネルハイムラインよりもソ連側の部分は、すべてソ連占領下におかれてしまうほどでした。
ソ連軍兵士は戦争の先行きを楽観し、またフィンランドを資本主義から“開放”するという名目を信じて、いずれフィンランド内の共産主義者がともに戦ってくれると考えておりました。
ソ連はまさにその件に関してはすぐに手を打っておりました。
開戦当日に占領した国境の町テリヨキに、亡命してきていたフィンランドの共産主義者クーシネンを連れてきて、そこで傀儡共産主義政権を樹立させ、フィンランド内の共産主義者たちを取り込もうとしたのです。
しかし、このクーシネンの共産主義政権はフィンランド内の共産主義者にすら不評でした。
フィンランドからソ連へ移住した人々の多くが、スターリンの粛清にあっていたためといわれ、逆にソ連に対する敵意すら向けられていたのだといいます。
結局この傀儡政権は、戦争にはほとんど寄与することがありませんでした。
マンネルハイムラインに達したソ連軍は、いよいよこの防御ラインに対する攻撃を開始します。
今までさほど強い抵抗を受けずに来たソ連第7軍は、このマンネルハイムラインもそれほど苦労することなく突破できるものとふんでおりました。
第一次世界大戦のような防衛ラインにいかほどのことがあろうか。
大多数のソ連軍将兵はそう思っていたかもしれません。
しかし、それは大いなる誤りでした。
- 2008/10/25(土) 20:43:50|
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