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舞方雅人の趣味の世界

あるSS書きの日々

食べちゃいたいくらい・・・

今日も古ーーーい映画のご紹介。
例によって、私舞方の精神世界の形成に一役買った映画です。

原題がどうも二つ三つあるようでして、「The Freakmaker」とか「The Mutations」というらしいのですが、邦題はすごいです。

「悪魔の植物人間」

1973年の映画で、今ではこの邦題は使えないらしくて、DVDは原題で売られているようです。
実際のところ、これも私はTVで見たに過ぎません。
今はこういうの放映できないんだろうなぁ・・・

以下ねたバレです。

ノルター教授というマッド・サイエンティストが、人間と動植物を融合させて新種の生命体を作ろうと画策。
部下に適当な人間を誘拐させて連れてこさせます。

ところがそううまく行くはずも無く、何度も失敗。
失敗作は奇形として見世物小屋に売り払い、見世物として公開します。
(この見世物小屋には、実際の奇形の方々が出演なさっていて、そういう意味からもTV放映が難しいかも)

ノルター教授が講義をしている大学の女子学生も誘拐され、教授は教え子であることを認識しながらも改造してしまいまたも失敗。
彼女は「トカゲ女」ということで見世物小屋に・・・

次に実験材料になったのも教授の教え子の男子学生。
ノルター教授は彼を食虫植物であるハエトリ草と融合させ、ある程度の成功を収めました。

ハエトリ草と融合し「植物人間」となってしまった青年は、その食欲から人間を襲うようになってしまいます。
ノルター教授が彼の完成に味を占め、さらに完成度の高い植物人間をつくろうとしていることを危惧した青年は、友人の女性のそのことを伝えようとして、彼女に会いに行きます。

自分の姿を見られたくない以上に、彼女を食べてしまうことを恐れた青年でしたが、何とか教授の恐ろしさを伝えます。
しかし、彼女はノルター教授の次の改造素体になってしまい、教授の実験室に連れていかれてしまいました。

さまざまなチューブがつなげられ、まさに改造が始まったそのとき、植物人間にされた悲しさと怒りを教授にぶつけるべく青年が乱入。
教授を食べようと躰の捕虫葉に取り込みますが、暴れる教授とともに機械の爆発だかで炎上。

そこへやってきた彼女の恋人(だったかな?)が、手術台の上の彼女を確保。
二人の最後を見届けます。

目を覚ました彼女に、すべて終わったことを告げ抱きしめる恋人。
彼女もしっかりと彼を抱きしめ、こう言います。
「愛してるわ・・・食べちゃいたいくらいよ・・・」
そして彼女の腕はみるみる緑の植物に・・・

もうね、あらすじ書いただけで私の大好物だとわかってもらえるかと。(笑)
こういうバッドエンド系は大好きですよねー。
思いっきりB級ホラー映画ですが、私にとってはいい作品でした。
機会があれば見てもいいかも。
ただし、ちゃちいですぞ。

それではまた。
  1. 2008/10/31(金) 20:48:41|
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10月31日のココロ日記(BlogPet)

連邦と手詰まりの共通点って何でしょうね?

*このエントリは、ブログペットのココロが書いてます♪
  1. 2008/10/31(金) 09:33:54|
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ロンメルは止まらない

今日はプロ野球ドラフト会議の日でした。
阪神はくじをはずしまくってしまったようですけど、各球団に選ばれた皆様、がんばってくださいませ。

私自身は今日はサッポロ辺境伯様とウォーゲームの平日対戦でした。

プレイしたのはエポック社の「砂漠の狐」です。
このゲームは、エポックのゲームの中でもリメイクされてない数少ないゲームでして、私の中ではリメイクされていない=面白いゲームではないのかも・・・というイメージがあったのですが、はたして実際はどうなのか。

実は私はこのゲーム初プレイです。
ソロプレイもしたことありません。
このゲームは、ダミーカウンターで両軍の部隊を隠蔽しながらの対戦となるので、ソロプレイにはあまり向かないのです。
なので、今日まで20年近くもユニット切っただけで済ませておりました。

10・30(1)
まずは両軍の初期配置。
今日はイタリア軍ファンのサッポロ辺境伯様が英連邦軍を、英軍ファンの私が枢軸軍を受け持つという変則対戦です。

このゲームは、英軍のクルセーダー作戦で始まりますので、序盤は英軍が主導権を握る形となります。
枢軸軍は3ターンまで接敵することもできません。
英軍はハルファヤ峠やフォートカプッツォを一部歩兵師団で包囲し、そのほかの部隊はトブルク方面へと殺到して来ました。
10・30(3)

一方独軍は、第15、第21の両装甲師団に加え、第90軽師団の強力な三つの師団とロンメル自身によるコラムシフトを駆使して、英連邦軍を各個撃破していかなくてはなりません。
特に第15装甲師団は、全戦力をスタックさせると30戦力にもなり、英連邦軍には単独で対抗できる師団がないため、使いようによってはかなり強力となります。

ハルファヤ峠やフォートカプッツォがぎりぎりの抵抗を試みている中、英連邦軍はあまりにもトブルクに目を奪われすぎておりました。
このゲームは英連邦軍の補給集積所を枢軸軍が破壊すると、枢軸軍の勝利となるのです。

ハルファヤ峠方面の歩兵部隊と、トブルク方面に向かった機甲師団との間はダミーがばら撒かれているだけといってもいい状況でした。
枢軸軍はチャンスとばかりに補給所へ向かって急進撃。
実体のないダミーを蹴散らして、第15、第21の両装甲師団が補給所に接近します。

サッポロ辺境伯様は、必死に部隊をかき集めてきますが、移動力を使いすぎた部隊は混乱する可能性があるというルールのために混乱する部隊が続出。
枢軸軍の足を止めることはかないません。

10・30(4)
結局補給集積所を破壊した枢軸軍の勝利に終わり、機動戦のすごさを感じることができました。

あっけなく終わってしまったので、食事のあとで第二戦。
陣営は同じままで再戦です。

10・30(6)
サッポロ辺境伯様は、今度はやや慎重にトブルクに部隊を向けてきました。

そこで私は今度こそ英軍の各部隊を各個撃破にかかります。
たまたま戦線のはじにいた二個部隊を独伊軍共同で包囲することができ、これを撃退。
これが英軍の主力二個機甲師団だったため、英軍の攻撃力が大幅に減退します。

枢軸軍はスタックの戦力の優位さと機動力を駆使して英軍を翻弄。
英軍は一時後退して態勢を立て直しに入ります。

枢軸軍としてはこのチャンスにまたしても補給集積所に接近。
補給集積所近辺で両軍の血みどろの殴り合いとなりました。

しかし、スタックの戦力の優位さがモノを言い、英軍はじりじりと後退。
ついに集積所を占領破壊され、再度枢軸軍の勝利となりました。
10・30(7)

このゲーム、面白くないかも知れないなんて思っていたのがとんでもない誤りでした。
ダミーを駆使しての機動戦はなかなかダイナミックです。
面白いゲームでした。

次回は陣営を入れ替えての再戦を予定。
英連邦軍での勝利を得るにはどうしたらいいのか考えなくちゃなぁ。

それではまた。
  1. 2008/10/30(木) 20:47:08|
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監督決定

プロ野球の守備に関する賞である「ゴールデングラブ賞」が今日発表されましたね。

セ・パ両リーグで以下の選手が選ばれました。
◆セ・リーグ ▽投手  石川雅規(ヤクルト) ▽捕手  阿部慎之助(巨人) ▽一塁手 新井貴浩(阪神)、栗原健太(広島) ▽二塁手 荒木雅博(中日) ▽三塁手 中村紀洋(中日) ▽遊撃手 井端弘和(中日) ▽外野手 青木宣親(ヤクルト)、赤星憲広(阪神)、鈴木尚広(巨人)

 ◆パ・リーグ ▽投手 ダルビッシュ有(日本ハム) ▽捕手 細川亨(西武) ▽一塁手 カブレラ(オリックス) ▽二塁手 田中賢介(日本ハム) ▽三塁手 今江敏晃(ロッテ) ▽遊撃手 中島裕之(西武) ▽外野手 稲葉篤紀(日本ハム)、森本稀哲(日本ハム)、坂口智隆(オリックス)
(Yahooプロ野球サイトのスポーツ報知記事より)

阪神からは一塁の新井選手と外野で赤星選手が選ばれました。
また日本ハムからは、ダルビッシュ選手をはじめ四人も選ばれてます。
いかに日本ハムが守備力を重視しているかわかる気がします。

やはり豪快な打撃もすばらしいですが、守備の堅さや華麗さでお金をもらえる選手というのも魅力的ですよね。
来年もファインプレーをファインプレーに見せないほどのすばらしい守備を選手たちには見せてほしいものです。

ところで、「冬戦争」掲載中に相次いで二人の監督の就任が決まりましたね。
一人は阪神岡田前監督の後を継いだ真弓明信新監督。
もう一人は、すったもんだの挙句にWBCの監督に決まった巨人の原辰徳監督です。

真弓新監督は、あの1985年の猛虎打線の一角を占めた最強の一番打者のお方です。
一番真弓に始まり、三番バース、四番掛布、五番岡田と連なる打線は、現在の目から見ても強力な打線だったことは間違いないでしょう。

その後、代打の切り札的存在として活躍され、引退後は近鉄でヘッドコーチも務められました。
一二軍通じて監督の経験こそありませんが、来期の阪神監督として申し分ない人だと思います。

ちなみにあだ名は「ジョー」
外国人には「マユミ」という音が発音しづらいとかで、いつしかジョーと呼ばれるようになったとか。
「明日のジョー」とは関係ないそうです。

そして、大揉めに揉めた挙句にWBCの監督に決まりました巨人の原監督。
今年のけが人続出による若手器用で結果を残した原監督ですが、決して巨大戦力に胡坐をかいているわけでも若手がたまたま力を発揮したのでもなく、きちんと力量のある監督だと思いますので、WBCでもがんばって欲しいですね。

来期は原巨人対真弓阪神です。
東京ドームも甲子園も毎回満員になるような熱戦が期待できそうですね。

それではまた。
  1. 2008/10/29(水) 20:38:34|
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冬戦争(5)

カレリア地峡部での攻撃も、中央部での攻撃も頓挫したソ連軍は色を失いました。
スターリンは、なぜわが軍は負けているのかと将軍たちを怒鳴りまくり、粛清によって優秀な指揮官を殺してしまったことをあらためて思い知りました。
そこでスターリンは、いったん攻撃の手を緩め、再攻勢に向けて戦力の立て直しを図ります。
総司令官にはティモシェンコ将軍を任命し、今までの総司令官メレツコフをはじめ何人もの将官が降格されたり解任されました。
ティモシェンコはスターリンの命に従い、フィンランド軍を撃破するために兵力の増強を開始します。
また装備も見直され、訓練も行なうことで歩兵と戦車の共同攻撃を可能にしたり、マンネルハイムライン突破用に完成したばかりのKV-Ⅱ型重戦車の投入も決定されました。

こうして約一ヶ月かけてティモシェンコはマンネルハイムライン突破のための準備を整えます。
スターリンにとって、じりじりと待ち焦がれるような一ヶ月でした。

ポーランドと同様にあっという間に決着がつくと思われていたフィンランドとソ連の戦争は、開始からほぼ二月が経過しようとしておりました。
ポーランドの救援に失敗した英仏は、フィンランドに対しても同情は寄せましたが、救援には消極的でした。
救援しようにも、そのころには終わっていると思われていたのです。
ところがフィンランドは粘っておりました。
このことで英国の態度がにわかに変わってきたのです。

英国はフィンランド救援の名目で北欧に兵力を派遣し、スウェーデンの鉄鉱石など北欧の資源地帯の確保をもくろみ始めました。
そうなるとドイツも黙ってはおりません。
北欧で新たな戦端が開かれる可能性が出てきたのです。
そうなると大国間の全面戦争になることが確実であり、そのことを危惧したスターリンは、一刻も早くこの戦争を終わらせなくてはなりませんでした。
スターリンは一日も早いマンネルハイムラインへの攻撃を切望していたのです。

1940年2月1日の空爆から始まったソ連軍のマンネルハイムラインへの攻撃は、その後の五日間にもわたる攻勢準備砲撃と威力偵察でフィンランド軍の防御体制を確認し、2月11日に本格的な攻撃が始まりました。
カレリア地峡部に集結したソ連軍は約60万。
大砲は約4000門。
戦闘用装甲車両は約2000両という膨大な兵力で、しかもティモシェンコは消耗をいといませんでした。
ソ連軍の兵力が尽きる前に、フィンランド軍のほうがずっと早く兵力が尽きるであろうことを見越しての消耗戦の選択だったのです。

ソ連軍が消耗戦に出てきたことで、フィンランド軍は苦境に陥りました。
予備兵力のほとんどないフィンランド軍は、失った兵力を補充することができないのです。
一方ソ連軍は、損害を受けた師団を後退させ、常に無傷の師団を投入し続けることで、兵力の優位さを発揮することができました。
また戦車と歩兵も共同し、フィンランド軍に付け入る隙を与えません。
マンネルハイムラインが突破されるのは時間の問題となりました。

ことここにいたり、フィンランド軍司令官マンネルハイムはついにマンネルハイムラインの放棄を決断します。
マンネルハイムラインで戦っているフィンランド軍は、すでに兵力が半分から三分の一にまで減っていました。
高校生が銃を取り、コックも事務員も戦いました。
しかし、兵力はもはや尽きていたのです。

フィンランド軍はついにマンネルハイムラインを放棄、2月27日にはヴィープリ市前面の最終防衛戦まで後退を余儀なくされてしまいます。
政府はマンネルハイムに状況を確認し意見を求めました。
マンネルハイムはまだ戦えるうちに和平を結ぶべきだと言ったといいます。

3月8日、フィンランドとソ連の間で停戦交渉が始まりました。
ソ連側の出した条件は、戦前よりもさらに厳しいものでしたが、フィンランドという国自体がなくなるものではなく、フィンランドとしては受け入れるしかありませんでした。

1940年3月13日午前11時。
停戦が成立し、すべての戦闘が停止しました。
「冬戦争」は終わったのです。

「冬戦争」によって、フィンランドは国土の約一割近くがソ連に奪われる形になりました。
第二の都市であったヴィープリもソ連領となり、ヴィープリは今でもヴィボルグとしてロシア領となっています。
約42万人が住みなれた土地を追われ、フィンランドの別の土地へ移ることになりました。
約2万5千人もが戦死したこの戦争で、戦争をするよりも失った国土が大きかったことにフィンランド人は衝撃を受けました。
フィンランド人は領土回復の機会を狙って、以後ナチスドイツと接近することになります。
そして1941年6月の、ドイツのソ連侵攻に歩調を合わせ、フィンランドとソ連は再び戦争状態に入ることになりました。
いわゆる「継続戦争」の始まりでした。

一方、戦争目的を達成したソ連ではありましたが、損害は大きなものでした。
この「冬戦争」での死者数に関しては、ソ連崩壊後に明らかになったそうで、それによると約8万5千人が戦死または戦病死したというものでした。
また負傷者にいたっては約25万人といわれ、小国相手の戦争としては未曾有の大損害を出したといっていいでしょう。

ソ連はこの戦争での自軍の問題点を洗い出し、教訓として改善に取り組みました。
そしてその結果、ソ連軍は大幅に戦闘力をアップすることになるのです。

のちにヒトラーは、この「冬戦争」でのソ連軍の弱体ぶりに目をつけて、ソ連侵攻を決断したといわれます。
ですが、そのときにはすでにソ連軍は「冬戦争」当時のソ連軍ではありませんでした。
そしてモスクワ前面において、今度はドイツ軍がソ連軍に翻弄されることになるのでした。

参考文献
「ポーランド電撃戦」(第二次大戦欧州戦史シリーズ1) 学研
「歴史群像2005年12月号」 学研

参考サイト
Wikipedia「冬戦争」

五回にわたりました冬戦争もこれで終了です。
SU-152の記事に絡んで書き始めましたが、北欧の小国対ユーラシアの大国が互角以上の勝負をしたというのはすごいですよね。

もともとロシアと仲がよくなかったフィンランドは、日露戦争の日本のがんばりにすごく感銘を受けたとかで、トーゴー(東郷)ビールなんてのもあったとか。
意外なつながりがあったんですよね。

それではまた。
  1. 2008/10/28(火) 20:33:38|
  2. 冬戦争
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冬戦争(4)

カレリア地峡方面での苦境とは別に、フィンランド国境北方から攻撃するソ連軍第14軍や、東方から攻撃する第9軍は、比較的楽にフィンランド領内へと侵攻しました。
兵力の大半をカレリア地峡部に集中させたフィンランド軍にとって、この方面に回せる兵力はわずかしかなく、そのため国境周辺で防御戦闘を行うことができなかったからです。

しかし、フィンランド国内深く進攻していくうちに、ソ連軍は後戻りのできない地獄へと引きずりこまれつつあることに気がつきませんでした。
数に劣るフィンランド軍は、ゲリラ活動によってソ連軍に対抗し始めたのです。

フィンランド軍は撤退するときに、ありとあらゆる木造の建物を破壊して燃やしてしまいました。
12月に入ったばかりだというのに、この冬は寒さがきびしく、北極圏に近いフィンランドでは、最低気温がマイナス40度になることも多かったといいます。
そんな中で、満足な寒冷地装備をしていないソ連兵は、寒さをしのぐ建物を得ることができませんでした。

やむを得ずソ連軍が野営して焚き火で暖を取っていると、その明かりを目印にしてフィンランド兵が襲撃を仕掛けるのです。
フィンランド兵は満足に軍服さえ支給されてはおりませんでした。
しかし、彼らは雪の中で目立たぬような白い防寒着をまとい、少人数ですばやく襲撃し立ち去ります。
この攻撃で、ソ連軍はじわじわと兵力を削られて行きました。

やがて、ソ連軍にとってはフィンランドの国土に広がる森林が、何か不気味な化け物のように思えてきたのではないでしょうか。
森の中からいつの間にか白い服のフィンランド兵が現れ、ソ連兵を殺しては森に消え、あとを追えば森の中で逆に待ち伏せされて殺される。
いつしかソ連軍は、森を恐れ、道路から離れることを嫌うようになります。
補給も道路によるしかないため、道路に沿って細長い行軍隊形で移動するようになるのです。

そうなると、今度はフィンランド軍がまた戦術を変えてきました。
訓練されたスキー部隊兵により先頭集団と最後尾集団を撃破して、ソ連軍を道路に封じ込めてしまうのです。
そして細長い道路に沿ったソ連軍部隊を、今度はその中間などを攻撃していくつかの小集団に分離するよう仕向け、最後は補給が途絶し寒さに耐えられず自滅するようにするのです。
これが「モッティ戦術」と呼ばれるもので、この戦術にはまった多くのソ連軍兵士が、戦わずに飢えと寒さで死んでいきました。

まるで日本の日露戦争前に起こった陸軍の八甲田山集団遭難事件を髣髴とさせるような光景があちこちで現出し、ソ連軍は雪に飲み込まれて消えていきました。
一説によると、この戦争におけるソ連軍の死者の八割から九割が凍死だといいます。
こうして死んだソ連兵の武器は、フィンランド軍の新たな戦力となりました。

フィンランド軍にとっては危機であり、またソ連軍にとっても悲惨だったのが、フィンランド中央部にあるスオムスサルミ村の攻防戦でした。
この付近はフィンランドの北と南を結ぶ交通の通り道であり、ここを抑えられるとフィンランドにとっては非常に苦しくなるのです。
フィンランド軍司令官のマンネルハイムはすぐに予備兵力をかき集め、スオムスサルミ村の守備を命じました。
守備隊の指揮官に任じられたのはシーラスボ大佐でした。
シーラスボ大佐は、近隣からかき集めたおよそ一個師団ほどの兵員で、ソ連軍の攻撃に対抗しなければなりません。
おりしもこの村には、ソ連軍第163狙撃兵師団が北側から、第44狙撃兵師団が南側から接近し、守備隊を挟み撃ちにしようとしていたのです。
挟み撃ちにされては、兵力に劣るフィンランド軍は勝ち目がありません。
シーラスボ大佐はなんとここで兵力を二つに分け、わずか二個中隊ほどの小戦力に、ソ連軍第44師団の足止めを命じます。
残った主力で、第163師団を迎え撃つ各個撃破が狙いでした。

ソ連軍第163師団も、道路に沿って細長く進撃しておりました。
その隊列目がけ、フィンランド軍は「モッティ戦術」を試みます。
「モッティ戦術」はここでも威力を発揮して、スキー部隊の神出鬼没の行動に翻弄されたソ連軍第163師団は、瞬く間に混乱と少数での孤立化に追い込まれていきます。
支援に当たっていた戦車も、森から現れては森に消えるフィンランド兵にはなすすべがなく、いくつもの少数に分割させられた第163師団は、もはや師団としての戦力は無くなったも同様でした。
戦車は燃料がなくなり、兵士も馬も食料がなくなり、そして飢えと寒さで死んでいったのです。
残った戦車とトラック、そして大砲は、フィンランド軍の手に落ちました。

第163師団と同様の運命が、足止めされていた第44師団にも襲いかかりました。
年が明けた1940年1月5日から始まった第44師団に対する攻撃は、またしても「モッティ戦術」の勝利に終わり、ウクライナから派遣された優秀な兵員で構成されていたはずの部隊は、まさに雪の中に溶け込むように消えていったのです。
スオムスサルミ村は救われたのでした。
  1. 2008/10/27(月) 20:36:51|
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冬戦争(3)

1939年12月6日、ソ連軍はマンネルハイムラインへの攻撃を開始しました。
砲兵による潤沢な砲撃に始まり、まず戦車が前進。
そして歩兵が追随します。
ソ連軍にとっては、マンネルハイムラインなどいかほどのこともない。
そう思わせるような攻撃でした。

しかし、ソ連軍の攻撃は、じょじょに勢いを失います。
国土防衛の熱い思いを抱いたフィンランド兵の旺盛な士気は、少々のソ連の攻撃ではびくともせず、逆にソ連軍に甚大な損害を与え始めていたのです。

彼らの主要な武器は戦車でも対戦車砲でも重機関銃でもありません。
もちろん数少ない対戦車砲や重機関銃も充分に威力を発揮しましたが、それ以上に彼らフィンランド軍が多用したのは「モロトフのカクテル」と通称される火炎瓶でした。

これはガソリンなどの発火する液体をガラスビンにつめ、火をつけて投げつけるもので、特に奇をてらったものではなく前線でも簡単に作れるものですが、フィンランドはこの火炎瓶をなんと国営醸造所で大量に生産し、約五万本も作られたそうです。
「モロトフのカクテル」という通称は、ソ連軍がこの戦争でフィンランドに焼夷弾を投下していることを諸外国に非難されたとき、ときのソ連外相モロトフが、あれは焼夷弾ではなくパンを投下しているんだと嘯いたことから、焼夷弾のことを「モロトフのパンかご」と呼ぶようになり、そこから転じて、ソ連外相モロトフに捧げる特別製のカクテルという意味で付けられたといいますが、真偽のほどは不明です。
ですが、この冬戦争以降、火炎瓶といえば「モロトフのカクテル」と呼ばれるほど、この名称は普及していくことになりました。

「モロトフのカクテル」は手で投げつける兵器ですから、当然敵に接近しなくてはなりません。
撃たれるかもしれない中で、敵に接近し投げつけるのは相当な勇気が必要だったことでしょう。
しかし、祖国防衛の思いに燃えるフィンランド軍の兵士たちは、この「モロトフのカクテル」をソ連軍戦車に次々と投げつけて行きました。

ちょうどこの年の夏、ノモンハンの戦場で日本軍の火炎瓶攻撃にソ連は数多くの戦車を失っておりました。
そのため、ジューコフは戦車を燃えやすいガソリンエンジンから燃えづらいディーゼルエンジン装備車両に交換して、何とか日本軍の火炎瓶攻撃に対処しました。
ですが、その戦訓はここフィンランドでは生かされておらず、ソ連軍はまたしても火炎瓶攻撃に多量の戦車を失うことになるのです。
フィンランド軍第5師団などは、六日間の戦闘で、52両ものソ連軍戦車を撃破したのでした。

また、ソ連軍の攻撃のやり方にも問題がありました。
砲撃のあとでまず戦車を突進させ、歩兵を随伴させなかったのです。
外を見づらい戦車は死角が多く、敵歩兵の接近に気がつかないことが多いため、本来なら戦車の死角を歩兵が一緒についていってカバーするのです。
しかし、今回は歩兵が一緒についてきていないので、フィンランド軍の兵士は勇気さえあれば戦車に近づくことが可能でした。
しかもフィンランド軍兵士は皆その勇気を持っておりました。

投げつけられた火炎瓶は戦車の装甲で割れ、中の液体に着火します。
火のついた液体は、うまく行けば戦車のエンジンカバーの隙間や空気取り入れ口などからエンジンルームに流れ込み、エンジンを発火させるのです。
ガソリンエンジンは特に発火しやすく、この方面の戦車はほとんどがガソリンエンジン装備車両だったため、ソ連軍は戦闘終結までに200両を超える戦車を失うことになりました。

また、猜疑心の強かったスターリンによる赤軍将校の大粛清が、ソ連軍の能力を低下させておりました。
有能な将校はほとんどが粛清され、無能で毒にも薬にもならない人物しか残っていなかったため、ソ連軍はただ数に任せた突撃を繰り返すしか能のない有様でした。
そのため数が少ないフィンランド軍でも、的確な防御が行なえればソ連軍の突破を許さずにすんだのです。

カレリア地峡マンネルハイムラインに対するソ連軍の攻撃は、こうして先細りになり、12月末には手詰まり状態となりました。
ソ連は別方面での戦果に期待しなくてはならなくなったのです。
  1. 2008/10/26(日) 20:49:26|
  2. 冬戦争
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冬戦争(2)

1939年11月30日午前6時50分。
ソ連とフィンランドの南北約1200キロの長さの国境線の各所で、ソ連軍の侵攻が始まります。
戦争を防止できなかった責任を取って、フィンランドの内閣は総辞職。
後を継いだリュティ新首相は、辞意を漏らしていたマンネルハイムをフィンランド軍の総司令官に任命いたします。
能力のあるマンネルハイムに、何とかソ連軍の侵攻を食い止めてほしいという思いでした。

総司令官に任命されてしまったマンネルハイムでしたが、フィンランド軍の実情はお寒いものでした。
総兵力は約30万人。
これは予備役兵のほかに民兵までも含めた数であり、装備も貧弱でした。
銃は統一されておらず、いわば狩猟用の銃をそのまま使っていたような有様であり、弾薬の供給面などに不利をもたらします。
また対戦車砲や対空砲もほとんどなく、戦車や航空機も数十両、数十機という数しかありませんでした。

対するソ連軍の兵力は兵員数だけでも50万を越え、一説では60万近かったといいます。
装甲車両は約1500両に上り、航空機も1000機を超える数が投入される予定でした。
いわば圧倒的な兵力を持ってフィンランドに侵攻したのです。

フィンランド軍の戦力を正確に把握していたソ連側は、この戦争はわずか四日ほどで片がつくと豪語する者もおり、大多数の者も10日から二週間で終わるものと考えておりました。
そのため、部隊には満足な冬季装備を支給せず、弾薬糧食も10日からせいぜい20日分しか用意されませんでした。
しかし、戦いは数だけではないという事実が、この後のソ連に重くのしかかってくることになるのです。

ソ連軍の主攻撃はカレリア地峡を進む第7軍でした。
第7軍には七個狙撃兵師団(通常の歩兵師団のこと。いわゆるライフルマンが狙撃兵と訳されたことによるみたい)と戦車約1000両が配備され、そのほかにも後衛に多数の兵員を擁していて、それらがラドガ湖とフィンランド湾にはさまれた幅約60キロほどのカレリア地峡に殺到したのです。

そのほかにも、ソ連軍は北から第14軍、第9軍、第8軍の並びで攻撃を開始しており、防衛の主力をカレリア地峡部においていたフィンランド軍にとって、ソ連軍の攻勢を受け止めることは不可能でした。
ソ連軍第9軍及び第14軍方面には、フィンランド軍はわずかばかりの兵力しか置けなかったのです。
まさにソ連軍の予想通り、さしたる抵抗も無く突破できるかに見えました。

カレリア地峡部の防衛に当たっていたのは、フィンランド軍第2軍団と第3軍団からなるカレリア軍でした。
彼らはフィンランド軍の中では一番兵力を回されていたとはいえ、それでもソ連第7軍に対してははるかに劣勢でありました。
そこでカレリア軍の指揮を取るエステルマン中将は、前線での防御をやめ、独立以来仲が悪かったソ連に対する防衛ラインとして建設が進められてきた、マンネルハイムラインと呼ばれる防衛ラインで戦うことにします。
マンネルハイムラインは1920年以来建設が続けられてきた防御ラインでしたが、それでもこの時点では未完成な部分や、逆に古くなって時代に合わなくなってきた部分などが混ざり合っており、決して一級の防衛ラインと呼べるものではありませんでした。
しかし、このマンネルハイムラインを超えられてしまうと、いわばフィンランドの心臓部とも言うべき地域が広がっており、フィンランドとしてはなんとしてもここを突破されるわけにはいきませんでした。

国境線での防衛をあきらめていたフィンランド軍のおかげで、ソ連軍第7軍は順調に侵攻を進めることができました。
侵攻五日目にはマンネルハイムラインよりもソ連側の部分は、すべてソ連占領下におかれてしまうほどでした。
ソ連軍兵士は戦争の先行きを楽観し、またフィンランドを資本主義から“開放”するという名目を信じて、いずれフィンランド内の共産主義者がともに戦ってくれると考えておりました。

ソ連はまさにその件に関してはすぐに手を打っておりました。
開戦当日に占領した国境の町テリヨキに、亡命してきていたフィンランドの共産主義者クーシネンを連れてきて、そこで傀儡共産主義政権を樹立させ、フィンランド内の共産主義者たちを取り込もうとしたのです。

しかし、このクーシネンの共産主義政権はフィンランド内の共産主義者にすら不評でした。
フィンランドからソ連へ移住した人々の多くが、スターリンの粛清にあっていたためといわれ、逆にソ連に対する敵意すら向けられていたのだといいます。
結局この傀儡政権は、戦争にはほとんど寄与することがありませんでした。

マンネルハイムラインに達したソ連軍は、いよいよこの防御ラインに対する攻撃を開始します。
今までさほど強い抵抗を受けずに来たソ連第7軍は、このマンネルハイムラインもそれほど苦労することなく突破できるものとふんでおりました。
第一次世界大戦のような防衛ラインにいかほどのことがあろうか。
大多数のソ連軍将兵はそう思っていたかもしれません。
しかし、それは大いなる誤りでした。
  1. 2008/10/25(土) 20:43:50|
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冬戦争(1)

1917年、第一次世界大戦のさなか、ロシア帝国はロシア革命によって崩壊しました。
その混乱の中、スウェーデンよりロシア帝国に併合されていたフィンランドは、長い間の悲願であった独立を達成し、新生ソビエト連邦にも独立を認めさせることに成功します。

しかし、独立は一筋縄ではいかず、国内の労働者階級は独立よりもソ連への併合を求めて内戦が勃発。
この内戦に政府はカール・グスタフ・マンネルハイムを指揮官として政府軍を編成。
最初は優勢だった労働者階級側でしたが、マンネルハイムの卓抜した指揮能力とスウェーデン及びドイツからの義勇兵の力もあって政府側が逆転に成功します。
ところが今度は政府側が王党派と共和国派に分かれ、王党派がドイツの支援の下でフィンランド王国を樹立。
しかし、第一次世界大戦で今度はドイツ帝国が崩壊し、フィンランド王国もあえなく崩壊。
戦後のヴェルサイユ体制の下、フィンランドは共和国として成立します。

このフィンランドの内戦で労働者側にソ連がついたこともあって、ソ連とフィンランドの関係は良好とはいえないものとなりました。
第一次世界大戦後から第二次世界大戦勃発までの間、両国関係は決していいものではなかったのです。

第二次世界大戦までまだ二年ある1937年。
ソ連はフィンランドに秘密会談を申し入れました。
会談の議題は、勢力を伸ばしてきたドイツに対するフィンランドの対応に関するものでした。

フィンランドとソ連との国境付近には、かつてロシア帝国の首都であったペテルブルク、ソ連時代はレニングラードという大都市がありました。
このレニングラードとフィンランド国境は32キロの距離しかなく、当時の大砲でも射程内に収めることが可能なほどでした。
ソ連はフィンランドがドイツ側につくことを恐れていたのです。

ソ連としてはフィンランドと軍事同盟を結び、軍隊を駐屯させて半ば属国のようにできれば申し分なく、事実そのような軍事同盟を申し入れました。
もちろんフィンランド政府はソ連が油断ならない相手である以上、ひさしを貸して母屋を取られるという事態を避けるためにも軍事同盟は拒否します。
フィンランドは中立を保ち、いかなる国もフィンランドを他国侵略のための基地となすことは許さない。
これがフィンランドの公式見解でした。

軍事同盟でのフィンランド支配は無理だと悟ったソ連は、今度はフィンランドに対して国境線の変更を申し入れます。
わが国第二の都市レニングラードに対し、フィンランドの国境は近すぎる。
国境線をフィンランドの奥地に設定するため、現在の国境のあるカレリア地峡部と、ムルマンスク近くのルイバチー半島をわが国に割譲しなさい。
こういうとんでもない要求を突きつけたのでした。

もちろんこれではフィンランドも受け入れるわけにはいかないでしょう。
そこでソ連は表面上はフィンランド側に有利に見える妥協案を持ち出します。
カレリア地峡部とルイバチー半島周辺の約2700平方キロメートルをわがソ連が割譲していただく代わりに、フィンランドに二倍以上の約5500平方キロメートルを譲渡しようではありませんか。
これはわが国の友好の証であります。
というものでした。

確かに文面だけだとフィンランドが得をするように思えます。
しかし、ソ連が提示した5500平方キロメートルは森と湖の人跡未踏の未開拓地であり、割譲しなければならない2700平方キロメートルは、フィンランドの中でも開けた土地なのです。
フィンランド政府はこの申し入れを拒絶しました。

このフィンランド側の拒絶に対し、ソ連外相モロトフは、もはやわれわれ文官では対処できませんな、次は軍人の出番でしょうと言ったといいます。
1939年11月、スターリンの下にフィンランド軍の戦闘能力に関する調査報告がなされ、11月16日にはフィンランド国境に位置する第7、第8、第9、第14軍に対する作戦命令書が作成されました。

一方フィンランド政府の強硬政策に不満を抱いていたのはスターリンだけではありませんでした。
フィンランド人であるマンネルハイム自身が、あまりの政府の強攻策にソ連の侵攻を呼び込みかねないとして不満を持っていたのです。
もはやことここにいたっては、ある程度の妥協をするのは仕方がないのではないかというのがマンネルハイムの考えでした。
そのためマンネルハイムは、国防議長であった職を辞したいと申し出ますが、時すでに遅く、ソ連軍の攻勢が始まってしまうのです。

1939年11月26日。
カレリア地峡のソ・フィン国境線において、国境守備のソ連軍将兵13人が死傷する砲撃事件があったと発表されました。
ソ連はこの砲撃はフィンランド軍によるものとして抗議。
一気に緊張が高まります。
この事件は、ソ連崩壊後に公開された資料によって、ソ連軍の自作自演であることが明らかになっていますが、ソ連はこの事件を契機に戦争に突き進むべく国交を断絶。
ついに11月30日、23個師団約50万名の将兵をもってソ連はフィンランドに侵攻を開始。
いわゆる「冬戦争」の始まりでした。
  1. 2008/10/24(金) 20:48:26|
  2. 冬戦争
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10月24日のココロ日記(BlogPet)

今日、あるしてたら舞方雅人さんが近くにいる感じがしたんです。もう!覗きはらめぇ!ですよ!

*このエントリは、ブログペットのココロが書いてます♪
  1. 2008/10/24(金) 09:48:21|
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4in1

コマンドマガジン日本版の83号が到着しました。
なんだかんだで83号。
すごいなぁ。

83cover.jpg
これが表紙絵。
星条旗もあるとおり、これはアメリカ南北戦争のワンシーンですね。
今回の付録ゲームが「Blue&Gray」(ブルー&グレー)というゲームだからなのです。

「Blue&Gray」ってなんでしょう?
これは南北両軍の軍服の色からきています。
北部連邦軍が青い軍服、南部諸州同盟軍が灰色の軍服を着ていたことから、南北戦争の南北両軍をBlue&Grayと呼ぶんですね。

で、今回はその南北両軍の呼び名を冠した南北戦争ゲームが付録です。
しかも元ゲームが箱入りで四つのゲームが入っていたのを、今回付録で全部つけるという太っ腹。
4in1ですよ。

「シャイロー」「アンティータム」「セメタリーヒル(ゲティスバーグの戦い)」「チカマウガ(チカモーガ)」の南北戦争の四つの戦いが入っていて、基本的なルールは同じ。
しかもそれほど難しいものではない。
これはもうね、うれしいですよね。
南北戦争ファンとしては見逃せません。(笑)

今回はこの「Blue&Gray」をベースにして、わりとお手軽だけど奥が深いいろいろなゲームについても記述されてます。
こういう感じで類似のゲームを紹介していくというのも面白いですね。
時代も場所も別々なのに、戦闘の様相は似ていてゲームとしても似たシステムでうまく機能する。
人間の戦争のやりかたってのは変わってないって事なのかもしれませんね。

もちろんほかにもさまざまな記事があり、鈴木氏のASL記事は大変参考になります。
ありがたいです。

ちなみに、大変手前味噌な宣伝をさせていただくと、「シャイロー」については当ブログ「アメリカ南北戦争概略」のその6に、「アンティータム」はその14に、「セメタリーヒル」はその21・22・23に、「チカマウガ」はその24にそれぞれ概略がありますので、よければ読んでみていただければ幸いです。
多少でもブログの記事がゲーム背景の理解に役に立つといいなぁ。

次号はドイツ装甲軍団システムのモスクワ攻略「タイフーン」作戦です。
こちらも期待できそうですね。
楽しみです。

それではまた。
  1. 2008/10/23(木) 20:46:47|
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こちらも終了

先ほど、北海道日本ハムファイターズの今年のシーズンが終了しました。
最後は三安打完封負け。
見事にしてやられちゃいましたですね。

それにしても涌井投手は見事でした。
日本ハムの打者は手も足もでませんでしたね。

これでパ・リーグは西武ライオンズが日本シリーズ出場となりました。
少なくとも三位同士の日本シリーズという事態は避けられましたですね。
三年連続の日本シリーズ出場はなりませんでしたが、日本ハムにはまた来期がんばってほしいものです。

さて、セ・リーグはどちらが出てくるかな。
一位同士の日本シリーズであってほしいものですね。

それではまた。
  1. 2008/10/22(水) 21:17:49|
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さよなら・・・保安官

今日はむかーしの映画のご紹介。

もちろん私も劇場で見たわけではございません。
昔懐かしいお昼にやっていた洋画劇場。
下手すると一時間半ぐらいしか時間がなかったような・・・
そんなTVの放送で見た映画です。

タイトルは「THE BAT PEOPLE」
「BAT MAN」ではありませんよー。
TV放映のタイトルは「恐怖の蝙蝠人間」だったかなー?

ある新婚夫婦が旅行先の観光スポット(なんだろうなぁ・・・)の洞窟(鍾乳洞っぽい)に入ります。
そこで夫が蝙蝠に噛まれてしまいます。

病院で手当てを受けた夫でしたが、それ以来不思議な音が聞こえるようになります。
また、興奮すると躰に毛が生えてきたり、指の間に膜が張ったりするようになり、じょじょに人間ではなくなって行きます。

やがて夫は姿を消してしまい、妻は保安官に助けを求めますが、保安官は夫を探すよりも妻に横恋慕してしまい、できれば夫は戻ってこないほうがいいような感じに。
やがて洞窟で行方不明になる人が出始め、保安官も調査に行きますが、蝙蝠人間となった夫に襲われて命からがら逃げ出します。

夫はやはり愛しい妻に会いたくなり、妻の元へやってきます。
姿を見られないようにして、自分がもう人間ではないことを話すのですが、妻は夫の姿を見てしまいます。
そのときはどういうわけか人間のままの姿であり、妻は愛しい夫と一夜をともに。

しかし夫はやがて蝙蝠人間へと変化し、夫の変わり果てた姿を見た妻は悲鳴を上げ、夫はまたしても姿を消すことに。
蝙蝠人間が横恋慕した妻の夫だと知った保安官は、彼女を連れて町を逃げ出そうとするのですが、そのころから妻の耳にも奇妙な音が聞こえ始めます。

どうやらそれは蝙蝠の出す超音波らしく、保安官には聞こえません。
妻を連れ去ろうとした保安官の車は、やがて多数の蝙蝠に襲撃されます。
車に体当たりしてくる蝙蝠たちに保安官は恐怖を覚えますが、妻は顔色一つ変えません。

車はハンドルを取られて事故ってしまい、フロントウィンドウも割れて蝙蝠が入り込んできます。
蝙蝠に襲われ血を吸われていく保安官に対し、妻は一言・・・
「さよなら・・・保安官」
そう言って車を出て行きました。

蝙蝠に襲われることのない彼女は、まるで導かれるかのように洞窟に向かい、やがてその中に姿を消していくのでした・・・

古い映画で記憶も定かでないので、若干違うところはあるかもしれません。
でも、よかったですねー。
ゾクゾク来ました。
私の異形化萌えの原点となった作品の一つです。

蝙蝠人間そのものは暗闇の中でちらっとしか映らなかったり、牙だけのアップだったりで、正直どんな姿なのかよくわかりません。
奥さんのほうも最後まで人間のままなので、洞窟の中で異形化したらどうなのかって言う妄想だけが膨らみました。
きっと夫とともに蝙蝠人間になって、ほかの人間を襲って暮らしているんだろうなぁと楽しく妄想したものです。

DVDがでているかどうかも知りません。
もし見ることができたら・・・
きっとちゃちさにがっかりするかも。(笑)
でも、妄想するにはいいお話でした。

いかん・・・このネタでSS書きたくなってきた・・・
それではまた。
  1. 2008/10/21(火) 20:31:29|
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終了

先ほど今年の阪神タイガースのすべての試合が終了しました。

0-2
九回にウッズに浴びたツーランが痛かったですね。
球児も最後の最後で打たれてしまいました。

今年はこれで終わりました。
13ゲーム差の逆転負けも、クライマックスシリーズの第二ステージに進めないのも、やはり打てなかったということに尽きるのではないでしょうか。
思えば五番今岡の不振に始まり、一年間打線が固まらなかった気がします。

その状態での二位はすごいことだと思います。
胸を張っていい成績でしょう。
しかし、課題はたくさん残ったのではないでしょうか。

先発投手のコマ不足は改善されていません。
シーズン中に一皮剥けて二軍から上がってくる投手も石川投手ぐらいだった気がします。

打線は金本選手に負担がかかりすぎました。
新井選手の故障は大きかったですが、穴埋めをすることができませんでした。

伝えられるところでは、来年は真弓氏が監督になるようです。
正式発表がなされるまではあくまで予想ですが、岡田監督とはまた違った阪神を作っていって欲しいと思います。

ともあれ一年間お疲れ様でした。
今年も楽しませていただきました。
来年に向けてまた牙を磨き爪を研いで欲しいと思います。

中日ドラゴンズの皆様、第二ステージは強力な巨人が相手です。
阪神の分も思い切り戦ってきてくださいませ。

それではまた。
  1. 2008/10/20(月) 20:59:09|
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機雷をひそかに設置するはずが・・・

第二次世界大戦中、ドイツ海軍は通商破壊の主力として、潜水艦(Uボート)を多用しました。
中心となったのはⅦ型であり、それに次いで一回り大きなⅨ型が大西洋上で英国商船を多数撃沈いたしました。

彼らの主な攻撃手段は魚雷であり、浮上攻撃できた大戦初期には搭載砲による攻撃もありました。
今日われわれがUボートとして頭に思い浮かべるのは、おそらくこの二種類が一般的でしょう。

そんなUボートの中にあって、魚雷攻撃ではなく別の攻撃手段を主として作られたのがⅩ(10)型でした。
UⅩ型は、機雷敷設用のUボートだったのです。

隠密行動のできる潜水艦で機雷をひそかに設置するというアイディアは、第一次大戦のときにすでに実現しておりました。
帝政ドイツ海軍は、U117級という機雷敷設用潜水艦を就役させていたのです。
UⅩ型は、その流れを汲む大型機雷敷設用潜水艦でした。

UⅩ型は、船体の中心線に沿う形で機雷を搭載する筒を縦に6本、船体両側に同じく縦に12本ずつ組み込まれ、合計66個の機雷をその筒の中に搭載することができました。
そして海中を進みながら、この筒の下から機雷を放出し、海底に設置していくことができたのです。

機雷搭載用の筒などのため船体は大きくなり、UⅦ型が水中で排水量850トンほどだったのに比べ、UⅩ型は水中では2100トンを越える大きな潜水艦でした。

一応魚雷発射管は持っていたものの、わずかに二本であり、しかも船体後部に後ろ向きに付けられているという事実が、このUⅩ型に求められたのが機雷設置だということを如実に現しているといえるでしょう。

八隻作られたUⅩ型でしたが、本来の機雷敷設の任務に就くことはあまりありませんでした。
大量に就役したⅦ型やⅨ型の魚雷発射管から投下できる機雷ができたりしたために、わざわざⅩ型に機雷設置させる必要がなくなってしまったのです。

UⅩ型の用途は機雷設置とは別のところに見いだされました。
機雷設置のために長大な航続力を与えられたUⅩ型は、燃料タンクが大きくたくさんの燃料を積めたため、燃料補給用Uボートとして運用されることになったのです。

以前紹介した補給用UボートUⅩⅣ型ほどの補給能力は持ちませんでしたが、それでも機雷搭載用の筒を補給物資搭載用にしたりして、ある程度の補給もできたようです。
こうしてUⅩ型は潜水タンカーとしてその多くが使われました。

また、同じように機雷搭載用のスペースを船倉に改修し、そこに物資を積んで潜水輸送艦として使われる艦もありました。
その中には、日本との連絡交流のためにインド洋を通りインドネシアのジャカルタなどまでやってきたものもあったのです。

八隻が作られたUⅩ型でしたが、そのうち六隻が連合軍の攻撃によって沈みました。
そして残り二隻のうちの一隻、U219は日本が接収し、1948年に解体という数奇な運命をたどってます。

本来の用途ではない任務に就かされる軍艦は数多くありますが、UⅩ型もまたそのような軍艦だったんですね。
それではまた。
  1. 2008/10/19(日) 21:08:00|
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野獣死すべし

大薮春彦先生の小説のタイトルのパクリですが、昨日リクエストがありましたので、今日はソ連軍重自走砲SU-152についてです。

1939年、ドイツ軍のポーランド侵攻に端を発した第二次世界大戦ですが、まるで漁夫の利を得るかのようにソ連もポーランドの半分を奪い取ってしまいます。
このことはあまり知られていないかもしれませんが、ポーランドに止めを刺したのはソ連だったといっても過言ではないのです。

これに味を占めたのか、ソ連はその後バルト海沿岸諸国(ラトビア・エストニア・リトアニア)を無理やり併合し、フィンランドにも食指を伸ばします。
フィンランドとは不可侵条約を結んでいましたが、ソ連は自軍に向けて発砲しそれをフィンランド軍の発砲によるとして戦争を開始。
まるで極東の某国のようなやり方です。

スターリンはフィンランドごときはすぐに占領できるとふんでいたものの、意外にも苦戦。
真冬の戦いでありながら、寒さに慣れたシベリアの兵を送らずに暖かいウクライナの兵を送ったりしたために凍死者が続出するような有様でした。

また、実際フィンランドのマンネルハイム将軍による防御ラインは強力で、当時のソ連戦車では防御ラインの突破が難しく、強力な火砲を積んだ重装甲の戦車、もしくは自走砲がほしいという前線の要求は切なるものがありました。

こうしてソ連軍内に要塞的な重防御拠点に対する攻撃兵器として、重榴弾砲を搭載した重戦車もしくは重自走砲というものの開発機運が生まれました。
(重ばっかり(笑))

こうして急遽作られたのが、SU-100Yという試作自走砲でした。
SUはスマホードナヤ・ウスタノフカの頭文字で、自走装置と訳されるものだそうです。
SU-100Yという名称から、100ミリ砲を搭載していたと思われがちなのですが、実際は130ミリ海軍型重砲を搭載したものでした。
ベースとなった車両がこれまた試作戦車のT-100というものだったので、名称も100になったようです。

対フィンランド戦に間に合わせるためになんと十四日間という短期間で急遽作られたSU-100Yでしたが、哀れなことにそれよりも早くフィンランドとの講和が成立してしまいます。
試作戦車の車体で作った試作重自走砲という試作の域をでなかったSU-100Yは実戦に使われることなくここでお役御免となってしまいました。
これ以後、重防御拠点攻撃には、KV戦車の車体を使った152ミリ榴弾砲搭載型のKV-2が当たることになります。

独ソ戦が1941年に始まるまで、ソ連軍内では重自走砲などというものは必要とされませんでした。
重装甲のKV-1が対戦車任務に当たり、同じく重装甲のKV-2が敵防御拠点を粉砕すると考えられていたからです。

ところが、独ソ戦が始まってみると、ドイツ軍の三号突撃砲という中型自走砲が実に見事に歩兵支援を行なうことがわかりました。
このことから、ソ連軍内でも歩兵支援用の中型自走砲が求められたのはSG-122(A)やSU-122の記事でも書いたとおりです。

しかし、重装甲で大口径砲を持つ重自走砲などというものは求められませんでした。
何より運用が大変だし、中型自走砲でも充分任に堪えるからです。

ところがこの風向きが変わります。
前線から悲鳴が届いてきたのです。
1942年になって戦場に姿を現した猛獣。
ティーガーの出現でした。

ティーガーの登場はソ連軍にとっても衝撃でした。
ドイツ軍がT-34やKV-1に衝撃を受けたように、ソ連軍はティーガーショックに陥りました。
何せティーガーは、当時のソ連軍の主力対戦車砲である45ミリや76ミリ砲の砲弾をものともしなかったのです。

ソ連軍はティーガーを捕獲してあらゆる大砲で試験を試みました。
その結果、かろうじて152ミリ榴弾砲や203ミリ榴弾砲が徹甲榴弾の使用でティーガーの装甲をどうにか貫通することができるということを知ります。

しかし、152ミリ榴弾砲や203ミリ榴弾砲などというものは、重くて移動にも布陣にも手間取ります。
ティーガーが現れたからといって、おいそれとは動かせません。
自走化の必要がありました。

自走化するといっても、重い大砲を載せる車体にも限りがあります。
203ミリ砲の搭載は早々にあきらめられました。
搭載砲は152ミリ榴弾砲ML20Sに絞られ、車体は重装甲戦車の車体を支えてきたKV-1のものを使用することに決定します。

急ぎデザインが決められ、これまた短時間で(ソ連側資料では二十五日間で)完成したのが、152ミリ榴弾砲搭載の重自走砲SU-152でした。

SU-152はまさに背の低い完全密閉型戦闘室に152ミリ榴弾砲が突き出していると言った感じで、デザイン的に見るべきものがあるわけではありません。
しかし、何より大破壊力の152ミリ榴弾砲を搭載した車両であり、期待されていたことは間違いないでしょう。
装甲は正面で75ミリとそれほど厚いものではなかったのですが、そこは低い車体でカバーと言ったところでしょうか。
弱点といえば、砲弾がさすがに152ミリ砲ともなれば弾頭部分と発射薬部分が別々のため、発砲に時間がかかるのと搭載弾数が20発程度しかないというものぐらいでした。

量産が開始されたSU-152は、1943年のクルスクの戦いに投入されることになりました。
この戦いは独ソ双方の戦車が大量に戦った戦いとして有名ですが、ドイツ側がパンターやフェルディナントといった新型を投入したのと同様に、ソ連もSU-152を投入したのです。

戦場に投入されたSU-152は、持ち前の主砲の破壊力で次々とドイツ軍の戦車を撃破して行きました。
ティーガーやフェルディナントも手当たり次第に撃破したというのがソ連軍資料なのですが、これは誤認が多くほとんどは四号戦車や三号突撃砲だったそうです。
しかし、プロパガンダの意味合いからか、SU-152がドイツ軍のティーガーやフェルディナントを撃破したことは大いに宣伝され、「ズヴェラボイ」(野獣ハンター)というあだ名を付けられて、ソ連軍将兵にとっては頼もしい重自走砲として頼りにされました。

こちらものちにSU-122同様にIS戦車の車体を使ったISU-152へと発展し、生産は700両程度だったそうですが、そのインパクトは強く、ドイツ軍にとっては遭遇したくない自走砲だったのではないでしょうか。

それではまた。
  1. 2008/10/18(土) 20:27:57|
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巨砲の威力はすごいよ

1941年に始まった独ソ戦で、ドイツ軍は歩兵を支援し敵防御火点を制圧する突撃砲という自走砲を前線に投入しました。

三号戦車の車体に75ミリ砲を搭載した三号突撃砲は、その任務をよく全うし、ドイツ軍兵士にとってすごく頼りになる支援車両となりました。
この三号突撃砲の活躍ぶりは、ソ連軍内でも高く評価され、同様の車両を求める声が上がります。

そこでソ連軍は、モスクワ攻防戦などの折に捕獲した三号突撃砲を整備した上で自軍部隊に配属したりしましたが、整備するだけで使用可能な三号突撃砲は数が少なく、また破損した三号戦車の再利用なども考慮に入れて、独自の三号突撃砲を作ろうという話が持ち上がります。

ソ連軍は、ドイツ軍の75ミリ砲を使うよりも、自軍の装備である122ミリ榴弾砲M-30を使えば、弾丸の補給も容易だし何より破壊力が大きくなると思い、この122ミリ砲を搭載した三号突撃砲を作りました。
これが以前当ブログでも紹介したことのあるSG-122(A)でした。
2007年11月05日記事参照

ところが、このSG-122(A)は、試作車両が作られてはみたものの、燃料搭載量の少なさなどから改良の余地ありとされ、その改良に手間取ってしまいます。
さらに車体自体が再利用品であるために、ドイツ軍から捕獲しなくてはならないという前提条件がありました。
つまり、いつでも望む数量を作ることができるものではなかったのです。

そこでソ連軍はこの歩兵支援のための122ミリ榴弾砲M-30を搭載する自走砲というコンセプトの元に、すでに量産されているT-34の車体を使おうということに決まります。
これはある意味当然のことだったでしょう。
いつ手に入るかわからないものを当てにするわけには行かないですからね。

デザインとしては、三号突撃砲同様に密閉式の装甲で覆われた戦闘室に122ミリ砲を搭載し、極力背の低い車両にするというものでしたが、もともとの車体が垂直装甲で覆われていた三号突撃砲に比べ、正面が傾斜装甲で作られていたT-34の車体を利用したことで、その傾斜装甲をそのまま上部に伸ばしたようなスマートな正面となり、合わせて耐弾性能も有効性が高まるというものとなりました。

こうして作られた試作車は、三号突撃砲に無理やり122ミリ砲を搭載した感じのSG-122(A)よりも車内での操作性が優れ、またT-34のパーツをかなりの部分(約70%といわれます)流用することができるので、量産性もかなり高いものとなることが予想されました。

試験の結果はもちろん良好で、機動性もよく破壊力にも優れる新型自走砲はSU-122として正式に採用されました。

1943年初頭から戦場に姿を現したSU-122は、深い雪もものともしない機動性を発揮して各地で奮戦。
ドイツ歩兵に対してはその威力ある榴弾でトーチカや防御拠点ごと吹き飛ばし、ドイツ軍の切り札的に登場したティーガーに対しては対戦車用成型炸薬弾で撃破したり、通常の榴弾でも当たり所次第では行動不能にすることができたりしたそうで、まさに対歩兵対戦車両面で活躍した有力な自走砲となりました。

のちにはIS重戦車の車体を利用したISU-122が作られたことで、SU-122はわりと早い時期に生産が終了しますが、クルスクの戦い前後のソ連軍にとっては、まさになくてはならない自走砲だったのです。

それではまた。
  1. 2008/10/17(金) 20:41:31|
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10月17日のココロ日記(BlogPet)

いつか、する眠りがほしいです。ココロの夢です。

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  1. 2008/10/17(金) 09:27:54|
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いよいよ明日から

パ・リーグクライマックスシリーズの第二ステージが始まります。
今年は優勝した埼玉西武ライオンズに対して、北海道日本ハムファイターズが挑むことになりました。

今年は優勝したチームに1勝のアドバンテージがあることから、西武は6戦で3勝が、日本ハムは6戦で4勝が必要となります。
そのため、西武の有利さはホームゲームであるということも相まって動かないでしょう。

今年の直接対決を見ていると、打力に勝る西武に日本ハム投手陣が打たれてしまった印象があります。
投手戦に持ち込むことができないと、日本ハムは苦しいでしょう。
幸い投手陣の調子がいいそうなので、互角の勝負ができるかもしれません。

もちろん空中戦になれば西武の強力打線がモノを言うと思います。
日本ハムは打線の強力さでは一歩引けを取ってしまうと思います。

どちらが勝つか楽しみではありますが、優勝したチームが出てこその日本シリーズと思うので、西武に勝って欲しい気がします。
でもファン心理としては日本ハムに勝って欲しいしなぁ・・・

そして、明後日からはセ・リーグもクライマックスシリーズの第一ステージ。
優勝を逃した阪神タイガースと今期は今ひとつ調子に乗り切れなかった中日ドラゴンズとの対戦です。
二位の阪神がホームゲームとはいえ、甲子園球場が改修工事のため使えず、京セラドームでの対戦ですので、なんだかどっちもビジターっぽいですね。

せめてこの対戦は阪神に勝って欲しいです。
第二ステージで巨人と決着なんてのはどうでもいいのですが、下位球団には負けて欲しくないですね。
ただ、阪神はこういう短期決戦に弱い状況を続けてますので、どうなりますか・・・

岡田監督の残り少なくなった試合を楽しみたいと思います。

それはそうと・・・
WBCの監督には星野さんが決まりそうですね。
とやかく言われてはおりますが、決まればがんばってほしいものです。
ただ、あんまり自分だけが目立つのはやめたほうがいいと思います。

それではまた。
  1. 2008/10/16(木) 20:38:25|
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「戦いはこれからだ!!」

のっけから勇ましいこのセリフは、ドズル中将がソロモン攻略戦で発したものではありません。(笑)

世界三大提督の一人と目されるアメリカの「ジョン・ポール・ジョーンズ」提督(1747-1792)が言ったといわれるセリフなのです。

ジョン・ポール・ジョーンズは、スコットランドに生まれましたが、12歳のときから船乗りとしての経歴を重ね始めました。
商船乗りでしたが、奴隷貿易船に乗り組んだり、船長時代に乗組員を刑罰で死なせてしまったりして、前半生はあまり評判のよくない状況だったようです。

兄がバージニア植民地で裕福な暮らしをしていたため、兄の下で勉学に励んだり人脈作りに力を入れたりできたようで、アメリカではそこそこ名の売れた船乗りになれました。

そんな折、アメリカ独立戦争が始まります。
アメリカの植民地13州の代表は、大陸会議という会議をいわば政府として、ジョージ・ワシントンに陸軍の指揮をゆだね独立戦争に入りました。

そして、英本国と植民地駐屯軍との連絡を遮断するためにも、海上戦力が必要となり、大陸会議はジョセフ・ヒューズの元に大陸海軍(大陸会議の海軍)を設立。
ジョン・ポール・ジョーンズは、その大陸海軍に自らを売り込み、海軍士官として採用されることになりました。

士官となったジョーンズは、着々と実績を積むことに成功し、ついに自分の指揮する艦をもらうことができました。
最初の指揮艦はスループ(フリゲートより小型の軍艦)の「プロヴィデンス」でしたが、その後大陸海軍の旗艦を務めたこともあるフリゲート「アルフレッド」を指揮する栄誉に恵まれます。

アルフレッドを指揮したジョーンズは、持ち前の能力を発揮して戦果を重ねます。
当時の大陸海軍は、いわば第一次や第二次世界大戦のドイツ海軍のようなもので、正面切って英国海軍と戦うわけではなく通商破壊に従事しており、英国の商船を何隻も捕獲したりしていたのです。

この戦果に大陸会議は一度はジョーンズを大陸海軍の司令官職に任命しようとしました。
しかし、ほかの艦長たちの嫉妬や部下たちからの評判の悪さ、コネで海軍内での地位を獲得してきたやり方などで反発を招いたらしく、司令官職はお流れになってしまいます。
それどころか、アルフレッドの艦長職まで取り上げられ、指揮する艦すらなくなってしまいました。

しかし、ジョーンズの能力を惜しむ者もおり、そういう人たちの力で彼は再びスループ「レンジャー」の艦長に返り咲きました。
ちなみにレンジャーは、初めて星条旗を掲げた軍艦だそうで、アメリカ植民地をアメリカ合衆国として承認したフランスによって、国際的儀礼である礼砲を送られた軍艦としてアメリカ史上に名を残す艦だそうです。

ジョン・ポール・ジョーンズはこのレンジャーを指揮してまたしても暴れまわります。
英本土に上陸して住民を驚かせるわ、セント・メアリー島にある伯爵家の屋敷から銀食器を盗み出すわ、英国のスループを捕獲するわとまさに縦横無尽。
英国にとっては頭が痛いことだったでしょう。

こうしてジョーンズは再び名を上げ、またフリゲート「ボンノム・リチャード」の艦長となります。
このボンノム・リチャードは、もともとは武装商船のようなもので、建造されてからかなり年月を経たボロ船だったのですが、それを改装してフリゲートに仕立て直したものでした。

ジョーンズはこのボンノム・リチャードを旗艦として、小規模の艦隊を率いて英国沿岸での通商破壊に向かいます。
英国のフラムバローの沖に来たとき、ジョーンズは英国の船団を発見しました。

このとき、英国船団の護衛についていたフリゲート「セラピス」がボンノム・リチャードに挑戦します。
おんぼろフリゲートのボンノム・リチャードよりも優秀な艦でした。

強力な砲を持ち優秀な乗組員を擁するセラピスは、ボンノム・リチャードに対して終始優位に戦いを進めます。
幾度かの砲撃でボンノム・リチャードは満身創痍となり、搭載砲も半分以上が使用不能に追い込まれて行きました。

勝負が付いたと見たセラピスの艦長は、軍艦旗を下ろして降伏するように勧告します。
ここでジョン・ポール・ジョーンズが言ったのが、表題の言葉「戦いはこれからだ!!」(I have not yet begun to fight)でした。

砲撃戦では勝ち目がないと思ったジョーンズは、セラピスに対して接近戦を挑みます。
ボンノム・リチャードは無理やりセラピスに絡みつき、乗組員たちがセラピスに飛び移っての白兵戦となりました。
白兵戦はなんとボンノム・リチャード側の勝利に終わり、セラピスは捕獲されてしまいます。
最後まであきらめなかった名指揮官として、ジョン・ポール・ジョーンズの名は不滅のものとなりました。

こうして大陸海軍の英雄となったジョン・ポール・ジョーンズでしたが、独立戦争終結に伴い海軍は解散。
職を失ったジョーンズはロシアへ行き、そこでまた海軍士官として働きます。

しかし、彼の絶頂期は過ぎてしまったのか、ロシアではさほど活躍もできず人間関係のトラブルからロシアを離れフランスへ。
フランスでも不遇な生活を過ごし、45歳という若さで亡くなりました。

世界三大提督の一人とはなっておりますが、ほか二人がネルソンと東郷平八郎であることを考えると、どうしてもワンランク下という感じがしてしまいます。
おそらくアメリカ合衆国の地位向上に伴い、アメリカ海軍の英雄である彼が、世界三大提督の一人に加えられたのかもしれませんね。

もちろん彼自身が不屈の闘志を持つ船乗りだということに異論はありません。

それではまた。
  1. 2008/10/15(水) 20:29:14|
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ありがとうございます

また、新しいリンク先が増えました。

このたび新しくリンクしていただきましたのは、「リーマン兄弟’s」様のサイト「In the end」様でございます。


リーマン兄弟’s様は、当ブログのリンク先様である「E=MC^2」様においてご活躍中のSS作家様であり、「四神戦隊メイデン・フォース」という作品を、現在鋭意執筆中のお方でございます。

四神戦隊メイデン・フォースは、戦隊ヒロインが捕らわれてMCされ悪堕ちしていくという、まさに王道ストーリの悪堕ちモノで、私も毎回楽しみに拝見させていただいております。

「In the end」は、その四神戦隊メイデン・フォースを中心にすえたリーマン兄弟’s様の活動拠点であり、今後もさまざまなリーマン兄弟’sワールドが展開されるものと思います。

皆様もぜひ一度足をお運びいただければと思います。
リーマン兄弟’s様、ありがとうございました。
  1. 2008/10/14(火) 19:59:30|
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おかげさまで二連勝

今日は「札幌歴史ゲーム友の会」様にお伺いしてきました。

お伺いすると、会場ではサッポロ辺境伯様とつじ参謀様がすでにプレイの準備中。
綺麗なマップを前にしてあ~だこ~だと歴史談義に花が咲いておりました。

私は後からいらっしゃった柿崎様とASL-SKを対戦していただくことができました。

まずは歩兵戦のS7シナリオ「PRELUDE TO FESTUNG BREST」を米軍でプレイ。
独軍の防御ラインをうまく突破することができ、勝利させていただきました。

午後からはS16シナリオ「LEGIO PATRIA NOSTRA」を対戦。
今度は柿崎様が攻撃側の自由フランス軍を担当し、私は防御側の独軍です。

じわじわと押し込んでくる自由フランス軍に対し、スカルキングを駆使して時間を稼ぐ独軍。
一気に勝負をかけるべく柿崎様は白兵戦を四ヶ所でいっせいに仕掛けてきました。
ところがこれが裏目に出ます。
待ち伏せを食らったりダイスの目が振るわなかったりで、三ヶ所で自由フランス軍が敗退。
独軍に指揮官まで誕生するおまけ付きでした。

これで勝利条件を満たすことが難しくなったと判断した自由フランス軍が敗退。
思いがけず二連勝させていただきました。
柿崎様、ありがとうございました。

ちなみにサッポロ辺境伯様とつじ参謀様は「リール」をプレイされておりました。
10・13
スペイン継承戦争中のリール攻囲戦のゲームとのことですが、攻撃側がちゃんと塹壕を掘り進みながら接近するというプレイ展開にお二人とも大変楽しんでおられた様子でした。

今日もまた大変楽しい時間を過ごさせていただきました。
ありがとうございました。

それではまた。
  1. 2008/10/13(月) 20:39:00|
  2. ウォーゲーム
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結果・そして・・・

今日で今年のプロ野球は、セ・パ両リーグともにレギュラーシーズンが終了します。

セ・リーグは劇的な結果となりましたが、12球団の選手、監督、コーチ陣、裏方さんすべての皆様お疲れ様でした。

今年はシーズン開幕当初に順位予想を立ててみました。
その結果どれだけ予想が的中したか発表しますねー。

予想
セ          パ
1) 中日      1) ロッテ
2) 巨人      2) 日本ハム
3) 阪神      3) ソフトバンク
4) 横浜      4) 楽天
5) 広島      5) 西武
6) ヤクルト    6) オリックス

以上でした。

さて、実際はどうなったかといいますと・・・

セ          パ
1) 巨人      1) 西武
2) 阪神      2) オリックス
3) 中日      3) 日本ハム
4) 広島      4) ロッテ
5) ヤクルト    5) 楽天
6) 横浜      6) ソフトバンク

えーと・・・
一ヶ所も当たりませんでした。(爆笑)

全滅ですよ全滅。
どこも当たらないってどういうことやねん?
ここまではずれるというのもある意味珍しいことかも?

ちなみにわが父は、セの一位巨人とパの三位日本ハム、五位の楽天を的中させ、予想に関しては完全に私より上でした。(´・ω・`)ショボーン

そして・・・
巨人に逆転優勝を許してしまった責任を取るということで、阪神岡田監督の辞意が発表されました。

球団側としては慰留するとのことですが、どうも意志は固いようで、来期の阪神は新監督が指揮を取ることになるのはほぼ決まりのようです。
誰になるのかなどはまだまだわかりませんが、阪神にとっての一つの時代が終わったということになりますね。

選手起用や采配などにはいろいろと批判も多かった岡田監督ですが、私個人は阪神の強さを維持してくれたいい監督だと思っておりますので、退任することになっても阪神と何らかのつながりを持っていていただき、いずれはまた戻ってきて欲しいなと思います。

岡田監督、五年間本当にお疲れ様でした。

パ・リーグクライマックスシリーズ第一ステージは日本ハムが勝ち抜けましたね。
さあ、西武と対決だ。

それではまた。
  1. 2008/10/12(日) 19:43:18|
  2. スポーツ
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蟲(2)

昨日の後編です。
それではどうぞ。



「蟲って・・・いったい何のことなの? カブトムシか何か?」
違う・・・
そんなものじゃない・・・
私は直感的にそう思う。
土野坂君のいつもとは違う妙な圧迫感に私は内心おののいていた。
一刻も早くここから去りたい。
私は心底そう思っていたのだ。
「ハハハハ・・・カブトムシねぇ・・・先生、ボクがそんなもの飼っているように思う?」
私は首を振る。
この子が言っている蟲は違うもの。
きっと見たことのないおぞましい蟲のような気がするわ。
「だよねぇ。先生だってそう思うでしょ? ボクが言う蟲はカブトムシなんかじゃないって」
にたにたと笑っている土野坂君。
お願い・・・
もう赦して・・・
私をここから帰して・・・

「先生ってさ・・・結構ボクに優しかったよね。いじめられているボクをそれとなく気遣ってくれたでしょ? あれって、やっぱり教師の義務感から?」
「ち、違うわ。私は土野坂君のことが心配だったから・・・」
じわっと汗がにじんでくる。
なんだろう・・・
とてもいやな雰囲気だわ・・・
襲われるとかじゃない・・・
何かもっと別の・・・恐怖・・・
「ふーん・・・それはうれしいな。ボク、先生のこと気に入っているんだよ。美人で優しいし。でも、昨日はがっかりしたな」
「昨日って・・・あのこと?」
第二体育館裏の覗き見のことだわ。
いや、確かに土野坂君が覗いていたところを確認したわけじゃないけど・・・
「うん。先生ったら、ボクは覗きなんかしていないって言ってるのに信じてくれなかったよね。あれはボクすごく傷ついたんだから」
「ご、ごめんなさい。そのことは謝ります。でも、土野坂君が誤解されるようなことを・・・」
「もういいよ」
私が頭を下げようとしたのを土野坂君は押しとどめる。
もういいって?
どういうこと?

「先生も所詮ボクの味方じゃなかったんだ。ボクのことを信じてくれていたわけじゃないんだ。ボクがこんなふうだから覗きをするような奴だと思っているんだ」
「ち、違うわ。そんなことは決して・・・」
「もういいよ。ボク決めたんだ。もう決めたんだ」
土野坂君の口元にまたしても不気味な笑みが浮かぶ。
「な、何を・・・」
私はもうどうにかして逃げたかった。
笑われるかもしれないけど、とにかくこの子が怖かったのだ。
「先生を嫌いになりたくないからさ。どうしたらいいのかって考えたんだ。そしたらわかったんだ」
わかった?
いったい何がわかったというの?
「先生をボク好みの女にしちゃえばいいんだ。ボクの言いなりになる蟲にしちゃえばいいのさ。そうしたら蟲使いであるボクには逆らえない。先生はボクのものになるんだ」
ケタケタと笑い出す土野坂君。
その笑いは狂気じみている。
狂っているんだ。
ちょっとどころじゃない。
この子は狂っているんだわ。

「ひっ!」
私は思わず悲鳴を上げる。
土野坂君の足元に、いつの間にか巨大なゴキブリが姿を現したのだ。
とても巨大。
10センチ近くもあろうかというもの。
とても普通のゴキブリじゃないわ。
「ふふふふ・・・」
土野坂君が手のひらを上に向けて差し出す。
するとそのゴキブリが翅を広げ、土野坂君の手のひらに飛び乗った。
「ひいっ」
私は思わずあとずさる。
この手の虫は大嫌いなのよ。
とてもじゃないけど勘弁して欲しい。

「先生、これを大きなゴキブリなんかだと思っているでしょ? 違うんだよ。これは魔妖蟲って言ってね。これでも魔物の一種なのさ」
にたにたと笑いながら手に載せたものを私のほうへ差し出す土野坂君。
私は身震いしてまた下がる。
「そんなに嫌うことはないよ。可愛いのに」
そんなはずない、可愛くなんかない。
「これね。人間の肉も大好物なんだ。大勢でよってたかれば人間一人ぐらいペロッと食べちゃうんだよ」
「そ・・・そんな・・・」
「安心して。先生を食べさせたりはしないよ。先生にはこっちさ」
土野坂君が手のひらを振ると、ゴキブリめいた虫が消える。
ど、どうして?
替わりに彼の手のひらには、毒々しい翅を持った蛾のような虫が乗っていた。
「これも魔蟲の一種でね。変化蟲と呼んでいるんだ。この蟲の毒に犯されるとね、人間も一種の魔蟲になっちゃうのさ」
「嘘・・・嘘でしょ?」
「嘘じゃないよ。でもね、毒に耐えられるかどうかが問題なんだ。毒に耐えられないと躰中が腐って死んじゃうんだよ。先生は大丈夫だといいなぁ」
いかにも可愛いというように手のひらの蟲を撫でている土野坂君。

いやだ・・・
いやだいやだ・・・
「いやぁーーっ!」
私は入り口に向かって駆け出した。
もうダメだ。
私にはこの子にこれ以上付き合うことはできない。
担任なんてもういやだ。
お願いだからここから出して。

リビングから廊下に駆け込み、玄関まであと少しというところで、私は首筋に鋭い痛みを感じた。
躰が急激にしびれ、そのまま廊下に倒れこんでしまう。
仰向けになった私の目の前を、あの蛾のような虫がひらひらと飛んでいた。
刺されたんだ・・・
躰が動かない。
呼吸が苦しい・・・
心臓がどきどきしている。
死に・・・たくない・・・
死にたく・・・ないよぉ・・・
朦朧とする意識の中、私は土野坂君の笑う声を聞いていた。

「うう・・・ううう・・・」
苦しい・・・
躰がきしむ・・・
あちこちが痛い・・・
ミチミチと異様な音がする・・・
背中で何かが広がっていく・・・
「あぐう・・・」
息ができない・・・
助けての言葉が出ない・・・
どうなってるの?
私はいったいどうなっているの?

                        ******

暗い・・・
とても静か・・・
ここはどこ?
私はいったい?

「ふふっ」
誰かの笑い声・・・
誰だろう?
どうして笑っているのだろう?
「よかったね、先生。先生は人魔蟲になったんだよ。毒に耐えたんだ」
先生?
人魔蟲?
私のこと?
「ほら、お腹すいただろ? 餌持ってきてあげたよ」
ゴトッと音がして、私の脇に何かが置かれる。
暗闇に目が慣れてきた私は、それが白い布にくるまれた何かだということがわかった。
いくつもの像が一つに結ばれ、じょじょに周りが見えてくる。
暗闇だったはずなのに、だんだん明るく見えてくる。
「複眼に慣れてきたようだね。はっきり見えるようになってきたんでしょ」
複眼?
何のことだろう?
それよりも私は脇に置かれた包みの中が気になった。
私の額でふるふると震えるものが、包みの中からいいにおいがしていることを知らせてくる。
お腹がすいた。
食べたい・・・
包みの中の物を食べたいわぁ・・・

「いいんだよ。遠慮しなくて。先生はボクの大事な人魔蟲だからね。他の蟲たちよりも優先権があるのさ」
私は上半身を起こして床にぺたんと座りなおすと、両手の爪で布を切り裂いた。
中からはうつろな眼をして空を見据えた人間の生首が姿を見せる。
私はそれを抱きかかえるようにして舌を伸ばし、キリのように尖らせて目玉に差し込むと、中の液体を吸い尽くす。
甘美な味が私を喜ばせ、私はもう一つの目玉も吸い尽くすと、さらに奥のほうへと舌を伸ばした。
そこには脳があり、ネトッとしたクリームのような感触が舌を通じて伝わってくる。
美味しい・・・
私は夢中で脳を舐め取り、中が綺麗に無くなったところで持ってたものをほうり捨てた。

「ふふふ・・・美味しかったかい先生?」
私はこくんとうなずく。
こんな美味しいものは今まで食べたことがなかった。
どうして食べなかったのか不思議だ。
「でも不用意に人間を食べちゃダメだよ。ボクがいいといったときだけ食べるんだ。いいね?」
私はもう一度こくんとうなずく。
この方には逆らえない。
この方はマスター。
私は従わなければならない。
「さあ、立ってこっちにおいで」
私はゆっくりと立ち上がる。
躰にまとわり付く布切れが邪魔で爪で引き裂いていく。
布切れがなくなると、すごくすっきりした気分になった。
背中の翅も思い切り広げられる。
気持ちいい・・・
私はすごくうれしくなった。

「綺麗だよ先生。すごく綺麗な人魔蟲だ。ごらん、自分の姿を」
姿見が私の姿を映している。
鮮やかな極彩色の翅が背中に広がり、大きな目のような黒丸が中心に乗っている。
細かな毛がふわふわと胸と下腹部を覆い、額からは長い触角が伸びていた。
「これで先生はボクのもの。ボクね、妖魔と取引をしたんだ。蟲使いになる代わりに、蟲を使って人々に恐怖を広めるって。妖魔は人間の恐怖が好きらしいよ」
私は黙ってこの少年の言うことを聞いていた。
でも思い浮かぶのはさっきの美味しい食事のことだけ。
次に人間を食べていいのはいつかしら・・・
早く食べたいわぁ・・・

「明日からは人間に擬態して今までどおり振舞うんだよ。ちゃんとやればご褒美に人間を食べさせてやる。ボクをいじめた奴らを食べさせてやるからね」
私は思わず舌なめずりをしてしまう。
人間を食べられる。
なんてうれしいのかしら。
「そして体操部の女子を連れてくるんだ。彼女たちも人魔蟲にしてボクのものにするんだ」
少年が笑っている。
きっとうれしいことなんだ。

私は少年の命じるままに人間の姿に擬態する。
そして巣に戻って待機する。
日が昇れば少年の言うとおりに擬態して学校に行く。
ちゃんとやればご褒美がいただける。
私はご褒美を楽しみにして、つかの間の眠りに就くのだった。

END

こんな感じの話しになりましたがいかがだったでしょうか。
よければ拍手コメントなどいただけるとうれしいです。

それではまた。
  1. 2008/10/11(土) 19:42:42|
  2. 異形・魔物化系SS
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残念無念

マジック2としていた巨人が勝ち、阪神が逆転負けしてしまったので、巨人の二年連続優勝が決まりました。

巨人ファンの皆様、優勝おめでとうございました。
阪神ファンの皆様、最後力尽きましたが、優勝争いをここまでできたことに自信を持ちましょう。

今年は巨人の引き立て役になってしまいましたが、暗黒時代よりはよほどマシです。
来期は若手育成を重点にして、再び強い阪神を作っていって欲しいです。

まだ残り試合がありますが、岡田監督以下阪神の選手の皆様お疲れ様でした。
今シーズン楽しませていただきました。
ありがとうございました。
  1. 2008/10/10(金) 21:24:23|
  2. スポーツ
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蟲(1)

今日と明日で異形化モノの短編一本投下します。

ちょっと異質な感じかもしれませんが、楽しんでいただければ幸いです。


「蟲」

「ふう・・・」
頭が痛い問題だわ・・・
いじめ・・・
うちのクラスでもどうやらいじめがあるようなのだ。
困ったなぁ・・・

いじめの対象になっているのは土野坂浩太(どのさか こうた)君。
わかるのよねぇ。
あの子ってばなんか陰気でなに考えているかわからないところがあるし、口ごもるから言っていることがはっきりと聞こえないし、なんとなく不潔感を感じさせるし・・・
そして何より目つきが不気味さを感じさせるのだ。
担任の私がこんなこと言ってはいけないんだけど、いじめられるのも無理ないかなぁって気がするのよね。
でも、放っておくわけにも行かないし・・・
やれやれだわ。

直接行動は簡単だけど、それじゃ解決にならないし、やっぱり土野坂君側にも変わってもらう必要があるわ。
一度家庭訪問でもして、ご家族と相談してみようかしら・・・

私はそんなことを考えて席を立つ。
担任を持つというのは苦労の連続。
最近はモンスターなんとやらもうるさいし。
気の休まるときなんかありゃしない。

「朝来(あさき)先生、これから部活ですか?」
「ええ、インターハイも近いので、びしびし行きませんとね」
私は同僚教師にひらひらと手を振って第二体育館へ向かう。
昔取ったなんとやらで体操部の顧問まで押し付けられちゃって・・・
まあ、これで結構気晴らしになって楽しいからいいんだけどね。
さてさて、今日はどこまでやってくれますかな。

「「よろしくお願いしまーす」」
「はい、よろしく。それじゃ今日は平均台の練習からね」
私の前には八人の女子生徒が眼を輝かせて立っている。
わが校体操部女子チームの面々だ。
人数は少ないけど、和気藹々として楽しく活動している。
部活動なんだからそれが一番。

すぐに彼女たちは平均台の練習に取り掛かる。
私は以前体操をやっていたことがあるので、体操部の顧問というわけ。
もっとも、男子体操部は別で、そちらは大畑先生が担当してる。
私は女子だけ見てればいいというわけ。

うちの体操部は普段でもレオタードを着る。
そりゃあ、恥ずかしいでしょうし、男子体操部と一緒だから気にもなろうというもの。
でも、練習はジャージで大会はレオタードじゃうまく演技できるはずが無い。
普段からレオタードに慣れておかないとね。
なので、顧問の私も一応はレオタード着用。
でも上にジャージを着てごまかしてる。
だって・・・
今の若い子はいいプロポーションなんだもの・・・
比べられたくないわよぉ・・・

「ひっ」
自分の番を待っていた女生徒が小さく悲鳴を上げる。
「小坂さん、どうしたの?」
「先生、今外から誰か覗いていたような・・・」
「覗き?」
やれやれ・・・
レオタード姿の女の子がいたら覗きたくなるのはわかるけど・・・
「わかったわ。確認してくるから待っててね」
私はすぐに体育館脇の非常口から外に出る。
覗き防止のためにカーテンを閉めてやっているとはいえ、時々こういう不心得者が出てくるのよね。
見つけたらがっちりお灸をすえてやらなくちゃ・・・

「ちょっと、そこのあなた」
体育館脇の茂みで、私は学生服姿の少年を見つけた。
「こんなところで何をしているの? こっちには何もないはずよ」
「あ、朝来先生・・・」
私は驚いた。
青白い陰気くさい顔をして立っていたのは土野坂君だったのだ。
「土野坂君? なにやってたの? まさか覗きに?」
「・・・ち、違います・・・」
うつむいてぼそぼそっとしゃべるのがなんとなく気に触る。
こういうところがいじめを呼ぶんだと思うわ。
「じゃあ、なにやっていたの? こんなところ、用事があってくるところじゃないと思うけど?」
「そ・・・それは・・・」
口ごもる土野坂君。
間違いないわ。
彼は覗きに来たんだわ。
まったく、困ったものね。
「いいこと。二度と覗きに来たりしちゃダメよ。今度見つけたら見逃しませんからね」
私は穏便に済ませようと思いこう言った。
反省して二度としなければそれでいいのだ。
「朝来先生・・・」
「ん? 何?」
「先生もボクが覗きに来たと思ってるんですね? 違うのに信じてくれないんですね?」
信じろって言ったって・・・
じゃ、こんなところで何をしていたのよ。
「信じろって言っても、ここで何をしていたのか言えないでしょ? 覗きに来たのじゃないかもしれないけど、誤解される行動をしているのも事実なのよ」
まあ、見たところデジカメとかも持ってなさそうだし、明確な証拠もなしに所持品確認もできないしね。
「違うのに・・・違うのに・・・」
「ふう・・・わかったからもう行きなさい。あんまりこのあたりをうろつくと誤解されても仕方ないわよ」
私は肩をすくめて土野坂君を向こうに去らせる。
「違うのに・・・違うのに・・・」
ぶつぶつ言いながら去っていく土野坂君。
やれやれだわ。

私は覗きじゃなかったことを告げ、開いていた窓を閉める。
風でカーテンがめくれたので覗かれたと思ったんだろう。
まあね、レオタード姿じゃ警戒もするよね。

                        ******

「土野坂君はお休み?」
出席簿を確認する私の手が止まる。
もしかして昨日のことが尾を引いちゃったかしら・・・
あとで電話してみよう・・・
私は土野坂君の欠席をなんとなく気にしながら授業にはいった。

「もしもし? 私土野坂君の担任の朝来と申しますが・・・」
お昼休み、私は土野坂君の家に電話をかける。
様子を確認したかったのと、事のついでにご両親と一度会っておこうと思ったので、その日取りを決めようと思ったのだ。
『あ、先生?』
電話口の向こうに出たのは土野坂君だった。
「土野坂君? 今日はどうしたの? 風邪でもひいた? 連絡が無いからどうしたのかと思ったわ」
いじめで登校拒否ってことも考えられないことではないから、風邪ならそのほうがいいんだけどね。
『・・・・・・ちょっと学校へ行けなかったので・・・』
「学校へ行けない? どうして? やっぱりいじめが原因なの?」
『・・・・・・』
「電話じゃ話せない? だったら先生そちらにお伺いしてもいいわ。先生も一度お話したいし。ご両親と一緒にお話できないかしら」
『・・・・・・先生が来てくれるの?』
なんだろう?
土野坂君の声が少しうれしそう?
「ええ、行きます。今日の放課後でもかまわないわ」
『・・・・・・』
ご両親に確認を取っているのかしら?
『・・・それじゃ来てよ。ボク待ってるから』
「今日でいいの? いいのならお伺いするけど」
『いいよ。待ってるから』
「わかったわ。それじゃお伺いするのでご両親によろしく」
私は住所を確認して電話を置く。
なんだろう・・・
何か土野坂君のあの目ににらまれたような気がする・・・
私は頭を振って妙な思いを振り払うと、午後の授業に出かけていった。

                         ******

「ここね?」
私は住所のメモを確認する。
目の前には大きなマンション。
ここの八階とか。
結構なところに住んでいるのね。

私は車を共用駐車場に止め、マンションに入って行く。
夕暮れのオレンジ色の光が入り口付近を照らしていた。
そういえば最近はこんな時間に外へでることもないわねぇ。
部活やっていると終わるのは夜の7時近いしね。
さてと、土野坂君のご両親にご挨拶と行きますか。

私は入り口で土野坂君に訪問を告げ、エレベータの入り口を開けてもらう。
エレベータで八階に上がると、私は811号室のベルを鳴らした。
「先生いらっしゃい。お待ちしてました」
いきなりドアが開けられたことに私は一瞬驚いた。
いつもは陰気な土野坂君が、にこやかに出迎えてくれたのだ。
ただ、あのなんとなく不気味さを感じさせる目は相変わらずだったけど。
「土野坂君こんにちは。お邪魔いたします」
私は靴を脱いで上がらせてもらう。
「さあ、どうぞ」
先にたって案内してくれる土野坂君。
時間が時間だからお父様はまだいらっしゃらないかな。
まずはお母様にご挨拶ね。

リビングに案内された私は思わず戸惑った。
てっきり土野坂君のお母様がいらっしゃると思ったのに、誰もいなかったのだ。
「えっ? 土野坂君、ご両親は?」
私は思わず土野坂君を振り返る。
「いないよ。どこか行った」
にたにたと薄気味悪い笑みを浮かべている土野坂君。
「ど、どこかって・・・どういうこと?」
私は思わずあとずさる。
まさかこの子?
何か変なことを考えて・・・?
「知らないよ。蟲にくれてやったんだ。あーだこーだとうるさいからね」
舐めるように私を見てくる土野坂君。
その視線がぞっとする。
「でしたら出直すわ。また今度お話しましょう」
私は玄関に向かおうと部屋の入り口に行こうとした。
でも、土野坂君が入り口付近で私を見つめている。
しまったなぁ・・・
まさかこんなことになるとは思わなかったから、スカートにストッキングというスーツ姿になってきたのよね・・・
そうやすやすと襲われるつもりは無いけれど・・・って、今なんて?
蟲にくれてやった?
どういうこと?

「土野坂君、蟲にって・・・どういうこと?」
「ふふふふ・・・先生ってそんなことちゃんと聞いてたんだね・・・言葉のとおりだよ。蟲たちにくれてやったんだ」
にたっと笑う土野坂君。
どうしよう・・・
この子ちょっとおかしくなってるんだわ。
「先生・・・今ちょっとボクのこと変な子だと思ったでしょ?」
「え? い、いいえ」
「ふふふ・・・隠さなくてもいいよ。いつも陰気でいじめられてついにおかしくなっちゃったとでも思っているんじゃない?」
な、なんなのこの子?
私、顔に出ちゃったのかな・・・
「先生・・・ボク昨日あそこで何していたか教えてあげるよ」
「えっ?」
昨日って・・・第二体育館裏でのこと?
「ボクね・・・あそこで餌を物色していたんだよ。蟲たちに食べさせる餌をね」
いつになく饒舌な土野坂君。
その様子がとても楽しそうなのが、かえって私には不気味だった。
  1. 2008/10/10(金) 20:42:47|
  2. 異形・魔物化系SS
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10月10日のココロ日記(BlogPet)

宇宙人さん、宇宙人さん…、ココロのこと見ててくださいね。いつか美味しい新人を作って舞方雅人さんに喜んでもらうんです!

*このエントリは、ブログペットのココロが書いてます♪
  1. 2008/10/10(金) 08:08:35|
  2. ココロの日記
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昨日の試合

昨日、プロ野球セントラルリーグの今年の優勝をかける大一番「巨人-阪神」戦が行なわれました。

阪神ファンとして是が非でも阪神に勝って欲しかったのはいうまでもありませんでしたが、結果は1-3と阪神が負けてしまいました。

正直悔しいです。
残念です。
ここまで来て優勝をさらわれてしまうことになりそうなのは、本当につらい。

でも、これは巨人の立ち直りを褒めるべきでしょう。
今年の前半、巨人は故障者続出で五割ラインすら大きく割り込んでおりました。
投手陣も野手陣も調子が悪く、原監督もスターティングメンバーすら組むのが大変な有様でした。

この状況がある意味開き直りを生んだのかもしれません。
常勝巨人は勝つことを義務付けられているために、育成のために若手を我慢して使うということがなかなかできない状況で、生え抜きが育たないとまで言われておりました。

ところが今年は主力が調子悪いために、若手を使わざるを得なくなりました。
このチャンスをしっかりものにしたのが坂本選手をはじめとする巨人の若手です。
野手では坂本選手や脇谷選手など、投手では山口投手や越智投手など。
こうした若手が我慢して使ってもらえたことで大いに実力を伸ばしました。

下手すれば二三年、いやそれ以上かかるであろう若手の育成を、わずか半年で成し遂げた巨人はやはり強い球団です。
けがの功名かもしれませんが、来期以降も巨人の強さは維持されるのではないでしょうか。

翻れば阪神は若手との入れ替えがうまくいっていない印象を受けます。
もちろん金本選手や矢野選手の能力の高さは特筆すべきもので、そうそう若手が代われるわけはありません。
ですが、この人がと期待した若手は伸び悩み、新井選手のけがや平野選手のけがにもチャンスをつかめる選手はいませんでした。

結局この差が出てしまったのかもしれません。
若さと勢いのある巨人が一歩リードしたということなのでしょう。

まだ終わったわけではありません。
でも、来季に目を向けて、二軍の育成方法を少し見直したほうがいいのかもしれないですね。
来期以後の二三年は、育成をしていかないといけないんだろうなぁ。

それではまた。
  1. 2008/10/09(木) 20:11:05|
  2. スポーツ
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なんだか不思議

VASLでASLを楽しんでます。(SKですが)
対戦相手にも恵まれ、息詰まる白熱した展開に、毎回手に汗を握っています。

一個分隊の一挙手一投足にそれこそ一喜一憂し、十個分隊も動かせばかなり神経が磨り減ります。

SKでもそうですので、スタンダードではなおさらでしょう。
この緊迫感がすごく楽しい。

でも、ASL-SKをやればやるほど、スコードリーダーもやりたくなる。
今現在好敵手である暗黒卿様が身近にいらっしゃらないので、対戦が止まったまま。
できないとなるとなおさらやりたくてうずうずします。

昔はスコードリーダーも結構複雑だと思いました。
無論クロスオブアイアンやクレッシェンドオブドームが加われば、相当複雑になることは間違いありません。

でもスコードリーダー単体ならばそれほど複雑とは感じません。
サクッと動いてサクッと射撃して・・・
防御射撃はいったん射撃受けるところまで戻されて、そこでひとまとめにして射撃されます。
ASLのように動いたものに撃つかどうか神経をすり減らす判断は必要ありません。

何というか手軽に感じます。
戦車や盤外砲撃が入ってもそれほど苦労しない気がします。

これは私が慣れているからで、無論スコードリーダーとて複雑なゲームには違いありません。

でも、ASL-SKをやっているとスコードリーダーに回帰したくなります。
スコードリーダーをやるとASL-SKの複雑さや緊迫感が恋しくなります。

結論。
どっちも面白いしこれからもやりたいです。
ライフワークみたいなものだと思います。
死ぬまでにどれほどのシナリオをこなせるものか・・・
がんばりたいですね。(笑)

SA3A0011_20081008201508.jpg

写真は左からスコードリーダー、クロスオブアイアン、ASL-SK3のそれぞれのT-34ユニット。
情報量がまったく違うことがわかります。

それではまた。
  1. 2008/10/08(水) 20:14:14|
  2. ウォーゲーム
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ヘビ化はいいですよー

簡易チャット置いてみました。
使われないようならはずします。

最近、自宅の建築問題で世間を騒がせた漫画家の楳図かずお先生ですが、私にとってはまさに異形化萌えのきっかけを作っていただいたといっても過言ではない先生です。

中でも楳図先生は女性のヘビ化という題材を扱った作品をいくつか描いておられますが、その作品を三つ集めたのがこの作品集「ヘビ女」です。
318TSTX9XML__SL500_AA204_.jpg

もうね、まさに私の原点といってもいい作品集なんですよ。
楳図先生がいなければ、今の私も無かったかもしれません。(笑)

以下、多少のネタばれありです。 [ヘビ化はいいですよー]の続きを読む
  1. 2008/10/07(火) 20:56:30|
  2. 本&マンガなど
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:3

疑問解決

「世界の艦船」11月号が手に入りました。
cover-s_20081006184032.jpg

今月の特集は新世代のコルベットということで、各国の新型コルベットを紹介しています。
現代の軍艦は高価なので、フリゲートクラスでも装備できる国は限られますし、また海上からの大きな脅威を受けない国はコルベットで充分なんでしょうね。

現代のコルベットは対艦ミサイルを装備していたり、対潜ヘリコプターを装備しているものまであるので、実質フリゲートクラスと遜色ないものも多いですから、フリゲートを二隻装備するよりもコルベットを四隻装備するという考え方もあるかもしれません。

このコルベットの特集よりもうれしかったのは、前回のときにもお話した港で働く船の話。
今回は警察艇でした。
つまり海のパトカーですね。

東京湾には以前は水上警察署があり、そこが警察艇を運用していたのですが、今は湾岸警察署に統合されて、そこの水上安全課というのが運用しているとのこと。
25隻を擁し常時20隻が即応体制にあるんだとか。

私が以前からずっと気になっていたのが、水上警察と海上保安庁の受け持ち区域分けなんですよ。
どこまでが水上警察でどこからが海上保安庁の管轄なのか。
結構気になっていたんですよねー。

今回の記事では、河川に関しては水上警察が、港区外は海上保安庁が、そして港内に関しては両者の協議で決まるとか。
特に線引きは無いんだそうですね。
びっくりです。
これで長年の疑問が解決ーーー(笑)

毎回毎回いろいろな情報を提供してくれる雑誌に感謝感謝です。

今回はこんなところで。
それではまた。
  1. 2008/10/06(月) 19:26:28|
  2. 本&マンガなど
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舞方雅人

Author:舞方雅人
(まいかた まさと)と読みます。
北海道に住む悪堕ち大好き親父です。
このブログは、私の好きなゲームやマンガなどの趣味や洗脳・改造・悪堕ちなどの自作SSの発表の場となっております。
どうぞ楽しんでいって下さいませ。

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