ソードフィッシュ隊の雷撃はビスマルクに思わぬ被害を与えておりました。
しかし、英国海軍はそのことを知りませんでした。
ソードフィッシュ隊からの報告では大きな損害を与えることはできなかったと判断されていたのです。
しかし、ビスマルクを追尾していた軽巡シェフィールドからの電文が、トーヴィー提督を驚かせました。
ビスマルクの速度が落ち、進路を左に変えているというのです。
何かが起こったことは間違いありませんでした。
そのころビスマルクの周囲には、英国海軍のヴァイアン大佐率いる第四駆逐隊が到着しておりました。
ソードフィッシュによる攻撃とは別に、ヴァイアン大佐も駆逐艦の魚雷でビスマルクの足を止めようと思って攻撃を仕掛けたのです。
ソードフィッシュの攻撃により速度が7ノット程度しか出せなくなっていたビスマルクでしたが、まだまだその強力な主砲の攻撃力は健在でした。
22時ごろから始まった第四駆逐隊の五隻の英国駆逐艦の攻撃でしたが、ビスマルクの正確な砲撃に翻弄され、艦隊としての秩序だった攻撃を行なうことができません。
ヴァイアン大佐はやむを得ず各艦個別の攻撃を命じますが、ばらばらに投射された魚雷は思うように当てられません。
結局第四駆逐隊の魚雷攻撃はなんらビスマルクに損傷を与えることはできませんでした。
放たれた魚雷は一本も命中しなかったのです。
しかし、夜が明けるまでの間第四駆逐隊はビスマルクと接触し続け、味方艦隊を導くのに役立ったのでした。
明けて1941年5月27日。
よろよろと航行するビスマルクに、トーヴィー提督の率いる艦隊がようやく追いつきます。
8時43分、まず戦艦ロドニーが英国戦艦でこのロドニーと「ネルソン」しか持たない40センチ主砲をビスマルクに向けて発砲。
続いて旗艦キング・ジョージⅤも36センチ主砲を発射します。
ビスマルクも応戦。
戦場には巨砲の発射音が響き渡りました。
9時ごろになると、戦場に新たに二隻の重巡が加わります。
ウォーカー隊の一隻ノーフォークと、新たにやってきた「ドーセットシャー」でした。
二隻は20センチ主砲をビスマルクに向けて発砲します。
速度の低下したビスマルクは、巨砲の集中射撃に滅多打ちにあっていきました。
上部構造物はめちゃくちゃになり、主砲も第四砲塔以外は使用不能に追い込まれていきます。
10時ごろには大勢は決しました。
各所から煙を上げてのたうちまわるビスマルクは、もはや救いようがありませんでした。
しかし、まだビスマルクが沈んだわけではありません。
トーヴィー提督は焦りました。
これまでの追跡航でキング・ジョージⅤもロドニーも帰還するまでの燃料しか残っておらず、この戦場から離れなくてはならなかったのです。
砲撃で止めを刺す時間的余裕がなかったのでした。
やむを得ずトーヴィー提督は魚雷を持っているものは雷撃せよと命じます。
ですが、果たして魚雷をまだ持っている艦はいたのでしょうか?
たった一隻おりました。
新たに攻撃に加わった重巡ドーセットシャーです。
(ノーフォークも持っていたともいわれますが不明)
ドーセットシャーは沈黙したビスマルクにぎりぎりまで接近して魚雷を発射。
三本が命中したと言われます。
(この数は砲撃戦最中の命中も含まれるとも言われます)
この魚雷命中後、ビスマルクの船体はゆっくりと傾いて転覆。
艦尾から沈んでいったと言われます。
沈没に関してはドイツ側が自沈処置を取ったとも言われ、沈没原因はわかっておりません。
沈没は10時40分ごろのことでした。
ビスマルクの沈没後、燃料の残りがほとんどなかったキング・ジョージⅤとロドニーは戦場を離脱。
ドーセットシャーのみが生存者の救助に当たりました。
しかしドーセットシャーもUボートの脅威を理由に早々に救助を中止。
結局2206名のビスマルク乗組員のうち、救助されたのは115人でした。
リンデマン艦長もリュッチェンス提督もともに戦死。
ドイツ戦艦ビスマルクの生涯はここに終わりを告げました。
フッドの敵討ちとはいえ、このビスマルク追撃にかけた英国海軍の執念はすさまじいものがありました。
追撃戦に参加した艦艇は、戦艦巡洋戦艦が合わせて八隻、空母二隻、巡洋艦十一隻、駆逐艦二十一隻、潜水艦六隻、航空機約三百機と英国海軍のもてる全力を投入した追撃戦だったといっても過言ではありませんでした。
そして、ついに最終的にはビスマルクを沈めることに成功したのです。
ドイツにとってビスマルクの損失は大きなものでした。
水上艦艇での通商破壊はこれをもって終結し、以後ヒトラーは大型水上艦艇を出撃させようとはしませんでした。
月が改まった6月1日。
一隻のドイツ艦がフランスのブレスト港に入港。
途中でビスマルクと別れたプリンツ・オイゲンでした。
通商破壊には失敗したものの、どうにか無事に帰ってくることができたのです。
プリンツ・オイゲンは第二次世界大戦を生き延びました。
戦後、米軍に接収され、ビキニ諸島での原爆実験の標的として使われます。
のち、スクリューだけがドイツに返還されました。
ビスマルクの脚を航空機で止めることに成功した英国海軍も、そののちに同じような目を受けることになります。
主砲故障で散々な目にあったプリンス・オブ・ウェールズは、東洋艦隊の一隻として日本に対しにらみを効かせましたが、「マレー沖海戦」で日本軍の航空機に沈められます。
また、ビスマルクに最後魚雷を発射したドーセットシャーも、インド洋で日本軍の航空機に沈められました。
そして、ビスマルクの推進器に損傷を与えたソードフィッシュ隊を発進させた空母アークロイヤルは、マルタ島への航空機輸送の帰り道、ドイツのU-81からの魚雷を受けて沈没。
ある意味ビスマルクの仇を取った形となったのでした。
参考文献
「バルバロッサ作戦」(第二次大戦欧州戦史シリーズ4) 学研
「グラフィックアクション19 戦うドイツ海軍」 文林堂
参考サイト
Wikipedia「ビスマルク」
Wikipedia「プリンツ・オイゲン」ほか
思った以上に長くなってしまいました。
二回ぐらいで終わるかなって思っていたのですが・・・
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
それではまた。
- 2008/09/24(水) 20:25:40|
- ビスマルクを撃沈せよ
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