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舞方雅人の趣味の世界

あるSS書きの日々

戦艦ビスマルクを撃沈せよ (1)

第二次世界大戦三年目の1941年5月18日、ドイツの軍港ゴーテンハーフェンより一隻の戦艦が出撃いたしました。
戦艦の名は「ビスマルク」。
あの鉄血宰相といわれたオットー・フォン・ビスマルクの名をつけられた、ドイツ海軍の有力な戦艦でした。

ビスマルクとともに出港したのは、重巡洋艦「プリンツ・オイゲン」ほか駆逐艦六隻。
小規模ながらも堂々たる艦隊を組んでの出港でした。
この艦隊の目的はただ一つ。
英国周辺海域で英国に向かう商船を沈めること。
つまり通商破壊戦だったのです。

1939年に開戦して以来、ドイツは英国を戦争から脱落させるために通商破壊を仕掛けておりました。
1940年には輝かしい電撃戦をもってフランスやオランダベルギーを屈服せしめ、ノルウェーも占領して、欧州の大西洋岸の良港はほぼドイツの手中に収まります。
今までドイツ本国から出かけていたUボートは、フランスやノルウェーの港から出航できるようになり、その威力も増大しました。

1940年から1941年初頭にかけて、ドイツのUボートやポケット戦艦、巡洋艦等の通商破壊艦による英国商船の損害はうなぎのぼりであり、英国は軍需物資どころか日用品にまで事欠く有様となります。
このままいけば、早晩英国は戦争継続が不可能になるだろうと思われました。

そこでドイツ海軍(クリークスマリーネ)の司令官たるエーリッヒ・レーダー提督は、高速戦艦ビスマルクと、巡洋戦艦「グナイゼナウ」、「シャルンホルスト」のドイツ海軍の戦艦クラスすべてを通商破壊に投入し、英国の息の根を止めることを考えます。
これら三隻が暴れまわれば、英国の商船団は壊滅し、英国の息の根はとまると考えられたのです。

レーダー提督は「ライン演習」という作戦名でこれらの軍艦の出撃準備を進めました。
完成したばかりの新型重巡プリンツ・オイゲンもこの作戦に加わるべくゴーテンハーフェンに到着します。

プリンツ・オイゲンは、アドミラル・ヒッパー級の一隻で基準排水量15000トンと、当時の巡洋艦としてはかなり大型の重巡洋艦でした。
(日本海軍の大型重巡である高雄型でも11000トン)
20センチ主砲連装砲塔を前後二基ずつ合計四基八門持ち、長大な航続力を持つこの重巡は、まさに通商破壊用と言っても過言ではありませんでした。
そして、何よりこの重巡の特徴は、遠距離から見た場合のシルエットがビスマルクにそっくりというものでした。
いわばビスマルクの影武者とも言える存在を、ドイツ海軍は用意していたのです。

こうして「ライン演習」作戦の準備は着々と進められましたが、大きな誤算が生じました。
参加するはずのグナイゼナウとシャルンホルストの二隻の巡洋戦艦が二隻とも作戦参加不能となってしまったのです。
シャルンホルストは機関部の故障、グナイゼナウは英空軍機の攻撃による損傷のため、二隻とも修理をしなくてはならなくなったのです。

レーダー提督は悩みました。
このまま戦力の少ない状況で作戦を実行するべきか、それとも両艦の修理を待って戦力を充実させて作戦を行なうべきか・・・
しかし、直接の参戦はしてないものの、英国にはアメリカの援助が行われつつありました。
今このチャンスを逃せば、英国は立ち直ってくるかもしれない。
レーダー提督はそう考え、ビスマルクとプリンツ・オイゲンだけで作戦を決行することにいたします。

5月5日、出撃準備中のビスマルクを、総統ヒトラーが視察に訪れます。
ビスマルクとプリンツ・オイゲンを直接率いるのはベテラン海軍軍人のギュンター・リュッチェンス中将でしたが、彼はヒトラーの前でビスマルクの優秀さを説明し、英国の戦艦のいずれが来ても撃退できると豪語します。
ヒトラーはそれに満足したものの、ふと雷撃機に魚雷を撃ち込まれたらどうなのだと訊きました。
リュッチェンスは多少の心配はあるものの、対空兵器も充実しており、何よりその厚い装甲が魚雷を蜂の一刺し程度にしか感じさせないでしょうと言ったといいます。

第二次世界大戦直前の1939年2月に進水したビスマルクは、翌年1940年8月に就役しました。
基準排水量41700トン、全長251メートル、38センチ主砲連装砲塔四基八門を搭載し、装甲に排水量の38%も充てるという重防御の戦艦として完成します。
日本の大和級の完成までは世界最大の戦艦でした。

ただし、舷側防御は強力だったものの、甲板防御は比較的弱く、遠距離砲戦には向かない戦艦だったといわれます。
このあたりも戦艦同士の砲撃戦よりも通商破壊を考慮されたのかもしれません。

ハンブルグの造船所でビスマルクが艤装(ぎそう:進水後船に各種装備を取り付けること)しているとき、隣のドックではUボートの一隻U-556が建造中でした。
このよしみでビスマルクの艦長エルンスト・リンデマン大佐以下のビスマルク乗組員と、U-556の艦長ヘルベルト・ヴォールファルト大尉以下のU-556乗組員は互いに親しくなり、お互いに兄弟艦として助け合おうと約束しあったといいます。
海の男たちの友情でした。

こうしてビスマルクとプリンツ・オイゲン以下の艦隊は、北大西洋へと向かいました。
ビスマルクにとっては最後の航海の始まりでした。

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(ビスマルクの出港時に駆逐艦が付き従っていたことがわかりましたので記事を修正しました)
  1. 2008/09/20(土) 20:04:56|
  2. ビスマルクを撃沈せよ
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(まいかた まさと)と読みます。
北海道に住む悪堕ち大好き親父です。
このブログは、私の好きなゲームやマンガなどの趣味や洗脳・改造・悪堕ちなどの自作SSの発表の場となっております。
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