第二次世界大戦は、戦車にとっては砲弾の貫徹力と装甲厚のシーソーゲームでした。
初期の各国陸軍の対戦車砲は37ミリから大きくても45ミリクラスでしたが、戦車の装甲厚が厚くなるにつれて貫徹力で劣るようになり、対戦車砲の口径も威力を増すために大きくなっていきました。
しかし、そうやすやすと大口径の対戦車砲が実用化できるものではありません。
だからと言って敵戦車の装甲を撃ちぬけない対戦車砲では意味がありません。
そこでドイツ軍では砲弾を空高く打ち上げるために初速が速い高射砲、それも88ミリという大口径高射砲を対地及び対戦車用に使うことで急場をしのぎます。
この88ミリ高射砲は、英仏の装甲の厚い戦車を難なく撃破することができ、高射砲としてよりも戦車キラーとして有名になりました。
言葉は悪いですが、ヒトラー率いるドイツ軍の破竹の進撃ぶりに感銘を受けたムッソリーニは、ほとんど火事場泥棒的に対仏参戦をして第二次世界大戦に参入します。
ローマ帝国の栄光よ再びとばかりにアルバニアやリビアなどで英軍と戦ったイタリア軍でしたが、ドイツ軍同様にやはり対戦車砲の威力不足に直面しました。
そこでイタリア軍も、ドイツ軍同様に高射砲で戦車を撃破することにします。
選ばれたのが53口径長90ミリ高射砲でした。
この高射砲はドイツの88ミリ高射砲に勝るとも劣らない優秀な対空高射砲でした。
砲口での初速でいえば、88ミリ砲よりも早いぐらいだったのです。
当然徹甲弾を使えば装甲貫徹力もかなりなものが期待できました。
射程460メートルで143ミリの装甲厚を貫いたと言うデータもあるそうで、ティーガーの正面装甲を撃ち抜くことができたのです。
問題はやはり移動や布陣に時間のかかることで、ドイツ軍もだからこそ88ミリ砲を対戦車自走砲にしたりしています。
イタリア軍もこの90ミリ高射砲90/53を自走砲化しようと試みました。
最初はトラックに載せて使いましたが、やはりトラックでは路外機動性に難があり、背の高さから被発見率も高くなるということで履帯式の車台に搭載することが求められました。
そこで、当時イタリア軍の主力戦車であったM13/40やそのエンジン改良型のM14/41の車台を使って自走砲化することに決定。
90ミリ高射砲を搭載するために後部を搭載スペースに空け、エンジンを中央部に移した専用車台を開発して90ミリ高射砲を載せました。
大まかなデザインとしては、ドイツ軍のヴェスペやナスホルンのようなものを思い浮かべていただければいいのですが、無論あそこまで洗練されてはおりません。
後部に防盾付きの高射砲がそのまま載った感じといえばいいでしょうか。
操縦席には外部視察用のペリスコープすらなく、移動するときはハッチを開けて顔を出しながら操縦しなくてはならないなど問題点もありましたが、それでもイタリア軍きっての貫徹力を誇る主砲は何物にも替えがたい貴重なものとなりました。
この90ミリ高射砲搭載自走砲は、M41Mというナンバーを与えられ採用となりました。
しかし、イタリア工業界の能力不足から、この優秀な自走砲もまたわずかしか作ることができませんでした。
主砲たる高射砲そのものが数を作ることができず、わずか30両ほどが量産されたのみだったのです。
アフリカでの戦いには間に合わなかったM41M自走砲は、最初で最後の活躍をシシリー島で見せました。
上陸してくる米英連合軍に対し、20両ほどのM41Mがドイツ軍の指揮下で使われて火を吹いたのです。
90ミリ主砲は能力にたがわぬ働きを見せ、連合軍戦車を多数撃破したものの、やはり多勢に無勢であり、最終的にはほとんどのM41Mが破壊されたり放棄されてしまったようでした。
搭載砲はかなり優秀だったんですけどね。
それではまた。
- 2008/09/15(月) 20:16:34|
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