アバロンヒル社のゲーム「サブマリン」が手に入ったことで、再び潜水艦熱が上昇中。
どなたかと対戦してみたいものです。
Uボートはお任せして、私は英軍護衛艦艇を指揮してみたいもの。
大西洋での船団護衛の難しさを肌で感じることができるといいなぁ。
さてさて、ドイツのUボートといえば、映画などでもおなじみではありますが実際日本帝国海軍などと違って、乗組員の士気高揚のために大勢が見送り、女性の花束贈呈や楽隊の音楽によって華々しく出港することが戦争中盤ぐらいまでは当たり前のように行われ、そういった映像も残ってますね。
このUボート。
当然のごとくこの出港時点では航海に必要な物資を満載しているわけです。
燃料から魚雷や砲弾、そして何より乗組員の食料も充分な量を搭載しなければなりません。
その量は、代表的なUボートの一種ⅦC型(水上での排水量760トン・乗員44名)で3.1トンにも達します。
そのほかに水を2.2トン、燃料を114トン、魚雷を14本搭載し、これで約50日間行動するのです。
まさに「まず物資を積み、空いたところに人間が乗る」といわれるほど、潜水艦の艦内はいたるところに物資が詰め込まれました。
場合によってはトイレの天井から肉がぶら下がっているなんてこともあったのです。
そして、この食料、当然のごとく長期保存可能なものと不可能なものに分けられます。
長期保存が可能な食料は非常食料といわれ、主に缶詰が主体でした。
非常食料といっても、通常航海の後半になればこの缶詰が主な食料となるのは明白で、各艦のコックはいかにこの缶詰を美味しく調理するかが腕の見せ所だったそうで、腕のいいコックはあちこちの艦から引き合いがあったとか。
缶詰などは保存も楽であり、艦底にバラスト代わりに入れられたりもしたそうです。
缶詰ほど保存はきかないものの、それなりに保存可能な食料は保存食料と呼ばれました。
ハム・ベーコンなどの燻製類やビスケットなどの固焼きのもの、チーズや酢漬けキャベツ、ジャガイモなどの保存性のよい野菜なども保存食料に入ります。
これらは艦内食生活の中核でしょう。
そして出港から一週間ほどの間は食べられるのが生鮮食料です。
生の度合いが高い生ハムのようなものや果物類、フレッシュチーズや柔らかいパンなどがこれにあたり、早めに消費してしまわなくてはなりません。
当時の潜水艦は湿気が多かったので、パンなどはすぐにカビが生えてしまい、カビの部分を削って食べたなんてことも多かったようですね。
こういった食料がそれこそ所狭しと詰め込まれ、通常の軍艦でいうところの艦橋に当たる発令所の潜望鏡の回りにまで置かれていたといいます。
航海が進むにつれて乗員は食料を消費します。
消費すると量が減るのが当然で、量が減ると重さも減って行きます。
潜水艦は水中でバランスを取ることが非常に重要であり、重量バランスが崩れては水中で水平を保てません。
そのため、食料が減るたびにバランスを取り直す必要があり、艦内の食料をできるだけ均等に消費していく必要があったそうです。
結構大変なことだったそうですね。
食料と同様に重要なのは水です。
2.2トンも積むとはいえ、決して充分な量とはいえません。
お風呂どころか洗顔すら禁止で、髭剃り道具は持ち込みすら禁止だったといいます。
そのため、航海終盤には体臭で非常にくさくなったことは間違いありません。
艦内の換気すらそうそうできないのですから、大変だったでしょう。
まあ、慣れてしまうんでしょうけどね。
こうして水も食料も燃料も使い果たしても、戦果を上げることができれば苦労も報われるでしょう。
商船を一隻でも二隻でも沈め、無事に帰還することができれば万々歳。
軍港では出港のとき同様か、それ以上の熱烈歓迎で出迎えてくれました。
このとき、基地の女性隊員などが花束贈呈に駆り出されるとのことなのですが、出港のときと違い、ある意味拷問だったかもしれませんね。
何せ体臭ふんぷんの男たちを前にして花束をやったり、場合によってはキスなどもしたといいますから。
大変だったんだろうなぁ。(笑)
それではまた。
- 2008/08/04(月) 20:34:14|
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