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舞方雅人の趣味の世界

あるSS書きの日々

豊家滅亡その31

大坂冬の陣が始まる前までは大坂方にとって真田幸村という男は、確かに数少ない味方武将の一人ではありましたが、その評価はそれほど高いものではなかったと言われます。

かつて幸村自らが采配を振るって野戦もしくは篭城戦で名を上げたことはなく、真田の武名はもっぱら父昌幸によって築かれたものであり、大坂方が一番頼みとしたであろうのもその真田昌幸という人物であって幸村ではありませんでした。

いわば大坂方は昌幸亡き後の次善の策として幸村を登用したに過ぎません。
本人の武名が天下に鳴り響いていた後藤又兵衛基次とは期待そのものの度合いが違いました。

さらに新規に配属された足軽兵士に、かつての自分の旧臣たちを配備することで、全体のバランスをとって有力な兵力にすることができた後藤勢とは違い、紀州九度山に配流の身であった真田幸村には、新規の兵たちに合流させる旧臣もほとんどおらず、いわば新兵のみで戦わなくてはなりませんでした。

数だけは約五千もの兵力を与えられた幸村でしたが、そのほとんどが新兵では野戦での機動戦は不可能です。
しかし、城壁に拠っての篭城戦であれば、新兵といえどもそれなりの戦力を発揮することができるでしょう。
つまり、幸村の兵力は最初から篭城戦しかできない兵力だったのです。

大坂方もそれは承知しておりました。
もとより今回の戦は大坂城に篭っての篭城戦です。
かつて二度も上田城という小城で徳川の大軍を退けた、篭城戦の真田の名にふさわしい戦いをしてくれれば、それでよかったのでした。

一方、幸村にとってはここが死に場所という思いが強かったものと思われます。
無為に時を過ごし、何もしないうちに父のように年老いて死んでしまう。
そんな恐怖から解き放たれ、最後にひと暴れして死のうと思っていたに違いありません。

しかし、かといってただ死ぬわけには行きません。
しかも篭るのは天下に名だたる強固な城大坂城です。
徳川幕府軍といえども相当にてこずることは必至でしょう。
もしかしたら・・・あわよくば・・・の思いが胸中に去来したかもしれません。

で、あればこそ、最後のひと暴れを万人に見せ付ける必要があったのでしょう。
真田の死に様を見せつけ、あるいはあわよくば勝利を得たときに、真田の活躍を豊臣秀頼をはじめとする大坂城の主だった面々に印象付け戦後の恩賞を有利にするためにも、真田幸村ここにありというのを大いに宣伝する必要があったのかもしれません。

そのために、幸村はあることを考えました。
堅固な大坂城に立て篭もり、そこで戦っていたのでは、城内外の人たちには誰が活躍しているのかわからない。
その他大勢に埋没してしまい、真田の名を上げることはできないだろう。
そう考えたのか、幸村は大坂城南面に出城を築くことにします。

堅固な大坂城にあって、南側は唯一平地が広がる攻めやすい方角でした。
当然徳川勢も大坂城の南面から攻めかかってくるでしょう。
その南側の防備を強化するためと称し、幸村は空堀や柵で囲まれた出城を築くことを主張したのです。
出城という城内外双方から目立つ位置で戦えば、必ずや真田の武名はとどろくだろうということを考えていたのかもしれません。

そして、幸村には武名以上に考慮しなくてはならないことがありました。
それは城内からの不信の目でした。
幸村は大坂城上層部から徳川方に内通するのではという疑いをかけられていたのです。

無論幸村に徳川方に内通するつもりなどまったくなかったと思われます。
しかし、大坂城内では真田幸村が内通するという噂が駆け巡っていたといわれ、上層部としては信用しきれなかったのでしょう。
そこへ出城を築きたいという要請があったのですから、大坂城内では認めるかどうかで議論になったといわれます。

幸村としては、疑いをかけられたまま城内で戦えば、難癖を付けられて思うような戦いができないのは明白です。
出城に出てしまえば、そういった気遣いも無く、思う存分に戦えると考えたのでしょう。

確かに出城を築けば効果はあり、大坂城の弱点を強化することにはなります。
しかし、万が一真田幸村が裏切ったとき、出城は徳川勢の格好の城攻めの拠点となってしまいます。
幸村の進言を認めるか否か・・・
思い悩んだ大野治長は、この件を後藤基次に相談したといわれます。

後藤基次は大野治長らの不安を笑い飛ばしました。
真田幸村が徳川方に内通するはずなど無いと断言したのです。
これで出城建設は決まりました。

しかし、完全には不安をぬぐえなかったのか、出城と大坂城をつなぐ通路は特に厳重に作られ、さらには真田勢よりも多い一万の兵力を出城の背後に配備します。
それは、真田勢への増援としてではなく、万が一の真田裏切りに対する真田勢攻撃のための兵力でした。
真田幸村は前面にも後方にも敵を抱えて戦うことになったのです。

真田丸がどの時点で完成していたのかは定かではありません。
ですが、慶長19年(1614年)12月の時点では完成し、真田幸村以下約五千の兵力が篭っていたといわれます。
真田勢が篭るこの出城は、通称を「真田丸」と言いました。

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Author:舞方雅人
(まいかた まさと)と読みます。
北海道に住む悪堕ち大好き親父です。
このブログは、私の好きなゲームやマンガなどの趣味や洗脳・改造・悪堕ちなどの自作SSの発表の場となっております。
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